ストリッパーと大穢健三郎のデュエット

ヴェルディ「アイーダ」よりラストシーン

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

今日はこれを採り上げようかね。


脱原発期限で意見食い違い 大江さんら2グループ
2012/10/26 20:33
ノーベル賞作家の大江健三郎さんらが代表世話人を務める「脱原発法制定全国ネットワーク」と、首相官邸前での抗議行動を呼び掛けている「首都圏反原発連合」は26日、東京都内で意見交換会を開いたが、脱原発の期限で食い違いを見せた。
2025年までの脱原発を目指しネットワークが作成、国会に議員提出した脱原発基本法案への理解を深めるのが狙い。反原発連合のスタッフ平野太一さんが「遅くても3年以内にやるべきだ」と述べた。一方、ネットワークの代表世話人の一人、河合弘之弁護士は「期限は政治の妥協。国会に上程するための苦渋の決断だった」と理解を求めた。


(共同)

「意見食い違い」なんて書いてるけど、騙されちゃあいかんぞ。
7月25日の投稿でも指摘したとおり、大穢健三郎一派の「脱原発」とは、すなわち、自然エネルギー。
けど、原発が無くても電力は足りているのだから、つまり、既に「原発ゼロ」は実現できているのだから、自然エネルギーを高値で国民に押しつける必要は全く無い、と言うよりも、許されないにもかかわらず、8月11日の投稿で指摘したとおり、官邸前ストリップショー一座は買い取り制度に反対しない。
また、9月10日の投稿で紹介したとおり、大穢健三郎一派の「脱原発基本法案」は発送電分離(=電力自由化)を推し進めることが目的だけど、官邸前ストリップショー一座は「遅くても3年以内にやるべきだ」と言うだけで、発送電分離には言及しない。
脱原発=自然エネルギー・電力自由化という主張において、大穢健三郎一派と官邸前ストリップショー一座は同類なんだね。

けど、自然エネルギー・電力自由化は民意じゃない。

5月21日の投稿で採り上げた2012年5月5日の朝鮮日刊新聞社説は「私たち自らが考え、合意形成をはからなければならない」と言い立てたけど、「合意形成」をはかることなく、朝鮮日刊新聞や虚人=飯田哲也や大穢健三郎らが一方的に自然エネルギーを喚き立てた結果、6月24日の投稿で紹介したとおり、国民の「合意」無しに自然エネルギー買い取り価格が決められてしまった。
6月2日の投稿で紹介したとおり、発送電分離も国民の「合意」無しに推し進められている。
8月24日の投稿で採り上げた2012年8月23日の朝鮮日刊新聞社説は「ものごとを政治家と既得権を持つ組織の代表や一部の専門家で決め、ふつうの市民はかかわりにくいのが、従来の『ムラ社会』型の意思決定の仕組みだ」と批判めかしてたけど、実のところ、自然エネルギー・電力自由化に「ふつうの市民はかかわっていない」んだよ。

2011年9月11日の投稿で採り上げた2011年8月15日の朝鮮日刊新聞社説は「この国にはエリートが自分たちに都合よく回しておけばいい、という歴史があり、今も続いている」と批判めかしてたけど、朝鮮日刊新聞論説委員や虚人=飯田哲也や大穢健三郎らこそ「エリート」意識をむき出して、愚かな市民は賢い自分達の言うことに従えばいいのだ、と言わんばかりに、脱原発=自然エネルギー・電力自由化と決めつけてきたんだね。
2011年8月18日の投稿で紹介したとおり、自分達は原発推進広告を垂れ流して東電から甘い汁を吸っていたにもかかわらず、2011年9月11日の投稿で採り上げた2011年7月13日の朝鮮日刊新聞社説が「多くの国民も電力の源についてとくに考えずに、好きなだけ電気を使う生活を楽しんできた」と言い放ち、7月9日の投稿で紹介したとおり、大穢健三郎が「私たちの生き方をしっかりとつくっていく」と高言したのは、連中が市民を見下していることを物の見事に露呈してた。

そのような不遜極まる態度に国民が不信を抱き、本当に「脱原発=自然エネルギー・電力自由化」なのか、自然エネルギー・電力自由化は本当の民意なのか、自然エネルギー・電力自由化は国民の利益になるのか、と疑念を抱くのは理の当然だな。
8月23日の投稿で採り上げたパブリックコメントはそのような疑念をハッキリと反映してたんだね。

もう判っただろうけど、国民が疑念を抱き始めたから、「2025年までの脱原発」か「遅くても3年以内にやるべき」かという「意見の食い違い」を強調して見せて、「意見の食い違い」があっても自然エネルギー・電力自由化では一致していると、であるから、自然エネルギー・電力自由化は「意見の食い違い」を乗り越えた国民の総意である、と見せかけるための「意見交換会」なんだね。
国民を欺くための猿芝居なんだよ。

国民を欺くことは、すなわち、民主主義を否定すること。
10月16日の投稿で指摘したとおり、原発の再稼動を求めたおおい町民や御前崎市民の声に耳を傾けることが「脱原発」の、そして、民主主義の原点であるにもかかわらず、大穢健三郎一派は官邸前ストリップショー一座には「『期限は政治の妥協。国会に上程するための苦渋の決断だった』と理解を求めた」けれど、おおい町民や御前崎市民には理解を求めようとしない。
おおい町民や御前崎市民は完全に切り捨てている。
しかし、それは大穢健三郎一派の反民主性を物の見事に露呈したんだな。
また、8月24日の投稿で紹介したとおり、ストリッパーは「国民の8割は脱原発を求めているのに、国会議員には反映されず、間接民主制は機能していない」と喚き立ててたけど、国民の合意が無いのに、国会が勝手に発送電分離のための「脱原発基本法」を実現させるのは、「国民の8割は脱原発を求めているのに、国会議員には反映されない」ことと本質的に同じはずだろ。
であるから、「脱原発基本法案」に対しても「間接民主制は機能していない」と批判すべきなのに、それは決して言わないんだね。
結局、「間接民主制は機能していない」との言い草は欺瞞であり、官邸前ストリップショー一座の反民主性を露呈してるだけ。

民主主義を守るために、大穢健三郎一派と官邸前ストリップショー一座を社会から駆逐せよ!
ストリッパーと大穢健三郎は抱擁しながら消え去りやがれ!!

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