ファシズム肯定円舞曲

ヨハン・シュトラウス「皇帝円舞曲」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

今日はこれを採り上げようかね。


原発再稼働と節電―大阪発で変えてみては
関西電力大飯原発について、関電の筆頭株主である大阪市が大阪府とともに「再稼働に関する8条件」を提示した。
原発から100キロ圏内の府県との安全協定の締結や、使用済み核燃料の処理体制確立、原子力規制庁を独立性の高いものにすることなどを盛り込む。
内容は、東京電力福島第一原発事故で生じた原発への不安を、住民や電力利用者の目線で反映させた項目が並ぶ。ただちに実現するのは難しいものが多く、事実上、急ぎ足の再稼働への反対表明といえる。その思いには強く共感する。
橋下徹大阪市長は株主として「脱原発」など、関電の経営のあり方に根本的転換を求める意向を表明している。
現時点で大飯の再稼働には大阪、滋賀、京都の各府県知事が反対の立場だ。福井県の西川一誠知事は国に安全性を担保するよう求めてきた。
こうしたなかで国が再稼働ありきのような姿勢でつき進むことに、8条件は電力の大消費地から待ったをかけるものだ。 橋下市長は「政治的なメッセージにしたい」とし、代表をつとめる大阪維新の会の国政進出で、争点にすることも考えているようだ。
しかし再稼働への動きは進んでおり、衆院解散まで待つ状況ではない。出した以上、メッセージに終わらせず、再稼働なしでどう夏を乗り切るのか、実のある対策を打ち出してほしい。
行政として関電に脱原発に向けた取り組みを促すには、府・市民の協力が不可欠である。
橋下市長は夏に向けて、「計画停電もあり得ると腹を決めれば、電力供給体制を変えられる1歩になる」と言う。
これは企業や市民に一定の不便を受け入れる覚悟をもってもらうことを意味する。
この夏はまず、節電意識を高め、広げていくことが大切だ。住民の暮らしに近い自治体の役割は大きい。
脱原発依存を前に進めるには、再生可能エネルギーの利用を増やすことが大事で、発電施設を集中立地型から分散型へ転換しなければならない。
地域の電力供給を1社にゆだね、安全もコスト計算もまかせる供給者主導から、電気を使う側が自ら考え、選べる消費者主導に移す必要もある。
地域住民の意思をどうまとめ、新しいエネルギー自治の先例につなげるか。地方からの変革を重んじる橋下市長には、先頭に立って住民や企業に理解を求め、創意工夫に満ちた対策を繰り出してもらいたい。


(2012年4月13日の朝鮮日刊新聞社説)

この社説には「再生可能エネルギーで脱原発依存」の卑劣で邪悪な本性が見事なまでに表れてるな。

1月26日の投稿で紹介した2012年1月22日の朝鮮日刊新聞社説は何て書いてた?
「住民投票こそが、この『設計図』を市民がみずからの問題としてとらえ、考えていくきっかけになるはずだ。原発の行く末をみんなで考える。そのための住民投票をするには、もっと署名が要る」と言い立てただろ。
けど、異心の会は住民投票を否決したな。
だったら、「喋るセシウム」こと大阪屍長を批判するはずだろ。
ところが、あべこべに「その思いには強く共感する」と言い放ったんだね。

福島原発事故では「原発から100キロ圏外」でも汚染されてるのに、なぜ「原発から100キロ圏内」なの?
「原発から100キロ圏内」はこれだね。

「100キロ圏内」はちょうど大阪市まで。
昨年までは大阪腐恥事だったくせして、大阪府民は置き去り。
「府・市民の協力が不可欠である」などと言いながら、そのことを批判するどころか、あべこべに「地方からの変革を重んじる橋下市長」などと称賛。
原発住民投票の時も全く同じだったな。
「府・市民の協力が不可欠である」ならば、大阪府民全体を対象にすべきなのに、原発住民投票は大阪市民だけを対象にしてた。
にもかかわらず、2012年1月22日の朝鮮日刊新聞社説はそのことを批判するどころか、あべこべに「リーダーの発信ぶりの違いも大きい」などと言い放って「喋るセシウム」を称賛した。
「原発の行く末をみんなで考える」は欺瞞だったことが露呈したな。
3月28日の投稿で指摘したとおり、原発住民投票の目的は「喋るセシウム」を偉大な指導者に見せかけることだった、ということ。
だからこそ、批判するどころか、あべこべに称賛してるんだね。

2011年4月26日の投稿8月6日の投稿、及び、1月5日の投稿で紹介したとおり、原発が無くても電力は足りてる。
また、2011年8月30日の投稿で紹介したとおり、関西でも電力は足りてる。
そして、3月28日の投稿で紹介したとおり、もう直ぐ全原発は停止する。
であるから、「脱原発依存を前に進めるには、再生可能エネルギーの利用を増やす」必要など全く無い。
たとえ、将来的に火力を「再生可能エネルギー」で代替していくとしても、原発を無くすという当面の目標に「再生可能エネルギー」は関係ない。
であるから、「脱原発依存を前に進めるには、再生可能エネルギーの利用を増やす」という台詞とは全く逆に、実のところ「再生可能エネルギーの利用を増やすことが大事」なのであり、そのために「脱原発依存を前に進める」と嘯いているにすぎないことは明らかだろ。

一方、2011年8月14日の投稿で紹介した2011年6月6日の朝鮮日刊新聞社説が「『地震国日本にふさわしい発電様式を、福島において研究、発展させるべきである』という玄侑宗久さんや、東北を太陽光発電のベルト地帯とする内館牧子さんの構想も魅力的だ」と、つまり、東北を「再生可能エネルギー」の拠点にしようと言い張り、さらに、2011年9月11日の投稿で紹介した2011年9月5日の朝鮮日刊新聞社説が「地域に偏在する自然エネルギー電力を東京や関西の大消費地に送るように送電網の運用を変えれば」と言い立て、その挙句に、3月25日の投稿で紹介したとおり、福島の温泉旅館が地熱発電に反対すると、邪魔立てするのは怪しからん、と罵っていたわけだから、「発電施設を集中立地型から分散型へ転換しなければならない」も欺瞞にすぎないことは明らかだな。

「発電施設を集中立地型から分散型へ転換しなければならない」から「電気を使う側が自ら考え、選べる消費者主導に移す必要もある」と言い立ててるけど、3月20日の投稿で解説したとおり、「選べる消費者主導」は全くの詭弁。
百万歩譲って「脱原発依存を前に進めるには、再生可能エネルギーの利用を増やすことが大事」だとしても、それならば、3月20日の投稿で指摘したとおり、「再生可能エネルギーの利用を増やすこと」を電力会社に義務づければ済むこと。
つまり、規制強化を進めるべきであり、それこそを「消費者主導」で進めるべき。
やはり、「供給者主導から、電気を使う側が自ら考え、選べる消費者主導に移す必要もある」が詭弁にすぎないことは明らかだな。

「脱原発依存を前に進めるには、再生可能エネルギーの利用を増やすことが大事」も真っ赤な左翼の嘘
「発電施設を集中立地型から分散型へ転換しなければならない」も真っ赤な左翼の嘘
「地域の電力供給を1社にゆだね、安全もコスト計算もまかせる供給者主導から、電気を使う側が自ら考え、選べる消費者主導に移す必要もある」も真っ赤な左翼の嘘
ならば、「再生可能エネルギーで脱原発依存」の本当の目的は何か?

上で述べたとおり、原発が無くても関西でも電力は足りてるにもかかわらず、「この夏はまず、節電意識を高め、広げていくことが大切だ」と言い立てたわけで、その台詞と2011年9月11日の投稿で紹介した2011年7月13日の朝鮮日刊新聞社説における「需給に応じて変動する電気料金にすれば、節電を促すことにも役立つ」という台詞を考え合わせれば、「需給に応じて変動する電気料金にする」ことが「再生可能エネルギーで脱原発依存」の本当の目的に他ならないことは明らかだな。
1月5日の投稿で紹介した2011年12月14日の朝鮮日刊新聞社説でも「ピーク時の料金を高くするなど料金体系が多様化できる」と言い立ててたんだね。
「ピーク時の料金を高くする」のは「安全もコスト計算もまかせる供給者主導」以外の何物でも無く、であるから「安全もコスト計算もまかせる供給者主導から、電気を使う側が自ら考え、選べる消費者主導に移す必要もある」が、「地域の電力供給を1社にゆだね」ている体制を破壊して電力自由化を推し進めるための詭弁にすぎないことは明らかだろ。

小泉エセ改革は我国の社会基盤を市場原理主義で塗り潰そうと図ったけれど、塗り残された領域の一つが電力。
既存の電力会社を解体し、電力も市場原理主義で塗り潰す。
これが「再生可能エネルギーで脱原発依存」の目的。
3月8日の投稿3月26日の投稿で紹介したとおり、「再生可能エネルギー」で安定した電力は供給できない。
原発が無くても電力は足りてるのに、「脱原発依存を前に進めるには、再生可能エネルギーの利用を増やすことが大事」と言い張る理由は正にそれ。
発電できる時は高値買い取りで利を貪り、発電できなくても「需給に応じて変動する電気料金にすれば」利を貪れる、と。
もちろん、国民が貢がされる。
貢げない貧乏人は熱中症で死ね、と。
だからこそ、東電から甘い汁を吸い続けてきた(2011年8月18日の投稿9月11日の投稿参照)くせに、上から目線で「市民に一定の不便を受け入れる覚悟をもってもらう」などと言い放ったんだな。

本来ならば、「脱原発依存を前に進めるには」本当に「再生可能エネルギーの利用を増やすことが大事で、発電施設を集中立地型から分散型へ転換しなければならない」のかどうかということから「電気を使う側が自ら考え」ねばならないはずだけれど、実は「電気を使う側が自ら考え」ては困るんだな。
原発が無くても電力は足りているのだから、そのことを「電気を使う側が自ら考え」るならば、「脱原発依存を前に進めるには、再生可能エネルギーの利用を増やすことが大事」が詭弁にすぎないこと、であるから、電力自由化で国民から収奪するための「再生可能エネルギーで脱原発依存」であることに気づくはず。
けど、それは都合が悪い。
国民を欺いて「脱原発依存を前に進めるには、再生可能エネルギーの利用を増やすことが大事」と思い込ませねばならない。
「電気を使う側が自ら考え、選べる消費者主導に移す」ための電力自由化であると思い込ませねばならない。
そして、それを実現するために「喋るセシウム」を利用する。
だからこそ「橋下市長には、先頭に立って住民や企業に理解を求める」んだね。

もちろん、これは朝鮮日刊新聞に限ったことじゃない。
「再生可能エネルギーで脱原発依存」を喚き立てている輩は皆、朝鮮日刊新聞と同じ穴の狢。
その最大の証が大穢健三郎。
4月3日の投稿で指摘したとおり、大穢は「私が最も絶望させられたのは、電力会社、政府の役人、政治家、メディア関係者が結託して放射能の危険を隠すために行った『沈黙による陰謀』とも呼ぶべき行為です」などと嘯きながら、その実は、チョンコロ韓直人、そして、東電から甘い汁を吸い続けてきた朝鮮日刊新聞と見事に歩調を合わせていた。
もちろん、朝鮮日刊新聞と同じ穴の狢の「再生可能エネルギーで脱原発依存」派は異心の会と同類。
その最大の証が夷罠深書店。
夷罠深の「世界」は、1月30日の投稿で紹介したとおり、片や「喋るセシウム」を批判めかしつつ、2011年8月30日の投稿で紹介したとおり、片や「喋るセシウム」とガッチリ腕を組んだ「虚人」=飯田哲也を時代の旗手のごとくに持ち上げてた。
また、不肖私めが「虚人」のネオリベ性と反民主性に警鐘を鳴らしたにもかかわらず、2011年9月3日の投稿で紹介したとおり、「kojitaken」と名乗る飯田哲也信奉者は捨て台詞を吐き散らした。
結局のところ、「虚人」を介して「喋るセシウム」を応援してるんだな。
これが「再生可能エネルギーで脱原発依存」派の破廉恥な正体。

そもそも「覚悟をもってもらう」だの「住民や企業に理解を求め」だのということは、「電気を使う側が自ら考える」以前に電力自由化という結論が設定されているということであり、国民はその結論を受け容れるだけでいい、ということに他ならず、民主主義とは相容れないのであり、従って「自治」とも相容れない。
また、事実を知ることが「電気を使う側が自ら考える」大前提なわけだけど、原発が無くても電力は足りているにもかかわらず「計画停電もあり得ると腹を決めれば、電力供給体制を変えられる1歩になる」となどと嘘を吐いて大阪府民・市民を欺いたのであり、それも民主主義・自治と相容れない。
つまり、ファッショ。

卑劣で邪悪で狡猾極まる「再生可能エネルギーで脱原発依存」派は、「電気を使う側が自ら考え、選べる消費者主導に移す」ための電力自由化であると吹聴して国民を欺き、「住民や電力利用者の目線で反映させた」だの「地方からの変革を重んじる橋下市長」だのと吹聴して「喋るセシウム」を民主主義の旗手に偽装し、「喋るセシウム」を利用して新自由主義に根ざした構造改革路線を推し進め、且つ、民主主義を葬り去ろうと企んでいるんだな。
「地域住民の意思をどうまとめ、新しいエネルギー新自由主義の先例につなげるか」とは、実のところ、「地域住民の意思をどう誘導し、新しいファシズムの先例につなげるか」ということなのよ。
「大阪発で変えてみては」とは、「再生可能エネルギーで脱原発依存」を煽り立てることによって「喋るセシウム」を国家の指導者に仕立て上げ、「大阪発で民主主義社会をファシズム国家に変えてみては」ということなのよ。

民主主義を守るため、橋の下でファシズム肯定円舞曲を踊り狂う「再生可能エネルギーで脱原発依存」派を駆逐せよ!

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