福島の森の精の歌

レハール「メリー・ウィドウ」より「ヴィリアの歌」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

なぜ、誰もこれに怒らないんだ?


2017年4月8日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

「3月11日の災害は・・・日本とドイツ両国のエネルギーの革新に予期せぬ恩恵をもたらした」だと!
日本国土が核汚染し、日本国民が被曝しているにもかかわらず、「恩恵」と言い放ったんだね。
被曝は恩恵、と言い放ったんだよ。
(津波で多くの国民が命を落としたのだから、「3月11日の災害は・・・日本とドイツ両国のエネルギーの革新に予期せぬ恩恵をもたらした」との言い草は震災の犠牲者をも徹底的に愚弄してる。)
もちろん、これを平然と掲載したのは、朝鮮日刊もその認識を共有している、ということ。
3月13日の投稿でも指摘したとおり、再生エネは国民が被曝すればするほど利を貪ることができる。
だからこそ、2月15日の投稿で紹介したとおり、「ピーク時電力、再生エネ46%」と囃し立て、前回の投稿で紹介したとおり、「出力の調整が難しい石炭火力は使いづらい」と喚き立てた挙句に、こんな記事を掲載したんだね。

その一方では、こんなことほざいてやがった。


今村復興相 避難への無理解に驚く
震災復興の司令塔なのに、原発事故の避難者たちが置かれた複雑な状況を分かっていないのではないか。
今村雅弘復興相が記者会見で、「本人の責任でしょう」「裁判でも何でもやればいい」と話した。福島第一原発の事故後、避難指示の対象区域以外から逃げた自主避難者をめぐる発言である。
国の支援のあり方を記者から重ねて問われるうちに今村氏は激高し、会見を打ち切った。後で感情的な態度は謝罪したものの、発言については「客観的に言ったつもりだ」と釈明し、撤回しなかった。
避難指示を受けた人と自主避難者との違いを指摘したかったようだが、内容には聞き流せない問題がある。
自主避難者の多くは、避難指示に関して国が定めた放射線量の基準に不安が拭えず、悩んだ末に地元を離れる決断をした。全国で2万数千人にのぼり、家族がばらばらになった人は多く、生活に困窮する人もいる。東京電力からの損害賠償や行政による住宅提供も、避難指示を受けた人に比べると手薄だ。
自身で決めたこととはいえ、自主避難者も事故の被害者だ。それを自己責任で片付けるのは、国策として原発を推進してきた政府の責任への認識に欠けると言わざるをえない。
裁判をすればいいという発言に至っては、開き直りにしか聞こえない。
東電や国に賠償などを求めて提訴した原発被災者は各地で1万人を超える。3月には前橋地裁が国に賠償を命じたが、裁判には手間ひまがかかる。その負担を避難者に背負えと言うのだろうか。
今村氏はこれまでも、被災者との意識のずれを指摘されることがあった。今年1月、福島市での会合では、最近の避難解除でようやく本格化しつつある福島の復興について「マラソンにたとえると30キロ地点」と発言。3月にはテレビ番組で「ふるさとを捨てるというのは簡単だが、戻って頑張っていく気持ちをもってほしい」と述べた。
避難者で地元に戻る人はまだ少数派で、生活基盤や放射能への不安などから当面戻らないという人は少なくない。ふるさとから離れていても、つながりは保ちたいという声も根強い。
今村氏の発言は、さまざまな事情を抱える避難者の心を傷つけ、切り捨てと受け取られても仕方ない。帰還の促進策ばかりでなく、被災者の多様な声に耳を傾け、必要な手立てをとるという国の役割を自覚すべきだ。


(2017年4月6日の朝鮮日刊新聞邪説)

「避難者で地元に戻る人はまだ少数派で、生活基盤や放射能への不安などから当面戻らないという人は少なくない」にもかかわらず、「3月11日の災害は・・・恩恵をもたらした」との言い草は、「原発事故の避難者たちが置かれた複雑な状況を全く分かっていない」、どころか、「ふるさとから離れていても、つながりは保ちたい」と思う「避難者の心を傷つけ、切り捨て」る以外の何物でもねえ!
今村でさえ「被曝は恩恵」などと言ってない。
左翼リベラルの「避難への無理解に驚く」!
どの面下げて、「今村氏はこれまでも、被災者との意識のずれを指摘されることがあった」とほざいてんだ!
しかも、「3月11日の災害は・・・恩恵をもたらした」のなら、「東電や国に賠償などを求め」るのは御門違い。
どの面下げて、「それを自己責任で片付けるのは、国策として原発を推進してきた政府の責任への認識に欠けると言わざるをえない」とほざいてんだ!
「開き直りにしか聞こえない」。

もちろん、この邪説は先の記事の後だけど、今村復興相は「後で感情的な態度は謝罪したものの」、鬼畜左翼は謝罪も釈明もせず、記事も「撤回しなかった」。
それどころか、さらにこんなこと喚いてやがった。


安倍内閣 「1強」が生む問題発言
安倍内閣の閣僚がまた、見識を疑われる発言をした。
こんどは鶴保庸介沖縄担当相だ。米軍普天間飛行場の辺野古移設計画に反対する沖縄県の動きについて、「ポジショントーク(自身に都合のよい発言)をするような向きも、ないではないかもしれない」と述べた。
これは違う。県の反対行動は14年の知事選と衆院選、13年と16年の参院選など、たび重なる選挙結果で裏打ちされた「辺野古移設反対」の民意に基づく。決して口先だけで都合よく語っているわけではない。
政府に反対の声をあげることで「気持ちよかったね、というだけで終わったんじゃ意味もない」とも語った。まるで県民が反対を叫ぶことで留飲を下げているかのような言い方だ。
日米両政府の普天間返還合意からきのうで21年。政府と県民に、また県民同士に長く、深い分断を生んできた経緯を踏まえれば、これほど粗雑な言い方はできないはずだ。
一方で鶴保氏は、政府と県が「建設的な意見を戦わせるべきではないか。その場を作っていくべきではないかとずっと申し上げている」とも述べた。
この発言に異論はない。だがならばなぜ、政府は県との対話に常に消極的なのか。県の頭越しに米国と「辺野古が唯一の解決策」と確認するのか。政府と沖縄をつなぐため、鶴保氏はどんな努力をしてきたのか。
昨年、政府と県の訴訟について「早く片づけてほしいということに尽きる」と語った鶴保氏である。鶴保氏の言葉こそポジショントークではないのか。
担当相として寄り添うべき人々を、逆に突き放すような閣僚はもう一人いる。
東京電力福島第一原発事故による自主避難者をめぐり、「本人の責任でしょう」などと語った今村雅弘復興相だ。
一昨日の国会審議で発言の一部は取り消したが、自主避難者が行政の対応に不服なら「裁判でも何でもやればいい」と言った部分は撤回しなかった。
鶴保氏と今村氏に共通するのは、担当相として向き合うべき国民と、同じ目の高さに立っているとは思えないことだ。
安倍内閣では、首相自身の「もちろん南スーダンは、例えば我々が今いるこの永田町と比べればはるかに危険な場所」とか、稲田防衛相の「記憶に基づいた答弁であって、虚偽の答弁をしたという認識はない」といった詭弁(きべん)が目立つ。
「安倍1強」という政治状況が、閣僚の傲慢(ごうまん)さを増幅させているのは明らかだ。


(2017年4月13日の朝鮮日刊新聞邪説)

「だがならばなぜ、政府は県との対話に常に消極的なのか。県の頭越しに米国と『辺野古が唯一の解決策』と確認するのか」だと?
「だがならばなぜ」、「福島県の頭越しに米国と『3月11日の災害は・・・恩恵をもたらした』と確認するのか」。
国民を排除して再生エネを推し進める、ということだな。
国民を被曝させて利を貪るための再生エネだから、国民を排除するんだね。
その旗振り役が朝鮮日刊新聞だった、ということ。

「政府と沖縄をつなぐため、鶴保氏はどんな努力をしてきたのか」だと?
「『虚偽の答弁をしたという認識はない』といった詭弁が目立つ」だと?
昨年10月22日の投稿で採り上げた2016年10月21日の邪説は「耳を疑う暴言である」と泣き喚いてたけど、「3月11日の災害は・・・恩恵をもたらした」は「耳を疑う暴言である」。
そんな「暴言」を吐く輩が沖縄県民のことを慮るはずねえだろ!
「政府と沖縄をつなぐため、鶴保氏はどんな努力をしてきたのか」は詭弁以外の何物でもねえ。

しかも、2011年8月18日の投稿9月11日の投稿で紹介したとおり、率先して原発安全神話を垂れ流し、原発事故を招いたのは、他ならぬ朝鮮日刊新聞。
にもかかわらず、被曝は恩恵、と言い放った。
俺達が原発事故を起こしてやったから有難く被曝しろ、と言ってるんだね、朝鮮日刊新聞は。
「傲慢さを増幅させているのは明らかだ」。
って言うか、「傲慢」などという生ぬるい言葉では表現できねえ。
人類史上に類を見ない鬼畜だ!

何回も言ってきたけれど、それは朝鮮日刊新聞だけじゃねえ。
本当に福島原発事故を憂い、本当に脱原発を希求しているのなら、先の記事を読んで、そして、上記2つの邪説を読んで、体が震えるほどの憤りを覚えるはず。
ところが、始めに述べたとおり、「脱原発=電力自由化+再生エネ」を喚き立てている左翼リベラルは誰一人として怒っていない。
それは、「3月11日の災害は・・・恩恵をもたらした」が左翼リベラルの共通認識であることを、従って、「エセ脱原発=電力自由化+再生エネ」に他ならないことを、左翼リベラルが真の鬼畜であることを、ハッキリと示してるんだね。

自主避難者は初めの記事と上記の邪説に激しく怒るべき。
「エセ脱原発=電力自由化+再生エネ」を喚き立てる左翼リベラルに猛然と抗議すべき。
しないのなら、自主避難は「恩恵」だから、東電や国を訴える資格はねえ。
「本人の責任でしょう」と言われても、甘んじざるを得ない。
このことは既に1月8日の投稿でも指摘したけれど、そこで採り上げたコラムを書いてた外道は、その後もこんなこと書いてる。


2017年2月9日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

先の邪説は「避難指示を受けた人と自主避難者との違いを指摘したかったようだが、内容には聞き流せない問題がある」とほざいたけど、常識的に考えれば、今村が言いたかったのは、避難指示地域以外では多くの県民が福島に留まっているのだから、自主避難は自己責任、ということだろ。
けれど、避難指示地域でなくても、福島県は広範囲に汚染されてる。
福島県民は被曝し続けているという事実を認識することが、自主避難者への理解の前提なんだね。
朝鮮日刊新聞は、避難指示地域以外の住民を「避難指示を受けた人」にすり替えて、福島県民が被曝し続けているという事実を覆い隠そうと図ったんだよ。
核汚染された地域から避難する、しないは、「多様な声」という言葉で表現するものじゃねえ。
にもかかわらず、「被災者の多様な声に耳を傾け、必要な手立てをとるという国の役割を自覚すべきだ」と言うのは、避難する必要は全く無いけれど、避難するのも「多様な声」、と言うことに他ならず、やはり、核汚染・被曝を矮小化してる。
コヤツら左翼が「多様」という言葉を使うときは、必ず、卑劣な誤魔化しがある。
4月3日の邪説でも「避難解除と福島復興 多様な生き方支えてこそ」とほざいてた。)

このことを理解すれば、上のコラムの卑劣さも明らかだろ。
「そんな『自産自消』の願いは、被災地に確実に広がる」のだから、脱原発には再生エネの普及が必要と思い込ませ、福島県民を捨石にして、再生エネで国民から収奪しようと目論んでるんだね。
だからこそ、「3月11日の災害は・・・恩恵をもたらした」と言い放ったんだよ。
「福島県は原発事故後、一般住宅の太陽光発電パネル設置への補助を始めた。その効果もあり、設置は既に4万件を超えた」と囃し立ててるけど、自主避難者は、お前達は太陽光発電と被曝を引き換えにするのか、固定価格買い取り制度で潤うのなら被曝してもいいのか、それこそが原発を誘致し原発事故を招いた原因だろ、と非難すべき。
このコラムを書いた外道を袋叩きにすべき。

にもかかわらず、尚もこんな邪説書いてやがる!


避難者いじめ 実情学び考える授業を
東日本大震災と原発事故で、福島県内外に避難した子どもたちへのいじめが、この1年間で129件確認された。
震災や事故にからむいじめと認定されたのは4件だけだったが、文部科学省は「すべて把握できたわけではない」と説明している。むろん、これは氷山の一角にすぎないだろう。
「お前らのせいで原発が爆発したんだ」「放射能がうつるから来ないで」と過去に言われた例も報告された。横浜市に避難した子がいじめで不登校になったことが、昨年秋に大きく報じられたのを改めて思いおこす。
「背景には放射線や、避難を続ける人たちへの理解不足がある」と松野博一文科相は述べた。子どもたちは周りの大人の発言や態度に影響を受ける。はびこるいじめは、大人社会の無理解を映す鏡でもある。
県民を傷つける言動を閣僚もくり返してきた。自主避難者の苦境を「本人の責任」と言い放った今村雅弘復興相だけではない。石原伸晃氏の「最後は金目でしょ」、丸川珠代氏の「反放射能派、と言うと変だが、どれだけ(線量を)下げても心配だという人はいる」などだ。どちらも環境相時代の発言だ。
福島に戻る人が増えるほど、復興が進む。あるいは進んでいるように見える。政権のそんな思惑と打算が、避難者に肩身の狭い思いをさせてはいないか。
いじめの原因が「理解不足」にあるのなら、実情を学び、考える機会を子どもたちに提供する責務が、大人にはある。
たとえば福島県教育委員会が作った「ふくしま道徳教育資料集」を使ってはどうか。小中高向けの各版がそろい、県教委のホームページからも手に入る。
避難を強いられた住民の気持ち。「放射能差別」や福島の農産物に対するいわれなき偏見。そうした重いテーマも、実話に基づいて扱っている。
避難生活や福島の現状を描いたルポ、ドキュメンタリーも、教材にできるだろう。放射線の勉強をまじえて総合学習で学んだり、現代社会などの授業で扱ったりする方法もある。
避難するか、とどまるか。故郷に戻って再出発するか、避難先で生活をたて直すか――。一つの正解がないからこそ、福島の人々の選択は分かれた。
「本音で語り、考えが相いれないこともあると認め、互いを尊重しつつ折り合いをつけることを学んでほしい」。福島県教委の担当者の言葉だ。
教え込むのではなく、自分で考えさせる。そんな授業に取り組む良い機会ととらえたい。


(2017年4月16日の朝鮮日刊新聞邪説)

「県民を傷つける言動を閣僚もくり返してきた。自主避難者の苦境を『本人の責任』と言い放った今村雅弘復興相だけではない。石原伸晃氏の『最後は金目でしょ』、丸川珠代氏の『反放射能派、と言うと変だが、どれだけ(線量を)下げても心配だという人はいる』などだ。どちらも環境相時代の発言だ」だと?
「福島に戻る人が増えるほど、復興が進む。あるいは進んでいるように見える。政権のそんな思惑と打算が、避難者に肩身の狭い思いをさせてはいないか」だと?
「3月11日の災害は・・・恩恵をもたらした」と「県民を傷つける言動をテメエら左翼リベラルもくり返してきた」んだろ!
太陽光発電パネルを屋根に並べても放射線は消えないのに、テメエらが「そんな『自産自消』の願いは、被災地に確実に広がる」と吹聴したから、自主避難者は「被災地の願い」を否定する人たちと見なされ、「自主避難者の苦境を『本人の責任』と言い放った今村雅弘復興相」や「丸川珠代氏の『反放射能派、と言うと変だが、どれだけ(線量を)下げても心配だという人はいる』など」が現れるんだろ。
太陽光発電パネルを屋根に並べても原発事故が収束するわけじゃないのに、太陽光発電に悦んでいる連中は、銭と被曝を引き換えにしているのであり、それこそが原発を誘致し原発事故を招いた原因であり、だからこそ、「最後は金目でしょ」とバカにされるんだろ。
「福島で再生エネが増えるほど、復興が進む。あるいは進んでいるように見える。左翼リベラルのそんな思惑と打算が、避難者に肩身の狭い思いをさせてはいないか」。
「3月11日の災害は・・・恩恵をもたらした」だの、「そんな『自産自消』の願いは、被災地に確実に広がる」だのと囃し立てる左翼は「大人社会の無理解を映す鏡でもある」。

昨年12月14日の投稿で指摘したとおり、東京や横浜の住民が、「避難を強いられた」のは私たちが福島に原発を押しつけた結果と理解し、子どもにも教えていれば、「お前らのせいで原発が爆発したんだ」「放射能がうつるから来ないで」などと言うことはなかったんだね。
ところが、「県民を傷つける言動を左翼リベラルもくり返してきた。『つけは新電力の契約者にも及ぶ。とりわけ、原発の電気を嫌って大手から乗り換えた消費者は、到底納得できないだろう』と言い放った2016年11月7日の邪説だけではない。2016年12月7日の邪説の『過去の事故に伴う費用を分担させるのは、理屈が通らない。脱原発を掲げる新電力は、原発の電気を避けるので、託送料金の負担だけを押しつけられることになる』、2016年12月10日の邪説の『原発を持たない新電力とその契約者にまで負担を強いるという内容だ。理屈の通らないつぎはぎが目立つ』などだ。どちらも朝鮮日刊新聞時代の発言だ」。
しかも、その後も喚き続けてた。


大震災から6年 「原発は安い」では済まぬ
東日本大震災からまもなく6年。復興はまだ道半ばだが、とりわけ原発被災地の福島県では今も8万人が避難生活を強いられ、地域社会の再生は見えない。原発事故の被害とその処理費用も膨らみ続けている。
にもかかわらず、政権は原発を「重要な基幹電源」として、今後も積極的に使う構えだ。
事故の惨禍を目の当たりにしてもなお、原発に頼り続けることに理はあるのだろうか。政府や電力業界が言うように、本当に「原発は安い」のか。
■膨らみ続ける費用
東京都内のホール。福島第一原発の事故で全町避難を強いられた福島県浪江町が2月に開いた住民との懇談会で、避難者たちが次々に悲痛な声を上げた。
「除染が終わったと連絡が来たが、線量は十分に下がっていない。これでは家に帰れない」
「私たちは原発事故で町を追い出された。帰れない人には東電が家賃を払い続けるべきだ」
浪江町の中心部は今月末に避難指示が解除され、住民は戻れるようになる。ただ、楢葉町など指示がすでに解除された地区では帰還率が1割ほどのところが多く、先行きは厳しい。
炉心溶融を起こした原子炉の内部は、惨状がようやく見え始めたところだ。高熱で曲がった鉄格子、こびりついた黒い塊……。東京電力は2号機に調査ロボットを投入したが、人間なら数分足らずで致死量に達する強い放射線や堆積(たいせき)物に途中で阻まれた。溶け落ちた核燃料を取り出す道筋は見当もつかない。
賠償や除染、廃炉などの費用について経済産業省は昨年末、総額21・5兆円にのぼるとの見通しを示した。従来想定の2倍で、巨額の負担が電気料金や税金として国民にのしかかる。そもそも、壊された生活や地域社会など金銭では表せない被害もある。痛手は計り知れない。
■保護ありきの政府
政府は東電をつぶさないため、支援策のてこ入れに乗り出した。東電や原発を持つ電力大手各社が負担してきた賠償費を、今後40年間にわたって、電力自由化で参入した「新電力」にも一部負担させる方針だ。
これは、自由化でめざす消費者の利益より、原発の保護を優先するやり方にほかならない。原発を持たない新電力にも原発固有のコストを押しつけ、大手の負担を軽くするからだ。
なりふり構わぬ姿勢から浮かび上がるのは、原発はもはや強力な政策支援がないと成り立たないという実態である。
それでも、経産省は「福島事故の費用を織り込んでも、原発のコスト面の優位性は変わらない」と言う。引き合いに出すのは15年に示した試算だ。原発を新設する場合の発電コストについて、火力や自然エネルギーなど他の電源より低いとする。30年度時点で必要な電気の2割ほどを原発でまかなう政策の根拠としている。
だが、これにはさまざまな疑問が出ている。原発に批判的な専門家は「試算は、原発を大きなトラブルなく長く運転できることが前提。過去の稼働状況や費用の実績をもとに計算すれば、発電コストは高くなる。建設費用も震災後は世界的に上昇している」と指摘する。
経産省の試算には、費用の見積もりが仮置きにすぎない項目も目につく。たとえば核燃料サイクルは技術が確立されておらず、具体的な進め方も未定の部分が多い。長年の懸案である高レベル放射性廃棄物の最終処分地選びは遅々として進まない。これらは既存の原発にもかかわる問題だ。
歴代の政権は、原発推進の旗を振りつつ、「負の課題」については先送りやその場しのぎを繰り返してきた。そんなやり方は、もはや限界だ。
■脱原発への具体策を
今年は国のエネルギー基本計画を見直す時期に当たる。この機をとらえ、原発をはじめ各電源の経済性やリスク、利点を精査し、新計画に反映させるべきだ。原発推進派だけでなく、批判的な専門家も招き、多角的に検討することが欠かせない。
海外に目を向ければ、ドイツや台湾が脱原発を決めた。他の先進国でも原発を前倒しで閉鎖したり、原発への依存度を下げる目標を掲げたりする動きが出ている。安全性を重視する社会では、事故や廃棄物への対策が解決できていない原発は、手に余るものになりつつある。
そのきっかけとなったのが、福島の事故だった。安全規制の強化とコストの上昇は最近の東芝の経営危機にもつながった。
安倍政権がなすべきなのは、原発を取り巻く現実や再稼働に慎重な民意に向き合い、原発への依存度を着実に下げていく具体策を真剣に練ることである。
閉鎖的な「原子力ムラ」の論理が幅を利かせ、安全神話がはびこった結果、福島で何が起きたか。この6年間をいま一度思い起こし、エネルギー政策を合理的で持続可能なものに作り替えなければならない。


(2017年3月9日の朝鮮日刊新聞邪説)

「事故の惨禍を目の当たりにしてもなお、原発に頼り続けることに理はあるのだろうか」だと?
「事故の惨禍を目の当たりにしてもなお、『原発を持たない新電力にも原発固有のコストを押しつけ、大手の負担を軽くするからだ』という論理に頼り続けることに理はあるのだろうか」?
東電は売電した収益から「家賃を払い続ける」から、「帰れない人には東電と契約し続ける消費者が家賃を払い続けるべきだ」と言ってんだね。
「避難者たちが次々に悲痛な声を上げた」にもかかわらず、自分達は関係ない、と言うんだね。
「事故の惨禍を目の当たりにしても」、自分達の知ったことじゃない、と突き放したんだよ。
自分達も原発の電気を使い続けてきたくせに、大手電力と契約し続ける消費者に責任を押しつけて、「自由化でめざす消費者の利益」と言い張るのは「石原伸晃氏の『最後は金目でしょ』」の指摘どおりだな。
って言うか、「最後は」じゃなくて、「原発を持たない新電力にも原発固有のコストを押しつけ、大手の負担を軽くするからだ」と喚き散らす左翼リベラルは「最初から最後まで金目でしょ」。
だから、「県民を傷つける言動を閣僚もくり返してきた。自主避難者の苦境を『本人の責任』と言い放った今村雅弘復興相だけではない。石原伸晃氏の『最後は金目でしょ』、丸川珠代氏の『反放射能派、と言うと変だが、どれだけ(線量を)下げても心配だという人はいる』などだ」ということは、「『原発を持たない新電力にも原発固有のコストを押しつけ、大手の負担を軽くするからだ』という発言は、さまざまな事情を抱える避難者の心を傷つけ、切り捨てと受け取られても仕方ない」ということなんだね。
「子どもたちは周りの大人の発言や態度に影響を受ける。はびこるいじめは、『原発を持たない新電力にも原発固有のコストを押しつけ、大手の負担を軽くするからだ』と言い募る大人社会の無理解を映す鏡でもある」。

3月2日の投稿で採り上げた2月16日の邪説は「答えが一つではないテーマを多面的・多角的にとらえ、他者と協働して思考する力だ」だの、「自国の主張が正しいと言いつのるだけでは共感は得られない。育てたいのは、相手の立場を理解し、冷静に考え、議論し、共生の道を探ろうとする人材だ」だのと泣き喚いてたけど、「原発を持たない新電力にも原発固有のコストを押しつけ、大手の負担を軽くするからだ」と喚き立てれば、「大手電力と契約し続ける消費者に原発事故のコストを押しつけ、負担を重くするからだ」と理解することが「多面的・多角的にとらえ」るということだ!
「原発を持たない新電力にも原発固有のコストを押しつけ、大手の負担を軽くするからだ」と喚き立てれば、「大手電力と契約し続ける消費者に原発事故のコストを押しつけ、負担を重くするから」、結局は負担できなくなって、原発事故の収束は滞り、自主避難者は戻りたくても戻れなくなると理解するのが、「相手の立場を理解し、冷静に考え、議論し、共生の道を探ろうとする」ことだ!
「原発を持たない新電力にも原発固有のコストを押しつけ、大手の負担を軽くするからだ」は「自らの主張が正しいと言いつのるだけでは共感は得られない」の悪しき見本だ、つ~の!
しかも、「再生エネは固定価格買い取り制度という強力な政策支援がないと成り立たない」にもかかわらず、「原発はもはや強力な政策支援がないと成り立たないという実態である」と言い募るのは、「多面的・多角的」とは全く逆に、物事を一つの角度からしか見ていない。

「答えが一つではないテーマを多面的・多角的にとらえ、他者と協働して思考する力だ」だの、「自国の主張が正しいと言いつのるだけでは共感は得られない。育てたいのは、相手の立場を理解し、冷静に考え、議論し、共生の道を探ろうとする人材だ」だのと泣き喚きながら、己らはその真逆を突っ走ってる。
そんなテメエらが、どの面下げて、「いじめの原因が『理解不足』にあるのなら、実情を学び、考える機会を子どもたちに提供する責務が、大人にはある」だの、「教え込むのではなく、自分で考えさせる」だのとほざいてんだ!
避難を強いられた住民の気持ち」を本当に理解しているのは自分達であると思い込ませ、「自らの主張が正しいと言いつのるだけで共感を得」、その実は、福島の子どもを被曝させて利を貪るために、「いじめの原因が『理解不足』にあるのなら、実情を学び、考える機会を子どもたちに提供する責務が、大人にはある」だの、「教え込むのではなく、自分で考えさせる」だのと嘯いてるんだよ。
だから、「そんな授業に取り組む良い機会ととらえたい」と言い放ったんだね。
いじめは「良い機会」と言い放ったんだよ。
「3月11日の災害は・・・恩恵をもたらした」と全く同じ発想だな。

「閉鎖的な『原子力ムラ』の論理が幅を利かせ、安全神話がはびこった結果、福島で何が起きたか」だと?
原子力工学者と原子力技術者が政治家に、原子力は安全、と吹聴するだけなら、「安全神話がはびこった」りしない。
メディアが国民に「安全神話」を吹聴したからこそ、「安全神話がはびこった」。
「安全神話」が「神話」足り得たのは、メディアが国民に吹聴したから。
そして、先に述べたとおり、率先して「安全神話」を垂れ流したのは、他ならぬ、朝鮮日刊新聞。
「閉鎖的な『朝鮮日刊新聞』の論理が幅を利かせ、安全神話がはびこった結果、福島で何が起きたか」言ってみろ!
にもかかわらず、ヌケヌケと批判する側に回るのは、コヤツらが福島県民を、自主避難者を、そして、一般市民を欺き愚弄していることを、ハッキリと示してるな。
「なりふり構わぬ姿勢」はテメエらだ、つ~の!

上で指摘したとおり、「原発を持たない新電力にも原発固有のコストを押しつけ、大手の負担を軽くするからだ」と言い募るのは、「答えが一つではないテーマを多面的・多角的にとらえ」ることを拒絶する以外の何物でもなく、「相手の立場を理解し、冷静に考え、議論し、共生の道を探ろうとする」ことと全く相容れない。
「原発を持たない新電力にも原発固有のコストを押しつけ、大手の負担を軽くするからだ」は「閉鎖的な『原子力ムラ』の論理」と瓜二つ。
「閉鎖的な『原子力ムラ』の論理が幅を利かせ、安全神話がはびこった結果、福島で何が起きたか」を思い起こせば、「閉鎖的な『左翼リベラルムラ』の論理が幅を利かせ、電力自由化神話と再生エネ神話がはびこる結果、福島で何が起きるか」は自明の理だろ。
「高熱で曲がった鉄格子、こびりついた黒い塊……。東京電力は2号機に調査ロボットを投入したが、人間なら数分足らずで致死量に達する強い放射線や堆積物に途中で阻まれた。溶け落ちた核燃料を取り出す道筋は見当もつかない」が永続化するだけ。
にもかかわらず、「そんな『自産自消』の願いは、被災地に確実に広がる」のなら、「そのネットワークの核となるのが新電力役割だ」と言い張るのなら、つまり、福島県民自身が「原発を持たない新電力にも原発固有のコストを押しつけ、大手の負担を軽くするからだ」と言い張るのなら、他県民は、じゃあ、勝手に被曝すれば、と言い出すだろうな。
「お前らのせいで原発が爆発したんだ」「放射能がうつるから来ないで」は、それを意味してるんだよ

もう一度言うけど、自主避難者は、またしても目先の利に目が眩んで屋根に太陽光発電パネルを取りつけた福島県民を、そして、「エセ脱原発=電力自由化+再生エネ」を煽り立てる左翼リベラルを猛烈に糾弾しなければならない。
しないのなら、「そんな『自産自消』の願いは、被災地に確実に広がる」中で「反放射能派、と言うと変だが、どれだけ(線量を)下げても心配だという人」にすぎないという「大人社会の無理解」が固定してしまい、完全に見捨てられるだろうな。

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