ブーとIPCCの野獣の下半身対話

ラヴェル「マ・メール・ロワ」より「美女と野獣の対話」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

今朝は寒かったざますな。
最寄のアメダスを見ると、最低気温は6℃。
ずぼらして、まだ羽毛布団を片づけてなかったから助かったよ。
4月の末に羽毛布団が必要になるとは、なんたることだ!

で、4月19日の投稿では「結局、記事にはならなかった」と書いたけど、記事になった。

2016043001
2016年4月28日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

紙面の半分を割いて煽り立てるかと思ってたけど、大した記事じゃないし、既に、昨年12月17日の投稿1月6日の投稿1月11日の投稿2月19日の投稿2月20日の投稿2月23日の投稿2月26日の投稿3月14日の投稿、そして、3月18日の投稿で論じてきたから、新たに言うべきことはないのだけど、コヤツら鬼畜は絶対に葬り去らねばならんから、しつこく繰り返すぞ。

「『2度目標』を達成できるかどうかはわからない」は4月11日の投稿の図2の赤い破線に他ならない。
けど、昨年10月15日の投稿で紹介したとおり、江守正多は「気候科学者の間では、今世紀に入ってからの世界平均気温上昇の鈍化は、気候の自然な変動によるものと考えられており」と、そして、「世界平均気温が顕著に上昇していた1980~90年代は、このPDOの符号が正で、熱帯太平洋がエルニーニョっぽくなっていた時期と一致する」と言ってたわけで、それなら、昨年5月20日の投稿で採り上げた解説も指摘してたとおり、「当然の帰結として1970年代から1990年代までの急激な温暖化の約半分が内部変動によるものである、という推測が成り立つ」から、赤い破線のように気温が上がり続けるはずがない。
しかも、実のところ、4月11日の投稿の図2の赤い実線ですら著しい過大評価。
それは、20世紀に気温が上昇したのは偏に人為的排出CO2が原因と看做した場合、つまり、ホッケー・スティック曲線に基づいているけど、「温暖化対策の愚」と「ホッケー・スティック曲線の虚実」で解説しているとおり、20世紀前半の気温上昇は自然要因。
2月1日の投稿で紹介したとおり、ホッケー・スティック曲線を捏造したハゲ自身がその事実を認めてしまったんだね。
だから、昨年12月15日の投稿、または、3月28日の投稿で解説したとおり、CO2を排出し続けても「産業革命前と比べ2度より十分低く保つ」ことができる。
江守正多は科学的事実に頬かむりを決め込んで、「『2度目標』を達成できるかどうかはわからない」と喚き続けているんだよ。
昨年12月6日の投稿で紹介したとおり、「温暖化論争をフォローするうえでぜひ知っておいて頂かなければいけないことは、欧米の産業界の一部の意を汲むといわれる組織的な温暖化懐疑論・否定論活動の存在である」だの、2月19日の投稿で紹介したとおり、「懐疑論の多くはエクソン・モービルとコーク・ファミリー財団という化石燃料企業あるいはその関連組織が中心となって広められている」だのと喚き散らしたのは、己が科学的事実と科学的議論から逃げ隠れしていることを誤魔化すためだ。
昨年5月20日の投稿で採り上げた解説の著者は江守正多と共に気象学会の地球環境問題委員会のメンバー。知らないはずがねえ。にもかかわらず、しかも、「巷には懐疑論者バスターと称するグループまで登場し」と罵倒されたにもかかわらず、「懐疑論者たちは科学の懐疑論からある程度撤退してきており、次のとりでである影響の懐疑論、対策の懐疑論に戦線が後退してきたといえるだろう」と白を切るのは、科学的事実と科学的議論から逃げ隠れしていることを示して余りある。)

このシンポジウムを主催した鬼畜左翼は何て言ってた?
こんな邪説を書いてたな。


TPPと国会 承認ありきは許されぬ
環太平洋経済連携協定(TPP)の承認案と、関連する11本の法律を一括改正する法案の審議が、衆院で始まった。
世界貿易機関(WTO)が機能不全に陥った後、二国間や多国間の自由貿易・経済連携協定が自由化の推進役となっている。中でもTPPには世界経済を引っ張るアジア太平洋の12カ国が参加し、国内総生産(GDP)で世界の4割を占める。低成長が続く日本にとって、その効果への期待は小さくない。
TPPが扱うのは関税の撤廃・引き下げや投資の自由化などのほか、知的財産や環境・労働分野に及び、「21世紀型」と呼ばれる。さまざまな産業や国民生活への影響が予想され、不安や疑問、反対論も根強い。
審議を通じてそうした声に向き合うことが、国民の代表としての国会の責任だろう。各党は「消費者の利益」を基準に、是非と対策を考える姿勢で審議を尽くしてほしい。
気がかりなのは、今の国会でTPPを承認しようという与党と政府の前のめりな姿勢だ。
参加12カ国は2月にTPPに署名したが、発効には各国が議会承認を含めて必要な手続きを終えねばならない。TPPの規定では、2大国である米国と日本の手続き完了が不可欠だ。
大統領選の最中にある米国では、民主、共和両党とも有力候補はこぞってTPPに否定的。議会承認は11月の大統領選後、との見方がもっぱらである。
安倍政権はTPPをアベノミクスの柱の一つと位置づける。「日本が率先して発効への機運を高める」と意気込むが、拙速な審議は許されない。夏の参院選や、取りざたされる衆参同日選をにらみ、懸案を片付けておこうとの思惑なら本末転倒だ。
民進党は、農林水産分野の関税撤廃・引き下げ問題を中心に追及する構えだ。
衆参の農林水産委員会は3年前、コメなど重要5項目に十分に配慮するよう決議している。TPPの協定案が5項目を「聖域」として守っているかを突くだけでなく、幅広い視点からの議論を心がけてほしい。
徹底した審議には十分な情報が必要だ。交渉で主役を演じた甘利明・前TPP担当相とフロマン・米通商代表部代表の会談資料について、政府はようやく開示に応じることを決めたが、黒塗りだという。できるだけ情報公開に努めるべきだ。
甘利氏が金銭授受疑惑について説明責任を果たすことも、改めて求めたい。体調がすぐれず難しいなら、なおさらTPPの承認を急ぐべきではない。


(2016年4月6日の朝鮮日刊新聞邪説)

「気候科学者の間では、今世紀に入ってからの世界平均気温上昇の鈍化は、気候の自然な変動によるものと考えられており」なら、4月11日の投稿の図2の赤い破線のように気温が上がり続けるはずが無いという事実に頬かむりを決め込んで、「『2度目標』を達成できるかどうかはわからない」と喚くのは、科学的事実を「黒塗り」することに他ならない。
ハゲですら20世紀前半の気温上昇は自然要因と認めたことに知らんぷりして、「『2度目標』を達成できるかどうかはわからない」と喚くのも「黒塗り」
まともな科学的反論が何一つできないくせに、「懐疑論の多くはエクソン・モービルとコーク・ファミリー財団という化石燃料企業あるいはその関連組織が中心となって広められている」と喚き散らすのは、科学的議論を「黒塗り」するため。
昨年12月15日の投稿で紹介したとおり、「温暖化対策に異議を唱えるのに『懐疑論』は要らない」と喚き立てたのも「黒塗り」

もちろん、正確に言えば「黒塗り」じゃない。
本当に「黒塗り」なら、まだまし。
三国志演義の中で、馬超・韓遂と戦った曹操が、馬超の勇猛に手こずって、離間の計を策する場面がある。
わざと「黒塗り」した書簡を韓遂に送りつける。
それを見た馬超は韓遂が曹操に寝返ったと思い込み、窮した韓遂は本当に寝返ってしまう。
それに乗じて、馬超を攻め破る。
このことからも明らかなとおり、本当に「黒塗り」なら、市民は江守正多に、であるから、IPCCの人為的温暖化説に疑いを抱く。
だから、「ホッケー・スティック曲線を捏造したハゲ本人が20世紀前半の気温上昇は自然要因と認めてしまった」という文字を「白塗り」し、さらに、その上から「懐疑論者たちは科学の懐疑論からある程度撤退してきており、次のとりでである影響の懐疑論、対策の懐疑論に戦線が後退してきたといえるだろう」という文字で「黒塗り」したんだよ、江守正多は。
「CO2を排出し続けても『産業革命前と比べ2度より十分低く保つ』ことができる」という文字を「白塗り」し、さらに、その上から「懐疑論の多くはエクソン・モービルとコーク・ファミリー財団という化石燃料企業あるいはその関連組織が中心となって広められている」という文字で「黒塗り」したんだよ。
「黒塗り」と気づかせずに「黒塗り」してるんだね、江守正多は。
「甘利明・前TPP担当相とフロマン・米通商代表部代表の会談資料」の「黒塗り」よりも遥かに狡猾で悪辣。

「イノベーションをどう起こしていくか、それをどう社会で受け入れていくかが重要になってくる」だと?
2月26日の投稿で指摘したとおり、「イノベーション」とは、テメエら温暖化を煽り立てる鬼畜の「マスターベーション」だ。
(「教えて!パリ協定」の第7回で、日本無学術会議のアホが「技術を社会のニーズと結びつけながら普及させる政策など、文系的なイノベーションの重要性を強調した」けど、2012年12月3日の投稿で指摘したとおり、「既得権」とは「一人一人の必死の生活とそこから出てくるニーズ」だから、「社会のニーズと結びつけながら普及させる」のなら、「既得権」と罵るのは「イノベーション」と相容れない。ところが、虫国野郎は、昨年1月7日の投稿で紹介したとおり「最大の理由は、単純に言えば、温暖化対策の推進はエネルギー・システムの構造改革に直結するため、大手電力会社、石油や石炭を売る化石燃料会社、エネルギー多消費企業などの既得権益が大きな反対勢力となって立ちはだかるからである」と喚き立てた。2月19日の投稿で紹介したとおり、江守正多が「温暖化対策が進むと利益を失う化石燃料企業による、温暖化対策の妨害である」と言い張ったのも同じ意図。それは「イノベーション」が「マスターベーション」に他ならないことを露呈してる。)
「『2度目標を達成できるかどうかはわからない』という『マスターべーション』」を他人に見せるんじゃねえ!
変態野郎め!
名古屋のブーと交尾してろ!
おぇぇぇ~。

にもかかわらず、そんな輩を使って温暖化対策を正当化しようと図るのは、1月13日の投稿1月20日の投稿で指摘したとおり、「『パリ協定後の世界と日本』を通じてそうした声に背を向けることが、富裕層の上位0.01%の代表としての朝鮮日刊新聞の責任だろう」に他ならない。
実際、昨年6月18日の投稿で紹介したとおり、温暖化対策には「さまざまな産業や国民生活への影響が予想され、不安や疑問、反対論も根強い」のだから、パリ協定の「承認ありきは許されぬ」
ところが、江守正多は、昨年12月15日の投稿で紹介したとおり、「日本人は特にわかっていない」と罵った挙句、3月18日の投稿で紹介したとおり、「社会のほとんどの人たちが問題に関心を持ち、科学的知見と倫理的規範を共有する必要は、必ずしも無い・・・彼らは新しい常識にいつのまにか従うようになるだけだろう」と高言した。
そんな輩と結託してシンポジウムを開催するのは「承認ありき」に他ならない。
実際、鬼畜左翼自体が、昨年12月17日の投稿で採り上げた邪説で、「案じるよりも、みんなで一歩を踏み出す決意を持ちたい」と言い放った。
「不安や疑問、反対論」を置き去りにして、つまり、国民に背を向けながら、安倍こべに「日本では、後ろ向きな議論が見られる」との言い草は、コヤツらが0.01%の方を向いていること、0.01%ための温暖化プロパガンダに他ならないことをハッキリと示してるな。

3月22日の投稿でも指摘したとおり、中禍人糞凶和国は大気中CO2を激増させることで経済成長し、世界の富裕層上位0.01%は中禍人糞凶和国に投資して利を貪ってきた。
その世界の富裕層上位0.01%の資金で活動しているのがWWF。
だからこそ、2014年6月25日の投稿で紹介したとおり、WWFは「日本は逆行している」と喚き散らしたんだね。
それを言ったのはWWFの虫国人だけど、「WWFジャパン気候変動・エネルギーグループの山岸尚之」も同じこと言ってる。
実際、「日本では、後ろ向きな議論が見られる」と言い立て、「脱炭素について、できない理由よりできる理由を探す社会にしたい」と泣き喚くのは、「日本は逆行している」と言うのと全く同じ。
IPCCの人為的温暖化説を真に受けても、昨年4月19日の投稿で解説したとおり、今や中禍人糞凶和国が最大の排出国であり、これまでの温暖化に関してもアメ公に次ぐ責任を負うにもかかわらず、パリ協定は中禍人糞凶和国が排出を増加し続けることを認めてしまった。
IPCCの人為的温暖化説を真に受けるなら、「後ろ向きな議論が見られる」とパリ協定を批判すべきだろ。
鬼畜左翼は、昨年4月14日の投稿で採り上げた邪説で「国際社会のいらだちは高まっている」だの、昨年5月8日の投稿で採り上げた邪説でも「そんな姑息なやり方で近年の無策をごまかしては、国際社会の信頼を失うだけだ」だのと我国を罵ったけど、「中禍人糞凶和国の排出削減について、できない理由よりできる理由を探す国際社会にしたい」と言うべきだろ。
昨年11月10日の投稿で紹介したとおり、虫国野郎は「格差や貧困の問題、そして温暖化問題において状況を改善しようとする際に立ちはだかる既得権益を持つ社会的強者もほぼ重なっている」と喚き立てたけど、世界の富裕層上位0.01%こそがCO2を排出したのであり、世界の富裕層上位0.01%こそが「格差や貧困」の元凶なのだから、「世界の富裕層上位0.01%の資産没収について、できない理由よりできる理由を探す国際社会にしたい」と言うべき。
にもかかわらず、安倍こべに「日本では、後ろ向きな議論が見られる」、「脱炭素について、できない理由よりできる理由を探す社会にしたい」との言い草は、0.01%ための温暖化プロパガンダに他ならないことをハッキリと示してるな。

3月18日の投稿で採り上げた論説で、江守正多が「多くの日本国民は、そもそもなぜ80%も削減しなくちゃいけないのかや、そもそもそんなことが可能なのか、ほとんど見当がつかずにいるのではないか」と認めていたとおり、国民を置き去りにして、政府が勝手に温暖化対策計画を策定した。
こちらを見れば分かるとおり、それに関わったのが名古屋のブー。
勝手に決めた後で「196カ国・地域が合意に至ることができた背景を解説」したのは、「できるだけ情報公開に努めるべき」と見せかけて、「承認ありき」を正当化するため。

2016043002

「承認ありき」で、笑ってやがる。
本当に醜いブーだ!
江守正多と交尾してろ!
おぇぇぇ~。

IPCCが、ln(x) は指数関数です、と狂騒曲

ヴィヴァルディ「フルート協奏曲 RV428(ごしきひわ)」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

性懲りも無く、NOAAのアホが喚いてやがる。


史上最も暑かった3月、月平均最高記録11か月連続 米NOAA
2016年4月20日 11:20 発信地:マイアミ/米国
米海洋大気局(NOAA)は19日、2016年の3月について、近現代史上で最も暑い3月だったと発表した。これにより、月間の世界平均気温の最高記録が11か月連続で更新されたという。
NOAAによると、平均気温が過去最高となる月が11か月続いたのは、過去137年の観測史上で最長だという。
2016年3月の地球の地表と海面の平均温度についてNOAAは、「1880年に記録を取り始めたNOAAの地球温度データベースで、3月としては最高となった」と述べた。
NOAAの報告書によると、地球全体の平均気温は、20世紀平均の12.7度を1.22度上回ったという。「これは、2015年に更新された過去最高記録を0.32度上回っており、記録に残る全1635か月の中、気温偏差(平均からの差)が最高値となっている
こうした気温の急上昇は、地球温暖化のペースが加速していることを示しているため、科学界では懸念の材料となっている。
2015年は、過去最高だった2014年の記録を更新し、観測史上最も暑かった年となっている。
NOAAの報告書によれば、3月は地表の大半で平均を上回る高気温となり、「ブラジル東部、アフリカの東部と中部の大部分、東南アジアの大半、オーストラリアの北部と東部の大部分などで、記録的な気温上昇を示した」という。
また、世界の海でも水温は上昇傾向にあり、地球海洋温度が3月としては1880年以降で最高値を記録。2015年の過去最高記録を更新した。
NOAAは「月間の地球海洋温度の気温偏差の上位7位はすべて、この7か月間で発生した記録」と指摘している。


(AFP/Kerry SHERIDAN)

熊本が大変な時に、こんなのを論じるのは、なんだかな~、と少々気が引けるんだけど、4月19日の投稿20日の投稿でも指摘したとおり、シースルーら安保法制反対デモの連中が煽り立てる「脱原発=再生エネ+電力自由化」は、熊本死ね、に他ならず、再生エネ+電力自由化は温暖化プロパガンダが拠り所だから、温暖化プロパガンダを糾弾する手を緩めてはならない。

確かに、人工衛星の観測でも「近現代史上で最も暑い3月だった」

2016042201
図1 人工衛星の観測(UAH)に依る気温偏差推移

けど、2月よりは0.1℃下がった。
「記録に残る1978年12月からの448か月の中、気温偏差(平均からの差)が最高値」じゃない。
同じNOAAのNCEPでも、「近現代史上で最も暑い3月だった」けど、やはり、2月よりは下がった。
NCEIが「記録に残る全1635か月の中、気温偏差(平均からの差)が最高値となっている」ようにデータを改竄して、「こうした気温の急上昇は、地球温暖化のペースが加速していることを示している」と喚いていることは見え見え。

地球表面の7割は海で、「気温偏差(平均からの差)が最高値」ではないから、「地球海洋温度が3月としては1880年以降で最高値を記録」は、もちろん、デタラメ。
実際、太平洋の水深300mまでの海水温は下図のとおり。

2016042202図2 「ENSO: Recent Evolution, Current Status and Predictions」の2016年4月4日版より

これはNOAAのデータだからね。

これを見ると、昨年の11月以降は海水温が低下し始めた。
海水温が低下したということは、海から大気に熱が放出されたということ。
そうなれば、気温は上がる。
昨年12月22日の投稿で紹介したとおり、人工衛星の観測でも昨年11月以降の月平均気温偏差が過去最高を記録し始めたけど、原因はそれ。
しかも、今年1月以降は海水温が急激に低下した。
人工衛星の観測でも2月と3月が著しく高くなったのは、それが原因。
つまり、自然現象。

4月11日の投稿で紹介したとおり、IPCC党は、CO2が(産業革命時から)倍増すれば、気温は5~5.3度上がるんですぅぅぅ~、と泣き叫んでたけど、4月11日の投稿の図2の青い破線以上に気温が上がるには、赤い破線のように1970年以降の気温上昇ペースが続くだけでは全く不十分で、「地球温暖化のペースが加速し」なければならない。
だから、データを改竄して、「こうした気温の急上昇は、地球温暖化のペースが加速していることを示している」と喚いてるんだよ。
けど、IPCCの人為的温暖化説を真に受けても、気温上昇は昨年10月1日の投稿の(1)式で表されるから、つまり、気温上昇は対数関数だから、「地球温暖化のペースが加速」するはずがねえ。
にもかかわらず、「こうした気温の急上昇は、地球温暖化のペースが加速していることを示している」と喚くのは、「月間の世界平均気温の最高記録が11か月連続で更新された」が、「2015年は、過去最高だった2014年の記録を更新し、観測史上最も暑かった年となっている」が、そして、「記録に残る全1635か月の中、気温偏差(平均からの差)が最高値となっている」がデータ改竄であることを完全に露呈してる。

だから、本来なら「こうした気温の急上昇は、地球温暖化詐欺のペースが加速していることを示しているため、科学界では懸念の材料となって」然るべき。
にもかかわらず、「地球温暖化のペースが加速していることを示しているため、科学界では懸念の材料となっている」だと?
ほ~、そうか。
ということは、なんだな。
IPCC第5次報告書政策策定者向け要約の執筆者・江守正多は、昨年11月25日の投稿で紹介したとおり、「しかし、筆者から見ると、記事の内容に反する見出しを付けて温暖化の科学への疑いを広めようとしている人がもし(いまだに)いるとすれば、そのほうがずっと『必死』にみえる」だの、昨年12月8日の投稿で紹介したとおり、「温暖化の科学への懐疑を主張される方々の多くにとって、科学への懐疑は言いたいことの本質なのだろうか。ディベートのためのレトリックや理論武装ではないのか」だの、昨年12月15日の投稿で紹介したとおり、「そのNatureや系列紙のNature Climate Change、Nature Geoscienceといった雑誌に、温暖化の科学が正しいことを前提とした論文が常に何本も掲載されているのだ。そのことを考えると、温暖化がウソだったり間違いだったり不正だったりすることを信じ続けるためには、よほど強い動機と思い込みが必要であるように筆者には思われる」だのと泣き喚いてたけど、「対数関数は、『温暖化の科学界』では指数関数となっている」ということだな。
確か、高校の数学の授業では、対数関数は指数関数の逆関数、と習ったはずなんだけどなぁ。

そうなんだ。
対数関数は指数関数だったんだ!
キャハハ。

We are the 死刑 Ladies

レハール「メリー・ウィドウ」より「Maxim’s grisettes (We’re the Ladies of the Chorus)」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

4月8日の投稿で糾弾したにもかかわらず、安保法制反対デモの外道どもがこんなこと喚いてやがる。


作家ら有志、川内原発の即時停止を要請 相次ぐ地震受け
2016年4月16日21時25分
熊本県を中心に地震が相次いでいることを受け、作家やジャーナリストらが参加する「川内原発の即時停止を求める有志の会」が16日、九州電力に鹿児島県の川内原発の即時停止を要請した。
要請したのは、作家の落合恵子さん、澤地久枝さん、広瀬隆さんと、ジャーナリストの鎌田慧さん、フォトジャーナリストの広河隆一さん、学生団体「SEALDs(シールズ)」メンバーの大学生、山田和花(のどか)さん。
地震後も稼働している川内原発について、「異常があってからでは遅いということは、これまでの福島第一原発の事故の経験から、誰の目にも明らか」とし、すぐに停止するよう求めている。要請文書はファクスで九州電力に送付したという。(沼田千賀子)


(朝日新聞デジタル)

もちろん、私めも川内原発は止めるべきと思ってるけど、コヤツらとは全然違う。
原発を止めて電気が足りなくなるのなら、原発を止めろとはよう言わん。
電気が足りないと病人・負傷者の治療もできない。
電気が足りないと人の生死に関わる。
電気が足りないと工場の生産も止まり、労働者は解雇されかねない。
そうなると、生活の再建もままならない。
電気が足りないと復興もできない。

けど、2011年4月26日の投稿8月30日の投稿2012年1月5日の投稿7月11日の投稿7月25日の投稿9月4日の投稿、そして、2013年3月29日の投稿で紹介したとおり、原発が無くても電力は足りてる。
原発が無くても電力が足りているということは、再生エネが無くても電力は足りているということ。
にもかかわらず、昨年7月6日の投稿で採り上げた「教えて!電源構成」の第3回に見えるとおり、再生エネのために国民は1兆8千億円も支払ってる。
2014年12月1日の投稿で紹介したとおり、原子炉一基の廃炉には210億円必要。
46基の廃炉費用は〆めて1兆円。
再生エネ1年分の費用で全原発を廃炉して、まだ、お釣りが来る。
もちろん、全原子炉を一気に廃炉することは不可能。
一基、一基、廃炉していかねばならない。
しかも、一基の廃炉に20年以上はかかる。
だから、廃炉には1兆8千億円のうちの100億円だけ回せば十分。
残りは、福島原発事故対策、東北の震災の復興と熊本の震災の復興に回すことができる。
2014年6月23日の投稿10月22日の投稿11月25日の投稿昨年8月26日の投稿、そして、9月6日の投稿で紹介したとおり、九州では太陽光発電が蔓延してるけど、電気は足りているにもかかわらず、再生エネに負担するのは原発廃炉を阻害し、熊本の復興を阻害する以外の何物でもねえ!

ところが、安保法制反対デモの脱原発は、イコール、再生エネ+電力自由化。
「異常があってからでは遅いということは、これまでの福島第一原発の事故の経験から、誰の目にも明らか」などと嘯いてるけど、実のところ、原発に対する意識は欠片も無い。
またしても、震災に乗じて再生エネを推し進めようとしているだけ。
熊本をさらに苦しめようとしているだけ。
前回の投稿で指摘したとおり、「日本死ね」は「熊本死ね」に他ならないけど、落合恵子、澤地久枝、山田和花は「熊本死ね」と叫んでるんだよ。
人殺し女は死刑にしろ!

前回の投稿で紹介したとおり、頭狂大学の阿呆が「保育園落ちた日本死ね」を持て囃してたけど、その中で「3月27日付朝刊コラム『政治断簡』で政治部の高橋純子記者が『おなかの底から発せられた主体的な言葉は、世界を切りひらく力を、もっている』と書くように」と書いてたのは、この記事だ。


(政治断簡)スプリング・ハズ・カム 政治部次長・高橋純子
2016年3月27日05時00分
全国各地から桜の便りが届いていますが、みなさまいかがお過ごしですか。こんにちは。「チリ紙1枚の価値もない」記事を書かせたら右に出るものなし、週刊新潮にそう太鼓判を押してもらった気がして、うれしはずかし島田も揺れる政治部次長です。
季節がめぐり、自然と足取りも軽くなる今日このごろであるが、ひとつ、ずっと、引っかかっていることがある。
あの家の窓は、どうして閉まったままなのだろう。
通勤時に通りかかる、南西角の一軒家。南隣にくっつくように立っていた家屋が取り壊され、駐車場になった。日当たりも視界も各段に良くなったはずなのに、いつもカーテンがひかれている。
勝手な想像をめぐらせる。たぶんその家では、もはや南の窓は「ない」ことになっているのだろう。開けたところで、どうせ隣家の外壁だから。いつしかカーテンの開け閉めさえ忘れられ、もしかしたら家具が置かれてふさがれているのかもしれない。
もったいないというか、寂しいというか。窓を開ければ、これまでとは違う景色が見えるのに。うららかな日ざしがそそぎ、やわらかな風が吹き込んでくるのに。

前回書いた「だまってトイレをつまらせろ」に多くの批判と激励をいただいたが、どうにもこうにもいただけなかったのが「死刑にしろ」だ。
どんなに気に食わなかったにせよ、刑の執行というかたちで国家を頼むのは安易に過ぎる。お百度踏むとかさ、わら人形作るとかさ、なんかないすか。昨今、わら人形はインターネットで即買いできる。しかしそんなにお手軽に済ませては効力も低かろう。良質なわらを求めて地方に足を運ぶくらいのことは、ぜひやってほしいと思う。
訪ねた農家の縁側で、お茶を一杯よばれるかもしれない。頬をなでる風にいい心持ちになるかもしれない。飛んできたアブをわらしべで結んだら、ミカンと交換することになり……「わらしべ長者」への道がひらける可能性もゼロとは言いきれない。
ひとは変わる。世界は変わる。その可能性は無限だ。
だけど、「死刑にしろ」と何百回電話をかけたところで、あなたも、わたしも、変われやしないじゃないか。

反日。国賊。売国奴。
いつからか、国によりかかって「異質」な他者を排撃する言葉が世にあふれるようになった。批判のためというよりは、排除のために発せられる言葉。国家を背景にすると、ひとはどうして声が大きくなるのだろう。一方で、匿名ブログにひっそり書かれたはずの「保育園落ちた日本死ね!!!」が、言葉遣いが汚い、下品だなどと批判されつつ、みるみる共感の輪を広げたのはなぜだろう。
なにものにもよりかからず、おなかの底から発せられた主体的な言葉は、世界を切りひらく力を、もっている。
スプリング・ハズ・カム。
窓を開けろ。歩け歩け自分の足で。ぼくらはみんな生きている。


(朝日新聞デジタル)

「前回書いた『だまってトイレをつまらせろ』に多くの批判と激励をいただいたが、どうにもこうにもいただけなかったのが『死刑にしろ』だ」と泣き喚いてるけど、朝鮮日刊新聞本社に「死刑にしろ」と電話する人間がいるんだろうか?
「死刑にしろ」と電子メールを送る人間がいるんだろうか?
このスベタの狂言じゃねえか?
それとも、2月7日の投稿で「早く死刑にしろ!」と書いたのを指しているのかな?
そういえば、あの毒カレー女も「高橋」で、このスベタも「高橋」

上記の「前回書いた『だまってトイレをつまらせろ』」というのは、この記事だ。


(政治断簡)だまってトイレをつまらせろ 政治部次長・高橋純子
2016年2月28日05時00分
だまってトイレをつまらせろ
このところ、なにかにつけてこの言葉が脳内にこだまし、困っている。新進気鋭の政治学者、栗原康さんが著した「はたらかないで、たらふく食べたい」という魅惑的なタイトルの本に教えられた。
ある工場のトイレが水洗化され、経営者がケチってチリ紙を完備しないとする。労働者諸君、さあどうする。
(1)代表団を結成し、会社側と交渉する。
(2)闘争委員会を結成し、実力闘争をやる。
まあ、この二つは、普通に思いつくだろう。もっとも、労働者の連帯なるものが著しく衰えた現代にあっては、なんだよこの会社、信じらんねーなんてボヤきながらポケットティッシュを持参する派が大勢かもしれない。
ところが栗原さんによると、船本洲治という1960年代末から70年代初頭にかけて、山谷や釜ケ崎で名をはせた活動家は、第3の道を指し示したという。
(3)新聞紙等でお尻を拭いて、トイレをつまらせる。
チリ紙が置かれていないなら、硬かろうがなんだろうが、そのへんにあるもので拭くしかない。意図せずとも、トイレ、壊れる、自然に。修理費を払うか、チリ紙を置くか、あとは経営者が自分で選べばいいことだ――。
船本の思想のおおもとは、正直よくわからない。でも私は、「だまってトイレをつまらせろ」から、きらめくなにかを感受してしまった。
生かされるな、生きろ。
私たちは自由だ。

念のため断っておくが、別にトイレをつまらせることを奨励しているわけではない。お尻痛いし。掃除大変だし。
ただ、おのがお尻を何で拭こうがそもそも自由、チリ紙で拭いて欲しけりゃ置いときな、という精神のありようを手放したくはないと思う。
他者を従わせたいと欲望する人は、あなたのことが心配だ、あなたのためを思ってこそ、みたいな歌詞を「お前は無力だ」の旋律にのせて朗々と歌いあげる。うかうかしていると「さあご一緒に!」と笑顔で促される。古今東西、そのやり口に変わりはない。
気がつけば、ああ合唱って気持ちいいなあなんつって、声を合わせてしまっているアナタとワタシ。ある種の秩序は保たれる。だけども「生」は切り詰められる。

「ほかに選択肢はありませんよ――」
メディア論が専門の石田英敬・東大教授は2013年、安倍政権が発するメッセージはこれに尽きると話していた。そして翌年の解散・総選挙。安倍晋三首相は言った。
「この道しかない」
固有名詞は関係なく、為政者に「この道しかない」なんて言われるのはイヤだ。
近道、寄り道、けもの道、道なんてものは本来、自分の足で歩いているうちにおのずとできるものでしょう?
はい、もう一回。
だまってトイレをつまらせろ。ぼくらはみんな生きている。


(朝日新聞デジタル)

「為政者に『この道しかない』なんて言われるのはイヤだ」だと?

原発が無くても、再生エネが無くても電気は足りているにもかかわらず、2011年9月11日の投稿で採り上げた2011年7月13日の朝鮮日刊新聞邪説は「代替電源の希望の星は、風力や太陽光を始めとする自然エネルギーだ」と決めつけたんだね。
2011年9月29日の投稿で採り上げた2011年6月29日の朝鮮日刊新聞邪説では国民の頭越しに「太陽光や風力の普及を図ることに異論はないはずだ」と高言したんだね。
その結果、固定価格買い取り制度で全国民に強制的に買い取らせているんだよ。
コヤツらは「為政者と共に『この道しかない』」と喚き立ててきたんだよ。
その挙句に、2014年4月22日の投稿で採り上げた2015年4月10日の邪説は「日本は原発事故に学び、再エネへと切り替える必要性を痛感した」と言い放ったんだね。
「為政者と私達が作った窓を開けろ。為政者と私達が示す方向に歩け歩け自分の足で。ぼくらはみんな生かされている」と喚いたんだよ。

電力自由化も然り。
原発が無くても、再生エネが無くても電気は足りているにもかかわらず、2011年8月26日の投稿で採り上げた邪説は「今回の震災と原発事故で、1カ所に集中して巨大な発電所をつくるやり方や地域独占による閉鎖的な経営形態は、いざという時の安定供給にとって大きな阻害要因になることがはっきりした。むしろ、小規模でも多様な電源による発電事業者を消費地近くに多く分散配置した方が、結果的に安定供給に資するとの認識は、これまで以上に高まっている。かつては電気料金を下げる効果が期待された発送電分離が、いまや電力の安定確保のための具体策として、その意義が語られているのだ」だの、2012年1月5日の投稿で採り上げた邪説でも「競争的で公平な電力市場への整備は、震災を経てより重みを増している。脱原発による電力不足を補い、新たなビジネスを育てる基盤になるからだ」だのと喚き散らしたんだね。
そのように国民を騙して、電力自由化を推し進めたんだよ。
その時には、電力が足りていたことは分からなかった、電力会社が隠してたのが悪い、などという言い逃れが通用すると思うなよ。
4月6日の投稿で採り上げた「教えて!電力自由化」の第1回で尚も「競争的で公平な電力市場への整備は、震災を経てより重みを増している。脱原発による電力不足を補い、新たなビジネスを育てる基盤になるからだ」と喚いてたんだね。
コヤツらは「為政者と共に『この道しかない』」と喚き立ててきたんだよ。
その挙句に、2月7日の投稿で「死刑にしろ!」と指弾した毒カレー女が「みなさんにも大事にしていただきたいと思っている」と言い放ったんだね。
さらに、4月6日の投稿で採り上げた邪説でも「自由化を機に、一人ひとりが電力市場を形づくる参画者であることを自覚したい」と喚いたんだね。
己らが為政者と結託して決めた方向に「ひとは変わる。世界は変わる」と高言したんだよ。
「ああ電力自由化合唱って気持ちいいなあなんつって、声を合わせてしまっているアナタ高橋とワタシ高橋」
にもかかわらず、「道なんてものは本来、自分の足で歩いているうちにおのずとできるものでしょう?」などとほざいてやがる。
どこまで破廉恥で醜悪なメス犬なんだ!

原発が無くても、再生エネが無くても、電力自由化しなくても電力は足りているにもかかわらず、コヤツらが脱原発=再生エネ+電力自由化と決めつける拠り所は、言うまでもなく、人為的温暖化プロパガンダ。
前回の投稿でも紹介したとおり、コヤツらは「パリ協定後の世界と日本」と題するシンポジウムを開催した。
講演者にはIPCC第5次報告書政策策定者向け要約の執筆者・江守正多を招いたけど、昨年12月8日の投稿で紹介したとおり、その江守正多は「温暖化の科学への懐疑を主張される方々の多くにとって、科学への懐疑は言いたいことの本質なのだろうか。ディベートのためのレトリックや理論武装ではないのか。周囲で撤退が始まり、梯子を外され、肝心の武装も穴だらけであることに薄々気づきながら、最後まで立てこもって守り続けるほどの価値のある主張なのだろうか」と喚き散らしたんだね。
昨年12月15日の投稿で紹介したとおり、「懐疑論は不要であり、むしろ余計であると申し上げたい」と言い放ったんだね。
それは「批判のためというよりは、排除のために発せられる言葉」に他ならない。
その挙句に、3月18日の投稿で紹介したとおり、「社会のほとんどの人たちが問題に関心を持ち、科学的知見と倫理的規範を共有する必要は、必ずしも無い・・・問題に無関心な人が多くいたとしても、彼らは新しい常識にいつのまにか従うようになるだけだろう」と高言したんだよ。
「国家を背景にすると、ひとはどうして声が大きくなるのだろう」?
ところが、コヤツらはその「ひと」と結託して、「国によりかかって『異質』な他者を排撃」しようと図ったんだよ。
一方で「一方で、匿名ブログにひっそり書かれたはずの『保育園落ちた日本死ね!!!』が、言葉遣いが汚い、下品だなどと批判されつつ、みるみる共感の輪を広げたのはなぜだろう」と囃し立てているけど、それは「保育園落ちた日本死ね!!!」こそが、そして、それを「なにものにもよりかからず、おなかの底から発せられた主体的な言葉は、世界を切りひらく力を、もっている」と持て囃すことこそが「『異質』な他者を排撃する言葉が世にあふれるようになった」に他ならないことを露呈してるな。

「窓を開ければ、これまでとは違う景色が見えるのに」と言い立てるなら、先に指摘したとおり、再生エネ+電力自由化は原発廃炉を阻害し、熊本の復興を阻害するという「異論」にも目を開くべき。
そうすれば、つまり、「脱原発=再生エネ+電力自由化の窓を開ければ、これまでとは違う悲惨な熊本の景色が見えるのに。うららかな草千里に血の涙がそそぎ、血なまぐさい風が吹き込んでくるのに」、「国によりかかって『異質』な他者を排撃」した挙句、安倍こべに「うららかな日ざしがそそぎ、やわらかな風が吹き込んでくるのに」とほざくのは、コヤツらの目には「熊本死ね!!!」が「うららかな日ざしがそそぎ」と映り、「熊本死ね!!!」が「やわらかな風が吹き込んでくる」と感じるということ。
「反日。国賊。売国奴」!
だからこそ、「日本死ね!!!」を持て囃すんだよ。
落合恵子、澤地久枝、山田和花、そして、2匹の「高橋」を死刑にしろ!

「お百度踏むとかさ、わら人形作るとかさ、なんかないすか」だと?
図に乗るんじゃねえ!
テメエごとき鬼畜メス犬に、なぜ、わざわざ「お百度踏ま」にゃならんのだ。
鬼畜メス犬ごときに「わら人形作る」のは資源のムダだ。

絞首刑じゃ。
テメエは「だまって首をつまらせろ」!

極東アジアの阿蘇草千里にて

ボロディン「中央アジアの草原にて」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

昨年12月4日の投稿で「南海地震の危機が差し迫っている高知県では・・・」と言ったけど、熊本・大分の地震は南海地震の前兆かもしれないぞ。
もちろん、今回の地震だけでも熊本は大変な被害だ。
これまた昨年12月4日の投稿で「『崖っ縁にいる』のは我々日本国民だぞ!」と言ったけど、東北の大震災以降、東海・東南海・南海の巨大地震が、そして、それら巨大地震の前後には活断層に因るM7級の内陸地震が懸念されてたんだね。
「STOP THE 温暖化詐欺」で解説しているとおり、そして、ブログでも解説し続けてきたとおり、IPCCが吹聴する人為的温暖化はデマだから、無意味な温暖化対策に使う資金は福島原発事故対策と防災に注ぐべきなのに、温暖化を煽り続けているから、またもや、国民が犠牲になったんだよ。
(もちろん、地震の発生は防げないし、実のところ、予知もできないけれど、防災を強化すれば犠牲は減らせる。)

高知県在住のツバル野郎が「最初の被害者は私の母国かもしれないが、次はあなた方だ」と泣き喚いてたけど、温暖化詐欺の被害者は我国だ。
ツバルで潮位上昇は認められないにもかかわらず、「最初の被害者は私の母国かもしれないが、次はあなた方だ」と喚き立てて、またもや、我が国民が犠牲になったんだ!
ツバルなんか温暖化で沈んでしまえ!
けど、沈まない。
昨年12月4日の投稿の図1に見えるとおり、ツバルでは1992年に潮位が急激に下がった。昨年8月29日の投稿9月9日の投稿で紹介したとおり、「米航空宇宙局(NASA)は、世界の平均海面水位が1992年から現在までに約8センチ上昇したと発表した」けれど、1992年を基準に取れば、海面が上昇したように見えるのは当然。しかも、1月22日の投稿で指摘したとおり、人工衛星の観測データからENSOを取り除けば、1993年から気温は殆ど上がっていない。つまり、1993年以降は人為的排出CO2に因るはずの気温上昇が認められない。1993年以降の海面上昇を真に受けたとしても、人為的排出CO2の結果であろうはずがないんだね。)

たとえ、IPCCの人為的温暖化説を真に受けたとしても、我国に責任は無いにもかかわらず、東北の大震災で多くの国民が犠牲になったにもかかわらず、虫国野郎は、2014年2月5日の投稿で紹介したとおり、「温暖化問題における加害者としての責任意識の欠落をもたらしたように思います」だの、昨年1月7日の投稿で紹介したとおり、「温暖化問題は、温室効果ガスの排出によって多くの人命が奪われるという、いわば大量殺人を未然に防ぐかどうかの『正義』の問題だという認識を持ち得なかった。誰が加害者で誰が被害者か、誰が利益を得て誰が殺されるのか、などを深く考えなかった」と日本国民を罵ったけど、温暖化詐欺は「誰が加害者で誰が被害者か、誰が利益を得て誰が殺されるのか」?
「最初の被害者は私の母国かもしれないが、次はあなた方だ」と喚き立てたツバル人が利益を得て、日本国民が殺されるんだね。
って言うか、殺されたんだね。
おい、こらっ、人殺しの虫国野郎、何か言ってみろ!

地球温暖化懐疑論批判」で虫国野郎に協力したのが、IPCC第5次報告書政策策定者向け要約の執筆者・江守正多。
3月11日の投稿で採り上げた論説でも虫国野郎に協力してる。
江守正多は虫国野郎と同じ穴の狢。
その証拠に、上でも述べたとおり、福島原発事故と近い将来の震災が日本国民の最大の懸念である、と言うよりも、熊本で大震災が起こったから、最大の懸念であったにもかかわらず、昨年12月15日の投稿で紹介したとおり、「日本人は特にわかっていない」と喚き立てたんだね。
さらには、3月18日の投稿で紹介したとおり、「気候正義」と言い放ち、「日本国内では現時点でこの規範はまったくといってよいほど共有されていないだろう」だの、「日本ではその動機のところで『気候正義』といった倫理観が共有されておらず」だのと罵り散らしたんだよ。
おい、こらっ、江守正多!
福島原発事故対策と防災を阻害して、日本国民を殺すのがテメエの「正義」か!
日本国民を殺すのがテメエの「倫理観」か!
何か言ってみろ!!

3月14日の投稿で紹介したとおり、鬼畜左翼は「パリ協定後の世界と日本」と題するシンポジウムを開催し、江守正多を招いて温暖化を煽り立てた。
結局、記事にはならなかったけど、鬼畜左翼と共にシンポジウムを主催した名古屋のブーが自ら動画をアップロードしてる。

IPCCが吹聴する人為的温暖化のデタラメは完全に露呈しているにもかかわらず、尚も温暖化対策を煽り立て、その半月後に熊本でまたもや大震災が起こったんだよ。
象徴的だな。
昨年9月9日の投稿で採り上げた朝鮮日刊新聞邪説は「将来世代も含め、人々の命と暮らしを守る。そんな長期的な視点で、各国が合意のために一層の努力をすべきである」と喚き立てたけど、真実は真逆であること、温暖化詐欺が「人々の命と暮らしを奪う」ことを象徴してるな。
これまた3月14日の投稿で紹介したとおり、「保育園落ちた日本死ね・・・声をあげたい人は多く」と囃し立ててたけど、左翼リベラルは本気で「日本死ね」と思ってるんだね。

その証拠に、熊本で多数の死傷者が出ているにもかかわらず、こんな記事を書いてた。


ブログに負けたの新聞だ このブログのどこがすごかったのか? ココハツ
2016年4月16日16時30分
「保育園落ちた 日本死ね!!!」という匿名ブログの起こすうねりの中、記者は無力感に襲われていた。ブログが書かれる前の1年間の朝日新聞の記事で「待機児童」と検索すると389件。問題は繰り返し書いてきたのに。読まれていないだけなの? 負けた理由は何?

2016041901
このブログのどこがすごかったのか?


(朝日新聞デジタル)

これは夕刊の記事だけど、朝刊でもこんな記事を掲載してた。


(わたしの紙面批評)#保育園落ちたの私だ ネット上の「声」、より的確な反応を 宇野重規さん
2016年4月16日05時00分
「保育園落ちた日本死ね」。一人の母親の書いたブログ記事が、日本の政治とメディアを激しく揺さぶっている。その衝撃は多くの人が思っている以上に深く、遠くにまで及ぶのではないか。
この記事がネットの匿名サイトに掲載されたのは2月中旬のことである。その直後から、さまざまなネットメディアに転載、引用され、大きな反響を呼んだ。共感する声が圧倒的であり、「#保育園落ちたの私だ」というハッシュタグ(検索ワード)がつくられ、「よくぞ言ってくれた」という投稿が殺到した。
これに対し、新聞メディアの反応は、いかにも遅かった。このブログを民主党(当時)の山尾志桜里議員が国会で取り上げたのが2月29日、朝日新聞の最初の記事は3月4日付夕刊社会面の「待機児童問題 広がる共感」だった。ブログの紹介やネットの反響を含め、報道の内容も的確である。ただ正直なところ「今頃になって?」という感想を否めなかった。
政治の反応はさらに遅かった。山尾議員の質問に対し、安倍晋三首相は「匿名であるので確かめられない」、議場からは「誰が書いたんだよ」とやじが飛んだ。これに対する反発が広がり、「1億総活躍」を掲げる安倍政権は一転、待機児童問題の改善を必死にアピールせざるをえなくなる。「大したことはない」という政治の思惑を、ネット世論がひっくり返したという意味で画期的な出来事であった。
この事件が新聞や国会で取り上げられると、「言い方が乱暴だ」、「日本死ねとはどういうことだ」という反発も見られるようになる。たしかに、ブログ記事は怒りと絶望感にみちている。ヘイトスピーチにも通じる文体であるのはたしかだ。
とはいえ、3月27日付朝刊コラム「政治断簡」で政治部の高橋純子記者が「おなかの底から発せられた主体的な言葉は、世界を切りひらく力を、もっている」と書くように、ブログの破壊的ともいえる文体は、多くの人に「それはまさに自分の問題だ」と思わせるパワーをもっていた。
しかしながら、「保育園落ちた」事件で本当に重要なのは、文体の問題ではない。より重要かつ深刻なのは、知や情報の世界における権威の変化であり、それに対する政治やメディアの反応の遅れである。
この問題については、これまでも多くの報道がなされ、指摘がなされてきた。にもかかわらず、今回のブログ記事ほどの反響を呼んだものはまれである。誰が書いたのかもわからないブログ記事の方が世論に影響を与え、政治やメディアがそれを後追いした今回の出来事は、ネット社会のあり方を考える上で示唆的である。
新聞やテレビといったメディアが力をもったのは、「今の世の中で、これが重要だ」という判断基準を示すことにあったとすれば、その力はネットに奪われつつある。今や、新聞もテレビも平気で「ネットで注目の話題」を紹介する時代である。伝統的メディアとしての存在意義が問い直されている。
その意味で、単に現象を後追いするだけではなく、問題をじっくり考える材料を提供することは新聞の重要な役割だ。例えば3月10日付朝刊3面「保育制度充実を2万7千署名」は「保育園落ちた」を切り口に、背景となる要因を考察していて読み応えがある。
現在、安倍政権の取り組みにもかかわらず、再び待機児童の数が増えている。小規模保育所の支援などが打ち出されているが、保育士の待遇が悪く、必要な数の確保は容易でない。朝日はこれまで精力的に取り上げてきたが、さらに手厚く報じてほしい。
ネット上における新たな「人々の声」の噴出に対し、政治とメディアはいかに的確に反応できるか。かつその上で、自らの主体性を示せるか。重要な転機になりそうだ。

(記事は東京本社発行の最終版)
◆原則第3土曜に掲載します。

うのしげき 東京大学教授 1967年生まれ。専門は政治思想史、政治哲学。著書に「〈私〉時代のデモクラシー」「民主主義のつくり方」など。


(朝日新聞デジタル)

「『保育園落ちた』事件で本当に重要なのは、文体の問題ではない。より重要かつ深刻なのは、知や情報の世界における権威の変化であり、それに対する政治やメディアの反応の遅れである」だと?
「ネット上における新たな『人々の声』の噴出に対し、政治とメディアはいかに的確に反応できるか。かつその上で、自らの主体性を示せるか。重要な転機になりそうだ」だと?
それなら、人為的温暖化説のデタラメを告発する当ブログをメディアが紹介するか?
しない。
安倍こべに、「ネット上における新たな『人々の声』」を封殺して、「知や情報の世界における権威」を擁護するために、「パリ協定後の世界と日本」と題するシンポジウムを開催したんだね。

「『保育園落ちた日本死ね』。一人の母親の書いたブログ記事が、日本の政治とメディアを激しく揺さぶっている。その衝撃は多くの人が思っている以上に深く、遠くにまで及ぶのではないか」だと?
そのブログは社会科学的な分析をしてるのかね?
昨年10月29日の投稿で採り上げた朝鮮日刊新聞記事は「石炭政策 ニッポンの独りよがり」と喚いてたけど、そのブログは「保育園落ちた日本死ね」と独りよがりしてるだけだろ。
それに対して、昨年10月15日の投稿12月6日の投稿12月8日の投稿12月15日の投稿3月22日の投稿、そして、3月26日の投稿に見えるとおり、当ブログはIPCC第5次報告書政策策定者向け要約の執筆者である江守正多のデタラメと誤魔化しを科学的にきちんと説明してる。
それともなに?
科学的に説明しているから、「多くの人に『それはまさに自分の問題だ』と思わせるパワーをもっていない」と言うのかね?
科学的な説明もせずに、「虫国野郎死ね」、「江守正多死ね」、「名古屋のブー死ね」と書いたら、「日本の政治とメディアを激しく揺さぶ」るのかね?

そんなことはねえ。
「日本死ね!!!」と喚いたから、左翼リベラルが大悦びして飛びついただけ。
(常識で考えたら分かるけど、子どもを保育園に預けることができないから生活に困窮するような母親が、ブログなんて書いてる余裕があるわけない。そのブログ自体がやらせ、もしくは、チョンコロが「日本死ね!!!」と喚いてるだけ。)
「匿名ブログの起こすうねり」ではなく、つまり、「匿名ブログ」が「うねりを起こした」のではなく、心の中で「日本死ね!!!」と思い定めている左翼が、その醜悪なブログを利用して、「日本死ね!!!」の「うねり」を起こそうとしているんだよ。
実は、己らが意図的に煽り立て、それを誤魔化すために「ブログに負けたの新聞だ」と嘯き、市民を欺き唆しているんだね。
温暖化プロパガンダと同じだな。
そして、上で指摘したとおり、温暖化プロパガンダも「日本死ね」
だから、片や、当ブログ等の「ネット上における新たな『人々の声』の噴出」は徹底的に封殺し、片や、「このブログのどこがすごかったのか」と囃し立てるんだね。

「日本死ね!!!」と言うのは、すなわち、「熊本死ね!!!」と言うこと。
温暖化プロパガンダが防災を阻害し、またしても被害拡大を招いたから、震災の最中に「『保育園落ちた 日本死ね!!!』という匿名ブログの起こすうねり」とはしゃいでるんだよ。

2016041902

雉子車落ちた、名古屋大学大学院環境学研究科死ね!
雉子車落ちた、環境研究所死ね!!
雉子車落ちた、IPCC信者の左翼リベラル死ね!!!

ききしより バカ論文にあかぬ 温暖化島 見せばやと思う 雲の上人

ドビュッシー「夜想曲」より「雲」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

3月11日の投稿で紹介したとおり、虫国野郎が、気候感度は高いんだぁぁぁ~、と泣き叫んでたけど、今度は、災炎巣が、もっと、もっと高いんだぁぁぁ~、と喚いてやがる。


雲の温暖化抑制効果は?従来予測より気温上がる可能性 米研究
2016年4月9日 16:18 発信地:ワシントンD.C./米国
温暖化の影響で地球の気温は従来の予測より大幅に高くなる可能性があるという論文が今週、米科学誌サイエンス(Science)に掲載された。これまでの科学的モデルには雲の作用が正確に反映されていないためだという。
一般的に、大気中の二酸化炭素が倍増することによって地球の気温は2.1~4.7度上昇すると予測されている。
しかし、今回論文を発表した米エール大学と米ローレンス・リバモア国立研究所の研究チームは、こうした科学的モデルでは雲が太陽光を反射して地球の大気の温暖化を妨げる作用が過大評価されていると主張している。
論文の主著者でエール大学のアイビー・タン(Ivy Tan)氏は、気温上昇幅はこれまでの科学的モデルでは4度だったが、雲に含まれる液体と氷の量を観測結果に近付くように修正した各種モデルでは5~5.3度になることが分かったと述べた。
雲に含まれている氷が多い場合、気温が上昇すればより多くの液体を生じ、雲の中の液体が増えれば温暖化は抑制される。しかし大半の科学的モデルでは、雲に含まれる氷の量が実際より多く見積もられているという。
共同執筆者のマーク・ゼリンカ(Mark Zelinka)氏は「温暖化抑制についていえば、雲は私たちの役に立ってくれそうにない」と述べた。同研究は、米航空宇宙局(NASA)と米エネルギー省科学部の資金で行われた。


(AFP)

ここで「雲の温暖化抑制効果は?」と言うのは、自然に生じる雲のことじゃない。
問題にしているのは人為的温暖化だから、「雲の温暖化抑制効果は?」の「雲」は人為的要因で生じる雲。
けど、人為的要因で生じる雲って、なんじゃらほい?
そこで、温暖化道化師の江守正多が執筆者に名を連ねるIPCC第5次報告書政策策定者向け要約を見ると、放射強制力に「エアロゾルによる雲調整」という項目があり、それは負の強制力になってる。
第5次報告書技術要約の54ページの図を見ると、飛行機雲にも放射強制力があって、それは正の強制力だけど、値が小さいから無視してよい。)

2014032004
図1 IPCC第5次報告書政策策定者向け要約の図5

つまり、大気汚染の原因ともなるエアロゾルが雲を作り出す要因となり、その「雲が太陽光を反射して地球の大気の温暖化を妨げる」から、負の放射強制力を持つ、というわけ。
この論文は、上図の「エアロゾルによる雲調整(の絶対値)」は強すぎる、と言うんだよ。
「雲の温暖化抑制効果」は過大評価されているから、CO2が倍増すれば気温はもっと上がる、と言うんだね。

はあ?
おい、おい。
逆だろ!

3月28日の投稿でも説明したけど、仕方ねえから、また、また、説明すると。
放射強制力を使うと、気候感度(平衡気候感度、ECS)は次式で表される。

(1)    \displaystyle \mbox{ECS} = \frac{F_{2 \times} \, \Delta T}{\Delta F - \Delta Q}

図1の「エアロゾルによる雲調整」は負の強制力だから、それ(の絶対値)が強すぎるなら、全放射強制力は図1の値のΔF=2.3W/(m^2)より強くなる。
だから、(1)式の分母は大きくなる。
だから、気候感度は低くなる。

って言うと、3月11日の投稿で紹介したとおり、「最近になってエネルギー・バジェット・アプローチが、その簡略化した前提のために気候感度を低く見積もる・・・ギャァァァ~」と泣き喚くだろうけど、エネルギー・バジェット・アプローチに依らずとも、「地球の気温は従来の予測より大幅に高くなる可能性が全く無い」ことを示すことができる。
昨年10月8日の投稿のグラフを使えばいいだけ。
但し、2015年のデータを加え、グラフも少し書き換えて、説明すると。

2016041101図2 HadCRUT4と科学的な予測(赤線)、及び、IPCCの非科学的な予測(青線)の比較

赤い実線はデータを概ね再現できるけど、青い実線は1970年以降がデータより遥かに高くなってしまう。
過去のデータを再現できて、始めて、予測が可能なのだから、もちろん、それですら予測が正しいことを保証しないのだから、青線が無意味なことは子どもでも分かる道理。
「一般的に、大気中の二酸化炭素が倍増することによって地球の気温は2.1~4.7度上昇すると予測されている」けど、2100年までの気温上昇は1.5℃。
(赤い実線と青い実線の双方とも、2015年以降はCO2濃度が毎年2.1ppm増加すると仮定している。その場合、2100年には大気中の二酸化炭素が産業革命時の倍以上になる。)

って言うと、IPCC党は、1970年以降の青線とデータの差はエアロゾルに因る「温暖化抑制効果」が原因ですぅぅぅ~、大気汚染が解消すれば2100年には青線が実現するんですぅぅぅ~、と泣き喚くだろうけど。
図1に見えるとおり、エアロゾルに因る「温暖化抑制効果」には「エーロゾルによる雲調整」、すなわち、「雲の温暖化抑制効果」の寄与が大きいから、この論文の指摘どおり、「温暖化抑制についていえば、雲は私たちの役に立ってくれそうにない」のなら、青線とデータの差は埋まらない。
「大半の科学的モデルでは、雲に含まれる氷の量が実際より多く見積もられている」ということは、「青線の科学的モデルでは、CO2に含まれる温暖化の量が実際より多く見積もられている」ということ。
IPCCはエアロゾルを恣意的に用いて辻褄合わせしてるんだよ。

図2の赤い実線の1971年から2000年までの30年間を線形近似して、2100年まで外挿すると、それが赤い破線だけど、2100年には青い実線とほぼ一致する。
だから、2100年に青い実線が実現するには、1970年以降と同じペースで気温が上がり続けねばならない。
そのためには、1998年以降の気温上昇停滞(ハイエイタス)は都合が悪い。
だから、図2に見えるとおり、昨年の気温を赤い破線の上に乗せてきた。
そして、昨年6月9日の投稿で紹介したとおり、「過去15年間の温暖化ペースは、20世紀後半の50年間のペースと何ら変わらなかった」だの、昨年6月12日の投稿で紹介したとおり、「現実問題として統計的に顕著な停滞など見られません。これまでもなかったのです」だの、2月12日の投稿で紹介したとおり、「温暖化が止まったという見方は科学者の間では完全に否定されている」だの、「過去数十年間で、気温上昇の傾向が弱まったとか止まったとか、または小休止していると示す証拠はない」だのと喚き散らしてる。
けど、「温暖化抑制についていえば、雲は私たちの役に立ってくれそうにない」ということは、ハイエイタスを消すために、データを改竄して気温を吊り上げたことを証明したんだよ。

赤い破線と同様に、青い実線の1971年から2000年までの30年間を線形近似して、2100年まで外挿したのが青い破線で、その場合、2100年までの気温上昇は「大気中の二酸化炭素が倍増することによって地球の気温は2.1~4.7度上昇すると予測」の上限の4.7℃になる。
「温暖化抑制についていえば、雲は私たちの役に立ってくれそうにない」ということは、青い実線はデタラメということだから、青い破線は言わずもがな。
まして、それよりも高い「5~5.3度になる」はずねえだろ!

アホですか?
そうですか!

春本番の邪悪

グリーグ「抒情小曲集 第3巻」より「春に」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

前回の投稿の補足を。
前回の投稿で採り上げた邪説は、朝鮮日刊新聞という一新聞社の主張ではなく、大穢健三郎一派らの「脱原発派」の思想そのものであり、昨年9月2日の投稿で指摘したとおり、安保法制反対デモの連中も「脱原発派」


再稼働止める 代々木で大規模集会
2016年3月27日 朝刊
東京電力福島第一原発事故から五年が経過した中、原発再稼働ストップなどを呼び掛ける大規模集会が二十六日、東京都渋谷区の代々木公園で開かれた。主催者発表で約三万五千人が集まり、参加者らは「原発のない未来へ」「つながろう福島」などと訴えた紙を掲げ、脱原発への思いを新たにした。
作家の沢地久枝さんが登壇し、原発輸出推進や安全保障関連法施行など安倍政権の政策に触れ、「私たちはなめられている」「それが日本人の意思であるように言う政治家らを、このままにしておいていいとは思わない」と憤った。東電元幹部らの刑事責任を追及している福島原発告訴団副団長の佐藤和良さんも「福島を切り捨てる政権の原子力推進政策を許すわけにはいかない」と怒りをぶつけた。
生後十一カ月の長女を連れて参加した横浜市の主婦戸原貴子さん(39)は「五年前の事故で原発や放射能の怖さを知った。事故処理も終わっていない中で原発を再稼働することには反対」ときっぱり。祖母が広島で被爆したという東京都練馬区の元教師西田昭司さん(69)も「核兵器だけでなく、原発も絶対やめなければならない」と訴えた。
参加者らは集会後、代々木公園周辺をデモ行進し、脱原発への理解を呼び掛けた。


(TOKYO Web)


「脱原発」求め都内で集会 四つの市民団体が呼びかけ
2016年3月26日19時48分
東京電力福島第一原発の事故から5年になるなか、脱原発を求める「原発のない未来へ! 全国大集会」が26日、東京・代々木公園で開かれ、渋谷駅周辺をデモ行進した。主催者発表では、約3万5千人が参加した。
脱原発への政策転換を求める「さようなら原発1000万人アクション」など、四つの市民団体が呼びかけた。ステージでは、作家の澤地久枝さんが「5年たっても福島の人たちはふるさとを追われたまま。一人でも多く声を上げ、政権に示そう」と訴えた。
集会には学生団体「SEALDs(シールズ)」のメンバーも参加。芝田万奈さんは「廃炉には莫大(ばくだい)な時間とお金がかかる。判断力、想像力のない人たちに未来は託せない」と述べた。1歳の長男とデモ行進に参加した東京都清瀬市の主婦稲村友美さん(33)は「たった5年で原発回帰が始まっているのは悲しい。子どものためにも原発ゼロを訴えていかなければならない」と話した。

2016040801
反原発を訴えるデモで、「原発のない未来へ」などと書かれた横断幕を掲げながら街中を歩く人たち=26日午後3時11分、東京都渋谷区、関田航撮影


(朝日新聞デジタル)

「エネルギーはジモトから」と書いたプラカードを持ってるな。
2月10日の投稿で採り上げた記事が「地元の電気を使える日が楽しみだ」と囃し立てていたとおり、もちろん、それは再生エネ。
で、例のシースルーが参加!

だから、前回の投稿で採り上げた邪説の「市場をつくる自覚こそ」「一人ひとりが電力市場を形づくる参画者であることを自覚したい」は安保法制反対デモ=脱原発派の理念でもある。
言うまでもないけど、一人ひとりが電力の消費者であるのは当たり前だから、「一人ひとりが電力市場を形づくる参画者であることを自覚したい」は「一人ひとりが電力の消費者であることを自覚したい」という意味じゃない。
電力自由化しなくても、「電気の使い方と選び方を家庭で考える」ことはできるにもかかわらず、「電気の使い方と選び方を家庭で考える機会としたい」と言い張ったのは、「市場をつくる自覚こそ」の「市場をつくる」が電力自由化に他ならず、であるから、「一人ひとりが電力市場を形づくる参画者であることを自覚したい」は「一人ひとりが電力自由化の参画者であることを自覚したい」に他ならない。
もちろん、それは民主主義に関わる問題。
2011年9月11日の投稿で採り上げた2011年8月15日の朝鮮日刊新聞邪説は「民主主義を真っ当なものに鍛え直すしかない」と喚いてたけど、安保法制反対デモ=脱原発派は「民主主義を真っ当なものに鍛え直す」ために「一人ひとりが電力市場を形づくる参画者であることを自覚したい」と言うんだね。
2011年10月3日の投稿で採り上げた邪説が「『私らには民主主義の集会や市民のデモしかない。しっかりやりましょう』。呼びかけ人の一人、作家・大江健三郎さんの言葉が象徴的だ。『脱原発』は、私たちの民主主義に新たな一ページを刻む動きに見える」と囃し立ててたけど、2012年9月10日の投稿で紹介したとおり、大穢健三郎は電力自由化の徒。
電力自由化で「民主主義を真っ当なものに鍛え直すしかない」と言うんだよ。
昨年9月29日の投稿で紹介したとおり、シースルーが「民主主義ってなんだ?」「これだ!」と喚いてたけど、「一人ひとりが電力市場を形づくる参画者であることを自覚したい」が安保法制反対デモ=脱原発派の民主主義観。
けど、官邸前や国会前でデモしているのは首都圏の住人であり、首都圏の住人は自分達が福島に原発を押しつけたという「自覚こそ」必要であり、だから、東電に電気代を支払い続けることで、「一人ひとりが原発事故対策の責務を負うことを自覚したい」にもかかわらず、「市場をつくる自覚こそ」「一人ひとりが電力市場を形づくる参画者であることを自覚したい」と言い張るのは市場原理主義以外の何物でも無い。
市場原理主義だからこそ、電力自由化の結果、EUでは独占が進んだ。

「民主主義ってなんだ?」
「市場原理主義、これだ!」
それが安保法制反対デモ=脱原発派の民主主義観。

昨年7月17日の投稿で採り上げた邪説は「それが安倍政権の民主主義だというなら、決してくみすることはできない」と泣き喚いてたけど、電力自由化を決めたのは安倍政権。
にもかかわらず、「電気の使い方と選び方を家庭で考える機会としたい」と言い張り、その挙句に、「自由化を機に、一人ひとりが電力市場を形づくる参画者であることを自覚したい」と喚くのは、「自由化を機に、一人ひとりが安倍政権を形づくる参画者であることを自覚したい」と言う以外の何物でもねえ。

「民主主義ってなんだ?」
「安倍政権、これだ!」
それが安保法制反対デモ=脱原発派の民主主義観。

安倍政権は市場原理主義だから、「民主主義ってなんだ?」「市場原理主義、これだ!」が「安倍政権、これだ!」になるのは理の当然。

って言うと、安保法制反対デモ=脱原発派は、私達が主張したから電力自由化が実現したんですぅぅぅ~、安倍政権は私達の声に押し切られただけですぅぅぅ~、泣き喚くだろうけど、それなら、安倍は安保法案も撤回したはず。
2013年2月27日の投稿で紹介したとおり、電力自由化はアメ公の対日構造改革要望書の一環であり、安保法制も電力自由化も対米従属政策の一環であり、安倍は、安保法制反対デモ=脱原発派が電力自由化を喚き立てたのをこれ幸いに、電力自由化を推し進めたんだよ。
安倍がテメエらに押し切られたのではなく、テメエらは安倍を御輿に担いで電力自由化を推進したんだ、つ~の!
(もちろん、電力自由化を推し進めたから、デモの目的を一定は達成したわけだけど、前回の投稿で採り上げた邪説の「再エネ普及を促し、電気料金を抑えるためには、誰もが公平に接続できる送配電網が不可欠だからだ。大手電力の間には、発送電分離への抵抗感がなお強い。既得権が温存されないよう、新設された規制機関だけでなく、消費者もしっかり監視し続ける必要がある」を実行するためにデモを続けているんだね。原発反対はそのための口実にすぎない。)

けど、その事実に目をつぶったとしても、電力自由化に関して国民的議論は無かった。
実際、「電気の使い方と選び方を家庭で考える機会としたい」との言い草は、「電気の使い方と選び方を家庭で考え」た結果としての電力自由化ではないことを、大多数の国民を置き去りにして、安倍と官僚と伊藤元重らの御用学者と安保法制反対デモ=脱原発派だけで電力自由化を推し進めたことを、露呈してるんだね。
昨年7月19日の投稿で採り上げた邪説は「『勝手に決めるな』『国民なめるな』。世代や党派を超えた重層的な抗議のコールが連日、国会周辺の空気を震わせている。『これが民主主義か』という疑問。『主権者は私たちだ』という怒り」と喚き立ててたけど、己らだけで「勝手に決め」ながら、「国民をなめる」かのごとくに「自由化を機に、一人ひとりが電力市場を形づくる参画者であることを自覚したい」との言い草には「『これが民主主義か』という疑問。『主権者は私たちだ』という怒り」を抑え切れんな。

「民主主義ってなんだ?」
「勝手に決める、これだ!」
「民主主義ってなんだ?」
「国民なめる、これだ!」
それが安保法制反対デモ=脱原発派の民主主義観。

って言うと、安保法制反対デモ=脱原発派は、野党も賛成して国会で決めたんですぅぅぅ~、と泣き喚くだろうけど、昨年8月13日の投稿で採り上げた邪説では「こうした疑問や問題、さらには民意を置き去りにした見切り発車の再稼働は認められない」と言ってたんだね。
上で指摘したとおり、電力自由化は欧米で独占と外資による社会資本強奪を招いたのであって、「こうした疑問や問題、さらには民意を置き去りにした見切り発車の電力自由化は認められない」
昨年7月17日の投稿で採り上げた邪説は「選挙で多数を得たからと言って、『熟議なき多数決』によって、平和主義をはじめとする憲法の理念、民主主義の価値をひっくり返す。それが安倍政権の民主主義だというなら、決してくみすることはできない」と喚いてたけど、「電気の使い方と選び方を家庭で考える機会としたい」という台詞は、電力自由化が「民意を置き去りにした見切り発車」「熟議なき多数決」であったことを、ハッキリと示してる。
にもかかわらず、「なにより、2020年には大手電力がもつ送配電網の分離・中立化(発送電分離)が予定されている。その履行を着実にしなければならない」と言い張るのは「民主主義の価値をひっくり返す。それが安保法制反対デモ=脱原発派の民主主義だというなら、決してくみすることはできない」

「民主主義ってなんだ?」
「民意を置き去りにした見切り発車、これだ!」
「民主主義ってなんだ?」
「熟議なき多数決、これだ!」
それが安保法制反対デモ=脱原発派の民主主義観。

って言うと、上で紹介したとおり、大穢健三郎が「私らには民主主義の集会や市民のデモしかない」と言い立てていたこと、また、2012年7月9日の投稿で採り上げた邪説が「多くの人々が自分たちの意見が行き場を失わないよう、街頭に集まり、声をあげている。ルールを守れば、デモも集会も民主主義への大事な参加方式だ」だの、2012年7月30日の投稿で採り上げた邪説が「自分たちの声が政治に届かない。そんないらだちが、人々を直接民主主義的な行動に駆り立てているのではないか」だのと囃し立ていたことから分かるとおり、安保法制反対デモ=脱原発派は、デモが民主主義ですぅぅぅ~、デモを傍観している人は民主主義を理解していないんですぅぅぅ~、民主主義を理解していない人が「熟議なき多数決」と批判する資格はありまシェ~~~ン、シースルー・カム・バ~~~ック、と泣き喚くだろうけど、シースルーの存在自体が「熟議なき」を示してるんだよ。
前回の投稿でも指摘したとおり、「脱原発=再生エネ+電力自由化」は福島原発事故対策を阻害し、且つ、原発廃炉を阻害する。
上記の朝鮮日刊新聞記事で、シースルーの芝田万奈とやらが「廃炉には莫大な時間とお金がかかる。判断力、想像力のない人たちに未来は託せない」と泣き喚いてるけど、「廃炉には莫大な時間とお金がかかる」からこそ、「脱原発=再生エネ+電力自由化」は許し難いんだよ。
「判断力、想像力のない人たち」はテメエらだ、つ~の!
「判断力、想像力のない」テメエらの存在自体が「熟議なき」を示してるんだ、つ~の!

しかも、デモに参加していない市民の方が圧倒的に多い。
昨年7月28日の投稿で採り上げた邪説は「民主的なプロセスを軽視すれば、民主的に選ばれたはずの自らの基盤も揺らぐ。できるだけ多くの意見を聴き、納得をえたうえで物事を進めることは、一見遠回りなようだが、政権の正当性を高め、足腰を強くする。このことに安倍政権が思いを致すことができるか」と喚いてたけど、国会はデモに参加していない市民から「民主的に選ばれた」
「熟議なき多数決」と批判する資格は無いんですぅぅぅ~、と泣き喚いて、「民主的なプロセスを軽視すれば、民主的に選ばれたはずの国会の基盤も揺らぐ」
だから、「2020年には大手電力がもつ送配電網の分離・中立化(発送電分離)が予定されている」と言い立てても「正当性」は全く無い。
「このことに安保法制反対デモ=脱原発派が思いを致すことができるか」?
もちろん、できないし、する気もない。
前回の投稿で採り上げた邪説が「その履行を着実にしなければならない」と喚き立てたのはその証。

2012年8月24日の投稿で採り上げた2012年8月23日の朝鮮日刊新聞社説は「ものごとを政治家と既得権を持つ組織の代表や一部の専門家で決め、ふつうの市民はかかわりにくいのが、従来の『ムラ社会』型の意思決定の仕組みだ」と喚いてたけど、「ふつうの市民」はデモに参加していない。
「ふつうの市民」を無視して、「多くの人々が自分たちの意見が行き場を失わないよう、街頭に集まり、声をあげている」だの、「そんないらだちが、人々を直接民主主義的な行動に駆り立てているのではないか」だのと、デモ参加者のみが民主主義の具現者であるかのごとくに言い立てて、「ふつうの市民がかかわりにくいのは、従来の『ムラ社会』型の意思決定の仕組みと同じだ」

「民主主義ってなんだ?」
「『ムラ社会』型の意思決定の仕組み、これだ!」
それが安保法制反対デモ=脱原発派の民主主義観。

って言うと、安保法制反対デモ=脱原発派は、いやですぅぅぅ~、再生エネなんですぅぅぅ~、電力自由化なんですぅぅぅ~、と泣き喚くだろうけど。
昨年7月28日の投稿で採り上げた邪説は「政権と決め方―基盤崩す『結論ありき』」と言い立て、「仏つくって魂入れず。安倍政権下での物事の決まり方を見ていると、見てくれは立派だが魂の入っていないうつろな仏が、ごろごろと転がっているような印象を受ける」と喚いてたけど、「なにより、2020年には大手電力がもつ送配電網の分離・中立化(発送電分離)が予定されている。その履行を着実にしなければならない。再エネ普及を促し、電気料金を抑えるためには、誰もが公平に接続できる送配電網が不可欠だからだ」は正に「結論ありき」
「安保法制反対デモ=脱原発派での物事の決まり方を見ていると、見てくれも貧相で魂の入っていないうつろな仏が、ごろごろと転がっているような印象を受ける」

「民主主義ってなんだ?」
「結論ありき、これだ!」
それが安保法制反対デモ=脱原発派の民主主義観。

昨年7月19日の投稿で採り上げた邪説は「ものごとを多元的に検討することが企図されている。様々な価値観や異なる意見のせめぎ合いから導かれた結論の方が、間違いが少ないからだ。ところが安倍政権下、まさにその多元性が押しつぶされそうになっている」と泣き喚いてたけど、2013年7月6日の投稿で採り上げた2013年6月27日の朝鮮日刊新聞邪説は「そんな参院ならば、もういらない」と言い放った。
それは「基盤崩す『結論ありき』」を、「熟議なき多数決」を示して余りある。
実際は、少なからぬ自民党の議員が電力自由化に批判的だった。
つまり、自民党は「ものごとを多元的に検討」してた。
ところが、先にも指摘したとおり、安保法制反対デモ=脱原発派と野党が安倍を担いで「多元性を押しつぶ」した。
2013年3月21日の投稿で採り上げた邪説が「『骨抜き』『既得権保護』の汚名を返上し、新しいエネルギー社会の構築に力を注ぐ。自民党にとっても、またとない機会ではないか」と喚いたのは、そして、「そんな参院ならば、もういらない」と言い放ったのは、その事実を示して余りある。
前回の投稿で採り上げた邪説も「既得権が温存されないよう、新設された規制機関だけでなく、消費者もしっかり監視し続ける必要がある」と泣き喚いてたけど、安保法制反対デモ=脱原発派は、己らによって「多元性が押しつぶされ」ているという事実を覆い隠すために、「既得権」という言葉を濫用して市民を欺こうと図るんだね。

「民主主義ってなんだ?」
「多元性を押しつぶす、これだ!」
それが安保法制反対デモ=脱原発派の民主主義観。

昨年9月2日の投稿で採り上げた「天声人語」は「奥田さんは繰り返し語った。自分たちは『一人ひとりの個人』として考え、声を上げている――。どこかの政治団体に属するでもなく、誰かに動員されるでもない。一人の主権者として当たり前のことをしているのだという言葉がすがすがしい」と囃し立ててたけど、「電気の使い方と選び方を家庭で考え」て、再生エネに毎月600円も負担したくないと言うのは、「『一人ひとりの個人』として考え、声を上げている」
「電気の使い方と選び方を家庭で考え」て、電力自由化を批判するのは、「『一人ひとりの個人』として考え、声を上げている」
「一人の主権者として当たり前のことをしているのだ」
「自由化を機に、一人ひとりが電力市場を形づくる参画者であることを自覚したい」は「誰かに動員される」以外の何物でもねえ!

「民主主義ってなんだ?」
「誰かに動員される、これだ!」
それが安保法制反対デモ=脱原発派の民主主義観。

先に指摘したとおり、安保法制反対デモ=脱原発派はデモこそが民主主義であるかのごとくに喚き立ててるけど、2011年10月3日の投稿2014年6月28日の投稿でも指摘したとおり、原発を止めたいという一心だけで大穢健三郎らのデモに参加しても、大穢健三郎らの「脱原発=再生エネ+電力自由化」に与することになるんだね。
多元性が押し潰されてしまうんだよ。
大穢健三郎に「動員され」てしまうんだよ。
「自由化を機に、一人ひとりが電力市場を形づくる参画者であることを自覚したい」は正にそれを意図しているんだね。
昨年7月17日の投稿で採り上げた邪説は「戦後日本が70年かけて積み上げてきた民主主義の価値に対する、重大な挑戦ではないか」と泣き喚いてたけど、「自由化を機に、一人ひとりが電力市場を形づくる参画者であることを自覚したい」との言い草は「戦後日本が70年かけて積み上げてきた民主主義の価値に対する、重大な挑戦ではないか」!
上記の東京新聞記事で、沢地久枝とかいうババアが「それが日本人の意思であるように言う政治家らを、このままにしておいていいとは思わない」と泣き喚いてたけど、「それ(=再生エネ+電力自由化)が日本人の意思であるように言う大穢健三郎や沢地久枝やシースルーの芝田万奈らを、このままにしておいていいとは思わない」

って言うと、安保法制反対デモ=脱原発派は、街頭デモで声を上げるのが本当の市民の声なんですぅぅぅ~、ネット上の戯言なんか無視ですぅぅぅ~、と泣き喚くだろうけど、そのくせ、3月14日の投稿で採り上げた「天声人語」に見えるとおり、「保育園落ちた、日本死ね」という暴言には飛びつく。
「保育園落ちた、悲しい」と書いてたら、飛びつかなかった。
「日本死ね」と書いてたから、飛びついた。
「日本死ね」に悦び勇んだ。
それは理の当然。
先にも指摘したとおり、「脱原発=再生エネ+電力自由化」は福島原発事故対策を阻害し、且つ、原発廃炉を阻害し、その裏で、外資が我国の社会資本を強奪するけど、それは「日本死ね」に他ならない。

「民主主義ってなんだ?」
「日本死ね、これだ!」
それが安保法制反対デモ=脱原発派の民主主義観。

バカウヨは安保法制反対デモ=脱原発派を、平和ボケだの、お花畑だのと批判してるけど、そんな幼稚なこと言ってるからダメなんだ!
昨年9月2日の投稿で紹介したとおり、山口組チンピラ二郎(もしかしたら、今は神戸山口組?)は「安倍は人間じゃない。たたき斬ってやる」と喚いたけど、電力自由化を深く考察し、「民主主義」という名の日本刀を研ぎ澄まして、山口組チンピラ二郎や大穢健三郎やシースルーらの素っ首をたたき落とさねばならんのだ!

春の邪悪な歌

メンデルスゾーン「無言歌集」より「春の歌」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

2月7日の投稿で、早く死刑にしろ!、と言ったのに、死刑にしないから、またまた、毒カレーを盛りやがったぞ!


電力自由化 市場をつくる自覚こそ
電力の小売りが、きょうから全面自由化される。一般の家庭でも、電気をどこから買うか選べるようになり、8兆円規模の市場が新たに開放される。
当面の話題は、「どの会社の契約が得か」に向きがちだ。思ったほど選択肢がなく、期待はずれに感じる人も少なくないだろう。事業者や行政には一層のサービス向上を求めたい。
大きな電力改革の流れから見れば、今回の自由化は通過点にすぎない。制度やインフラなどの整備にはなお時間がかかる。
価格への注目は当然だが、そこにとどまらず、電気の使い方と選び方を家庭で考える機会としたい。自分の使う電気の源は何かを出発点に、暮らしを支えるエネルギーのあり方に関心を深めていくことが大切だ。
3月末までに小売り登録を済ませたのは約270社。ガス、石油といったエネルギー企業のほか、鉄道、通信、放送などのインフラ産業、商社や再生可能エネルギー関連会社、地域主導の「ご当地電力」など多彩な顔ぶれがそろった。
ただ、新規参入が多いのは都市部中心で、地域的な偏りが大きい。また、営業の的は、電気の使用量が多く、利益が見込める世帯向けに絞られている。
どんな電源から調達しているか、電源構成についての情報公開も今回の改革では努力義務にとどまった。選びたくても情報が乏しければ困る。法制化は今後の重要な検討課題だ。
企業向けでは、新電力5位の日本ロジテック協同組合が必要な電力を確保できず、破産手続きに入るなど、自由化の負の側面もあらわになった。競争に淘汰(とうた)はつきものだが、混乱を避ける手立ての充実が求められる。電力の売買がやりやすい卸売市場の活性化も急務だろう。
なにより、2020年には大手電力がもつ送配電網の分離・中立化(発送電分離)が予定されている。その履行を着実にしなければならない。再エネ普及を促し、電気料金を抑えるためには、誰もが公平に接続できる送配電網が不可欠だからだ。
大手電力の間には、発送電分離への抵抗感がなお強い。既得権が温存されないよう、新設された規制機関だけでなく、消費者もしっかり監視し続ける必要がある。
福島第一原発事故まで、日ごろから電源に思いを巡らせる人は多くなかっただろう。だが電気を自由に消費する社会と原発のリスクは表裏一体の問題だ。自由化を機に、一人ひとりが電力市場を形づくる参画者であることを自覚したい。


(2014年4月1日の朝鮮日刊新聞邪説)

「電気の使い方と選び方を家庭で考える機会としたい」だと?
逆だろ!
本当に電力自由化が市民の利益に適うのなら、「電気の使い方と選び方を家庭で考え」た結果としての電力自由化でなければならない。
「暮らしを支えるエネルギーのあり方に関心を深め」た結果としての電力自由化でなければならない。
ところが、2012年12月8日の投稿で紹介したとおり、総選挙の最中に経済産業省と御用学者が電力自由化を決めた。
「電気の使い方と選び方を家庭で考え」ることなく、電力自由化を決めた。
市民が「暮らしを支えるエネルギーのあり方に関心を深めていく」ことなく、電力自由化が推し進められた。
国民を排除して電力自由化を推し進めたんだね。
国民を排除して決めた後で、「一人ひとりが電力市場を形づくる参画者であることを自覚したい」と言い立てるのは、「電気の使い方と選び方を家庭で考える」必要はない、愚かな市民は賢い我々が決めたことに従えばいいのだ、と言うことに他ならない。
実際、「電気の使い方と選び方を家庭で考え」るなら、「暮らしを支えるエネルギーのあり方に関心を深めていく」なら、電力自由化が市民の利益と相容れないことに気づくんだよ。

既に、2月7日の投稿でも指摘したけど、「3月末までに小売り登録を済ませたのは約270社」の殆どは自前で発電していない。


【電力小売り全面自由化スタート】新電力、自前電源保有わずか1割 燃料費が高騰なら淘汰も…
2016.4.2 07:00
家庭が電力会社を自由に選べる電力小売り全面自由化が1日、スタートした。経済産業省に登録した新規参入の小売り電気事業者(新電力)は280社にのぼり、このうち自前の発電設備を持つ新電力が1割程度にすぎないとみられる。卸電力取引所や大手電力などから電気を購入しているのが大半で、安い燃料費などを背景に、本業とのセット割引で割安感のある料金プランを提供する。しかし専門家は燃料費が高騰すれば「サービスの持続は難しい」とも指摘する。
関西では関西電力の独占状態が続いていたが、大阪ガスやKDDI、ケイ・オプティコム、ジュピターテレコム(JCOM)などのほか、東京電力が既存エリアを越えて参入した。
関西エリアで自前の発電施設を持つのは関電以外では、天然ガス火力など184万キロワットの発電能力を持つ大ガスが、全国の新電力の中でも最大級となる。
一方で、自前で発電設備を持たない事業者は日本卸電力取引所などから電気を購入する。本業とのセットで割安なプランを提供し、本業の利益を電気料金値引きの原資に充てている場合が多い。
現在の料金は安い燃料費も反映されているが、原油や天然ガスなど資源価格の上昇で燃料コストが増えた場合、料金転嫁に直面する可能性がある。
今年3月、全国の企業や自治体など7千カ所に電力を販売していた日本ロジテック協同組合が事業撤退する事態が起きた。自前の発電設備を持たないロジテックは、発電事業者などから電気を購入し、企業や自治体に安い料金で供給していた。だが、供給力の不足分を調達する料金が膨らみ、大手電力に送電網の使用料(託送料金)を支払えなくなった。
1990年代に電力自由化を行った英国では、当初は新電力の増加で価格競争が進み、電気料金が下がった。だが、燃料費の高騰に伴って新電力の脱落が相次ぎ、市場の寡占化が進み家庭向けの電気料金は10年で2倍強に上がった。過剰な割引契約が、新電力の撤退や廃業につながる恐れもある。
常葉大経営学部の山本隆三教授(エネルギー政策)は「発電設備を持たない新電力は、顧客の囲い込みのために利幅を下げて料金を割安にしている。発電コストが上がってしまえば、長続きしないのではないか。多様な電源を持った会社の方が有利だ」と述べた。
一方、関西学院大経済学部の野村宗(むね)訓(のり)教授(規制経済学)は「競争で、発電設備に巨額投資してきた大手電力の原資が奪われ、発電設備の開発がなくなり、電力需給の不安定化につながりかねない」と懸念を示した。


(産経ニュース)

「3月末までに小売り登録を済ませたのは約270社」の9割は東電や関電等の電力会社から購入しているだけ。
「自分の使う電気の源は何かを出発点に」考えるなら、「電気の源」が既存の電力会社にすぎないことが分かるはず。
「自分の使う電気の源は何かを出発点に」考えるなら、「暮らしを支えるエネルギーのあり方に関心を深めていく」なら、「多彩な顔ぶれがそろった」が巧言を弄して市民を欺こうとしているにすぎないは明らかだろ。
しかも、残りの1割も同じ穴の狢。
太陽光は夜間に発電できない。
雨天では発電できない。
曇天では発電量が大幅に落ちる。
風力は風任せだから、安定した電力を供給できない。
だから、2月4日の投稿で指摘したとおり、電力が足りなくなれば、東電や関電等の電力会社から供給を受けることになる。
「自分の使う電気の源は何かを出発点に」考えるなら、「暮らしを支えるエネルギーのあり方に関心を深めていく」なら、再生エネが既存の電力会社に依存していることが分かるんだね。
東電や関電に依存しているくせに、「大手電力の間には、発送電分離への抵抗感がなお強い。既得権が温存されないよう」との言い草は全くの本末転倒、と言うより、醜悪な誤魔化し以外の何物でもねえ!

実際、上記の産経記事に見えるとおり、電力自由化の結果、英国では「市場の寡占化が進み家庭向けの電気料金は10年で2倍強に上がった」
鬼畜左翼もこんな記事を書いてた。

2016031204
2016年3月11日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

「ドイツでは8社あった大手電力が自由化後に4社になった」
「地域独占」だの、「既得権」だのと喚き立てて、安部こべに独占がさらに進んだ。
けど、それは理の当然。
上記の産経記事中で指摘されているとおり、「競争で、発電設備に巨額投資してきた大手電力の原資が奪われ、発電設備の開発がなくなり、電力需給の不安定化につながりかねない」
実際、鬼畜左翼もこんな記事を書いてた。

2016031202
2016年3月9日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

「大手電力はこれまで『総括原価方式』のもと・・・電気が足りなくなるかもしれない」と認めてるな。
電力需給の安定化のためには、結局は独占にならざるをえない。
だからこそ、「地域独占」という枠を嵌めることで過度な独占を防いできたのに、「既得権が温存されないよう」と喚き散らして、枠をはずしてしまったから、一層の独占が進んだ。
「暮らしを支えるエネルギーのあり方に関心を深めていくことが大切だ」と喚くのなら、「地域独占」を「消費者もしっかり監視し続ける」体制を作ればいい。
それを決して口にしないのは、「独占市場をつくる自覚こそ」が電力自由化の意図だから。
だからこそ、「電気の使い方と選び方を家庭で考え」ることなく、「暮らしを支えるエネルギーのあり方に関心を深めていく」ことなく、市民を除け者にして電力自由化を推し進めたんだよ。

しかも、だ。
「英国の大手6社のうち4社は、ドイツやフランスなど国外企業」
2013年2月10日の投稿で紹介したとおり、ドイツの送電網も外資が牛耳ってる。
「既得権が温存されないよう」と喚き立てて、外資が社会資本を奪ったんだね。
そうなれば、国民所得が外資に奪われ、国民は貧困化する。
1月14日の投稿で紹介したとおり、スペインがその好例、って言うか、悪例。
1月20日の投稿で紹介したとおり、格差が拡大しているけど、それには電力自由化が関与してる。

電力自由化による国民所得の流出は現に我国でも起きつつある。


太陽光発電、海外勢の参入活発に 高い買い取り価格狙う
2016/3/24 1:00
国内で太陽光発電は固定価格買い取り制度の後押しで拡大してきた。政府は固定価格を毎年引き下げているが、欧州やアジアの主要国の買い取り価格に比べれば依然として高い。海外勢が高い収益性が見込めると判断し、日本に参入する動きが活発になってきた。
ドイツなどでは太陽光発電の導入量が拡大したのに伴い、2010~12年で買い取り価格を半分近くに引き下げた。スペインは固定価格での買い取り制度を廃止した。
日本で…


(日本経済新聞 電子版)

外資から見れば、国民の所得は「既得権」
外資の侵入を批判せず、あべこべに「既得権が温存されないよう、新設された規制機関だけでなく、消費者もしっかり監視し続ける必要がある」と喚き立てるのは、外資様への貢物が滞らないよう「消費者もしっかり監視し続ける必要がある」と言う以外の何物でもねえ!

それでも「なにより、2020年には大手電力がもつ送配電網の分離・中立化(発送電分離)が予定されている。その履行を着実にしなければならない。再エネ普及を促し、電気料金を抑えるためには、誰もが公平に接続できる送配電網が不可欠だからだ」と喚くのなら、なぜ「市場の寡占化が進み家庭向けの電気料金は10年で2倍強に上がった」のか、なぜ「英国の大手6社のうち4社は、ドイツやフランスなど国外企業」という事態に陥ったのかを考え、それを防ぐための制度を設計しなければならなかった。
ところが、左翼脱原発派は「暮らしを支えるエネルギーのあり方」を考えようとしなかった。
2014年10月15日の投稿で紹介したとおり、井田徹治という外道は、「市場の寡占化が進み家庭向けの電気料金は10年で2倍強に上がった」、「英国の大手6社のうち4社は、ドイツやフランスなど国外企業」という事実を省みずに、「明確なデータを公表せずに電力会社が『供給に不安が生じる』と主張できるのも、再エネの接続拒否を持ち出せるのも、電力会社が、送配電網をも独占して所有しているという、国際的には異常な状況が日本で長く続いている点に帰着する」と喚き散らしていた。
「運送会社が高速道路まで所有し、他社の利用を制限するようなものだ」とも喚いてたけど、電気とトラックを同列に論ずるのは、「暮らしを支えるエネルギーのあり方に関心を深めていくこと」を阻害する以外の何物でもねえ!

もちろん、一部の良識ある人は当初から「市場の寡占化が進み家庭向けの電気料金は10年で2倍強に上がった」という事実を指摘し、電力自由化に懸念を示していた。
けれど、鬼畜左翼を始めとする脱原発派は、それは原発を維持したい連中が言ってるだけですぅぅぅ~、と泣き喚いて、「電気の使い方と選び方を家庭で考える」ことを、「暮らしを支えるエネルギーのあり方に関心を深めていくこと」を拒絶し続けてきた。
なぜなら、「電気の使い方と選び方を家庭で考える」と、「暮らしを支えるエネルギーのあり方に関心を深めていく」と、「再生エネ+電力自由化」こそが「原発のリスク」を高めることに気づくから。
実際、「ガス、石油といったエネルギー企業のほか、鉄道、通信、放送などのインフラ産業、商社や再生可能エネルギー関連会社、地域主導の『ご当地電力』など」が電気を売っても、「福島第一原発」から放出された放射性物質が消えてなくなるわけでもなく、原発の廃炉が進むわけでもなく、逆に、「競争で、発電設備に巨額投資してきた大手電力の原資が奪われ」れば、福島原発事故対策も廃炉も滞ってしまう。
しかも、2011年4月26日の投稿8月30日の投稿2012年1月5日の投稿7月11日の投稿7月25日の投稿9月4日の投稿、そして、2013年3月29日の投稿で紹介したとおり、原発が無くても、再生エネが無くても電力は足りてる。
にもかかわらず、前回の投稿で紹介したとおり、家庭は再生エネに毎月600円以上も負担させられている。
「電気の使い方と選び方を家庭で考える」なら、「暮らしを支えるエネルギーのあり方に関心を深めていく」なら、電力は足りているのに、再生エネに毎月600円以上も負担するのは、国民負担を大きくして、福島第1原発事故収束と原発廃炉を阻害することに気づくんだね。

しかも、昨年1月26日の投稿4月20日の投稿6月23日の投稿7月9日の投稿7月17日の投稿8月10日の投稿、そして、9月6日の投稿で指摘したとおり、再生エネは(高圧電線の)送電網に殆ど流れていない。
せいぜい、電柱の送電線に流れるだけ。
前回の投稿で採り上げた記事も「ほとんどはすぐに近隣の住宅で使われる」と白状してただろ。
それでも認めようとしないアホにはこの記事。

2016031203
2016年3月10日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

昨年8月10日の投稿で採り上げた朝鮮日刊新聞記事に見えるとおり、我国の太陽光発電の設備容量は既に2700万㌔ワットで、昨年8月16日の投稿で解説したとおり、原発は2400万㌔ワットだから、太陽光発電だけで既に原発を抜いている。
にもかかわらず、「全国の発電量に占める再生エネの割合はまだ4%(水力発電を除く)に過ぎない」
しかも、その殆どは送電網に流れていない。
「再エネ普及を促し、電気料金を抑えるためには、誰もが公平に接続できる送配電網が不可欠だからだ」なんて真っ赤な左翼の真っ赤な嘘。

って言うと、左翼脱原発派は、再生エネをもっと増やせばいいんですぅぅぅ~、と泣き喚くだろうけど、「だが再生エネ電気を自由に消費する社会と環境破壊のリスクは表裏一体の問題だ」


愛知万博で守ったのに…「海上の森」隣に太陽光施設
伊藤智章、百合草健二
2016年2月16日04時04分
愛知万博の会場計画を大幅縮小して自然環境を保全した海上(かいしょ)の森(愛知県瀬戸市)に隣接する林地が切り開かれ、太陽光発電施設が建設されていた。瀬戸市は「環境万博の理念を継承するエリアにふさわしくない」と2013年に中止を勧告したが、その後の開発に市民の指摘で今月に気づき、調査に入る方針だ。
現場は海上の森の北東端に接する民有地。13年以前にあったヒノキやスギの林が幅約100メートル、奥行き約200メートル以上にわたり切り払われ、砂利で整地された斜面にパネルがびっしりと並ぶ。開発した名古屋市の建設業者によると、出力1174キロワットのメガソーラー。大型重機が10台ほどあり、一部は高さ約2メートルの有刺鉄線やフェンスで囲まれている。「監視中」「私有地」などと書かれた看板もある。
近くの沢の水は海上の森へ流れ、下流には湿地や県の自然環境保全地域がある。また、県は森全体を保全するため万博翌年の06年に条例を定めている。
瀬戸市によると、建設業者は13年1月、この民有地で既設の資材置き場2カ所を含む5ヘクタール強の森林を伐採して開発し、発電施設を造る計画を市に提出。市は同年7月、環境万博の理念や下流の環境への影響から、市土地利用調整条例に基づき中止を勧告した。
だが、その後の開発を今月に市民に指摘され、市は10日に現場を確認。「事実関係を把握し早急に立ち入り調査する」としている。一帯は市街化調整区域で、同条例により1千平方メートル以上の開発には市と事前協議が必要で、違反した場合は中止命令や罰金(最大30万円)を科すことができる。
この業者は取材に対し15日に回答し、開発を認めたが経緯については保留。今後の太陽光発電施設の増設は「予定はない」とし、周辺環境への配慮として「フェンス周囲への植樹を予定」などと説明している。

2016040601
海上の森に隣接する傾斜地の林を切り開いて置かれているソーラーパネル=13日、愛知県瀬戸市海上町


(朝日新聞デジタル)

って言うと、脱原発派は、それは悪徳業者の問題で、太陽光発電の問題じゃありまシェ~~~ン・太陽光パネル・カムバッ~~~ク、と泣き喚くだろうけど、昨年9月15日の投稿でも指摘したとおり、これは太陽光発電が環境破壊を前提にしているという事実を象徴しているんだね。
実際、この太陽光発電の問題には一言も触れずに、「再エネ普及を促し、電気料金を抑えるためには、誰もが公平に接続できる送配電網が不可欠だからだ」と喚き立てるのは、この太陽光発電が「公平に接続できる送配電網が不可欠だからだ」と言う以外の何物でもなく、こんな太陽光発電が接続できないように「消費者もしっかり監視し続ける必要がある」とは言わず、安倍こべに「大手電力の間には、発送電分離への抵抗感がなお強い。既得権が温存されないよう、新設された規制機関だけでなく、消費者もしっかり監視し続ける必要がある」と喚くのは、この太陽光発電が送電拒否されないように「消費者もしっかり監視し続ける必要がある」と言うことに他ならない。
だから、こうなった。


海上の森隣接の太陽光施設、事後的許可へ 愛知県
2016年2月26日23時07分
愛知万博のあった海上(かいしょ)の森(愛知県瀬戸市)に隣接する林が無許可で伐採され、太陽光発電施設が設置された問題で、愛知県は設置業者が許可基準を満たすよう災害防止対策などを取れば事後的に許可する方針だ。中止勧告を無視された瀬戸市は撤去を求められないか、なお検討している。
大村秀章知事は23日の記者会見で、設置したフジ建設(名古屋市)を「無届けで2ヘクタールを開発してソーラーパネルを設置し、売電している。明確な法令違反だ」と批判した。ただ、発電施設自体をどうするかは「災害発生、環境の著しい悪化がないよう、排水施設の設置などの是正指導をしていく」と語るにとどめた。
県は土砂流出を防ぐ応急措置を同社に要請中。県の砂防関係条例の担当者は「ソーラーパネル自体でなく、設置のための造成が土砂流出につながるかどうかが問題」とする。森林法や環境保全、土壌汚染に関する条例の担当各課も造成が各法令の基準を満たせば認める方針で、撤去要請は困難としている。
一方、瀬戸市の青山一郎副市長は「市民感情から言えば撤去してほしい」と話す。2013年にフジ建設の計画書を受け取った市は、「環境万博」の理念を継ぐ海上の森の環境に造成の土砂が影響を及ぼすおそれがあるとして、土地利用調整条例により中止を勧告していた。
条例では市は計画について住民説明会を開ける。それを不要と判断し、中止勧告をしたほど問題は自明だった。条例に撤去に関する条文はないが、副市長は「造り得にしてはいけない」と話す。
今月、現場を確認して告発した「海上の森野鳥の会」副代表の森島達男さん(65)は「けしからんと言っておいて、発電でもうける業者を認めるのか」と怒る。フジ建設は県にも計画段階で相談。その後、県の海上の森センターは開発を把握したが、県庁内で情報共有されなかった。森島さんらは開発を見過ごした県の責任も問い、伐採前の状態に戻すべきだとする抗議の申し入れをするつもりだ。
同社の広報担当は「現地調査で指示された土留め工事や測量をして今週末までに県、市に報告する。売電は続けている」と話す。

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海上の森に隣接する林を伐採し設置された太陽光発電施設=17日、愛知県瀬戸市海上町、朝日新聞社ヘリから、高橋一徳撮影


(朝日新聞デジタル)

太陽光発電は自然破壊を前提にしているから、「再エネ普及を促し、電気料金を抑えるためには、誰もが公平に接続できる送配電網が不可欠だからだ」と喚き立てれば、こうなるのは理の当然。

今や、太陽光発電への怒りは沸騰している。


高知県土佐清水市大岐メガソーラー中止 地元理解得られず
2016年3月25日08時11分
高知県土佐清水市大岐地区の民有地の山林に大規模太陽光発電所(メガソーラー)の建設を計画していたJFEエンジニアリング(東京都)は3月24日までに、「地元の理解が得られない」などとして、計画中止を地区の住民や土佐清水市の担当者らに電話で通知した。2015年6月に計画が表面化して以降、地区内外で起きた反対運動を受けて判断した。
JFE総務部広報グループは取材に対し、「地元の理解を得られていない状況で、これ以上事業を進めるのは困難。出資会社と協議して中止を決定した」と表明。「残念なことだが、地元に喜んでもらえない施設を造ることはできない。仕方がない」と説明した。
経済産業省によるメガソーラーの設備認定は辞退し、開発規模を縮小するなどの再申請も行わないとしている。大手リース会社、東京センチュリーリースとともに2014年11月に設立した特定目的会社「T&Jパワープラント株式会社」は清算するという。地元業者と結んでいた建設用地の賃借契約については「協議中」としている。
土佐清水市大岐地区の近藤敏彦区長は「地区を挙げて一丸で反対した結果であり、とりあえずほっとしている。土地がこの先どうなるかはまだ分からないが、自然を壊しての開発には反対していく」と述べた。
泥谷光信市長は「中止には企業の理解もあったと思う。市として指導要綱をつくり、条例を検討するなど、住民の声と向き合ってきた。大岐に限らず、再生可能エネルギーは自然との共生が重要で、二度とこのようなことが起きないよう、引き続き国に法整備を要望する」と話している。
JFE側は約25ヘクタールの山林を賃借し、うち約18ヘクタールを造成して発電パネル(出力約13.8メガワット)を設置するよう計画。環境への影響を危惧した住民らが反対運動を展開し、大岐や近隣地区が正式に反対を表明するなど、中止を求める動きが広がっていた。

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美しい砂浜が広がる大岐の浜。写真右手の山を切り開く形で、メガソーラー計画が持ち上がっていた(土佐清水市大岐)


(高知新聞)


メガソーラー大丈夫?住民「土砂災害の恐れ」
2016年3月25日 15時33分
京都府南山城村の山林で大規模な太陽光発電所(メガソーラー)が計画され、その是非が論議の的となっている。
開発会社は「地球環境への貢献」を強調。しかし、建設予定地は甲子園球場のグラウンド約70個分に相当し、村民からは「伐採で環境破壊や土砂災害につながる」などとして、反対が起きている。
メガソーラーの建設は、同村北大河原(約76ヘクタール)、隣接する三重県伊賀市(約18ヘクタール)の計94ヘクタールで、米国資本の「ファースト・ソーラー・ジャパン合同会社」(東京)が計画。中部電力に売電するため、村内に電力は供給されないという。
同社側は地権者の同意を得たとし、昨年12月、府の林地開発行為の手続きに関する条例に基づき、事業計画書を府に提出。今年1月中旬、同村で現地説明会を開き、約40人が参加した。
村内の予定地は、住宅密集地や南山城小、南山城保育園の北側にある。住民からは「今でも土砂災害が心配なのに、山林を切り開けば危険が高まる」「太陽光パネルが破損すれば、有害物質が出る恐れがある」などと不安の声が相次いだ。
これに対し、同社側は「調整池を設けて雨水を管理する。パネルは世界各国で使用し、安全性に問題はない。クリーンなエネルギーの供給で地球環境に貢献したい」と理解を求めた。
村税収入は年間約3億円で、メガソーラーが建設されれば、固定資産税の増収が見込まれる。手仲圓容村長は「税収が大幅に増えるわけではなく、雇用も発生しないが、設置に反対する理由はない」との立場だ。
村民らは今月1日、手仲村長が林地開発の不許可を府に求めるべきだとして、723人分の署名(うち村内在住者367人分)を村に提出した。同保育園に子どもを通わせる母親は「なぜ、保育園や小学校の近くで大規模な開発をするのか。理解しがたい」と眉をひそめる。
太陽光発電所の建設は、府の環境影響評価(アセスメント)条例の対象外。府は「環境に影響がないと認識し、それほど広大な発電所の設置計画もなかったため」と説明する。しかし、今回の事態を受け、75ヘクタール以上の造成工事は対象とするよう、条例の施行規則の変更を検討している。(上野将平)

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小学校や保育園(中央上)の隣接地(手前)に広がるメガソーラー建設予定地(南山城村で)=読者提供


(YOMIURI ONLINE)

やっぱり、外資が我国の自然環境を破壊して、国民所得を奪おうとしてるんだね。
環境を破壊することで国民所得を奪う、それが再生エネの本性。
3月14日の投稿で紹介したとおり、「保育園落ちた、日本死ね」と囃し立ててたけど、「同保育園に子どもを通わせる母親は『なぜ、保育園や小学校の近くで大規模な開発をするのか。理解しがたい』と眉をひそめる」ことは問題にせず、「保育園落ちた、日本死ね」と喚き立てるのは、「外資様の太陽光発電計画落ちた、日本死ね」と思っている証拠。
(ついでに言えば、「保育園落ちた、日本死ね」と言うことは、「保育園に受かった園児死ね」と言うことだ。)

太陽光発電の設備容量が原発の設備容量を超えたということは、凄まじい環境破壊が起こったということ。
それほどまでに環境を破壊し尽くしながら、「全国の発電量に占める再生エネの割合はまだ4%(水力発電を除く)に過ぎない」
しかも、その4%の殆どは(高圧電線の)送電網に流れていない。
にもかかわらず、尚も「再エネ普及を促し、電気料金を抑えるためには、誰もが公平に接続できる送配電網が不可欠だからだ」と喚くのは、国土を破壊し尽くせ、と言う以外の何物でもねえ!

「電気の使い方と選び方を家庭で考える」と、「自分の使う電気の源は何かを出発点に、暮らしを支えるエネルギーのあり方に関心を深めていく」と、「送電網に流れてもいない再エネ普及を促し」、そのために電力自由化を推し進めるのは、福島原発事故対策と原発の廃炉を阻害し、自然環境を再生不可能にし、「暮らし」を脅かす以外の何物でもないことに気づく。
「地域独占」の体制を維持しつつも、「暮らしを支えるエネルギーのあり方に関心を深めていく」ことで、「消費者もしっかり監視し続け」、「原発のリスク」を無くしていくという「自覚こそ」が必要。
にもかかわらず、「市場をつくる自覚こそ」との言い草は、実は、原発は眼中に無いことを露呈してる。
脱原発派は自分さえよければいい。
そのための電力自由化。

「自分の使う電気の源は何か」を考えれば、再生エネの電気に何か色が付いていて、それだけが家庭に届くということはあり得ず、原発という「電源」(もちろん、今は稼動していないから、送電線に流れていないけど)からの電気も、火力という「電源」からの電気も、水力という「電源」からの電気も、太陽光発電という「電源」(もちろん、送電網には殆ど流れていないけど)からの電気も、送電網でごちゃ混ぜになるから、「自分の使う電気の源」は皆同じという事実に気づく。
区別は全く無い。
その証拠に、2月17日の投稿で紹介したとおり、鬼畜左翼も「どこと契約しても、同じ電線を通っている電気の品質は変わらない」と認めざるを得なくなった。
その後の記事でも、

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2016年3月2日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

「原発や太陽光など全国各地の発電所で生まれた電気は・・・停電しやすさに優劣があるわけではない」と認めてるな。
それなのに「どんな電源から調達しているか、電源構成についての情報公開も今回の改革では努力義務にとどまった。選びたくても情報が乏しければ困る」だと?
先に紹介した「教えて!電力自由化」の第8回も「課題の一つは、再生エネや原発、石炭火力などの割合を示す『電源構成』の情報がきちんと出そろうか、はっきりしていないことだ」とほざいてやがる。
送電網でごちゃ混ぜになるのだから、「電源構成」は皆同じだ、つ~の!
名古屋のバーバヤーガも「電源の情報が出そろわないと、消費者が事業者を比べられない」などとほざいてやがるな。
破廉恥な雌ブタめ!

「みんなの党の電力」の詐欺師も「環境意識が高く、電気を産地や生産者で選びたい人は確実にいる」と喚いてるけど、事実は正反対。
2月10日の投稿でも指摘したけど、福島に原発を押しつけたのは東京の住民だから、東電に電気代を支払い続けることで、原発事故の賠償・除染、そして、廃炉の費用を負担する責務を負う。
本当に「環境意識が高く」なら、「みんなの党の電力」に乗り換えたりしない。
「みんなの党の電力」に乗り換えたいと考える左翼脱原発派は、自分だけは原発の負担から逃げようとしてるんだね。
そのくせ、固定価格買い取り制度で自分達の電気代を他人に負担させる。
私は「環境意識が高く」、原発や石炭火力の電気は使いたくない、再生エネの電気が使いたい、と言うのなら、固定価格買い取り制度を止めて、再生エネの電気代は自分達で全て負担すべきなのに、固定価格買い取り制度で他人に押しつけ、その上に胡坐をかいて、「環境意識が高く、電気を産地や生産者で選びたい人は確実にいる」とほざいてるんだよ。
福島原発事故対策と廃炉の費用は他人に負担させ、自分達が支払うべき電気代も他人に負担させるために、それを正当化するために、「どんな電源から調達しているか、電源構成についての情報公開も今回の改革では努力義務にとどまった。選びたくても情報が乏しければ困る」と喚いてるんだよ。

って言うと、下の記事に見えるとおり、原発の費用が送電線の利用料(託送料金)に上乗せされるから、私達も負担することになるんですぅぅぅ~、と泣き喚くだろうけど、

2016031402
2016年3月12日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

「その趣旨から、発電にかかわる費用を含めるのはおかしいのだが」と言うことは、「その趣旨から、福島原発事故対策よ廃炉にかかわる費用を含めるのはおかしい」と言うことに他ならない。
やっぱり、自分達だけは福島原発事故対策と廃炉の費用を負担したくない。
そのための「発送電分離」
実際、「大手電力がもつ送配電網の分離・中立化(発送電分離)」すれば、「その趣旨から、福島原発事故対策と廃炉にかかわる費用を含めるのはおかしい」から、「みんなの党の電力」に乗り換えた消費者は福島原発事故対策と廃炉の費用を負担しなくていい、ということになる。
それなら、固定価格買い取り制度も「発電にかかわる費用を含める」のと本質的に同じであるにもかかわらず、「再エネ普及を促し、電気料金を抑えるためには、誰もが公平に接続できる送配電網が不可欠だからだ」と喚き立てて、固定価格買い取り制度は正当化。
結局は、自分達は福島原発事故対策と廃炉の費用を負担したくない、自分達の電気代も他人に負担させたい、ということだ!
それが「再生エネ+電力自由化」の本性。

2012年12月3日の投稿で指摘したとおり、「既得権」とは、すなわち、「一人一人の必死の生活とそこから出てくるニーズ」
福島原発事故対策と廃炉の費用は他人に負担させ、自分達が支払うべき電気代も他人に負担させるためには、「一人一人の必死の生活とそこから出てくるニーズ」を侵害しなければならない。
だからこそ、「既得権が温存されないよう」と喚いてるんだね。
そのくせに「消費者もしっかり監視し続ける必要がある」と言い放って憚らない。
「一人ひとりが電力市場を形づくる参画者であることを自覚したい」とは、貴方が福島原発事故対策と廃炉の費用を負担すべきですぅぅぅ~、貴方が再生エネの電気代も負担すべきですぅぅぅ~、と言うことに他ならない。
そのような、自分さえよければいいという発想が独占を招き、外資による国民所得の強奪を招くのは理の当然。
そして、そのような底無しに破廉恥で醜悪で卑劣な発想こそが福島原発事故を招いた真の原因。
「電気の使い方と選び方を家庭で考える」と、「自分の使う電気の源は何かを出発点に、暮らしを支えるエネルギーのあり方に関心を深めていく」と、再生エネ+電力自由化を喚き立てる左翼リベラルこそが原発事故を招いたことが分かるんだね。

ついでだから、「教えて!電力自由化」の他の記事も載せておくか。

2016022601
2016年2月26日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

2016030301
2016年2月27日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

2016031213
2016年3月3日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

2016031214
2016年3月4日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

2016031201
2016年3月5日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

後は、読者各自がこれらの記事を批判的に考察して、「暮らしを支えるエネルギーのあり方に関心を深めて」ちょ。

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