人非人のための「5つの断章」

ウェーベルン:弦楽四重奏のための「5つの断章」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

今日の「天声人語」はこんなことほざいてるな。


明治最後の年に生まれた映画監督の新藤兼人さんは、95歳の時にこう書いている。「百歳まではとても無理だと思うが、わたしは今、生きている。この一秒を、この十分を、この一日を生々しく生きてる」。それから5年がたって、ご本人の見通しはうれしくも外れた▼現役の輝きを保ちつつ、きょう100歳の誕生日である。去年公開された49作目の「一枚のハガキ」は、自らの兵役体験をもとに作った。好評を博し、映画誌「キネマ旬報」による昨年の日本映画の1位に選ばれた▼「かけがえのない人を十把一絡(じっぱひとから)げで殺すのが戦争」という名匠の言葉には、激動を生き抜いた重みがずしりと乗る。この一秒、この一日を積み重ねて至った大台の齢(よわい)である▼そんな大長老、新藤さんにも先輩はいる。厚労省によれば、全国の100歳以上は昨年で4万7千人を超えている。超高齢のイメージを覆す活躍も多彩に聞こえてくる▼医師の日野原重明さん、ベストセラー詩人の柴田トヨさん……。有名人だけではない。頂戴(ちょうだい)した公募の歌集「老いて歌おう第10集」を開いたらこんな歌があった。〈百とせをすごせし梅の切り株に朱き茸(たけ)生ゆ二つ三つ四つ〉。106歳の福島ミヤさんの作だ▼〈人間といううれしいものに生まれ来て百四歳の今日も歌詠む〉は池田ハルヱさん。みずみずしさにこちらの心も潤ってくる。きれいごとばかりの老いではないだろう。だが「うれしいもの」に生まれた喜びを、老若が分かち合える、この国でありたい。


(2012年4月22日の天声人語)

なに言ってるかな?
1月26日の投稿で紹介したとおり1月22日の社説では「リーダーの発信ぶりの違いも大きい」だの、4月18日の投稿で紹介したとおり4月13日の社説では「大阪発で変えてみては」だのと言い放ち、「大阪の」を我国のリーダーに仕立て上げようと目論んでいるテメエらなんかと「うれしいものに生まれた喜びを分かち合える」はずがねえだろ!
4月3日の投稿4月19日の投稿で解説したとおり、大穢健三郎も朝鮮日刊新聞と同類。
1月21日の投稿2月13日の投稿、そして、前回の投稿で指摘した通り、IPCC党も「大阪の」と同類。
3月7日の投稿3月8日の投稿3月11日の投稿3月14日の投稿3月20日の投稿3月26日の投稿3月28日の投稿4月6日の投稿、そして、4月15日の投稿で指摘したとおり、自然エネルギーを煽り立てている連中は「うれしいものに生まれた喜びを、老若が分かち合う」ことを拒絶しているのであり、やはり、「大阪の」と同類。
こやつらを社会から駆逐しない限り、「うれしいものに生まれた喜びを、老若が分かち合える、この国でありたい」ことは適わない。

「大阪の」を支持するのやめますか?、それとも、人間やめますか?

朝日新聞の購読やめますか?、それとも、人間やめますか?

9条の会やめますか?、それとも、人間やめますか?

自然エネルギーを煽るのやめますか?、それとも、人間やめますか?

人為的温暖化を煽るのやめますか?、それとも、人間やめますか?

天地捏造

ハイドン「天地創造」より

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

今日はこの記事を採り上げようかね。


米、温暖化に異論教えてもOK テネシーで州法成立
2012年4月12日 10時10分
【ワシントン共同】米メディアによると、米テネシー州で、公立学校の教師が教室で進化論や地球温暖化に対する異論を教えることを容認する州法が11日までに成立した。
同州は進化論や地球温暖化に批判的なキリスト教右派勢力が強い地域。州法の推進派は「批判的思考法を養うのが目的」と主張しているが、科学者らは「神による天地創造説や温暖化懐疑論を教室に持ち込もうとしているのは明らかだ」と反発している。
州法は、進化論や地球温暖化問題など世界的に広く受け入れられている科学テーマについて、教師が反対する学説を教えても処罰されないことを保証する内容。全米で2例目という。


(東京新聞)

何の冗談かな?
「神による天地創造説に他ならない温暖化論を教室に持ち込もうとしている」のはテメエらIPCC党だろ!
テメエらIPCC党は、コンピュータは神であると妄信し、「神=コンピュータによる天地創造説を教室に持ち込んだ」だろ!

まずは、ホッケースティック。

図1 「RealClimate : Wahl-to-Wahl coverage」より

「神=コンピュータ」は、20世紀の温暖化はCO2が原因、と啓示された。
ならば、19世紀以前の気温は今よりも1℃程低く、しかも、何百年間も安定していたはずだ、と。
ホッケースティックを否定する輩は、「神=コンピュータによる天地創造」を否定する「skeptic」だ、と。

図2

2つ目は、都市化による全球気温のバイアス。

図3

けど、IPCC党はこう言い張るんだな。
「神=コンピュータ」は、20世紀の温暖化はCO2が原因、と啓示された。
であるから、『都市化による全球気温のバイアスは幻想(「地球温暖化懐疑論批判」の「議論3」)』である、と。
都市化の影響を受けていない「Rural」だけならば全球平均気温は図3の赤線のようになるから、コンピュータシミュレーションはCO2の影響を過大評価しているなどと言う輩は、「神=コンピュータによる天地創造」を否定する「skeptic」だ、と。

3つ目は、1998年以降の気温上昇停滞。

図4 最近15年における気温と大気中二酸化炭素濃度の推移

けど、IPCC党はこう言い張るんだな。
「神=コンピュータ」は天地を創造するのであり、であるから、気候は「神=コンピュータ」の結果のとおりになるはずであり、「二酸化炭素がふえ続けていることは確かですから、地球温暖化が止まったはずはないのです(気候変動・千夜一話)」と。
であるから、1980年以降の気温はこうなっているのだ、と。

図5 Environmental Research Letters, 6(2011)044022より

観測事実を持ち出して図5を否定する輩は、「神=コンピュータによる天地創造」を否定する「skeptic」だ、と。

4つ目は、1940年前後の気温が非常に高かったこと。

図6  IPCC第4次報告書の図9-5より

コンピュータシミュレーション(赤線)はそれを再現できない。
けど、IPCC党はこう言い張るんだな。
「神=コンピュータ」は天地を創造するのであり、であるから、気候は「神=コンピュータ」の結果のとおりになっているはずであり、1940年前後の気温が「神=コンピュータ」の教え=赤線よりも高いことなどあり得るはずがない、と。
「神=コンピュータ」の使徒である我々IPCC党の仲間によって『1940年代の海上のピークについては、海面水温の観測方法の変化による人為的なものであることが最近指摘されている。したがって、この問題が補正されると、1940年代のピークは今まで考えられていたより小さくなり、気候モデルの結果に近づくことになる(「地球温暖化懐疑論批判」の「議論10」)』のだ、と。
観測事実を持ち出してコンピュータシミュレーションの破綻を示唆する輩は、「神=コンピュータによる天地創造」を否定する「skeptic」だ、と。

極めつけは温室効果の飽和。
サイドバーにアップロードしている”「地球温暖化懐疑論批判」の不都合な真実”の第10節で解説したとおり、CO2に因る温室効果は最大で8℃。
そして、上で指摘したけど、都市化による全球気温のバイアスと1940年前後の気温が非常に高かったという事実を考慮すれば、”「地球温暖化懐疑論批判」の不都合な真実”の第11節で解説したとおり、産業革命以前においてCO2の温室効果は既に7.7℃に達していたと考えられる。
つまり、CO2の温室効果は飽和状態に近いから、CO2の人為的排出による温暖化は重大な問題にはなり得ない。
けど、IPCC党はこう言い張るんだな。
「神=コンピュータ」は、CO2が倍増すればCO2の温室効果は1℃上がり、フィードバックを考慮すれば気温は3℃上がると啓示された、と。
「神=コンピュータ」は天地を創造するのであり、であるから、気候は「神=コンピュータ」の予言どおりになるはずであり、実際、図5のように気温は上がっているのであり、温室効果が飽和するなどということはあり得ない、と。
温室効果の飽和を科学的に証明し、「神=コンピュータによる天地創造」を否定する輩は、「Really crazyだ!と言ってもらいたいのでしょうか(気候変動・千夜一話)」と。

しかし、なんだね。
「教師が反対する学説を教えても処罰されないことを保証する内容。全米で2例目」ということは、米国のほとんどで、「人為的温暖化論が正しいとは限りません」と言ったら、教育現場から追放されるということだな。
それって、これと全く同じじゃん。


君が代で口の動き「監視」 橋下氏友人の民間校長
2012年3月13日 11時18分
橋下徹大阪市長の友人で民間人校長として採用された大阪府立和泉高(岸和田市)の中原徹校長が、卒業式の君が代斉唱の際、教職員の口の動きを見て実際に歌っているかを「監視」していたことが13日、府教育委員会などへの取材で分かった。
府教委は式後、校長に歌わなかったことを認めた教員1人の処分を検討している。
府教委などによると、中原校長は2日の卒業式で、教頭らと共に、君が代斉唱で約60人の教職員が起立したのを確認し、口の動きを点検。口が動いていなかったと判断した3人の教員を校長室に呼んで確認したところ、うち1人が歌っていなかったことを認めた、としている。


(共同)

1月21日の投稿2月13日の投稿で指摘したけど、やっぱり、IPCC党は「喋るセシウム」こと大阪屍長と同類だね。

フランスの山師の歌による自然エネルギー交響曲

ダンディ「フランスの山人の歌による交響曲」より第三楽章

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今日は4月3日の投稿の補足を。

大穢健三郎は、おフランス野郎の「日本人は、民主主義よりお金もうけを優先させる経済発展モデルの悪弊に気づくでしょうか?」という質問に応えて、こんなことほざいてたな。


私は、市民社会が目を覚まして代替エネルギーの開発を求め、地震学者たちの警告に耳を傾けるよう求めることを望んでいます。福島で事故が起きて以来、何事も良心に照らして考えなければならなくなりました。原子力エネルギーを単なる経済生産性の観点からのみ評価することはできなくなったのです。


(「大江健三郎へのインタビュー(2)」より)

2011年10月3日の投稿で紹介したとおり、大穢健三郎が主導した「脱原発集会」は、実のところ「自然エネルギー中心の社会を求める全国署名」だったわけだから、「代替エネルギーの開発を求め」とは自然エネルギーのことだね。
であるから、「単なる経済生産性の観点からのみ評価することはできなくなった」とは、コストが高くついても自然エネルギーを普及させるべきだということであり、つまり、ドイツ、または、それ以上の高値買い取りを主張しているんだな。
また、前回の投稿でも論じたとおり、自然エネルギーは電力自由化と表裏一体であり、電力自由化とは「需給に応じて変動する電気料金にする」ことだから、「単なる経済生産性の観点からのみ評価することはできなくなった」とは、安定した電力を供給できない自然エネルギーを普及させた結果として電力不足に陥った時に電気代が上がるのは仕方ない、と言うに等しい。

けど、高値買い取り・電力自由化とは、発電できる時は高値買い取りで利を貪り、発電できなくても電気代を吊り上げて利を貪るということであり、一方、電気代を払えない貧乏人は熱中症で死んでもいい、ということに他ならない。
それでも、大穢健三郎はこう言い張るんだな。
自然エネルギーの普及は国民全体の利益になるのだから、「高値買い取りで利を貪り、電気代を吊り上げて利を貪る」などと批判すること自体が、そして、貧乏人に目を向けること自体が「単なる経済生産性の観点からのみ評価する」ことだ、と。

けど、それは大穢健三郎の醜悪な正体を露呈したと言える。
「経済」とは本来は「経世済民」のこと。
私めが自然エネルギーを弾劾するのは、それが新自由主義に根ざしており「経世済民」に反するから。
逆に、大穢健三郎は「単なる経済生産性の観点からのみ評価することはできなくなった」と嘯きつつ、その実は、新自由主義を肯定しているんだな。
その証拠に、大穢健三郎が郵政民営化を批判したなんて聞いたことないだろ?
Oui。
大穢健三郎は反日ネオリベファッショだろ?
Oui。

ファシズム肯定円舞曲

ヨハン・シュトラウス「皇帝円舞曲」

今日今晩は。
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今日はこれを採り上げようかね。


原発再稼働と節電―大阪発で変えてみては
関西電力大飯原発について、関電の筆頭株主である大阪市が大阪府とともに「再稼働に関する8条件」を提示した。
原発から100キロ圏内の府県との安全協定の締結や、使用済み核燃料の処理体制確立、原子力規制庁を独立性の高いものにすることなどを盛り込む。
内容は、東京電力福島第一原発事故で生じた原発への不安を、住民や電力利用者の目線で反映させた項目が並ぶ。ただちに実現するのは難しいものが多く、事実上、急ぎ足の再稼働への反対表明といえる。その思いには強く共感する。
橋下徹大阪市長は株主として「脱原発」など、関電の経営のあり方に根本的転換を求める意向を表明している。
現時点で大飯の再稼働には大阪、滋賀、京都の各府県知事が反対の立場だ。福井県の西川一誠知事は国に安全性を担保するよう求めてきた。
こうしたなかで国が再稼働ありきのような姿勢でつき進むことに、8条件は電力の大消費地から待ったをかけるものだ。 橋下市長は「政治的なメッセージにしたい」とし、代表をつとめる大阪維新の会の国政進出で、争点にすることも考えているようだ。
しかし再稼働への動きは進んでおり、衆院解散まで待つ状況ではない。出した以上、メッセージに終わらせず、再稼働なしでどう夏を乗り切るのか、実のある対策を打ち出してほしい。
行政として関電に脱原発に向けた取り組みを促すには、府・市民の協力が不可欠である。
橋下市長は夏に向けて、「計画停電もあり得ると腹を決めれば、電力供給体制を変えられる1歩になる」と言う。
これは企業や市民に一定の不便を受け入れる覚悟をもってもらうことを意味する。
この夏はまず、節電意識を高め、広げていくことが大切だ。住民の暮らしに近い自治体の役割は大きい。
脱原発依存を前に進めるには、再生可能エネルギーの利用を増やすことが大事で、発電施設を集中立地型から分散型へ転換しなければならない。
地域の電力供給を1社にゆだね、安全もコスト計算もまかせる供給者主導から、電気を使う側が自ら考え、選べる消費者主導に移す必要もある。
地域住民の意思をどうまとめ、新しいエネルギー自治の先例につなげるか。地方からの変革を重んじる橋下市長には、先頭に立って住民や企業に理解を求め、創意工夫に満ちた対策を繰り出してもらいたい。


(2012年4月13日の朝鮮日刊新聞社説)

この社説には「再生可能エネルギーで脱原発依存」の卑劣で邪悪な本性が見事なまでに表れてるな。

1月26日の投稿で紹介した2012年1月22日の朝鮮日刊新聞社説は何て書いてた?
「住民投票こそが、この『設計図』を市民がみずからの問題としてとらえ、考えていくきっかけになるはずだ。原発の行く末をみんなで考える。そのための住民投票をするには、もっと署名が要る」と言い立てただろ。
けど、異心の会は住民投票を否決したな。
だったら、「喋るセシウム」こと大阪屍長を批判するはずだろ。
ところが、あべこべに「その思いには強く共感する」と言い放ったんだね。

福島原発事故では「原発から100キロ圏外」でも汚染されてるのに、なぜ「原発から100キロ圏内」なの?
「原発から100キロ圏内」はこれだね。

「100キロ圏内」はちょうど大阪市まで。
昨年までは大阪腐恥事だったくせして、大阪府民は置き去り。
「府・市民の協力が不可欠である」などと言いながら、そのことを批判するどころか、あべこべに「地方からの変革を重んじる橋下市長」などと称賛。
原発住民投票の時も全く同じだったな。
「府・市民の協力が不可欠である」ならば、大阪府民全体を対象にすべきなのに、原発住民投票は大阪市民だけを対象にしてた。
にもかかわらず、2012年1月22日の朝鮮日刊新聞社説はそのことを批判するどころか、あべこべに「リーダーの発信ぶりの違いも大きい」などと言い放って「喋るセシウム」を称賛した。
「原発の行く末をみんなで考える」は欺瞞だったことが露呈したな。
3月28日の投稿で指摘したとおり、原発住民投票の目的は「喋るセシウム」を偉大な指導者に見せかけることだった、ということ。
だからこそ、批判するどころか、あべこべに称賛してるんだね。

2011年4月26日の投稿8月6日の投稿、及び、1月5日の投稿で紹介したとおり、原発が無くても電力は足りてる。
また、2011年8月30日の投稿で紹介したとおり、関西でも電力は足りてる。
そして、3月28日の投稿で紹介したとおり、もう直ぐ全原発は停止する。
であるから、「脱原発依存を前に進めるには、再生可能エネルギーの利用を増やす」必要など全く無い。
たとえ、将来的に火力を「再生可能エネルギー」で代替していくとしても、原発を無くすという当面の目標に「再生可能エネルギー」は関係ない。
であるから、「脱原発依存を前に進めるには、再生可能エネルギーの利用を増やす」という台詞とは全く逆に、実のところ「再生可能エネルギーの利用を増やすことが大事」なのであり、そのために「脱原発依存を前に進める」と嘯いているにすぎないことは明らかだろ。

一方、2011年8月14日の投稿で紹介した2011年6月6日の朝鮮日刊新聞社説が「『地震国日本にふさわしい発電様式を、福島において研究、発展させるべきである』という玄侑宗久さんや、東北を太陽光発電のベルト地帯とする内館牧子さんの構想も魅力的だ」と、つまり、東北を「再生可能エネルギー」の拠点にしようと言い張り、さらに、2011年9月11日の投稿で紹介した2011年9月5日の朝鮮日刊新聞社説が「地域に偏在する自然エネルギー電力を東京や関西の大消費地に送るように送電網の運用を変えれば」と言い立て、その挙句に、3月25日の投稿で紹介したとおり、福島の温泉旅館が地熱発電に反対すると、邪魔立てするのは怪しからん、と罵っていたわけだから、「発電施設を集中立地型から分散型へ転換しなければならない」も欺瞞にすぎないことは明らかだな。

「発電施設を集中立地型から分散型へ転換しなければならない」から「電気を使う側が自ら考え、選べる消費者主導に移す必要もある」と言い立ててるけど、3月20日の投稿で解説したとおり、「選べる消費者主導」は全くの詭弁。
百万歩譲って「脱原発依存を前に進めるには、再生可能エネルギーの利用を増やすことが大事」だとしても、それならば、3月20日の投稿で指摘したとおり、「再生可能エネルギーの利用を増やすこと」を電力会社に義務づければ済むこと。
つまり、規制強化を進めるべきであり、それこそを「消費者主導」で進めるべき。
やはり、「供給者主導から、電気を使う側が自ら考え、選べる消費者主導に移す必要もある」が詭弁にすぎないことは明らかだな。

「脱原発依存を前に進めるには、再生可能エネルギーの利用を増やすことが大事」も真っ赤な左翼の嘘
「発電施設を集中立地型から分散型へ転換しなければならない」も真っ赤な左翼の嘘
「地域の電力供給を1社にゆだね、安全もコスト計算もまかせる供給者主導から、電気を使う側が自ら考え、選べる消費者主導に移す必要もある」も真っ赤な左翼の嘘
ならば、「再生可能エネルギーで脱原発依存」の本当の目的は何か?

上で述べたとおり、原発が無くても関西でも電力は足りてるにもかかわらず、「この夏はまず、節電意識を高め、広げていくことが大切だ」と言い立てたわけで、その台詞と2011年9月11日の投稿で紹介した2011年7月13日の朝鮮日刊新聞社説における「需給に応じて変動する電気料金にすれば、節電を促すことにも役立つ」という台詞を考え合わせれば、「需給に応じて変動する電気料金にする」ことが「再生可能エネルギーで脱原発依存」の本当の目的に他ならないことは明らかだな。
1月5日の投稿で紹介した2011年12月14日の朝鮮日刊新聞社説でも「ピーク時の料金を高くするなど料金体系が多様化できる」と言い立ててたんだね。
「ピーク時の料金を高くする」のは「安全もコスト計算もまかせる供給者主導」以外の何物でも無く、であるから「安全もコスト計算もまかせる供給者主導から、電気を使う側が自ら考え、選べる消費者主導に移す必要もある」が、「地域の電力供給を1社にゆだね」ている体制を破壊して電力自由化を推し進めるための詭弁にすぎないことは明らかだろ。

小泉エセ改革は我国の社会基盤を市場原理主義で塗り潰そうと図ったけれど、塗り残された領域の一つが電力。
既存の電力会社を解体し、電力も市場原理主義で塗り潰す。
これが「再生可能エネルギーで脱原発依存」の目的。
3月8日の投稿3月26日の投稿で紹介したとおり、「再生可能エネルギー」で安定した電力は供給できない。
原発が無くても電力は足りてるのに、「脱原発依存を前に進めるには、再生可能エネルギーの利用を増やすことが大事」と言い張る理由は正にそれ。
発電できる時は高値買い取りで利を貪り、発電できなくても「需給に応じて変動する電気料金にすれば」利を貪れる、と。
もちろん、国民が貢がされる。
貢げない貧乏人は熱中症で死ね、と。
だからこそ、東電から甘い汁を吸い続けてきた(2011年8月18日の投稿9月11日の投稿参照)くせに、上から目線で「市民に一定の不便を受け入れる覚悟をもってもらう」などと言い放ったんだな。

本来ならば、「脱原発依存を前に進めるには」本当に「再生可能エネルギーの利用を増やすことが大事で、発電施設を集中立地型から分散型へ転換しなければならない」のかどうかということから「電気を使う側が自ら考え」ねばならないはずだけれど、実は「電気を使う側が自ら考え」ては困るんだな。
原発が無くても電力は足りているのだから、そのことを「電気を使う側が自ら考え」るならば、「脱原発依存を前に進めるには、再生可能エネルギーの利用を増やすことが大事」が詭弁にすぎないこと、であるから、電力自由化で国民から収奪するための「再生可能エネルギーで脱原発依存」であることに気づくはず。
けど、それは都合が悪い。
国民を欺いて「脱原発依存を前に進めるには、再生可能エネルギーの利用を増やすことが大事」と思い込ませねばならない。
「電気を使う側が自ら考え、選べる消費者主導に移す」ための電力自由化であると思い込ませねばならない。
そして、それを実現するために「喋るセシウム」を利用する。
だからこそ「橋下市長には、先頭に立って住民や企業に理解を求める」んだね。

もちろん、これは朝鮮日刊新聞に限ったことじゃない。
「再生可能エネルギーで脱原発依存」を喚き立てている輩は皆、朝鮮日刊新聞と同じ穴の狢。
その最大の証が大穢健三郎。
4月3日の投稿で指摘したとおり、大穢は「私が最も絶望させられたのは、電力会社、政府の役人、政治家、メディア関係者が結託して放射能の危険を隠すために行った『沈黙による陰謀』とも呼ぶべき行為です」などと嘯きながら、その実は、チョンコロ韓直人、そして、東電から甘い汁を吸い続けてきた朝鮮日刊新聞と見事に歩調を合わせていた。
もちろん、朝鮮日刊新聞と同じ穴の狢の「再生可能エネルギーで脱原発依存」派は異心の会と同類。
その最大の証が夷罠深書店。
夷罠深の「世界」は、1月30日の投稿で紹介したとおり、片や「喋るセシウム」を批判めかしつつ、2011年8月30日の投稿で紹介したとおり、片や「喋るセシウム」とガッチリ腕を組んだ「虚人」=飯田哲也を時代の旗手のごとくに持ち上げてた。
また、不肖私めが「虚人」のネオリベ性と反民主性に警鐘を鳴らしたにもかかわらず、2011年9月3日の投稿で紹介したとおり、「kojitaken」と名乗る飯田哲也信奉者は捨て台詞を吐き散らした。
結局のところ、「虚人」を介して「喋るセシウム」を応援してるんだな。
これが「再生可能エネルギーで脱原発依存」派の破廉恥な正体。

そもそも「覚悟をもってもらう」だの「住民や企業に理解を求め」だのということは、「電気を使う側が自ら考える」以前に電力自由化という結論が設定されているということであり、国民はその結論を受け容れるだけでいい、ということに他ならず、民主主義とは相容れないのであり、従って「自治」とも相容れない。
また、事実を知ることが「電気を使う側が自ら考える」大前提なわけだけど、原発が無くても電力は足りているにもかかわらず「計画停電もあり得ると腹を決めれば、電力供給体制を変えられる1歩になる」となどと嘘を吐いて大阪府民・市民を欺いたのであり、それも民主主義・自治と相容れない。
つまり、ファッショ。

卑劣で邪悪で狡猾極まる「再生可能エネルギーで脱原発依存」派は、「電気を使う側が自ら考え、選べる消費者主導に移す」ための電力自由化であると吹聴して国民を欺き、「住民や電力利用者の目線で反映させた」だの「地方からの変革を重んじる橋下市長」だのと吹聴して「喋るセシウム」を民主主義の旗手に偽装し、「喋るセシウム」を利用して新自由主義に根ざした構造改革路線を推し進め、且つ、民主主義を葬り去ろうと企んでいるんだな。
「地域住民の意思をどうまとめ、新しいエネルギー新自由主義の先例につなげるか」とは、実のところ、「地域住民の意思をどう誘導し、新しいファシズムの先例につなげるか」ということなのよ。
「大阪発で変えてみては」とは、「再生可能エネルギーで脱原発依存」を煽り立てることによって「喋るセシウム」を国家の指導者に仕立て上げ、「大阪発で民主主義社会をファシズム国家に変えてみては」ということなのよ。

民主主義を守るため、橋の下でファシズム肯定円舞曲を踊り狂う「再生可能エネルギーで脱原発依存」派を駆逐せよ!

介護のエセ英雄の傷害

リヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」より

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今日はこの記事を採り上げようかね。


ワタミ、秋田に風車12基 使用電力の3割自前調達
コストは上昇、環境配慮を重視
2012/4/7 0:49
外食大手のワタミは2015年までに秋田県で最大12基の風車を建設する。風力発電の専門会社と連携し、自社の介護施設や飲食店の電気として活用。12基の体制でワタミ全体の電力使用量の3割超を賄う。全国の原子力発電所がほぼ全て停止するなど電力不足の懸念がある中、再生可能エネルギーを積極活用する。コスト面では負担が増えるが、自前で電力を調達する体制を整えることで環境に配慮する企業姿勢もアピールし、顧客拡大・・・


(日本経済新聞 電子版)

「自然エネルギーで脱原発」の欺瞞と卑劣さ邪悪さはこの記事に集約されてるな。

「自前で電力を調達する体制を整える」なんて言ってるけど、介護施設の屋根や敷地内に太陽光発電パネルを並べて、その電力を利用するのなら「自前で電力を調達する」と言えなくも無いけど、どうやって風力で「自前で電力を調達する」んだ?
風車から「自前で」介護施設にまで送電線敷くの?
んなわけねえだろ。
「風力発電の専門会社と連携し」ということは、風力発電会社に出資し、電力は東北電力の送電網に流すということだろ。
だったら、テメエとこの風車で発電した電力と火力発電所で発電された電力をどうやって区別するのかね?
テメエとこの風車で発電した電力がテメエとこの介護施設に送られるという保証があるのかね?
あるわけねえだろ。
「自前で電力を調達する体制を整える」が詭弁にすぎないことは明らかだな。

もちろん、「自然エネルギーで脱原発」派は、ワタミ様がワタミ様の風力発電を使わなくても、ワタミ様の風力発電を電力網に流すということは実質的に「自前で電力を調達する体制を整える」ことですぅ~~~、と喚き立てるだろうけど、それこそが詭弁。
東北電力の送電網に流すということは、東北電力に高値で買い取らせるということだろ。
3月20日の投稿で紹介した2012年3月7日の朝鮮日刊新聞社説が「ただし、買い取り費用は電気料金に上乗せされる。負担するのは消費者だ」と高言していたとおり、もちろん、それは一般市民に転嫁される。
ということは、「自前で電力を調達する体制を整える」ではなく、実は「国民の資金で電力を調達する体制を整える」ということだな。

しかも、それだけじゃねえ。
3月8日の投稿で紹介したとおり、我国において風力で安定した発電はできない。
3月26日の投稿で紹介した太陽光発電と同程度か、恐らく、それ以上に不安定。
そんな物は実際上は何の役にも立たないんだな。
風車は何時止まるか判らないのだから、それを当てにしていたら停電になって大惨事が起きかねない。
そうである以上、風車が回っていようが止まっていようが、火力で安定した電力を供給し続けざるを得ないのよ。
つまり、安定した電力を供給する電力会社の送電網に流すからこそ、「自前で電力を調達する体制を整える」などと嘯けるのであって、実のところ「東北電力の資金で電力を調達する体制を整えている」にすぎないんだね。

「自然エネルギーで脱原発」派は、いやですぅ~~~、風力発電に貢献なさっている渡辺美樹様を批判しないでくださ~~~い、と泣き叫ぶだろうけど、「自前で電力を調達する体制を整える」って言い張るんなら、東北電力の送電網に電力を流すな!
「自前で電力を調達する体制を整える」などと高言するのは、送電線も「自前」で「調達」してからにしやがれ!
少なくとも、東北電力に高値買い取りさせるんじゃねえ!

安定した電力を供給できないくせして、あべこべに「電力不足の懸念がある中、再生可能エネルギーを積極活用する」などと嘯き、実は、東北電力に寄りかかり、挙句は、一般市民から強引に金を毟り盗りながら、ヌケヌケと「環境に配慮する企業姿勢もアピール」などと広言して憚らない、その卑劣さよ。
反吐が出るぜ!
しかし、それも当然。
これを見ろ。


介護現場を顧みない渡辺美樹・ワタミ社長
2007年9月号 [ビジネス・インサイド]
介護業界最大手コムスンの事業売却問題の道筋が、ようやく付けられた。当初の一括譲渡方針から転換して、訪問介護など在宅系は都道府県ごとに分割して各県1社に譲渡、有料老人ホームなど居住系は1社に譲渡されることになった。
この方針転換にほくそ笑んでいるのが、居酒屋大手ワタミの渡辺美樹社長。一括譲渡では大手のニチイ学館に及ばないとみられたが、今回のスキームでは居住系譲渡先の最有力候補だ。ワタミは2005年、有料老人ホームを展開する「アールの介護」を買収して介護事業に参入した。売上高30億円弱の会社を70億円強で買収したことから高値づかみと揶揄されたが、今では主力の外食がパッとしないワタミグループの収益を底支えしている。機関投資家の間では、早ければ3年後には外食の利益水準を抜くと目されている。
ところが介護業界では、外食仕込みの渡辺社長の「手法」にはとかく批判が多い。ワタミの買収後、「アールの介護」の社員3分の1以上が同社を離れる「事件」が起こった。
3Kの代表例とされる介護職場は職員の頑張りで維持されているが、渡辺社長は何の追加手当もなく、食事、入浴対応などでさらなる負荷を押しつけた。職員が集団で抗議すると「入居者の幸せが自分の幸せでないのだったら、どうぞ辞めてください」と、長年貢献してきた介護職員に自主退職を促したという。「お店はお客様だけのためにある」「施設は入居者様のためにある」。一見崇高な「渡辺語録」も、苛酷な現場に依存し、その苦労を一顧だにしないのだとしたら、途端に色あせる。同じく買収した郁文館中学・高校でも有力教師の離反が相次いでいるという。


(FACTA)

高値買い取りに寄り掛かりながら「環境に配慮する企業姿勢もアピール」などと広言して憚らないのは、「3Kの代表例とされる介護職場」の「苦労を一顧だにしない」で「施設は入居者様のためにある」などと広言するのと全く同じ。
つまり、「再生可能エネルギー」の本性はワタミの本性と同じ。
介護職員に寄生して利を貪るような輩だからこそ、電力会社に寄生し一般市民に寄生する「再生可能エネルギー」の腐臭を嗅ぎつけて来たんだね。
福祉を金づるとしか考えないワタミが「再生可能エネルギー」に参入してきたということが、環境を金にするための「再生可能エネルギー」に他ならないことを露呈してるんだな。

「自然エネルギーで脱原発」派が風力、風力と煽り立てるからこそ、渡辺美樹のような輩がデカい面するんだよ!
ワタミを正当化する「自然エネルギーで脱原発」派を社会から駆逐せよ!!

エロマンティック

ブルックナー交響曲第4番「ロマンティック」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。
今日は前回の投稿の補足を。

図1 Nature484(2012)49 より

前回の投稿で指摘したとおり、上の図を見てだね、CO2増加(黄色の点)が気温上昇(青色の線)に先行している、なんて結論は絶対に出てこないのよ。
少しでも自然科学をかじったことがあるのならば、誰にでも判ることだな。
にもかかわらず、この論文は、CO2急増が氷河期を終わらせた、などと書いてるわけで、それは人為的温暖化論の、そして、IPCC党の破廉恥さを白日の下に曝け出したと言える。

2月4日の投稿でも指摘したけど、人為的温暖化という結論が始めから設定されているんだね。
その結論を正当化するために、CO2が気温に先行しているという論理を強引に引き出したんだね。
けど、データを真摯に分析して、そこから何が判るかを考察するのが科学。
にもかかわらず、IPCC党は始めから結論を設定し、その結論に沿うようにデータを恣意的に解釈した。
これは科学じゃない。

さらに、IPCC党は「”Global Climate Change”というキーワードで、1993年から2003年までに発表され、ISIデータベースに登録されている査読付きの論文を分析したところ、928論文が該当し、かつ、その中で温暖化に対する人為的な影響の存在を否定しているものは一つもなかった(「地球温暖化懐疑論批判」の「議論1」)」だの、「懐疑論者の中には、学術誌における査読制度を批判し、懐疑的な内容の論文が掲載されない理由を学会ファシズムのせいにする人たちがいる(「地球温暖化懐疑論批判」の「議論2」)」だのと、すなわち、査読論文数を盾にして人為的温暖化を正当化してきたけど、こんな無茶苦茶な論文もどきが掲載されたということは、「査読」の虚構を物の見事に露呈したな。

上でも述べたとおり、まともな査読者なら、図1からはCO2が気温に先行しているという結論は引き出せないと批判し、修正を要求するはず。
けど、CO2が気温に先行しているというのがこの論文の肝だから、それを否定することは論文そのものを否定することに他ならず、であるから、結局のところ、投稿は受け付けられないはず。
ところが、そのまんま東、じゃなかった、掲載されちゃった。
それは、査読者もIPCC党であり、始めに人為的温暖化ありき、だから。
人為的温暖化を正当化する内容でありさえすれば、科学的に無意味でも掲載されるということ。
つまり、IPCC党がグルになって人為的温暖化をでっち上げたということ。
これがIPCC党の言い立てる「査読」の実態。
もちろん、それは科学じゃない。

エセ科学という言葉があるけど、エセ科学には「ロマン」がある。
しかし、人為的温暖化論には一欠片の科学性もなければ、一欠片の「ロマン」もない。
人為的温暖化論にあるのは破廉恥だけ。
すなわち、エロ。
エロを広めるIPCC党は科学者じゃない。
連中はただのエロ芸人だわ。

超絶温暖化詐欺練習曲(2)

リスト「パガニーニの主題による超絶技巧練習曲」より

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

今日は、2011年9月7日の投稿に続く「超絶温暖化詐欺練習曲」の第2弾として、これを採り上げようかね。


CO2急増が氷河期終わらせる
2012年4月5日 02時00分
約1万年前に地球規模の温暖化で氷河期が終わった最大の要因は、大気中の二酸化炭素(CO2)の急激な増加だったとする研究結果を、米ハーバード大などのチームが5日付の英科学誌ネイチャーに発表した。
チームの研究者は「現在は氷河期の終わりより早いペースでCO2濃度が上昇しており、大きな影響が出る可能性がある」としている。
チームは約2万2千年前に太陽を回る地球の軌道の変化で北半球の陸の氷が局地的に解け、海流変化が起きて約1万9千年前に深海から大量のCO2が大気中に放出されたとみられるのを突き止めた。


(共同)

元論文はコチラからダウンロードできるけど、素人(私めも含めて)にはBBCの解説の方が解り易いので、そちらを見てみると。

図1

これは、氷河期から間氷期への移行における、気温と大気中CO2濃度の推移を表したグラフだな。
上半分のグラフは南極のデータ。
これに関しては、気温の上昇がCO2の上昇に先行しているから、気温が上がった結果としてCO2が増えたのであって、このデータを盾に「約1万年前に地球規模の温暖化で氷河期が終わった最大の要因は、大気中の二酸化炭素(CO2)の急激な増加だった」などとは言えない、と言われてた。
で、そのような批判を覆そうと企画されたのがこの論文。
気温上昇とCO2増加の因果関係を論じるには、南極という一地域の気温ではなく、全球平均気温と比べるべきです、と。
そこで、氷河期から間氷期への移行過程における全球平均気温を調べてみました、と。
それが下半分のグラフですよ、と。
それを見ると、CO2の上昇が気温の上昇に先行しているから、CO2の増加が気温上昇をもたらしたのは明らかです、と。
一方、IPCC党のコンピュータシミュレーションでは、大気中CO2濃度が倍増すればCO2の温室効果は1℃、フィードバックを考慮すれば気温は3℃上がる。
氷河期のCO2濃度は180ppmで間氷期は280ppmだから、倍増はしていないけど、「約1万年前に地球規模の温暖化で氷河期が終わった最大の要因は、大気中の二酸化炭素(CO2)の急激な増加だった」ことは明らかです、と。
逆に言えば、CO2が倍増すれば気温は3℃上がることが確かめられました、と。
であるから、「現在は氷河期の終わりより早いペースでCO2濃度が上昇しており、大きな影響が出る可能性がある」というわけ。

これは画期的な研究ですよ、と。
第2のホッケースティックですよ、と。
だからこそ、またもや佞チャーに発表されたんだね。
だからこそ、人為的温暖化を煽り立ててきたBBCがまるで天下を取ったみたいにはしゃいでいるんだね。

けれど、3月24日の投稿で解説したとおり、氷河期から間氷期への移行過程において大気中CO2濃度が倍増すればCO2の温室効果が1℃上がるとしても、であるから、「約1万年前に地球規模の温暖化で氷河期が終わった最大の要因は、大気中の二酸化炭素(CO2)の急激な増加だった」としても、人為的排出が原因で大気中CO2濃度が産業革命時の倍になってもCO2の温室効果は0.5℃上がるだけ。
であるから、1月22日の投稿で紹介したとおり、これまでのペースでCO2の排出が続いたとしても、今世紀中に気温は0.5℃上がるだけ。
IPCC党は、CO2の排出を抑制しなければ今世紀中に気温が2℃上がる、と言い立てているけど、それは全くの誇張。
しかも、今世紀中に0.5℃上がるというのは、20世紀の気温上昇は専らCO2の増加が原因と仮定した場合の話にすぎない。
現実には、サイドバーにアップロードしている”「地球温暖化懐疑論批判」の不都合な真実”の第7節で解説したとおり、20世紀前半の気温上昇は主に日射量の増加と気候の内部変動に因る。
そのことを考慮するならば、”「地球温暖化懐疑論批判」の不都合な真実”の第11節で解説したとおり、CO2の吸収帯域における赤外放射の吸収・射出の平均回数は産業革命時に300に達していたと考えられるんだね。
この場合、CO2の温室効果は7.72℃。
ここから逆算すると、氷河期における吸収・射出の平均回数は300×180÷280=190で、CO2の温室効果は、

式(1)

だから、フィードバックで3倍になるとしても、氷河期から間氷期への気温上昇約3.5℃に占めるCO2の寄与は0.5℃にすぎない。
「約1万年前に地球規模の温暖化で氷河期が終わった最大の要因は、大気中の二酸化炭素(CO2)の急激な増加だった」は全くのデタラメ。
そして、これまでのペースでCO2の排出が続いたとしても、今世紀中に気温は0.2℃上がるだけだから、「現在は氷河期の終わりより早いペースでCO2濃度が上昇しており、大きな影響が出る可能性がある」も真っ赤な左翼の嘘

もちろん、IPCC党とIPCC信者は尚も、CO2の上昇が気温の上昇に先行しているのが何よりの証拠ですぅ~~~、と喚き立てるだろうけど、その主張自体がナンセンス!
図1の下半分のグラフでは、水色の点が青色の線よりも速く上昇するから、CO2が気温に先行しているように見えるだけ。
単位が全く異なるのに、CO2の上昇が気温の上昇よりも速い、などと言い立てても全く無意味。
もう判っただろうけど、データを適当にスケーリングし、CO2と気温を同一のグラフ上に書き込むことに依って、CO2の上昇が気温の上昇に先行しているように見せ掛け、「約1万年前に地球規模の温暖化で氷河期が終わった最大の要因は、大気中の二酸化炭素(CO2)の急激な増加だった」と思い込ませようと図ったんだな。
グラフを使った典型的なペテン。
グラフというのは視覚的だから解り易い、特に、素人を理解させるには効果的なんだけど、目くらましにもなり得るのよ。

結局のところ、人為的温暖化を正当化しようと図って、逆に、人為的温暖化の非科学性を露呈してしまった、ということであり、IPCC党はこんな破廉恥極まるペテンを使わざるを得ないまでに追い詰められてしまった、ということ。
哀れな連中だわ、IPCC党は。

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