原発県民投票という徒花の歌

ビゼー「カルメン」より「花の歌」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

9月22日の投稿で糾弾したのに、またもや「左翼」が原発住民投票を煽り立てているな。


静岡原発条例の教訓 民意発信、多様な回路を
中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の再稼働の是非を県民に問う条例案が先週、静岡県議会で否決された。
県民投票実現のため市民団体が集めた署名は16万5千と、必要数の3倍に近い。多くの人々の思いが日の目を見ずに終わるのは、なんとも残念だ。
浜岡は、福島の原発事故のあと、当時の菅首相が政治判断で停止させた唯一の原発である。
東海地震の想定震源域にあって、危険性が大きい。近くを東海道新幹線や東名高速が走り、事故が起きれば日本社会全体に甚大な影響がでる。そうした判断からだった。
その再稼働に、立地県である静岡県民の関心が高いことは署名の多さからもうかがえた。
ところが、県議会は、市民団体がまとめた原案を全会一致で否決。超党派議員による修正案にも、自民党をはじめ7割以上の議員が反対した。
投票結果に法的な拘束力はないが、知事や議会はそれを尊重しなければならない。手足を縛られるのを県議らが嫌い、大差の否決になったのだろう。
同様の署名活動は新潟県でも進んでいる。静岡の挑戦と挫折から教訓をくみとり、次の機会に生かしたい。
■強まる市民の発信力
静岡県議会で、自民党県議は県民投票の問題点を次のように指摘した。
国の原子力行政が、静岡県民だけの意思に左右されていいのか。再稼働は賛成か反対かの二者択一にそぐわない――。
原発政策は、全国の経済活動や国の安全保障とも密接にかかわる。地域の人々が、すべてを考慮して判断をするのは、たしかに容易ではない。
○か×かの選択に限界があるのも事実だ。安全対策の進みぐあいや電力需給など条件つきで判断する人は少なくあるまい。
とはいえ「選挙で選んだ代表に任せろ」という政治のあり方は、もう通用しない。
署名は、政府が6月に関西電力大飯原発の再稼働を決めたころから急増した。政治不信が広がり、市民が意見を容易に発信できる時代である。政治が「聞きたくない」といっても、人々が黙っているはずはない。
問われるのは、発信力を強める民意との向き合い方なのだ。

首長や議員は市民の声に耳を傾ける。そのうえで、二者択一では割り切れない現実への対応をさぐる。どんな判断であれ説明を尽くし、次の選挙で審判を受ける。
その際、住民投票は民意をくみとる重要な手段となろう。
■いつ、だれに問うか
静岡では、実際に投票をする際の課題も浮かんだ。
条例案の原案は、条例の施行から6カ月以内に投票すると定めていた。
だが、それでは浜岡原発の安全対策が整う前に県民の判断を問うことになる。そこで、修正案では「安全対策が完了し、国が再稼働の検討を開始したと知事が認めるとき」とされた。
民意は、その時々の状況次第で変わりうる。一方、いったん決まった政策は、長年にわたって人々の生活を縛る。人々が冷静に、的確に判断できる時期を見極める工夫が欠かせない。
どの範囲で投票するのがふさわしいのかという問題もある。
原発をめぐり、市町村単位で住民投票をした例はあるが、県単位はない。
原発事故の被害がおよぶ範囲を考えれば、広域で民意を問うことには意味がある。ただ、原発からの距離など、地域の状況によって住民感情は異なる。
実際、静岡の条例案採決では、自民は反対を決めながら党議拘束をかけず、民主は自主投票とした。議員の選挙区や支持基盤によって事情が違い、一律に縛るのは難しいからだ。
市町村単位がいいのか。広域で問う場合も、県境で区切る合理性はあるか。全国民に問う必要はないか。テーマや切迫度で使い分ける方法もあるだろう。
地方分権の結果、思わぬ問題も生じている。県の条例で市町村に投票事務を義務づけることができなくなったのだ。分権は当然だが、一市町村が拒めば県民投票ができない仕組みでよいのか検討すべきだろう。
■試行錯誤を重ねて
有権者が選挙で選ぶ代表が、国政や地方自治を担う。その間接民主主義が基本であることは今後も変わらない。
だが、代表の判断と民意はしばしば乖離(かいり)する。溝を埋めるために、直接民主主義の手法は大いに有効だ。
日本では特定の政策について民意を問うた経験が乏しい。
それでも変化の兆しはある。
政府はこの夏、将来のエネルギー政策を考える「討論型世論調査」を実施した。毎週金曜の首相官邸前での抗議活動も、半年続いている。
住民投票もふくめ、人々の声を伝える回路はもっと多様であっていい。試行錯誤を重ねながら、様々な手法を磨きたい。


(2012年10月14日の朝鮮日刊新聞社説)

「自然エネルギーで脱原発依存」を煽り立てる「左翼」が、民主主義を叫びつつ、実のところ、民主主義を否定していることは既に5月21日の投稿6月27日の投稿7月9日の投稿7月30日の投稿7月31日の投稿8月2日の投稿8月7日の投稿、そして、8月24日の投稿で論じたとおりであり、もういい加減、鬱陶しいけど、簡単に論じておこうかね。

9月22日の投稿で指摘したけど、やはり、御前崎市長選の結果に知らぬ顔の半兵衛を決め込んでる。
「住民投票もふくめ、人々の声を伝える回路はもっと多様であっていい」と言ってるけど、市長選は住民投票と同じなのに、ね。
御前崎市民の声は「人々の声」であり、それに耳を傾けることこそが「多様であっていい」ということのはずなのに、ね。
「政治が『聞きたくない』といっても、人々が黙っているはずはない」などとほざいてるけど、御前崎市民の声なんか「聞きたくない」と言ってるのはテメエら「左翼」だろ!
「御前崎の人々は黙っていろ」ということだろ!
それは「住民投票は民意をくみとる」が欺瞞にすぎないことを露呈しているんだな。

さらに、「人々の声を伝える回路はもっと多様であっていい」と言いながら、「討論型世論調査」には言及しても、パブリックコメントには頬かむりを決め込んでいる。
8月23日の投稿で紹介したとおり、パブリックコメントでは8割以上が「原発即時ゼロ」だった。
2011年4月26日の投稿8月30日の投稿2012年1月5日の投稿7月2日の投稿7月11日の投稿7月25日の投稿、そして、9月7日の投稿で紹介したとおり、原発が無くても電力は足りている、原発は火力で代替できているから、再生可能エネルギー買い取りは不要、再生可能エネルギーのための電力自由化は不要、ということだな。
けど、「自然エネルギーで脱原発依存」を煽り立てる「左翼」にとって、それは都合が悪い。
だから、パブリックコメントに表れた民意は「聞きたくない」。
実際、「溝を埋めるために、直接民主主義の手法は大いに有効だ」ならば、再生可能エネルギー買い取り制度にも電力自由化にも「直接民主主義の手法」を適用すべきであるにもかかわらず、それには口を閉ざす。
「人々が黙っているはずはない」なんて嘯いてるけど、実は、買い取り制度も電力自由化も我々が決める、「人々は黙っていろ」ということだね。

しかも、8月7日の投稿で指摘したとおり、「討論型世論調査」はお上から与えられた選択肢を討論するだけにすぎず、そんなのものは「発信力を強める民意」でも「人々の声を伝える回路」でも何でもない。
「討論型世論調査」で提示されなかった「原発即時ゼロ」を「発信」したパブリックコメントこそ「発信力を強める民意」の発露であるにもかかわらず、それを黙殺したという事実は、「問われるのは、発信力を強める民意との向き合い方なのだ」が欺瞞にすぎないことを露呈してる。
と言うよりも、「左翼」の言う「民意との向き合い方」とは、本当の民意には目を背け、「自然エネルギーで脱原発依存」を「民意」に見せかける、ということだね。
「人々の声を伝える回路はもっと多様であっていい」と嘯きつつ、その実は、「多様」な「民意」を封殺する、ということだな。
そして、そういうことを企んでいる連中が「毎週金曜の首相官邸前での抗議活動も、半年続いている」と囃し立てたことは、6月24日の投稿7月9日の投稿7月21日の投稿7月28日の投稿7月30日の投稿8月1日の投稿8月11日の投稿、そして、8月24日の投稿で指摘したとおり、官邸前デモが自然エネルギーを推し進めるための、それを「民意」に見せかけるための翼賛デモにすぎないことを露呈してるんだね。

もう一度、言うけど。
御前崎市民の声に耳を傾けることが民主主義の原点なんだよ。
にもかかわらず、御前崎市長選の結果に知らぬ顔の半兵衛を決め込んだという事実が真実を、即ち、「左翼」の似非民主主義を物語っているんだね。

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