大穢健三郎は核騙りき

リヒャルト・シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

またもや、大穢健三郎がフランスの新聞社のインタビューに応えて、こんなことほざいてたらしいな。


● 今回の原発事故は自然災害によって引き起こされた面もありますが、それ以上に備えが十分でなかったことが主な原因と考えられています。日本人は、民主主義よりお金もうけを優先させる経済発展モデルの悪弊に気づくでしょうか?
今回の事故で明らかになったのは、日本社会の民主主義が脆弱なものであったということです。ぼくたちは問題に声を挙げることができるでしょうか。それとも、このまま黙ったままでいるのか。今から10年たてば、日本が「民主国家」の名前にふさわしい国であったのかどうかが分かるでしょう。こんなに深く日本の民主主義が未熟であったことを感じたことはありませんでした。今起きている危機は、福島原発事故についてだけのことではないのです。私が最も絶望させられたのは、電力会社、政府の役人、政治家、メディア関係者が結託して放射能の危険を隠すために行った「沈黙による陰謀」とも呼ぶべき行為です。去年の3月11日以来、たくさんの嘘が明らかになりました。そしておそらくは、まだこれからも明らかになってゆくでしょう。これらのエリートたちが真実を隠すため陰謀を巡らせていたことが明らかになって、私は動揺しています。ぼくたちは、そんなに騙しやすい国民なのでしょうか?
● 日本人は世界で初めて被ばくを経験した国民です。それなのに、なぜこんなにたやすく原子力エネルギーが安全だと言う言葉を信じたのでしょうか。
広島と長崎に原爆が落とされた時、僕は10歳でした。終戦の後、安心した気持になったのを覚えています。戦争が終わったからこれで学校に行ける、と。でも年齢を重ねる過程で私は、日本が戦争を放棄する憲法を持っているにもかかわらず、沖縄をアメリカに渡してしまったことに気づきました。こうして(米軍の)核兵器を沖縄に設置し、「原子力の平和利用」に向け突き進んで行ったのです。私は当時、こうした流れを批判すべく、『広島ノート』と『沖縄ノート』を書きました。1947年にできた憲法のもう一つの重要な柱である「民主主義」は、福島での大惨事の発生によって明らかに揺らぎました。私は、市民社会が目を覚まして代替エネルギーの開発を求め、地震学者たちの警告に耳を傾けるよう求めることを望んでいます。
福島で事故が起きて以来、何事も良心に照らして考えなければならなくなりました。原子力エネルギーを単なる経済生産性の観点からのみ評価することはできなくなったのです。原爆による被ばく者たち自身が、この原爆投下を道徳的な観点から批判し、もう二度と誰も同じ苦しみを味わうことが無いように、と声をあげて来ました。政治家たちは彼等の声を無視したのです。裏切りは、1956年に「平和のための」原子力利用についての法律が成立したときに遡ります。あの時、私たちは後に福島原発事故の元になる果実を木の枝からもぎとって自分のものにしたのです。
● ヒューマニズムが破壊されてゆく中で、文学はどのような役割を果たすのでしょうか。
私が(『群像』に執筆中の)『晩年のスタイル』の中でずっと心に留めているミラン・クンデラの言葉にこんなものがあります。
「小説家というものは皆、自分から行動を始める時、一番大切な物以外は全て切り捨てなければなりません。自分自身と自分以外の人に対して、根本的なモラルの重要性を強く説かなければなりません。
日本人の作家としての私の役割は、原発をなくすためにたたかうことです。日本の市民社会が(原発をなくすという)この「大仕事」を完成することに成功する日、私の仕事にはやっと意味が与えられるのです。これは国民の意志が、おそらく歴史上初めて勝利するということに他なりません。「大惨事」という言葉には、私にとって二つの隠れた意味があります。一つは、今日日本が経験している(原発事故による)大惨事。そしてもう一つは、人生の黄昏時にさしかかった全ての作家が経験する大惨事(注)です。


(「大江健三郎へのインタビュー(1)」及び「大江健三郎へのインタビュー(2)」より)

「電力会社、政府の役人、政治家、メディア関係者が結託」して放射能の危険を隠すために行った『沈黙による陰謀』とも呼ぶべき行為」であるならば、言うまでもなく、その最大の責任は行政の長にある。
すなわち、チョンコロ韓直人こそが最大の戦犯。
しかも、1月7日の投稿1月23日の投稿で紹介したとおり、チョンコロ韓直人は積極的に原発事故を拡大させた。
人類史上最大の犯罪者の一人であると言っても過言ではない。
にもかかわらず、1月29日の投稿で紹介したとおり、チョンコロ韓直人を必死に擁護し続けたのが朝鮮日刊新聞。
しかも、2011年8月18日の投稿で紹介したとおり、朝鮮日刊新聞自体は原発利益共同体の中枢に居座ってた。
「裏切りは、1956年に『平和のための』原子力利用についての法律が成立したときに遡ります」なんて言ってるけど、「日本人の作家としての私の役割は」という視点、すなわち、言論人の目には、言論を弄して国民を欺いたメディア、特に、「沈黙による陰謀とも呼ぶべき行為」の主犯であるチョンコロ韓直人と一体化していた朝鮮日刊新聞こそ最大の「裏切り」と映るはず。
であるから、「私が最も絶望させられた」のであれば、「日本人の作家としての私の役割は」朝鮮日刊新聞を弾劾し廃刊に追い込むこと以外に無いだろ。

3月20日の投稿で紹介した2012年3月7日の朝鮮日刊新聞社説は「買い取り制度は自然エネルギー普及のカギを握る」と言い立てていたけれど、太陽光発電パネルを設置できる家庭が設置できない家庭に、設置費用の一部を強制的に負担させることになる買い取り制度は「根本的なモラル」に反する。
ところが、「福島で事故が起きて以来、何事も良心に照らして考えなければならなくなりました」にもかかわらず、2011年9月29日の投稿で紹介したとおり、チョンコロ韓直人は再生可能エネルギー特別措置法を退陣条件に掲げたんだね。
そして、チョンコロ韓直人と共に「沈黙による陰謀とも呼ぶべき行為」の主犯格である朝鮮日刊新聞はそれを昂然と正当化したんだね。
「根本的なモラルの重要性を強く説かなければなりません」なら、買い取り制度を、そして、朝鮮日刊新聞を批判するはずだろ。

2011年2月27日の投稿で指摘したとおり、買い取り制度は憲法14条と29条に反する。
2011年3月1日の投稿で紹介したとおり、「月260円で自殺に追い込まれる人なんて聞いたことがありません」と言い放って、買い取り制度を正当化している糞野郎がいたけど、「量」の問題じゃあない。
憲法14条と29条は「民主主義」に関わる条項であり、「月260円で自殺に追い込まれる人なんて聞いたことがありません」などと言い立ててそれをなし崩しにするのは、「民主主義」を否定する以外の何物でも無い!
「1947年にできた憲法のもう一つの重要な柱である民主主義」なら、買い取り制度を、そして、朝鮮日刊新聞を批判するはずだろ。

さて、「大穢健三郎は問題に声を挙げることができるでしょうか」?
Non!
大穢健三郎が朝鮮日刊新聞を糾弾したことは一度もないだろ?
Oui!
その証拠に、2011年10月3日の投稿で紹介したとおり、2011年9月21日の朝鮮日刊新聞社説は大穢健三郎にエールを送ってた。
つまり、大穢健三郎は「沈黙による陰謀とも呼ぶべき行為」に「黙ったままでいる」。
それは何故か?

2011年8月6日の投稿で紹介したとおり「電力会社、政府の役人、政治家、メディア関係者が結託して」電力不足を煽り立ててきたけど、2011年4月26日の投稿8月30日の投稿1月5日の投稿で紹介したとおり、原発が無くても電力は足りてる。
であるから、「電力会社、政府の役人、政治家、メディア関係者が結託して、原発が無くても電力は足りているという事実を隠すために行った『喧騒による陰謀』とも呼ぶべき行為」に「市民社会が目を覚まし」さえすれば、直ぐにでも「日本の市民社会が(原発をなくすという)この「大仕事」は完成する」。
逆に、3月8日の投稿3月26日の投稿で紹介したとおり、自然エネルギーは全くの虚構にすぎず、それを強引に広めるのは原発再稼動の口実を与えるだけ。
研究開発を進めて将来的に自然エネルギーで安定した電力を供給できるようになるのならば、もちろん、大いに結構なことではあるけれど、それは「原発をなくす」という当面の課題とは関係ないし、結びつけてはならない。
にもかかわらず、大穢健三郎は「市民社会が目を覚まして代替エネルギーの開発を求める」と言い立ててる。
2011年10月3日の投稿で紹介したとおり、大穢健三郎が主導した「脱原発集会」も実は「自然エネルギー中心の社会を求める全国署名」だった。
また、「今回の事故で明らかになったのは、日本社会の民主主義が脆弱なものであったということです。・・・これらのエリートたちが真実を隠すため陰謀を巡らせていたことが明らかになって」という台詞は、2011年9月11日の投稿で紹介した2011年8月15日の朝鮮日刊新聞社説が「この国にはエリートが自分たちに都合よく回しておけばいい、という歴史があり、今も続いている。・・・民主主義を真っ当なものに鍛え直すしかない」と言い放ったのと瓜二つ!

「私が最も絶望させられたのは」とか言いながら、実のところ、大穢健三郎は「沈黙による陰謀とも呼ぶべき行為」の主犯であるチョンコロ韓直人・朝鮮日刊新聞と物の見事に歩調を合わせているんだな。
もう判っただろ。
大穢健三郎は「沈黙による陰謀」を容認していることが。
大穢健三郎は「民主主義」を騙っていることが。

(「今回の事故で明らかになったのは、日本社会の民主主義が脆弱なものであったということです。・・・私は、市民社会が目を覚まして代替エネルギーの開発を求め」という言い草は、「代替エネルギー(=自然エネルギー)の開発を求め」ることが「民主主義」を育む、と言うに等しいけど、これは「虚人」=飯田哲也が「その民主化の遅れが、福島第一原発事故という歴史的な大事故を招いた真因の一つであることが、その事故によって白日に晒された。地域の自立とエネルギーの主権を私たちが取り戻すことが必要であり、今やそれを可能とする自然エネルギーという選択肢がある」と言い立てたのと全く同じ。(2011年8月30日の投稿参照。)
けど、1月30日の投稿で紹介したとおり、「虚人」は日本国民の敵であれせられる「喋るセシウム」こと大阪屍長とタッグを組んだ。
これは、「虚人」が民主主義を騙っていたこと、であるから、「自然エネルギーが民主主義を育む」が卑劣な詭弁にすぎないこと、であるから、大穢健三郎も「民主主義」を騙っていることを露呈した。)

「電力会社、政府の役人、政治家、メディア関係者が結託して放射能の危険を隠し」ながら、1月7日の投稿で紹介したとおり、主犯のチョンコロ韓直人はヌケヌケと「9電力はお山の大将」などと言い放って電力会社を罵った。
そして、2011年8月18日の投稿10月27日の投稿1月5日の投稿、そして、3月20日の投稿で紹介したとおり、東電から甘い汁を吸ってきた朝鮮日刊新聞も平然と電力会社を罵ってきた。
また、3月8日の投稿で紹介したとおり、これまでは電力会社と一体となってきた経済産業省も「代替エネルギーの開発」に邁進してる。
唖然とするばかりの破廉恥さだけれど、これらは何を意味するか?
これまでの考察を綜合すれば、考えられる答えは唯一つ。
これまでは「電力会社、政府の役人、政治家、メディア関係者が結託して」きたけど、これからは大穢健三郎が電力会社にとって代り、「大穢健三郎、政府の役人、政治家、メディア関係者が結託」して「代替エネルギーの開発」を推し進める、ということだな。
にもかかわらず、それを「市民社会が目を覚まして代替エネルギーの開発を求め」と思い込ませる。
これが大穢健三郎に託された使命。

しかし、上で指摘したとおり、「日本の市民社会が(原発をなくすという)この「大仕事」を完成する」のに「市民社会が目を覚まして代替エネルギーの開発を求め」る必要など全く無いし、それを言い立てるのは問題のすり替え以外の何物でも無い。
ならば、「大穢健三郎、政府の役人、政治家、メディア関係者が結託」して「代替エネルギーの開発」を推し進める本当の目的は何か?
1月7日の投稿で紹介したとおり、「沈黙による陰謀とも呼ぶべき行為」の主犯であるチョンコロ韓直人は「地域独占かつ発電・送電・配電一体型は根本から変えるべきだ」と喚き立てていた。
1月5日の投稿で紹介したとおり、主犯格の朝鮮日刊新聞も「発送電分離―腰をすえて踏み込め」と言い張った。
「大穢健三郎、政府の役人、政治家、メディア関係者が結託」して電力自由化を推し進めようとしていることは明らかだな。

では、電力自由化とは何か?
民主主義を騙ってまで正当化する電力自由化が民主主義と相容れるはずが無い。
2011年9月11日の投稿で紹介したとおり、2011年7月13日の朝鮮日刊新聞社説は「需給に応じて変動する電気料金にすれば、節電を促すことにも役立つ」と、そして、1月5日の投稿で紹介したとおり、2011年12月14日の社説でも「ピーク時の料金を高くするなど料金体系が多様化できる」と言い立てた。
また、3月7日の投稿で紹介したとおり、「虚人」も「国は、需給調整契約の拡充やピーク料金など市場を活用した需要側管理(DSM)を重心的に実施すべき」と言い立てた。
そして、3月20日の投稿で紹介したとおり、経済産業省も「家庭の夏の昼間の電気代をほかの時間帯よりも高くする」ことを画策してる。
これが電力自由化の正体。
貧乏人は再生可能エネルギーを高値で買い取り、夏の昼間はクーラーを我慢して熱中症で死ね、ということ。
「一番大切な物以外は全て切り捨てなければなりません」とは、貧乏人は「切り捨てなければなりません」ということなんだね。
それを「民主主義」と思い込ませる。
これが大穢健三郎に託された使命。

おフランス野郎の「日本人は、民主主義よりお金もうけを優先させる経済発展モデルの悪弊に気づくでしょうか?」という質問に応えて、大穢健三郎は「日本が民主国家の名前にふさわしい国であったのかどうかが分かるでしょう」だの、「日本の民主主義が未熟であった」だのとほざいてるけど、上で説明したとおり、大穢健三郎は民主主義を騙っているにすぎない。
であるから、「民主国家の名前にふさわしい国」とは、結局のところ、民主国家=西欧の価値観に相応しい国という意味に他ならず、であるから、民主国家=白人の価値観こそが唯一絶対にして普遍的であるという意味なんだね。
それはグローバリズムの思想以外の何物でも無いな。
2011年4月26日の投稿8月14日の投稿、そして、3月8日の投稿で紹介したとおり、我国には不向きなのに、「自然エネルギーで脱原発」を唱えている連中は西欧を規範にして、風力、風力と喚き立てているけれど、それも、西欧=白人の価値観こそが普遍的であるという観念に骨の髄まで冒されているからなんだね。

言うまでもなく、グローバリズムは新自由主義の精神的背景。
その新自由主義を、すなわち、「お金もうけを優先させる経済発展モデル」を推し進めてきたのは他ならぬ西欧。
新自由主義は米国発なんて言うけど、それは事実の一面にすぎないのであって、新自由主義が世界を覆ったのは西欧が新自由主義に邁進したからなんだね。
その西欧の中心国の一つである腐乱州の記者が、あべこべに、まるで日本こそが「お金もうけを優先させる経済発展モデル」の巣窟であるかのごとくに言うのは、かつて我国をエコノミックアルマルだのウサギ小屋に住んでいるだのと蔑んだのと全く同じであり、にもかかわらず、大穢健三郎がそれを首肯したということは、西欧資本による強奪を正当化する意図に他ならないな。

2011年4月15日の投稿で紹介したとおり、「沈黙による陰謀とも呼ぶべき行為」の主犯格である朝鮮日刊新聞は、送電網を外資が支配して何が悪い、と言い放った。
一方、2011年4月26日の投稿で紹介したとおり、フランス電力公社は他国の電力会社を買収し続けてきた。
大穢健三郎がルモンド紙のインタビューに応じたのは偶然だろうか?
Non!

上で指摘したとおり、大穢健三郎の論理は「虚人」=飯田哲也の論理と全く同じであり、そして、「虚人」は「喋るセシウム」こと大阪屍長とタッグを組み、そして、3月14日の投稿で紹介したとおり、「喋るセシウム」はおフランスのウォーターバロンであらせられるヴェオリア・ウォーターに水道を支配させようと目論んでいる。
大穢健三郎がルモンド紙のインタビューに応じたのは偶然だろうか?
Non!

「『大惨事』という言葉には、大穢健三郎にとって二つの隠れた意味があります」。
一つは、「政府の役人、政治家、メディア関係者と結託」して電力自由化を推し進め、貧乏人を熱中症で殺すこと。
一つは、日本をおフランスに献上すること。
モンマメ♪トンタテ♪ソンサセ♪ノトールノ♪ヴォトルヴォ♪オーエオーエ♪
「一番大切な物以外は全て切り捨てなければなりません」とは、日本という国を「切り捨てなければなりません」ということなんだね。
「日本の市民社会を欺いて(日本という国をなくすという)この「大仕事」を完成することに成功する日、大穢健三郎の仕事にはやっと意味が与えられるのです」。

大穢健三郎を、そして、自然エネルギーは民主主義を育むなどと嘯いている連中を我国から駆逐しなければ、「今から10年たてば、かつて西欧帝国主義に抗した唯一の国であり、それ故に、新帝国主義ともいうべきグローバリズムを粉砕するにふさわしい国である日本が、反日ネオリベの手によって葬り去られたことが分かるでしょう」。

これでも、まだ「自然エネルギーで脱原発」プロパガンダを信じるの?
「ぼくたちは、そんなに騙しやすい国民なのでしょうか?」

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