女番の哀と障害

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

伊藤公紀が「不良ティーンエージャー」と題する本を紹介してたので、当サイトを覗いているほど暇で物好きな人なら先刻承知の事だと思うけど、今日はこれを採り上げようと思うですよ。


横山広美(以後「横山」)東京大学 大学院理学系研究科の横山です。よろしくお願いします
・・・中略・・・
横山 東大の横山でございます。
私はですね、実は、この分野は、本当に不勉強でございまして。今日、お呼びいただいたことを本当に光栄に思っているんですが。いろいろと勉強していない点もあると思いますので、そのつど、ご指摘いただければと思います。もともとはですね、高エネルギー物理の出身でございまして。その後ですね。科学コミュニケーションを専門に、社会と科学の間のことを、取り上げた研究活動などをしております。
・・・中略・・・
こうした圧力の中、日本ではですね。あまりこうしたことはですね、大きく報じられていないわけですが。わたくし自身は、そうしたことは、ひとつは日本のメディアの皆様の見識ではないかと思っております。
・・・中略・・・
それに対してですね。日本ではあまり大きな話題にはならなかった。それは、やはり問題を問題として取り上げるのがメディアの対応だとは思いますが。これは、おそらく、大きな問題ではないんだという、メディア側の判断が働いて、大きく取り上げなかったという。まぁ、そうしたことをですね。ひとつメディア側の本件に関してはですね、大事な見識であったのではないかと。わたくしは、この件に関しては、メディアの皆さんを高く評価したいという風に、僭越ながら、思っております。


(「IPCC問題が問いかけるもの」より)

要するに、我国の糞メディアがクライメートゲートを報道しなかったのは「見識」で、それを「高く評価」すると。
さすがは、頭狂大学のスケバン。
頭に障害があるようだな。

当然のことながら、満座(?)の聴衆はあっけにとられ、そして、呆れ返った。


質問者 東レ株式会社のノムラと申します。さきほどの中で、クライメート事件について日本のマスコミが報道しないのは、非常にあのマスコミの良識があるというお話だったんですが、それを聞くと江戸時代の「知らしめるべからず依らしむべし」、をちょっと思い出してしまったんですが、ここにいらっしゃるマスコミの方たちは、そういう意識で報道しないのか、ちょっともし、お聞かせいただければ・・・
司会 そいういう方、たくさんいらっしゃる・・・もしどなたか、横山先生、横山先生が、」
横山 ちょっとあの、言い方があの、拙かったかもしれませんが、決して、知らせないことが良いことであるということではなくて、まぁ、適正な大きさで報じていただいたということだと思っております。


(「IPCC問題が問いかけるもの」より)

メディアが全ての事実をありのまま報道すること、つまり、国民が事実を知ることは「コミュニケーション」の、従って、「社会と科学」の関係を築くための大前提。
それなのに「科学コミュニケーションを専門に、社会と科学の間のことを、取り上げた研究活動などをしております」御仁が、事もあろうに、報道しなかったことを評価するとは、開いた口が塞がらんわ。
言い方が「拙かった」んじゃね~の。
あんたの認識が「拙かった」の!
やっぱり、頭に障害があるね。
哀れな、スケバン。

11月30日の投稿では、IPCC党が「懐疑論者は非常識だ」と罵っていたことを紹介したけど、「科学コミュニケーションを専門に、社会と科学の間のことを、取り上げた研究活動などをしております」と広言しながら、マスコミが報道しなかったのは「見識」と言い放つのが、IPCC党の「常識」ということが判るな。
但し、「懐疑論者は非常識」という台詞を否定する気は毛頭無いよ。
それはそれで正しいんだね。
どういうことかと言うと。
11月30日の投稿でも指摘したけど、「良識」のない人間にはそれに相応しい「常識」が、「良識」のある人間にはそれ相当の「常識」がある、ということ。
「懐疑論者は非常識だ」と言い放ったIPCC党の「常識」は前者だということ。

その証拠に、殆どの聴衆はスケバンに呆れ返ったけど、呆れなかった「常識人」も居たんだな。
誰でしょう?
ピ~ン・ポ~ン。
そうです。
増田耕一大先生です。

増田耕一大先生は、実は、「気候変動・千夜一夜」以外にもブログを開設してる。
意外と暇人だね。
って言うか、温暖化プロパガンダを生業にしてる、ということかな。
それは兎も角として、コチラのブログにだね、上で引用した日本学術会議の公開シンポジウムに参加した際の「覚え書き」なる物を書いてるけど、スケバンの醜態には一言も触れていないんだな、これが。
それは、やはり、スケバンの「常識」がIPCC党の「常識」であることを、物語っているんだね。

ところで、日本学術会議の公開シンポジウムを黄泉売り新聞が社説で採り上げてたんだけど。


地球温暖化 科学的な根拠の検証が急務だ(5月4日付・読売社説)
地球温暖化の科学的な信頼性が揺らぐ中、日本の科学者を代表する日本学術会議が初めて、この問題を公開の場で論議する会合を開いた。
だが、会合では、専門家がそれぞれ自説を述べるだけで学術会議の見解は示されなかった。このまま終わらせてはならない。
取り上げられたのは、「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)が過去4回にわたってまとめてきた温暖化問題に関する科学報告書だ。次々に、根拠の怪しい記述が見つかっている。
報告書の作成には、日本人研究者も多数関与している。
しかも、この報告書は、日本をはじめ各国の温暖化対策の論拠にもなっている。学術会議自身、これをもとに、早急な温暖化対策を求める提言をしてきた。
どうして、根拠なき記述が盛り込まれたのか。国連も、国際的な科学者団体であるインターアカデミーカウンシル(IAC)に、IPCCの報告書作成の問題点を検証するよう依頼している。
国際的に多くの疑問が指摘されている以上、科学者集団として日本学術会議は、問題点を洗い直す検証作業が急務だろう。
IPCCは3~4年後に新たな報告書をまとめる予定だ。学術会議は、報告書の信頼性を向上させるためにも、検証結果を積極的に提言していくべきだ。
現在の報告書に対し出ている疑問の多くは、温暖化による影響の評価に関する記述だ。
「ヒマラヤの氷河が2035年に消失する」「アフリカの穀物収穫が2020年に半減する」といった危機感を煽(あお)る内容で、対策の緊急性を訴えるため、各所で引用され、紹介されてきた。
しかし、環境団体の文書を参考にするなど、IPCCが報告書作成の際の基準としていた、科学的な審査を経た論文に基づくものではなかった。
欧米では問題が表面化して温暖化の科学予測に不信が広がり、対策を巡る議論も停滞している。
日本も、鳩山政権が温室効果ガスの排出量を2020年までに1990年比で25%削減する目標を掲げているが、ただでさえ厳しすぎると言われている。不満が一層広がりはしないか。
欧米では、危機感を煽るのではなく、率直に論議する動きが出ている。この10年、温室効果ガスは増える一方なのに気温は上がっていない矛盾を、温暖化問題で主導的な英国の研究者が公的に認めたのはその例だ。参考にしたい。


(2010年5月4日01時18分  読売新聞)

まあ、何と言うか、当たり障りのない文章だわ。
ところが、2010年5月4日の「気候変動・千夜一夜」はこれにさえ噛みつく有様。
(ついでに言うと、11月30日の投稿でも指摘したけど、増田耕一は問題の本質をはぐらかしているだけ。)
その心は。
スケバンといっしょ。

さらに、「地球温暖化懐疑論批判」は何て言ってたか。


温暖化対策の必要性が増す中、「人が犬に噛みついた」のノリだけで温暖化懐疑説を取り上げることだけは是非ともやめて欲しいというのが私たちの切実な願いである。


(「地球温暖化懐疑論批判」の「議論2」より)

これもスケバンのスケベ発言と同根。
と言うよりも、むしろ、スケバンのスケベ発言はこの台詞の延長線上にあると言うべきで、だから、スケバンの醜態はIPCC党の体質そのものなんだね。

けど、問題の根はもっと深い。

民主主義とは、市民一人一人が自らの目で見、自らの耳で聞き、その上で、自らの頭で考えること。
そのために、マスコミは事実を細大漏らさずに報道しなければならない。
事実の評価は市民がすることであり、マスコミがすることじゃあない。
マスコミが「見識」の名の下に特定の事実を報道しないのは、ファシズムへの道以外の何物でも無いんだな。
にもかかわらず、スケバンは、と言うよりも、上で説明したとおり、IPCC党は、国民の血税で研究し生活しているくせに、国民が知る必要はないと、すなわち、一般市民が自らの目で見、自らの耳で聞くのは不遜だ、我々の言う事を無条件に信じていればいいのだ、と言い放ったわけで、それは彼らが市民を見下していることを露呈したと言える。
11月30日の投稿で、IPCC党が「研究者というものをあまりにばかにしている」と憤慨していることを紹介したけど、市民を見下すことこそ「市民というものをあまりにばかにしている」わけで、そして、腹の底では市民を見下しているからこそ、その市民に批判されると「研究者というものをあまりにばかにしている」と逆上するわけ。
もちろん、市民は我々の言いなりになっていればいいと云う論理は民主主義と相容れない。
そして、結局のところ、その反民主性が市民からの収奪を目的とする再生可能エネルギー高値買い取りや、環境税や、排出量取引を産み出したわけだ。

人為的温暖化詐欺の反民主性は、既に8月30日の投稿9月11日の投稿9月29日の投稿、そして、10月3日の投稿で解説したけど、IPCC党自身がそれを自白したという点において、スケバンの醜態は貴重だったと言える。
その意味において、我々はスケバンに感謝すべきかもしれないね。

スケバン、ありがとう。

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