脱原発デモという名のストリップショー

リヒャルト・シュトラウス「サロメ」より「7つのヴェールの踊り」その1

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

朝鮮日刊新聞は、8月2日の投稿で採り上げた社説でも、「官邸前デモ」主催者らを民主主義の旗手のように持ち上げてたけど、またもや、こんな社説を書いてる。


首相との対話―開かれた政治の一歩に
両者の溝は埋まらなかった。それでも意義は小さくない。
首相官邸前で「脱原発」を求める抗議行動の主催者らが、きのう官邸内に招かれ、野田首相に会って抗議した。
経済団体や労働組合に属さぬ「組織されない市民」が首相に直接訴えるのは異例だ。これまでの政治の意思決定の仕方や、政治文化を変える可能性をはらんでいる。評価したい。
20分の予定は30分に延びた。だが、中身は平行線だった。
主催者の市民らの要求は(1)大飯原発の再稼働中止(2)全原発を再稼働させない(3)全原発廃炉への政策転換(4)原子力規制委員会の人事案の白紙撤回、だ。
主催者らは口々に訴えた。原発がとまっても電力は足りている。大飯には活断層の存在が疑われ、危険だ……。
首相は、中長期的に原発依存を改めるとの政府方針を説明したが、それ以上の歩み寄りはなかった。「ほとんど承服しかねる」が、主催者らの返答だ。
溝は深かった。
それにしても、もっと時間をとり、首相の口から説明を尽くすべきだった。そうすれば、意義はより大きくなった。
むろん、主催者たちは民意を広く代表するわけではない。抗議行動の場を提供しているが、参加者の代表とも言いがたい。
しかし、面会の模様はネットで生中継され、数多くの市民がみた。それは、首相と市民とをつなぐ新たな回路の役割を果たしただろう。
市民の抗議は、再稼働だけに向けられているわけではない。
それを決めた意思決定の仕組みと、民意を代表すると想定されている間接民主主義の機能不全への異議申し立てだ。
ものごとを政治家と既得権を持つ組織の代表や一部の専門家で決め、ふつうの市民はかかわりにくいのが、従来の「ムラ社会」型の意思決定の仕組みだ。
典型が電力であり、「原子力ムラ」による政策決定だ。
電力会社の利益が優先され、自分たちの安全が軽んじられるのではないか……。
不信はそこに根ざしている。
組織されない市民の声を、どう政策決定に組み込むか。エネルギー政策の意見を聞く討論型世論調査は試みのひとつだが、ほかにも様々な回路を開かなければならない。
今回のような面会も、一回で終わらせず、次の機会を持つべきだ。今度は抗議だけに終わらせず、胸襟を開いた対話と呼べるものにしよう。
これを、開かれた政治への一歩とすべきである。


(2012年8月23日の朝鮮日刊新聞社説)

けど、コヤツらを持ち上げれば持ち上げるほど、「脱原発デモ」の破廉恥な正体が露呈するだけ。

「原発がとまっても電力は足りている」から「(1)大飯原発の再稼働中止(2)全原発を再稼働させない(3)全原発廃炉への政策転換」を主張するのであれば、前回の投稿でも指摘したとおり、チョンコロ孫不正義が濡れ手に粟の利を貪ることにしかならない自然エネルギー高値買い取りを批判するべきだろ。
しかも、原子力規制委員会は再稼動を前提にしているのだから、「原子力規制委員会の人事案の白紙撤回」などと言うのは本末転倒。
つまり、「(1)大飯原発の再稼働中止(2)全原発を再稼働させない(3)全原発廃炉への政策転換」という主張が本物ならば、(4)は「原子力規制委員会の人事案の白紙撤回」ではなく、「自然エネルギー高値買い取りの白紙撤回」のはずなのよ。
けど、それだけは口が裂けても言わない。
既に7月9日の投稿7月17日の投稿7月25日の投稿7月28日の投稿7月30日の投稿、そして、8月11日の投稿で指摘してきたけど、やっぱり、「脱原発デモ」は自然エネルギー・電力自由化を推し進めるための翼賛運動にすぎないんだね。

「主催者たちは民意を広く代表するわけではない。抗議行動の場を提供しているが、参加者の代表とも言いがたい」などと嘯いてるけど、コヤツらはこんなこと言ってた。


脱原発団体、首相面会は「パフォーマンス」
2012年8月22日 20時03分
脱原発を求めて官邸前抗議行動を呼び掛けている市民団体の代表メンバーらは22日、野田佳彦首相との面会後、記者会見し「面会はパフォーマンス」と切り捨てた。
スポークスマン役のミサオ・レッドウルフさんは「国民の8割は脱原発を求めているのに、国会議員には反映されず、間接民主制は機能していない。最近ようやく同調してくれる議員が出てきた」と抗議行動の意義を強調した。
だが「面会時間は五輪選手と比べると相当短く、パフォーマンス。政局絡みの可能性もある。われわれの要求も首相の心に響かなかった」と憤った。


(共同)

「国民の8割は脱原発を求めているのに」という言い草は、「主催者たちは民意を広く代表する」と言う以外の何物でも無いわけで、デモ参加者の代表どころか、国民の代表を気取っているんだな、コヤツらは。
けど、「国民の8割は脱原発を求めている」の根拠は何か?
8月7日の投稿で紹介した「二〇三〇年のエネルギー選択のシナリオ」に基いた世論調査が根拠ならば、それは「(1)大飯原発の再稼働中止(2)全原発を再稼働させない」と矛盾している。
前回の投稿で紹介した「パブリックコメント」が根拠ならば、確かに「国民の8割は脱原発を求めている」けど、それは「即時原発ゼロ」だから、上で述べたとおり、自然エネルギーを批判しないのは矛盾している。

6月24日の投稿で紹介したとおり、自然エネルギー買い取りは、国民を排除し、チョンコロ孫不正義と植田和弘らだけによって決められた。
「二〇三〇年のエネルギー選択のシナリオ」も、自然エネルギーを推進しようと図る専門家(もどき)と政治家によって、一方的に決められた。
であるから、「市民の抗議は、再稼働だけに向けられているわけではない。それを決めた意思決定の仕組みと、民意を代表すると想定されている間接民主主義の機能不全への異議申し立てだ」ならば、「間接民主制は機能していない」と言い張るのであれば、当然、自然エネルギーにも「異議申し立て」するはずなのに、それだけは決してしない。

やっぱり、「官邸前デモ」は「国民の8割は脱原発=自然エネルギーを求めている」と見せかけるための「パフォーマンス」であり、デモ主催者は権力の回し者にすぎないんだね。
国民の代表を気取っているにもかかわらず、それを批判するどころか、「今回のような面会も、一回で終わらせず、次の機会を持つべきだ。今度は抗議だけに終わらせず、胸襟を開いた対話と呼べるものにしよう」などと持ち上げるのは、コヤツらが権力の回し者だから。

コヤツらのアホ面を見れば明らかだな。

権力と対峙する人間はもっとキリッとした顔をしてるもんだ。
こんな腑抜けた顔した連中に問題意識などあろうはずが無いんだね。

自然エネルギーは「ものごとを政治家と既得権を持つ組織の代表や一部の専門家で決め、ふつうの市民はかかわりにくい」の典型であるにもかかわらず、「典型が電力であり、『原子力ムラ』による政策決定だ。電力会社の利益が優先され、自分たちの安全が軽んじられるのではないか……。不信はそこに根ざしている」と喚き立てるのは、「チョンコロ孫不正義の利益が優先され、自分たちの安全が軽んじられるのではないか」という「不信」を抱かせないようにするために、国民の目を「原子力ムラ」に向けさせようと図る「パフォーマンス」にすぎないんだね。
「組織されない市民の声を、どう政策決定に組み込むか」とは、国民を「どう権力側に組み込むか」という意味なのよ。
この真実を覆い隠すために「これを、開かれた政治への一歩とすべきである」などと嘯いてるんだな。

だいたいな~、「レッドウルフ」って、そりゃ、何だ?
芸名か?
カタカナ英語を名乗るような輩が国民の代表面してしゃしゃり出て来ること自体が、お笑いであり、権力側の狗にすぎないことを露呈してるぞ。

で、「ミサオ・レッドウルフ」でググってみたら、ホームページがあった。

なんだよ~、ストリッパーじゃん。

あんた、ね~。
いくら「脱ぐ」のが仕事だからって、「脱原発」にまで首突っ込まなくてもいいんじゃない?

リヒャルト・シュトラウス「サロメ」より「7つのヴェールの踊り」その2

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