「地球温暖化懐疑論批判」の「不都合な真実」(3)

注) 当投稿を含む”「地球温暖化懐疑論批判」の「不都合な真実」”シリーズの内容は、右側のサイドバーにアップロード(カレンダー、「最近の投稿」、「アーカイブ」の下)している”「地球温暖化懐疑論批判」の不都合な真実”にまとめ直しました。今後はそちらをご覧ください。画像をクリックするとPDFが表示されます。全60ページですので、ダウンロードすることをお勧めします。ファイルサイズは2.8MB弱です。

今日今晩は。「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某です。
「地球温暖化懐疑論批判」の「不都合な真実」(2)の続きです。

前回、「インチキ Panel on Climate Change(IPCC)」の数値を真に受けてはいけないことを説明しましたが、実際、近藤先生は次のように述べています。


これは気象庁の公表値の60%の上昇率である。気象庁の公表値は諸々の誤差を補正しておらず、過大評価となっている。現在、世界平均の気温上昇率も公表されているが、今回のような補正は施されていないので、今後見直す必要がある。


(「気温観測の補正と正しい地球温暖化量」より)

気象庁が世界の常識からかけ離れた気温測定を行っているのでない限り、「気象庁の公表値の60%の上昇率」という事実は日本固有の現象ではなく、「IPCCの全球の0.7℃上昇との値(12ページ左の下から5行目)」も同じ程度の「過大評価となっている」ということです。ところが「地球温暖化懐疑論批判」はこれに一言も触れず、「このことは「都市化による全球気温のバイアス」が幻想であることを示している(11ページ右の下から5行目)」と断言したのです。また「観測環境の劣化が世界平均気温変化の推定に与える影響は限定的と考えられる(14ページ左の上から8行目)」とも言い張ってますが、そのような認識は近藤先生の問題意識と相容れません。結局のところ、「地球温暖化懐疑論批判」は、「今後見直す必要がある」という近藤先生の見解は「幻想」、と決めつけているのです。

しかし、そう言い切るのならば、真っ向から近藤先生に反論すべきでしょう。ところが、そうはしない。なぜならば、近藤先生には反論できないから。近藤先生に反論すると、返り討ちに合って、自分達の無能さと醜悪さを満天下に曝すことになってしまうからです。そこで、武田邦彦が近藤先生の研究を引用していることを勿怪の幸いとばかり、執拗に武田邦彦をあげつらうことによって、自分達を正当化しようと謀ったのです。実際、「何ら根拠なく、気温上昇量の半分を都市化の影響としているからである(12ページ左の下から16行目)」と罵っています。しかしながら、前回で紹介したとおり、0.7℃は野外における気温観測の誤差の範囲内ですから、「0.2℃/100年」と「0.67℃/100年」は区別できないわけで、実際の気温上昇量は「公表値の60%」よりも低い可能性があります。そうである以上、「半分を都市化」と見なすことは決して不合理ではありません。むしろ、張壽川と虫国人の下僕どもこそ「公表値の60%」という指摘を黙殺して、ですから、正に「何ら根拠なく」、「このことは「都市化による全球気温のバイアス」が幻想であることを示している」と決めつけ、その挙句に、「何ら根拠なく」武田邦彦を罵っていたのです。

その一方、「議論1」では「温暖化、特に温暖化への人為的な影響に関する世界的な合意はない」という批判に対して、次のように反論していたのですよ。


少なくとも世界および米国内のアカデミアにおいては「合意はある」とする方が状況認識としては正確である。一方、いわゆる懐疑論者は少数派であり、かつ全く分野が異なる専門外の研究者あるいは非研究者である場合が少なくない。


(2ページ左の第2段落)

いやはや、呆れ返って物も言えませんね。自分達こそ、わざわざ「専門外の研究者」である武田邦彦を引っ張り出してきて散々にあげつらい、「専門家」である近藤先生には沈黙しているくせに。しかも、張壽川自身は気候学者ではないのですから、何をや言わんです。自分よりも弱い立場にある者を苛めて悦ぶタイプですね、張壽川と虫国人の下僕どもは。しかも「非研究者である場合が少なくない」と言い放って、「研究者」という肩書きをひけらかし「非研究者」を威圧しようと謀りながら、「議論1」の冒頭では次のように嘯いていたのですよ。


第一に、その人物の肩書きが何であろうと、一個人の意見がすべての意見を代表するわけではない。


(2ページ左の先頭)

本当にスケベな連中ですね、張壽川と虫国人の下僕どもは。そもそも、如何なる「研究者」であろうとも始めは皆「非研究者」です。たとえCO2温暖化が本当だとしても、始めはCO2温暖化説に疑問を抱き、自ら進んで勉強し、その結果、CO2温暖化を確信する「研究者」になるかもしれません。「研究者」であることを盾に「非研究者」と蔑み罵るような態度は、科学の発展を阻害する以外の何物でもありません。このことからも明らかなとおり、「専門家」だけが「研究者」ではありません。自ら進んで考えようとする人は「研究者」なのです。「非研究者」などという言葉を使う輩こそ本当の「非研究者」です。「合意はある」が虚構にすぎないことは既に3月9日の投稿で解説しましたが、張壽川と虫国人の下僕どものような「非研究者」が「合意はある・ゴア」と言い張ったという事実は、「合意」の非科学性を物の見事に露呈したと言えるでしょう。

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