御前崎市民は静かに、静かに

ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」より「静かに、静かに」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

「左翼」がまたもや、民主主義なんか葬り去れ~~~、と喚き立てているようだな。


静岡原発条例―県民投票で再稼働問え
浜岡原発再稼働の是非を問う県民投票を実現する条例案が、静岡県議会に提案された。
市民団体が必要数の3倍近い16万余の署名を集め、川勝平太知事に条例制定を求めた。知事は県議会で「意思を表明し、県政に直接反映させたいという思いの表れであり、重く受け止める」と賛意を表明した。
知事の判断を支持する。県議会は、再稼働をめぐる初の県民投票を実現させるべきだ。
原子力のゆくえを地域の人々の意思で左右することには、反対意見も根強い。実際、東京都と大阪市で再稼働をめぐる投票の請求があったが、いずれも議会で否決された。
原発が止まれば電気代が上がる。経済や雇用、安全保障など幅広い分野に影響が及ぶ。地域の人々がそこまで見越して判断ができるのか? 一時のムードに流されないか?
住民投票にそうした限界がつきまとうという指摘は、必ずしも的外れとはいえまい。
それでも意義は大きい。静岡県議会で、署名を集めた市民団体の5人の代表は、次のように説いた。
「専門家や政治家に任せろといっても、彼らが危険性を軽視して事故になった。原発は先々の世代の生命や生活をも左右する。いま権力を握る人には背負いきれない重い問題だ」
「事故が起きたら、結果は住民が受け入れざるをえない。真剣に考え、責任も引き受けることが、事故を経験した私たちの使命だ
選挙で代表を選ぶ間接民主主義を否定するわけではない。だが、代表に任せたらうまくいくとは限らない。生活に深くかかわるテーマで直接、民意を問うことは、その限界を補うことになる。投票する市民が当事者として悩み、判断することじたいに意味がある。
条例案は投票結果の尊重を求めているが、法的な拘束力はない。川勝知事は「安全性が最優先だ。仮に9割の方が『原発を動かす』と言ったら、私は『いまは動かせない』という判断なので9割の方にご説明する。説明義務が大きくなる」という。
現実は複雑だ。是か非かの二者択一で示される投票結果のとおりにならないことも起こりうる。それでも民意と向き合い、その末に下した結論について、次の選挙で審判を受ける。
そんな政治と有権者の緊張関係が生まれてこそ民主主義は機能する。
もし民意に縛られるのを嫌って聴かないなら、それは間接民主主義の奢(おご)りではないか。


(2012年9月21日の朝鮮日刊新聞社説)

原発を地方に押しつけてきた東京や大阪の住民投票は、原発を押しつけるのも、原発を停めるのも、我々に決める権利があると言い張るエゴ以外の何物でも無いけれど、静岡は原発立地県だから、東京や大阪と同一には論ぜられない。
しかし、御前崎市民は再稼動を容認したんだね。


この国と原発:第5部・立ちすくむ自治体/2 再稼働否定し大敗
◇雇用まで喪失「困る」
ふたを開ければダブルスコアに近い大差だった。中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の「再稼働認めず」を掲げ、同市長選に出馬した元市議の水野克尚(かつひさ)氏(58)。予想外の大敗が決まった今月15日夜、事務所に集まった支援者を前に悔しさをにじませた。
浜岡原発は東海地震の想定震源域のほぼ真上に立地。重大事故を危惧する菅直人前首相の要請で昨年5月、全ての炉が止まった。
御前崎市は歳入の約4割を原発関連マネーに依存。首長は原発共存派が務め、選挙も無風が続いていた。今回も当初は「国の方針を検討し、市民の意見を聞いてから再稼働の是非を判断する」と訴えて当選した現職の石原茂雄氏(64)と水野氏の主張に大きな差はなかった。
ところが先月末、内閣府の有識者検討会が、地震の際に御前崎市で想定される最大津波高を21メートルと発表したことで流れが変わる。浜岡原発で工事が進む防波壁の高さは海抜18メートル。水野氏は「任期中の再稼働は認めない」と踏み込み、原発が争点に急浮上した。
「正直な話、手応えはすごく良かった」と水野氏は言う。出陣式に民主、自民両党の国会議員5人や県議、市議らがこぞって姿を見せた石原氏陣営の組織力は際立っていたが、街頭に出れば、主婦が「頑張って」と手を振りながら家を飛び出してきた。若者や子供のいる女性ら原発に不安を持つ層を取り込めたように思え、最後まで接戦を信じていた。
だが、結果は石原氏の1万2018票に対し6840票。「水野が当選すれば仕事がなくなり市がさびれる」という話が出回り、支持者から「仕事がないと困る。申し訳ないが応援できない」との連絡が数件あったと、後に陣営幹部から聞いた。水野氏は「社会状況の変化で再稼働すべき時がくれば選挙で民意を問うつもりだった。私の説明不足だった」と振り返る。
石原氏に投票した民宿関係者は「原発は怖い。でも原発と一緒に雇用までなくなっては困る」と話す。水野氏の選対幹部は声を落とした。「結局、市民は命より金を選択したということでしょ
原発立地自治体では、こうした選挙戦は異例だ。東京電力福島第1原発の事故後も原発は争点化していない。
御前崎市長選の2日後の17日、関西電力高浜原発のお膝元で告示された福井県高浜町長選は、原発容認派で現職の野瀬豊氏(51)が前回に続いて無投票当選した。野瀬氏は「いたずらに引き延ばすことなく再稼働することが必要」との立場。町の収入の6割を原発関連が占めており、祝勝会で花束を手にバンザイした野瀬氏は「今後は減少の方向に進むだろうが、原発を堅持することが町のためになる」と強調した。
北海道電力泊原発を抱える北海道泊村では今年1月10日、原発との「共存共栄」を掲げる牧野浩臣氏(65)が32年ぶりの無投票で再選された。事務所には「祈必勝」などと書かれた民主、自民両党の地元道議らの「為書(ためが)き」が張られ、相乗りを象徴。原発の是非論が高まる中、かえって村が一つにまとまった。後援会幹部は「危険性を知った今も、住民の多くは原発がなければ暮らせないと思っている」と話した。


(毎日新聞 2012年04月24日 東京朝刊)

御前崎市民も「原発は怖い」。
「でも原発と一緒に雇用までなくなっては困る」と言ってんだよ。
雇用が無くなれば、子供を養えない。
それどころか、雇用が無くなれば、若者は結婚もできない。
御前崎市民は「先々の世代の生命や生活をも左右する」からこそ、再稼動を選択したんだね。
高浜町民も泊村民も同じ。
その苦渋の選択をも理解せずに、県民投票で御前崎市民の民意を捻じ伏せようとする輩は、「御前崎市民は命より金を選択したということでしょ」と見下しているんだな。

民主主義とは何か?
少数の民意を尊重することが民主主義。
多数決は民主主義でも何でもない。
もちろん、御前崎市長選で対立候補に投票した「6840票」も民意であり、それも尊重しなければならない。
だから、再稼動を阻止するにしても、まず、御前崎市民を納得させねばならない。
にもかかわらず、「御前崎市民は命より金を選択したということでしょ」と見下すような輩は、御前崎市民との対話を拒絶しているのであり、民主主義とは相容れない存在にすぎない。
「市民団体」とか名乗ってるけど、コヤツらは市民の敵。
何が「真剣に考え、責任も引き受けることが、事故を経験した私たちの使命だ」だ!
「命より金を選択したということでしょ」と見下すような輩が「私たち」なんて言う資格は無い!

5月21日の投稿で採り上げた2012年5月5日の朝鮮日刊新聞社説は何て言ってた?
「原子力をどのように減らし、新たなエネルギー社会をどう構築するか。私たち自らが考え、合意形成をはからなければならない」と言ってたな。
だったら、御前崎市民と「合意形成をはからなければならない」だろ。
にもかかわらず、「県議会は、再稼働をめぐる初の県民投票を実現させるべきだ」との言い草は、御前崎市民なんか無視しろ、と言うに等しい。
だからこそ、「投票する市民が当事者として悩み、判断することじたいに意味がある」と言い立てながら、「御前崎市民が当事者として悩み、判断」した市長選には頬かむりを決め込むんだね。

7月9日の投稿で採り上げた2012年7月4日の朝鮮日刊新聞社説は「賛否が分かれる問題では、どちらを選んでも反対の声は上がる。いちいち耳を傾けていたら物事を決めたり、進めたりできない。人々の声を音と表現する背景に、そうした意識があるなら、思い直してもらいたい」と言い立てたけど、「いちいち耳を傾けていたら物事を決めたり、進めたりできない」と思ってるのはテメエら「左翼」だろ!

6月27日の投稿で採り上げた2012年6月24日の朝鮮日刊新聞社説は「条例制定の請求に石原慎太郎知事は『観念的に原発の是非のみを問い、結果が錦の御旗のごとく力を持つならば国を滅ぼす』と言い放った。『おまえたちは黙っていろ』と言わんばかりだ」と喚き立てたけど、テメエら「左翼」こそ「おまえたち(=御前崎市民)は黙っていろ」と言わんばかりだな。

少数意見も反映されることが間接民主主義=議会制民主主義の真骨頂。
朝鮮日刊新聞は、7月9日の投稿で採り上げた2012年7月4日の社説で「日本ではなりを潜めていた大規模デモや集会が、福島第一原発の事故後に相次いでいる。それは、選挙を通じた間接民主主義が民意をきちんとくみとれない現実を映し出してもいる」だの、7月30日の投稿で採り上げた2012年7月30日の社説では「有権者が、選挙で選んだ自分たちの代表(議員)を通じて政策を実現する。その間接民主主義の回路が機能せず、自分たちの声が政治に届かない」だの、そして、8月24日の投稿で採り上げた2012年8月23日の社説でも「市民の抗議は、再稼働だけに向けられているわけではない。それを決めた意思決定の仕組みと、民意を代表すると想定されている間接民主主義の機能不全への異議申し立てだ」だのと喚き散らしていたけど、「いちいち耳を傾けていたら物事を決めたり、進めたりできない」「おまえたちは黙っていろ」と言い放つような輩が間接民主主義を理解しているはずがない。
と言うよりも、間接民主主義を否定しているんだな。
その邪悪な本音を覆い隠すために「選挙で代表を選ぶ間接民主主義を否定するわけではない」と言い立てているんだね。

「合意形成をはからなければならない」と嘯いてたくせに、「県議会は、再稼働をめぐる初の県民投票を実現させるべきだ」と、つまり、御前崎市民との「合意形成」なんか必要ない、県民投票で突っ切れ、と言い張るのは何故か?
8月7日の投稿で採り上げた2012年8月7日の朝鮮日刊新聞社説は「国民と政策とをつなぐ回路のひとつとして、熟議の場へと大切に育てていきたい」などと言い立てていたけど、再稼動を容認した御前崎市民と「合意形成をはかる」ためには、廃炉のプロセス、その過程における国民負担を「熟議」しなければならない。
ところが、そうすると、8月31日の投稿9月10日の投稿、そして、9月12日の投稿で論じたとおり、「自然エネルギーで脱原発依存」の邪悪な意図が明らかとなる。
「自然エネルギーで脱原発依存」を推し進めようと図る「左翼」には、実のところ、「熟議」も「合意形成」も都合が悪いんだな。
現に、6月2日の投稿6月24日の投稿で紹介したとおり、自然エネルギー買い取り制度・発送電分離は、「熟議」も「合意形成」も無いまま、なし崩しに推し進められている。
「熟議」「合意形成」を封殺するために「県議会は、再稼働をめぐる初の県民投票を実現させるべきだ」と言い張るんだね。
「県議会は、再稼働をめぐる初の県民投票を実現させるべきだ」と喚き立てながら、「是か非かの二者択一で示される投票結果のとおりにならないことも起こりうる」なんて言うのは矛盾しているわけで、「熟議」「合意形成」を封殺するための県民投票にすぎないことを露呈してるな。
1月26日の投稿で採り上げた2012年1月22日の朝鮮日刊新聞社説が「首都で住民投票を実現させよう」と言い立てていたのも、そして、おおい町民を顧みずに大飯原発再稼動反対を叫ぶ官邸前デモ「さようなら原発10万人集会」も、全く同じ意図に根ざしているのよ。

自分達こそ「(おおい町民や御前崎市民の声に)いちいち耳を傾けていたら物事を決めたり、進めたりできない」と、そして、自然エネルギー買い取り制度・発送電分離は我々が決める、「合意形成」など必要ない、「おまえたちは黙っていろ」と奢り昂ぶりながら、あべこべに「もし民意に縛られるのを嫌って聴かないなら、それは間接民主主義の奢りではないか」と言い放って憚らない。
どこまで腐ってるんだろうね、「左翼」ちゅうのは。

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