東京の声を聞きなさい、おおい町の田舎者たちよ

ドニゼッティ「愛の妙薬」より「聞きなさい、田舎者たちよ」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

前回の投稿では2012年7月4日の朝鮮日刊新聞社説を採り上げたけど、それは2本目の社説で、1本目の社説はこんなこと書いてた。


反原発デモ―音ではなく、声をきけ
関西電力・大飯原発の再稼働に、多くの人々が首相官邸前や原発周辺などに集まって反対の声を上げた。
官邸前のデモについて野田首相は、「大きな音がしますね」と漏らしたという。
賛否が分かれる問題では、どちらを選んでも反対の声は上がる。いちいち耳を傾けていたら物事を決めたり、進めたりできない。人々の声を音と表現する背景に、そうした意識があるなら、思い直してもらいたい。
党派に属さず、これまでデモや集会に参加したこともない。参加者にはそんな普通の生活者が多い。幅広い層が瞬時に呼応して集まり、ゆるやかにつながる。米国や中東でも見られたネット時代ならではの現象だ。
思いは真剣だ。2歳の子を抱いて福井県おおい町の反対行動に加わった滋賀県の女性(43)は「いてもたってもいられずに来ました」と話した。
日本ではなりを潜めていた大規模デモや集会が、福島第一原発の事故後に相次いでいる。それは、選挙を通じた間接民主主義が民意をきちんとくみとれない現実を映し出してもいる。
「誰だって機動隊と向き合いたくなんかありません」と、官邸とおおい両方に行った大学生の女性(19)。「関西電力や首相と直接話す機会があれば、みんなそちらを選びます」
大阪市と東京都の議会は、原発の是非を問う住民投票の条例案をあっさり否決した。永田町では2大政党がともに再稼働を支える側にいる。そんななか、多くの人々が自分たちの意見が行き場を失わないよう、街頭に集まり、声をあげている。ルールを守れば、デモも集会も民主主義への大事な参加方式だ。
それを、政治家や省庁が相変わらず「反対のための反対」としか見ないなら、政治や行政への不信は増幅されるだろう。
原子力政策で国民的論議をめざす野田政権にとって、「音」ではすまない動きが今、目の前で起きている。むしろこの動きを、既存の政治回路ではとらえ切れない声を直接聴く仕組みづくりにつなげるべきである。
反原発の側も、その動きを実際の政策の変化につなげる試みを強めてはどうだろう。
「原発停止で電気料金があがっても、これくらいなら受け入れる」「節電をもっと進めるから、リスクの高い原発から廃炉に」といった話を、地域や集会などでもっと積み重ねる。その成果を束ねて、政府や電力会社に異論の声を届ける。
そうしてこそ、声は、政策への影響力を高められる。


(2012年7月4日の朝鮮日刊新聞社説)

6月29日の投稿で紹介したとおり、おおい町民は「再稼働せんなら大阪でも東京でも原発を持って行ってほしい」と訴えてたんだね。
その「思いは真剣」なのよ。
再稼動に反対するなら、おおい町民を説得し納得させることが先決だろ。
「いてもたってもいられずに来ました」と言ってるけど、「いてもたってもいられない」のはおおい町民も同じなの。
あんたはそのことを理解してるの?
「関西電力や首相と直接話す機会があれば、みんなそちらを選びます」 と言ってるけど、あんたは「おおい町民と直接話す機会」をもったの?
話したことないだろ!
「関西電力や首相と直接話す」とは、実のところ、「おおい町民とは向き合いたくなんかありません」ということだろ!

「多くの人々が自分たちの意見が行き場を失わないよう」なんて言い立ててるけど、おおい町民の意見は既に行き場を失ってるんだね。
にもかかわらず、デモに対してだけ「思いは真剣だ」と言い立てるのは、おおい町民はクズだ、バカだ、と蔑む以外の何物でも無い。
「そうした意識があるなら、思い直してもらいたい」などと嘯いてるけど、「おおい町の田舎者たちの声にいちいち耳を傾けていたら物事を決めたり、進めたりできない」と思ってるのはテメエらだろ!
そのような意識こそが福島やおおい町に原発を押しつけたんだな。
6月29日の投稿で指摘したとおり、こいつらは、原発を押しつけるのも我々が決める、放射性廃棄物中間貯蔵施設を押しつけるのも我々が決める、「おまえたち(=おおい町民)は黙っていろ」と「声をあげている」だけ。
そんなものは「民主主義への大事な参加」でも何でもないんだよ!

このデモは「反対のための反対」どころか、実のところ、権力と一体化した策動にすぎない。
これを見ろ!


脱原発署名「ずっと続く」 大江さん、大飯再稼働に反対
2012年6月7日9時53分
「脱原発」への政策転換を求めて全国で進められている署名運動「さようなら原発1000万人アクション」の実行委員会は6日、東京・日比谷で開いた集会で、5月末までに約722万人の署名が集まったと報告した。近く野田佳彦首相に提出し、関西電力大飯原発の再稼働反対などを訴える。
署名は作家の大江健三郎さんや作曲家の坂本龍一さんらが呼びかけ、昨年5月から募ってきた。署名の一部は海外からも寄せられているという。
この日の集会には約2300人が参加。壇上に立った大江さんは「再稼働に対し、自分たちのやり方で抵抗するしかないが、署名運動は根本的な力を持ち、ずっと続いていく。『3・11』の後の私たちの生き方をしっかりとつくっていく」と呼びかけた。
集会後は参加者たちが銀座などをデモ行進した。実行委員会は、7月16日には都内で10万人規模の集会を予定している。(澄川卓也)


(朝日新聞デジタル)

官邸前デモを呼びかけた連中も署名したに違いないけど、2011年10月3日の投稿で紹介したとおり、「さようなら原発1000万人アクション」は、実のところ、「自然エネルギー中心の社会を求める全国署名」だったんだね。
6月24日の投稿で紹介したとおり、「原発の是非を問う住民投票」に参画した山本太郎もデモに参加してたけど、奴の「脱原発」も「自然エネルギー」のことだった。
ところが、3月8日の投稿3月25日の投稿で紹介したとおり、現政権は自然エネルギーを推し進めている。
そして、6月24日の投稿で紹介したとおり、「いちいち耳を傾けていたら物事を決めたり、進めたりできない」とばかりに、買い取り価格を一方的に決めた。
6月2日の投稿で紹介したとおり、「いちいち耳を傾けていたら物事を決めたり、進めたりできない」とばかりに、電力自由化を一方的に決めた。
大穢健三郎は「自分たちのやり方で抵抗するしかない」とか嘯いてるけど、そして、山本太郎も「この声が聞こえないなら、(首相は)即刻退場すべきだ」と喚いてたけど、実のところ、現政権は大穢健三郎や山本太郎らの援護を受けて自然エネルギーを推し進めてるんだね。
6月14日の投稿で紹介したけど、大穢健三郎が「私が最も絶望させられたのは、電力会社、政府の役人、政治家、メディア関係者が結託して放射能の危険を隠すために行った『沈黙による陰謀』とも呼ぶべき行為です」と言いながらチョンコロ韓直人と平然と握手した理由は、もはや明らかだな。

「自然エネルギーで脱原発」が権力側の策動にすぎないことをさらに裏づけるのが、他でもない、「いてもたってもいられずに来ました」「関西電力や首相と直接話す機会があれば、みんなそちらを選びます」と言った二人の女性。

東京の「普通の生活者」がおおい町でのデモに参加するはずが無いだろ。
まして、東京や福井県以外の「普通の生活者」がおおい町に行ったり東京に来たりするはずがないだろ。
死餓県に在住しながら両方のデモに参加しているのは、「普通の生活者」ではなく、環境NPOの活動家に違いない。
「参加者にはそんな普通の生活者が多い」のであれば、しかも、20万人も集まったというのであれば、無作為にインタビューして環境NPOの活動家に行き当たるはずがないのに、両方のデモに参加した人を紹介しているのはあまりにも不自然で、であるから、あらかじめ環境NPOと接触していたことは明らかだな。
もちろん、その環境NPO自体が官邸前デモを主催した組織の呼びかけに応じて参集したに違いないから、官邸前デモを主催した組織自体が朝鮮日刊新聞と接触していたことも明らかだな。
けど、2011年8月18日の投稿9月11日の投稿で紹介したとおり、朝鮮日刊新聞こそ原発推進広告を垂れ流して東電から甘い汁を吸ってきた張本人。
にもかかわらず、官邸前デモを主導した連中が朝鮮日刊新聞とツーカーだったということは、デモが自然エネルギー・電力自由化を推し進めようと図る勢力による策動にすぎないことを露呈しているんだね。

「幅広い層が瞬時に呼応して集まり、ゆるやかにつながる」などと嘯いてるけど、デモに参加した連中は、自然エネルギー・電力自由化を正当化するために利用されているだけ。
7月4日の投稿で指摘したけど、「人々がいかに権力機構の中に構成されるかをめぐる政治闘争」という意味において、このデモは正に「ポピュリズム」。
たとえ「思いは真剣だ」としても、おおい町民を思い遣る気持ちが無ければ、権力機構に組み込まれてしまうのよ。

このデモが「ポピュリズム」に他ならないことは、「原発停止で電気料金があがっても、これくらいなら受け入れる」「節電をもっと進めるから、リスクの高い原発から廃炉に」という台詞にハッキリと見て取れる。
前回の投稿で採り上げた同じ日の2つ目の社説が「原発を利用せずにすむなら、多少高くても自然エネルギーを選ぶという消費者も少なくないだろう」と言い立てていたことから判るとおり、「原発停止で電気料金があがっても、これくらいなら受け入れる」というのは自然エネルギー高値買い取りに他ならず、であるから、デモを利用して自然エネルギーに導こうとしていることは明らかだな。
一方、2011年9月11日の投稿で採り上げた2011年7月13日の朝鮮日刊新聞社説が「需給に応じて変動する電気料金にすれば、節電を促すことにも役立つ」と言い立てていたことから判るとおり、「節電をもっと進めるから」というのは、「需給に応じて変動する電気料金」=「ピーク時の料金を高くする」こと。
であるから、3月20日の投稿6月2日の投稿で解説したとおり、「ピーク時の料金を高く」して、貧乏人が熱中症で倒れるのを尻目に、自然エネルギー屋が利を貪るような社会を創り上げるために、デモを煽っていることは明らかだな。

2011年4月26日の投稿8月30日の投稿2012年1月5日の投稿、そして、7月2日の投稿で紹介したとおり、原発が無くても電力は足りている。
にもかかわらず、2011年8月6日の投稿2012年4月18日の投稿、そして、5月18日の投稿で紹介したとおり、権力側は電力不足を喚き立て、「節電」を煽り立ててきた。
嘘を垂れ流して、国民を欺き、国民を脅し、国民の側から「これくらいなら受け入れる」だの、「節電をもっと進めるから」だのと嘆願させようとしてるんだな。
つまり、国民自身に国民抑圧・国民収奪を要望させる。
国民抑圧・国民収奪を「民主主義への大事な参加」にしてしまう。
これが「自然エネルギーで脱原発」の目論見。
デモを主導した連中の目論見。
「むしろこの動きを、既存の政治回路ではとらえ切れない声を直接聴く仕組みづくりにつなげるべきである」とは、6月27日の投稿で解説したとおり、民主主義の「回路」を断ち切るということに他ならないんだね。

上で紹介したとおり、大穢健三郎は「『3・11』の後の私たちの生き方をしっかりとつくっていく」などと言い放ったけど、何の権限があって、そんな高言が吐けるのだ!
誰がテメエに「生き方をつくってほしい」って頼んだんだ!
この高言を吐いた時、大穢健三郎はこんな面してた。

「原発停止で電気料金があがっても、これくらいなら受け入れる」から、「節電をもっと進めるから」、「偉大なる首領様、私たちの生き方をしっかりとつくってください」と、700万人以上の国民から要請されたと思い上がり、勝ち誇ってるんだな、大穢健三郎は。
つまり、大穢健三郎は国民を上から見下し、権力側の人間として振舞っているわけ。

4月3日の投稿で紹介したとおり、大穢健三郎は、おフランス野郎とは話し合うけど、「おおい町の田舎者たちの声にいちいち耳を傾けていたら物事を決めたり、進めたりできない」と思ってる。
だからこそ、「私たちの生き方をしっかりとつくっていく」と高言した。
だからこそ、勝ち誇ったような面をした。

もう一度言うけど。
「おおい町の田舎者たちの声にいちいち耳を傾けていたら物事を決めたり、進めたりできない」と思ってるくせに、あべこべに「そうした意識があるなら、思い直してもらいたい」などと嘯くような輩の煽り立てる「脱原発」は、実のところ、権力側と一体化した策謀にすぎないんだよ。

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