今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。
前回の投稿では「増田耕一大先生はその成果(?)を「気候変動・千夜一夜」で報告してね」と言ったけど、「気候変動・千夜一夜」は反応なし。
公開セミナーなんだから、PowerPointかImpressか知らないけど、そこで用いた資料を「気候変動・千夜一夜」に掲載しても問題ないはずだろ。
結局のところ、「未知生」ちゃんも温室効果飽和論には反論出来ない、と。
そういうことだね。
「未知生」だから架空の人為的温暖化を吹聴してもいい、と思ってるんじゃね~の?
「無知生」に改名した方がいいかも。
キャハハ。
ところが。
2011年11月24日の「気候変動・千夜一夜」はこんなこと書いてんだな。
しかし、温暖化懐疑論者のブログでとりあげられた内容をメールのもともとの意図を推測できる科学者が見た限りでは、今回暴露された内容には世の中に新たな衝撃を与えそうなものはありません。それで「二年前の七面鳥」という表現になったわけですが、日本語にはもっと的確な表現があります。「二番せんじ」です。実際には漢方薬の種類によっては二番せんじが充分よく効くものもあるのですが、ここでは「出がらし」に近い意味のつもりで書きました。
(「電子メール暴露の二番せんじ」より)
おい、おい。
飽和論にまともに反論できない人為的温暖化論こそ「出がらし」だろ。
「臍で茶を沸かす」っていうのはこのことだな。
増田耕一大先生よ。
あんたらIPCC党は臍で出がらし沸かしてるんだぜ。
愚劣の極みだな。
しかも、自分こそ「出がらし」のくせして、他人を「出がらし」と罵る。
下劣の極みだな。
さらに、2011年11月27日の「気候変動・千夜一夜」を見てみると。
気候感度が2.3℃というのは、この水蒸気のフィードバックが含まれているシステムの応答です。これを含まずに二酸化炭素だけの効果を求めると、約1.2℃です。
・・・
さて、真鍋さんは鉛直1次元モデルに続いて3次元の大循環モデルに取り組みました。それによる二酸化炭素倍増に対する定常応答実験の最初の論文はManabe and Wetherald (1975) The effects of doubling the CO2 concentration on the climate of a general circulation model. Journal of the Atmospheric Sciences 32:3-15 として出ました。これの気候感度(CO2濃度2倍と1倍との全球平均地上気温の差)は、約2.9℃です。
・・・
わたしがグラフを見た印象では、重なりの中央は2.9℃付近にあるように見えます。
・・・
他方、温暖化の重要性を否定したい人たちは、Schmittnerほかの論文をろくに読まずに、気候システムの感度は低いことが示されたと言っているようです。しかし、数値を見れば、温暖化の心配をしなくていいほど低いわけではないのです。
(「気候感度は(ある人々が)思ったほど高くないという話」より)
サイドバーにアップロードしている”「地球温暖化懐疑論批判」の不都合な真実”、10月16日の投稿、そして、11月19日の投稿に見えるとおり、私めも気候感度3℃を前提に議論しているけど、これまた11月19日の投稿で説明したとおり、CO2濃度が倍になっても「二酸化炭素だけの効果」が1.2℃上がることなどあり得ないから、「温暖化の心配をしなくていいほど低いわけではないのです」と言い張ること自体が無意味で愚劣。
けど、実際はそれ以前の問題だわ。
“「地球温暖化懐疑論批判」の不都合な真実”の第2節で解説したけど、河宮未知生や増田耕一らは近藤純正氏の研究成果を歪曲して引用した挙句に、あべこべに「しかし、2008年10月に出版された武田(2008b)では、恣意的に修正前の古い値を用い続けているようである(議論3)」と言い放ったんだな。
つまり、「近藤純正氏のホームページをろくに読まずに、都市化による全球気温のバイアスが幻想であることを示していると言っていた」わけ。
自分こそ「ろくに読まず」に他人を誹謗しておきながら、あべこべに、他人を「ろくに読まずに」と罵ったわけ。
卑劣の極み!
クライメートゲートで暴かれ糾されたのは、正にIPCC党のこのような体質なんだね。
にもかかわらず、始めに紹介したとおり、2011年11月24日の「気候変動・千夜一夜」は「出がらし」などと悪態を吐いていたわけで、それは、何が問題となったのかさえ理解していない愚劣さ、そして、問題に真摯に向き合わない下劣さ、そして、尚も自らを正当化するために批判者を貶めようと図る卑劣さを示して余りあるんだな。
さらに、2011年11月28日の「気候変動・千夜一夜」を見てみよう。
12月号の安井至さんは工学者で、工業製品の生産・消費・廃棄にわたるライフサイクル評価などの業績があり、「市民のための環境学ガイド」のウェブサイトがよく知られています。広い見識をお持ちで、わたしとしてもおおいに尊敬しておりますが、専門にこだわらずに多くのことについて発言されているうちには、早がてんもときどき見られます。今回の記事も、意図を推測すればほとんど賛成できるのですが、もう少し落ち着いて書いていただきたかったと思うところがありました。
大槻編集長の出した「温暖化を認める常識派と認めない非常識派」というわく組みに対して、安井さんは、温暖化が人為起源であると考えるかどうかと、常識派か非常識派かとは別の問題だと考えます。そして、非人為起源派の常識派はいないようだ、と言っています。現在いるいわゆる温暖化懐疑論者は非常識だ、というわけです。
・・・
温暖化懐疑論への批判は、東京大学サステイナビリティ連携機構[12月号注の「気候」は誤植]から公開されている「地球温暖化懐疑論批判」を引用して、それとほぼ同じ議論をされていますので、ここでは詳しく述べないことにします。ひとつ、「気候モデルはすべて温暖化が算出されるようにしつけられている」という議論を追加して「研究者というものをあまりにばかにしている」と反論しています。(これではけんかになるだけなので、なぜあきれたのかの理屈を述べてくださるとよかったと思います。)
(「『パリティ』連載の温暖化問題の企画と安井至さんの評論へのコメント」より)
「地球温暖化懐疑論批判を引用して、それとほぼ同じ議論をされています」って。
アホですか?
この安井至とかいう野郎は。
上でも指摘したとおり、「地球温暖化懐疑論批判」は近藤純正氏の研究成果を歪曲しているわけ。
それこそ「研究者というものをあまりにばかにしている」だろ!
安井至こそ「地球温暖化懐疑論批判」を「ろくに読まずに」、「非人為起源派の常識派はいないようだ、と言っています」ということだな。
近藤純正氏に拠れば、都市化による全球気温のバイアスを除いた正味の温暖化は公表されている値の6割。
だから、たとえ人為的温暖化があるとしても、コンピュータシミュレーションはそれを著しく過大評価しているわけ。
ということは、「気候モデルはすべて温暖化が算出されるようにしつけられている」ということに他ならず、それにさえ気がつかない愚か者が「市民のための環境学ガイド」などと嘯くのは「市民というものをあまりにばかにしている」な。
「地球温暖化懐疑論批判」でもう一つ重要なのはこの部分だね。
本稿の「はじめに」で紹介したブログ“Real Climate”での議論(Schmidt 2005)によれば、大気の温室効果全体に占める水蒸気の寄与は、雲による吸収の効果も含め80~90%程度で、二酸化炭素の寄与は20~30%である(吸収帯の重なりの問題があるので各種温室効果気体の寄与度の和は100%にならない)。これは、GISS GCM の中の放射プログラムによって得られた数値である。Schmidt(2005)はこの数値は Ramanathan and Coakley(1978)の鉛直1次元モデルの計算結果ともよく対応すると述べている。ここで、地球大気全体の温室効果が地表気温で33℃の上昇に相当することから、比例計算すれば二酸化炭素の寄与は温度に直して7~10℃と評価できる。こうした見積りから、たとえ水蒸気が最も重要な温室効果ガスであっても、二酸化炭素濃度が産業革命以前と比べ2倍、3倍となれば気候に影響を与えうることは十分に納得できるであろう。
(「地球温暖化懐疑論批判」の「議論26」より)
既に9月7日の投稿でも指摘したけど、繰り返すと。
20世紀の100年間の気温上昇は0.7℃。
上で引用した2011年11月27日の「気候変動・千夜一夜」に見えるとおり、これは「水蒸気のフィードバックが含まれているシステムの応答」だから、気候感度が3℃前後だとすると、「二酸化炭素だけの効果」は0.3℃未満。
一方で、産業革命時(正しくは1980年時)における「二酸化炭素の寄与は温度に直して7~10℃と評価できる」ということは、「二酸化炭素だけの効果」が3℃の不定性を有するということ。
(正確には、CO2の吸収帯域の寄与であり、水蒸気の寄与が重なっている。)
つまり、人為的温暖化と喚いている0.3℃は、「二酸化炭素だけの効果」自体が有する不定性の10分の1。
だから、CO2の人為的排出に因って温暖化が起こったと結論づけることなど決して出来ない。
自然科学に対する最低限の教養があれば、「二酸化炭素濃度が産業革命以前と比べ2倍、3倍となれば気候に影響を与えうることは十分に納得できるであろう」という台詞が如何に愚劣であるか、そして、それこそ「気候学以外の研究者というものをあまりにばかにしている」ことは「十分に納得できるであろう」ね。
ところが、安井至とやらはそれにさえ気がつかず、あべこべに「研究者というものをあまりにばかにしている」と逆切れする体たらく。
全く以って愚劣だね。
「常識」云々の問題じゃね~の。
「見識」云々の問題じゃね~の。
「良識」があるか無いかの問題なの。
「地球温暖化懐疑論批判」の愚劣さと下劣さに気づかないような輩には「良識」が無いの!
で、増田耕一は、と言うと。
飽和論には何一つ反論しないくせに「なぜあきれたのかの理屈を述べてくださるとよかったと思います」だと!
自分のことは棚に上げて他人を批判する。
「気候変動・千夜一夜」は常にこの調子。
本当に「あきれた」おじさんだね。
さて、再び安井至に戻って。
「研究者というものをあまりにばかにしている」と言う一方で、こんなこと言っていた、と。
問題は、「人為起源派のなかの非常識派」のところです。わたしも、このように分類される人たちがいると思い、「温暖化脅威論者」と表現することがあります。しかし、安井さんが想定する対象はそれと違うようで、「英国において気候ゲート事件を引き起こしたり、過去の地球の気温の推移などに細工をした人々である。ようするに、端的に表現すれば、嘘をついた人々である。」と書かれています。気候研究者のなかに、データをごまかすなどの不正をした人がいないとは言い切れません。しかし、2009年11月に暴露された電子メールが、それを書いた人たちが不正をした証拠でないことは、いくつもの審査委員会で示されています。([別ブログのわたしの2010年7月16日の記事]にまとめました。その後2011年8月には、アメリカの国立科学基金(NSF)の監査役がMannさんに研究上の不正はなかったという報告をしています。) 安井さんも脚注(実際にはページの上側にあるので頭注というべきでしょうか)に「データを捏造したことが確定したわけではない」と書いてはおられますが、捏造があった可能性が高いという推定のもとで文章を書いておられるようです。どうやら、「非人為起源派のなかの非常識派」(の一部の人々)の宣伝がとてもうまくて、安井さんも3月号の松田さんも乗せられてしまったようです。
(「『パリティ』連載の温暖化問題の企画と安井至さんの評論へのコメント」より)
やっぱり、「良識」が無いね。
「過去の地球の気温の推移などに細工をした」というのは、ホッケースティック曲線のことだろ。
ホッケースティックが捏造だと思うのなら、なぜ、人為的温暖化論を信じるのかね?
ホッケースティック曲線を捏造したマイケル・マンが“Real Climate”を立ち上げ、そして、上で引用したとおり、「地球温暖化懐疑論批判」が“Real Climate”の記事を盾にして「二酸化炭素濃度が産業革命以前と比べ2倍、3倍となれば気候に影響を与えうることは十分に納得できるであろう」と書き立てたということは、「過去の地球の気温の推移などに細工をした人々」が人為的温暖化論の中心に居座っているということだろ。
実際、伊藤公紀のブログで紹介されているとおり、マンは捏造論文を書き続けているわけで、気候学以外の分野ならば研究者生命を断たれているはずなのに、未だにデカイ面してるんだな。
だから、一方ではホッケースティックは捏造だと言いながら、一方では人為的温暖化を言い立てるのは、この人たちは詐欺師だけど言うことは正しい、と言うのと同じであり、全く「良識」に欠けるんだな。
しかも、IPCC党は「過去の地球の気温の推移などに細工をした」だけじゃあない。
上で説明したとおり、都市化によるバイアスを残しているのも「気温の推移などに細工」することに他ならないんだな。
その結果として、20世紀(特に後半)の気温は嵩上げされ、コンピュータシミュレーションはその嵩上げされた気温を再現しているにすぎないわけ。
だから、一方では「気温の推移などに細工をした」と糾弾しながら、一方では都市化によるバイアスを無視して「研究者というものをあまりにばかにしている」という言い草は、物事の関連性を理解する能力が欠如している証拠。
さて、増田耕一は、と言うと。
「気候研究者のなかに、データをごまかすなどの不正をした人がいないとは言い切れません」って。
それはあんたの事だろ!
あんたは近藤純正氏の研究成果を歪曲するという「不正をした人」だろ!
で、「不正をした」御当人がマンやジョーンズに不正はなかったと言い張り、さらに、始めに紹介したとおり、新たにリークされたメールを「出がらし」と罵ったわけだけど、それこそ真実を白日の下に曝したと言える。
詐欺師仲間がお互いを庇い合っている、ということだわ。
このことを理解すれば、「いくつもの審査委員会で示されています」だの、「アメリカの国立科学基金(NSF)の監査役がMannさんに研究上の不正はなかったという報告をしています」だのが、実のところ、大王製紙やオリンパスの取締役会が会長や社長の不正に見て見ぬ振りをしていたのと同じにすぎないことは明らかだろ。
まあね。
「気候変動・千夜一夜」をいちいち批判してたら切が無いんで、うっちゃっておこうかとも思ったんだけど。
余りにも愚劣で下劣で卑劣だから、一言書かざるを得なかったわけ。
愚劣にして下劣にして卑劣。
これが人為的温暖化論の本性。
「愚劣」「下劣」「卑劣」は人為的温暖化論の、そして、IPCC党の三原色なんだね。
ところで、「パリティ」の来年2月号に江守正多が「いまさら温暖化論争?」とやらを、そして、3月号に伊勢武史が「地球温暖化は事実なのか — よくある誤解と簡潔な答」とやらを寄稿するらしいけど。
今度こそ飽和論に反論してくれるのかな?
私めに返り討ちされた挙句に、「研究者というものをあまりにばかにしている」と逆切れするようなことが起こらないように、よ~く考えて書いてね。
期待してるわ。
キャハハ。
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