IPCC信者が「異論への異常な圧力」を請う狂曲

シベリウス「交響曲第5番」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

前回の投稿にコメントを頂いたので、それを読んで考えたことを書いてみるよ。

Judith Curry、ちょっとコワいおばちゃん、ね。

Dr. Judy Curry

「先刻ご承知かもしれませんが」ということですが、知りませんでした。
たしか、WUWTが紹介してたようだけど、昨年5月9日の投稿でも書いたとおり、アメ公が温暖化対策に邁進してくれたら我国にはむしろ有利、と思ってるから、見てないんだよね。
けど、リンクまで張っていただいたので、ダウンロードしましたです。
英語は苦手だから、まじめに読んでないけど、チラッと見た限りで気づいたことを述べると。

「A recent paper by Swart et al. emphasized that internal climate variability can mask or enhance human-induced sea-ice loss on timescales ranging from years to decades or even a century」と書いてるけど、その論文は、北極海の海氷減少は自然現象、と言ってるのかな?
どこにもアップロードされてないから、中身は見てないけど、「Nature Climate Change」にそんな論文が載るとは思えんな。
なんせ、その論文の著者の一人、John C. Fyfeは、昨年2月28日の投稿で紹介したとおり、ハイエイタスなんて関係ねえ、と喚いてた野郎だから、ね。
そんな野郎の論文よりも、昨年12月27日の投稿の図1の論文を紹介するべきだったな。
そして、それとの関係で、昨年12月25日の投稿の図1、図4、図5の論文を紹介し、さらに、IPCC第5次報告書が北半球高緯度の気温を隠したという事実、IPCCには北半球高緯度の気温が「不都合な真実」であるという事実を指摘すれば、もっとインパクトがあったんじゃねえか。

それから。
IPCC党は、最近のCO2排出ペースはRCP8.5シナリオに近い、と言い立ててるから、何の対策もしなければ、気候応答に「The likely range for the transient climate response is 1.05 to 1.45°C」の中央値を採っても、(産業革命時と比べた)今世紀末の気温上昇は

(1)    \displaystyle 1.25 \times \frac{\ln \left( 936 / \, 280 \right)}{\ln \left( 2 \right)} = 2.2

「The implications of the lower values of climate sensitivity found by Lewis and Curry and other recent studies is that human-caused warming is not expected to exceed the 2°C ‘danger’ level in the 21 st century」と言ってるけど、2℃を超える可能性は十分に残ってしまう。
但し、CO2排出がRCP8.5シナリオより少し低ければ、「human-caused warming is not expected to exceed the 2°C ‘danger’ level in the 21 st century」
4月16日の投稿で採り上げた2015年4月15日の朝鮮日刊新聞記事に見えるとおり、IPCCとその一党は、RCP8.5シナリオどおりなら4℃上がる、と喚いてる。)
だから、結局のところ、温暖化対策の必要性は否定しないけれど、奸凶NPOどもが血眼になって喚き立てているような対策は全く必要ない、理性的な対応が望ましい、と言ってるようにも受け取れるな。

けど、昨年11月16日の投稿でも指摘したとおり、Lewisの計算はホッケー・スティックを前提にしてる。
だから、「The likely range for the transient climate response is 1.05 to 1.45°C」ですらも倍近い過大評価なんだよ。
「we do not have explanations for a number of observed historical and paleo-climate variations, including the warming from 1910-1940」と釈明してるけど、始めに述べた北半球高緯度の気候変動は、20世紀前半の気候変動が殆ど自然要因であることを示してるんだね。
この辺り、tokyoboy氏も指摘しているとおり、「踏み込み不足の感はある」
3月6日の投稿の(2)式で計算したとおり、私めに言わせれば、RCP8.5シナリオでも1℃も上がらない。
そして、1℃を超えると、その先は、もう殆ど上がらない。
私めなら、4月10日の投稿で紹介したブックレットを採り上げるな。
米国科学アカデミーは「it plays little role in causing additional warming」と認めているんです、とぶち上げれば、議場は騒然となるんじゃねえか?

とは言うものの、考えようによっては、Curryの折衷的と言うか、妥協的と言うかのアプローチの方が賢明かもしれない。
昨年7月18日の投稿で紹介したとおり、「人は、どんなに科学的根拠を積み上げて説得していっても、信じたくないものは信じない」んだね。
「自分の理念や信条、政治的・宗教的な見解とぶつかるような場合には、それを認めたくない」んだね。
だから、私めのように、IPCCの人為的温暖化説の非科学性を徹底的に暴露すれば、共和党の議員は歓ぶかもしらんけど、民主党の議員に対しては「科学的証拠をどんなに突きつけたところでそれが逆効果になり、頑なに自分の信じていることを曲げない」という事態を招いてしまう可能性が大。
現実問題として、議会を動かす必要がある以上は、民主党の議員にも納得させる必要がある。
Curryのアプローチなら、民主党の議員も頑なな態度を和らげるかもしれない。
まあ、そこまで考えてのことかどうかは分からんけど。

とにかく、ここで何よりも重要なのは、米国では科学者が議会でIPCCを批判できる、ということだな。
それは民主主義が機能している証だね。
残念ながら、自民党から共産党まで総翼賛体制の我国ではありえんな。
前回の投稿を読んでも分かるとおり、私めは、他国の国民を殺しまくっているアメ公に民主主義を語る資格なんかねえ、と思ってるわけだけど、こういうのを見せられると、逆に、我国に民主主義はねえな、と思い知らされてしまう。

けど、我国の民主主義がここまで劣化したのは、やっぱり、「左翼」が原因だぞ。


言論の府で―異論への異常な圧力
言論をめぐる、昨今の自民党の行状が目にあまる。
1日の参院予算委員会での社民党・福島瑞穂氏の発言について、自民党は「不適切と認められるような言辞があった」として修正を求めている。
福島氏は質問の中で「安倍内閣が、14本から18本以上の戦争法案を出すと言われている。集団的自衛権の行使や後方支援という名のもとに、戦場の隣で武器弾薬を提供することを認めようとしている」と述べた。
安倍首相はその場で「レッテルを貼って議論を矮小(わいしょう)化していくことは断じて甘受できない」と反論した。
その後、自民党の堀井巌・予算委理事が福島氏に会い、「戦争法案」との表現を修正するように要求。福島氏は拒否し、「国会議員の質問権をこういう形で抑え込もうというのは極めておかしい。表現の自由に関わる」と反発している。
国会議員の国会内での発言は、国会の外で責任は問われないと憲法は定めている。すべての国民を代表する議員が自由に議論するためだ。それほど尊重されるべきものだ。
これまでも議員発言が議事録から削除・修正されたことはあるが、国会の権威や人権を傷つけたような場合が通例だ。
福島氏の発言は、集団的自衛権についての強引な解釈改憲に基づく法整備への、国民の根強い懸念を代弁している。多数意見であろうとなかろうと、国会で尊重されるべき主張である。
政権側に異論があるなら、議場で反論し、やりとりをそのまま記録に残せばいい。その是非を判断するのは、現在と後世の国民だ。
多数派の意に沿わない発言だからといって、「一方的だ」という理由で修正させようというのは、数の力を背景にした言論の封殺である。

権力と憲法の関係について、改めて考えたい。
憲法によって権力の暴走を防ぐ「立憲主義」について、首相はかつて国会で「王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方だ」と語った。まるで権力を縛るなど時代錯誤だと言わんばかりだった。
しかし、最近の安倍首相ら政権側の言動はどうだろうか。沖縄県知事らの意向などお構いなしの普天間飛行場移設の強硬姿勢。個別の報道番組への口出し。そして今回の議員発言への修正要求である。
自らと異なる立場に対する敬意や尊重などかけらもない。「絶対権力」の振る舞いと見まごうばかりである。


(2015年4月21日の朝鮮日刊新聞社説)

「自らと異なる立場に対する敬意や尊重などかけらもない」だと?
テメエらは何て言ってた?
2013年11月13日の投稿で紹介したとおり、「無益な論争に決着をつけ、懐疑派を黙らせることができるのか」と言い放ったんだね。
「無益な論争」との言い草は「自らと異なる立場に対する敬意や尊重などかけらもない」だろ!
「黙らせることができるのか」との言い草は正に「言論の封殺」だな。
左翼が「無益な論争」と決めつける拠り所は、例の「合意」というやつだ。
昨年2月2日の投稿で紹介したけど、虫国野郎が「例えば、1000人の気候科学の専門家が合意している状況で、1人の専門外の方が異論を唱えた時、はたして新聞はとりあげるべきでしょうか」と喚いてたのがそれだね。
しかし、それこそ「多数派の意に沿わない発言だから」と言う以外の何物でもねえ。
「すべての国民を代表する議員」ということは、与党はより多くの国民を代表するということに他ならず、だからこそ、「数の力を背景」にするわけだけど、「気候科学の専門家」は国民の代表でも何でもないのだから、「1000人の気候科学の専門家が合意している状況で」と言い張って、「無益な論争」と決めつけ、「黙らせろ」などと喚き散らすのは、もはや「数の力を背景にした言論の封殺」をも通り越してるぞ。

そもそも、政党とは一定の主義・主張をもっている者の集まり。
「自らと異なる立場に対する敬意や尊重」を払い続けてたら、政党なんか作れないけど、新聞社は政党じゃねえ。
与党が「『一方的だ』という理由で修正させよう」とするよりも、新聞社が「無益な論争に決着をつけ、懐疑派を黙らせることができるのか」と喚き散らす方が遥かに恐ろしいんだよ。
(このことを理解すれば、つまり、温暖化プロパガンダを見れば、「自らと異なる立場に対する敬意や尊重などかけらもない」が醜悪で卑劣極まる欺瞞にすぎないことが分かるんだね。実際、「戦争法案」と決めつけること自体が「自らと異なる立場に対する敬意や尊重などかけらもない」のだから。)

「しかし、最近の安倍首相ら政権側の言動はどうだろうか。沖縄県知事らの意向などお構いなしの普天間飛行場移設の強硬姿勢」と喚いてるけど、「最近の左翼の言動はどうだろうか」?
4月14日の投稿で紹介したとおり、「地球全体の利益、地球益に背を向ければ、国際的な信用を失う」だの、「国際社会のいらだちは高まっている」だのと喚いてたけど、「地球全体」を「日本全体」に、「地球益」を「日本の安全保障」に置き換えれば、「日本全体の利益、日本の安全保障に背を向ければ、沖縄県知事らは日本国民の信用を失う」、「沖縄県知事への日本国民のいらだちは高まっている」ということになってしまうな。
前回の投稿で紹介したとおり、「ところが、日本は世界の流れと逆に進んでいる」と喚き散らしてたけど、「沖縄県知事は日本の流れと逆に進んでいる」ということになってしまうな。
心底から「沖縄県知事らの意向などお構いなしの普天間飛行場移設の強硬姿勢」と批判しているのなら、「地球全体の利益、地球益に背を向ければ、国際的な信用を失う」だの、「国際社会のいらだちは高まっている」だのと言い放つはずがないんだね。
昨年1月27日の投稿で指摘したけど、実のところ、左翼は基地問題を弄んでいるんだよ。

「その是非を判断するのは、現在と後世の国民だ」と?
石炭火力の「是非は判断するのは、現在の国民だ」
にもかかわらず、「『絶対権力』の振る舞いと見まごうばかり」に「日本は世界の流れと逆に進んでいる」などと決めつける輩が「すべての国民を代表する議員が自由に議論するためだ。それほど尊重されるべきものだ」などとほざくんじゃねえ!

しかも、2011年8月30日の投稿で紹介したとおり、国民は麻生政権が示したCO2排出15%削減でさえ削減幅が大きすぎると批判していたにもかかわらず、2011年3月21日の投稿で紹介したとおり、左翼は「朝日地球環境フォーラム」を主催し、鳩の糞山に25%削減を公言させ、民意を踏み躙ったんだね。
それを「(与党の)数の力を背景にした言論の封殺」と言わずして、何と言うか!
それなのに、4月19日の投稿で紹介したとおり、尚も「温室効果ガスの削減目標は、『20年に90年比25%減』(鳩山政権)と欧州並みの高い数値を掲げたこともあった」と言い張って、「異論への異常な圧力」をかけるんだよ。
「まるで権力を縛るなど時代錯誤だと言わんばかりだった」だと?
左翼は「まるで民主主義など時代錯誤だと言わんばかりだった」

これだけでも、左翼の反民主性は明らかだろうけど、さらに、こんなことまで言ってたんだよ。


再エネ比率―目標はもっと高く
経済産業省が、今夏前に決める2030年の電源構成(エネルギーミックス)について、再生可能エネルギーの割合を20%台前半とする検討に入った。
昨年のエネルギー基本計画では「約2割をさらに上回る」としていた。福島第一原発の事故前(10年)も目標は約2割。この程度の上積みで、原発事故の教訓が生かされている、と言えるのか。30年まで15年ある。さらなる上積みを考えるべきだ。
一方で経産省は原発の利点や必要性を強調し、こちらも20%前後にする算段だという。
だが原発事故は、地震などの災害が多発する日本で、原発がいかに不安定でお金のかかる電源かを白日の下にさらした。原発に頼らずにエネルギーの自給率を高め、温暖化も防ぐには、再エネをできるだけ早く育てることが不可欠だ。
もちろん、再エネには課題も少なくない。一定の価格で再エネを買い取る制度(FIT)や、再エネ発電の適地から需要地へと電気を送るのに必要な送電網の整備にかかる費用などで、電気料金が極端に上がることについては、十分に配慮すべきだろう。
それでも、再エネを増やすためにやるべき事柄はまだ多くある。自然条件に出力が左右される再エネの変動を調整するための運用技術、太陽光パネルの新素材の開発、熱利用を促す制度、分散型・地産地消型のエネルギー活用の推進――。30年までに進展が見込めるものを支援する計画を、政府はもっと具体的に示せないか。
経産省だけで決める姿勢にも疑問符はつく。環境省が3日に公表した報告書は、経産省より高い目標設定が可能との試算を示した。宮沢経産相は「実現可能性がない」としてとりあわないが、環境省側の検討会座長を務めた倉阪秀史千葉大教授は、ツイッターで「報告書を読めば(指摘は)明らかに誤り」と反論している。
どちらも税金を使っての作業だ。両者の間にどのような違いがあるのか、どちらに妥当性があるのか。政府として国民に説明するべきだし、公正で統一的な見解をまとめる努力を重ねるべきだろう。電源構成を決める場に環境省側のメンバーも招いて議論してはどうか。
大きな改革には負担がつきものだ。だが、その負担に納得できるかは、得られるメリットによる。日本は原発事故に学び、再エネへと切り替える必要性を痛感した。
困難があろうと、3・11前に戻る選択肢はありえない。


(2015年4月10日の朝鮮日刊新聞社説)

おい、こらっ!
何時、国民が「再エネへと切り替える必要性を痛感した」んだ?
言ってみろ!

始めの社説で「すべての国民を代表する議員が自由に議論するためだ。それほど尊重されるべきものだ」と喚いてたけど、「すべての国民が自由に議論する」ことがその大前提。
「すべての国民が自由に議論する」ことが保証されて、初めて「すべての国民を代表する議員が自由に議論する」ことができるんだね。
昨年9月3日の投稿で採り上げた2014年5月2日の朝鮮日刊新聞社説は「『多様な価値を認め合う民主主義社会』がいま、揺らいでいる。深刻なのは、自分たちと違う価値観の人々の存在そのものを否定し、攻撃する動きが勢いを増していることだ」と喚き立ててたけど、「自分たちと違う価値観の人々の存在」を認めて、初めて「すべての国民が自由に議論する」ことができるんだね。
メディアはそのために、つまり、メディアは「違う価値観の人々の存在」を知らせるために存在する。
ところが、どうだ。
再エネを批判している市民はごまんといるのに、それには知らぬ顔の半兵衛を決め込み、「再エネへと切り替える必要性を痛感した」と、つまり、日本国民は一人残らず再エネへの切り替えを求めている、と決めつけてるんだよ。
「経産省だけで決める姿勢にも疑問符はつく」と批判しながら、自分たちだけで「再エネへと切り替える必要性を痛感した」と決めてるんだよ。
「自分たちと違う価値観の人々の存在」を報じるべき新聞社が、安倍こべに「自分たちと違う価値観の人々の存在そのものを否定し」たんだね。
「どちらも税金を使っての作業だ」だの、「政府として国民に説明するべきだ」だのと、国民の代弁者を装って、民意を騙ってるんだよ。

「温暖化も防ぐには、再エネをできるだけ早く育てることが不可欠だ」との言い草に見えるとおり、やはり、「言論の封殺」は温暖化プロパガンダと結びついてる。
(もちろん、「エネルギーの自給率を高め、温暖化も防ぐ」は真っ赤な左翼の真っ赤な嘘前回の投稿で指摘したとおり、火力や原子力がなければ、再エネではエネルギーを自給できないし、CO2排出も減らない。)
「大きな改革には負担がつきものだ。だが、その負担に納得できるかは、得られるメリットによる」と言い立てているけど、国民にメリットがあるなら、民主主義を否定するはずがねえ。
前回の投稿で指摘したとおり、「国民の生活と命を守るためには、最も安価な石炭火力以外の選択肢はありえない」にもかかわらず、「日本は原発事故に学び、再エネへと切り替える必要性を痛感した」と民意を騙った挙句に、「困難があろうと、3・11前に戻る選択肢はありえない」と喚き立てるのは、原発事故に便乗して、再エネで国民から搾取しようと目論んでいることをハッキリと示してるぞ。
「言論をめぐる、昨今の自民党の行状が目にあまる」だと?
「言論をめぐる、昨今の左翼の行状は目にあまる」んだ、つ~の!
上で述べたとおり、米国では民主主義が機能しているから、妥協的なアプローチもありえるけど、我国おいては、温暖化プロパガンダは徹底した民主主義否定の上に展開されている。
民主主義を否定しようと図る輩との妥協という「選択肢はありえない」んだ。
温暖化を煽り立ててきた気候学者・環境NPO・左翼は葬り去らねばならん。
「困難があろうと、3・11前に戻る(=尚も、温暖化を煽り立てて国民を搾取する)選択肢はありえない」!

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