倒錯のアラベスク

ドビュッシー「アラベスク第2番」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

前回の投稿で採り上げた論説の「それでも、大きな犠牲を経てたどり着いたこの機会を大事にしたい」という言い草には、本当に心の底から激しい憤りをおぼえるぜ。
にもかかわらず、当の鬼畜左翼はこんなこと喚いてやがる。


首相の改憲論 あまりの倒錯に驚く
安倍首相が、9条も視野に入れた憲法改正への意欲を積極的に発信している。
夏の参院選を控え、悲願の実現に向けた地ならしをする狙いがあるようだ。だが、その論法はあまりにも倒錯している。
首相は衆院予算委員会で「憲法学者の7割が、9条の解釈からすれば自衛隊の存在自体が憲法違反のおそれがあると判断している」「この状況をなくすべきではないかという考え方もある」と述べた。
首相に近い自民党の稲田政調会長が「現実に合わない9条2項をこのままにしておくことこそ、立憲主義を空洞化する」と聞いたのに答えたものだ。
確かに朝日新聞の昨年の憲法学者へのアンケートでは、63%が自衛隊の存在は「憲法違反」「憲法違反の可能性がある」と答えている。同時に、安倍政権が集団的自衛権の行使を認める憲法解釈変更をへて国会に提出した安全保障関連法案については、98%が「違憲」「違憲の可能性」を指摘している。
多数の憲法学者と国民の反対を押し切り、集団的自衛権は行使できないとの歴代内閣の憲法解釈を、閣議決定だけで変えてしまったのは安倍内閣である。
自衛隊の存在と学者の見解とのへだたりを問題にするのであれば、安保法制を撤回するのが筋ではないか。「立憲主義の空洞化」を批判するなら、まずは我が身を省みるべきだろう。
首相は国会で、一連の答弁を疑問視する民主党議員に対し、「憲法に指一本触れてはならないと考えることで思考停止になる」「自民党はそうではなく、改正草案を示している」と語り、民主党にも草案を「出してみて下さいよ」と挑発した。
集団的自衛権の行使容認では憲法改正の手続きを避け、解釈変更を押し通しながら、いまになって「改正案を示している」と胸を張る。ずいぶんと都合のいい話ではないか。
自民党の9条改正案は自衛権を明記し、「国防軍の保持」をうたう。
一方で首相は、9条改正が国民の支持を得ている状況にないと認めている。それでは憲法のどこをどう改正するのかと問われれば、「国会や国民的な議論の中でだんだんと収斂(しゅうれん)していく」と答えるのみだ。
憲法は、一人ひとりの人権と平和を守り、権力のあり方を規定する最高法規である。国会でも、国民的にも、改正の是非を含め論じ合えばいい。
ただし、中身ではなく改正そのものが目的化した改憲論には与(くみ)することはできない。


(2016年2月6日の朝鮮日刊新聞邪説)

何をぬかすか!
電力自由化しても福島原発事故が収束するわけでもないし、原発事故で放出された核物質が消えてなくなるわけでもないのに、「それでも、大きな犠牲を経てたどり着いたこの機会を大事にしたい」という「その論法はあまりにも倒錯している」んだ、つ~の!
しかも、己らが率先して原発安全神話を垂れ流して、福島原発事故を招いたことをも省みずに、「それでも、大きな犠牲を経てたどり着いたこの機会を大事にしたい」と言い放ちながら、「まずは我が身を省みるべきだろう」との言い草は「あまりの倒錯に驚く」

けど、それは鬼畜左翼だけの問題じゃない。
私めが鬼畜左翼を頻繁に採り上げるのは、それがリベラルを代表しているから。
リベラルの論理は最もハッキリと鬼畜左翼に表れているから。
リベラルは一人の例外も無く、「それでも、大きな犠牲を経てたどり着いたこの機会を大事にしたい」と喚いてるんだよ。
リベラルの「あまりの倒錯に驚く」
って言うと、リベラルは、あんたは右翼ですぅぅぅ~、と泣き喚くだろうけど、それが「倒錯」だ、つ~の!

前回の投稿で指摘したとおり、「それでも、大きな犠牲を経てたどり着いたこの機会を大事にしたい」は、実のところ、原発の電気を消費する「権利」だけを主張してるんだね。
それこそが原発事故を招いたんだろ!
「それでも、大きな犠牲を経てたどり着いたこの機会を大事にしたい」という、リベラルの「あまりにも倒錯した」思考・論理が原発事故の背景にあるんだよ。
鬼畜左翼が原発安全神話を垂れ流して福島原発事故を招いたという事実は、その真実を映し出しているんだね。

原発事故の元凶はリベラル!
原発事故は国土を汚染し、国民を被曝させた。
それは正に戦争。
戦争を招いたリベラルが、9条を守れ、だの、安保法制反対だのとほざくのは「あまりにも倒錯している」

2013年7月6日の投稿で指摘したとおり、電力自由化はTPPの一環。
昨年9月2日の投稿9月16日の投稿9月19日の投稿、そして、9月21日の投稿で指摘したとおり、安保法制反対デモはTPPから目を逸らすことが目的。
昨年7月29日の投稿で解説したとおり、TPPは戦争への道。
戦争に導くリベラルが、9条を守れ、だの、安保法制反対だのとほざくのは「甘利にも倒錯している」
(甘利の問題もTPPから目を逸らすための策謀。消費税増税や電力自由化やTPPなど、国民生活に直結する問題が焦点になり始めると、必ず、「政治と金」の問題が浮上し、国民の目をそちらに逸らす。)

昨年7月17日の投稿7月19日の投稿、そして、7月28日の投稿で指摘したとおり、再生エネ・電力自由化は必要ない、というのがパブコメに表れた民意。
固定価格買い取り制度も電力自由化も国民を排除して勝手に決めた。
にもかかわらず、「それでも、大きな犠牲を経てたどり着いたこの機会を大事にしたい」と喚き立てながら、「多数の憲法学者と国民の反対を押し切り」と泣き喚くのは「あまりにも倒錯している」
しかも、2013年7月6日の投稿で紹介したとおり、電力自由化法案が一旦は廃案になったとき、「そんな参院ならば、もういらない」とまで言い放ちながら、「国会でも、国民的にも、改正の是非を含め論じ合えばいい」と言い立てるに至っては「あまりの倒錯に驚く」

再生エネ+電力自由化を喚き立てるリベラルはひたすらに「倒錯」
固定価格買い取り制度は全ての家庭に有無を言わさず強制的に買い取らせているのだから、「電気を選ぶ」ことはできないにもかかわらず、「どんな電気を選ぶかで供給側の改革を促す」と「倒錯」
そもそも、2012年1月5日の投稿3月20日の投稿7月2日の投稿9月10日の投稿2013年1月15日の投稿2月3日の投稿2月9日の投稿3月3日の投稿、そして、3月6日の投稿で指摘したとおり、再生エネの電気に何か色がついていて、それだけを取り出すことができる、なんてことはあり得ないのだから、「電気を選ぶ」ことはできないにもかかわらず、「どんな電気を選ぶかで供給側の改革を促す」と「倒錯」
「電気を選ぶ」ことができないことすら分かっていない阿呆のくせに、自分達は他の市民よりも知的であると思い込む「倒錯」
「電気を選ぶ」ことができないにもかかわらず、「電気を選ぶ」と言い張るのは、他人に責任を押しつけ、自分だけ責任逃れすることに他ならないにもかかわらず、自分達は他の市民よりも意識が高いと思い込む「倒錯」
COP21では我国のみが負担させられたにもかかわらず、1月6日の投稿で採り上げた元旦の朝鮮日刊新聞邪説が「COP21の合意は、自分の負担を避けようとするだけでは、問題のほんとうの解決にはつながらないと、各国の間で実際的な考えが共有された成果ではないだろうか」と喚き立てたけど、他人に責任を押しつけ、「自分の負担を避けよう」としているくせに、それを指摘されると、安倍こべに「自分の負担を避けようとするだけでは、問題のほんとうの解決にはつながらない」と喚き散らす「倒錯」

倒錯、倒錯、倒錯、倒錯、倒錯!
リベラルの「あまりのあまりのあまりのあまりのあまりの倒錯に驚く」

けど、その程度で驚いてはいかん。

2016020901
2016年2月8日の朝鮮日刊新聞夕刊紙面より

固定価格買い取り制度で強制的に買い取らせているのだから、つまり、地域住民の所得を奪っただけだから、売電で得た金を地域住民に還元しても、地域住民の「利益」にならないにもかかわらず、「利益は地域のために」と「倒錯」
って言うと、リベラルは、原発の電気を使わないことが地域の利益になるんですぅぅぅ~、と泣き喚くだろうけど、それが「倒錯」だ、つ~の!
2014年1月12日の投稿1月26日の投稿6月30日の投稿7月10日の投稿、そして、8月13日の投稿で指摘したとおり、福島に原発を押しつけたのは東京の住民だから、2013年2月18日の投稿3月3日の投稿3月6日の投稿3月11日の投稿3月25日の投稿3月30日の投稿4月3日の投稿2014年2月7日の投稿、そして、5月7日の投稿で指摘したとおり、東京の住民は東電に電気代を支払い続けることで、原発事故の賠償・除染、そして、廃炉の費用を負担する責務を負う。
東京の住民こそ「まずは我が身を省みるべき」にもかかわらず、「地元の電気を使える日が楽しみだ」との言い草は、またしても、自分達は原発事故の責任を負わないという卑劣極まる「倒錯」であり、再生エネ+電力自由化を喚き立てるリベラルこそが原発事故を招いたことをハッキリと示してるな。

「地元の自然エネルギーでできた電気は自慢したくなる」だと?
その台詞を福島県民の前で言ってみろ!

倒錯、倒錯、倒錯、倒錯、倒錯、倒錯!
リベラルの「あまりのあまりのあまりのあまりのあまりのあまりの倒錯に驚く」

けど、その程度で驚いてはいかん。


放送の自律 威圧も萎縮も無縁に
放送法4条は番組に「政治的公平」などを課している。表現や言論の自由を保障する憲法のもとで、報道内容にまで及ぶ、例外的な規定だ。慎重に扱わなければならない条文で、放送局が自らを律する倫理規範と考える法律関係者が多い。
だが、高市早苗総務相は衆院予算委員会で、放送局が4条に繰り返し違反し、改善しない場合には電波停止もありえると答弁した。民主党議員の「恣意(しい)的に運用されれば、政権に批判的な番組を流しただけで業務停止が起こりうる。4条違反での停波はしないと明言してほしい」との質問に、「放送事業者の自律が基本」としながらも「将来にわたってありえないとは断言できない。その時の総務大臣が判断する」と答えた。
高市氏はこれまでも4条は倫理規範ではないとし、「罰則規定も用意されていることによって実効性を担保する」と語っている。だが放送法は、表現の自由の確保や民主主義の発達に資することが目的だ。「政治的公平」のように、いかようにも判断できる条文について罰則を持ち出すのはふさわしくない。
民主党政権も同じ判断だったと高市氏は言う。確かに2010年の参院総務委員会で、当時の片山善博総務相は、行政処分をする権限があるとした。だが同時に「表現の自由、基本的人権にかかわる。極めて限定的、厳格な要件、謙抑的でなければいけない」とも述べた。
現政権下で自民党は「放送の自律」を軽視する態度を続けている。テレビ局の幹部を呼んで個別番組について事情を聴き、選挙報道で「公平中立、公正の確保」を求める文書を送った。「マスコミをこらしめる」などの発言もあった。NHKの新年度予算案を審議する総務会では「解説委員が無責任な評論家、コメンテーターのような発言をしている」と放送内容に干渉するような批判も出た。自民党のこうした振る舞いが続く中での総務相の停波への言及は、放送への威圧とも受けとれる。
この春、報道番組のキャスター、国谷裕子氏、岸井成格氏、古舘伊知郎氏が降板する。政権にはっきりものを言う看板番組の「顔」の交代に、報道の萎縮を懸念する声も上がっている。各局は番組を通して、それを払拭(ふっしょく)してもらいたい。
「政治的公平」は、政治権力と向き合い、それとは異なる意見にも耳をすまして、視聴者に多様な見方を示すことで保たれる。報道機関である放送局が萎縮しその責任から後退したら、民主主義の土台が崩れる。


(2016年2月10日の朝鮮日刊新聞邪説)

上に書いたことは、これまでに何回も何回も何回も繰り返して指摘し続けてきたこと。
にもかかわらず、リベラルは、全く聞く耳を持たず、尚も「それでも、大きな犠牲を経てたどり着いたこの機会を大事にしたい」だの、「地元の自然エネルギーでできた電気は自慢したくなる」だのと喚き散らしている。
そのくせに、2014年9月3日の投稿で紹介したとおり、「その『多様な価値を認め合う民主主義社会』がいま、揺らいでいる。深刻なのは、自分たちと違う価値観の人々の存在そのものを否定し、攻撃する動きが勢いを増していることだ」だの、昨年7月19日の投稿で紹介したとおり、「ものごとを多元的に検討することが企図されている。様々な価値観や異なる意見のせめぎ合いから導かれた結論の方が、間違いが少ないからだ。ところが安倍政権下、まさにその多元性が押しつぶされそうになっている」だのと言い放ち、そして、またもや「それとは異なる意見にも耳をすまして、視聴者に多様な見方を示すこと」と喚き立ててる。
「だが、その論法はあまりにも倒錯している」

倒錯、倒錯、倒錯、倒錯、倒錯、倒錯、倒錯!
リベラルの「あまりのあまりのあまりのあまりのあまりのあまりのあまりの倒錯に驚く」

って言うか、もう、驚かねえぜ。
「報道機関である放送局が萎縮しその責任から後退したら、民主主義の土台が崩れる」ということは、「異なる意見にも耳をすます」どころか、「多様な見方を示す」どころか、「それでも、大きな犠牲を経てたどり着いたこの機会を大事にしたい」だの、「地元の自然エネルギーでできた電気は自慢したくなる」だのと喚き立てて、再生エネ・電力自由化を煽り立てるリベラルこそが民主主義の敵、ということ。
それがリベラルの正体だ。

自民党の大多数は電力自由化に反対だった。
2013年3月21日の投稿で採り上げた朝鮮日刊新聞邪説が「『骨抜き』『既得権保護』の汚名を返上し、新しいエネルギー社会の構築に力を注ぐ。自民党にとっても、またとない機会ではないか」と喚き散らしていたことから明らかなとおり、「多数の憲法学者と国民の反対を押し切り、集団的自衛権は行使できないとの歴代内閣の憲法解釈を、閣議決定だけで変えてしまったのは安倍内閣である」との言い草とは裏腹に、実のところ、安倍とリベラルが結託して、自民党を封じ込め、民意を封じ込め、電力自由化を推し進めたんだよ。

原発事故を招いた真の原因はリベラル!
国民の真の敵はリベラル!
真っ先に葬るべきは、安倍政権ではなく、リベラル!
リベラルを葬り去らずして、安倍政権を倒すなどと言い張るのは「倒錯」以外の何物でもない!

って言うと、リベラルは、あんたのような右翼は大嫌いですぅぅぅ~、と泣き喚くだろうけど、
自分達こそ「我が身を省み」ないくせに、「まずは我が身を省みるべきだろう」と言い放つほど、私めは気が強くない。
自分達こそ「異なる意見に耳をすまさ」ないくせに、「『政治的公平』は、政治権力と向き合い、それとは異なる意見にも耳をすまして、視聴者に多様な見方を示すことで保たれる」と言い放つほど気が強くない。
それほどに気が強ければ、人を踏みつけにしても平気だろう。
残念ながら、私めにはできない。
だから、「右翼」なんだ。

コメントを残す