再生可能エネルギー交響曲第7番より「日本侵略のテーマ」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

9月11日の投稿では、民主主義を真っ当なものに鍛え直すためには、地球温暖化や再生可能エネルギーや発送電分離を喚き立てている「エリート」どもを社会から駆逐しなければならない、と指摘したけど、その「エリート」どもは概ね次の3種に分類できるんだな。
一つは、8月6日の投稿8月10日の投稿で解説したとおり、孫腐正義に象徴される「反日」。
一つは、8月18日の投稿8月26日の投稿で解説したとおり、”金子KO負け”に象徴される「ネオリベ」。
一つは、8月30日の投稿で解説したとおり、飯田哲也に象徴される「ファシスト」。

「キリキリ左舞でバタン9条」の連中は、「反日」なんて言う人間こそファシスト、って反論するだろうけど、真実は正反対。
「反日」こそファシスト。
ネオリベは「反日」。
3種に分類できると言ったけど、それは、どの要素が一番強いか、ということであって、「反日」はネオリベでもあり、ファシストでもあるわけ。
反日、ネオリベ、ファシストは三位一体。
それを最大限に具現しているのが、他ならぬ、チョンコロ韓直人と朝鮮日刊新聞。
これを見よ!


「国会改革を考える」―政権交代を生かし大胆に
鳩山政権の誕生で、予算編成のやり方をはじめ、政治の姿が大きく変わろうとしている。国会も、永久与党、万年野党の時代の国会とは大いに違ってしかるべきだ。
政権交代が当たり前になる時代の新たな国会はどうあるべきなのか。議論が始まった。
具体的に声をあげたのは民主党の小沢一郎幹事長だ。衆院本会議で民主党の代表質問を省いたり、政治学者ら有識者の集まりである21世紀臨調に意見を求めたり、国会の大がかりな改革に乗り出す構えを見せている。
■頭を切り替えてみる
行き当たりばったり、説明不足のままでの性急な取り運びは困る。だが、議論しようという姿勢は大いに買う。
戦後の半世紀というもの、自民党政権の下で「国対政治」に象徴される与野党の交渉術などが定着した。それが、国会を形骸化(けいがいか)させてもきた。ここで抜本的に見直してみようというのは、意味のある問題提起である。
まず、民主党の2人の首脳の議論に耳を傾けてみよう。
菅直人副総理・国家戦略相が唱えるのが、「国会内閣制」という考え方である。
菅氏によれば、日本国憲法が想定する国の仕組みを「三権分立」と単純にとらえるのは正しくない。国民の信を得た多数政党が党首を首相にし、その首相が内閣をつくる。つまり多数党は、立法権を押さえ、行政権をも握ることになるからだという。
内閣は独立して国会の「外」にあるというよりは、その「中」にあるというイメージだ。内閣の下に各省庁などの行政機関が組織される。
小沢氏も、国会をめぐる「頭の切り替え」の必要性を訴える。
菅氏が言うように多数党が政権をつくるのだから、政府と与党は「一体」である。これまでは「政府」対「国会」という構図でとらえられてきたが、本来は「政府与党」対「野党」の対抗として考えるのが正しい――。
■政治家同士が議論を
両氏の議論の根底には、自民党政権時代の政治の仕組みを根本的に覆そうという狙いがある。標的は「官僚内閣制」としばしば呼ばれるものだ。
これまで、予算も法案も実質的にはすべて各省庁の官僚がつくってきた。国家の利益を考え、判断するのは官僚機構であり、閣僚たちはそれにお墨付きを与え、与党は国会で法律などを成立させる。
業界や利益団体との利害調整で、与党が官僚と対立することもあるが、基本は「官僚→内閣→国会」の流れで進んでいく。
これを、正反対に「国会→内閣→官僚」へと逆転させようというのが、菅氏や小沢氏ら民主党の考え方のようだ。官僚依存から政治主導へという看板とも響き合うものなのだろう。
具体像を描くのはこれからだが、こうした方向性は理解できる。
だからこそ、今後の議論に向けて留意すべき基本原則を掲げておきたい。
第一に、国会議員たちの自由な議論が保障されることだ。与党議員は質問を控えるとか、政策や法案のあり方について意見を述べられないとかいった仕組みはおかしい。国会審議の活性化を最優先に考えたい。
民主党に誕生した大勢の新人議員について、最大の仕事は次の総選挙で当選することなのだから選挙運動に傾注せよと促す声がある。政党の論理としては一面の真理はあるにせよ、それだけでいいはずはない。有権者は議員が発言し、政策づくりにかかわることを期待して票を投じたのだ。
かつて国会法に定めのあった議員同士の「自由討議」を復活させてもいい。官僚の答弁を一切禁止する構想も民主党にはあるが、慎重に考えるべきではないか。行政監視などを担う別の場を国会に設ける考え方もある。
第二に、そうした議論を生かして、必要な法案修正が柔軟に行える仕組みを考えることだ。政府与党の案が数の力で通過していくだけの国会にしてはならない。
■事実上の「通年国会」に
第三に、政権交代が常態となれば、つまり与野党が入れ替わることになる。現時点で多数を握る与党が自分に有利なルールを押しつけるのではなく、公平なやり方を考え出さねばならない。現時点の野党も、抵抗策ばかりを重視するのは建設的とはいえない。
長期政権時代の国会の進め方には、見直すべき点が少なくない。
国会の会期制もその一つだ。会期末の時間切れをにらんで与野党が駆け引きを繰り広げる「日程国会」とは決別したい。通常国会を事実上、通年化することに真剣に取り組む時期だ。
「党議拘束」のあり方も考えたい。民主党は法案の事前審査をなくす方針だが、それなら議員たちが法案の是非について自由な意見を述べられるよう党議拘束を緩めるべきである。
それによって法案の政府修正や、与党修正もやりやすくなるだろう。
4年前の郵政選挙で自民党が大勝して以来、国会での「巨大与党の暴走」に対する懸念が強まっている。暴走を食い止めるのは、なんといっても政権交代の可能性である。民意の厳しい監視が必要だ。
新時代にふさわしい国会の姿を描くのは、私たち有権者の責任でもある。


(2009年11月2日の朝鮮日刊新聞社説)

しかしだな。
憲法には何て書いてる?

第41条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
第42条 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。
第43条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。

少数党をも含めた「全国民を代表する選挙された議員」の全体が「国会」。
だからこそ「国権の最高機関」。
「国会」=「多数党」じゃあない。

逆に、内閣は「多数党」のみから構成されるから「全国民を代表」しない。
だからこそ、憲法には次のように規定されてる。

第66条 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。

国会は単なる「立法権」の府ではなく「行政権」をも従える「国権の最高機関」。
もう一度言うけれど。
少数党をも含んでいるからこそ、国会は「国権の最高機関」。
内閣が国会に対して責任を負うのは其れ故。
内閣が国会に対して責任を負うというのは、与党に対して責任を負うということではなく、少数党をも含めた国会に対して責任を負うということ。

現実的には「多数党は、立法権を押さえ、行政権をも握ることになる」けれど、だからこそ、上記の条文が決定的な意味を持つんだな。
にもかかわらず、「三権分立」を昂然と否定し、「多数党は、立法権を押さえ、行政権をも握ることになる」から「国会内閣制」などと言い張るのは、憲法41条、42条、43条、66条を否定し、従って、民主主義を否定する以外の何物でも無いだろ。
「国会内閣制」だの、「内閣は独立して国会の「外」にあるというよりは、その「中」にあるというイメージだ」とは、実のところ、「内閣→国会」に他ならず、それこそ「国会を形骸化させ」、「国権の最高機関」たる国会を「行政権」に屈服させようとの魂胆。

実は、「自民党政権時代の政治の仕組み」の最大の問題も、憲法41条、42条、43条、そして、66条が蔑ろにされてきたということにあったんだな。
ところが、チョンコロ民主党と朝鮮日刊新聞は自民党以上に憲法を踏み躙り、民主主義を「根本的に覆そう」と企んでいるわけ。
それが「官僚依存から政治主導」の真相。
その邪悪極まる意図を覆い隠すために、「官僚内閣制」だの、「官僚→内閣→国会」だのと言い立て、官僚へのルサンチマンを利用して国民を謀ろうするわけ。
例の「事業仕分け」は正にそれ。
官僚を吊るし上げることによって、国民参加を演出して見せたのは、「事業仕分け」の結果を既成事実化し、国会を封殺しようとの意図に他ならない。
「正反対に「国会→内閣→官僚」へと逆転させようというのが、菅氏や小沢氏ら民主党の考え方のようだ」などは真っ赤な左翼の嘘
その証拠に、8月30日の投稿で引用した読売新聞記事を見れば判るとおり、「事業仕分け」の実態は「政治主導」ではなく「財務省主導」、すなわち、「官僚→内閣→国会」そのものだった。
しかし、それこれも、チョンコロ民主党が憲法を踏み躙ろうと企んでいるという事実の、必然的結果にすぎないわけ。

ついでに言っておくと。
先の総選挙の投票率は約2/3で、民主党が得た議席も2/3だから、2/3×2/3=4/9<1/2であり、2/3の圧倒的議席を得ていても、実のところ、民主党は「国民の信を得た多数政党」じゃあない。
しかも、実際は、小選挙区制の下、民主党の投票率は50%にも満たなかったわけだから(赤旗の記事を見よ)、民主党は2/3×1/2=1/3の民意しか反映していない。
にもかかわらず、「つまり多数党は、立法権を押さえ、行政権をも握ることになるからだ」との言い草は、民主主義への朝鮮、じゃなかった、挑戦と断じざるを得ないだろ。

ここまで、憲法を、そして、民主主義を昂然と否定した政治屋は、チョンコロ韓直人ただ一人だな。
8月10日の投稿で「私めがだな、「チョンコロ」という言葉を使うのには、それなりの意図があるんだな。2重3重、どころか、5重6重の意図が込められてんだ」って言ったけど、その一つはこのことなのよ。
民主主義への「朝鮮(挑戦)」に引っ掛けてるわけ。

「4年前の郵政選挙で自民党が大勝して以来・・・」などと嘯いてるけど、衆議院では郵政民営化法案が可決されたのに、首相を不信任できない参議院で否決されたからと言い立てて、衆議院を解散するのは憲法違反以外の何物でも無いにもかかわらず、朝鮮日刊新聞は参議院を誹謗し郵政解散を正当化したな。
憲法を、であるから、民主主義を否定するという姿勢に関して、朝鮮日刊新聞の右に出る者はない。
「新時代にふさわしい国会の姿を描くのは、私たち有権者の責任でもある」などと嘯いているけど、それは、ファシズムを民主主義に偽装するための卑劣極まる詭弁にすぎないんだな。
9月3日の投稿でも指摘したけど、民主主義を騙る「進化したファシズム」。
これだ!

チョンコロ韓直人は日本最凶の反日ファシスト。
片や、朝鮮日刊新聞は世界最凶のファシズム翼賛メディア。
だからこそ、お互い蜜を嘗め合う仲。

週刊ポスト2011年8月12日号


菅首相、異例の雑誌単独インタビュー…週刊朝日
菅首相のインタビュー記事が9日発売の週刊朝日に掲載されることが分かった。現職首相が週刊誌の単独インタビューに応じるのは極めて異例だ。
インタビューで、首相は退陣の時期について、「原子力行政の抜本改革の道筋はつけたい。これがいまの率直な思いだ」と述べた。衆院解散・総選挙については、「『延命のために解散した』とか『復興の過程なのにどうして?』とかいう話になるだけ」と否定的な考えを示した。
東京電力福島第一原子力発電所事故をめぐっては、「日本の原子力行政は、すでに対応力を失っている」と批判した。


(2011年8月9日10時57分  読売新聞)

おい、おい。
「日本の原子力行政」って、オメエのことだろ。
それなのに、「すでに対応力を失っていると批判した」って、まるで評論家みたいな台詞は何なの?
ここにも、憲法66条を拒絶する姿勢が露呈してるな。

さて、ここからが本題。
もちろん、再生可能エネルギーのことね。


退陣3条件―自民党よ大人になって
菅直人首相が「一定のめど」を口にしてから1カ月近く、やっと中身を明言した。
第2次補正予算、特例公債法、再生可能エネルギー特別措置法の成立だという。
はっきりしてしまえば驚く内容ではない。やれやれ、これでようやく政治の混乱が収まり、前へ動きだす。
と、思いきや、国会は空転している。退陣3条件が整うめどが立たない。
自民党が、復興関連人事で参院議員を総務政務官に一本釣りされたことに態度を硬化させているのが一因だ。
谷垣禎一総裁は「自民党の協力は一切いらないという意思表示だ」と、かんかんだ。石原伸晃幹事長も「信用できないの一言に尽きる。議論を進める信頼関係がない」と切り捨てる。
「これは禁じ手だ」「わが党に対する挑戦だ」など、党内の怒りも収まらない。協調関係を求めておきながら、懐に手を突っ込んできた首相への批判が渦巻くのは当然のことだ。
だが、ここは自民党にもっと大人になってほしい。
国民は、菅首相にあきれるとともに、首相を批判するだけで止まったままの国会に失望しているのだ。
3条件は、どれも当たり前の内容だ。それを進めるために首相が進退をかけなければならないこと自体がおかしい。さらに与野党が足を引っ張りあうさまは、国民には見るに堪えない。
冷静に考えてみよう。
第2次補正には被災地で漁を再開するための製氷施設や、子どもへの線量計の配布が盛り込まれる。赤字国債を出すための特例公債法なしでは被災地の復興対応もままならない。再生エネ法も原発の是非はどうあれ、太陽光や風力の普及を図ることに異論はないはずだ。
これらを止めて、自民党に何の利点があるのか。懸案を速やかに処理して、被災者やこれからの日本のために仕事をする。それで菅政権に終止符を打つ。それこそが長く政権を担ってきた自民党の本領ではないか。
大事と些事(さじ)を切り分け、些事にはこだわらない。そうしてこそ、自民党の株も上がる。
首相の「延命」に手を貸せと言っているのではない。もはや首相は党内でも孤立し、このまま政権が立ちゆくはずもない。
きのうの民主党両院議員総会でも、早く退陣せよと求める声が止まらず、執行部からも首相への不満が漏れた。
こんな首相と自民党はいつまでいがみ合うのか。働いて歯車を回そう。


(2011年6月29日の朝鮮日刊新聞社説)

そもそも、2月27日の投稿で指摘したとおり、再生可能エネルギー高値買い取りは憲法14条と29条に反しているのだけど、上の社説には、再生可能エネルギーの違憲性と反民主性が余すところ無く示されているんだな。

もう言うまでもなく、首相が国会に退陣条件を突きつけるという事自体が憲法66条に反してるわけだけど、それは、憲法14条と29条を踏み躙るためには憲法66条を踏み躙る必要があるということであって、再生可能エネルギーが憲法否定の上にのみ成立可能な事を立証したんだな。
2009年11月2日の社説において昂然と憲法を否定した朝鮮日刊新聞が、「はっきりしてしまえば驚く内容ではない」だの、「3条件は、どれも当たり前の内容だ」だのと言い切るのは理の当然。

原発事故の出来る限り早い収束と被災者の生活再建こそが最大の「懸案」だろ。
にもかかわらず、「懸案を速やかに処理して、被災者やこれからの日本のために仕事をする」との本末転倒な言い草は、再生可能エネルギー特別措置法が第一義的で、被災者は二の次、と言う以外の何物でもない。
であるから、「それを進めるために首相が進退をかけなければならないこと自体がおかしい」との言い草は、本末転倒を通り越して、被災者の生活再建を第一義的に考える「こと自体がおかしい」と言うことに他ならず、チョンコロ韓直人と朝鮮日刊新聞が被災者を全く顧みないことを完全に露呈したと言える。

もう、言うまでもないと思うけど、チョンコロ韓直人が「懸案」を顧みないにもかかわらず、「大事と些事(さじ)を切り分け、些事にはこだわらない」との言い草は、「再生可能エネルギー特別措置法」こそが「大事」であり、被災者の生活再建などは「些事」ということに他ならない。
それは「再生可能エネルギー」の邪悪な本性をハッキリと示したんだな。
原発事故に乗じて、再生可能エネルギー高値買い取りを正当化し、被災者からも毟り盗る。
再生可能エネルギー喚き立てている輩にはそれこそが「大事」ということ。
もちろん、これは憲法25条の否定に他ならないけど、憲法43条を否定するファシストが憲法25条をも否定するのは理の当然。
被災者の命を「些事」と言い放つ朝鮮日刊新聞が、まるで国民を代弁しているかのごとく、卑劣にも「国民には見るに堪えない」などと嘯くことこそ「見るに堪えない」んだよ!

チョンコロ韓直人は原発事故の収束と被災者の生活再建という「懸案」を解決できない、と言うよりも、「懸案」に取り組もうとさえしなかった。
4月18日の投稿で指摘したとおり、原発事故への対処をもほっぽりだして、「エコタウン」などとほざいていたのはその一例。
だから、「被災者やこれからの日本のために仕事」をするために「菅政権に終止符を打つ」べきだったわけだ。
にもかかわらず、「それで菅政権に終止符を打つ」との言い草はまたもや本末転倒であり、やはり、被災者を顧みない事を露呈している。

国民があきれるような首相を早く辞めさせることは、「全国民を代表する」国会にしか出来ないし、それを断行する事が「国権の最高機関」である国会の責務だろ。
にもかかわらず、あべこべに「首相を批判するだけで止まったままの国会に失望しているのだ」と罵り、チョンコロ韓直人の要求を満たせと言い張るのは、やはり、「国権の最高機関」である国会を貶め、政府の下風に置こうとの邪悪な意図に根ざしているわけ。
そして、「太陽光や風力の普及を図ることに異論はないはずだ」との言い草から明らかなとおり、それを正当化する手段が「再生可能エネルギー」なわけ。
再生可能エネルギーは憲法違反、と言うよりも、憲法を踏み躙るための、民主主義を踏み躙るための、最強の手段が「再生可能エネルギー」なのよ。
日本最凶の反日ファシストであるチョンコロ韓直人と世界最凶のファシズム翼賛メディアである朝鮮日刊新聞が、再生可能エネルギーに執着するのはその決定的証拠。
「ここは自民党にもっと大人になってほしい」とは、「私たちのような大人のファシストになってほしい」ということなんだな。
風力発電の「歯車を回そう」=ファシズムの「歯車を回そう」、ということなのよ。

最後にこの記事を見てもらおうかね。


菅氏「自然エネのメッカに」 福島の発電所視察
2011年9月28日 18時21分
民主党の菅直人前首相は28日、福島県郡山市を訪れ、風力発電所としては国内最大となる郡山布引高原風力発電所33基(出力計6万5980キロワット)やソニーのグループ企業の蓄電池工場を視察した。この後、東京電力福島第1原発事故の被害を受けた同県復興のため、自然エネルギーの拠点をつくるべきだとの考えを記者団に強調した。
また「原発や化石燃料への依存度を下げるためにも首相退任後、これだけは継続して頑張ろうと思っていたのが自然・省エネルギーの促進だ」と「脱原発」に取り組む意欲を重ねて示した。


(共同)

自らが首相在任時に未曾有の大災害が起こったのであれば、被災者の生活再建「だけは継続して頑張ろう」と言うべきであるにもかかわらず、自然エネルギー「だけは継続して頑張ろう」と言い放ったわけで、上記の考察を完全に裏づけたと言える。
しかも、9月3日の投稿で紹介したとおり、コヤツは辞任の直前に放射性廃棄物中間貯蔵施設の設置というとんでもない土産を福島県民に置き捨てて逃げ去った。
にもかかわらず、平然と福島県に現れて「自然エネのメッカに」などとのたまっているんだな。
本当に汚い!
しかし、それこそが自然エネルギーの本性。
9月11日の投稿でも指摘したけど、福島に原発を押しつける→福島に放射性廃棄物を押しつける→福島に自然エネルギーを押しつける、ということ。
もちろん、この自己中はチョンコロ韓直人だけではない。
再生可能エネルギーを喚き立てている連中は大なり小なりチョンコロ韓直人と同質。
反日ファシスト・チョンコロ韓直人は再生可能エネルギーの、そして、それを喚き立てている輩の映し鏡なのよ。

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オーケストラの悪ふざけ少女

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

さて、ようやく、「気候変動・千夜一夜」が私めの送ったトラックバックに反応したようでありますが、

・・・・・

なんじゃ、これ?

いや~、「地球温暖化の研究に真面目に取り組む科学者」の言うことは、よう判らんの~。
って、真面目に答えんかい!
ふざけるな!
「地球温暖化懐疑論批判」は何て言ってた。
「いわゆる懐疑論者は少数派であり、かつ全く分野が異なる専門外の研究者あるいは非研究者である場合が少なくない」って言い放ったな。
David Archerの教科書に載っていた「band saturation」の意味を「非研究者」にサクサクっと説明できる、それこそが「専門家」だろ。
違うか?

それとも、なに?
「多層大気模型で表現されている物理はコンピュータシミュレーションに組み込まれているけど、コンピュータシミュレーションでは決して飽和しない」って、言いたいのかね?
組み込まれたのなら発散しないはずだが。
って言うか、コンピュータシミュレーションは関係ないって言っただろ!
日本学術会議がIPCCを擁護するために仕組んだ公開シンポジウムで、江守正多も次のように言ってただろ。


地表付近の温度が上がるというのは。これは、まぁ、言ってみれば、モデル以前の問題で。地表付近がたくさんエネルギーを、温室効果ガスが増えれば、地表付近にたくさんエネルギーが溜まって。そうすると、地表付近の温度が上がるというのは、モデルとかチューニングとかをする以前の、よく分かっている理論の段階の話なので。ええ、それとですね。モデルの微妙な予測が当たるかどうかみたいな話を、ごっちゃにしてはいけないというのを、ひとつ述べさせていただきたい。


(「IPCC問題が問いかけるもの」より)

「モデル以前の問題」「ごっちゃにしてはいけない」って言ってるじゃん。
それとも、江守は間違ってるの?
そうなんだ。
江守は間違ってるんだ。
じゃあ、江守は馬鹿だね。
キャハハ。
けど、馬鹿の江守はこんなこと言ってたよ。


実は、現在の地球の状態から二酸化炭素が増えると、まだまだ赤外線の吸収が増えることがわかっています。しかし、そのくわしい説明は難しい物理の話になりますのでここでは省略し、もうひとつの重要な点を説明しておきましょう。仮に、地表から放出された赤外線のうち、二酸化炭素によって吸収される波長のものがすべて一度吸収されてしまおうが、二酸化炭素が増えれば、温室効果はいくらでも増えるのです。なぜなら、ひとたび赤外線が分子に吸収されても、分子からふたたび赤外線が放出されるからです。そして、二酸化炭素分子が多いほど、この吸収、放出がくりかえされる回数が増えると考えることができます。


(「二酸化炭素の増加が温暖化をまねく証拠」より)

およよ。
馬鹿の江守が、「吸収、放出がくりかえされる回数が増える」から飽和しない、と言い張っているということは、未飽和論は馬鹿の与太話ということだな。
そして、馬鹿の江守と同じこと言ってる増田耕一大先生も馬鹿、ということだな。
キャハハ。
<証明終わり>

なんと、増田耕一大先生は未飽和論が間違っている事を自ら証明してしまったよ。
ご苦労様です。

実は、「直接こたえてはおりません」って釈明してたから、少し様子を見てたんだけど、グリーンランドの氷床がどうたらこうたらという記事を書くだけで、未だに明確な回答をしてこないんだな。
そもそも、9月7日の投稿では「物理の法則」を論じているのに、それを差し置いてグリーンランドの氷床を採り上げるのは本末転倒であり、「物理の法則」を蔑ろにしている証拠だけど、要するに、反論できないということだろ。
反論できないけど、人為的温暖化論の誤りを認めたくないから、愚にもつかない事を書き立てて誤魔化そうしたわけだ。

「気候変動・千夜一夜」のコメント欄に出没している輩もだんまりを決め込んでるけど、増田の太鼓持は出来ても、まともな議論は出来ないことを露呈したね。
まあ、「野田いこ」が首相になるくらいだから、仕方ないか。

CO2ころころ ドンブリコ
未飽和論池にはまって さあ大変
「野田いこ」が出て来て 今日は
坊ちゃん一緒に 遊びましょう

けど、9月3日の投稿で紹介したスットコドッコイのような輩は、反論するにも値しないから反論しないのだ、なんて言い張るだろうね。
そんなヤツラに「人為的温暖化論は死んだ」と説くのは、喪家の狗に「池田温暖化対策は死んだ」と説くようなもの。
アホくさ。
やってられんわ。
「久々にニールセンの5番を聴いてみるかね」って言ったけど、ストコのチャイコ5番を聴いて憂さ晴らししよっと。

アルプスの詐欺少女ハイジ

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

9月7日の投稿で紹介したこの写真だけど。

真ん中の女性はIPCC党員のHeidi Cullen女史で~~~す。

はい、今日はこれだけ。
中身が無くて、すんません。

再生可能エネルギー交響曲第5番「似非宗教改革」

メンデルスゾーン「交響曲第5番(宗教改革)」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。
9月3日の投稿では、久々にニールセンの5番を聴いてみるかね、って言ったけど、やっぱり、メンデルスゾーンにしました。
デヘヘ。

さて、今日は次の社説を題材に、これまで論じてきた事をまとめてみるだよ。


提言 原発ゼロ社会―いまこそ 政策の大転換を
日本のエネルギー政策を大転換し、原子力発電に頼らない社会を早く実現しなければならない。
いまだに収束が見えない福島第一原発の事故を前に、多くの国民もそう思っている。朝日新聞の世論調査では、段階的廃止への賛成が77%にのぼった。
なにしろ「止めたくても止められない」という原子力の恐ろしさを思い知った。しかも地震の巣・日本列島の上にあり、地震が活動期に入ったといわれるのだ。再び事故を起こしたら、日本社会は立ち行かなくなってしまう。
そこで、「原発ゼロ社会」を将来目標に定めるよう提言したい。その方策については、社説特集をオピニオン面に掲載したので、お読みいただきたい。
脱原発を進めるポイントは、時間軸をもつことである。
これまで電力の3割近くを原発に頼ってきた。ここで一気にゼロとすれば電力不足となり、生活や経済活動が大きな打撃を受けるだろう。過度に無理せず着実に減らしていく方が現実的であり、結局は近道にもなるはずだ。
原発の寿命は40年がひとつの目安とされている。もう新たな原子炉は建設せずに40年で順に止めていくと、2050年にはゼロになる。これでは遅すぎるが、代替電源の開発・導入に力を入れ、節電にも努めれば、ゼロの日をそれだけ早めることができる。
代替電源の希望の星は、風力や太陽光を始めとする自然エネルギーだ。これを増やす方向へエネルギー政策を転換し、電力会社による地域独占体制を抜本的に改めて自由化を進める。それが社説で描いたシナリオである。
これまでは、原発増強を最優先させ、自然エネルギーを陰に陽に抑制してきた。自然エネルギー源は各地に分散していて地域密着の発電になるので、自由化による新規参入が欠かせない。需給に応じて変動する電気料金にすれば、節電を促すことにも役立つ。
ただし、まだまだコストが高い。急激に導入すれば電気料金を押し上げ、暮らしや経済活動の重荷になる。どのていどの値上げなら受け入れ可能か。危険な原発を減らすことと天秤(てんびん)にかけ、国民的な合意をつくりつつ廃炉のテンポを決めていくことが大切だ。
また、それまでには時間がかかるので、当面は天然ガスなどの火力発電を強化せざるをえない。二酸化炭素を出し、地球温暖化の防止にはマイナスに働くが、自然エネルギーの開発と省エネを進めていき、長期的には脱原発と両立させねばならない。それが日本の国際的な責任でもある。
以上の努力を重ねていって、ゼロにできるのはいつか。
技術の発展や世界の経済情勢に左右され見通すのは難しいが、20~30年後がめどになろう。
そこで、たとえば「20年後にゼロ」という目標を思い切って掲げ、全力で取り組んでいって、数年ごとに計画を見直すことにしたらどうだろうか。
現在は、54基ある原発のうち35基がすでに休止しており、8月までにさらに5基が検査で止まる。この状態であっても、私たち一人ひとりの節電努力でこの夏の需要最盛期を乗り切れたなら、かなりの原発はなくても大丈夫であることを証明したことになる。
今後は安全第一で原発を選び、需給から見て必要なものしか稼働させなければ、原発はすぐ大幅に減る。ゼロへの道を歩み出すなら、再稼働へ国民の理解も得やすくなるに違いない。
戦後の原子力研究は「平和利用」を合言葉に出発した。しかし、原発が国策になり、地域独占の電力会社と一体になって動き始めると、反対論を敵視してブレーキが利かなくなった。
多くの国民も電力の源についてとくに考えずに、好きなだけ電気を使う生活を楽しんできた。
原発から脱し分散型の電源を選ぶことは、エネルギー政策をお任せ型から参加型へ転換し、分権的な社会をめざすことにつながる。それは、21世紀型の持続可能な社会を築くことにも通じる。
きょうの社説特集は「原発ゼロ社会」へ向けたデッサンにすぎない。必要なのは国民的に議論を深めながら、やれることから早く実行へ移していくことである。(論説主幹 大軒由敬)


(2011年7月13日の朝鮮日刊新聞社説)

4月26日の投稿8月30日の投稿で紹介したとおり、原発が無くても電力は足りてる。
だから、8月6日の投稿で引用したけど、小出裕章が主張するとおり、原発は「一気にゼロ」にできる。
にもかかわらず、「電力不足となり、生活や経済活動が大きな打撃を受けるだろう」などと嘘八百を書きたて、そして、相も変わらず、「節電にも努めれば、ゼロの日をそれだけ早めることができる」だの、「私たち一人ひとりの節電努力でこの夏の需要最盛期を乗り切れたなら」だのと、執拗に節電プロパガンダを撒き散らし、「脱原発を進めるポイントは、時間軸をもつことである」などと言い放ってるんだな。
しかし、それは、「原発ゼロ社会」が、目的なのではなく、「電力会社による地域独占体制を抜本的に改めて自由化を進める」ための口実にすぎないことを露呈してるだろ。

( 従来から反原発に取り組んできた市民団体は、自分達の目の前にある原発の即時停止を訴えてきたわけ。
だから、そのような人たちの思いを集約するならば、全原発即時停止という結論以外は出てこない。
このことを理解すれば、朝鮮日刊新聞のように、○○年後にゼロにできるなどと言い立てている輩は、原発の地元で原発廃止に取り組んできた人たちと相容れないことは明らかだろ。
2月13日の投稿で採り上げた気候ネットワークだの、4月24日の投稿で採り上げた「虚人」などは、正にそのような存在。
朝鮮日刊新聞やそれに同調する輩の「原発ゼロ社会」などは方便にすぎず、連中の目的は「自然エネルギー」そのもの。
しかし、それは全くの本末転倒であり、以下で解説するとおり、「自然エネルギー」が原発に取って代わる利権にすぎないことを露呈してるわけ。)

もちろん、「代替電源の希望の星は、風力や太陽光を始めとする自然エネルギーだ」から、そして「自然エネルギー源は各地に分散していて地域密着の発電になるので、自由化による新規参入が欠かせない」から、「原発ゼロ社会」を実現するためには「電力会社による地域独占体制を抜本的に改めて自由化を進める」必要がある、と言い立てるわけだけど、それは全くの詭弁。
これを見ろ!


再生エネ法―送電線の接続を透明に
自然エネルギーの拡大をめざす再生可能エネルギー特別措置法が先の通常国会で成立した。
風力、太陽光、バイオマス、地熱、小型の水力による電気を一定の期間、電力会社が固定価格で買い取る制度だ。
欧州では、この制度で自然エネルギーを大幅に増やした。日本での成功の可否は、今後の運用にかかっている。
法律は、買い取り価格について、参入者の適正な利潤を考慮して決めることを明記した。自然エネルギーの種類や方式によって違う値段になる。この点は評価したい。ビジネスが成り立つ価格にすることが必要だ。
買い取り費用は電気料金に上乗せされる。法律に上げ幅の規定はないが、経済産業省は「1キロワット時0.5円を上限で運用する」といってきた。
これはやめるべきだ。電気料金は、原油価格などによって、もっと大きく変動している。自然エネルギーを対象に料金転嫁に歯止めをかけすぎると、うまく導入が進まない。
最大の問題は、送電線への接続だ。電力会社には自然エネルギーの電気を送電線につなぐ義務があるものの、「安定供給に支障がある場合」には接続しなくてもよいとされている。
これでは、北海道や東北、九州で、多くの風力発電所の計画が「供給が不安定」という電力会社の判断で断念させられている現状と変わらない。
すでに北海道電力は、風力の受け入れ可能量36万キロワットが満杯なので、新法施行後も当面は新たな受け入れはできないと表明している。
風力は世界では自然エネルギーの柱で、中国、米国では4千万キロワットを超える。日本は約250万キロワットしかない。それでも電力各社が「もう満杯」というのなら展望は開けない。電力会社のいう受け入れ可能量を外部の人間がチェックして透明化する態勢が必要だ。
何より送電線の広域運用が欠かせない。日本の送電網は、地域独占の電力会社ごとに分割され、隣接する会社同士でも基本的に電気を融通しない。
これを改め、地域に偏在する自然エネルギー電力を東京や関西の大消費地に送るように送電網の運用を変えれば、供給に見合う需要が確保され、電力会社が「もう満杯」という事態は避けられる。
日本の電力に占める自然エネルギーは1%だ。新法をテコに、原発の削減や電力体制の改革、蓄電池などの研究開発も進めながら、「自然エネルギー後進国」から早く脱却しよう。


(2011年9月5日の朝鮮日刊新聞社説)

8月14日8月26日の投稿で紹介したとおり、風力発電は日本には不向きなのに、自然環境の違いをも顧みず、相も変わらず「風力は世界では自然エネルギーの柱で、中国、米国では4千万キロワットを超える」などと言い張ってることだけでもクソッタレだけど、「地域に偏在する自然エネルギー電力を東京や関西の大消費地に送るように送電網の運用を変えれば」との言い草は、「地域密着の発電になる」が真っ赤な嘘であることを自白したと言える。
「地域密着の発電」だったら、「東京や関西の大消費地」も電力を自給自足せんかい!
8月14日の投稿で紹介したとおり、東京の連中は「東北を太陽光発電のベルト地帯とする」と言い放っていたけど、これまでは原発を押しつけ、これからは、自然エネルギーを押しつける、ということにすぎないわけで、自己中の自己中による自己中のための「自然エネルギー」に他ならない事を完全に露呈したな。

さて、「地域密着の発電になる」は真っ赤な嘘なんだから、「地域密着の発電になるので、自由化による新規参入が欠かせない」と言い張る「自由化」の虚構も明らかだろうけど、それは「日本の送電網は、地域独占の電力会社ごとに分割され、隣接する会社同士でも基本的に電気を融通しない」という台詞にハッキリと見て取れる。
これって、要するに、送電網が「地域独占の電力会社ごとに分割され」ているのは良くない、ってことだろ。
1社にまとめるべきだ、ってことだろ。
「原発が国策になり、地域独占の電力会社と一体になって動き始めると、反対論を敵視してブレーキが利かなくなった」などと、まるで「地域独占」が悪の根源みたいに喚き散らしているけど、何のことはない、電力会社から送電網を奪って、「地域独占」から「全国独占」に推し進めよう、という魂胆なわけ。
「地域独占」と「自由化」を対比させ、「独占」という言葉の持つ悪いイメージを利用して国民を欺き、さらに「独占」を進めようと企んでいるわけ。

発送電分離の目的が「独占」にのみ存することを裏づけるのが「送電網の運用を変えれば、供給に見合う需要が確保され」という言い草。
8月26日の投稿で紹介したとおり、技術的に見れば、「地域に偏在する自然エネルギー電力」は天候に大きく依存し不安定だから、それを安定化するために送電網の一極集中が必要、ということだったな。
つまり、「地域に偏在」という自然エネルギーの致命的弱点を解消し「需要に見合う供給を確保」するための送電網の一極集中なはず。
にもかかわらず、あべこべに「供給に見合う需要が確保され」なんて言い放ってるわけだけど、その邪悪な意図は、始めの社説の「需給に応じて変動する電気料金にすれば」という言い草にハッキリと露われてる。
不安定で「需要に見合う供給」を確保できないくせに、再生可能エネルギーを高値で買い取らせる。
しかも、またまた「節電を促すことにも役立つ」と嘯いて、さらに電気代を吊り上げる。
まともな発電など出来なくても儲かる、と。
こりゃ、孫腐正義でなくとも笑いが止まらんわ。
再生可能エネルギーの本性を露呈したな。

そもそも、電気という社会インフラは一定価格で供給すべきだからこそ、電気料金の許認可制を前提とした「電力会社による地域独占体制」があるにもかかわらず、「需給に応じて変動する電気料金にすれば」という言い草は、社会インフラをも市場原理主義に委ねようということに他ならない。
8月26日の投稿で指摘したけど、再生可能エネルギーの目的がひたすら「金(かね)」であることを自白したな。

「原発から脱し分散型の電源を選ぶことは、エネルギー政策をお任せ型から参加型へ転換し、分権的な社会をめざすことにつながる。それは、21世紀型の持続可能な社会を築くことにも通じる」などと嘯いてるけど、上で指摘したとおり、「地域密着の発電」、すなわち、「分散型の電源」は詭弁なのだから、「参加型」だの、「分権的な社会」だの、「21世紀型の持続可能な社会」だのが、国民を欺くために聞こえの良い言葉を飾り立てているにすぎないことも明らかだろ。
実際、「地域に偏在する自然エネルギー電力を東京や関西の大消費地に送るように送電網の運用を変えれば」ということは、地方が東京や大阪に貢ぐことが「参加型」と言うことに他ならないわけで、それこそ「分権的な社会」とは真逆。
そして、送電網を1社に集中させることこそ「お任せ型」の極み。
何が「参加型」だ!

「地域に偏在する自然エネルギー電力を東京や関西の大消費地に送るように送電網の運用を変えれば」ではなく、東京にも電力を自給自足させる。
そうすると、人も企業も東京から出て行かざるを得なくなり、東京一極集中が是正される。
それこそが「分権的な社会」。
東京「お任せ型」からの脱却。
それでこそ「21世紀型の持続可能な社会」が構築できる。
もちろん、やりすぎると逆効果だから、「地域独占の電力会社ごとに分割され」ている現状が最適。
にもかかわらず、正反対のことを言い立てているわけ。

もう、判っただろ。
「お任せ型から参加型へ転換」だの、「分権的な社会をめざす」だの、「21世紀型の持続可能な社会を築く」だのの台詞とは裏腹に、原発即時廃止を拒絶して「原発ゼロ社会」を吹聴し、返す刀で、再生可能エネルギーと発送電分離を喚き立てている輩が目指しているのは、一極集中管理型の全体主義国家。
「脱原発を進めるポイントは、時間軸をもつことである」と嘯いていたけど、実のところ、軸足は全体主義に乗っかっていた、と。

この全体主義を正当化するための武器が、言うまでもなく、人為的温暖化論。
サイドバーにアップロードしている”「地球温暖化懐疑論批判」の不都合な真実”で解説したとおり、そして、前回の投稿で解説したとおり、「二酸化炭素を出し、地球温暖化の防止にはマイナスに働く」は真っ赤な嘘であるにもかかわらず、「それが日本の国際的な責任でもある」と言い放ったのはその故。
震災と原発災禍にのたうち苦しむ東北の人たちをも顧みず、平然と「国際的な責任」を強調して見せるのは、国民の命を顧みない証拠だけど、「地球温暖化」を吹聴すればそれをも正当化できる、という魂胆なわけ。
一人の命は地球よりも重い、と言うけれど、その真逆が「地球温暖化」。

原発即時廃止を拒絶して「原発ゼロ社会」を吹聴し、返す刀で、発送電分離だの、「分権的な社会」だの、「21世紀型の持続可能な社会」だのとを喚き立てている輩が、全体主義国家建設を目指しているという真実の決定的な証拠がこの社説。


終戦に思う―今、民主主義を鍛え直す
「進歩のないものは決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。……今目覚めずしていつ救われるか」。青年士官がつぶやく。
戦艦大和(やまと)は昭和20年春、帰還のあてない特攻出撃を命じられた。青年士官とともに乗艦した吉田満(みつる)が一部始終を書いた「戦艦大和ノ最期」にある。
青年士官は、無駄死にを強いたに等しい国でも、せめて、未来には希望を託したのだろう。
しかし、私たちは、進歩し、目覚め、救われたのだろうか。明日、敗戦から66年。
■今目覚めずしていつ
敗戦間際の8月、学徒出陣で見習士官になった若者が鹿児島県薩摩半島にいた。中隊を率い米軍との決戦に備えていた。
守る場所を「イチコロ陣地」と呼んだ。配備された4門の大砲に砲弾はわずか72発。撃ち続ければ数分ももたない。「これでどうやって戦うのか」と問うと、上官の少佐は、その場しのぎに「いざという時にはうなるほどの砲弾が来る」と言った。
若者は戦後、旧大蔵省に入りエリートと呼ばれる身となる。磯辺律男元国税庁長官(89)は戦時中のエリート、職業軍人らをこう見る。「自分の階級を上げることしか関心がなく、国のため、国民のために自らがどうあるべきかを考えなかった」
既に日中戦争の泥沼にはまっていたのに新たな敵を求めた。石油など資源の供給元だった米国相手の太平洋戦争への突入はあり得べからざることだった。
それを自存自衛と都合よく言い換え、追い立てたのは軍人たちだった。国民も当初の勝利に浮かれ、軍人をもり立てた。
なぜ、自滅への戦争を選んだのか。今年12月、映画「山本五十六(いそろく)」が公開される。山本連合艦隊司令長官を演じての思いを役所広司さんに尋ねた。
この国にはエリートが自分たちに都合よく回しておけばいい、という歴史があり、今も続いている。一方で国民はビジネスや金もうけは真剣だが大事なことを忘れていく」と答えた。
■負の構図再び
戦後も繰り返された。
バブル経済は、金余りを放置した官僚たちと、それに乗じて土地や株を買いあさり、本来の価値以上につり上げた国民の責任だ。揚げ句、暴落し多額の不良債権が発生したが、官僚は実態の公開を渋り解決が遅れた。
「国破れて道路あり」。公共事業に大盤振る舞い。農道空港や豪華な箱もの施設など無駄な投資が積み重ねられた。宴(うたげ)の後に膨大な財政赤字が残った。
そして福島第一原発の事故。原子力村の自己過信が招いた物語でなかったか。
世界有数の地震国。大津波も襲う大地に54基もの原発を造った。さらに2030年までに14基以上増やし、総電力中の原子力を5割以上にする計画を立てていた。原発依存の過剰さが放置、容認されてきた。
経済産業省や電力会社は、地震国の真実に目を塞いだ。都合のいい情報は伝えるが不利なデータは隠す。さらにやらせ質問で世論を誘導。ウソを重ねた軍部の「大本営発表」顔負けだ。
でも原子力村だけの責任か。
朝日新聞が設けた「ニッポン前へ委員会」の神里(かみさと)達博委員(東大特任准教授)は原発事故の真因として「原子力について民主的な熟議を怠ってきた」とし、「閉鎖的な専門家システム」と「大半の国民の無関心」という共犯関係によって生じたと指摘している。
国を守る力もエネルギーも必要な機能だ。しかし国民が自らの生命や財産まで官僚や専門家集団に委ね、ある時は傍観、ある時は狂奔した。この人任せと無責任が、度重なる失敗の根底にあるのではないか。
■自らの意思で守る
生命や財産は、国民一人一人が守り抜くという意思を持ち、その意思を実現できる人物を政治家に選び、働かせる。国民と政治家が問題の価値やリスクをチェックできる仕組みを作り上げる、すなわち民主主義を真っ当なものに鍛え直すしかない。
死活的に重要なのは情報だ。東洋文化研究者アレックス・カーさんは「情報が官僚や一部の専門家に握られ、決断も彼らがしてきた。本来、政治家や国民が果たすべき役割がなおざりにされてきた」と指摘する。
彼は2002年の著書「犬と鬼・知られざる日本の肖像」で、既に利権政治と官僚主導に加え原子力村の情報操作を日本の暗部として書いていた。「この構造は戦争から福島まで変わらない。変えるには情報独占を打ち崩すしかない」と話す。
健全で利害から独立したジャーナリズムが果たすべき責任と役割は重い。情報を官僚らに独占、操作させず、生命や資産が脅かされる可能性のある人全員が共有する。失敗の歴史を忘却せず使命を果たしてゆきたい。
そうしてこそ大和の青年士官に答えられる。「私たちもようやく、目覚め救われるように、一歩前に出ます」と。


(2011年8月15日の朝鮮日刊新聞社説)

朝鮮日刊新聞こそかつての戦争を煽り立てた超A級戦犯。
にもかかわらず、この新聞社は戦後も生き残り、ヌケヌケと「それを自存自衛と都合よく言い換え、追い立てたのは軍人たちだった。国民も当初の勝利に浮かれ、軍人をもり立てた」と言い放ち、逆に、3月21日の投稿で紹介したとおり、「朝日は現行憲法、特に9条を活用することを基本と考えている」などと嘯き、自分達こそ平和の使徒、みたいな顔をしてきたんだな。
ところが、その陰では、8月18日の投稿で紹介したとおり、そして、週刊現代も報じたとおり、原発利益共同体の中枢に居座って利を貪り、またもや、福島原発災禍という戦争犯罪に匹敵する犯罪を犯していたわけだ。

週刊現代2011年8月20・27日号

にもかかわらず、またもや、”経済産業省や電力会社は、地震国の真実に目を塞いだ。都合のいい情報は伝えるが不利なデータは隠す。さらにやらせ質問で世論を誘導。ウソを重ねた軍部の「大本営発表」顔負けだ”と言い放ち、返す刀で、「大半の国民の無関心という共犯関係によって生じた」だの、「この人任せと無責任が、度重なる失敗の根底にあるのではないか」だのと言い立てて一般国民に責任を転嫁し、逆に「健全で利害から独立したジャーナリズムが果たすべき責任と役割は重い」と嘯いて自らを正当化し、その挙句に、正に「エリート」意識で「民主主義を真っ当なものに鍛え直すしかない」などと国民を上から見下しているんだな。
始めの社説の「多くの国民も電力の源についてとくに考えずに、好きなだけ電気を使う生活を楽しんできた」との言い草も全く同根であり、国民を見下す「エリート」意識に骨の髄まで染まっていることが判るな。

因みに、小泉エセ改革の時のやらせタウンミーティングを取り仕切っていたのは、他ならぬ朝鮮日刊新聞傘下の朝日広告社。にもかかわらず、2006年12月14日の朝鮮日刊新聞社説は「公正さを守るのが仕事である法務省が、そんな手まで使っていたとは。怒りを通り越してあきれてしまう」だの、「なにごとも大過なく、というお役人の習性から始まったことかもしれない」だのと言い放っていた。
「ウソを止めたくても止められないという朝鮮日刊新聞の恐ろしさを思い知った」か!

要するに、「ウソを重ねた軍部」は消え去ったけど、「ウソの上にウソを重ねた」朝鮮日刊新聞はしぶとく生き残ってきた、と。
「国破れて朝鮮日刊新聞あり」と。
このことを理解すれば、全ては明らかだろ。
戦争犯罪者が民主主義を嘯きつつ福島原発惨禍を招き、またもや民主主義を嘯いて再生可能エネルギー・発送電分離を正当化し、「分権的な社会」だの、「21世紀型の持続可能な社会」だのと吹聴しているということは、それらが、かつての戦争、そして、福島原発の繰り返しにすぎないことの証。

そして、「国民が自らの生命や財産まで官僚や専門家集団に委ね、ある時は傍観、ある時は狂奔した」との言い草は、上でも指摘したけど、それらを正当化づける最強の武器が「地球温暖化」であることを自白したと言える。
「地球温暖化懐疑論批判」は何て言ってた?
「いわゆる懐疑論者は少数派であり、かつ全く分野が異なる専門外の研究者あるいは非研究者である場合が少なくない」と言い放って、でっち上げにすぎない人為的温暖化論を正当化したな。
一方、「虚人」はなんて言ってたかな。
4月24日の投稿で紹介したとおり、「温暖化サイエンスの専門家ではない知識人が政策論を展開するなら、温暖化サイエンスの領域に関しては圧倒的に「主流」の学説を前提に議論すべきであろう」と言い放ったな。
要するに、国民は「傍観」しろ、ということだな。
その結果、3月21日8月30日の投稿で紹介したとおり、朝鮮日刊新聞が主催した「朝日地球環境フォーラム2009」とやらにおいて、「虚人」らが「狂奔」した挙句、鳩の糞山がCO2排出25%削減を宣言したわけ。
つまり、「国民が自らの生命や財産まで官僚や専門家集団に委ね」どころか、国民を排除したわけ。
そのくせ、「虚人」はヌケヌケと「日本のエネルギー政策の民主化を」などとほざいていたな。
上の社説の主張と全く軌を一にしているな。
これこそ正に「この国にはエリートが自分たちに都合よく回しておけばいい、という歴史があり、今も続いている」に他ならず、人為的温暖化の邪悪な本性は明らかだろ!

ついでに言っておくならば。
バブル経済は金融業界の犯罪であるにもかかわらず、「国民の責任だ」と決めつけるのは、新自由主義を正当化するために他ならず、やはり、再生可能エネルギー・発送電分離が新自由主義に根ざしていることを露呈してる。
さらに、震災からの復興には大規模な公共事業が必要であるにもかかわらず、しかも、原発事故の収束のために土木建築会社の人たちが命がけで働いているにもかかわらず、東電から甘い汁を吸ってのうのうと暮らしている輩が、あべこべに建設業界を貶めようと図るのは、やはり、国民の命を顧みない証拠であり、そして、それは公共事業から自然エネルギーへというプロパガンダの一環に他ならないわけだから、自然エネルギーが国民の安全とは全く無関係な利権にすぎないことをまたもや露呈したと言える。


千人以上が福島第1原発で稼働 メーカーやゼネコン派遣
2011年4月8日 21時58分
福島第1原発の電源復旧や、がれき撤去、放射性物質で汚染された水の処理などの作業のため、原子炉メーカーやゼネコンなどが現地に派遣した作業員が、敷地外で待機する交代要員を含め千人を超えることが8日、共同通信の取材で分かった。
「協力企業」社員らの詳細な稼働状況は公表されておらず、東京電力によると、同日早朝の時点での構内作業員352人のうち東電社員でないのは62人だけ。労働実態には不明な部分も多く、日々の作業内容によって作業人数は増減する。大量被ばくの可能性を含め、過酷な環境下で新たな事故も懸念されている。
福島第1原発では、3月24日に協力企業などの3人が高線量の放射線被ばくで負傷。福島で震度5強を記録した7日深夜の地震では、屋外にいた協力企業の13人が退避した。東電は「敷地内に入る際に所属と作業内容は把握している」としている。
東電の依頼を受け、作業員を派遣しているのは原子炉建設に関わった日立製作所や東芝のほか、大手ゼネコン大成建設や鹿島、電気設備工事大手の関電工などで、それぞれ数十~数百人。東電グループからは東京エネシスや東電環境エンジニアリングが派遣している。
日立製作所によると、現地ではグループ内の原発関連企業が中心となり1日あたり百数十~二百数十人、これまで約300人が働いた。配管設置や汚染水の処理など多岐にわたる作業は長期化し、交代しながら続けている。
関電工はピーク時で約100人を派遣。延べ200~300人が作業。3月の事故では3号機でケーブル敷設をしていた作業員がたまり水につかり大量に被ばくし、負傷した。現在も事故前から勤務する約20人を中心に作業を続ける。
鹿島や大成建設はがれき撤去を請け負い、それぞれ130~150人。被ばくを抑えるため、リモコンによる遠隔操作で重機を操作できるようにする計画があるという。
これら各社にグループ企業や下請けも加わり、作業員の構成は複雑だ。約20キロ離れ、自衛隊や消防も拠点とするサッカートレーニングセンター「Jヴィレッジ」(福島県広野町など)や福島第2原発に寝泊まりする人もいるほか、同県いわき市などで待機している人もいる。


(共同)

「民主主義を真っ当なものに鍛え直す」には、朝鮮日刊新聞の犯罪を糾し、損害賠償させ、廃刊に追い込まねばならないんだよ。
「民主主義を真っ当なものに鍛え直す」には、朝鮮日刊新聞に同調する神里達博のような「エリート」を社会から駆逐しなければならないんだよ。
「民主主義を真っ当なものに鍛え直す」には、朝鮮日刊新聞に唱和して、公共事業を誹謗し、返す刀で、再生可能エネルギー高値買い取りと発送電分離を煽り立てている「エリート」どもを社会から駆逐しなければならないんだよ。
「民主主義を真っ当なものに鍛え直す」には、地球温暖化詐欺を煽り立てている「エリート」どもを社会から駆逐しなければならないんだよ。

そうしてこそ大和の青年士官に答えられる。「私たちもようやく、目覚め救われるように、一歩前に出ます」と。

リスト生誕200年記念「超絶温暖化詐欺練習曲」

リスト「超絶技巧練習曲」より

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

3月21日の投稿へのコメンテータ氏は「告白しますが最近まで温暖化詐欺を信じていたのです」と言ってましたが、恥ずかしながら、不肖私めも始めは信じてました。
って言うか、何も考えずに真に受けてた、と。
で、自分の頭で考えて、初めてインチキに気づいた、と。
けど、専門家を別にすれば、いわゆる「懐疑論者」と呼ばれる人の大抵はそうなんだよな。
Jo Novaなんかもそうみたい。
「過ちては改むるに憚ること勿れ」って言うからね。
誤りに気づいたら、騙されてる他の人にも教えてあげなくちゃ。

というわけで、”「地球温暖化懐疑論批判」の不都合な真実”をサイドバーにアップロードしたんだけど、残念ながら、未だに信じてる”お利口ちゃん”がごまんと居るわけ。
仕方ないから、人為的温暖化論が如何に馬鹿げたものであるかについて、もう一度まとめてみっか。

伊藤公紀のブログによればだね、松野太郎に「あなたは物理法則を信じますか」と訊かれた、と。
これは松野太郎の十八番のようで、朝鮮日刊新聞の科学欄にもこんな記事が載ってた。


人間活動で地球温暖化が起きているとして、世界中が対策に向け動き出している。だが、「本当に温暖化しているのか」「人間活動が原因なのか」といった「懐疑論」は、今なおくすぶり続ける。私たちは何を信じ、どう考えればいいのか。
・・・中略・・・
◇不確かさ どう判断
日本気象学会が今年5月に開いた教育懇談会。教師ら40人を前に、環境計測科学が専門の伊藤さんが「環境は複雑で、地球の診断や治療をする学問は発展途上。CO2を急に削減すれば別の危険が生じる。視野を広げてほしい」と温暖化研究とその取り上げられ方の問題点を列挙した。
一方、江守さんは「IPCCの報告書が十分に世の中に伝わっているか心配」とし、不確かさや全体像をバランス良く伝えてギャップを埋める必要がある、と訴えた。IPCCの予測は自然変動も含み、一時的に気温が低下しても外れたわけではないこと、近年の気温変化への太陽活動や宇宙線の影響は小さそうなことなどを説明した。
IPCC報告書執筆者の一人、松野太郎・海洋研究開発機構特任上席研究員は課題を認めつつ、こう言う。
「CO2増加による温暖化は物理法則に基づく理論。現実にCO2は増え、自然変動で説明できない温暖化も見えてきた。否定するなら理論を覆す根拠が必要だ」


(「温暖化バトル・懐疑論は本当か①」より)

松野太郎の言う「物理法則に基く理論」とは多層大気模型のことね。
「物理法則」とはプランク関数、または、それを積分したシュテファン-ボルツマンの法則のこと。
この点に関して言えば、松野太郎は正しい。

けれど、”「地球温暖化懐疑論批判」の不都合な真実”の(10-22)式で求めたとおり、正しく「物理法則に基く理論」に拠って計算すれば、CO2に因る温室効果の上限は8℃。
一方、同11節で紹介したとおり、Gavin Schmidt(下の写真左端、たこ焼き屋のおっちゃんみたいな人)らの論文によれば、産業革命時の全温室効果33℃に占めるCO2の寄与はやはり8℃。

だから、大気中のCO2の濃度が280ppmよりも低い時ならば、CO2が増えれば気温は上がるけど、産業革命以降は、CO2が増えても気温は上がらない。
すなわち、CO2に因る温室効果は産業革命時に飽和してる。
CO2の人為的排出に因る温暖化など起こりっこない。
「否定するなら理論を覆す根拠が必要」はこちらの言う台詞。

伊藤公紀は「面食らった」って言ってるけど。
私めならばだな、「ちょっと、待つの(松野)!物理法則を信じていないのはアンタでしょ」ということになるわけ。

もちろん、松野太郎らは、飽和していない、と泣き叫んでるけど。


飽和論への反論は、大きく分けて次の3点があります。ただし第3点は「地球温暖化懐疑論批判」や「地球温暖化懐疑論へのコメント」では省略しました。
(1) 吸収が飽和している波長域についても、吸収物質量が多いほど熱放射が宇宙空間に出て行くまでに吸収・射出をくりかえす回数がふえるので温室効果は強まる。
(2) CO2による吸収のある波長域のうちには、水蒸気その他の効果を合わせても飽和していない波長域がある。
(3) 地表付近と成層圏とでは圧力の桁が違う。圧力が高いほど、分子間の衝突によるエネルギー交換が起きやすいので、波長の軸の中での吸収線の幅は広くなる。したがって成層圏のCO2による吸収は地表付近の気圧の場合よりも飽和しにくい。


(「CO2がふえても温室効果は強まらないという議論(飽和論)への反論」より)

ちょっと、待つの(松野)!
それこそ、「物理法則」を信じていない証拠。
“「地球温暖化懐疑論批判」の不都合な真実”の(10-22)式は、大気を無限個の層に分け、各層が13μm~17.5μmの赤外線を完全に吸収するとして計算した結果なんよ。
だから、それ以上に「吸収・射出をくりかえす回数がふえる」ことはないわけ。
「飽和していない波長域がある」のではなく、それらも飽和している場合を計算したわけ。
これらの条件は成層圏にも課されているわけ。

他に、こんな抗弁もしてるけど。


大気が放射を出す高さは固定されていない
地球のエネルギーの支出は、地球が宇宙空間に赤外線を主とする放射を出すことによります。これには地表面(地面・海面)と大気のいろいろな高さの雲や気体成分とから出るものが混ざっていますが、概算としては、ひとつの温度の黒体放射で近似し、ひとつの代表的な高さから出ると考えることができます。
槌田さんはこの高さが固定されていると考えておられるようです。2006年の時点ではわたしはその考えの筋道を追うことができていなかったのですが、槌田さんが2008年に「at (あっと)」という雑誌の11号65-83ページに出された「温暖化の脅威を語る気象学者のこじつけ論理」という文章の「気温は何によって決まるのか」という部分を見てだいぶわかりました。その中には「5900メートル高度で放熱、その気温は-23℃」と書かれています。
この代表温度は今の知識からすると-18℃というべきですが、1970年代には地球の太陽放射反射率が36%と見積もられていたので、それを前提とするともっともな値です。代表高さのほうもいくらか修正が必要だと思いますが、対流圏中層の高さであることはまちがいありません。この温度と地上気温の関係をつけるのは「断熱圧縮」とされています。これは真鍋・Wetherald (1967)の論文で対流圏の鉛直温度勾配を与えた根拠が基本的に断熱変化であるのと同じです。したがって、気候の変化を考えない限り、槌田さんによる地球の気候の基本の説明は正しいと思います。
しかし、それから槌田さんが大気の成分が変わっても温暖化は起こらないとされる理屈は、この5900メートルという高さが変わらないことを前提としているように思われます。しかしこの高さは、今の気候のもとで平均気温が地球の出す放射の代表温度に一致する高さであるにすぎません。気候が変わってもこの高さが固定される理由はないのです。
大気が赤外線に対して今よりも不透明になれば、地球を赤外線の目で外から見て見えるところは、外から見て近いところ、つまり地表から見て高いところにずれるでしょう。しかし、太陽が出す放射と地球の太陽放射反射率が変わらなければ、エネルギーの出入りがつりあう放射の代表温度は変わりません。代表高さが高いほうにずれて、鉛直温度勾配を決めるしくみが変わらなければ、高さゼロでの気温は高くなることになります。
大気のうち赤外線を吸収・射出する成分の濃度が変わることは、放射を出す代表高さの変化を通じて、気候の温暖化・寒冷化を起こすことができるのです。


(「放射対流平衡とCO2による温暖化」より)

これはどういうことかと言うと。
13.5μm~17μmの帯域からの地球放射は約220K相当になっている、従って、其処では飽和してるけど、その両翼では未だ220Kよりも高いから、CO2が増えれば放射の代表温度は下がる、しかし、放射平衡を回復するために「代表高さが高いほうにずれる」から、対流圏の鉛直温度勾配が一定である以上、地表の気温は上がる、ということなんだな。
だから、結局のところ、始めに紹介した3つの反論の2番目に帰するわけ。
けど、”「地球温暖化懐疑論批判」の不都合な真実”の(10-22)式は、13.5μm~17μm帯域だけではなく、その両翼まで含めた、15μmを中心とするCO2の吸収帯域全体の放射が220K相当にまで下がっている場合の値だから、「大気が放射を出す高さは固定されていない」も反論にはなっていない。

今流行の「想定外」ではなく、こんな反論は全て「想定内」。
何の反論にもなっていないことを言い立てて「温室効果は強まる」と泣き叫んでも、「物理法則」は変わらんよ。

David Archerでさえ、こう言ってるじゃん。

「Global Warming: Understanding the Forecast」の第4章より

「Global Warming: Understanding the Forecast」の第4章より

人工衛星から観測した地球の放射を見る限り、13μm~17.5μmの全領域では未だ飽和していないように見えるけど、吸収の飽和と温室効果の飽和は違うんよ。
ある程度吸収してしまえば温室効果はもう強まらない、ということ。
松野太郎らは飽和の意味さえ理解していないんだな。

さらに、未飽和論の虚構を示して余りあるのがこれ。

「Physics Today 64(2011)33」より

ちょっと、待つの(松野)!
「地球温暖化懐疑論批判」は何て言ってた?
「新しい論文が直接的に古い論文を根拠としていない限り、科学論争は新しい論文を材料としてすればよいので、古い論文に関する論争の「清算」を求める必要はない」って、言ってたな。
それなのに、今さらAngstromを持ち出してくることはなかろう。
連中が未だにAngstromを批判して見せるは、人為的温暖化論の元祖とも言うべきArrheniusを正当化するため。
けど、CO2に因る温室効果の上限が8℃という事実は、667cm^(-1)=15μmを中心とするCO2の吸収帯域が288Kの黒体放射の約20%を占めているという事実に依拠してるわけ。
それはプランク関数を積分して得られる値だから、プランク関数を知らなかったArrheniusに、CO2に因る温室効果の上限など解るはずもないだろ。
にもかかわらず、未だにArrheniusを正当化し、それを以ってして、CO2の温室効果は飽和しないと言い張ってるわけで、それこそ、未飽和論の馬鹿馬鹿しさを露呈してるんだな。

それでも懲りない温暖化芸人のSpencer Weartは「These issues were satisfactorily addressed by physicists 50 years ago」なんて言ってるけど。
ちょっと、待つの(松野)!
50年前に解決済みなら、Gavin Schmidtらの論文は何?
CO2に因る温室効果が飽和してるかどうかは、産業革命時の全温室効果33℃に占めるCO2の寄与分に依るわけ。
2010年の論文でそれを論じてるような状況なのに、50年前に判ってるわけないだろ。

しかし、よく考えてみると、Spencer Weartの台詞は一面では真実を衝いてるね。
未飽和論は物理学者が証明したことだから信用して欲しい、と。
気候学者なら信用出来ないのは当然だけど、物理学者なら信用できるでしょ、と。
大笑い!
そして、Spencer Weartの著書を翻訳したのが増田耕一大先生。
大爆笑!
あっ!
イテテ。
笑いすぎて、お腹が痛くなったよ~。

それでも、笑いを必死に堪えているコチラの環境学者さんとやらは「地球温暖化を正しくないとする説を「温暖化懐疑論」と言ったりしますが、日本でも気候変動という言葉を使ったら、懐疑論者が少し減るかもしれませんね」などとのたまってるけど。
ちょっと、待つの(松野)!
「物理法則に基く理論」、すなわち、多層大気模型に表れる物理量は全球平均気温だけなの。
「物理法則に基く理論」からは地域的な「気候変動」は推し量れない。
Roger Pielkeに拠れば、人類にとっては地域的な「気候変動」こそが重大であり、それこそが気候学の本来の目的ということになり、それは尤もだけど、CO2が増えれば気温が上がるという基本原理は「物理法則に基く理論」だから、人為的温暖化問題に関しては全球平均気温で十分。
「地球温暖化」を「気候変動」に言い換えるのは問題のすり換えでしょ。
と言うか、「物理法則に基く理論」では温暖化しないことが判っちゃったんで、「気候変動」に言い換えたんだな。

実際、東電から甘い汁を吸っていた一方で、日本気象学会の中にまで入り込んで人為的温暖化を吹聴してきた朝鮮日刊新聞は、既に「気候変動」という言葉を使ってる。


競争相手のことを言う「ライバル」の語源がラテン語の「小川(rivus)」なのはよく知られる。元は「川の水をめぐって争う者」の意味という。古来、水がいかに貴重だったかの証しだろう▼恵みの雨は慈雨とも喜雨とも呼ばれる。だが天は往々に加減を失する。〈時により過ぐれば民のなげきなり八大龍王(はちだいりゅうおう)雨やめたまへ〉。大雨の被害が相次いだ建暦(けんりゃく)元年(1211年)夏、鎌倉幕府の若き将軍源実朝(さねとも)が仏に祈ってしたためた一首だ。そして、800年を経た今年も災いは繰り返された▼新潟と福島の記録的な豪雨では、40万もの人に避難指示や勧告が出た。川は濁流となって猛(たけ)り、亡くなった人もいる。予報技術は進んだが、人の意が天に及ばないのは昔と変わらない▼日本の水はゆたかで、世界平均の倍の雨が降る。しかし、その多くが梅雨や台風でもたらされるのが泣きどころだ。夏出水(でみず)、秋出水と季語にも言う。いわば水害と背中合わせの「ゆたかさ」であり、毎年どこかで痛手をこうむる▼片や世界に目を向ければ、深刻な干ばつの大地がある。アフリカのソマリアでは370万人が飢餓状態だと記事にあった。小さく細る子が痛々しい。夕立の雲をあげたいものだが、縄で縛って連れても行けない▼実朝の歌中の八大龍王は水や雨をつかさどる神を言う。温暖化する地球はいま、強い雨がより狭い地域で降る一方、降らない地域が広がる傾向にあるそうだ。気候変動にも思いをはせたい、きょうは「水の日」である。


(2011年8月1日の「天声人語」)

今夏の新潟豪雨を人為的温暖化に結びつけようとしてるけど、1200年頃にも大洪水があったと認めてるじゃん。
それとも、なに?
1200年代は人為的なCO2排出が続いていた、とでも言うつもり?
アホ言うな!
「今昔物語」にも、洪水で流されて、気がついたら、山の上の木の梢にしがみついていた、みたいな話があるんよ。
(例えば、ちくま文庫版では、第二部第三話「洪水に流されて木にすがる話」)
「気候変動」は昔からあるの!
「気候変動」とCO2は関係無いの!

これでも、まだ反論できるかな?
出来るはず無いな。
だから、反論に窮した「インチキ Panel on Climate Change(IPCC)」一派は、逆切れして、ホッケースティックを握り締めて殴りかかってきた、というわけ。
(4月16日の投稿で紹介したとおり、江守正多は刀を振り回してたけど。)

「RealClimate : Wahl-to-Wahl coverage」より

1900年以前は今より1℃近くも気温が低く、しかも、それは数百年間も安定してたんだと。
だから、20世紀以降の温暖化は人為的排出CO2が原因であるとしか考えられないんだと。
ホッケースティックの葵の御紋が見えないか、ってね。

ちょっと、待つの(松野)!
人為的温暖化が「物理法則に基く理論」ならばだな、ホッケースティックを持ち出してくる必要はないだろ。
本当に「物理法則」ならば、それだけで十二分。
他には何も必要としない。

それとも、なに?
ホッケースティックが「物理法則」を裏づけた、とでも言うつもり?
テメエら気候学者風情が「物理法則」を証明した、ってか!
痴がましい、つ~の!
「物理法則」は物理学者が実証してんの。
Spencer Weartも、気候学者なら信用出来ないけど物理学者なら信用できる、と言ってただろ。

もう、判ったな。
ホッケースティックが人為的温暖化の決定的な証拠として持て囃されていることは、(だからこそ、マイケル・マンが「RealClimate」立ち上げたり、「The Copenhagen Diagnosis」の著者に名を連ねたり、でかい面してるわけ)、IPCC一派が「物理法則」を信じていない証拠。
すなわち、ホッケースティックは、未飽和論が「物理法則に基かない理論」であることを、露呈したわけ。
ホッケースティックが暴き出した真実のなかで一番重要なのは、実のところ、このことなんだな。

たとえ、未飽和論を容認したとしてもだな、人為的温暖化論はどうしようもない代物なのよ。
上で、Gavin Schmidtらの論文を引用したけど、彼らの初期の計算では、と言っても2005年だけど、CO2の寄与分は20%~30%、すなわち、6.6℃~9.9℃だったわけ。
すなわち、3℃以上の不定性があったと。
にもかかわらず、20世紀の100年間に0.7℃ほど気温が上がったことを以って、人為的温暖化と騒いでいるわけ。
馬鹿を言うにもほどがあるぞ。
しかも、気候感度が3℃だとするならば、温室効果へのCO2の寄与分は0.2℃~0.3℃上がっただけということだから、なおさらのこと。
温室効果へのCO2の寄与自体に3℃以上の不定性があるのに、CO2の寄与がその10分の1以下だけ上がったと騒ぎ立てる事が科学的と言える?
IPCC一派は査読論文数を盾にして人為的温暖化を正当化してるけど、気候学以外の分野ならばだな、3(任意の物理単位)の不定性を有する物理量が0.3以下だけ変化したと言い立てるような論文を投稿しても、即座に却下されるだろうね。
(しかも、これは自然要因や都市化のバイアスが全く寄与していないという前提での話。)
人為的温暖化論の非科学性は斯くの如し。

再生可能エネルギー交響曲第3番「すっとこランド」

メンデルスゾーン交響曲第3番「スコットランド」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

前回までの投稿は3月21日の投稿へのコメントを題材に議論を展開してきたけど、コメントへの答えになってるかどうかは分からない。
コメントに答えると言うよりも、コメントに触発されたと言うべきだろうな。

後は、本田勝一、週刊金曜日をどう思うか、という質問が残ってるけど、残念ながら、これもよくは知らんのだわ。
元朝鮮日刊新聞の連中が立ち上げた雑誌というぐらいの知識しかないんよ。
8月18日の投稿で紹介したとおり、朝鮮日刊は東電から甘い汁を吸っておきながら、平然と「メディアの責任を全うしたい。皆で原発から「遠くまで行く」ために」などと嘯いていたよな。
広告はここまでメディアを腐らせるということだな。
筑紫哲也や本田勝一らは、広告に依存しない媒体が必要、と考えたんだろうね。
けど、所詮は朝鮮日刊に入社するような連中だから。
朝鮮日刊は原発の広告の遥か以前から腐ってるのよ。

実はね、筑紫哲也の本を一冊持ってる。
「若き友人たちへ」と題した新書で、筑紫哲也の遺言、みたいな触れ込みになってるやつ。
と言っても、知人が、もういらんから遣る、と言って呉れたんだけどね。
で、貰ったけど、実は積読。
ダハハ。
基本的に本は読まないんで。

但し、気候学の専門書には少し目を通したよ。
Judith Curryがだな、Goody & Yung と Thomas & Stamnes、そして、Liouの教科書を推奨してるけど、彼女がブログ始める前に、その3つの教科書は見た。
もちろん、買ったわけじゃない。
Google Booksから、しこしこダウンロードしたのよ。
ダハハ。
もちろん、放射伝達方程式の章だけだがね。

で、「若き友人たちへ」だけど。
読むにも値せんだろう、と思うね。
と言うのも、貰った後で、ペラペラっとめくったときに、たまたま見かけたんだけど、「一つは、国が破産しかかっているということです」って断言してるんだな、これが。(210ページ)
で、その後、郵政民営化に言及してるけど。
8月18日の投稿で指摘したとおり、郵政民営化と財政再建主義とは表裏一体。
財政再建主義に依拠している以上は、郵政民営化を容認しているも同然。
所詮は朝鮮日刊の記者、と思ったね。
佐高信のスタンスは筑紫哲也とは違うだろうけど。

まあ、これぐらいの知識しかないわけよ。
それ以上、追求しようとも思わないんだな。
前回の投稿でも指摘したとおり、今の社会の本質は「進化したファシズム」だと考えてるんで。
それを最高に具現しているのは朝鮮日刊新聞、と睨んでるんで。
だから、その社説だけでも追跡すれば社会の深層が見える、と思ってるんで。

けど、これでお終いじゃあんまりだから、一つだけ考えてみよう。
例の「村野瀬玲奈の秘書課広報室」で知ったんだけど。
週刊金曜日の6月10日号の特集「放射能と食」に小出裕章のインタビューが掲載された、と。
小出裕章が、放射能に汚染された食べ物を「大人はあきらめて食べてください」と言った、と。
で、それに批判が出てる、と。

しかしだな、私めに言わせれば、それ以前の問題だな。
なぜ「放射能と食」の問題で小出裕章にインタビューするのか、と。
小出裕章は食の専門家でもないし、医学者でもない。
もちろん、無関係ではないし、そういう問題も勉強はしてるだろうけれど、彼は原子力工学者なわけ。
そして、専門家としての彼の主張はハッキリしている。
8月6日の投稿で紹介したとおり、原発は火力で代替できる、電力は不足しない、だから、原発は直ちに全廃せよ、ということ。
これに尽きるわけ。
そして、前回の投稿で紹介したとおり、原発が無くても電力が足りているのは紛れも無い事実。
ところが、小出裕章に言いたい事を言わせずに、専門外の分野でインタビューしているんだな。
その意図こそが問題の本質だろ。

火力で代替できるという小出裕章の主張は、人為的温暖化論に抵触するわけ。
だから、彼に言いたい事を言わせない。
そこで興味深いのが、3月21日の投稿へのコメントにおける「たしか近藤という方がブログ内で管理人氏と似たような主張をしており、週刊金曜日で掲載されるはずだった、槌田敦氏と組んだ環境問題についての記事が直前になって打ち切られたといっています」という指摘だな。
私はこれを知らなかったんで、大震災以前のことなのか、以降のことなのか判らないけど、近藤邦明と槌田敦ならば、人為的温暖化論を否定し、その上に立って議論を展開していたであろうことは想像に難くないな。
もちろん、週刊金曜日も彼らの言い分は百も承知で原稿を依頼したはず。
それなのに、直前になって打ち切られた、と。
非常に強い外圧が掛かったということだな。
人為的温暖化論は絶対にして不可侵の存在であり、それに反する言動は排除されねばならない、という圧力が働いた、と。
週刊金曜日はその圧力に屈したということだな。
小出裕章の件はその延長線上にあると見て間違いない。
そして、それは、前回の投稿でも指摘したとおり、人為的温暖化論の本質がファシズムに他ならないことを示しているわけ。

で、なぜ小出裕章は「大人はあきらめて食べてください」と言ったのか、ということだけど。
これを見れば明らかだろ。


首相発言に県民“反発” 被災者感情を無視
「中間貯蔵施設は福島県にお願いせざるを得ない」。27日、佐藤雄平知事との会談で菅直人首相が突然に要請した県内への放射性廃棄物中間貯蔵施設の設置。国は東京電力福島第1原発事故に伴い、放射性物質が付着したがれきや下水汚泥などの最終処分場の県内設置を表明しており、市町村長は「中間貯蔵施設が最終処分場になる」との危惧を示す。原発事故被災者も国の情報伝達の在り方に不信、不満を募らせており被災者感情を考慮しない国の対応に県民の反発は一層強まりそうだ。
「なんの話ですか、突然に」。菅首相の中間貯蔵施設の県内設置方針を問いただす佐藤知事の怒声が響いた。
退陣あいさつに来たと思っていた佐藤知事にとって、首相退陣を表明した菅首相の突然の方針表明は寝耳に水。会談後も記者団に対し「突然の話で困惑している」「困惑しているっちゅうことだよ、突然で」「ともかく困惑している」と語気を強め、「困惑」の言葉を連発した。


(2011年8月28日 福島民友ニュース)

8月14日の投稿で紹介したとおり、東京の連中が福島に原発を押しつけてきたにもかかわらず、「東北を太陽光発電のベルト地帯とする」と言い放ち、その挙句に、放射性廃棄物は福島で処理しろと。
すっとこどっこいが!
「東北を太陽光発電のベルト地帯とする」なんてのは、我々東京が放射性廃棄物を受け容れますと表明してから言いやがれ。
それが言えないのなら、「あきらめて食べてください」や。

さて、前回の投稿だけど。
またもや、面白いこと発見したよ。
前にも言ったけど、WordPressはトラックバックを送信したように見えて送信できなかったり、送信していないように見えて、2回も送信していたりする。
で、前回の投稿は「村野瀬玲奈の秘書課広報室」と「土佐のまつりごと」と「kojitakenの日記」というブログを引用したので、一応、トラックバックを送信してみた。
後で確かめたところ、「土佐のまつりごと」と「kojitakenの日記」には送信されていなかった。
まあ、そんなもんだろ、と思ったら、「kojitakenの日記」とやらに、こんな記事が掲載されてたんだな。


ニールセンの交響曲第4番は「不滅」って呼ばれてるけど、あれは「消し難きもの」と訳すのが正しいらしいよ。私は4番より5番の方が好きだけど。
マーラーの交響曲第1番「巨人」は正しくは「タイタン(Titan)」。あえて日本語で呼ぶなら「巨神」かな。もっともこれでも読売と阪神のあいのこに見えて仕方ないから、あくまで「タイタン」と呼びたいところ。
まあどうでも良いけど、ブログの記事にはもっと気の利いたタイトルをつけろよな。


(「ニールセンの交響曲第4番「不滅」は」)

「ブログの記事」が明示されていないから、絶対そうだ、とは言い切れないけど、これは前回の投稿を指しているとしか考えられないな。
それ以外の可能性は限りなくゼロに近い。

ということは、トラックバックは送信されていたけど削除した、ということだな。
そうでなくても、「ブログの記事にはもっと気の利いたタイトルをつけろよな」というのであれば、その「ブログの記事」を明示しなければ、第三者が是非を判断しようもないだろ。
いや~、実に「気の利いた」野郎だね~。
って言うか、このすっとこどっこい、自分の記事のタイトルは気が利いているって、本気で思ってんのかね?
それこそ飯田哲也の言うとおり「どうしてそういう歪んだ理解になるのか理解不能」だわ。
「村野瀬玲奈の秘書課広報室」と「土佐のまつりごと」と「kojitakenの日記」という3つのブログタイトルを見比べてみてもだな、一番ダサいのは「kojitakenの日記」だと思うがね。
まあ、印象は人によりけりだけど。
でも、「私は4番より5番の方が好き」って言うんなら、なぜ5番に魅力を感じるのか、一言くらい書いてね。
それでこそ、気が利いているってもんだ。

「あれは「消し難きもの」と訳すのが正しいらしいよ」って。
そんなことは、テメエのようなすっとこどっこいに指摘されなくても知っとるわ。
って言うか、「不滅」と訳した人も、知っていて、敢えて意訳したわけだ。
私めが初めてニールセンの交響曲第4番を聴いたのも、「不滅」という標題に惹かれたから。
「消し難きもの」じゃあ、買わなかっただろうな。
標題に惹かれて買うなんていうのは、音楽の専門家から見れば噴飯物だけれど、クラシック入門時には、それはそれでいいことだと思うわけ。
けど、ハッキリ言ってしまえば、ニールセンなんか聴かなくても、どうってことない。
人生は有限で、やるべきこと、やりたいことがあるわけだから、むしろ、ニールセンなんか聴くのは時間の無駄とも言える。
(とは言うものの、聴く価値のないものを有難がって聴くのがクラシックファンの心意気だと言えなくは無い。)

そもそも、私めがすっとこどっこいのブログを引用したのは、飯田哲也の詭弁を糾弾するため。
前回の投稿も、気の利いたタイトルをつけようとしたんじゃなくて、人為的温暖化の旗振り役を演じてる飯田を皮肉っただけ。
そんなこと、誰の目にも明らかだろ。
けど、飯田を皮肉ったことが気に入らないのであれば、彼の懐疑論批判は間違っていないと、逆に、私めの反論は間違っていると、正々堂々と説明すればいい。
(但し、私めは「懐疑」ではなく「否定」だけど。)
不肖私め、ケチな野郎でござんすが、中身について論ずることなく、あまつさえ、批判先も明示しないで、タイトルにイチャモンつけるようなさもしい了見はもっていない。
まあ、「どうでも良い」と言う尻から、その「どうでも良い」ことにイチャモンつけてるわけで、kojitakenとやらは自らの愚劣さを自ら暴露した、と言ってしまえばそれまでだけど。

もう、判っただろ。
8月10日の投稿で紹介したチンピラと全く同じ。
捨て台詞を吐いただけ。
いや~、実に「気の利いた」野郎だね~。
って言うか、人為的温暖化論を盲信している輩って、この手の愚劣極まる輩ばかりだってことがハッキリしたな。

おい、見てるか、増田耕一
あっ!
増田の野郎、8月10日の投稿のトラックバックを修正してやがる。
まあ、それはそれでいいけど、例のチンピラがまたぞろ出てきてるな。
おい、おい、増田大先生よ。
反論できないから捨て台詞を吐くような破廉恥野郎ばかりが人為的温暖化論を盲信しているという状況を、情けないと思わんのか。
たとえ、人為的温暖化論が正しいとしてもだな、と言うより、人為的温暖化論を唱えているのなら尚更のこと、我々の啓蒙の仕方が根本的に間違っていた、と思わんのか。
思わんよな。
なんせ、テメエらって、自分なりに考えようと努力している人間を「いわゆる懐疑論者は少数派であり、かつ全く分野が異なる専門外の研究者あるいは非研究者である場合が少なくない」って罵ったくらいだから。
けど、それこそ科学的精神と相容れないんだよ!
と言うか、科学的精神を昂然と否定するような本当の「非研究者」が人為的温暖化論を吹聴しているから、それを盲信する輩が跋扈するわけ。
しかし、逆に言えば、私めが小さな脳みそをふりしぼって考えなくても、増田やチンピラやすっとこどっこいの存在そのものが、人為的温暖化論の非科学性、否、反科学性を立証してくれたとも言える。
いや~、実に「気の利いた」連中だわ。
ありがとう。

ついでに言っておくと。
温暖化の原因として宇宙線だとか太陽活動だとかを論ずるには、その前提として、人為的なCO2排出では温暖化しないことを説明できないとダメなんだな。
それをしないで、宇宙船、じゃなかった、宇宙線、宇宙線と騒ぎ立てるのは本末転倒。
この問題、すなわち、CO2温室効果飽和論に関しては、サイドバーにアップロードした”「地球温暖化懐疑論批判」の不都合な真実”で既に論じているけれど、次回の投稿でもう一度採り上げる予定。

さて、「私は4番より5番の方が好き」ってほざいてたから、久々にニールセンの5番を聴いてみるかね。