捨魂奴

バッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番」より「シャコンヌ」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

「原発ゼロノミクス」なるプロパガンダが開始されたようだな。


原発ゼロノミクスキャンペーンの概要
「原発ゼロノミクス」とは ・・・“脱原発”で日本経済活性化しよう
株価を上げインフレにすれば“生活はよくなる”というアベノミクスより、日本の足かせとなっている原発依存を脱し、市場の価値転換にそった新しい経済や、省エネ、自然エネルギーなどの、地域に根ざした多様な産業を振興したほうが、より抜本的な日本経済の活性化、健全化につながるとする経済政策論です。
1.背景
・昨年末の総選挙では、「脱原発」がほとんど争点にならず、景気回復や経済成長がフォーカスされ、“原発維持・推進”の自民党が政権を握ることとなりました。昨年夏に政府が行なった国民的議論におけるパブリックコメントでは「原発ゼロ」を求める声が9割にものぼったにも関わらず、こうした民意を無視するかのように、「原発ゼロ方針はゼロベースで見直し」とされています。
放射性物質の放出と人々の苦悩がいまだ深刻に続いているにも関わらず、マスコミでは福島第一原発事故についてほとんど報道しなくなりました。
・それどころか、原発を動かさなければ経済に悪影響があるという空気すら漂っていることに大変な危機感を持っている人は少なくありません。原発ゼロにするほうが、原発を動かし続けるよりも地域社会の経済にとって健全な状態であることを世の中に訴え、改めて「原発ゼロ」を願う市民の声を集め、広めていくことが必要です。
2.目的
「原発ゼロノミクス」の考え方を広め、“脱原発”を求める市民の声を再び盛り上げることを目的とします。
①参議院議員選挙での投票や、「エネルギー基本計画」の改定での新たなパブコメに備え、市民は今から準備を開始します。政府の新しいエネルギー政策が決定されるのは参議院選後となるでしょう。「原発ゼロ」を選択した国民の声を踏みにじる決定がなされるとすれば選挙後になります。そこで、参議院選挙の前に、「原発ゼロ」を求める市民の声が確かなものであるということを示すため、「原発ゼロノミクス宣言」への署名を開始、6月までに10万人を超えることを目標とします。
②「エコノミクス」の観点でメリットが大きいことを伝える「原発ゼロ」は、経済再生と対立するものではなく、むしろ経済再生のカギとなります。ドイツでは再生エネルギー関連の雇用は4万人から40万人に増え、さらに70万人(2030年)になると見込まれています。
現在、実際の原発事故率からも実際の損害金額からも乖離している保険しか原発にかけられていない現状からみても、放射性廃棄物の処理コストという経済的負担をみても、地方経済が補助金依存となることで失われてきた活力や創造性を考えても、原発を取り除くことが日本経済の活性化につながることは容易に想像できます。経済学者の知見をふまえ、「原発ゼロノミクス宣言」としてまとめ、「原発ゼロ」こそが日本の未来と経済を健全化させるものであることを発信します。
4.活動内容
(1)「原発ゼロノミクス」経済学者等からのメッセージの提示
「原発ゼロノミクス」経済学者からのメッセージ
「原発ゼロノミクス」各地の事例集
「原発ゼロ」が経済的にもプラスであることを定量的に示すファクトシート
(2)「原発ゼロノミクス」への賛同募集
6月末までに賛同10万件以上をめざす。
「私の原発ゼロノミクス」メッセージ
(3)イベント開催
「原発ゼロノミクスシンポジウム」
各地での「原発ゼロノミクス・カフェ」の開催など
(4)その他、随時新しいアイディアを追加して展開する


(「原発ゼロノミクスキャンペーンの概要」)

で、これを呼びかけた団体は「さよなら原発1000万人アクション」。
即ち、大穢健三郎一派。
で、協力団体には官邸前不倫デモの主催者である首都圏反原発連合。

やっぱり、な。

「”脱原発(=自然エネルギー・電力自由化)”で日本経済活性化」と言い立てているけど、それは全く以って卑劣で醜悪な欺瞞。
2月27日の投稿で指摘したとおり、電力自由化はネオリベの策謀。
昨年7月9日の投稿7月17日の投稿7月25日の投稿7月28日の投稿7月30日の投稿8月2日の投稿8月24日の投稿2月18日の投稿、そして、3月11日の投稿で指摘したとおり、此奴らは原発事故に乗じて日本国民から貪り盗ろうと企んでいる権力(ネオリベ)の狗であり、その指令に基いて自然エネルギー・電力自由化を煽り立てているだけ。
実際、上記の文には最初の一文字から最後の一文字まで、「自然エネルギー・電力自由化で脱原発」派の醜悪で卑劣な本性がハッキリと露われてるぞ。

「昨年夏に政府が行なった国民的議論におけるパブリックコメントでは『原発ゼロ』を求める声が9割にものぼったにも関わらず」と言い立てているけれど、昨年8月23日の投稿で紹介したとおり、実は、8割以上が「即ゼロ」を求めていた。
なぜ「即ゼロ」なのか?
2011年4月26日の投稿8月30日の投稿2012年1月5日の投稿7月11日の投稿、そして、9月4日の投稿で紹介したとおり、自然エネルギーが無くても、電力自由化が無くても、そして、原発が無くても電力は足りているからに他ならない。
国民が求めている「原発ゼロ」は自然エネルギー・電力自由化じゃない!
ところが、「こうした民意を無視するかのように」、「省エネ、自然エネルギーなどの、地域に根ざした多様な産業を振興したほうが、より抜本的な日本経済の活性化、健全化につながる」と言い立てているんだな、「自然エネルギー・電力自由化で脱原発」派は。
自分達も「国民の声を踏みにじる」くせに、ヌケヌケと「『原発ゼロ』を選択した国民の声を踏みにじる決定がなされるとすれば選挙後になります」と言い放つんだね、「自然エネルギー・電力自由化で脱原発」派は。
って言うか、「国民の声を踏みにじる」どころか、「国民の声」を自然エネルギー・電力自由化にすりかえて、国民が自然エネルギー・電力自由化を求めているかのごとくに、そして、自分達が「国民の声」を代弁していると偽装するために「『原発ゼロ』を選択した国民の声を踏みにじる決定がなされるとすれば選挙後になります」と喚き立てているんだよ。
その卑劣さは原発推進派を優に凌駕してる。
3月6日の投稿で紹介したとおり、「自然エネルギー・電力自由化で脱原発」派は「『電力自由化の推進』について・・・合わせて7割以上が期待を寄せていることがわかりました」だの、「都内2千人の組合員を対象とした東京都生活協同組合連合会の調査では、8割近くが『電力会社を選んでもいい』と考えており」だのと言い立てているけれど、それは「電力を選べる社会へ」だの「みずから選んだ『電力』をオーダーする」だのと欺瞞を並べ立てて国民を騙した結果なのであって、国民が電力自由化を望んでいるわけじゃない。)

「”脱原発(=自然エネルギー・電力自由化)”で日本経済活性化しよう」の大合唱の下で、実は、何が起こっているか?
昨年11月12日の投稿で指摘したとおり、社会資本が投資ファンドや商社などのグローバル企業に集約されつつあるんだね。
2月17日の投稿で指摘したとおり、それは海外でも同じ。
にもかかわらず、その事実には知らぬ顔の半兵衛を決め込んで、「市場の価値転換にそった新しい経済や、省エネ、自然エネルギーなどの、地域に根ざした多様な産業を振興したほうが、より抜本的な日本経済の活性化、健全化につながる」と言い立てるのは、グローバル企業が社会資本を支配するのが「市場の価値転換」だ、強い者が益々強くなれば「日本経済の活性化、健全化につながる」と言う以外の何物でも無く、「自然エネルギー・電力自由化で脱原発」派が新自由主義の狗に他ならないことを露呈してるな。

それは「ドイツでは再生エネルギー関連の雇用は4万人から40万人に増え、さらに70万人(2030年)になると見込まれています」との言い草からも明らか。
2012年4月6日の投稿で紹介したとおり、ドイツこそ新自由主義の牙城。
にもかかわらず、ドイツを見倣え~~~、と喚き立てるのは、「”脱原発(=自然エネルギー・電力自由化)”で日本経済活性化」が新自由主義そのものだから。
昨年6月18日の投稿で採り上げた2012年6月18日の朝鮮日刊新聞社説も「環境に取り組むことで雇用を生み、再生可能エネルギーなどの環境産業を育てることで成長することを示す」と言い立てていたけど、自然エネルギーが雇用を生むという論理自体が新自由主義による雇用切り捨てを前提にしているんだね。
また、昨年以来ドイツの太陽光発電関連企業は次々に倒産しているのだから、雇用が増えるはずが無い。
「さらに70万人(2030年)になると見込まれています」は真っ赤な左翼の真っ赤な嘘。

ドイツのためにギリシャもイタリアも民主主義を奪われた(イタリアは最近の選挙で民主主義を取り戻したけど)にもかかわらず、しかも、ギリシャでは市民の命までも奪われたにもかかわらず、それをも顧みずにドイツを美化しているわけで、「改めて『原発ゼロ』を願う市民の声を集め、広めていくことが必要です」だの、「『原発ゼロ』を求める市民の声が確かなものであるということを示すため」だのが、上でも指摘したとおり、実は、民意を自然エネルギー・電力自由化に誘導するための、つまり、ドイツがギリシャとイタリアの民主主義を奪ったのと同様に民意を奪い取るための、詭弁にすぎないことを露呈してるな。
2月10日の投稿で紹介したとおり、ドイツの送電網は外資と投資ファンドが牛耳っている。
にもかかわらず、ドイツを見倣え~~~、と喚き立てるのは、原発事故に乗じて我国の社会資本を外資に売り渡そうとの魂胆に他ならないけど、そのためには、民主主義を奪い取らねばならない、ということなんだよ。

「エコノミクス」と「経済」とは違う。
真っ先に「市場の価値転換にそった新しい経済」と強調しているとおり、「エコノミクス」は市場の論理。
「経済」とは経世済民。
であるから、「『エコノミクス』の観点でメリットが大きい」と言い立てているのは、経世済民が眼中に無いことを、そして、自然エネルギー・電力自由化が市場の論理に他ならないことを露呈してる。
2013年1月15日の投稿で紹介したとおり、朝鮮日刊新聞も「電力改革―経済再生の推進力に」と、つまり、「”脱原発(=自然エネルギー・電力自由化)”で日本経済活性化しよう」と喚き立ててたけど、その一方で、2011年4月15日の投稿で採り上げた2011年4月4日の社説は「もはや私たちの世代だけが、豊かで楽しく、を求めるわけにはいかない」と言い張り、2011年9月11日の投稿で採り上げた2011年7月13日の社説は「多くの国民も電力の源についてとくに考えずに、好きなだけ電気を使う生活を楽しんできた」だのと言い放った。
また、3月7日の投稿で採り上げた朝鮮日刊新聞が「自然エネルギー導入や電力システム改革などによる脱原発を唱える論客として知られる」と紹介していたとおり、気候ネットワークの浅岡美恵も「自然エネルギー・電力自由化で脱原発」派だけど、2012年2月9日の投稿で紹介したとおり、「『大きく、たくさん使う』生活から『小さく、あまり使わない』暮らしへと意識を変えるのは、地域社会の役割だ」と言い張った。
「脱原発=自然エネルギー・電力自由化」が国民を豊かにするのなら、そんなことを言うはずないだろ。
「”脱原発”で日本経済活性化」とは、国民が豊かになることではなく、グローバル企業の「活性化」にすぎないんだよ。

昨年9月22日の投稿で紹介したとおり、御前崎市民は「原発は怖い。でも原発と一緒に雇用までなくなっては困る」と訴えてた。
泊村民も「危険性を知った今も、住民の多くは原発がなければ暮らせないと思っている」と訴えてた。
にもかかわらず、上から目線で「原発ゼロにするほうが、原発を動かし続けるよりも地域社会の経済にとって健全な状態である」などと言い放つのは、「原発と一緒に雇用までなくなる」のが「健全」、「住民の多くは暮らせない」のが「健全」と言う以外の何物でも無い!
しかし、それも理の当然。
上で説明したとおり、「”脱原発(=自然エネルギー・電力自由化)”で日本経済活性化」は強者の論理。
強きを助ける「自然エネルギー・電力自由化で脱原発」派が弱きを挫く、すなわち、原発立地自治体の住民を切り捨てようと図るのは理の当然だろ。

一体全体、「省エネ、自然エネルギー」の何処が「地域に根ざした多様な産業」か?
昨年10月18日の投稿で紹介したとおり、金太郎飴のごとくに、あちらもメガソーラーで地域活性化、こちらもメガソーラーで地域活性化。
何処が「地域に根ざし」てるの?
何処が「多様」なの?
上で述べたとおり、実は、グローバル企業が社会資本を支配するのが「市場の価値転換にそった新しい経済」だけど、その事実を覆い隠すために、「地域に根ざし」だの「多様」だのと言葉を飾り立てて国民を謀ろうするんだね。
2011年8月18日の投稿で 採り上げた2011年5月20日の朝鮮日刊新聞社説も「むしろ、小規模でも多様な電源による発電事業者を消費地近くに多く分散配置した方が、結果的に安定 供給に資するとの認識は、これまで以上に高まっている。かつては電気料金を下げる効果が期待された発送電分離が、いまや電力の安定確保のための具体策とし て、その意義が語られているのだ」だの、2012年1月5日の投稿で採り上げた2011年12月14日の朝鮮日刊新聞社説も「消費者側の選択肢を増やし、省エネを含め、多様な電力をうまく使いこなす社会を築く」だの、2月10日の投稿で採り上げた2013年2月10日の朝鮮日刊新聞社説も「多様な電源を生かした効率的な電力ネットワークをつくるには、送電網の広域化・中立化が不可欠だ」だのと、「多様」を強調して発送電分離を正当化しようと図ったけど、3月3日の投稿、そして、3月6日の投稿で指摘したとおり、それは国民を欺く以外の何物でもなかった。
「多様」という言葉はネオリベが市民を欺く際の常套手段。

地方がメガーソーラーを誘致するのは買い取り制度があるからに他ならず、そして、買い取り制度は国民からの「補助金」に他ならないのだから、「地方経済が補助金依存となることで失われてきた活力や創造性を考えても、原発を取り除くことが日本経済の活性化につながることは容易に想像できます」と言い立てるのは、原発利権が自然エネルギー利権に置き換わったにすぎないことを物の見事に露呈してる。
さらに、昨年12月14日の投稿で指摘したとおり、実は、福島に原発を押しつけた首都圏こそが地方に依存していたのであり、その結果として「放射性物質の放出と人々の苦悩がいまだ深刻に続いている」んだな。
にもかかわらず、そのことを認識せず、尚も「地方経済が補助金依存となることで失われてきた活力や創造性を考えても」などと言い放つのは、問題の本質を全く理解していないことを露呈しているけど、利権が目的だから、問題の本質を理解するはずが無いんだね。

「容易」に「原発を取り除くこと」ができるかのごとくに「放射性廃棄物の処理コストという経済的負担をみても、原発を取り除くことが日本経済の活性化につながることは容易に想像できます」などとほざいているけど、原発事故の賠償・除染・収束、そして、福島第1原発を含めた全ての原発の廃炉には莫大な費用がかかる。
この「足かせ」を如何に軽くするかが「経済」(「エコノミクス」じゃない)の緊要の課題。
国民が負担に耐えかねると、「放射性物質の放出と人々の苦悩」に対応できなくなる。
このことを慮れば、昨年9月10日の投稿9月12日の投稿11月11日の投稿で解説したとおり、自然エネルギー・電力自由化は「足かせ」を軽くするどころか、さらに「足かせ」を課すだけ。
けど、それこそが「自然エネルギー・電力自由化で脱原発」派の目論見。
3月7日の投稿で指摘したとおり、電力会社の正の資産と負の資産を切り分けて、正の資産だけを奪い盗るには、負の資産を国民に押しつけねばならない、つまり、国民に「足かせ」を嵌めねばならない。
3月6日の投稿で解説したとおり、全国民に買い取り制度という「足かせ」を嵌めるためにも電力自由化(発送電分離)を推し進めねばならない。
国民に「足かせ」を嵌める分だけ、利を貪ることができる。
それが「”脱原発(=自然エネルギー・電力自由化)”で日本経済活性化」。
だからこそ、安直に「放射性廃棄物の処理コストという経済的負担をみても、原発を取り除くことが日本経済の活性化につながることは容易に想像できます」と言い放つんだね。

確かに「マスコミでは福島第一原発事故についてほとんど報道しなくなりました」けど、3月3日の投稿3月6日の投稿で紹介したとおり、自然エネルギー・電力自由化を煽り立てている。
その結果、自己中が蔓延している。
自己中が蔓延すれば、「放射性物質の放出と人々の苦悩」が忘れ去らるのは理の当然。
「自然エネルギー・電力自由化で脱原発」派こそ「放射性物質の放出と人々の苦悩」を顧みないこと、連中こそが「原発ゼロ」を阻害していることは明らかだろ。

ついでに「経済学者からのメッセージ」とやらを覗いておくと。

2013031501

エセ脱原発あいうえお」と「金子KO負け」が賛同しているのは、やっぱり、という感じだけど、張寿川がしゃしゃり出てきてるじゃねえか!

上で述べたとおり、国民負担を軽くすることを慮れば、老朽火力の代替は自然エネルギーではなく安価な石炭火力を選ばねばならない。
ところが、昨年9月25日の投稿で紹介したとおり、「放射性物質の放出と人々の苦悩がいまだ深刻に続いているにも関わらず」、コヤツは「国内で温室効果ガスが減らない要因の一つの石炭火力重視もおかしい・・・国際社会は責任放棄と非難し始めている」と喚き散らした。
けど、コヤツが筆頭著者の「地球温暖化懐疑論批判」は私めにその愚劣さ下劣さ卑劣さを徹底的に指弾され、CO2の温室効果は飽和に近いこと、であるから、人為的なCO2排出で重大な気候変動は起こり得ないという事実を暴露され、1月14日の投稿で紹介したとおり、この世から消えてしまったんだよ。
それなのに、よくも人前に出て来れたものだな、恥知らず野郎が!

で、言ってることも無茶苦茶。
「企業の海外進出あるいは現地化」で雇用が生まれるの?
雇用が減るだろ!
こんな無茶苦茶なメッセージを受け容れながら、「経済再生と対立するものではなく、むしろ経済再生のカギとなります」などと言い立てても、欺瞞にすぎないことは明らかだな。

始めに指摘したとおり、自然エネルギーが無くても、電力自由化が無くても、そして、原発が無くても電力は足りているから「原発ゼロ」。
この「『原発ゼロ』を求める市民の声が確かなものであるということを示し」、「改めて『原発ゼロ』を願う市民の声を集め、広めていくことが必要です」。
けど、「原発ゼロノミクス」の呼びかけ人と賛同者は、それだけは阻止したい。
グローバル資本の利益にならないから。

「”脱原発(=自然エネルギー・電力自由化)”で日本経済活性化」は「”TPP”で日本経済活性化」と変わるところ無し!
日本人としての魂を捨てた新自由主義の奴僕。
それが大穢健三郎一派、ストリップショー一座、「エセ脱原発あいうえお」、そして、「金子KO負け」の正体。
張寿川は虫国野郎だから、もとより日本人としての魂を持っていないけど、日本人としての魂を捨てた連中は虫国野郎と同類だから、同類相寄るのは理の当然。
逆に言えば、張寿川が悦び勇んで出てきたのは、大穢健三郎一派、ストリップショー一座、「エセ脱原発あいうえお」と「金子KO負け」が日本人としての魂を捨てた新自由主義の奴僕にすぎないことを裏づけたと言える。

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