虫国野郎の陣太鼓

クライスラー「中国の太鼓」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

前回の投稿の続きだぞ。


地球温暖化問題の今(2)「地球にやさしい」の罪
2014年1月22日水曜日
日本においては、「地球にやさしい」という曖昧でフワッとした言葉が、温暖化問題における加害者としての責任意識の欠落をもたらしたように思います。
温暖化が影響する豪雨、熱波、干ばつ、台風、高潮、海面上昇などの被害は、脆弱(ぜいじゃく)な生態系や社会システムの中で暮らす貧しい国々の人々により多く降りかかります。その人たちにとっては、人間による温暖化ガスの排出は、自分たちの生活や命を脅かす犯罪行為です。これまで、経済的に豊かで1人当たりの排出量が大きい国を法的に訴える試みも何度かなされました。今の温暖化対策国際枠組みを決める国際交渉では、被害者に対する金銭的な補償の仕組み作りが大きな争点の一つです。
90年代になって、日本では「環境」という言葉が「公害」という言葉に代わり、私たちは時間的・空間的により広く問題を認識するようになりました。しかし、逆にこの事が、人間の行為が他の人間を苦しめて命を奪うという根本的な事実や関係性を見えなくしてしまったように思います。
東北大東北アジア研究センター教授 明日香壽川


(河北新報「科学の泉」)


地球温暖化問題の今(3)結論ありきの比較は方便
2014年1月23日木曜日
大きな社会問題を議論する時に、かならず優先順位の話がでます。費用便益の観点から温暖化問題の優先順位は貧困問題より低いというのが典型です。
しかし、このような比較には、主に(1)遠い将来を含む対策や被害の貨幣価値化をどう行うか(2)何と比べるか、という二つの問題があります。
現在、世界で約3秒間に1人が貧困を理由とする栄養失調などで亡くなっていると言われています。この事から貧困問題の方が大事とする人が多くなるのは理解できます。しかし、この二つの問題を直接比較するのは容易でなく、かつ温暖化対策は貧困解消にも貢献します。
「温暖化問題と貧困問題のどちらが大事か」という問いは「人間にとって水と食べ物のどちらが大事か」という問いと似ています。答え方はいろいろでしょう。ただ、しばしばこのような比較が、最初に結論ありきで、豊かな国に住む人々が自らの温暖化対策を実施しないための方便に使われるのは残念です。
東北大東北アジア研究センター教授 明日香壽川


(河北新報「科学の泉」)


地球温暖化問題の今(4)気象災害との因果、発信必要
2014年1月24日金曜日
人間は、自らが被害を受けないと物事の重要性を認識しません。そのために、さらに多くの人が、温暖化が影響する災害の犠牲になり、悲劇が繰り返されるのでしょう。ボブ・ディランの『風に吹かれて』の歌詞ではありませんが、どれだけの命が失われれば良いのだろうかとつくづく思います。
犠牲を無駄にしないためには、被害と温暖化との関係がより深く理解される必要があります。これまで科学者は、特定の気象災害と温暖化との関係を一対一で対応させることに抑制的でした。それは医者にとって、肺がんで亡くなったヘビー・スモーカーをタバコが死因と一意的に決めつけるのが難しいのと同じ理由です。
しかし、最近になって、統計データの蓄積などから「温暖化がなかったら高い確率で特定の豪雨や熱波は起こらなかった」という議論は科学的に可能になっています。慎重さは必要であるものの、科学者が一歩踏み出して、より強く、かつわかりやすいメッセージを社会に出していくことが不可欠です。
東北大東北アジア研究センター教授 明日香壽川


(河北新報「科学の泉」)

張千李万の分際で、我国の原点を示す地名を名乗る、破廉恥で醜悪で卑劣な虫国野郎が、なに言ってるかな?

昨年2月16日の投稿で採り上げた2007年5月25日の朝鮮日刊新聞社説が「欧州は、すでに本格的な排出量取引制度を始めている。その欧州と歩調を合わせて、CO2を減らす国が得をする国際社会の設計図を示すのが、美しい星づくりの第一歩ではないのか」と喚き立てていたことから分かるとおり、排出量取引は人為的温暖化プロパガンダの一環。
と言うよりも、昨年9月9日の投稿で指摘したとおり、「ゲームのルールを自分たちに都合よく作りあげ、公共セクターから大きな”贈り物=排出量取引”を搾り取る」のための人為的温暖化プロパガンダ。
その証拠に、これまた、昨年2月16日の投稿で採り上げた2008年10月6日の朝鮮日刊新聞社説が「排出量取引や環境税などは社会や経済の変化をもたらす。産業界や国民には負担増の『痛み』を引き受けてもらわねばならない」だの、そして、2011年3月18日の投稿で採り上げた2009年9月14日の朝鮮日刊新聞社説が「排出量取引は金融取引の一種でもある。いわば「グリード」を飼いならして、地球温暖化対策と経済成長に役立てようという制度なのだ」と言い放った。
説明するまでもなく、「『痛み』を引き受けてもらわねばならない」という論理に根ざした「温暖化対策=グリード」は「貧困解消」と全く相容れない。
と言うよりも、「痛み」は弱者ほど大きいから、「温暖化対策は貧困助長にも貢献します」。
「その人たちにとっては、人間による温暖化詐欺の排出は、自分たちの生活や命を脅かす犯罪行為です」。
「『温暖化問題と貧困問題のどちらが大事か』という問いは『人間にとってグリードと食べ物のどちらが大事か』という問いです」。

ところが、だ。
これまた、2011年3月18日の投稿で紹介したとおり、虫国野郎も「排出量取引の導入が、導入反対派の巻き返しにあって先送りになった・・・排出量取引制度導入反対論者の『勝因』について分析し、日本が取り組むべき今後の課題を展望する」と、つまり、「グリード」を満足させるために「国民には負担増の『痛み』を引き受けてもらわねばならない」んだよ~~~、と喚き散らしてた。
虫国野郎は「グリード」に目が眩み、「温暖化詐欺における加害者としての責任意識の欠落をもたらしたように思います」。
虫国野郎は「グリード」に目が眩み、「温暖化詐欺という人間の行為が他の人間を苦しめて命を奪うという根本的な事実や関係性を見えなくなってしまったように思います」。
1月29日の投稿でも言及したけど、この20年間に「多くの人が、『グリード』が影響する人災の犠牲になり、悲劇が繰り返され」てきたにもかかわらず、「どれだけの命が失われれば良いのだろうかとつくづく思います」。

実際、「統計データの蓄積などから『温暖化がなかったら高い確率で特定の豪雨や熱波は起こらなかった』という議論は科学的に可能になっています」は真っ赤な中禍人糞凶和国の真っ赤な嘘。
昨年11月12日の投稿12月10日の投稿1月6日の投稿1月15日の投稿、そして、1月24日の投稿で解説したとおり、人為的排出CO2に因る気温上昇は最大でも0.3℃にすぎない。
だから、人為的排出CO2に因る温暖化だけなら「特定の豪雨や熱波は起こらなかった」。
昨年9月7日の投稿9月20日の投稿10月1日の投稿11月12日の投稿、そして、1月15日の投稿で解説したとおり、たとえ「温暖化がなかったら高い確率で特定の豪雨や熱波は起こらなかった」としても、その「温暖化」とは「自然要因の温暖化」。
自然要因の温暖化という底上げが無ければ「特定の豪雨や熱波は起こらなかった」。
「豊かな国に住む東北大東北アジア研究センター教授が排出量取引で『グリード』を実施させるための方便に、自然要因の温暖化が使われるのは残念です」。

「熱波、干ばつ、台風、高潮、海面上昇などの被害」が本質的に自然要因であり、「脆弱な社会システム」とは「貧困問題」に他ならないから、「豪雨、熱波、干ばつ、台風、高潮、海面上昇などの被害は、脆弱(ぜいじゃく)な生態系や社会システムの中で暮らす貧しい国々の人々により多く降りかかります」は「貧困を生み出す人間の行為、すなわち、『グリード』が他の人間を苦しめて命を奪うという根本的な事実や関係性」を示しているんだよ。
昨年11月13日の投稿で指摘したとおり、台風30号の被害が正にそれ。
ところが、虫国野郎は何と言ったか?
(「世界」に掲載された論説の詳細は知らないけど、その要点だけをまとめたのが河北新報のコラムであろうと思われるから、河北新報のコラムを論ずれば、「世界」の論説を論ずる必要は無い。)


地球温暖化問題「復活」の条件(下)
──様々な神話を破壊し、温暖化問題を再構築するために──
明日香壽川
11月15日、日本政府は2020年度までの温暖化ガス排出量を05年度比で3.8%削減する新たな目標を正式に発表し、ポーランドのワルシャワにおけるCOP19の場でも明らかにした。1990年比では3.1%増に相当するこの数値に対して、国際社会からは強い批判の声があがった。台風30号によって甚大な被害を受けたフィリピンの交渉担当者の「自分は交渉に意味ある進展が見られるまで絶食する」という感動的なスピーチで始まったCOP会議に完全に水をさす形となったこの発表の政治的なインパクトの大きさを、日本の政治家や官僚はどう認識しているのか。
前号 (12月号) につづく第2回目の本稿は、まず日本の温暖化政策を批判的に分析する。次に、国内外において温暖化を重要な「問題」として復活させる、あるいは社会との関係を再構築するための具体的な条件や方法を提示したい。


(夷罠深書店「世界」2014年1月号より)

「貧困を生み出す人間(=フィリピン政府とフィリピンの支配層)の行為が他の人間(フィリピン国民)を苦しめて命を奪うという根本的な事実や関係性」が台風30号の被害を拡大させた根本原因であり、「『自分は交渉に意味ある進展が見られるまで絶食する』という破廉恥極まるスピーチ」は「フィリピン政府が自らの貧困対策を実施しないための方便に使われている」にもかかわらず、それを「感動的なスピーチ」と言い放ったんだよ。
「人間の行為が他の人間を苦しめて命を奪う」ことに感動したんだよ、虫国野郎は!
けど、それは当たり前。
上で説明したとおり、虫国野郎が煽り立てる排出量取引は「人間の行為が他の人間を苦しめて命を奪う」以外の何物でも無い。

そもそも、「豊かな国に住む人々」という言葉自体が詭弁。
今、世界を苦しめているのは「豊かな国に住む人々」のおぞましいまでの「貧困問題」。
その元凶は、言うまでもなく、「豊かな国に住むグリードな人々」。
この20年間、「豊かな国に住むグリードな人々」が「国民には負担増の『痛み』を引き受けてもらわねばならない」と叫び、「ゲームのルールを自分たちに都合よく作りあげ、公共セクターから大きな”贈り物”を搾り取り」、その結果、「豊かな国に住む多数の貧しい人々」を生み出した。
「豊かな国に住む多数の貧しい人々」に「貧しい国の人々」を顧みるゆとりは無いから、「グリード」を断罪しない限り、「貧困問題」は益々深刻化する。
そうなれば、「さらに多くの人が、自然要因の温暖化が影響する災害の犠牲になり、悲劇が繰り返されるのでしょう」。

「貧困問題」を拡大させている「グリード」が、「さらに多くの人が、温暖化が影響する災害の犠牲になり、悲劇が繰り返されるのでしょう」と喚き立てて、ありもせぬ「温暖化問題」をでっち上げ、「貧困問題における加害者としての責任意識の欠落」を覆い隠したのみならず、「豊かな国に住む人々が自らの温暖化対策を実施しないための方便に使われるのは残念です」と言い張って、「貧困問題」の加害者と被害者をごちゃ混ぜにした挙句、「温暖化問題における加害者としての責任意識の欠落をもたらしたように思います」と喚き散らして、「豊かな国に住む多数の貧しい人々」を加害者に仕立て上げ、「被害者に対する金銭的な補償の仕組み作りが大きな争点の一つです」と言い立てて、温暖化対策税等で更なる収奪を企てているんだよ。
「豊かな国に住む東北大東北アジア研究センター教授が、『人間の行為が他の人間を苦しめて命を奪うという根本的な事実や関係性を見えなくしてしまう』ための方便に、『豊かな国に住む人々が自らの温暖化対策を実施しないための方便に使われるのは残念です』という卑劣極まる欺瞞が使われるのは残念です」。
そのような方便のために「どれだけの命が失われれば良いのだろうかとつくづく思います」。
「『グリード』に因る犠牲を無駄にしないためには、貧困問題の被害と温暖化プロパガンダとの関係がより深く理解される必要があります」。

たとえ、温暖化対策が必要だとしても、それに乗じて「グリード」を満たすのは信義に悖(もと)る。
「信」無くば人は立たず。

子貢、政を問う。子曰わく、食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。子貢が曰わく、必ず已むを得ずして去らば、斯の三者に於て何れをか先きにせん。曰わく、兵を去らん。曰わく、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於て何ずれをか先きにせん。曰わく、食を去らん。古より皆死あり、民は信なくんば立たず。

にもかかわらず、「国民には負担増の『痛み』を引き受けてもらわねばならない」と高言し、「排出量取引の導入が、導入反対派の巻き返しにあって先送りになった」と喚き散らす輩は真っ先に「信」を捨てた。
つまり、「最初に結論(=『信』を捨てる)ありき」。
そして、上で説明したとおり、「熱波、干ばつ、台風、高潮、海面上昇などの被害」は本質的に自然要因であるにもかかわらず、「『温暖化問題と貧困問題のどちらが大事か』という問いは『人間にとって水と食べ物のどちらが大事か』という問いと似ています」と言うのは、「食」を捨てろ、と言うに等しい。
実際、昨年9月9日の投稿で指摘したとおり、20世紀の温暖化が無ければ、多くの人間が餓死する。

残るは「兵」のみ。
「兵」無くば温暖化論は立たず。
その証拠に、2012年1月19日の投稿で採り上げた2008年5月6日の朝鮮日刊新聞社説は「東西対立の冷戦が、人類対炭素という『暖戦』に移ったのである」と宣言した。
そして、2012年1月19日の投稿で紹介したとおり、虫国野郎が筆頭著者である「地球温暖化懐疑論批判」を陰で主導した住明正も「冷戦構造が終わると、その枠組みの崩壊によって各国が勝手になりますから、それではいけないと考えたのではないでしょうか。何らかの意味でグローバルにいろいろな国を縛っていく新たな仕組みが必要になったのでは、と思います」と自白し、温暖化プロパガンダ=戦争を裏づけた。
「『温暖化問題と貧困問題のどちらが大事か』という問いは『人間にとって戦争と平和のどちらが大事か』という問いです」。

前回の投稿で紹介したとおり、虫国野郎は「1000人の気候科学の専門家が合意している状況で、1人の専門外の方が異論を唱えた時、はたして新聞はとりあげるべきでしょうか」と喚いてたけど、「1000人の気候科学の専門家が『戦争』に合意している状況で、1人の専門外の方が異論を唱えた時、はたして新聞はどちらの意見をとりあげるべきでしょうか」?
もし、新聞が1000人の意見をとりあげるなら、「さらに多くの人が、温暖化詐欺が影響する戦争の犠牲になり、悲劇が繰り返されるのでしょう」。
「どれだけの命が失われれば良いのだろうかとつくづく思います」。

虫国野郎は、「信」を捨てろ、「食」を捨てろ、戦争だ、殺せ、と陣太鼓を打ち鳴らしているんだよ!

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