地球温暖化交響曲第1番「虚人」

今日今晩は。「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某です。

今日はこの記事を見てください。


「原子力からシフトを」 自然エネルギー、50年までに100%に
2011年4月13日11時2分
「エネルギーシフト」という提言に注目が集まっている。代替エネルギー研究で知られる環境エネルギー政策研究所の飯田哲也(てつなり)所長(52)が提案した。注目の背景には「エネルギーを原子力に頼っていてよいか」という問題意識の高まりがある。
――飯田さんは持続可能なエネルギーの研究や政策提言を仕事にしていますが、以前は原子力関係の技術者だったのですね。
鉄鋼メーカーで1992年まで、放射性物質関係の研究・開発をしていました。福島第一原発にある使用済み核燃料の乾式貯蔵施設の設計も手がけました。
――なぜお辞めになったのですか。
電力会社と原発メーカーと中央省庁などが作る「原子力ムラ」に貢献し続ける人生が、むなしくなったからです。
――今のエネルギー論議をどう見ますか。
世の中の人々は「原子力は避けたい」と思っているが、「やはり必要」という刷り込みに影響されている。原子力関係者は「原子力は継続するが、ほとぼりが冷めるまでは石炭火力と天然ガスでつなぐ」というシナリオを書いている。
――「戦略的エネルギーシフト」とは何ですか。
原子力に電力の約3割を依存する従来の体制から、自然エネルギーなどへ比重を移し、エネルギーの全体バランスを漸進的に変えていこうという案です。
現行では10%程度である自然エネルギーの割合を2020年までに30%、50年には100%に上げることを目標に掲げています。自然エネルギーの内訳は水力や太陽光、風力、バイオマス、地熱発電などです。
ドイツは、電力に占める自然エネルギーの割合を過去10年で6%から16%に高めた。今後10年で35%に伸ばす目標も持っている。政府が政策的にテコ入れをすれば投資や技術開発が進み、市場が広がっていくという見本です。
加えて、原発に象徴される大規模なシステムに依存し、電力会社が市場を独占し国家が一元的に管理するという現状を改め、「小規模・分散型」のエネルギーシステムへ移行すること。それも必要なシフトです。
――なぜ「脱原発」でなく「シフト」と?
反原発も脱原発も、バックミラーを見るイメージがあるからです。(後方に去っていく)原子力だけに着目する語感がある。エネルギー論議には全体的な視点が欠かせないはずです。
――事故後の世論調査では、原発の将来について「増設」「廃止」「現状維持」に三分されています。
「新増設せず現状を維持する」という選択は、実際には、原子力を減らす未来を選んでいることになります。日本は、老朽化による原発の廃炉が進む時期に突入したからです。事故を起こした福島第一原発も、ちょうど40年でした。
――夏には大停電の危機が訪れると言われますが。
私の試算では、計画停電などをせずとも乗り切れます。電力会社が企業などの大口需要者と結ぶ「需給調整契約」を活用し、それを政府が後押しすれば、十分に需要を減らせる。
――「便利な生活を原発に支えられていながら原発削減を訴えるのは矛盾だ」との批判もあります。
私の考えでは、便利な生活と原発削減は矛盾しません。それに、もし矛盾を抱えていたとしても、より良い方向へ変える努力を続けることは必要でしょう。(聞き手・塩倉裕)


(asahi.comより)

性懲りも無くまたぞろ出やがったな、このクズ野郎!

コヤツは何て言ってたでしょうか。
既に3月24日の投稿で紹介しましたが、もう一度見てください。


「温暖化懐疑論」を論拠にしたエコノミストからの批判もあるが(例えば、池田信夫「温室効果ガス『25%削減』というポピュリズム)、これらは無視してよい。温暖化サイエンスの世界であれば、学問論争として、温暖化仮説に対する異論は当然認められるし、実際にそのような「亜流説」を唱える人は存在する。しかし、圧倒的に少数派である上に、政策論から見れば、「予防原則」に反するのだ。人類と地球の未来を、そんな危なっかしいギャンブルに賭けられるわけがない。温暖化サイエンスの専門家ではない知識人が政策論を展開するなら、温暖化サイエンスの領域に関しては圧倒的に「主流」の学説を前提に議論すべきであろう。最低限、そのバランスは必要だ。しかし、明らかに亜流の「温暖化懐疑論」だけを論拠に、また予防原則などお構いなしに、政策論を発言すること自体が、「知識人」として不適格といってよいだろう。


(「予防原則を解さず「地球温暖化懐疑論」を振り回す池田信夫」より)

いいですか。3月11日以降、皆さんもメディアに登場する原子力関係の学者をさんざん見てきたはずですね。彼らは正に「主流」の学者ですよ。「原子力関係の技術者だった」飯田はそのことを良く知っているはず。ですから「圧倒的に主流の学説を前提に議論すべき」ならば、原子力発電推進という結論以外は出てきません。すなわち、飯田の論理は原子力正当化の論理に他なりません。しかし「そんな危なっかしいギャンブルに賭けられるわけがない」ことが明らかとなったのです。「圧倒的に少数派である」反原発学者が正しかったことが明らかとなったのです。「むなしくなったからです」との言い草が、それこそ「虚しい」戯言にすぎないことは明らかでしょう。飯田の「虚しさ」はその醜悪な面にもよく表れてますな。

実のところ、恥ずかしながら、不肖私めも3年ほど前までは人為的温暖化論を真に受けてました。しかし、3月18日の投稿で紹介した2009年9月14日の朝鮮日刊新聞社説を見て、その異常さに気づきました。そこで、「専門家ではない」ながらも、自らの耳で聞き、自らの目で見、自らの頭で考えることに努めました。その結果、人為的温暖化論のいかがわしさが見えてきたのです。逆に言えば、3年ほど前までは、メディアが一方的に垂れ流す情報を鵜呑みにするだけで、自分では何も考えていなかった、頭が空しかった、ということです。実のところ、「圧倒的に主流の学説を前提に議論すべきであろう」とは正にこのことです。自分の頭で考えるな、ということですよ。しかし、それが「知識」と相容れないことは明らかであります。

私め寡聞にして池田信夫が何者かは知りませんが、池田信夫が「知識人として不適格」だとしても、本当の「知識人」に対して「圧倒的に主流の学説を前提に議論すべきであろう」と言い放つのは、「議論」するなと言うことに他なりません。4月2日の投稿で紹介したとおり、張壽川も「議論」を嘯き、その実は、「議論」を拒絶してました。CO2温暖化を喚き立てている輩は、専門家であるか否かにかかわらず、ことごとくが「議論」を否定しているわけですが、それはCO2温暖化論が「虚しい」ことを暴かれたくないからに他なりません。3月27日の投稿を振り返ってください。「地球温暖化懐疑論批判」の著者達、すなわち、「主流」の学者達は、日本の気象学の重鎮である近藤純正先生の研究結果を歪曲して引用しながら、あべこべに武田邦彦を罵ってました。彼らの詐術と醜悪さは近藤先生のホームページに目を通せば判ることです。専門知識は一切必要としません。しかし、その事実を知られてはヤバイ。だからこそ、自分の頭で考えるな、議論するな、と喚き立てるのです。そのような姿勢は正に「原子力ムラ」と相通ずるものであります。

そもそも、飯田は「気象学」とか「地球科学」とは言わずに「温暖化サイエンス」と放言してますね。それは、始めに「温暖化」ありき、ということですね。「温暖化サイエンス」ならば「主流」も「亜流」もありません。温暖化を喚き立てている研究者は金太郎飴ですから。従って、CO2温暖化を否定する理論は始めから排除しているわけです。それは、やはり「議論」を拒絶していることを露呈しているのであり、「知識」と相容れず、従って「サイエンス」ではあり得ないのです。実のところ、3月9日の投稿で紹介したとおり、「地球科学」の分野に広げれば、CO2温暖化を認めている研究者は1%にも満たないわけで、だからこそ、「温暖化サイエンス」と言わざるを得ないのです。

いいですか。
「福島第一原発にある使用済み核燃料の乾式貯蔵施設の設計も手がけました」のであれば、飯田は原発事故を招いた側に属していたわけですから、直接の責任は無いとしても、事故の収束に心魂を砕くのが筋でしょう。権力側に全くパイプの無い「明らかに亜流の」反原発学者ならばどうしようもないですが、実のところ、飯田は権力側とも通じているのです。事実、民主党が打った「事業仕分け」なる猿芝居の「仕分け人」の一人だったのです。ですから、「原子力ムラに貢献し続ける人生が、むなしくなったからです」という台詞が本物ならば、「明らかに亜流の」反原発学者と政府とのパイプ役を自ら買って出るはずですが、あべこべに、こんなことしてやがりました。

飯田が「主流の学説を前提に議論すべきであろう」と言い放った意図は明らかでしょう。「原子力ムラに貢献し続ける人生が、むなしくなったからです」との言い草は、福島原発建設に関わったという自らの罪業を覆い隠し、さらには、自己を正当化するための卑劣な言い逃れにすぎません。

今為さねばならないことは唯二つ。原発事故を食い止めること、そして、既存の原発を速やかに停止すること以外にはありません。3月17日の投稿で解説したとおり、そして、「地球温暖化懐疑論批判」の著者達、すなわち、「温暖化サイエンスの領域に関しては圧倒的に主流」の学者達がそれに反論できないことからも明らかなとおり、CO2温暖化論はでっち上げにすぎません。ですから、原発を停止して「石炭火力と天然ガスでつなぐ」べきなのです。こちらのブログに依れば、「明らかに亜流の」反原発学者である小出裕章も「水力発電所と火力発電所で全部足りているのです」と訴えてます。たとえ、「インチキ Panel on Climate Change(IPCC)」の言い分を受け入れたとしても、100年で0.7度という温暖化にすぎません。一方、スマトラ大地震の三ヶ月後に数百キロメートル離れた地点でマグニチュード8以上の大地震が起こったという事実から、近い将来に日本でも同様のことが起こる可能性が懸念されています。ですから「予防原則」に立てば、原発を直ちに停止して「石炭火力と天然ガスでつなぐ」べきことは明らかです。

ところが、飯田哲也は「エネルギー論議には全体的な視点が欠かせないはずです」と言い放ち、CO2温暖化を盾に「エネルギーシフト」を言い立てるのです。言うまでもなく、「そんな危なっかしいギャンブルに賭けられるわけがない」のです。それは、飯田が「予防原則」を全く理解していないこと、ですから「予防原則」を騙っていたことを露呈しました。「予防原則」を騙って正当化を謀る「エネルギーシフト」が、環境・国民の安全と相容れないことは火を見るより明らかであります。

自ら福島原発に関わりながら、原発事故に因るすさまじい環境破壊と国民の財産毀損、そして、国民の生命の危機を横目に、平然として「エネルギーシフト」を嘯く飯田哲也が、環境を、そして、国民の生命・財産を顧みないことは明らかであります。そのような卑劣で邪悪な人間が「電力会社が市場を独占し国家が一元的に管理するという現状を改め」と言い張った事実は、そして、我国においてCO2温暖化詐欺を主導してきた朝鮮日刊新聞が飯田を時代の寵児のごとくに持ち上げたという事実は、4月15日の投稿における考察を裏づけました。「電力会社が市場を独占」するのは怪しからんというのは、実のところ、電力に対するノウハウを全く持たないTCIのようなハゲタカファンドに利権を渡せ、と言うことに他なりません。そもそも「専門家ではない」飯田が何を以ってして「圧倒的に主流の学説」だの「明らかに亜流の温暖化懐疑論」だのと判断できるのでしょうか。できるはずがありませんね。与えられたシナリオに沿って喋っているだけですね。事実、不肖私めのようなボンクラが3月27日の投稿で指摘したことさえ判らないような真性アホウが、「知識人」面して「知識人として不適格といってよいだろう」などと言い放つこと自体が片腹痛いのみならず不可解です。飯田は、CO2温暖化を煽り立てて「小規模・分散型」の美名の下に我国の社会基盤を乗っ取ろうと謀る勢力の、「虚しい」操り人形にすぎません。

飯田哲也、テメエのようなクズは文字通りに「むなしく」なりやがれ!

ところで、この文章を書き上げた後で気づきましたが、我国における数少ない反IPCC派アカデミストの一人と目されている伊藤公紀(事実、「地球温暖化懐疑論批判」でも槍玉に上がっている)が、飯田哲也の言い分を真に受けてるじゃないですか!
どうなってんでしょ?
わけ判らんわ。

ドイツ気象機関による本日の放射性物質拡散予報(クリックするとアニメーションします)

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