奥様は魔女ならぬファッショの女中

ペルゴレージ「奥様女中」より

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

ちと古い記事だけど、今日はこれを採り上げるだよ。


きょうの京:COP16「議定書」延長の決着先送り 浅岡美恵さんに聞く /京都
◇「誕生の地」見合う発信を--NPO気候ネット・浅岡代表に聞く
先進国に温室効果ガスの削減を義務づけた京都議定書の「次」を考える国連気候変動枠組み条約第16回締約国会議(COP16)が終了。激論の末、議定書を延長するかどうかの決着もCOP17へ持ち越しとなった。今後「議定書誕生の地」として京都が果たす役割とは--。地球温暖化防止に取り組むNPO法人気候ネットワークの浅岡美恵代表に聞いた。【聞き手・田辺佑介】
COP16は来年予定されているCOP17で、13年からの次の枠組みを作るためのステップだった。会議冒頭での日本の(「京都議定書の延長をいかなる場合でも認めない」という)発言は、参加国から「日本は本心では削減をしたくないのか」と見られかねず、交渉上良くないし、国の名誉も傷ついた。
京都議定書の仕組みは今後100年間でも必要とされるものだ。「KYOTO」は先進国が温室効果ガスの削減に責任を持つことを象徴する言葉になっている。日本はそれを自ら否定していることになる。
京都を「誕生の地」として誇ることは世界中が納得している。それに見合うかは行政や企業、市民の取り組み次第。京都にはエネルギーを大量に使う工場などが少なく、温暖化対策に優れた技術を持つ企業もある。府や京都市は、温室効果ガスの削減目標を盛り込んだ条例を制定しているが、政府や他自治体に向けても対策の必要性を発信してほしい。
市民の役割は、問題に関心を持ち、知恵を出し合うこと。「大きく、たくさん使う」生活から「小さく、あまり使わない」暮らしへと意識を変えるのは、地域社会の役割だ。
誕生の地を誇るなら、社会全体を変える責任がある。自己満足で終わってはいけない。
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◇政財界からもさまざまな声
COP16の議論について、政財界からもさまざまな声が上がった。
京都商工会議所の立石義雄会頭は「京都議定書の単純延長は避けるべきだ」との立場だが「日本政府は、温室効果ガス削減を続け、成長につなげる戦略と具体策を明確にしてほしい」と注文。山田啓二知事は「全ての国が取り組む枠組みが不可欠。京都議定書の精神を生かし、国際合意が形成されるよう期待する」とコメントした。
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■ことば
◇京都議定書
97年に京都で開かれたCOP3で採択された。先進国が08~12年に排出する温室効果ガスの年平均量を90年比で5%削減することを義務化し、排出量取引のルールなどを規定。EUは8%、日本は6%の義務を負ったが、経済への影響から01年にアメリカが脱退した。近年は中国やインド、途上国での排出も増え、現在削減義務のある国の排出量は世界全体の約3割にとどまる。


(毎日新聞 2010年12月12日 地方版)

我国において人為的温暖化を喚き立てている環境NPOを束ねているのが、虚人=飯田哲也とこのあまっちょだな。

1月11日の投稿1月13日の投稿1月16日の投稿、そして、2月1日の投稿で解説したとおり、IPCCの吹聴する人為的温暖化が虚構にすぎないことは、破廉恥極まる1月9日の「気候変動・千夜一夜」が満天下に曝け出してしまったわけだけど、1月7日の投稿でも指摘したとおり、人為的温暖化の虚構はプランク関数さえ知っていれば誰にでも判ることなんだね。
つまり、IPCCの吹聴する人為的温暖化は始めからデマ。
実際、1月19日の投稿で紹介したとおり、人為的温暖化は「全世界をコントロール」し、市民を「縛っていく新たな仕組み」であり、だからこそ、2月4日の投稿前回の投稿で解説したとおり、IPCC党も、人為的温暖化という結論が設定されているんだ!、と喚き立てていたんだね。

「京都議定書の仕組みは今後100年間でも必要とされるものだ」なんて言い張ってるけど、誰に「必要とされる」の?
人為的温暖化を煽り立てることによって「全世界をコントロール」し、市民を「縛っていく」ことを目論むファッショに「必要とされる」んだろ!
このあまっちょはそういう連中の女中にすぎないんだな。

「京都を『誕生の地』として誇ることは世界中が納得している」なんて言い張ってるけど、誰が「誇る」の?
2011年8月30日の投稿で紹介したとおり、麻生政権時のCO2排出15%削減にさえ反対していたのだから、日本国民は誰も誇ってね~よ。
また、下図を見れば判るとおり、世界の主要国の中で人為的温暖化を信用していない国民が最も多いのは、他でもない、我が日本。

Scientific Americanより

これこそ「誇る」べきことだな。
ところが、上でも述べたとおり、京都議定書は我国がファッショのお先棒を担いだということに他ならず、それこそ「国の名誉も傷ついた」のであり、名誉回復のためにも「日本はそれを自ら否定」しなければならない。
率先して否定しなければならない。
1月9日の「気候変動・千夜一夜」は「Really crazyだ!と言ってもらいたいのでしょうか」と言い放ったけど、不肖私めがこんな酔狂な事を始めた動機の一つは、正に「国の名誉も傷ついた」ことへの憤りなのよ。

にもかかわらず、あべこべに「京都を『誕生の地』として誇ることは世界中が納得している」などと言い張ることこそファッショの「自己満足」、と言うよりも、ファッショの女中が奥様に成り上がろうと目論んでいることを露呈してる。
実際、「世界」とは、地球上に生きている全ての人々、そして、その一人一人のことに他ならないはずであるにもかかわらず、日本国民の意思を無視して「世界中が納得している」との言い草は、このあまっちょの騙る「世界」が民主主義とは無縁の「世界」である証拠。

その破廉恥で邪悪な意図は「『大きく、たくさん使う』生活から『小さく、あまり使わない』暮らしへと意識を変えるのは、地域社会の役割だ」という言い草にもハッキリと表れている。
2011年3月18日の投稿で紹介したとおり、このスベタは排出量取引を喚き立てていた。
つまり、汗水かかずに濡れ手に粟の儲けを保証する排出量取引を正当化しながら、片や、国民に対しては平然と「暮らしを変えろ」「意識を変えろ」と言い放ってるわけで、であるから、濡れ手に粟の儲けを保証するために「暮らしを変えろ」、濡れ手に粟の儲けを保証することが「地域社会の役割だ」と言うことに他ならないわけで、説明するまでもなく、そのような思想は民主主義とは相容れない。

であるから、「自己満足で終わってはいけない」という台詞は、実のところ、「排出量取引だけで終わってはいけない」ということであり、「社会全体を変える責任がある」とは、ファシズム社会を建設する責任がある、ということなんだね。
そして、それは、正に「全世界をコントロール」し市民を「縛っていく新たな仕組み」としての人為的温暖化プロパガンダに他ならないことを、裏づけたと言える。

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