偽りの女の腐ったような懐疑論庭師

モーツァルト「偽りの女庭師」より
(この曲を「偽りの女庭師」と訳したのは吉田秀和らしい。「レコードのモーツァルト」(私めが所有しているのは中公文庫版)の一節に「この邦訳(ハンス・シュミット・イッセルシュテットが指揮したドイツ語版の日本盤LPで《恋の花つくり》と訳されていた)のつけかた、私はとてもすてきだと思った。原題は “La finta giardiniera” 私なんか-だいぶむかしの話だが-どうしても訳さなければいけないはめになって《偽りの女庭師》なんてしたことがある。もう、だめです。まるで、日本語になってない」と書いてある。)

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

鬼畜左翼めが執拗に喚いてやがる。


安倍政権 「議論なき政治」の危機
通常国会がきょう閉幕する。
150日間の会期を振り返って痛感するのは、民主主義の根幹である国会の議論が空洞化してしまっていることだ。
その責任は、巨大与党に支えられ、「1強」を謳歌(おうか)する安倍首相の慢心にある。
象徴的なのは、国会最終盤の「共謀罪」法案の採決強行だ。
自民、公明の与党は数の力にものを言わせ、委員会審議を打ち切る「中間報告」を繰り出して成立を急いだ。
首相や妻昭恵氏の関与の有無が問われている加計学園、森友学園をめぐる野党の追及から、身をかわすように。
■「1強」のおごり
与野党の論戦を通じて、多くの国民が法案に抱く疑問や不安を解消する。そんな立法府のあるべき姿を無視した、数の横暴である。
1月、通常国会冒頭の施政方針演説で、首相は野党を挑発した。「ただ批判に明け暮れ、国会の中でプラカードを掲げても何も生まれない」
議論相手の野党を攻撃し、あてこする首相の態度は、国会終盤までやまなかった。
加計学園理事長との親密な関係が、獣医学部新設の事業者決定に影響しなかったのか。多くの国民の疑問を野党議員が問うのは当然だ。なのに首相は「印象操作だ」「質問に責任が取れるのか」と質問者を批判した。
首相自ら野党の質問者にヤジを飛ばす。それなのに、野党からヤジられると「私が答弁しようとすると、ヤジで妨害するんですよ」などと繰り返し、審議時間を空費する。
森友問題をめぐる政府の説明に8割が納得できないとしている世論調査結果を、民進党議員に示されると、「その調査では内閣支持率は53%。自民、民進の支持率はご承知の通り」。
支持率が高ければ説明は不要とでも言いたいのだろうか。
■極まる国会軽視
憲法41条は、国会を「国権の最高機関」と定める。憲法66条は、内閣は、行政権の行使について国会に対して責任を負うと定めている。
国会は内閣の下請けや追認のためにあるのではない。
内閣をチェックし、行き過ぎを正すことこそ国会、とりわけ野党の重要な責務である。
首相をはじめ行政府には、野党の国会質問に誠実に答える義務があるのだ。
深刻なのは、首相も閣僚も、そして多くの官僚たちも、そのことを理解していないように見えることだ。
不都合な質問は、国会で何度問われてもまともに答えない。質問と直接関係のない話を延々と続けて追及をかわす。そんな首相の答弁が連日のように繰り返される。野党議員の背後に、多くの国民がいることが目に入らないかのように。
「あるもの」を「ない」と言いくるめる場面も続いた。
菅官房長官が「怪文書」と断じた加計学園にからむ「総理のご意向」文書は、後に存在を認めざるを得なくなった。防衛省が廃棄したとした南スーダン国連平和維持活動の日報も、その後存在が判明した。そして、財務省は森友学園との交渉記録を廃棄したと言い続けた。
公文書管理や情報公開など民主主義を支えるルールも、政権にとって都合が悪ければ無視していいということなのか。
政権の意に沿わない人物には牙をむき出しにする。
「総理のご意向」文書の存在を前川喜平・前文部科学次官が証言すると、菅官房長官は前川氏の人格攻撃を始めた。
圧倒的な権力を握る内閣の要が、反論の場が限られる一個人を、これほどまでにおとしめることが許されるのか。
■数の力で改憲か
海外からの指摘にも聞く耳をもたないようだ。
共謀罪法案について、国連特別報告者からプライバシーや表現の自由の制約を懸念する公開書簡が届くと猛反発。首相自ら国会で「著しくバランスを欠き、客観的である専門家のふるまいとは言いがたい」と報告者個人を非難した。
3月の自民党大会で、党総裁任期を連続3期9年に延長する党則改正が承認された。安倍首相は来年9月の総裁選で3選されれば、2021年まで政権を握ることが可能となった。
衆参両院で改憲勢力が「3分の2」を超えるなか、首相は5月の憲法記念日に読売新聞のインタビューなどで20年の改正憲法施行を提唱した。
だが国会で野党議員に意図を問われると「読売新聞に書いてある。ぜひ熟読して」。国会軽視、議論軽視はここでも揺るがないということか。
民主主義の基本ルールをわきまえない政権が、数の力を背景に、戦後70年、日本の平和と民主主義を支えてきた憲法の改正に突き進もうとしている。
いま日本政治は危機にある。この国会はそのことを鮮烈に国民に告げている。


(2017年6月18日の朝鮮日刊新聞邪説)

5月22日の投稿で指摘したとおり、朝鮮日刊新聞は「筋違いのつけ回し」と喚いて、「『ある民意』を『ない』と言いくるめる場面も続いた」んだね。
「『筋違いのつけ回し』への支持率が低ければ説明は不要とでも言いたいのだろうか」。
「『筋違いのつけ回し』に関する不都合な質問は、国民に何度問われてもまともに答えない」。
「『筋違いのつけ回し』への疑問と直接関係のない世論調査を延々と続けて追及をかわす」。
「『筋違いのつけ回し』に関する世論調査など民主主義を支えるルールも、左翼にとって都合が悪ければ無視していいということなのか」。
「だが国民に意図を問われると『朝日新聞に書いてある。ぜひ熟読して』。国民軽視、議論軽視はここでも揺るがないということか」。
(ついでに言えば、国会なら全ての新聞が購読できるはず。「読売新聞に書いてある」なら、それを「熟読して」反論するのは当たり前のコンコンちき。にもかかわらず、それすらしない野党こそ、そして、「だが国会で野党議員に意図を問われると『読売新聞に書いてある。ぜひ熟読して』。国会軽視、議論軽視はここでも揺るがないということか」と喚き散らす左翼リベラルこそ「国会軽視、議論軽視はここでも揺るがない」ことは明らか。)
「150日間の会期中の朝鮮日刊新聞を振り返って痛感するのは、民主主義の根幹である国民との議論が空洞化してしまっていることだ」。
国民の声に「聞く耳をもたない」くせに、「海外からの指摘にも聞く耳をもたないようだ」と喚くのは、国民の声なんかどうでもいい、と思っていることを露呈してるな。

「民主主義の基本ルールをわきまえない」コヤツらが、安倍こべに「民主主義の基本ルールをわきまえない政権が、数の力を背景に、戦後70年、日本の平和と民主主義を支えてきた憲法の改正に突き進もうとしている」と喚くのは、コヤツらこそが「日本の平和と民主主義を支えてきた憲法」を否定していることを示してるんだね。
実際、2011年2月17日の投稿以来指摘し続けてきたように、固定価格買い取り制度は憲法14条と29条に反してる。
それだけじゃねえ。
再生エネを高値で押し売りするのは、それを国会が立法化するのは「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定めた憲法13条にも反する。
しかも、2012年1月5日の投稿で紹介したとおり、コヤツらは「スマートメーターになれば、需要側、供給側それぞれで電力を管理することが可能になる。ピーク時の料金を高くするなど料金体系が多様化できる。通信回線で家電と結べば、電気代が安い時間帯を選んでエアコンを動かす」と言い放ったんだね。
真夏の真昼間に電気料金を吊り上げろ、貧乏人は真夏の真昼間にエアコンを使うな、と言い放ったんだよ。
2012年10月2日の投稿でも指摘したとおり、それは「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めた憲法25条を否定する以外の何物でもねえ。
「スマートメーターになれば、需要側、供給側それぞれで電力を管理することが可能になる」との言い草は、市民を監視しろ、と言うことに他ならない。
前回の投稿で採り上げた邪説は「日本を監視社会にしない。そのためには、市民の側が法の運用をしっかり監視し、異議を唱え続けなければならない」と泣き喚いてたけど、それが全くの欺瞞にすぎないことは明らかだろ。
コヤツらが固定価格買い取り制度を正当化していることを考えれば、それは理の当然なんだね。
さらに。
6月1日の投稿で指摘したとおり、少なからぬ市民は、その良心に基づいて、自然環境を破壊している「再エネが不必要です。買いたくないです」と思ってる。
にもかかわらず、固定価格買い取り制度で買い取りを強要するのは「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と定めた憲法19条を否定する以外の何物でもない。
もちろん、「筋違いのつけ回し」と喚き続けて、己らの責任をも「つけ回し」するのも、憲法13条、14条、19条、25条、29条を否定してる。
しかも、憲法12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と定めている。
「筋違いのつけ回し」と喚き続けるのは、「この憲法が国民に保障する自由及び権利を、国民の不断の努力によつて、これを侵害しなければならない」と言う以外の何物でもねえ。
コヤツらは「日本の平和と民主主義を支えてきた憲法」を徹底的に否定してるんだよ。

前回の投稿で採り上げた6月10日の邪説は「この間、政権の対応は、国民を愚弄するもの以外の何物でもなかった」と喚き立てたけど、東電や関電と契約し続ける消費者の方が遥かに多いにもかかわらず、「筋違いのつけ回し」と喚き、「多くの国民」の声に耳を塞ぎながら、「野党議員の背後に、多くの国民がいることが目に入らないかのように」だの、「いま日本政治は危機にある。この国会はそのことを鮮烈に国民に告げている」と言い放って憚らないコヤツらこそが国民を愚弄していることは明らかだろ。
「そのことを鮮烈に国民に告げている」のが「『総理のご意向』文書の存在を前川喜平・前文部科学次官が証言すると、菅官房長官は前川氏の人格攻撃を始めた。圧倒的な権力を握る内閣の要が、反論の場が限られる一個人を、これほどまでにおとしめることが許されるのか」との言い草。
5月28日の投稿で採り上げた5月26日の邪説でも「前川氏に対する激しい人格攻撃を始めた」だの、前回の投稿で採り上げた6月10日の邪説でも「前川氏に対する人格攻撃を執拗に続け、官僚がものを言えない空気をつくってきたのは首相官邸ではないか」だのと喚き立ててきたけど、国民の声に背を向け、国民を「これほどまでにおとしめ」ながら、官僚に関しては「これほどまでにおとしめることが許されるのか」と泣き喚くコヤツらは「日本の平和と民主主義」の敵以外の何物でもない。
電力自由化を喚き立て、加計学園を煽り立てるコヤツらを社会から完全に抹殺しなければならない。
「これほどまでにおとしめることが許されるのか」との言い草は「そのことを鮮烈に国民に告げている」。

もちろん、朝鮮日刊新聞だけじゃねえ。
例の、気温が上がったからCO2が増えた、と言い張っている、エセ懐疑論者の近藤邦明も「安倍政権の傍若無人ぶりは常軌を逸している。ますますエスカレートする個人に対する人格攻撃と開き直り」とほざいてやがる。
本当のイカサマ野郎だぜ。

2015年5月20日の投稿で紹介したとおり、筑波の田中博は「20世紀後半の急激な温暖化の半分以上が内部変動で説明されてしまう。これまでのIPCC報告において、この部分は人為起源の二酸化炭素の増大が原因で間違いない、と言われ続けてきたものであり、内部変動では説明できないとされた根幹部分である」と指摘してたんだね。
「巷には懐疑論者バスターと称するグループまで登場し、これまでに懐疑論者のリストが作成されたりした」と罵倒したんだね。
IPCC第5次報告書政策策定者向け要約の執筆者・江守正多は、田中博と共に、気象学会の「地球環境問題委員会」の委員に名を連ねていたから、その事実を知らないはずがない。
(現在は二人とも「地球環境問題委員会」からは外れてる。って言うか、田中博はどの委員会にも名が見えない。その一方で、江守正多は「学術委員会」に名を連ねてる。IPCCを批判した田中博は干された、ということか?)
ところが、2015年12月6日の投稿で紹介したとおり、それには知らぬ顔の半兵衛を決め込んで、「気温が原因で二酸化炭素が結果」説にだけ反論してた。
「気温が原因で二酸化炭素が結果」説は、江守正多らのIPCC党が科学的議論から逃げる口実を与えているんだね。
けど、奸凶NPOや朝鮮日刊新聞購読層のような、自分の頭で考えない輩は、それを読んで、やっぱり、江守様が正しいですぅぅぅ~、と思っちゃうんだね。
近藤邦明は、IPCCの人為的温暖化説が正しいと思い込ませるのに、一役も二役も買ってるんだよ。
抹殺してやる!

4月23日の投稿でも指摘したけど、我々が問題にすべきは20世紀の気温。
IPCCの報告書にも見えるとおり、20世紀前半の気温上昇は20世紀後半と同じくらい急激。


図1 IPCC第5次報告書第2章の「Box 2.2」の図1のパネル(a)

だから、気温が上がったからCO2が増えたのなら、20世紀前半も20世紀後半と同じくらいの速さでCO2が増加していたはず。


図2 「Global Climate Change Indicators」より

ところが、CO2は20世紀後半に激増した。

さらに図1を見ると、1940年頃と1980年頃の気温はほとんど同じ。
その間に気温は低下してた。
気温が上がったからCO2が増えたのなら、その間にCO2は増えていないはず。
ところが、その間もCO2は増え続けてた。
さらに、1月20日の投稿でも解説したとおり、21世紀も気温上昇が停滞し続けているけど、CO2はそれ以前よりも速いペースで増加し続けてる。
(図2はNOAAのデータだから、「気温上昇の停滞とIPCC断末魔の足掻き」で解説してるとおり、気温を表す棒グラフは改竄されてる。)
このことだけで、「気温が原因で二酸化炭素が結果」のデタラメは明らかだろ。
近藤邦明は、70年代から90年代における気温(海水温)の増加率とCO2濃度の増加率の相関を持ち出して、気温が上がったからCO2が増えた、と言い張ってるけど、他の期間との整合性が全く無いから、その誤りは明白。
昨年3月26日の投稿で解説したとおり、70年代から90年代における気温(海水温)の増加率とCO2濃度の増加率の相関も、正しく分析すれば、CO2の増加は人為的であることが分かるんだね。

先に述べたとおり、江守正多は「気温が原因で二酸化炭素が結果」説に反論してたけど、上で指摘したことには、それが一番簡単明瞭な説明であるにもかかわらず、全く触れず、「気温上昇によってCO2濃度が増加するのは陸上生態系の応答によると考えられ、これは温暖化の予測に用いる気候モデルでも再現できる」などと、反論にもなっていないことを喚いてた。
それは何故か?
上で指摘したことは、そのまま、IPCCの人為的温暖化説にも当て嵌まるから。
IPCCの気候モデルも、20世紀前半の急激な気温上昇を再現できないし、21世紀のハイエイタスも説明できない。
IPCCの人為的温暖化説の拠り所は、気候モデルが20世紀第4四半期の急激な気温上昇を再現できるということだけど、先に解説したとおり「20世紀後半の急激な温暖化の半分以上が内部変動で説明されてしまう」ということは、CO2の影響を過大評価しているということだから、それは見せかけにすぎない。
もちろん、IPCCの気候モデルは20世紀第3四半期の気温低下も説明できない。
大気汚染が原因と言い張ってるけど、「20世紀後半の急激な温暖化の半分以上が内部変動で説明されてしまう」ということは、それも辻褄合わせにすぎないということ。
5月17日の投稿でも解説したとおり、大気汚染はむしろ気温上昇の一因。
IPCCの人為的温暖化説への反論は、イコール、「気温が原因で二酸化炭素が結果」説への反論になっているんだね。
それは、「気温が原因で二酸化炭素が結果」説がIPCCの人為的温暖化説と同様に非科学的であることを、近藤邦明が江守正多と同じ穴の狢にすぎないことを、「鮮烈に国民に告げている」んだよ。

しかも、「気温が原因で二酸化炭素が結果」説は、狂都議定書以降の急激なCO2増加は中禍塵民凶和国が主因であるという事実を、CO2を排出したのがブルームバーグらの富裕層であるという事実を否定してる。
だから、私めが6月11日の投稿で指摘したようなことを、近藤邦明は絶対に書かない。
近藤邦明には人為的温暖化プロパガンダに関する社会科学的視点が全く無い。
だからこそ、近藤邦明は電力自由化を肯定してる。
朝鮮日刊新聞らの左翼エセ脱原発派と共に、「筋違いのつけ回し」と喚いてるんだよ、近藤邦明も。
2013年2月27日の投稿2014年6月20日の投稿で指摘したとおり、電力自由化は温暖化プロパガンダの目的(の一つ)だから、結局のところ、近藤邦明は温暖化プロパガンダの片棒担いでるんだね。
だからこそ、「個人に対する人格攻撃と開き直り」などとほざいてんだよ。

「気温が原因で二酸化炭素が結果」と言い張る近藤邦明は、エセ懐疑論の、隠れIPCCの、イカサマ野郎の、ネオリベ左翼の、腐れ外道だ!
朝鮮日刊新聞邪説の「これほどまでにおとしめることが許されるのか」との言い草は「そのことを鮮烈に国民に告げている」。

って言うと、「個人に対する人格攻撃」ですぅぅぅ~、と泣き喚くんだろうな。
勝手に一人で泣き喚いてろ!
キャハハ!

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