アルプスの全く不都合な真実

8.1 モンブラン山郡の不都合な真実

8.1.1 メール・ド・グラスの不都合な真実

第5章で解説したとおり、北極圏の気温は世界平均の2倍のペースで上昇しているが、IPCC学派は、CO2の排出が原因で、アルプスも世界平均の2倍の速度で気温上昇が進み、氷河が失われつつある、と泣き喚いている。

雪解け加速、登山の支障に=地球温暖化影響か-仏アルプス
2015/8/1-14:46
【パリ時事】フランス南東部のアルプス山脈で、夏場の気温上昇に伴う雪解けが加速している。人気の高い西欧最高峰のモンブランでは雪崩や落石の危険から、登山道の利用自粛要請や山小屋の一時閉鎖を余儀なくされた。地球温暖化の影響を指摘する声もあり、関係者は頭を痛めている。
アルプスは近年、深刻な雪不足に見舞われ、一部のスキー場は運営難に直面。仏東部サボワ気候観測所のクリストフ・シェ研究員は仏紙フィガロに対し、アルプスの気温上昇は1900年以降、世界平均の2倍の速度で進んだと説明、「温暖化の最も激しい地域だ」と警鐘を鳴らす。
仏全土が記録的な猛暑に見舞われた7月上旬以降は特に雪解けのリスクが高まり、モンブランの山麓に位置するサンジェルベ村は利用者の最も多い山道は通らないよう登山客に勧告。標高3835メートルにある名所の「グーテ山荘」も一時閉鎖に追い込まれた。

(時事ドットコム)

仏大統領、モンブランの氷河融解は温暖化の証拠と力説
2020年2月14日3:19
[シャモニー(フランス) 13日 ロイター] – フランスのマクロン大統領は13日、アルプスの最高峰モンブランの主要氷河融解は地球温暖化の反駁(はんばく)不能な証拠だとして、訪問中のメールドグラス地域の保全対策を発表した。
フランス語で氷の海を意味するメールドグラスには同国最大の氷河があり、大統領はここで科学者らと面会。発表した保全対策にはごみのポイ捨てに対する罰金引き上げなどが含まれる。
大統領は氷河に登った後に演説し、「現在われわれが目にしている氷河の経過は、地球温暖化と気候変動、および生態系全体の崩壊を示す反駁不能な証拠だ」と述べた。
シャモニーに面するアルプスにあるメールドグラスの氷河は19世紀以来の観光名所となっているが、20世紀中に平均50メートルの厚さが消失。過去20年間には融解が加速している。

(ロイター)

確かに「アルプスの気温上昇は1900年以降、世界平均の2倍の速度で進ん」でいる。

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図8-1 アルプスとその周辺の年平均気温の推移(「Int.J.Climatol.,21(2001)1779」より)

けれど、1800年頃の気温は1960年から1980年の気温とほとんど同じ。
この事実は第5章の考察を裏づけている。

確かに、メール・ド・グラスは大きく後退した。

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図8-2 1919年のメール・ド・グラス(「Shrinking glaciers: Mont Blanc from the air, 100 years on」より)

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図8-3 2019年のメール・ド・グラス(「Shrinking glaciers: Mont Blanc from the air, 100 years on」より)

けれど、下図の赤線に見えるとおり、メール・ド・グラスは1850年から急激に後退し始めた。


図8-4 「Climatic Change,111(2012)301」の図12

CO2排出が増加したのは20世紀後半であるにもかかわらず、しかも、アルプスの平均気温は1800年代に下がり続けていたにもかかわらず、大きく後退していた。
下図の絵と見比べれば、1919年には既に大きく後退していたことが分かる。[注1]

2016060402図8-5 メール・ド・グラス氷河の1823年と2005年の比較(「Global and Planetary Change,60(2008)42」より)

しかも、第5章の図5-5に見える全球平均気温と同様に、アルプスでも20世紀第3四半期は気温が低下していたにもかかわらず、後退し続けていた。
もちろん、IPCC学派は、氷河縮小には年平均気温よりも夏季の気温の影響が大きい、と言い張るだろう。
ならば、アルプスの夏季の気温を調べてみよう。[注2]

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図8-6 アルプスの夏季(6月、7月、8月)の気温推移「PNAS,110(2013)15216」より

1800年以降に夏期の気温が低下し続けていたにもかかわらず、メール・ド・グラスは縮小し続けていた。
そして、やはり、20世紀第3四半期は気温が低下していたにもかかわらず、縮小し続けていた。
IPCCが主張する、CO2排出に因る温暖化との因果関係は認められない。
あったとしても、CO2の効果は弱い。

ならば、なぜメール・ド・グラスは大きく縮小したのか。
下図に見えるとおり、モンブランの山麓にはアルプス屈指のリゾート・シャモニがあり、モンブラン周辺は世界有数の観光地になっている。


図8-7 モンブラン山群の概略と登山電車、ロープーウェイ、リフトの案内図

メール・ド・グラスには観光用の氷穴も穿(うが)たれている。

避暑にうってつけ?仏モンブランの氷穴とアルプスの峰々
2015年7月30日 12:32 発信地:フランス
アルプス最高峰モンブランの北斜面にあるフランス最大の氷河、メール・ド・グラス氷河(Mer de Glace、氷の海の意)では、氷穴が登山客に公開されている。メール・ド・グラス氷河は深さ200メートル、長さ7キロに及ぶ。

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(AFP)

氷穴の入り口はどうなっているか?

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図8-8 メール・ド・グラス氷河の氷穴の入り口

北極圏の氷河・氷床と同様、ススで真っ黒け。
図8-7に見えるとおり、メール・ド・グラス氷河の観光のために、モンタンヴェール鉄道が敷かれている。
早くも1909年に開通していた。
今は電気機動車だが、もちろん、昔は蒸気機関車。
グリーンピースが、CO2排出でメール・ド・グラスが後退した、と騒ぎ立てているけれど、


図8-9 過去と2000年以降のメール・ド・グラス氷河の比較

1916年には既に氷河はススで汚れて真っ黒。
グリーンピースは、CO2の排出でメール・ド・グラスが解けた、と煽り立てたつもりだろうが、ススで解けたことを立証してしまったのである。

もちろん、ススだけが原因ではない。
モンブラン周辺は世界有数の観光地だから、下の写真に見えるとおり、微生物の繁殖は北極圏の比ではない。


図8-10 「SwissEduc-Glaciers online」より

下図に見えるとおり、メール・ド・グラス氷河は河上で2つに分かれている。
(と言うよりも、2つの氷河が合流してメール・ド・グラス氷河になった。)


図8-11 「Chamonix-Mont-Blanc-hiking」より

左下の赤線で囲まれた場所「Refuge du Requin」の近くの氷河も微生物で黒ずんでいる。


図8-12 「Chamonix-Mont-Blanc-hiking」より

8.1.2 ボソン氷河の不都合な真実

モンブランを流れ下るボソン氷河もCO2排出で縮小したと泣き喚いている。

モンブラン氷河の100年前と現在、英大が比較画像を作成 氷河の融解あらわに
2019年10月25日 19:14 発信地:パリ/フランス
1919年に撮影されたヨーロッパアルプス最高峰モンブランの氷河の航空写真を用いて、同じ場所の100年後の画像作成に、英ダンディー大学の研究チームが成功した。100年前の写真と比較することで、温暖化による氷河の急激な減少があらわになっている。
モンブランで消えゆく氷河については、これまでも数多くの研究が行われてきたが、ダンディー大のチームは温暖化がもたらした惨状をはっきり目に見える形で示そうと、1919年にスイス人の写真家兼パイロットのバルター・ミッテルホルツァー(Walter Mittelholzer)が撮影したモンブラン氷河の航空写真3枚と同じ位置の100年後の画像を作成しようと試みた。
チームは、最新の地理位置情報システムと3D視覚技術を駆使し、綿密な分析によってミッテルホルツァーが上空から氷河を撮影した位置を特定。画像の作成に成功した。その比較効果はてきめんだ。20世紀初頭には山の大部分を覆っていた壮大に輝く氷河が、100年後には山肌が見えるほど溶解が進んでいるのが一目瞭然だ。
ダンディー大のキーラン・デクスター(Kieran Dexter)氏は「このような変化を目にするのは分かっていた」とした上で、「上空からだと今、起きていることの大きさが把握できる。驚異的であると同時に胸が痛む」と付け加えた。

仏南東部シャモニー近郊モンブランのボッソン氷河の1919年撮影の写真(左)と2019年8月撮影の写真(右、2019年10月22日提供)。(c)AFP PHOTO / UNIVERSITY OF DUNDEE / ETH-Biblothek Zurich/ KIERAN BAXTER/WALTER MITTELHOLZER

(AFP/Amelie BOTTOLLIER-DEPOIS)

けれど、図8-4に見えるとおり、メール・ド・グラス同様、1850年から20世紀第3四半期までに大きく後退した。
「1919年にスイス人の写真家兼パイロットのバルター・ミッテルホルツァーが撮影したモンブラン氷河の航空写真3枚と同じ位置の100年後の画像を作成しようと試みた」けれど、1917年の写真を見ると、既に氷河が縮小して斜面が露出していた。


図8-13 「Le Glacier des Bossons, autrefois」より

モンブランの下をモンブラントンネルが貫いているけれど、下の写真に見えるとおり、ボソン氷河が縮小していなければ、トンネルは開通できなかった。

図8-14 「Melting Bossons glacier on Mont Blanc gives up Air India crash victims」より(タイムズの記事は有料だけれど、「Times Bossons Glacier」でググれば画像検索結果からダウンロードできる。)

モンブラントンネルが計画されたのは1946年だから、その時点において、ボソン氷河は現在と同じほどに縮小していた。
「100年前の写真と比較することで、温暖化による氷河の急激な減少があらわになっている」は全く非科学的なデマ。

下の写真の中央右に流れ下っているのがボソン氷河で、その右端がタコナ氷河。

図8-15 シャモニの谷を挟んだモンブラン対岸の「赤い針峰群」から望むモンブラン、ミディ針峰、ボソン氷河。(1760年、ジュネーブのド・ソゥシュールが、「赤い針峰群」の南端の峰「ブレバン」に登ってモンブランを眺めて感激し、モンブランに登頂すれば賞金を出すと公布した。それがアルピニズムの始まり。)

右奥に見える、雪を被った丸い頂がモンブラン。
左に見える岩塔が突き出した頂がミディ針峰。
(頂上の標高は富士山より高いけれど、ロープーウェイで一気に登ることができる。)
このボソン氷河とタコナ氷河の分かれ目に、氷河の中の島とも言うべき岩があり、「La Jonction」と呼ばれている。


図8-16 「Climatic Change,111(2012)301」の図2

その「La Jonction」からミディ針峰を眺めたのが下の写真。


図8-17 「Randos-MontBlanc」より

やはり、ボソン氷河は汚れている。
下の映像でも、ミディ針峰から飛び出した少し後に、ほんの少しだけだが、灰色がかったボソン氷河が見える。

但し、標高の高い山腹を流れ下るボソン氷河の汚れには土砂も関与している。
ススで氷河が解け、その結果、山腹が露出し、その結果、アルベドが下がって気温が上がり、雪が解けて、さらに山腹が露出する。
強風がモンブランに向かって吹き上がると、露出した山腹から土砂が舞い上げられ、氷河に降着して、氷河を汚し、その結果、さらに氷河が解けて山腹の露出がさらに進み・・・という悪循環に陥った結果が現在の状況。
「20世紀初頭には山の大部分を覆っていた壮大に輝く氷河が、100年後には山肌が見えるほど溶解が進んでいる」のは、CO2排出が原因ではない。
「100年前の写真と比較することで、温暖化による氷河の急激な減少があらわになっている」は全く非科学的な妄想。
と言うよりも、問題の本質を覆い隠す醜悪で危険な妄言。

8.1.3 アルジャンティエール氷河の不都合な真実

Guardian は、CO2排出でアルジャンティエール氷河も後退した、と泣き喚いている。

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図8-18 1919年のアルジャンティエール氷河(「Shrinking glaciers: Mont Blanc from the air, 100 years on」より)

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図8-19 2019年のアルジャンティエール氷河(「Shrinking glaciers: Mont Blanc from the air, 100 years on」より)

けれど、下図に見えるとおり、アルジャンティエール氷河も1800年代前半から縮小していた。

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図8-20 アルプスの氷河の長さの変化(「PNAS,110(2013)15216」より)

20世紀第3四半期も縮小していた。
CO2排出との因果関係は認められない。
そこで、氷河の表面を調べると、やはり、ススと微生物で真っ黒け。


図8-21 「SwissEduc-Glaciers online」より


図8-22 「SwissEduc-Glaciers online」より

8.1.4 グランド・ジョラスの不都合な真実

図2と図3の左上(または、図18と図19の右上)に見えるのが、アルプス3大北壁として知られたグランド・ジョラスの北壁。

グランド・ジョラス北壁(ウォーカー側稜)の登攀

そのグランド・ジョラスで懸垂氷河が、CO2排出に因る温暖化で、崩れ落ちかかっている、と泣き喚いている。

アルプスで約25万立方メートルもの氷河が崩壊の危機
2019.10.06 15:00
author Yessenia Funes – Gizmodo US [原文](たもり)

イタリア・アルプス北西部にある氷河が崩れ落ちる可能性が高まっています。このニュースもまた、気候変動を止めるために行動を起こせと世界のリーダーたちに促す理由になりそうですね。

原因はもちろん気候変動
先週9月25日、グランド・ジョラス山のプランパンシュー氷河を観測中の科学者たちは、この氷河について警鐘を鳴らしました。900万立方フィート(約25万立方メートル)の氷塊が崩壊の危機にあって雪崩が起きるかもしれないため、ハイキング中や下方の道路を旅行中の人たちを脅かしています。こうなった原因? もちろん気候変動です。
この氷河は特に脆いと、コロンビア大学の Climate and Society program の共同ディレクターで海洋・雪氷圏に関するIPCC特別報告書の筆頭著者である Benjamin Orlove 氏は Eather に教えてくれました。その理由は、谷の急斜面に氷河がへばりつく「懸垂氷河」だから。他の氷河が下から支えていたのですが、その氷河は縮んでしまったのです。プランパンシュー氷河は持ちこたえるしかありません。
「氷河を失うたびに悲しくなる」と Orlove 氏は Eather 宛てのメールに書いています。「この山を知っていて気にかけている地元の村民、この山に来る日を夢見るハイカーや登山者、そしてアルプスを大切に思うヨーロッパにいる多くの人々にとって悲しいことだ。アルプスの最高峰モンブランの名は『白い山』という意味だが、その白さは減りつつある」と。
今世紀半ばにはアルプスの氷河が半減するかも
New York Times によれば崩壊する可能性は「高い」ものの、研究者らは具体的な日付を述べるに至りませんでした。このニュースのタイミングは、これ以上ないほど不吉です。スイスでは先週末、アルプスの別の場所で消失した氷河の「葬送行進」が行なわれ、アイスランドでも先月、似たような「葬儀」が行なわれたばかりです。今年の春に発表された研究The Cryosphere,13(2019)1125は、今世紀半ばにはプランパンシュー氷河が位置するアルプスの氷河の表面積が半減するかもしれないとしていますからね。
「アンデスとヒマラヤにあるたくさんの氷河が消失していて悲しみを生んでいるが、あまり報道されていない。だから、これはよくある話の1例なんだ」と Orlove 氏。「主な原因は気候変動。氷河は上昇しつつある気温にとても敏感だ。春が完全にやってくると冬の雪がすぐ溶けるように、涼しかった時代からの氷河は急速に溶けている」

氷河の「死」はまだ減らせる
氷がすべて溶けてしまった時、海面レベルは上昇します。 気候変動に関する政府間パネルが水曜日に発表した前述の画期的な報告書によれば、2006年から2015年にかけての海面レベル上昇にはグリーンランドと南極以外の氷河も3分の1ほど影響していたとか。これは、海面レベルの上昇によって最悪の結果になりえる低地の都市や島国の人々にとってはマズい事態です。イタリアでは地元住民が氷や雪崩の崩落を心配しており、心の底から脅威を感じています。
それでも未来はそう暗いものになる必要はありません。温室効果ガスの排出量を削減すれば、氷河の「死」を減らせます。そしていくつかの氷河を融解から守れたら、海辺や山に住む人たちは希望を持てるかもしれないのです。

GIZMODE

北壁はフランス側だが、そして、上の記事の写真もフランス側からの写真だが、件のプランパンシュー氷河は、イタリア側の南壁に懸かる懸垂氷河。


図8-23 「Mont Blanc: Glacier in danger of collapse, experts warn」より


図8-24 「Graphic News」より

衛星写真を見れば、モンブランやメール・ド・グラスとの位置関係が分かる。


図8-25 「Ice Could Crumble from Planpincieux Glacier」より

氷河の先端がずれ落ちかかっているらしい。

図8-26 「Communities threatened as Planpincieux glacier chunk starts to slide in Italian Alps」より

下の映像を見ると、確かに崩れかかっているけれど、氷河は真っ黒け。

さらに、NBCニュースを見ると、


図8-27 「Mont Blanc glacier at risk of collapsing due to climate change」より

普通、氷河は青白いけれど、ほんの僅かに青白いのが垣間見えるだけで、ほとんど真っ黒。
さらに、別の角度から見ると、

図8-28 「Giant Chunk of Mont Blanc Glacier on the Brink of Collapse, Officials Warn」より

「アルプスの最高峰モンブランの名は『白い山』という意味だが、その白さは減りつつある」のは、ススと微生物が原因。

グランド・ジョラスに初登頂(1865年)したのは、英国の登山家、エドワード・ウィンパー。[注3]
(本業は挿絵画家だが、他の登山家の登攀紀行のための挿絵を依頼されてアルプスを訪れたのがきっかけで、自身も登山家になった。)
彼がアルプスでの登攀を綴った「アルプス登攀記」に以下の一節がある。

一八六五年六月二十三日に、私はいつもより念入りに、羊群岩や、これに類する岩を調べていた。それから私は山案内たちと、モン・サクスの頂上に登り、そこに腰をおろして、グランド・ジョラスを眺め、その登路を偵察した。氷河に蔽われた五千フィートの急斜面が、私たちの目の前に聳え立っているのだ。しかしこの大斜面に、私たちは満足のいく登路を発見することができた。この大斜面の下には、さらに三千フィートにわたって、氷河と、森林帯がつづいている。この下の方の斜面に一箇所、果して登路が見つかるかどうか、疑問のところがあった。この氷河は後退しつつある氷河で、そのために登山家にとっては苦手の、氷河によってよく磨かれた丸い岩で、周辺を一面に取り囲まれているのである。

(ウィンパー「アルプス登攀記」、岩波文庫下巻p165より)

やはり、グランド・ジョラス南側の氷河も、アルプスの気温が低下しつつあったにもかかわらず後退していた。
グランド・ジョラスのプランパンシュー氷河は「他の氷河が下から支えていたのですが、その氷河はススと微生物で縮んでしまったのです」!

8.1.5 ドリュの不都合な真実

にもかかわらず、CO2排出が原因でモンブラン山郡の岩壁も崩れている、と泣き喚いている。

止まらぬ氷河の後退、モンブランに表れる地球温暖化の影響 仏
2019年8月30日 12:53 発信地:シャモニー/フランス
モンブラン山麓のフランス最大の氷河、メール・ド・グラース(Mer de Glace)氷河は年々後退しており、登山電車の終着駅から氷河までの距離は毎年20歩ずつ長くなっている。
渓谷の端には「1990年の氷河の位置」を示す標識が立てられているが、現在の氷河はそのはるか下に位置している。
氷穴は現在、日光を遮るために白いシートで覆われ、その上に石を置いて固定してある。
■失われゆく登山ルート
1970年代、フランスの有名登山家で登山ガイドでもあるガストン・ルビュファ(Gaston Rebuffat)氏は、モンブランの最も素晴らしい登山ルート100本を紹介した。
その50年後、研究チームはこのうちの95本で、雪の状況や氷や岩の状態、アクセスのしやすさ、危険性について分析した。
サボア・モンブラン大学EDYTEM研究所の博士課程に在籍するジャック・ムレイ(Jacques Mourey)氏が6月に発表した論文「Arctic, Antarctic, and Alpine Research,51(2019)176」によると、93本の登山ルートで気候変動の影響が見られ、このうち26本が深刻な影響を受けていた。また、3本のルートはもはや存在していなかった。
岩盤の出現や雪や氷の脆弱(ぜいじゃく)化、クレバスの拡大といった変化が、これらの登山ルートをより複雑で技術的に困難なものにしている。

(AFP)

アルプスの3大北壁、マッターホルン、アイガー、グランド・ジョラスの北壁が初登攀されたのは1930年代。
当時の先鋭的なアルピニスは初登攀を競っていたから、そして、まもなく第2次大戦に突入していったから、初登攀された後、3大北壁はしばらくは登攀されなかった。
戦後にグランド・ジョラス北壁(3大北壁の中で技術的に最も困難)の第2登を果たしたのが、このガストン・レビュファ。[注4]
戦後にアイガー北壁(高さはアルプス最大)の第2登を果たしたのが、同じくフランス人のルイ・ラシュナルとリオネル・テレイで、この3人にモーリス・エルゾーグ(後にモンブラン山群の観光都市シャモニの市長になった)を加えた4人(と医師1人)が、人類初の8千㍍峰(アンナプルナI峰)初登頂を成し遂げた。
グランド・ジョラス北壁は「モンブランの最も素晴らしい登山ルート100本」の97番目に採り上げられている。
その後の98番目に採り上げられているのが、戦後、アルプス最後の課題と評されたドリュ針峰の西壁。[注5]
モンブラン山群には、技術的にはグランド・ジョラスよりも困難なルートがあるけれど、3大北壁のように高さが1000㍍を超える壁は少ない。
ドリュの西壁がアルプス最後の課題と評された理由の一つは、高さが1000㍍でグランド・ジョラス北壁よりも難しいからだけれど、それだけではない。
グランド・ジョラス北壁よりも難しいというのなら、モンブランの南側(イタリア側)は壮大な壁になっている。
事実、「モンブランの最も素晴らしい登山ルート100本」の100番目はモンブランのフレネイ中央柱状岩稜で、初登攀されたのは1961年。
ドリュ西壁の初登攀は1952年

フレネイ中央柱状岩稜の登攀

ドリュの西壁がアルプス最後の課題と評されたのは、3大北壁と同様に、観光客も眺められるほど目立ちやすく、そして、美しいから。

1952年にドリュの西壁が初登攀された時のルートは、下図の「2」と印された破線。


図8-29 ドリュ西壁の登路(「モンブランの最も素晴らしい登山ルート100本」より)

その10年後に、ヨセミテのフリークライミングで鍛え上げた米国のクライマーが、西壁をほぼ真っ直ぐに登る新登路を開拓した。
それが上図の「1」と印された実線で、「アメリカ・ダイレクト」と呼ばれている。
「モンブランの最も素晴らしい登山ルート100本」で採り上げられているのは、こちらの登路。

ドリュ西壁「アメリカ・ダイレクト」ルートの登攀

その後、さらに難しい登路が、やはり、ヨセミテで鍛え上げた米国のクライマーによって開拓された。
それが上図の「3」と印された一点鎖線で、「アメリカ・ディレティッシマ」と呼ばれてる。

さらに、「モンブランの最も素晴らしい登山ルート100本」の92番目では、ドリュの南西柱状岩稜(柱が立っているような外観の岩の山稜)も採り上げられている。


図8-30 南西から望むドリュ。正面に柱状岩稜が見える。

1955年に、50年代と60年代を代表するイタリアのスーパークライマー、ワルテル・ボナッティが単独で6日間かけて初登攀に成功した。[注6]
だから、ボナッティ稜とも呼ばれる。
ところが、2005年に、このボナッティ稜から「アメリカン・ダイレクト」の間が大崩落し、ボナッティの登路と「アメリカ・ディレティッシマ」が失われてしまった。
(「Nat. Hazards Earth Syst. Sci.,17(2017)1207」も参照。驚くと言うか、呆れると言うか、それでもアルピニストは崩落後の壁に新しい登路を開拓している。)


図8-31 大崩落が起こった後のドリュ西壁

それは「(CO2排出に因る)気候変動の影響」と泣き喚いているわけだが、全くナンセンス。
ドリュ針峰の隣にはベルト針峰が聳えている。[注7]

図8-32 左の雪を被った頂がベルト、その右の尖塔がドリュ、右奥に見えるのがグランド・ジョラス(の北壁)。モンブラン自体を除けば、モンブラン山群で4000㍍級の独立峰はグランド・ジョラスとベルト針峰の2峰だけ。マッターホルンが聳えるワリス山群やユングフラウが聳えるベルナーオーバーランドに比べれば、著しく見劣りする。

と言うよりも、ベルト針峰から伸びる山稜上の突起がドリュ針峰。
ベルト針峰に初登頂したのもウィンパーで、「アルプス登攀記」には「実に素晴らしい岩であった。岩は花崗岩質で、じゃりじゃりしており、靴の鋲がよく引っかかった」と記されている。
花崗岩はマグマが冷えてできるが、その際に亀裂が生じる。
だから、モンブラン山群の絶壁は、つるつるではなく、縦横に亀裂が走ってる。
実際、上の映像を見ても、ドリュ西壁(の「アメリカ・ダイレクト」ルート)にも、岩壁に長い亀裂が走っているのが分かる。
狭い亀裂の場合は手の甲を差し入れて、もう少し大きい亀裂の場合は腕を突っ込んで、さらに大きい亀裂の場合には半身を入れて、攀じ登っていく。
絶壁だから、雪が降っても、壁には雪が少ししか残らない。
壁に日が当たれば、雪が解けて、水が亀裂の奥に流れ込んでいく。
夜になって、それが凍れば、亀裂がさらに拡がる。
それが繰り返されていくから、いつか崩落するのは当たり前。

その証拠に、1950年前後にも、絶壁が大崩落して登攀ルートが失われたことがあった。
「モンブランの最も素晴らしい登山ルート100本」の71番目には、次のように記されている。


「モンブランの最も素晴らしい登山ルート100本」より

当時の写真を見ても、崩落の後が良く分かる。


図8-33 ブレチエール針峰の西壁
(「モンブランの最も素晴らしい登山ルート100本」より)

さらに、これ以前にもモンブランで大崩落が起こっていた。
「モンブランの最も素晴らしい登山ルート100本」の95番目はモンブランのプトレイ山稜。
その登路の一つはプトレイの大岩稜で、これまたボナッティが初登攀した。
彼の著書にその登攀が記されているけれど、その中に次のような記述がある。

この岩壁はぼんやりした色をしているが、人間の記憶するかぎりアルプスで起こったもっとも大きな山崩れの一つ、その山崩れのあと、ずたずたに引き裂かれて現在の姿をとどめているのである。一九二〇年十一月十四日のことだが、最初の大きな岩なだれが起こった。この岩なだれは、当時まだプトレイのコルの下の方にあった懸垂氷河をいっしょに叩き落としてしまった。だがこれは、五日後に起こったほんとうのカタストローフのほんのわずかな序曲にしかすぎなかった。じつは十一月十九日のことだったが、突然神秘的な雷雨がおこって、岩稜の上半部、少なくとも五〇〇メートルにおよぶ岩壁を打ち砕いて、ブレンヴァ氷河の上部盆地に叩き落としたのである。すさまじい勢いでこのすべてを破壊してやまない岩なだれは、自分の望む道を通って落下した。そうしてヴェニ渓谷の森を荒廃させてしまった。

(ボナッティ「大いなる山の日々」、白水社p62より)

CO2排出が激増したのは20世紀後半。
「93本の登山ルートで(CO2排出に因る)気候変動の影響が見られ、このうち26本が深刻な影響を受けていた」なら、こんな崩落は起こらなかったはず。
そもそも、岩壁の崩落を繰り返して出来上がったのがドリュの山容。
「(CO2排出に因る)気候変動の影響が見られ、このうち26本が深刻な影響を受けていた。また、3本のルートはもはや存在していなかった」は全くナンセンス!

[注1] 古い写真も残っている。


図8-34 メール・ド・グラス氷河の古い写真

氷河の右岸手前に見える尖峰はグラン・シャルモ

[注2] 図8-6では2000年までの気温は自然変動の範囲内に見える。
別の論文を見ても同じ。

2015080804
図8-35 アルプスの夏季(6月、7月、8月)の気温推移(「Int.J.Climatol.,25(2005)1855」より)

これが正しいのなら、2000年までは破線の範囲内、つまり、自然変動の範囲内に収まっていた、ということになる。
アルプスの夏季の気温が急激に上昇したのは21世紀になってから、ということになる。
しかし、第5章で解説したとおり、ホッケー・スティック曲線を盾にして、20世紀の気温上昇はCO2の排出が原因と言い立てているにもかかわらず、21世紀になってからCO2の影響が現れ出したのなら、IPCCの人為的(排出CO2)温暖化説は破綻している。
いずれにせよ、IPCCがCO2の影響を著しく過大評価していること、そして、「(アルプスで)夏場の気温上昇に伴う雪解けが加速している」の主因がCO2でないことは明白。

[注3] 但し、ウィンパーが登頂したのはグランド・ジョラスの最高点ではなかかった。
図2をよく見ると、グランド・ジョラスの頂は2つに分かれている(実際には幾つものピークが連なっている)けれど、一番左側のピークが最高地点で、ウィンパーが登頂したのはその右側のピーク。
今日、ウィンパー峰と呼ばれている。
最高地点は1968年にホーレス・ウォーカーが登頂したので、ウォーカー峰と呼ばれている。
ついでに言えば、先に採り上げたアルジャンティエール氷河の上にアルジャンティエール針峰が聳えているけれど、それに初登頂した(1864年)のもウィンパー。
同じ年に図8-7に見えるモン・ドラン(Mont Dolent)にも初登頂した。

[注4] 記事には「ガストン・ルビュファ」と記しているけど、筆者が所有してる日本語版には「レビュファ」と記している。
翻訳者の近藤等は、レビュファと親交があり、この本に記述されているルートの幾つをレビュファと共に登った人だから、「レビュファ」と記述する。

[注5] 正確に言えば、このドリュは頂上が高い方のグラン・ドリュと低い方のプチ・ドリュに分かれていて、西壁はプチ・ドリュの壁。

[注6] グランド・ジョラス北壁ウォーカー側稜の冬季初登攀を成し遂げたのもボナッティ。
グランド・ジョラス北壁は屏風のように広がっているので、ウォーカー側稜以外に幾つもの登路が開拓されているけれど、最も困難なのはウィンパー峰に登り着く登路(ウィンパー側稜)で、それもボナッティが初登攀した。
フレネイ中央柱状岩稜の初登攀も狙ったが、嵐に襲われて退却した。

[注7]  図8-5の左上にもベルトとドリュが見える。

8.2 マッターホルンの不都合な真実

モンブランと並ぶアルプスの名峰がマッターホルン。
そのピラミッド型の美しい山容は写真や映像でも有名だが、実は、IPCCの人為的(排出CO2)温暖化説と深い因縁がある。
前節で紹介したとおり、ウィンパーはモンブラン山郡でグランド・ジョラスとエギーユ・ヴェルトに初登頂したが、その後、ついにマッターホルンへの初登頂を果たした。

ウィンパーらが初登頂した際に登ったヘルンリ稜からのマッターホルン登攀

彼は当初からマッターホルンの初登頂を目指していたのであり、7回目の挑戦で初登攀を果たしたのであった。
「アルプス登攀記」には次のように記されている。

アルプスの山々のなかには、まだ頂上へ登られていない山が幾つもあったが、そのうちでも二つの山が、特に私の心をひきつけていた。その一つは、多くの優れた登山家たちが、幾度となくその登攀を企てながら、まだ成功しなかった山であり、もう一つは、登攀不可能だという伝説に取り囲まれて、殆どだれも手をつけていなかった山である。これら二つの山は、ワイスホルンとマッターホルンであった。
・・・中略・・・
そのときワイスホルンが登頂されたという噂が伝わってきた。
・・・中略・・・
この噂のほんとうであることがはっきりした。ワイスホルンに対する私の希望は、むなしく消えてしまったわけである。しかしワイスホルンに初登頂したチンダル教授が、その勝利の栄光をさらに輝かしいものにするため、さらに大きな勝利を目ざしてマッターホルンへの登攀を試みるため、ブルーイユに滞在しているということを聞いたときに、私のマッターホルンに対する気持ちは、むらむらと燃え上がって来たのであった。

(ウィンパー「アルプス登攀記」、岩波文庫上巻p111-112より)

実は、CO2の温室効果を初めて実証したのが、他ならぬ、このチンダル。[注1]


図8-36 「American Scientist」より

だから、というわけでもなかろうが、そのマッターホルンでも(CO2の排出に因る)温暖化で氷河が解けている、と騒ぎ立てている。

45年前アルプスで遭難、日本人2人の遺骨発見
2015年8月7日 11時31分
【ジュネーブ=石黒穣】スイスのバレー州警察は6日、アルプスの名峰マッターホルン北側の氷河で昨年9月に見つかった遺骨が、45年前に遭難した日本人男性2人のものと確認されたと発表した。
日本の在ジュネーブ領事事務所によると、2人は千葉市の及川三千雄さん(当時22歳)と東京都墨田区の小林正幸さん(同21歳)。
遺骨は、標高約2800メートルの氷河で登山者が発見。過去90年の行方不明者リストを保管する同州警察がDNA鑑定で身元を確認した。
遭難当時の報道によると、2人は1970年8月、マッターホルン北壁から登頂を目指し、標高約4200メートルまで達した後、天候の悪化の中で消息を絶った。
マッターホルン一帯では近年、温暖化で氷河が後退し、何十年も前に遭難した登山者の遺体が発見される例が続いている。

(YOMIURI ONLINE)

マッターホルン北壁の登攀

マッターホルンの北壁に関して、「アルプス登攀記」は次のように記している。[注2]

アルプスのなかにも、これほど壮大な岩壁は、ほかにあるまい。これほど、絶壁という言葉が、ぴったりする岩壁も、ほかにはあるまい。その岩壁の中でも、最も大きいのは、ツムット氷河の上に、のしかかるように突き出ている大きな北の岩壁である。

(ウィンパー「アルプス登攀記」、岩波文庫上巻p204-205より)

上の記事に見える「マッターホルン北側の氷河」は、マッターホルン北壁直下の(「マッターホルン氷河」)。
「アルプス登攀記」は次のように記している。

マッターホルン氷河の北の端は、普通の氷河のように、ゆるい傾斜となって終わらずに、全体にわたって、切り立った断崖の上で突然に終わってしまっている。この断崖は、マッターホルン氷河と、ツムット氷河の間にあり、大きな氷塊が、一時間とは間隔をおかずに、断崖の上から落ちている。

(ウィンパー「アルプス登攀記」、岩波文庫上巻p206より)

この記述から分かるとおり、この当時(マッターホルン初登頂は1865年)は、マッターホルン氷河の下(の断崖のさらに下)にツムット氷河が流れていた。
けれど、現在は氷河が後退して、北壁の側に氷河は見えない。

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図8-37 「Wikipedia」より

CO2の排出が原因だろうか?
そこで、マッターホルン頂上からの写真を見ると。

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図8-38 マッターホルン頂上からの眺望(「walkhighlands」より)

目の前に見える秀峰がマッターホルンの西壁側に聳えるダン・ブランシュで、眼下に見えるのがツムット氷河だが、やはり、真っ黒に汚れている。

マッターホルン氷河は短い氷河だから、45年も経てば遺体が出てくるのは当然とも思えるが、その下半分は黒っぽい。
さらに、北壁正面からの写真を見ると、

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図8-39 マッターホルンの北面(「walkhighlands」より)

やはり、真っ黒に汚れている。
「マッターホルン一帯では近年、ススと微生物で氷河が後退し、何十年も前に遭難した登山者の遺体が発見される例が続いている」。

にもかかわらず、その後も、マッターホルン周辺は(CO2の排出に因る)温暖化で氷が解けている、と騒ぎ立てている。

イタリアだったはずなのに… 山小屋が温暖化でスイスに!?
2018年5月23日
「地球温暖化はでっちあげ」などと公言して、トランプ米大統領が気候変動対策の国際的な枠組みであるパリ協定の離脱を宣言したのは記憶に新しい。だが、「温暖化がでっちあげ」ではないという主張を裏付ける、説得力ある現象がいま話題になっている。スイスとイタリアにまたがる山の上で、氷が溶けて国境線が揺らぎ、スキー場にある山小屋の一部が、イタリアだったはずなのにスイスになりつつあるのだ。
問題の場所は、アルプス山脈に属するマッターホルンの裾野に広がるスキーリゾート。イタリアとスイスの国境にある氷河上、標高3,480メートル地点だ。伊・レプブリカやハフポストなどによると、温暖化の影響で毎年少しずつ氷が溶けており、山の上にある両国の国境が”滑って”きているという。その結果、イタリア領だったはずのブレイユ・チェルヴィニアの山小屋の4分の3がスイス領になっているのだそうだ。「イタリアでご飯を食べて、スイスでコーヒーを飲めるかも」とハフポスト紙。
国が違えば、法的な違いを含め行政上の問題が生まれる。目下、委員会を招集して話し合いを検討中とか…。


Furggen mountain peak in Pennine Alps, Breuil-Cervinia, Italy

(共同通信)

「ブレイユ・チェルヴィニア」はマッターホルンのイタリア側の麓にある村で、ウィンパーも当初はこの村からマッターホルン登攀(左側のリオン山稜)を試みた。


図8-40 イタリア側(ブレイユ・チェルヴィニア)から望むマッターホルン

ここに言う「イタリアとスイスの国境にある氷河上、標高3,480メートル地点」は下図の「Plateau Rosa Testa Grigia」と思われる。


図8-41 ブレイユ・チェルヴィニアのスキー場の概略図

「ブレイユ・チェルヴィニアの山小屋」は下図と思われる。


図8-42 ブレイユ・チェルヴィニアの山小屋

写真の左手前を見ると、やはり、雪が微生物で黒ずんでいる。
写真の左手前では、地面が露出しているが、微生物で黒ずんだから、雪が解けてしまったのだ。
微生物で黒ずみ、雪が解け、地面が露出し、地面が太陽光を吸収して温まり、その結果、さらに雪が解け・・・という悪循環が起こっている。
これだけ観光地化すれば、理の当然であろう。

もちろん、先に説明したとおり、それ以前から、雪氷がススで黒ずみ解けていた。
その証拠に、「アルプス登攀記」にこのような記述がある。(このアクシデントがなければ、この時にマッターホルンに初登頂していた可能性が高い。)

そこで私たちは、まっ直ぐにモースヘッド氏の峠(この峠はヘルンリへいくのに最も近い道筋になっており、私たちは東壁を登るためにヘルンリで露営するつもりであった)へと向った。峠の頂上には十二時半に登りついた。だがここで、思いがけない障害にぶつかってしまった。峠であるはずのこの場所が、峠の形をなくしてしまっていたのだ。峠を越えた向うのフルク氷河が、ひどく収縮してしまったため、峠と氷河との間に岩壁が露出し、私たちは氷河との連絡を断ち切られ、下へ降りられなくなったのである。

(ウィンパー「アルプス登攀記」、岩波文庫下巻p105より)

上の記事の写真「Furggen」はマッターホルンと「Testa Grigia」の中間にあり(Wikipedia参照)、図8-40に見えるマッターホルンの右側の山稜(Furggen 山稜)に続いている。
正確な位置は不明だが、 「モースヘッド氏の峠」はマッターホルンと「Furggen」の間にある。
だから、この記述は「Testa Grigia」にも当て嵌まる。
CO2がハッキリと増加し始める以前から、しかも、アルプスの気温が低下していた最中に、マッターホルン周辺の雪氷も解け始めていたのだ。
それはススが原因。

にもかかわらず、マッターホルン以外でも「温暖化で氷河が後退し、何十年も前に遭難した登山者の遺体が発見された」と騒いでいる。

氷河で75年前の遺体、アルプスの融解著しく
アルプスで相次ぐ遺体発見、原因は毎年1m近く解けている氷河に

2017.7.21
7月13日、スイス・アルプスのツァンフルロン氷河の近くで、スイスのスキー会社社員が設備の定期メンテナンスを行っていたところ、氷から突き出している足を見つけた。さらに調べると、靴と帽子、そして凍結して黒ずんだ2人の遺体が見つかった。
靴職人だったマルスラン・デュムランと教師だったフランシーヌ・デュムランの夫婦が行方不明になったのは今から75年前のことだ。
スキー会社のCEO、ベルンハルト・ツァンネン氏は、「発見した社員は警備員に通報し、私が警察に連絡しました」と話す。翌14日には、現場にヘリコプターが到着し、遺体を傷つけないように、氷河から大きく氷を切り出した。そして19日には、DNA鑑定によって1942年8月15日に行方不明になったデュムラン夫妻の遺体であることが確認された。
この件を最初に報じたスイス紙「Le Matin」によると、この雪深い地域から遺体が見つかるのはこれが初めてではない。2102年には1926年に消息を絶った3人の兄弟が、2008年には1954年に遭難した登山者が見つかった。さらに2012年には、2008年に山で行方不明になった2人の遺体が見つかっている。
1925年以降、アルプスやその周辺では、280人が行方不明になっている。
失われゆく氷河
「この氷河では、毎年50センチから1メートルほどの氷が失われています」とツァンネン氏は話す。「80年前は、今よりもはるかに大きかったのです」
デュムラン夫妻が見つかったのは地球温暖化が原因だと、ツァンネン氏は考えている。氷河が急速に解けたことで、埋もれていた遺体が露出したというわけだ。
風光明媚で知られるアルプスだが、氷が着々と解けているのはまぎれもない事実だ。
一番の問題は、どのくらいの速さで解けているかだ。
2006年に発表された調査でアルプスの夏季の氷は2100年までに消滅するとされていたが、2007年の調査はさらに厳しい予測となり、氷は2050年までに消えるとされている。
スイスのチューリッヒ大学に拠点を置く世界氷河モニタリングサービス(WGMS)の報告書によると、アルプスの氷河の厚みは2000年から2010年の間に毎年1メートルずつ減少している。
WGMSの所長は、2013年の報告書でこの氷の融解を「前例がない」と評している。
氷は優れた防腐剤
ツァンネン氏は、デュムラン夫妻について「悲劇でした」と言う。「彼らには7人の子どもがいましたが、現在生きているのは2人だけです」
夫妻の遺体の保存状態が非常に良好だったのは偶然ではない。アルプスのような雪深い山地は寒く乾燥しており、遺体が腐敗する速度は遅い。
つまり、氷は非常に優れた防腐剤なのだ。実際、アルプスからは5000年前に死んだ人間の遺体が驚くほど良好な状態で見つかっている。それがアイスマン「エッツィ」だ。エッツタール・アルプスで見つかったことにちなんでそう呼ばれている。エッツィは死後まもなく氷に覆われたため、腐敗を免れたと考えられている。
アルプスにはまだ氷に埋もれた遺体があるのだろうか。それは時とともに明らかになるはずだ。

スイス南部のディアブルレ山塊で、75年前に行方不明になった夫婦の遺体が見つかった。遺体とともに、バックパック、ビン、本、時計も見つかっている。(PHOTOGRAPH BY EPA)

(ナショナルジオグラフィック)

CO2の排出は20世紀後半に激増したのだから、「デュムラン夫妻が見つかったのは地球温暖化が原因」なら、20世紀後半の縮小が著しいはず。


図8-43 ツァンフルロン氷河の推移(「Swiss glacier monitoring network」より)

ところが、20世紀前半までの縮小が著しい。
「デュムラン夫妻が見つかったのは(CO2の排出による)地球温暖化が原因」ではない。
実際、「デュムラン夫妻が見つかった」場所を見ると、やはり黒い粒々が。
離れて見ると、


図8-44 「SwissEduc-Glaciers online」より

青空とのコントラストが美しいまでに黒い。
氷河の末端では、ススが原因で解けているのが良く分かる。


図8-45 「SwissEduc-Glaciers online」より

ススと微生物が原因で「氷河が急速に解けたことで、埋もれていた遺体が露出したというわけだ」。

「アルプス登攀記」に次のような一説がある。

ヴィスプの少し手前のところで、イギリス人の観光客の一行が、一頭の騾馬を連れて谷を登っていくのとすれ違った。一行は九人──八人の若い女性と一人の家庭教師──であった。騾馬は一行の荷物を全部背負わされた上に、九人をかわるがわる乗せなければならなかったのだ。村の人たち──自分たちも騾馬にひどく重い荷を載せないわけではない連中なのだが──は、この珍しい光景に呆れたらしかった。重たい荷物に騾馬があえいでいるにもかかわらず、その上に若い女性が平気な顔で乗っている思慮のなさに対し、イギリス人にとっては耳の痛い悪口をさかんにしゃべっていた。

(ウィンパー「アルプス登攀記」、岩波文庫上巻p38より)

この時代には、経済力を増した英国の富裕層が観光でアルプスを訪れるようになっていた。
ウィンパーら英国人登山家がアルプスの巨峰を次から次へと征服していった「アルピニズムの黄金期(1840年から始まり、マッターホルンの初登頂で終わる)」には、そんな社会的背景があった。
ここに1枚の写真がある。

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図8-46 昔のアルプス(?)の写真

何時の時代の何処の写真かは不明だが、かなり古い写真であり、服装から判断すると、19世紀末の欧州のお金持ちがアルプスを観光した際の写真であろう。
モノクロの写真だから、当然、氷河は真っ白に写っているはずだが黒くなっている。
アルプスがかなり以前からススで汚れていたこと、それが原因で19世紀後半から解け出していたことが分かる。

[注1] 一般には、チンダル現象で有名。
チンダルはマッターホルン初登頂を目指し、今一歩のところで失敗したけれど、ウィンパーの初登頂後、再挑戦し、マッターホルンの初縦走、イタリア側から登ってスイス側に下る、に成功した。

[注2] ウィンパーらはマッターホルンの初登頂に成功したが、その下山時、登山隊全7名のうち4名が北壁から墜落して死亡した。
生き残ったのはウィンパーと山案内のタウクワルダー父子の3名のみ。
墜落した一人、フランシス・ダグラス卿の遺体は未だに発見されていない。

8.3 ベルナーオーバーラントの不都合な真実

8.3.1 アイガーの不都合な真実

モンブラン山麓のシャモニ、マッターホルン山麓のツェルマットと共に有名なアルプスの観光地が、ベルナーオーバーラントのグリンデルワルトであり、マッターホルン・グランドジョラスと共に3大北壁として有名なアイガーが望める。[注1]


図8-47 右からアイガー、メッテンベルグ、ウェッターホルン

アイガーとメッテンベルグの谷間で、2006年の7月に大崩落が起こった。


図8-48 「Dreams and Daemons」より


図8-49 「Dreams and Daemons」より


図8-50 「SwissEduc-Glaciers online」より

奥に見える山はグロースフィッシャーホルン、手前に流れて来ているのはLower Grindelwald Glacier で、ドイツ語では「Unterer Grindelwaldgletscher」だから、図8-20の「U.Grindelwald」に他ならない。
IPCC学派は、CO2の排出に因る温暖化で Lower Grindelwald Glacier が縮小したのが崩落の原因、と言い立てている。

Europe’s glaciers in retreat
By Imogen Foulkes
BBC News, Switzerland
Shrinking glaciers are causing tonnes of rock to break loose from one of Switzerland’s most famous mountains, the Eiger, and crash into the valley below.
On the east face of the Eiger, two million cubic metres of rock, enough to build two Empire State Buildings, is gradually splitting away from the main mountain.
Until recently, the rock was held in place by the ice of the lower Grindelwald glacier, but now the ice has melted, revealing a mass of unstable limestone.
Scientists say climate change is to blame for the disappearing ice.
In the 19th Century, the lower Grindelwald glacier stretched right down into the valley itself. Local people once even made a living from it, sending cartloads of ice to Paris, where the fashionable cafes used it in cocktails.
All over the Alps, glaciers have been shrinking, but what is worrying scientists most is the accelerated thaw that has taken place since the 1980s. During that time, Alpine glaciers have lost around 25% of their surface.
At Switzerland’s Alpine Museum, an exhibition calling attention to the plight of the glaciers has just opened.
Entitled Glaciers in the Hothouse, the exhibition has dozens of pictures of Europe’s glaciers from different periods in history. Organisers say the retreat of the last few years is the best visible proof of worldwide global warming.
Martin Grosjean, a specialist in glaciers and climate change at Berne University, says the current meltdown is simply not normal.
“We’ve got records on glaciers going back hundreds of years,” he explained. “And it is completely normal for them to retreat and then grow, in response to the usual variations in climate.
“But what we are seeing now is extreme; an extreme reaction to extreme climate changes – it’s a response to global warming caused by greenhouse gases.”

BBC News より)

ネイチャーからは論文も出ている。


図8-51 「Nature Geoscience,1(2008)531」の図4

確かに Lower Grindelwald Glacier は1860年頃と比べると大幅に縮小した。

図8-52 1858年(左)と1974年(右)の Lower Grindelwald Glacier(「Global and Planetary Change,60(2008)42」より)

しかし、それはCO2の増加が主因ではない。
図8-20を見れば、「Lower Grindelwald Glacier (U.Grindelwald )」も、やはり、19世紀後半から20世紀前半にかけて、大きく後退している。
1910年の写真を上図の左と見比べると、既に大幅な縮小が見られる。


図8-53 1910年1月の Lower Grindelwald Glacier

写真中央のやや下に岩壁が見えるが、図8-52の左の写真には見えない。
さらに10年前の絵(古い写真を加工して色づけした?)を見ても同じ。


図8-54 1900年の Lower Grindelwald Glacier

1858年には氷河がその岩壁を乗り越えて流れていたけれど、1900年には大幅に縮小していたので、岩壁が見え出した。
CO2がハッキリと増加する以前に、しかも、アルプスの気温が低下していた最中に大幅な縮小が起こったのだから、CO2が原因ではない。
やはり、スス(と太陽活動の活発化に因る気温上昇)が原因。
実際、昔の写真(何時かは不明)を見ても、ススで黒ずんでいる。


図8-55 昔の Lower Grindelwald Glacier の写真(「age fotostock」より)


図8-56 昔の Lower Grindelwald Glacier の写真

その後、大幅に後退した後の氷河末端の写真(それでも、かなり古い)を見ても、真っ黒に汚れている。
(氷河が後退したので、早々と観光用の小屋を建てている商魂逞しさも凄いが。)


図8-57 昔の Lower Grindelwald Glacier の写真

もちろん、現在も真っ黒け。


図8-58 「SwissEduc-Glaciers online」より


図8-59 「Patitucci Photo」より

アイガーの東面で起こった崩落はCO2の排出が原因ではない。

8.3.2 アレッチ氷河の不都合な真実

にもかかわらず、その後も、このように騒ぎ立てている。

スイスアルプス高峰で気温7.2度、11月として観測史上最高
2015年11月11日 10:03 発信地:ジュネーブ/スイス
スイスのアルプス山脈の高峰、ユングフラウ(Jungfrau、4158メートル)で10日、気温が11月としては観測史上最高の7.2度を記録した。気象学者らが発表した。
スイスの気象情報会社メテオニュースの声明によると、この穏やかな「異常」気温は、ユングフラウ山の標高3580メートルに位置する気象観測所で正午ごろ測定されたという。同観測所で1992年に測定された従来の最高記録の4.7度は、あっけなく破られた。
ユングフラウはスイス国内で最も人気が高い観光地の一つ。気象観測所から少し下った、標高3453メートルの地点に、欧州で最も標高が高い鉄道の駅があり、ここからは、アルプス最大のアレッチ(Aletsch)氷河を眺望できる。
スイスでは、これより標高が低い地域でも、気温が異常に高い状態が続いている。先週末はスイス国内のいくつかの地域で、この季節としては記録的な暖かさとなり、東部の一部地域では気温が20度を超えるところもあった。

(AFP)

明言していないが、CO2の排出が原因、と言いたいのだろう。
ならば、「アルプス最大のアレッチ(Aletsch)氷河」はどうなっているか?[注2]

図8-60 「ユングフラウ山の標高3580メートルに位置する気象観測所(スフィンクス観測所)」とアレッチ氷河

IPCC第4次報告書が発表された年に、CO2の排出が原因でアルプスが解けている、温暖化対策が必要と訴えるために、グリーンピースがアレッチ氷河でこのような示威行動に出た。

アルプス氷河で集団ヌード撮影会、温暖化防止訴え
2007年8月19日 05:20 発信地:ジュネーブ/スイス
スイスのアルプス氷河で18日、約600の人々が地球温暖化に警鐘を鳴らすキャンペーンの一環として行われた集団ヌード撮影会に参加した。
この撮影会は国際環境保護団体のグリーンピースによる写真家のスペンサー・チュニック(Spencer Tunick)氏へのコミッションワークで、ユネスコにより世界自然遺産として登録されたアレッチ氷河(Aletsch glacier)のすぐそばで行われた。
この撮影会は、地球温暖化により消滅の危機にあるアルプス氷河へ人々の関心あつめ、温暖化への意識を高める事が目的。

「氷河や世界の環境と同じくらい脆弱な人体を、極限の寒さにさらすことで、世論と政治を動かすことができる」とグリーンピースは期待する。
今回、撮影を担当したチュニック氏は、「表面上のイメージよりもさらに深い部分、人間の脆弱性を感じ取ってほしい。そして、氷河も人間と同じくらいセンシティブだということを」と語る。

20150819022007年8月18日、アルプス氷河での撮影会に参加した約600人のボランティアと脱ぎ捨てられた衣服。(c)AFP/FABRICE COFFRINI

(AFP/Peter Capella)

「脱ぎ捨てられた衣服」の辺りを見ると、黒い粒々が見える。
そして、奥の方の白い部分を除けば氷河全体が灰色で、特に、右側の裸で立っている部分は黒ずんでいる。
そこで、さらに他の写真を見ると。

2015081901
図8-61 アレッチ氷河(1)

2015081903
図8-62 アレッチ氷河(2)

2015081904
図8-63 アレッチ氷河(3)

氷河の汚れはすさまじい限り。
アレッチ氷河の末端はこうなっている。


図8-64 「Aletsch Glacier World」より

氷河や万年雪が存在するアルプスは全球平均よりもアルベドがかなり高い。
ところが、ススで汚れてアルベドが大きく低下した。
さらに、ススが日光(及び、大気からの下向き赤外放射)を吸収し、雪氷が解けて、アルベドが低下。
その結果、気温が上昇し、さらに雪氷が解けて、さらにアルベドが低下。
その結果、気温上昇が加速。
「スイスのアルプス山脈の高峰、ユングフラウで10日、気温が11月としては観測史上最高の7.2度を記録した」のは其れ故。
氷河がスス(と微生物)で黒く汚れていることに気づかないほど鈍感であるにもかかわらず、あべこべに「氷河も人間と同じくらいセンシティブだということを」と放言して憚らないのだから恐れ入る。
「氷河の表面上のイメージよりもさらに深い部分、グリーンピースの環境意識の脆弱性を感じ取ってほしい」。
このグリーンピースがIPCCに深く関与しているのだ。
グリーンピースが、ススで黒ずんだ氷河の上に裸で横たわって、「地球温暖化により消滅の危機にあるアルプス氷河へ人々の関心あつめ、温暖化への意識を高める」と騒ぎ立てたのは、IPCCの非科学性をハッキリ示したと言えよう。
「氷河の表面上のイメージよりもさらに深い部分、IPCCの科学の脆弱性を感じ取ってほしい」。

[注1] 但し、有名な北壁は向こう側で、グリンデルワルトからは見えない。

アイガー北壁の登攀

左手前に延びている長大な稜線は、ヨーロッパの多くの優秀な登山家が挑んだにもかかわらず成功せず、我国の槇有恒が初登攀に成功した東山稜。

アイガー東山稜の登攀

[注2] 青銅器時代、アレッチ氷河は現在より短かった。

アルプスの氷河融解、教会の祈りも逆転
Laura Spinney in Fiesch, Switzerland
for National Geographic News
Augest 13, 2012
7月31日の明け方、スイスのフィーシュ村からおよそ50人が徒歩で出発した。アルプスの4000メートル級の山々の上に日が昇るころ、行列はゆっくりと山腹を登って涼しい松の森に入り、小さな教会の前で立ち止まった。
午前7時30分には人々の数は100人ほどに増え、マリア・ハイムズーフンク(Maria Heimsuchung=聖母マリアの御訪問)礼拝堂の中に入りきらなくなったため、臨時の祭壇が建物の外に設けられた。
「氷河は氷、氷は水、水は命です」と唱えると、トニ・ベンガー司祭はそこより上方にある氷河の融解を止めてくれるよう神に祈った。典礼に用いるいくつかの肝心な言葉を変更することで、ベンガー司祭は過去350年の間、氷河を押し戻してくれるよう神に祈ってきたカトリック儀式の内容を逆転させた。地球温暖化の影響がアルプス山脈にはっきりと表れるようになった今、バチカンもこの変更を承認している。
気候変動の影響は山岳地帯で顕著だ。スイスアルプスの気温は20世紀中に地球平均の2倍上昇した。現在、スイスの氷河は1年に平均10メートル後退している。そのうえ、アルプス地方では過去数世紀に比べて降水量と風速が上昇していると報告されている。
◆寒冷化に苦しんだ時代
敬虔なカトリック信者であるフィーシュ村とフィーシャータール村の人々は、ヨーロッパが小氷期だった1674年から年一度の巡礼を行っている。
両村の上方にあるアルプス山脈最大の2つの氷河、アレッチ氷河とフィーシャー氷河はそこから200年間成長を続け、1850年ごろには最大の長さに達した。当時のアレッチ氷河の長さは26キロ、フィーシャー氷河も同様のペースで成長したが、アレッチより小さい氷河の当時の正確な長さは不明だ。
2つの氷河の間にある湖メィエレンゼーにアレッチ氷河の氷が落ちると、湖の水があふれた。1000万立方メートルの水が下方の谷に押し寄せ、村が水浸しになり、建物が壊れ、死者が出た。19世紀まで貧困にあえいでいたこの地域の人々には、また村を再建するしか方法はなかった。
幾度もこのような災害に耐えてきた村人たちは、地元イエズス会の協力を得て、毎年7月31日に巡礼を行うことを決めた。7月31日は、イエズス会の創立者である聖イグナチオ・デ・ロヨラを記念するカトリックの祝日にあたる。
◆祈りが聞き届けられた?
1860年代に入ると氷河は後退を始め、今なお後退し続けている。現在、アレッチ氷河は長さ21キロ、幅0.8キロ、深さ約900メートルで、1864年当時と比べて長さ5キロ、深さ200メートル分が消失している。
「これまで氷が後退するよう祈ってきたが、われわれの祈りは効きすぎた」と、山岳ガイドでフィーシュ村のあるゴムス郡の行政長官を務めるヘルベルト・フォルケン氏は話す。
2009年、地元教区会はバチカンに祈祷の文言の変更許可を申請した。1年後、教皇庁は申請を承認し、フォルケン氏は新たな祈りが以前と同じく効力を発揮することを期待している。同氏によると、村人たちはもう洪水を心配することはないが、代わりに今では飲料水や電力、家畜の飼料の不足や、森林火災の増加を懸念しているという。
◆ゆっくりとした変化
気候変動の影響は今後もさらに拡大すると予想される。アレッチ氷河とフィーシャー氷河は、他の多くの小さな氷河とともに、ヨーロッパで最も重要な水系の1つであるローヌ川水系に流れ込んでいる。
ベルン大学の地理学者で氷河の歴史を研究するハンスペーター・ホルツホイザー(Hanspeter Holzhauser)氏によると、アレッチ氷河の長さは1年に23メートルずつ後退しているという。
ホルツホイザー氏は、歴史的記録の調査や、氷床コア、化石土壌、氷中に閉じ込められた樹木などの分析を通じて過去数千年の氷河の変化を追跡し、気候変動の明らかな痕跡を発見している。例えば、気候が温暖だった青銅器時代には、アレッチ氷河は現在より610~915メートルほど短かった。しかし、当時の温暖な気候は人間の活動の影響を受けていないとホルツホイザー氏は指摘する。「新しい祈りが、人間の引き起こしている地球温暖化への関心を集める効果しかないとしても、それはそれで有益なことだ」。
内容を改めた祈りがどのような効果をもたらすにせよ、効果が表れるのはまだ先のことになりそうだ。過去の傾向から考えて、急速な温暖化とそれに伴う氷河の融解は少なくとも今後30年は続くとホルツホイザー氏は確信している。

(ナショナルジオグラフィック)

ウィキペディアに依れば、中央ヨーロッパの青銅器時代は紀元前2300年から紀元前1600年。
西暦2000年を起点に考えると、4300年前から3600年前は現在よりも気温が高かった、ということになる。
第6章図6-4の非科学性は明らか。

8.4 アルプスの少女の不都合な真実

8.4.1 ローヌの谷の不都合な真実

マッターホルン、ワイスホルン、スイス国内の最高峰ドーム、アルプス第2の高峰モンテローザが聳えるワリス山郡と、アイガーやユングフラフが聳えるベルナーオーバーランド山郡を隔てるのがローヌの谷。
その谷を流れるのがローヌ川で、その重要な水源がローヌ氷河。
そのローヌ氷河もCO2排出が原因で縮小している、と泣き喚いている。

断熱シートで覆われるローヌ氷河、スイス
2015年7月17日 12:52 発信地:グレッチ/スイス
スイス・グレッチ(Gletsch)近郊のローヌ氷河(Rhone Glacier)が、照りつける真夏の日差しによる溶解を食い止めるために断熱シートで覆われている。

2015072101スイス・グレッチ近郊で、断熱シートで覆われたローヌ氷河の横を歩き氷穴へ向かう観光客(2015年7月14日撮影)。(c)AFP/FABRICE COFFRINI

(AFP)

けれど、図8-20を見れば、ローヌ氷河(Rhonegletscher)も1850年から1950年に間に急激に縮小した。
CO2が原因であろうはずがない。
そこで、断熱シートで覆われた箇所を拡大して見ると、黒い粒々が見える。

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図8-65 ローヌ氷河の観光用氷穴の入り口周辺の氷(1)

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図8-66 ローヌ氷河の観光用氷穴の入り口周辺の氷(2)

これはスス。
ススで黒ずんで解けているのを「食い止めるために断熱シートで覆われている」。
実際、下の写真に見えるとおり、ローヌ氷河全体が灰色になっている。

2015072102
図8-67 ローヌ氷河

もちろん、ススだけではない。
観光用氷穴を訪れる観光客が有機物を氷河に拡散し、微生物を繁殖させている。
氷河の末端を見ると、氷河から分離した氷も微生物で黒ずんでいる。

図8-68 末端から見たローヌ氷河(「Shocking images show how global warming is causing Europe’s glaciers to retreat by hundreds of feet a year」より

8.4.2 ピツォルの不都合な真実

にもかかわらず、CO2排出で「ハイジの村」の近郊の氷河が死んでしまった、と泣き喚いている。
(1.4節で引用した「アルプスで約25万立方メートルもの氷河が崩壊の危機」という記事に「スイスでは先週末、アルプスの別の場所で消失した氷河の『葬送行進』が行なわれ」と書いていたのはこれ。「アイスランドでも先月、似たような「葬儀」が行なわれたばかりです」と書いていたのは、前章第5節で引用した「気候変動で失われたアイスランド初の氷河、「未来への手紙」の銘板を設置」という記事が報じていること。)

スイス・アルプスで氷河の「葬送行進」 250人が喪服で登山
2019年9月23日 13:11 発信地:メルス/スイス
気候変動への懸念が世界各地で高まる中、スイスのアルプス山脈で22日、氷河の消失を悼む「葬送行進」が行われた。黒い服に身を包んだ約250人は、重苦しい空気に包まれながら標高2700メートル付近まで後退した氷河の先端まで、2時間かけて山を登った。
スイス東部、リヒテンシュタインとオーストリアとの国境近くにそびえるピツォル(Pizol)山を登る「葬列」の中には、子どもたちの姿も。
「ピツォルに別れを告げるため、私たちはここに集った」。アルペンホルンの葬送の調べが響く中、雪氷学者のマティアス・フス(Matthias Huss)氏が告げると、山麓の村メルス(Mels)のエリック・ペトリーニ(Eric Petrini)牧師が「神よ、気候変動に伴う計り知れない困難との闘いを助けたまえ」と祈りをささげた。
スイス気候保護協会のアレッサンドラ・デジャコミ(Alessandra Degiacomi)氏によれば、ピツォルの氷河は「そのほとんどを失い、科学的見地からはもはや氷河とは言えない」という。
スイス・アルプスの氷河消失はピツォルが初めてではない。「1850年以降、われわれの推計では500本もの氷河が完全に消失した。うち50本は名前の付いた氷河だ」と、スイス連邦工科大学チューリヒ校(ETH Zurich)で研究するフス氏は指摘する。それでも、ピツォルは「徹底的に研究されてきた氷河の消失は初めてと言える」という。
ピツォルでは2006年以降だけで80~90%の氷河が失われ、今や残っているのはわずか2万6000平方メートル。フス氏の言葉を借りれば「サッカー場4面分に満たない」。
スイス氷河モニタリングネットワークによると、スイスの氷河の8割近くはピツォルのような、「小氷河」と呼ばれる比較的標高の低い場所にある小さな氷河だ。アルプスにはこうした氷河が約4000本点在し、雪解け水で数百万人もの人々を潤すとともに、欧州でも指折りの絶景を生み出している。
しかし、フス氏らスイス連邦工科大の科学者たちは4月、温室効果ガス排出量を抑制しない限りアルプスの氷河は今世紀末までに9割以上が消失すると警鐘を鳴らす研究結果(初めの記事が引用しているのと同じ論文)を発表した。
ピツォルの「葬送行進」について、国際環境保護団体グリーンピースなどでつくる主催団体は、気候変動が氷河を融解させるだけでなく「私たちの生活手段」をも脅かしていることに目を向けさせるきっかけとなると説明している。

スイス東部にあるピツォル山で、消失する氷河の「葬儀」に参加した人(2019年9月22日撮影)。(c)Fabrice COFFRINI / AFP

(AFP/Eloi Rouyer with Agnes Pedrero in Geneva)

ピツォル山はスキー場と化してる。


図8-69 「Skimap.org」より

残っている雪の表面を見ると、

Alps_Fig_70
図8-70 「ピツォール(Pizol)でハイキング」より

やはり、ススと微生物で灰色。
「ピツォルでは2006年以降だけで80~90%の氷河が失われ」と泣き喚いているけれど、2006年に記事の写真にあった氷河と2018年を見比べると、


図8-71 「Europian Geosciences Union」より

汚れて解けてしまったことが良く分かる。
前節で紹介したとおり、グリーンピースは、アレッチ氷河でも「地球温暖化により消滅の危機にあるアルプス氷河へ人々の関心あつめ、温暖化への意識を高める」と言い立てていたけれど、上記の科学的事実は、グリーンピースが「『私たちの生活手段』をも脅かしていることに目を向けさせるきっかけとなる」であろう。

8.5 チロルの不都合な真実

8.5.1 Hintereisferner Glacier の不都合な真実

にもかかわらず、CO2排出でチロルの氷河も解けている、と泣き喚いている。

世界の山岳氷河、融解は地球温暖化が原因 研究
2016年12月13日 11:36 発信地:マイアミ/米国
20世紀に全世界の山岳氷河の融解が進んだのは、地球温暖化が原因であるとする研究論文が12日、発表された。
氷河をめぐってはこれまで、気候変動による影響の表れ方が緩慢で、年間の気象の変化の影響を受けやすいことから、その融解の原因がすべて気候変動にあるかどうかをめぐって科学界で論争となっていた。
英科学誌「ネイチャー・ジオサイエンス(Nature Geoscience)」に発表された最新の研究「Nature Geoscience,10(2017)95」では、世界37か所の山岳氷河を統計的技術を用いて分析した。
その結果、対象となった山岳氷河の大半では、気候変動が原因で融解している確率が99%以上に上ったと研究論文は述べている。このことはつまり、20世紀中の氷河融解をめぐる因果関係について、研究チームは「ほぼ確信」していることになる。
米ワシントン大学の研究者らによる今回の研究成果は、米サンフランシスコで開催の米国地球物理学連合(American Geophysical Union)の年次秋期総会で発表された。
研究者らは、例を挙げて融解事象を説明した。オーストリアの氷河「Hintereisferner Glacier」については、1880年以降2.8キロ後退しており、気候変動が原因である可能性が極めて高いと述べ、自然変動である可能性は0.001%あるいは10万分の1にとどまるとした。
またニュージーランドの有名なフランツ・ジョセフ氷河(Franz Josef Glacier)については、過去130年間で計3.2キロメートル後退した原因が自然変動である可能性は1%未満とした。
一方で、地球温暖化が原因の可能性が低いと考えられる氷河としては、米北西部ワシントン州のサウスカスケード氷河(South Cascade Glacier)やスウェーデン北部の「Rabots Glacier」などが挙げられた。
これらの氷河では、気象の変化による自然変動が後退の原因とされる可能性が6~11%だった。

(AFP)

けれど、図8-20を見れば、「オーストリアの氷河『Hintereisferner Glacier』」も、CO2排出が激増する以前の、しかも、アルプスの気温が低下する中での1850年から1950年までに大きく縮小していたのだから、「気候変動が原因である可能性が極めて低い」。
しかも、下図(の赤線)に見えるとおり、「Hintereisferner Glacier」でも、20世紀前半の(夏季の)気温は2000年以降と同じほど高かった。

2016121905図8-72 「Hintereisferner Glacier」近郊の村フェント(vent)の夏季の気温推移(「Global and Planetary Change,71(2010)13」より)

その間は気温が低下していたにもかかわらず、氷河は後退し続けていたのだから、「気候変動が原因である可能性が極めて低い」。
「英科学誌『ネイチャー・ジオサイエンス(Nature Geoscience)』に発表された最新の研究」に関するワシントン大学のプレスリリースに氷河の空撮写真が掲載されている。

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図8-73 「Nature Geoscience,10(2017)95」に関するワシントン大学のプレスリリースより

やはり、氷河全体が灰色になっている。
山の頂上に近寄って見ると、


図8-74 「SwissEduc-Glaciers online」より

氷河の源も一面灰色。
山頂の標高は3739m。
富士山の頂上近くまで雪氷が汚れている!
「オーストリアの氷河『Hintereisferner Glacier』については、1880年以降2.8キロ後退しており、大気汚染が主な原因である可能性が極めて高く、(CO2の増加に因る)気候変動である可能性は10%あるいは10分の1にとどまる」。
にもかかわらず、「気候変動が原因である可能性が極めて高いと述べ」たのは、「IPCC学派が科学的である可能性は0.001%あるいは10万分の1にとどまる」ことを満天下に曝け出しただけ。[注1]

8.5.2 パステルツェ氷河の不都合な真実

にもかかわらず、オーストリア気象庁は、CO2の排出でオーストリア最大の氷河も消えてなくなりつつある、と泣き喚いている。

オーストリア最大の氷河「先端消滅する」 厚さ200メートルも…2050年予測
2015.12.12 21:17
オーストリア気象庁は12日までに、南部ケルンテン州にある同国最大の氷河「パステルツェ氷河」(長さ約8キロ、面積約17平方キロ)について、このままの状況が続けば、先端部が2050年までにほぼ消滅するとの予測を発表した。地球温暖化による気温上昇と、増えた雪解け水による浸食が原因としている。
10日の発表によると、パステルツェ氷河の先端部は年平均で1969~98年に1.8メートル、98~2012年には4.3メートル薄くなった。12~15年には5.1メートルに加速し、14年秋~15年秋には10メートル薄くなった部分もあった。
気象庁の研究者は「先端部の厚さは最大約200メートル。年平均5メートル減ると、50年までにほぼ完全に消滅すると予想される」とした。
パステルツェ氷河はオーストリアの最高峰グロースグロックナー山(3798メートル)の山麓に位置し、観光客に人気のハイキングコースとなっている。

(共同)

確かにパステルツェは縮小した。

図8-75 1920年のパステルツェ氷河(「Shocking images show how global warming is causing Europe’s glaciers to retreat by hundreds of feet a year」より

図8-76 2012年のパステルツェ氷河(「Shocking images show how global warming is causing Europe’s glaciers to retreat by hundreds of feet a year」より

けれど、図8-20を見れば、パステルツェ(Pasterze)も1850年頃から縮小していた。
上の写真では分からないけど、別の写真を見ると、やはり、氷河の下部が灰色になっている。


図8-77 「SwissEduc-Glaciers online」より

近寄って見ると


図8-78 「SwissEduc-Glaciers online」より

さらに近寄って見ると


図8-79 「SwissEduc-Glaciers online」より

氷河の末端を見ると、

図8-80 「Shocking images show how global warming is causing Europe’s glaciers to retreat by hundreds of feet a year」より

ススと微生物で解けていることは明らか。

8.5.3 セルデンの不都合な真実

チロル地方のセルデンにアルプス屈指の、そして、オーストリア最大のスキーリゾートがある。
ウィキペディアで調べると、セルデンは、山中にもかかわらず「オーストリアの観光地ではウィーン、ザルツブルクに次ぐ第3位」。)


図8-81 「オーストリアのセルデン」のスキー場の概略図

ここで、2017~18年度のアルペンスキーのW杯開幕戦が開催されたが、朝日新聞は、CO2の排出でセルデンの氷河が後退している、と騒ぎ立てている。


2018年1月25日の朝日新聞朝刊紙面より

「オーストリアのセルデンの氷河」がどの氷河を指しているのか不明だが、図8-81で「Rettenbach Tal」と記されている場所の氷河(Rettenbach glacier)はご覧のとおり。


図8-82 「123RF」より


図8-83 「123RF」より

やはり、ススと微生物で解けている。
にもかかわらず、観光局の職員から「昔に比べて氷河が解けて後退したから、夏季は氷河スキーの営業を取りやめている」と聞き、「スキー愛好家なら天然雪のパウダースノーにシュプールを描きたい。地球環境に関心が向く動機づけになる」と喚き立てるのは、「自分と似た意見の人たちの情報ばかりに触れがちになっている」からに他ならない。
「定説に逆張りする方が脚光を浴びやすいのが、理由の一つだろう」との言い草は、IPCCの煽り立てる人為的(排出CO2)温暖化説の破廉恥さを曝け出したと言えよう。

[注1] 下図に見えるとおり、「米北西部ワシントン州のサウスカスケード氷河(South Cascade Glacier)」も黒く汚れている。

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図8-84 「USGS Glacier Studies : South Cascade」より

「ニュージーランドの有名なフランツ・ジョセフ氷河(Franz Josef Glacier)について」も一言述べておこう。
第5章図5-5の黄色の線に見えるとおり、1980年以降の気温上昇は急激で、IPCCに依れば、それは専ら「気候変動」が原因なのだから、「気候変動が原因で融解している確率が99%以上に上った」のなら、1980年以降も後退し続けているはず。
ところが、論文に掲載されているグラフを見ると、1980年以降に一旦は回復している。

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図8-85 「Nature Geoscience,10(2017)95」より

ということは、1980年前後の急激な減少・増加には自然変動が寄与していた、ということ。
にもかかわらず、「過去130年間で計3.2キロメートル後退した原因が自然変動である可能性は1%未満」と言い張るのは、やはり、「IPCC学派が科学的である可能性は0.001%あるいは10万分の1にとどまる」ことを露呈している。