再生可能エネルギー交響曲第4番「虚人軍は不滅です」

ニールセン「交響曲第4番(不滅)」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

さて、3月21日の投稿へのコメントに、たんぽぽ舎をどう思うか、という質問があったけど。
たんぽぽ舎って、何?
恥ずかしながら、初耳ですわ。
コメンテータ氏は「運動家でもない小市民だし」と言ってましたが、私めも「運動家(活動家?)」じゃありませんから。
はい。
むしろ、コメンテータ氏の方が市民運動に詳しいかと。
で、ググってみましたよ。

ふ~ん。
な~るほどね。

いまいち、判らんわ。
ダハハ。

NPOとは書いてないね。
人為的温暖化論には批判的みたいだから、共産党がバックにいるわけでもなさそうだし。
過激派くずれかも。

で、どういうスタンスを採ってるかというと。
「東伊豆風力発電所」建設費を原発被害の賠償に回すよう求める、って言ってるね。
その一方で、電力自由化に賛同してるね。
どうも、近藤邦明と同じスタンスのようですな。
けど、それが誤りであることは前回の投稿で解説したとおり。

ただね、節電プロパガンダを糾弾していることは評価できる。
これは極めて重要なポイントだからね。
4月26日の投稿で引用したけど、週刊ポスト2011年4月29日号が報じていたとおり、実のところ、電力は足りてる。
大手新聞社では、7月末になってようやく毎日新聞がしぶしぶ報道したようだな。


今夏の電力供給:揚水発電、2割過小評価…東電など7社
揚水発電の設備容量と供給力
経済産業省がまとめた今夏の電力需給見通しで、電力7社が水力発電の一種である揚水発電による電力供給力を、発電能力を示す設備容量より約2割(535万キロワット)少なく見積もっていたことが25日分かった。原発停止による電力不足で需給見通しに注目が集まる中、専門家からは「供給力を低く見積もる根拠を示すべきだ」との指摘も出ている。
揚水発電は、水力発電所の下流と上流に貯水池を造り、夜間に余っている電力を使って下流から上流に水をくみ上げ、日中の電力需要のピーク時間帯に放水する仕組み。
電力需給見通しは9電力会社の報告を基に経産省がまとめた。9社が公表した設備容量は計2621万キロワットだが、需給見通しは今年8月の供給力を2割少ない2086万キロワットと設定。最も差がある東京電力は設備容量1050万キロワットに対し、供給力は約3割少ない700万キロワットにとどまる。関西電力も設備容量506万キロワットに対し、供給力は449万キロワットと1割程度少ない。
東電は毎日新聞の取材に「夜間のくみ上げ量に限界があるため」と説明している。本来は主に原発の夜間の余剰電力を使って水をくみ上げるが、福島第1、第2原発の停止で余剰電力が減少しているため、揚水発電も設備容量通り使えないという。
ただ、専門家によると、揚水発電は、一般の水力発電に比べ雨量に左右されないため、設備容量通りの供給力を発揮しやすい。さらに、原発が停止しても、夜間の余剰電力は、原発以外の発電で代替できる。経産省の需給見通しで九州電力と北陸電力は供給力と設備容量が一致している。【大迫麻記子】


(毎日新聞 2011年7月26日 2時30分 (最終更新 7月26日 9時15分))

一方、8月6日の投稿で紹介したとおり、朝鮮日刊新聞は「西日本も、さあ節電だ」などと煽り立てていたけれど、実は、西日本も電力は足りてる。


全原発停止でも供給に余力
「西日本は電力不足」のウソ
政府と国のちぐはぐな安全対策と九州電力の不祥事が重なり、すべての原子力発電所が停止しかねない局面を迎えている。定期検査に入った原発の再稼働ができなくなることで、電力各社は「電力不足になる」と盛んに訴える。しかし、本誌の試算では、その事態を乗り越えられる余力があることが判明した。

「原子力発電所が止まれば電力不足に陥る」とはウソだった──。
原発再開の見通しが立たなくなり、電力会社は「原発停止により電力不足に陥る」と訴え、世論を動かそうとしている。特に中部電力を含めた西日本においては不安が広がっている。しかしながら、後述する本誌試算により、電力会社の言う「電力不足」には数字的根拠がないことがわかった。
まずは原発再開のメドが立たなくなった経緯について振り返ろう。
事の発端は、言うまでもなく福島第1原発の事故である。
原発は原則13ヵ月に1度定期検査を受けなければならない。検査後に国が認め、地元自治体の了解を得て再開の運びとなる。3月の事故後、収束時期も見通せないなかで、どの自治体も定期検査に入り停止した原発の運転再開に、お墨付きは与えられなかった。
輪をかけたのが5月の浜岡原発の停止だった。法律の枠を超えた菅直人首相の「要請」で、浜岡原発が停止した。その根拠はあいまいで自治体はなぜ他の原発が安全なのかを説明できなくなった。
他方で国は3月末に安全対策を指示し、電力各社もその対策を講じていた。海江田万里経済産業相は6月18日に安全宣言を出し、自治体へ再稼働を要請するために駆け回っていた。
混乱に拍車をかけたのは、またもや菅首相であった。7月に入って突如、別の試験を行うと発表した。原発の安全性を調べる耐性検査(ストレステスト)である。机上の計算とはいえ数ヵ月から半年の時間がかかる。国が安全宣言を出したにもかかわらず、菅首相自らがハシゴをはずしてしまった。
この間、運転再開を迎えようとしていた原発もあった。九州電力の玄海原発2、3号機だ。地震や津波の影響が最も少ない地域にあり地元感情もよく、稼働率も高い「優等生」だ。玄海町も一度は再稼働を認めていた。
ところが、耐性検査に加え九電のやらせメール問題が発覚した。国主催の佐賀県向けの住民説明会で九電が組織的に再稼働への賛成を促す工作を行っていた。地元との信頼関係は崩れ去った。
こうして原発は再稼働の見通しが立たなくなった。このままでは上図に示すように徐々に原発は止まり、来年3月は全体の4%に当たる209万キロワットしか運転していない見込みだ。
関西電力や九電などは原発停止を受け、盛んに電力不足を訴えた。世論もそう信じているが、本当に電力は足りないのだろうか。

1500万キロワットの余力に電力融通でまず問題ない
そこで本誌は余波の広がる西日本の設備について取材や資料を基に精査した。するとじつは電力が余っている実態が浮かび上がった。
試算の結果は上図に示した。試算方法は次のとおりだ。
まず各社の発表を基に西日本6電力会社における8月の最大需要と供給力を見た。安定的な供給力の目安となる「供給予備率」では、最低限の5%を下回る電力会社が6社中4社に上った。
確かに予備率5%を下回るとトラブル一つで停電の恐れもあるが、供給力は「言い値」にすぎない。そこで予備率5%を確保するのに必要な正味の電力をはじき出した。
次に、各社が国に申請した最大出力から8月の供給力との差を求めた。じつはこの差が自社内に隠された電力の余力、いわば“隠し玉”だ。中部電力は供給力の内訳を公表していないため本誌が他社受電の状況などから推計した。
結果として、原発が停止したまま8月を迎えても西日本で最大約1500万キロワットの余力があることがわかった。北陸電力の97万キロワットから関電の311万キロワットまでいずれも余剰電力を持っていた。
隠し玉として大きいのは長期停止中の火力発電所だ。西日本だけで計597万キロワットある。「復旧に数年はかかる」と電力会社は言うが、じつはいざというときのために廃止せず、眠らせていたもの。その一部を立ち上げることは当然可能だ。東京電力や中部電力も今回、実際に立ち上げている。
それとは別に今動かせる火力や水力などの発電だけでも余剰が計927万キロワットある。フル出力を出せるわけではないが、運用改善で一部をひねり出せる。
余力はそれだけではない。電力会社が大口の需要家と結んでいる、一時的に需要をカットする「需給調整契約」もある。ピーク時に供給が需要に追いつかない場合は、企業に需要を抑えてもらう代わりに電気料金を安くする契約だ。需要減を供給力と見なせば、100万キロワット以上は確保できている(四国、中国、中部電力は非公表)。
それでも足りないというなら6社間で電力を融通すればよい。この6社は60ヘルツ圏内で交流送電線で結ばれており、電力の融通は容易にできる。
たとえば、中国電力は昨夏の猛暑を原発なしで乗り切っている。今夏は島根原発2号機が動いており、100万キロワット程度は他社に送ることができそうだ。関西電力は応援融通を受ければよい。
北陸電力も供給予備率を1.8%としながらも、じつは他社に送る20万キロワットを自社の供給力に織り込んでいない。融通をやめるだけで5%台に予備率が戻る。
試算には入れていないが、このほかにも他企業の自家発電から買い増すこともできる。東電はすでに余った電力を西日本に融通することも表明している。
夏ではなく、冬場における電力不足の懸念もあるだろう。だが、同様に試算すると、やはり解決できそうだ。
四電は予備率がマイナス9.5%、九電も1.9%と単独では需給が逼迫するが、全体の供給余力は約2000万キロワットあり融通さえできれば問題はない(最大需要は10年1月最大3日平均値)。
夏も冬もあくまで数日間のピーク需要の5~6時間に備えるだけである。もしものときには前日の需要予測を基にして、節電を呼びかけるなどすれば、停電危機を避けることは大いに可能なのだ。
脱原発に賛成するかどうかは別として、「原発停止=電力がない」というのはウソである。赤字転落を防ぎたいための情報操作のそしりを免れない。電力会社が国民の信頼を失った今、供給力の数字を化粧でごまかすことは、さらに実態を悪化させる。電力各社は、正味の電力供給力と内訳を世に明らかにすべきだ。


(「週刊ダイヤモンド」編集部 小島健志)

そもそもだな、電力が足りないんだったら、こんな番組、放送するか?


見せたくない番組「ロンドンハーツ」8年連続1位
2011.5.17 07:46
親が子供に見せたくない番組として、テレビ朝日系のバラエティー番組「ロンドンハーツ」が8年連続で1位となったことが16日、日本PTA全国協議会の調査で分かった。「いじめや偏見を助長する場面が多い」などが理由。
2位は「クレヨンしんちゃん」、3位は「めちゃ×2イケてるッ!」。見せたい番組トップは「世界一受けたい授業」(日本テレビ系)。調査は昨年11月、全国の小学5年と中学2年、保護者計7651人が回答した。


(MSN産経ニュースより)

ググってみたら、「クレヨンしんちゃん」とやらもテレビ朝日だな。
ワン・ツー・フィニッシュとは。
さすが、東電から甘い汁吸ってた腐れ外道の朝鮮日刊新聞グループ。
私めはテレビ朝日どころかテレビ自体さえほとんど見ないんで、「ロンドンハーツ」とやらがどんな番組かは知らないけどね。
電力が足りないと喚き散らしている朝鮮日刊新聞グループのテレビ朝日が、下劣極まる番組を垂れ流し続けているという事実は、電力不足の虚構を露呈しておるわけだ。
(とは言うものの、私めのように見たことがないんだったら、見せたくないかどうかも判断しようがないわけで、だから、見せたくない番組で1位ということは、実のところ、その番組を見ているということだから、見る方も見る方だけどな。)

では、電力が足りてるのに、なぜ、足りないと吹聴しているのか。

たんぽぽ舎は、原子力を再稼動させるため、と決めつけているようだけど、それならば、再生可能エネルギーを喚き立てている朝鮮日刊新聞がなぜ節電プロパガンダの先頭をつっ走っているのか。
説明できないな。

考え得る唯一の答は、
欲しがりません勝つまでは
ということだな。
そういう社会状況を創り出すための節電プロパガンダなわけ。

8月14日の投稿でも紹介したとおり、現在の技術レベルにおいて、再生可能エネルギーではまともな発電は出来ない。
拙速な再生可能エネルギー普及でほんとに電力不足になる。
そのために、今から節電キャンペーンを打っておく。
これが一つの理由。
そして、まともに発電が出来ない癖に高値で買い取らせる。
そのためには、「欲しがりません勝つまでは」を国民に植えつけねばならない。
これが二つめの、そして、真の狙い。

再生可能エネルギーは「欲しがりません勝つまでは」と表裏一体。
すなわち、全体主義国家建設と表裏一体。
全体主義とは何か。
全体の利益を強調し、国民を総動員する。
しかし、その実態は、極々一部の者が国民から収奪する。
8月10日の投稿で解説したとおり、孫不正義が濡れ手に粟の利益を得ることになる再生可能エネルギー高値買い取りは正にそれ。
前回の投稿で解説したとおり、何の技術も持っていない投資ファンドなどが東電の送電網をかっさらうことになる発送電分離も、正にそれ。
8月18日の投稿で、竹中平蔵と結託して郵政民営化を推し進めた高橋洋一という豚野郎が「無計画な「計画停電」をやったので、もはや新規参入者の「品質」は批判できる資格はない」と嘯いていたことを紹介したけど、それが本末転倒な論理にすぎないことは明らかでしょ。

8月14日の投稿で紹介したとおり、朝鮮日刊新聞社説は「暮らしや価値観を変えていきたい」だの、「限りがある暮らしを考えるもよし」だのと言い放っていたけど、平均年収1300万円超の社会的強者が、しかも、東電から甘い汁を吸っていた連中が、そういうことを言う時は本当に危ないんだ。
ファッショのプロパガンダと見なして間違いない。

ところが、たんぽぽ舎も「もともと日本をはじめ「先進国」と呼ばれる「搾取する側」の国々はエネルギー浪費構造のもと世界中から資源を奪ってきたことは忘れてはならない。この反省に立つならば適切な規模にエネルギー消費量を削減すべきであり、電力だけで言うならば半減させる努力は必要だ」などと言い放ってるな。
確かに、先進国は搾取する側だったけれど、「半減させる努力は必要」などと言うのは、社会の支配層と一般国民をごっちゃにしているわけで、むしろ、本当に搾取してきた者は誰なのかという事実を歪曲する以外の何物でも無く、さらには、本当に搾取してきた者の罪を一般国民になすりつけているわけで、それこそ、朝鮮日刊新聞を始めとする全体主義勢力の思う壺。
う~む。
やっぱり、過激派くずれっぽいな、たんぽぽ舎。
元過激派って、視野が狭くて極端に奔りやすいからね。
“たんぽぽ舎”は名称を”ぽぽんた舎”に変えて出直した方がいいかも。
マスコットは狸のポポン太ね。

さて、8月6日の投稿では、再生可能エネルギーに関して、孫不正義と坂本龍一を採り上げたけれど、週刊文春の7月7日号によれば、と言っても、コンビニで立ち読みしただけだが、坂本龍一が孫不正義に「虚人」を紹介したらしい。
何言ってるか判らない人は、4月24日の投稿を見てちょ。

週刊文春2011年7月7日号の中吊り広告

この記事はクリーンヒットだね。
と言うのも、再生可能エネルギーが全体主義の一環を成すという真実の絶対の証が「虚人」だから。

説明しよう。
「虚人」はチョンコロ民主党が催した例の「事業仕分け」の仕分け人の一人だった。


事業仕分け:急先鋒「民間仕分け人」 厳しい判定連発
政府の行政刷新会議の三つの作業グループは12日、予算の無駄を洗い出す「事業仕分け」の2日目の作業をし、24項目、67事業について議論した。10年度予算の概算要求に盛り込まれた国道やダムの維持管理費を「10~20%縮減」とするなど、実現すれば数百億円の削減につながる判定を下した。
国会議員とともに10年度予算の事業仕分けにあたっているのが56人の民間「仕分け人」。学者や企業経営者、地方公務員など顔ぶれは多彩だが、その人選を見ると事業の大幅な削り込みを目指す行政刷新会議や財務省の思惑が透けて見える。
「なぜ地方ではできないのか」「厚生労働省の委託先財団トップの年俸は1200万円を超えている。適切なのか」--。2日間の作業で「民間仕分け人」は、急先鋒(せんぽう)となって地方と重複する事業などを糾弾。国から事業を受託しつつ、天下り先にもなっている独立行政法人や財団の「高コスト体質」にメスを入れ、「廃止」や「見送り」「縮減」の判定を次々と下した。
作業グループには、仕分け手法を編み出したシンクタンク「構想日本」関係者が5人前後ずつ送り込まれ、議論をリード。仕分け人のうち、東京都杉並区立和田中で、民間人校長として活躍し、公立学校再生のモデルを作った藤原和博氏や、国よりも先に仕分けを実施した神奈川県小田原市などの地方自治体職員は、構想日本代表の加藤秀樹・刷新会議事務局長が声をかけた。
仕分け人にはさらに、土居丈朗慶応大教授、BNPパリバ証券の河野龍太郎チーフエコノミストなど財政問題の専門家、フェニックス・シーガイア・リゾートの丸山康幸会長ら不振企業の立て直しに実績のある経済人も加わり、無駄洗い出しの両輪に。こちらは仙谷由人行政刷新担当相や刷新会議、財務省などが推したメンバーが多いという。12日の議論でも、公益法人などに積まれている基金を国に戻すべきだとの財務省の主張がほぼそのまま仕分け人の判定結果に盛り込まれた。
だが、厳しい判定を連発する仕分け人に対しては政府内から早くも「市場原理主義を推進する学者がずらりといる」(亀井静香郵政・金融担当相)、「何の権限があるのか」(事業官庁幹部)などの反発が出ている。判定結果は参考意見に過ぎない。仕分け作業を生かせるかは今後、鳩山由紀夫首相や仙谷氏がどこまで政府・与党内でリーダーシップを発揮できるかにかかっている。
◇基金返納も要請
この日の仕分けでは、「女性の健康支援対策事業委託費」(厚生労働省、概算要求4.9億円)などを「廃止」としたほか、公益法人などに積まれている基金を国庫に返納を求める判定も相次いだ。
国土交通省は10年度予算の概算要求に「直轄国道の維持管理費」(2325億円)、「直轄河川・ダムの維持管理費」(1254億円)を盛り込んだ。だが、仕分け人の判定はいずれも「10~20%縮減」に。さらに厚生労働省の水道施設整備費(818億円)も同様の結論となり、実現すれば440億~880億円程度、予算が圧縮されることになる。国交省の国営公園維持管理費(118億円)も「3年以内に20%縮減」するよう求められた。
公益法人関係では、農林水産省の「担い手支援貸付原資基金」(積立金797億円)などの基金について、法人に積んでおく必要性は少ないとして、国庫に返納すべきだと判断した。【赤間清広、谷川貴史、寺田剛】
◆民間仕分け人の主な顔ぶれ(敬称略)
<研究者・エコノミスト>
川本裕子(早大大学院教授)▽田近栄治(一橋大副学長)▽富田俊基(中大教授)▽石弘光(放送大学長)▽土居丈朗(慶大教授)▽松井孝典(東大名誉教授)▽中村桂子(JT生命誌研究館長)▽翁百合(日本総研理事)▽高橋進(日本総研副理事長)▽原田泰(大和総研チーフエコノミスト)
<自治体>
福嶋浩彦(前千葉県我孫子市長)▽海東英和(前滋賀県高島市長)▽山内敬(前高島市副市長)▽木下敏之(前佐賀市長)▽熊谷哲(民主党京都府議)▽神奈川県小田原、三浦、横須賀、厚木市職員
<市場アナリスト>
ロバート・フェルドマン(モルガン・スタンレー証券)▽市川真一(クレディ・スイス証券)▽河野龍太郎(BNPパリバ証券)▽高田創(みずほ証券)
<会社員・経営者>
丸山康幸(フェニックス・シーガイア・リゾート会長)
<その他>
石渡進介(弁護士)▽飯田哲也(NPO法人所長)▽梶川融(監査法人総括代表社員)▽藤原和博(大阪府知事特別顧問)


(毎日.jpより)

判る?
コイツらは国民の代表でも何でもないのよ。
外国人まで入ってることからも、それは明らかだろ。
(それ以外にもクズがウヨウヨしてるけど。)
そもそも、事業仕分けは予算の問題だから、国権の最高機関(憲法41条)であり、全国民を代表する(憲法43条)国会で論じなければならないんだよ。
それは憲法83条に明記されてる。
コイツらの意見が聞きたいのなら、国会に喚んで意見徴集すべきなんだ。
国会の頭越しに、国民の代表でも何でもない連中が勝手に仕分けする事は、民主主義への朝鮮、じゃなかった、挑戦と言っても過言じゃない。

実際、仕分け人の一人は次のように告白してた。


元官僚「仕分け」を陰で推進…鳩山政権100日
民間からの知恵を借りて、各省の予算に大なたを振るった「事業仕分け」作業――。鳩山政権の看板政策を陰で推進したのは、元官僚の松井孝治官房副長官(49)だった。
松井氏が愛用しているノートパソコンには、自らが6年前に起案した「民主党政権100日改革プラン」の草稿が大切に保存されている。
〈首相直属のもと、民間人をヘッドに強力な「行政評価会議」を設立する。既存政府施策の必要性、内容の可否などについてゼロベースで検証する〉
2003年11月の衆院選直前に、菅直人代表(現・副総理)時代の民主党政権準備委員会が作成したものだ。旧通産官僚で、01年の参院選で初当選した松井氏は、「橋本行革」に取り組んだ実績をかわれ、作業に携わった。
その後、松井氏は、旧知の加藤秀樹「構想日本」代表(59)が「事業仕分け」を行うことを提唱し、岐阜県など地方自治体で実績を上げていることを見聞きし、国の予算でも、事業仕分けの手法を採り入れたいと、思うようになったという。
民主党は、今年4月から6月にかけて、構想日本の協力を得て、各省に資料要求をしたうえで、独自の事業仕分け作業を実施した。政権交代後の「予行演習」を狙ってのことだった。
だが、加藤氏からは、松井氏に、こんな苦言が届いた。
「民主党の議員は不勉強で、官僚への質問も甘い。腹をくくっていない」
衆院選での政権交代が視野に入った夏のある日。松井氏は、鳩山首相の側近として知られる民主党の平野博文・役員室担当(当時。現・官房長官)を加藤氏に引き合わせた。
民主党の政権公約(マニフェスト)に盛り込んだ重要政策の財源を生み出すためには、首相直属の強力な力を持つ行政刷新会議を設置し、予算に切り込むしかない。そのためには、同会議に「元祖事業仕分け」の加藤氏の力を借りようと考えたのだ。
「この方ならいいんじゃないか」
平野氏の言葉に、松井氏はほっと胸をなで下ろした。
政権発足後、松井氏は、官房副長官として、重要政策の調整に奔走し、事業仕分けに関する事務作業からは手を引いた。代わって、大きな役割を果たすようになったのが、行政刷新会議の事務局長に就任した加藤氏ら構想日本に連なる人脈だった。
事業仕分けの判定で使用する対象事業の目的などを記した「事業シート」を中心になって考案したのは、構想日本の「仕分けチーム」メンバーで政府の仕分け人にも選ばれた小瀬村寿美子・厚木市人権男女参画課長(50)だった。自治体で実施した事業シートを国用に応用した。外部の知恵が生かされたわけだ。
だが、仕分け人の中に、結果として、構想日本の関係者が増えたことには、「仲の良い人を集めただけのサークルではないか」との指摘も出ている。
政府が、仕分け人を「官職ではない」と説明して、制度上の位置づけや権限を明確にしなかったことも混乱に拍車をかけた。
仕分け人のひとり、横浜市立大の南学・学務教授(56)は、「選挙で選ばれた国会議員や、国家公務員試験を通ってきた官僚は、それぞれちゃんとした基盤がある。それに比べて、民間からの仕分け人は、どこの誰が、どういう基準で選んだのかが分からない。それが一番気になるところだった」と振り返る。
理念だけが先行して、手続きや制度は後から考える――。松井氏の「7年越しの夢」は鳩山政権の手法のまずさも浮き彫りにした。


(2009年12月26日03時04分  読売新聞)

ところが、「虚人」はと言うとだな。


日本のエネルギー政策の民主化を
情報とマネーとエネルギーの三つは、現代文明に欠かせないある種の「メディア」(媒介物)の役割を果たしている。見えにくく意識しにくいが故に、その有り様がその国や社会の政治と民主主義の成熟度や変化を表象している。
情報は、かつての情報公開の段階から、今やインターネットやフェイスブック、ウィキリークスまで生まれ、誰もが共有し、受け手であると同時に発信者という方向に大きく変わってきた。マネーも、リーマンショックやギリシアの通貨危機が起きて、ローカルに主体的な管理が意識されてきた。
その二つに比べ、エネルギーは「国策」として国民に閉じられてきた。その民主化の遅れが、福島第一原発事故という歴史的な大事故を招いた真因の一つであることが、その事故によって白日に晒された。
地域の自立とエネルギーの主権を私たちが取り戻すことが必要であり、今やそれを可能とする自然エネルギーという選択肢がある。
飯田哲也 (環境エネルギー政策研究所)


(夷罠深書店「世界」2011年7月号目次より)

本文は読んでないけど、これで十分だろ。
「事業仕分け」という民主主義への挑戦に加担しながら「民主化」だと!
しかし、それも当然。
これを見ろ!


麻生内閣支持率が急落17.5%に
共同通信社が13、14両日に実施した全国緊急電話世論調査で、麻生内閣の支持率は17.5%と5月の前回調査から8.7ポイント急落、不支持率は10.4ポイント増の70.6%となった。
政党支持率も民主38.5%に対し、自民は19.8%。電話世論調査を開始した宮沢内閣以来、野党時代を除いて最低となった。次期衆院選比例代表の投票先でも47.8%の民主が、18.7%の自民をリードした。
西松建設巨額献金事件をめぐる民主党の小沢一郎前代表の対応という「敵失」で回復していた支持率が、再下落したことで麻生太郎首相の衆院解散戦略に影響を与えるのは必至。今後、与党内で「麻生降ろし」が再燃する可能性もある。
日本郵政の西川善文社長の進退に関しては「辞任すべき」が75.5%で、「社長を続けるべき」の17.2%を大幅に上回った。西川氏の再任に反対した鳩山邦夫前総務相を事実上更迭した麻生首相の対応を「評価する」は17.5%にとどまり、「評価しない」は74.8%だった。
「どちらが首相にふさわしいか」への回答では、民主党の鳩山由紀夫代表が50.4%と、麻生首相の21.5%を大きく引き離した。望ましい政権の枠組みでも「民主中心」35.9%、「政界再編による新しい枠組み」28.0%、「自民中心」14.9%、「自民、民主の大連立」14.7%の順。
2020年までの日本の温室効果ガス排出削減の中期目標を「05年比15%減」とする首相方針について「削減幅が大きすぎる」が57.6%と最も多く、「妥当な水準」の26.5%、「削減幅が小さすぎる」の4.9%の順となった。
内閣の支持理由は「ほかに適当な人がいない」の44.3%が最多。不支持理由は「指導力がない」の23.0%がトップだった。自民、民主以外の政党支持率は公明2.1%、共産2.0%、社民1.8%、国民新0.5%、改革クラブ0.1%、新党日本0.1%、支持政党なしは33.4%だった。(共同)
[2009年6月15日18時57分]


(日刊スポーツより)

ところが、環境NGOという名の「虚人軍団」が喚き散らし、3月21日の投稿で紹介したとおり、東電から甘い汁を吸ってきた朝鮮日刊新聞が主催した「朝日地球環境フォーラム2009」とやらにおいて、鳩の糞山が国民を無視して、15%どころか、CO2排出25%削減を宣言したんだな。
「国民に閉じられてきた」のはテメエらだろ!
だからこそ、「国民主権」ではなくて「エネルギーの主権」などという意味不明な言葉を使ってるわけだ。
「虚人」が「虚人」たる所以だな。

また、8月14日の投稿で指摘したけど、「地域の自立」というプロパガンダこそが、地方への原発誘致を招いたんだ。
ついでに言うと、「虚人」が嘯く「地域の自立」というのは、朝鮮日刊新聞と民主党が推し進めようと図る「地域主権論」に他ならないけど、それも徹底した新自由主義の思想に根ざしてるんだな、これが。
(例えば、こちらのサイトこちらのブログを参照せよ。共産党系みたいだけど、正しいものは正しい。)

もう、判ったな。
国家総動員を国民参加と思い込ませる。
全体主義を民主主義と思い込ませる。
4月23日の投稿で指摘した「進化したファシズム」。
これだ!
その象徴が、事業仕分けであり、25%削減であり、節電プロパガンダとその上に乗っかった再生可能エネルギー高値買い取り、というわけ。

さて、ここで、面白い物を見てもらおうかね。


公正な社会を考える民間フォーラム
原発事故による巨額の損害賠償をどう処理するのか。4、5月頃には「東電の賠償額に上限を設定するのか」「金融機関の債権カットを求めるのか」などで議論が紛糾し、メディアでも一時話題になったが、結局その後、政府は「原子力損害賠償支援機構」を新設する処理スキームを決定。東京電力を破たんさせることなく、電力料金値上げなどの形で負担を求める方式が決められた。政府はこのスキームを法案化して6月に国会提出。7月に入って審議入りし、11日からは衆議院での委員会審議が始まった。
原発ストレステスト騒ぎなどもあって、この問題への関心は薄れた感があるが、この法案は、端的にいえば、特定利権のために法治主義の原則を平然とねじ曲げるような法案である。ほかの幾多の問題に紛れ、いつの間にか、こうした法案がそのまま(ないし若干の修正を経て)成立するような事態は、避けなければならないと考える。
こうした問題意識のもと、7月12日、以下5名の呼びかけで、民間有志「公正な社会を考える民間フォーラム」による「原発事故の損害賠償に関する公正な処理を求める緊急提言」を発表することになった(五十音順)。

池田信夫(株式会社アゴラブックス代表取締役)
久保利英明(弁護士)
八田達夫(大阪大学招聘教授)
原英史(株式会社政策工房代表取締役社長)
福井秀夫(政策研究大学院大学教授)

・・・中略・・・

公正な社会を考える民間フォーラム(2011年7月11日現在)

青山 貞一(東京都市大学大学院教授)
池田 信夫(株式会社アゴラブックス代表取締役)
飯田 哲也(環境エネルギー政策研究所所長)
戎 正晴(弁護士・明治学院大学教授)
大島 堅一(立命館大学教授)
小野 直樹(東京都市大学大学院教授)
海渡 雄一(弁護士)
加藤 久和(帝京大学教授、名古屋大学名誉教授)
久保利 英明(弁護士)
島田 晴雄(千葉商科大学学長)
只野 靖(弁護士)
田中 優(未来バンク事業組合理事長)
田原 総一朗(ジャーナリスト)
常木 淳(大阪大学教授)
中川 雅之(日本大学教授)
八田 達夫(大阪大学招聘教授)
原 英史(株式会社政策工房代表取締役社長)
原科 幸彦(東京工業大学大学院教授)
福井 秀夫(政策研究大学院大学教授)
堀 義人(グロービス経営大学院学長)
村辻 義信(弁護士)
山崎 福寿(上智大学教授)
八代 尚宏(国際基督教大学客員教授)
屋山 太郎(評論家)
除本 理史(大阪市立大学大学院准教授)
吉田 修平(弁護士)


(「原発事故の損害賠償に関する公正な処理を求める緊急提言」より)

キャハハ。
「虚人」は何て言ってたかな~。
もう一回引用するぜ!


「温暖化懐疑論」を論拠にしたエコノミストからの批判もあるが(例えば、池田信夫「温室効果ガス『25%削減』というポピュリズム)、これらは無視してよい。温暖化サイエンスの世界であれば、学問論争として、温暖化仮説に対する異論は当然認められるし、実際にそのような「亜流説」を唱える人は存在する。しかし、圧倒的に少数派である上に、政策論から見れば、「予防原則」に反するのだ。人類と地球の未来を、そんな危なっかしいギャンブルに賭けられるわけがない。温暖化サイエンスの専門家ではない知識人が政策論を展開するなら、温暖化サイエンスの領域に関しては圧倒的に「主流」の学説を前提に議論すべきであろう。最低限、そのバランスは必要だ。しかし、明らかに亜流の「温暖化懐疑論」だけを論拠に、また予防原則などお構いなしに、政策論を発言すること自体が、「知識人」として不適格といってよいだろう。


(「予防原則を解さず「地球温暖化懐疑論」を振り回す池田信夫」より)

プハ~。
「知識人として不適格」と弾劾したくせに、しかも、「無視してよい」とまで言い切ったのに、真っ先駆けてその呼びかけに応じるとはな。
さすが、「虚人軍」の3番打者。
役者が違うの~。

例の「村野瀬玲奈の秘書課広報室」は「あの池田信夫氏がこのような提言を主導するということの背景を読み解くことは私には荷が重いです」って言ってるけど、「虚人」の方に注目して欲しかったな。
(8月18日の投稿で解説したとおり、東電を破綻させよ、というのは、ネオリベの策略。)

もう一つ。
私めはTwitterなんかに興味ないので知らなかったけど、「虚人」はこんなこと呟いてたらしい。


どうしてそういう歪んだ理解になるのか理解不能。「周知の事実」は真逆。ほとんどが否定されており、日本語だけで閉じた日本村だけの井戸端会議レベルでしかない。→ 温暖化人為説は、捏造・改竄も発覚し、学会のピアレビューも、様々な圧力があり人為説以外の学説を排斥してきたこと、公平な場には程遠いことは、その筋の人たちには周知の事実です。


(「飯田哲也氏のTwitterでは「地球温暖化」が議論になっている」より)

言うまでもないけど、人為的温暖化論批判は海外の方が遥かに進んでる。
だからこそ、NHLのスーパースターことマイケル・マンがRealClimateを立ち上げざるを得なかったわけだし、何よりも、例のクライメートゲートを思い起こせば明らかだろ。
我国で人為的温暖化説批判の代表選手と目されている一人に伊藤公紀がいるけど、彼の批判も、ハッキリ言ってしまえば、海外勢の受け売り。
「温暖化人為説は、捏造・改竄も発覚し、学会のピアレビューも、様々な圧力があり人為説以外の学説を排斥してきた」というのも海外の情報。
「日本語だけで閉じた日本村だけの井戸端会議レベルでしかない」との言い草は、よくも吹いたり、というレベルの法螺。
やっぱり、「虚人」だわ。
けど、4月28日の投稿で紹介したとおり、ゴミ山宏も同じ嘘を吐いてた。
人為的温暖化の旗振り役二人が全く同じ嘘を吐いているという事実は、それがファシズム勢力のシナリオである事を露呈してるんだな。

さらに言えば。
たとえ、日本人だけが主張していたとしても、それが正しいのならば断固として主張しなければならない。
(例えば、欧米によるアフガンやイラク侵略がその好例。)
にもかかわらず、「日本語だけで閉じた日本村だけの井戸端会議レベルでしかない」との言い草は、正にファッショの論理であり、コヤツの騙る「民主化」の虚構を露呈しているわけ。

また、上で指摘したとおり、「環境NGO語だけで閉じた環境NGO村だけの井戸端会議レベルでしかない」朝日地球環境フォーラム2009において、国民を排除してCO2排出25%削減を強要しておきながら、あべこべに「日本語だけで閉じた日本村だけの井戸端会議レベルでしかない」との言い草は、国民を愚弄する以外の何物でも無く、やはり、コヤツの騙る「民主化」の虚構を露呈しているわけ。

「虚人」がまるで時代のリーダーのように持て囃されているという状況は、人為的温暖化論の反民主性を、再生可能エネルギーの反民主性を、そして、民主主義の危機をくっきりと映し出してる。
今、我国の民主主義は瀕死の状態だ!
危ない!
非常に危ない!!

あの不思議にして万能の「再生可能エネルギー」

ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」より「あの不思議にして万能の」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

家族に聞いたんだけど、今日の午前中、残念ながら我が家の庭じゃないけど、ミンミンゼミの鳴き声が聞こえたそうです。
近頃、ミンミンゼミを聞いたことがなかったから、これは嬉しいな、と。

さて、本題に入って。
例の「村野瀬玲奈の秘書課広報室」で知ったんだけど。
日経がこんな記事書いてたと。


再生可能エネルギーに関する五つの誤解
電力危機の中、太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギーが話題になっています。テレビでもそれを取り上げた番組を見ない日はないほど。ところが、残念ながら、再生可能エネルギーに否定的なコメンテータの方の多くは、再生可能エネルギーを事実に基づいて正しく理解していない、つまり誤解しているようです。誤解しているから、否定的なのでしょうけど。幸い、その誤解の多くは事実を知れば解消するものがほとんどです。ここでは、その解消を試みようと思います。
いくつかある誤解を整理すると、再生可能エネルギーは、(1)発電コストが高い、(2)太陽電池は大量導入しても発電コストが下がらない、(3)既存の発電源(例えば、原子力発電など)とは量的に対抗できない、(4)広大な土地が必要、(5)出力が大きく変動する、と五つぐらいになるようです。

太陽電池の価格は5年前の半額以下に
(1)の発電コストが高いという主張は多くの場合、太陽電池について、資源エネルギー庁の「49円/kWh」というデータに基づいています。ただし、これはその資料に書いてある通り2001年の数字。10年前のデータです。
今はいくらかと言えば、多くの国・地域で18~20円/kWh前後であると見積もる調査会社が多いようです。太陽光発電を大量に導入中のドイツでは、FITと呼ばれる固定価格買い取り制度での価格が24~33円/kWh(20年間)になっています。この価格は、太陽電池を購入、設置して、発電した電力をこの価格で電力会社に売電することで、遅くとも20年後までには、初期投資を償却して利益が出るという水準に設定してあります。つまり、実際の発電コストはこれより低いことになります。
太陽電池以外の再生可能エネルギー、例えば風力発電では既に発電コストが約10円/kWh。電力系統安定化対策費というコストを考慮しても12円/kWhほどになっています。「日経エレクトロニクス」の7月11日号のワールド・レポートでは、スペインでの風力発電の導入状況について詳しく紹介しています。
それでも「7~9円/kWh」などとされる天然ガスを用いた火力発電の発電コストより高い、といえば確かにその通りです。しかし、再生可能エネルギーの発電コストは今後さらに下がることが確実なのです。
コストが下がるという見方に対しては、(2)の、太陽電池は大量生産してもコストが下がらない、という「反論」があります。太陽電池も半導体の一種ですが、太陽電池には集積回路でのムーアの法則が成り立たないというのが主な論拠です。集積回路では、製造技術の微細化によって集積度を上げると、同じ回路規模(あるいは機能)であればチップが小型になる、つまり必要なSiの資源量が下がる、その結果として同機能のチップの製造コストは急速に下がります。確かに多くの太陽電池ではこの法則が成り立ちません。集積回路を使うわけではないし、ましてや(集光式用の太陽電池を別にすると)チップを小型化しても意味がないからです。
実際には、太陽電池には「太陽電池版ムーアの法則」があります。これは、単純に言えば大量生産すれば製造コストが安くなるという「法則」で、液晶パネルの価格が大きく下がってきたのもほぼ同じ理由です。つまり、たくさん製造すればするほど、さまざまな技術の改良、習熟、標準化に加えて、調達コストや運搬コストの低下などが積み重なる結果、製造コストが低下します。なのでその価格の低下曲線は「習熟曲線」と呼ばれます。
太陽電池の場合、過去20年近くも「累積生産量が2倍になれば、製造コストは20%下がる」という習熟曲線に沿って価格が下がってきました。前述のドイツの太陽光発電の電力の買い取り価格は数年前の半額以下に下がっています。日本での太陽電池パネルの価格も、5年前には1kW当たり100万円近くした製品がありましたが、今では国産のものでも同40万円台の製品があります。この数年で爆発的に生産量が増えたことが背景にあります。
今後もこの「太陽電池版ムーアの法則」が成り立つとすれば、発電コストが現在の半分の約9円/kWhに下がるには、累積導入量が現在の16倍になればよい、という計算になります。ちなみに、世界の太陽電池累積導入量は過去5年で約20倍になりました。風力発電はもちろん、太陽電池でも天然ガス並みの発電コストの実現はそれほど遠い将来のことではなさそうです。

ドイツでは、太陽光発電がピークカットに多大な貢献
(3)の、再生可能エネルギーは導入量が小さいという見方も、すでに過去の話です。ドイツでは2010年に定格7.6GW(760万kW)分、イタリアでも同3.8GW分の太陽電池がたった1年で導入されました。世界での太陽電池の生産能力は、約20GW/年(関連記事)に達しています。つまり、出力ベースでは原発20基分が1年で生産可能になっています。
ドイツでは、太陽電池の累積導入量も2010年末までに定格17.3GWに達し、同国の全電力源の2割超を占めるまでになっています。ただし、太陽電池は夜間発電できず、天候にも左右されるため、発電量でみるとその影響は出力ベースで見た場合の1/8~1/9に低下します。その結果、太陽電池の年間発電量は、ドイツでも全消費電力量の3%ほどです。しかし、総発電量が出力よりも重要だ、とは必ずしも言えません。現在の日本で大きな課題になっている「ピークカット」には、総発電量よりも出力の大きさがものを言います。
例えば、ドイツFraunhofer Instituteが6月に発表した資料によれば、2011年5月のドイツでの太陽光発電量による出力は最大で13.2GWに達しました。昼間増加する電力需要の半分近くを太陽電池でカバーし、ピークカットに多大な貢献をしていることが分かります。
公正を期せば、ドイツの5月は1年でも最も晴天率の高い季節。一方、冬のドイツは天候が悪く太陽の高度も低いため、出力ベースでみても太陽光発電の貢献度は小さいというデータもあります。ただ、日本の太平洋側ではこうした季節による出力の差はずっと小さいのです。

スペインでは風力の発電量が43%を占めた日も
一方、スペインでは、風力発電が全設備容量の2割超を占めるまでになりました。風力発電の出力は、夜間むしろ高くなり、しかも昼間もゼロにはならないので、発電量でもやはり2割を超える貢献をしています。全体の消費電力が小さかった2010年11月9日には、風力発電の発電量が相対的に高まり、43%を占めました。再生可能エネルギーはその気になれば、比較的短期間に大量に導入できる、というのが事実なのです。
(4)の広大な土地が必要という話は、以前のブログ「原発と太陽光発電,実は似たもの同士」でも書きましたが、話の前提や比較対象によって意味が全く変わってしまいます。
太陽電池を建物の屋根に設置するなら、必要な占有面積はゼロとも言えます。一方、非常に残念ですが、原発は一度大事故を起こすと、「1基約0.6km2の敷地で済む」とはとても言えないことも分かってしまいました。福島県で避難対象になった地域だけでも、東京・山手線の内側の面積の10倍以上になっています。事故後でさえも「原発で必要な敷地は、太陽電池に比べて小さい」と主張する学者はおられますが。

導入すればするほど、急激な出力変動は小さくなる
最後に(5)の、再生可能エネルギーは出力変動が大きいという誤解について触れます。私の取材経験では、太陽光発電や風力発電に携わっている方でさえも、「誤解」されている方がおられるようです。
確かに、太陽光発電は太陽電池パネルごとで見る限り、天候や太陽の位置によって出力が変わります。風力発電も風車1基ごとに見る限り、出力が風まかせで、太陽光発電以上に大きく、そして激しく出力が変わります。これ自体は誤解ではありません。
しかし、いくつかの地域に分散した太陽電池、あるいは風車の発電出力を合計していくと、多くの場合、個々の変動が相殺して、タイムスケール(時間幅)が小さい急激な変動はどんどん小さくなります。導入量を増やせば増やすほど、そしてそれが広い地域に分散しているほど変動を相殺する効果が大きくなるのです。産業技術総合研究所はその様子を説明したWebページを設けています。この点は、意外に知られていないと感じます。
全設備容量/発電量の2割を風力発電が占めているスペインで、出力変動で電力系統が破たんしないのも、この変動の相殺によって、全体としては急激な出力変動が非常に小さくなっているためです。数時間以上のタイムスケールでは、出力変動は依然大きいですが、これは予測できさえすれば、十分な対処が可能で、実際にスペインではそれをやってのけています。その様子は、スペイン唯一の送配電会社Red Electrica Espana(REE)社が、半ばリアルタイムで公開しています。スペインの電力系統は、他の欧州諸国との連系線の容量が非常に小さいため、「他国との電力の融通ができない日本とは違う」とも言えません。
最近よく聞く、「太陽電池や風力発電は出力変動が大きいので、蓄電池で出力を平準化する必要がある」という議論は間違いではないのですが、電力系統での出力の平準化は、導入量を増やすことでも実現可能であることは知っておきたいと思います。


(「日経エレクトロニクス雑誌ブログ」より)

宜しい。
これを認めようじゃないの。
しかし、そうすれば、再生可能エネルギー高値買い取りの、そして、発送電分離の邪悪な本性が露呈するだけなんだな。

それを論ずる前に、再生可能エネルギーと発送電分離を正当化する論理を再確認しておこうかね。
8月18日の投稿で引用したけど、もう一度引用するぜ。


発送電分離―安定供給のためにこそ
菅直人首相が、エネルギー政策を見直すなかで、発電と送電の事業者を切り離す「発送電分離」についても検討していく考えを明言した。
原発事故の早期収束や賠償問題など眼下の課題解決を優先させるのはもちろんだが、エネルギー政策の転換や普及には長い時間を要する。早く議論を始めるにこしたことはない。
首相の方針表明に賛意を示すとともに、言いっ放しに終わらせぬよう、政府を挙げた取り組みを期待する。
耳慣れない言葉だが、発送電分離は1990年代以降、すでに欧米各国で広く採り入れられている。
日本でも2000年代初頭に一度は検討された政策だ。
当時は、競争政策の一つとして議論された。電力各社は地域独占的な事業形態が認められ、基本的にあらゆるコストの回収が保証されている。これを改めて、発電と送電の事業会社を分けることで新規参入を促し、それをテコに経済を元気づけようという狙いだった。
しかし、実現には至らなかった。最大の理由は「電力の安定供給ができなくなる」と、電力業界が激しく抵抗したことだ。
だが、今回の震災と原発事故で、1カ所に集中して巨大な発電所をつくるやり方や地域独占による閉鎖的な経営形態は、いざという時の安定供給にとって大きな阻害要因になることがはっきりした。
むしろ、小規模でも多様な電源による発電事業者を消費地近くに多く分散配置した方が、結果的に安定供給に資するとの認識は、これまで以上に高まっている。かつては電気料金を下げる効果が期待された発送電分離が、いまや電力の安定確保のための具体策として、その意義が語られているのだ。
さまざまな自然エネルギーの活用を進めるためにも、分散型への転換が望ましいのは明らかである。
ただ、電力会社が地域独占の維持を主張してきた裏には、原子力発電という「国策」を、民間企業が肩代わりして進めるために必要なのだという理由づけがあったのも事実だ。
菅首相が本気で発送電分離を進めるのであれば、個々の電力会社に半強制的に担わせてきた原子力政策そのものを再検討して、国が責任を持つ部分と、民間事業者や市場経済に任せる部分との線引きを、きちんとやり直すことが欠かせない。
電気を使う側の私たちも、どんな形態が望ましいのかを真剣に考えるときだ。


(2011年5月20日の朝鮮日刊新聞社説)

或る地域は曇りでも、別の地域では晴れているし、或る地域では無風でも、別の地域では風が強いから、日経が主張するように、「広い地域に分散しているほど変動を相殺する効果が大きくなる」ことは確かだけれど、それを有効化するには、一箇所で電気を集め、一箇所で分配・送電する必要があるわけ。
つまり、究極の中央集権管理システムが必要なわけ。
だからこそ、スペインでは「唯一の送配電会社Red Electrica Espana(REE)社」が独占してる。
要するに、究極の独占。
朝鮮日刊新聞は「地域独占」と喚き散らしてるけど、それどころの騒ぎじゃないよな。

たとえ、1社独占体制でなくても、「広い地域に分散しているほど変動を相殺する効果が大きくなる」には、すなわち、再生可能エネルギーを有効化するには、最低限、現在の日本の「地域独占的な事業形態」が必要だろ。
ならば、再生可能エネルギーとやらも、電力会社に任せればいいわけだ。
「多様な電源による発電事業者を消費地近くに多く分散配置した方が」などと嘯いているけれど、原子力発電を「個々の電力会社に半強制的に担わせてきた」のだから、再生可能エネルギーとやらを普及させたいのであれば、今度は、それを「電力会社に半強制的に担わせ」ることが出来ないはずが無かろう。
「実際の発電コストはこれより低いことになります」だの、「再生可能エネルギーはその気になれば、比較的短期間に大量に導入できる、というのが事実なのです」だのと言い張るのであれば、なおさらの事だな。

もはや、再生可能エネルギー高値買い取りと発送電分離を喚き立てている輩の邪悪な意図は明白だろ。
「さまざまな自然エネルギーの活用を進めるためにも、分散型への転換が望ましいのは明らかである」などと嘘八百を垂れ流し、返す刀で、我国の電力会社を「電力各社は地域独占的な事業形態が認められ、基本的にあらゆるコストの回収が保証されている」だの、「地域独占による閉鎖的な経営形態」だのと罵り、その送電網を手放させ、実のところ、それを外資に独占させようとの魂胆なわけ。
4月15日の投稿で紹介したとおり、朝鮮日刊新聞が、送電網を手放してハゲタカファンドのTCI様に差し上げろ、と喚いてたけど、それも理の当然。

ドイツがこうだの、スペインがああだのと、外国を美化し、返す刀で、日本を貶めようと謀るのも実はそのため。
「全体の消費電力が小さかった2010年11月9日には、風力発電の発電量が相対的に高まり、43%を占めました」なんて言い張ってるけどね。
日本と西欧とでは自然条件が違うの。
8月14日の投稿で紹介したとおり、日本では西欧のような風力発電は不可能。
だから「スペインでは、風力発電が全設備容量の2割超を占めるまでになりました」なんて言っても全く無意味。
そもそも、人口が違うのに単純な比較をするのも無茶。
我国は西欧と違って島国で、急峻で平地が少なく、それなのに、人口は西欧諸国よりもずっと多いのよ。
「広大な土地が必要」という反論が出てくるのは当然だろ。
我国と西欧との違いを理解しないで再生可能エネルギーを喚き立てることこそ、「再生可能エネルギーを事実に基づいて正しく理解していない」以外の何物でもない。
しかしね、再生可能エネルギー高値買い取りと発送電分離を喚き立てている連中が、我国の自然環境を顧みないのも当然なんだな。
上で指摘したとおり、連中の狙いは我国を外資に乗っ取らせることだから、我国の自然環境を顧みるはずもないわけ。
前回の投稿でも指摘したけど、庭に一本の木もない家庭が、庭に木が生い茂った家庭に太陽光発電を押し売りできるのも、自然環境を顧みない「再生可能エネルギー」の当然の帰結なんだ。

3月21日の投稿へのコメンテータ氏は「今はどこの誰を信じていいか途方にくれているのです」と訴えていたけれど、逆に、考えてみる。
再生可能エネルギー高値買い取りと発送電分離を喚き立てている連中は何を信じているのか、ってね。
もちろん、答えは「金(かね)」。
それだけ。
だから、「どこの誰を信じていいか」という設問は「金だけを信じているような輩を信じていいか」という設問と同じなのよ。

8月18日の投稿で紹介したとおり、朝鮮日刊新聞は、原発利益共同体の中枢に居座って、東電から甘い汁を吸い続けていたわけ。
それなのに、2011年7月26日の社説では、ヌケヌケと「他の企業と同様に破綻(はたん)処理をすべきだ――。これまでの社説で、私たちはそう主張してきた」などと言い放っていたな。
自らが率先して原発の広告を掲載し、金をせしめていたのならば、だんまりを決め込むか、それとも、黄泉売り新聞のように原発を擁護するしかないはずだろ。
にもかかわらず、平然と東電を批判出来るのも、実のところ、金が全てだから。
金さえ得れば、どうでもいいわけ。
金、金、金。
それが全て。

もちろん、再生可能エネルギー高値買い取りを喚き立てている連中は皆同じ。
上で指摘したとおり、また、8月10日の投稿でも指摘したとおり、再生可能エネルギーとやらを普及させたいのならば、それを電力会社に義務づければよく、そうすれば、高値買い取りなど必要ない。
たとえ、若干のコストがかかるとしても、これまで「基本的にあらゆるコストの回収が保証されて」きたのだから、「風力発電はもちろん、太陽電池でも天然ガス並みの発電コストの実現はそれほど遠い将来のことではなさそうです」ならば、それまでは電力会社に負担させればいいじゃないか。
そうなれば、電力会社も負担をできる早く無くすために、再生可能エネルギーの普及を早めなければならなくなるはずだろ。
それなのに、高値買い取りが必要と言い張るのは、金のみが目的としか考えられないな。

その証拠に、8月18日の投稿でも指摘したけど、再生可能エネルギー高値買い取りと発送電分離を喚き立てている輩の誰一人として、朝鮮日刊新聞を糾弾しない。
こちらのブログ主は、朝鮮日刊新聞が原発を称揚していた事実に詳しいようだけど、結局は「自らにとって都合の悪い部分を「黒歴史」にしてしまおうという姿勢では、朝日新聞はますます見放されていくばかりだろう」で済ましてるな。
反省さえしてくれれば、としか聞こえないね。
一方、私めはと言うと、8月18日の投稿で引用した赤旗の記事を見るまで、朝鮮日刊新聞がそこまで原発に入れ込んでいたとは知らなかったわけ。
(赤旗の記事は6月末だけど、赤旗の記事を知ったのは8月に入ってから。)
むしろ、朝鮮日刊はどちらかと言えば反原発寄り、と思い込んでいたくらい。
それでも、4月15日の投稿では「アカヒ新聞購読層が購読を止めて、その分を寄付するならば、なんと!毎月240億もの大金を原発被害者や震災被災者に回せるのです」と訴えたよな。
ところが、赤旗の記事の後も、再生可能エネルギー高値買い取りと発送電分離を喚き立てている輩は、誰一人としてそのような事さえ言わない。
それはナゼか。
要するに、連中の価値観も「金(かね)」だから。
朝鮮日刊新聞を糾弾することは自らを否定することだから。

もう一度、繰り返すけど。
再生可能エネルギー高値買い取りと発送電分離の目的は「金(かね)」。
ひたすら、「金(かね)」。
これまで、環境にも原発にも何の問題意識も持たなかった孫腐正義が、突如としてしゃしゃり出てきたのはその絶対の証。


この不思議な全能の金属のことを考えると、
活火山におれの心はもうなりはじめたぞ、
そうだ、この金属のことを考えると、
おれの心は活火山になりはじめる。
そうだ、そうだ!


(ロッシーニ「セビリヤの理髪師」、第1幕第1場の2重唱「あの不思議にして万能の」、ヴァルヴィーゾ盤の歌詞対訳より)

8月2日の投稿では、「再生可能エネルギー」などという言葉はエネルギー保存則に反している、と言ったけれど、実は、「金(かね)」再生可能という意味だった、と。
原発事故を利用して「再生可能エネルギー」を喚き立てれば、国民から幾らでも奪い盗れる、と。
それが連中の邪悪な正体だ!

再生可能エネルギー交響曲第6番「田園破壊」

ベートーヴェン「交響曲第6番(田園)」より

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

2月26日3月23日の投稿で、再生可能エネルギーが環境破壊を引き起こすことを指摘したけど、実は、近藤純正氏も、再生可能エネルギーが温暖化を加速する、と指摘しておられるんだぜ。

「温暖化の監視が危うい」より

当たり前だよな。
これを見ろ。


浮島太陽光発電所が営業運転を開始…東京電力と川崎市
2011年8月10日(水) 19時00分
川崎市、東京電力が神奈川県川崎市浮島に建設した「浮島太陽光発電所」が運転を開始したと発表した。今後18年間に渡って東京電力が運営する。「扇島太陽光発電所」も当初計画通り今年12月に運転を開始する予定。
浮島太陽光発電所は、川崎市が保有する土地に東京電力が建設・運転する最大出力7000kWのメガソーラーで、年間発電電力量は一般家庭約2100軒分の年間使用電力量に相当する約740万kWhを見込んでいる。
同発電所によるCO2排出量削減効果は、年間約3100tの見込み。


(Responseより)

「CO2排出量削減効果は、年間約3100tの見込み」なんて言ってるけど、サイドバーにアップロードしている”「地球温暖化懐疑論批判」の不都合な真実”の第10節以降で解説したとおり、CO2の温室効果は産業革命時にほぼ飽和しているから、人為的なCO2排出で有為な温暖化は起こり得ないわけ。
一方、上記の写真のように、空き地に太陽光発電パネルを並べるのは、アスファルトで舗装するのと同じようなものだから、ヒートアイランド現象を増大してしまうんだな。

もちろん、これも同じ、と言うより、もっと悪質。


休耕田で太陽光発電…孫社長が「電田」計画
ソフトバンクの孫正義社長は23日、参院行政監視委員会に参考人として出席し、休耕田などに太陽光発電装置を設置して発電する「電田(でんでん)プロジェクト」を推進すべきだと提案した。
全国にある休耕田や耕作放棄地などを「電気の田んぼ」と見立て、その2割に太陽光発電装置を設置すれば、「原発50基分の発電ができる」などと持論を展開した。
孫社長は東京電力福島第一原子力発電所の事故後、原発に代わる大規模太陽光発電所(メガソーラー)建設計画を提唱している。実現には用地確保など難題があるが、埼玉県や近畿などの2府5県でつくる関西広域連合が協力を検討している。


(2011年5月23日20時12分  読売新聞)

さらに驚くべきはこれ。

フランス南部レメの丘の上にずらりと並んだソーラーパネル。同国最大の太陽光発電施設で、計50ヘクタールに及ぶパネルは36メガワットの発電能力を持つ【AFP=時事】

完璧にイカれてるよ。

3月21日の投稿へのコメンテータ氏は「瓦屋根が、個人宅が、すべて太陽光パネルで埋め尽くされるなんて、あまりの無機質感に気持ちが悪くなりそうです」と言ってたけど、それは単なる個人的印象を超えて、真実を反映してるわけ。
無機的と感じる物は決して環境に優しくはないんだな。

ところがだ、再生可能エネルギーを普及させるためと称して環境破壊を拡大しようというんだ、これが。


再生エネルギー普及へ規制緩和 林地や海岸、利用しやすく
2011/7/27 1:30
政府は海岸や森林の用途を定めている規制を緩和し、風力発電所や地熱発電所を新設する際のハードルを引き下げる方針だ。環境や景観の保護を目的とする現状の規制は発電設備の設置を想定しておらず、新設は事実上難しい。規制緩和で再生可能エネルギー発電の拡大を促し、安定的な電力供給体制づくりにつなげる。
政府の「エネルギー・環境会議」(議長・玄葉光一郎国家戦略相)は電力不足に対応するため、省エネの促進や再生エネ…


(日本経済新聞 電子版)

4月26日の投稿で「この先、原発事故を逆手にとって、開発を推し進める可能性が大ですね」と予言したけど、その通りになったよ。
こんな予言は外れた方がよかったんだけど。
暗澹たる気分だな。

さて、前回の投稿で、再生可能エネルギーと発送電分離を喚き立てている輩の狙いは「日本売り」と指摘したけれど、その後、こんなニュースがあった。


東電、KDDI株を近く売却…第三者委に報告
東京電力の資産や経営状況を調べる政府の第三者委員会「経営・財務調査委員会」の第4回会合が18日開かれた。下河辺和彦委員長(弁護士)は会合後の記者会見で、東電が保有するKDDI株(出資比率7.97%)について「早期にすべて売却する方向との報告を事務局から受けた」と明らかにした。
東電はKDDI株の売却で、予定する資産処分を加速する方針とみられる。
東電は3月末時点で、KDDIの株式を35万7541株保有する第3位の大株主。18日の東京株式市場の終値では約2000億円の価値がある。
この日の会合は、東電が売却する資産が主題となった。下河辺委員長は会見で、東電が表明していた6000億円以上の資産売却の内訳が▽不動産1000億円▽有価証券2700億円▽関係会社の売却・清算2300億円――だったことを明らかにした。ただ、下河辺委員長は「詳細な積み上げではない」などとして、東電の見積もりをさらに精査する姿勢を示した。


(2011年8月19日00時06分  読売新聞)

今、円高で株価はボロボロなわけ。
だから、東電を国営化してその資産を保持し、株価が上がった時に売れば国の負担は少なくなる。
今売れば、かえって国の負担は増し、その分だけ買った方が得をするだけ。
“金子KO負け”は「むしろ電力改革を避ければ避けるほど、国民負担は重くなり」などと嘯いていたけれど、真実は全く逆。

ここで、もう一発”金子KO負け”にKOパンチを喰らわせてやろうかね。
“金子KO負け”は経済学者なわけよ。
コヤツは何て言ってたかな?
「本来、エネルギー転換にとって必要な発電と送配電の分離改革を実施すると」って言ってたな。
けど、何が「本来」なの?
「本来」の中身を説明していないな。
前回の投稿で指摘したとおり、発送電分離は新自由主義の勃興と共に推し進められてきたわけ。
だから、「本来」と言うのであれば、発送電分離の政治的・経済的背景を分析すべきだろ。
それを国民に判り易く説明する、と言うより、出来るのが経済学者の「本来」の姿だろ。
経済学者として「本来」すべき事をせずに、まるで耳知識だけの評論家みたいに知ったかぶりして自らを正当化し、あべこべに、「本来」という言葉を操って発送電分離が正当であるとの印象を与え、返す刀で、日本を売ろうと企んでいるだけだろ。
本当の豚野郎だな、”金子KO負け”は。

ついでにこの記事も見てもらおうかね。


「太陽・燃料・蓄電池」備えたハイブリッド住宅
積水ハウスは8日、太陽電池、燃料電池、蓄電池の3種類の電池を備えた一戸建て住宅用の設備「グリーンファースト ハイブリッド」を発売した。
3電池をセットにした住宅販売は世界初という。従来より節電効果が高く、停電時は電源としても役立つとしている。
積水ハウスの新築住宅にだけ取り付ける。国の補助金などを活用しても三つの電池で計約470万円かかるため、今後、量産体制を整えて低価格化を図る。
蓄電池には、住宅用として大型の8.96キロ・ワット時の容量のものを採用した。料金の安い深夜に電力会社の電力を購入して充電し、電力消費が多い夕方から夜に使い、光熱費を減らす。停電時は蓄電池からの電力供給に切り替わる仕組みで、エアコンや冷蔵庫を使っても約8時間もつという。


(2011年8月9日10時42分  読売新聞)

知人に聞いた話だけど。
その知人の知り合いの隣人が家を建て替えた、と。
積水ハウスの一戸建てを。
ところが、積水なんかの一戸建ては、昔の木造一戸建て住宅と違って、屋根が高いんだな。
で、知人の知り合いの家はその分だけ日当たりが悪くなった、と。
けど、法律に違反してるわけじゃないから、訴えることもできない。
まして、親の代から住んできた所だから、隣人を訴えたりすると自分自身が住みにくくなりかねない。
しかし、何が腹立たしいと言って、その家が太陽光発電パネルを屋根に取り付けてることが一番腹立たしい、と。
人様の家の日当たりを悪くしておきながら、自分は太陽光発電。
しかも、再生可能エネルギー法で、その隣人の太陽光発電を押し売りされる、と。
そりゃ、あったまに来るよな。

で、我がボロ屋もそう。
8月14日の投稿で紹介したとおり、太陽光発電パネルはないけど、カナカナが鳴くほど木が生い茂ってる。
それなのに、庭に木の一本も無いこんな家庭の太陽光発電を押し売りされる。

腸煮えくり返るぜ。

最後に一言。
誰がなんと言おうと「田園」はカラヤン(70年代盤)に限るな。
もちろん、ワルターも素晴らしいし、モノラルだけど、エーリヒ・クライバーのも素晴らしいよ。
けれど、カラヤン盤ほど標題に無縁で純音楽的な「田園」は他にない。
カラヤンは音楽自体の美しさ、オーケストラの美しさを表現することに徹してる。
指揮者が一音たりとも洩らさずに楽員をコントロールしている有様はすさまじいけれど、聞き手にそういうことは感じさせず、ただ美しい音楽そのものが聞こえてくるだけ。
それでいながら、最後は真の感動を喚起する。
音楽自体の美しさが、「田園」ではなく、人間自体の美しさへの賛歌に転化するんだな。
それに比べて、再生可能エネルギーを喚き立てている輩は正反対。
自然だの環境だのと嘯いているけど、その実は、自然も環境も銭に変えようと考えている連中ばかり。
そういう連中を見聞きすると、人間の醜さを見せつけられて、人間嫌いになっちゃう。
そうなったら、カラヤンの「田園」を聞いて気分転換する。
皆さんも聴いてみてはいかが?

悪魔が来りて発送電分離の笛を吹く

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。
今日はこの社説から見てもらおうかね。


賠償機構法案―法的整理の準備を急げ
福島第一原発事故をめぐる東京電力への賠償支援機構法案について、与野党の修正協議がまとまった。
兆円単位が見込まれる賠償額は東電の支払い能力を超える。被災者が日々の生活を取り戻すために、賠償の枠組みを早く決める必要がある。
法案は、国が賠償額の半分を仮払いする内容の野党提出法案とともに、8月初めにも成立する見通しだ。すでに震災から4カ月以上が過ぎている。作業を急がなければならない。
大きな変化は、国にも賠償責任があることを法律に明記することだ。政府案では国の関与の仕方が「支援」どまりだった。
修正により、東電が賠償できない状況になったとしても、残りの額は国が支払うことが明確になった。被災者が受け取れなくなる懸念が小さくなった。
また、「東電を債務超過にしない」と定めた閣議決定の効力をなくす手続きをとることでも合意した。
今年3月末時点の純資産が1.6兆円にとどまる財務内容を考えれば、東電の経営がすでに債務超過状態にあるのは誰もが認めるところだ。
であれば、他の企業と同様に破綻(はたん)処理をすべきだ――。これまでの社説で、私たちはそう主張してきた。そのほうが市場をゆがめず、国民負担も小さくできる。最後は税金で賠償の面倒を見るにしても、まずは株主や、貸手である金融機関の責任を明確にし、資産や債権を整理したうえでの話である。
今回の与野党による合意は、東電を法的整理する道を閉ざしていた部分を取り除くことになり、大いに評価したい。
もっとも、今後の東電の形をどうするかの議論は先送りされた。「賠償総額のめどがたった時点で検討」とされたが、すでに東電は上場企業としての実質を失っている。
本来の姿である法的整理の可能性が生じたことで、新たな電力債の発行や、銀行や生保からのこれまでのような融資は難しくなった。今後、賠償額の見通しや東電の財務内容が報じられるたびに、市場が厳しい反応を示すと予想される。
法的整理が先延ばしになるほど東電の評価が下がり、公的な負担が増す危険がある。すぐにも準備を始めるべきだ。首都圏の電力供給を一手に担う独占企業でもある。新たな立法など、詰めるべき課題は少なくない。
経済の原則にそった手続きで電力体制を再構築していく。それが、日本経済への世界の信頼を得る一歩にもなる。


(2011年7月26日の朝鮮日刊新聞社説)

「これまでの社説で、私たちはそう主張してきた」だと!
おう、おう、おう。
この桜吹雪が見えねえかっ!

「しんぶん赤旗」2011年6月29日付3面 (阿修羅掲示板より)

(記事本文だけを抜き出したのはコチラ。)

朝鮮日刊新聞こそ「原発利益共同体」の中枢に居座り、東電から甘い汁を吸ってきた極悪組織!
よくもヌケヌケと「まずは株主や、貸手である金融機関の責任を明確にし、資産や債権を整理したうえでの話である」などとほざきやがったな!!
腐れ外道が!!
テメエらは福島原発事故の加害者だ!!!

国民は朝鮮日刊新聞に損害賠償を請求すべし!!!
金額は数兆円だ!
もちろん払えるはずもないから、朝鮮日刊新聞は「破綻処理をすべきだ」!!!
「まずは朝鮮日刊新聞の責任を明確にし、資産や債権を整理したうえでの話である」!!!

くぅ~~~。
頭に血が上って、冷静な思考が出来ん。

朝鮮日刊新聞が「破綻処理をすべきだ」と言い張る意図は、東電の解体・売却であり、それは、いわゆる発送電分離を前提にしてるわけ。


発送電分離―安定供給のためにこそ
菅直人首相が、エネルギー政策を見直すなかで、発電と送電の事業者を切り離す「発送電分離」についても検討していく考えを明言した。
原発事故の早期収束や賠償問題など眼下の課題解決を優先させるのはもちろんだが、エネルギー政策の転換や普及には長い時間を要する。早く議論を始めるにこしたことはない。
首相の方針表明に賛意を示すとともに、言いっ放しに終わらせぬよう、政府を挙げた取り組みを期待する。
耳慣れない言葉だが、発送電分離は1990年代以降、すでに欧米各国で広く採り入れられている。
日本でも2000年代初頭に一度は検討された政策だ。
当時は、競争政策の一つとして議論された。電力各社は地域独占的な事業形態が認められ、基本的にあらゆるコストの回収が保証されている。これを改めて、発電と送電の事業会社を分けることで新規参入を促し、それをテコに経済を元気づけようという狙いだった。
しかし、実現には至らなかった。最大の理由は「電力の安定供給ができなくなる」と、電力業界が激しく抵抗したことだ。
だが、今回の震災と原発事故で、1カ所に集中して巨大な発電所をつくるやり方や地域独占による閉鎖的な経営形態は、いざという時の安定供給にとって大きな阻害要因になることがはっきりした。
むしろ、小規模でも多様な電源による発電事業者を消費地近くに多く分散配置した方が、結果的に安定供給に資するとの認識は、これまで以上に高まっている。かつては電気料金を下げる効果が期待された発送電分離が、いまや電力の安定確保のための具体策として、その意義が語られているのだ。
さまざまな自然エネルギーの活用を進めるためにも、分散型への転換が望ましいのは明らかである。
ただ、電力会社が地域独占の維持を主張してきた裏には、原子力発電という「国策」を、民間企業が肩代わりして進めるために必要なのだという理由づけがあったのも事実だ。
菅首相が本気で発送電分離を進めるのであれば、個々の電力会社に半強制的に担わせてきた原子力政策そのものを再検討して、国が責任を持つ部分と、民間事業者や市場経済に任せる部分との線引きを、きちんとやり直すことが欠かせない。
電気を使う側の私たちも、どんな形態が望ましいのかを真剣に考えるときだ。


(2011年5月20日の朝鮮日刊新聞社説)

「いざという時の安定供給にとって大きな阻害要因になることがはっきりした」だと!
どこが「はっきりした」んだ?
「はっきりした」のはテメエらが加害者だったという事実だ!
何が「明らかである」だ?
「電力会社が地域独占の維持を主張してきた裏には」朝鮮日刊新聞が居たことは「明らかである」。

そもそも、東電の代わりに誰が送電網を担うというのか。
送電網を担うとはどういうことか。
「いまや電力の安定確保のための具体策として、その意義が語られているのだ」だと?
嘘を言うな!
これを見ろ。


東電に比べればリーマンは些細な話
2011年4月18日(月)08:00
(フィナンシャル・タイムズ 2011年4月13日初出 翻訳gooニュース) アジア編集長デビッド・ピリング
東京電力は米リーマン・ブラザーズの10倍は大きい話だ。本当に文字通り、つぶすには大きすぎるのだ。
東電は日本の電力供給の29%を担っている。首都圏にある200万超の企業と2600万の世帯に電力を提供している。しかし福島第一原発はもう今後ずっと稼働しないし、同社の原子炉17基のうち13基は停止中。石油火力発電所20基の半数、および石炭火力発電所2基も停止中だ。
東電は通常の発電量の約1/4を失っている。猛暑で電力需要が急増する夏場はまだ先だが、それでもすでに発電量の減少は大きな影響をもたらしている。政府は1974年の石油危機以降使われていなかった法令を発動して、今夏の電力使用量を昨年の3/4にまで制限するだろうと見られている。大企業のロビー団体「経団連」は、電力使用量を強制的に制限すれば産業界の大部分に、なかでも電力依存の大きい鉄道、製紙、鉄鋼、化学、醸造、半導体、自動車と自動車部品の各メーカーに、打撃を与えると懸念している。それだけに企業の自主削減努力を認めるよう、経団連は必死に政府を説得しようとしているのだ。
要するに、地震と津波の影響は日本の国内総生産(GDP)のごく一部にとどまるなどという話は、楽観論に思える。もし電力制限が年内いっぱい、あるいはそれ以上続いたりしたら、日本経済の心臓部分は危篤状態に陥る。
現代日本は実に、東電がなくては機能できない。まさにそれこそが問題なのだ。どんな国の経済にとっても巨大銀行は不可欠な生命線だが、それと同様に東電は必要不可欠な存在なのだ。東北大震災に対する東電の備えと事後の対応に過失があったとするなら(そう思うだけの根拠は十分ある)、「つぶすには大きすぎる公益企業」だという東電の立場そのものが主な原因と言えるだろう。企業倫理の欠落によるモラル・ハザードは、銀行に限った話ではない。
消費者にとって、東電は悪い会社ではない。これは認めておくべきだ。確かに日本の電気料金は高い。しかし電力の安定供給を維持するという意味で、東電は実に見事な仕事をしてきた。世帯あたりの停電時間は、年間4分という驚くべき短時間に抑えられている。テンプル大学現代アジア研究所のエネルギー専門家、ポール・スカリーズ氏によると、対してフランスでは45分、アメリカでは69分、イギリスでは73分なのだ。
しかし東電は舞台裏でモラル・ハザードに苛まれていた。度重なる隠蔽にずさんな安全基準という、お粗末な過去があるのだ。2002年には、原子炉の亀裂に関する安全性データを日常的に改竄していたことが発覚した。そして福島原発では、役に立たなかった防波堤より低い位置の地下に、予備電力の発電機を置いていたことが今や明らかになっている。加えて、東電側は否定しているが、数十億円相当の価値がある原子炉の廃炉を避けたいがために海水を使った原子炉冷却を遅らせたという意見もある。
なぜ東電はこうなのか。説明の一つとして、官僚の天下り制度がある。これは役人がそれまで規制していた業界に天から下り、おいしい役職を得る仕組みのことだ。原子力を規制する経済産業省で資源エネルギー庁長官を務めた石田徹氏は今年、東電顧問に就任した。福島原発が先月、放射性物質を吐き出し始めるや姿をくらました東電の清水正孝社長は、経団連の副会長でもある。これは、東電がいかに巨大な影響力をもつかという表れだ。
規制当局と業界の間を行き来する人の数は、それほど多くないかもしれない。しかし規制する側とされる側との関係は近すぎる。なぜそうなるのか、仕組みの話で言うと、原子力規制当局は経済産業省の一部で、経済産業省は日本の外国石油依存脱却とそのための原子力利用促進を自らの職務と見なしているからだ。そして東電と政府は同じ側に立っている。これが最も根本的な理由だ。日本国民は第1次石油危機を経て、広島と長崎の経験による原子力への嫌悪感を克服した。しかし、スリーマイル島とチェルノブイリの事故のせいで、原発に対する国民の支持は大きく鈍った。それを受けて規制当局と原子力産業は共に、リスクを小さめに言うようになった。東電のたるんだ態度はこういう状況に助長されてきたようなものだ。
金融危機の際の欧米銀行と同様に、東電も何かひどい問題がおきても政府が支えてくれると思い込んでいた。東電はすでに、自然災害損害の賠償免責につながる都合のいい法律の解釈を求めて、さかんにロビー活動を展開している。しかし実際にそういう寛大な措置が何かなければ、東電の未来は絶望的に思える。同社の負債比率は300%近くで、業界平均の3倍にもなるのだし。
電気料金の大幅値上げができなければ(国民は値上げなど受け入れないが)、古い原子炉を廃炉にし、新しい炉を建て、かつ代替エネルギー源も確保するために必要な資金を、東電はいったいどうやって工面するのか。なかなか見当がつかない。農家や不満な利用者が必ずや起こすだろう訴訟を抜きにしても、見当がつかないのだ。
株主目線で見た東電の今後は、英BPの道、ないしは米エンロンの道だ。メキシコ湾岸で昨年起きた原油流出事故の後にBP株を買った人は、その後70%もの株価上昇による資産拡大を手にした。対してエンロンは周知のように破綻し、株主たちを道連れにした。
エンロンの二の舞が東電に許されるなら話は別だが、日本の原子力産業は今後おそらく、利益の私物化と損失の社会化の事例として、欧米金融機関の仲間入りをするのだろう。


(フィナンシャル・タイムズ 2011年4月13日初出 翻訳gooニュース)

言っとくけどな。
日本はアメリカやイギリスやフランスよりも遥かに自然災害が多い国なんだよ。
地震もあるし、火山もあるし、台風もあるし、梅雨もある。
しかも、平地は少なく地形は急峻。
だから、停電復旧スピードの実質的な差は上の記事に出てる数値よりもずっと大きいんだ。
その技術力を東電以外の誰が維持できるのかね?

東電は私企業だけれども、送電網は、そして、東電の技術力は、社会資本なんだよ。
けれど、朝鮮日刊新聞はこの事実には決して言及しない。
そもそも「地域独占」だからこそ東電から甘い汁が吸えたくせに、あべこべに「地域独占」と罵っているのも、実のところ、送電網が社会資本であるという事実を隠蔽するための詭弁にすぎないのよ。
考えてみろって。
東電の代わりに別の企業が送電網を担ったとしても、今度はその企業が送電網を「独占」するだけだろ。
しかし、それこそが「発送電分離」の目的なんだな。
4月15日の投稿を思い起こしてくれよ。
朝鮮日刊新聞は、送電網を手放してハゲタカファンドのTCI様に差し上げろ、と喚いてたな。
それだよ。
しかし、TCIには何の技術的基盤もない。
そんなヤツラが東電の送電網も手に入れたらどうなる。
言わずもがなだろ。

もう判っただろ。
2つ目の社説が「発送電分離は1990年代以降、すでに欧米各国で広く採り入れられている」と白状しているとおり、「発送電分離」は1990年代に台頭してきた新自由主義に根ざしているわけ。
こちらのブログ主は「政府が発送電分離を軸とする電力自由化にまで政策を転換することができれば、これまでパッとしなかった菅政権の評価は一変する」とまで言い放ってるけど、それも当然であり、PFI、TPP、米の先物取引、消費税増税を推し進め、小泉エセ改革の総仕上げを目指すチョンコロ韓直人に残された最大の課題が、発送電分離ということだな。

で、これまた言わずもがなだが、発送電分離は再生可能エネルギーなる代物と表裏一体。
実際、発送電分離支持者=再生可能エネルギー高値買い取り支持者、なわけ。
ところがだ。
国民に対しては、電力自由化で競争が進めば電気代が安くなる、みたいな宣伝を撒き散らしながら、一方では、再生可能エネルギー高値買い取りで、ソフトバンクに利益を保証してやろうというんだな。
もちろん、本当に新しく有効な技術を開発した者がその努力に見合う利益を得るのは当然だよ。
しかし、再生可能エネルギー高値買い取りなどは、何ら技術を持ち合わせていない輩でも、中国製の太陽光発電パネルを並べるだけで、濡れ手に粟の利益を得ることになる。
それこそ、本当に有効な新エネルギー技術を開発する努力を阻害するんだよ。
再生可能エネルギーを吹聴する連中は、普及させるためには高値買い取りと発送電分離が必須の要件と言い張ってきたけどね、孫不正義がしゃしゃり出て来たという事実は、それが詭弁にすぎないことを物の見事に立証したんだな。
その意味において、我々は孫不正義に感謝すべきかもしれないね。

長くなるけど、再生可能エネルギー高値買い取りと発送電分離を喚き立てている腐れ外道どもの息の根を止めるために、もう少し考察しようかね。
ネオリベの巣窟「KO負け大学」の金子勝という豚野郎がそれ。
(「KO負け」のくせに「勝」って、冗談きつすぎるよ。)


しかし、むしろ電力改革を避ければ避けるほど、国民負担は重くなり、社債のデフォルトの危険性はますます高まっていくでしょう。その点で賠償スキームの見直しと電力改革は避けられないと考えられます。
国民負担をできるだけ少なくするために検討すべき、いくつかの論点が浮かび上がります。
本来、エネルギー転換にとって必要な発電と送配電の分離改革を実施すると、東電は送配電網を売却して賠償費用にすることができるようになります。


(「原発事故賠償スキームは持続可能ではない ―日本復興計画その3」より)

「むしろ電力改革を避ければ避けるほど、国民負担は重くなり」って、始めの朝鮮日刊新聞社説と全く同じだな。
新自由正義のシナリオに沿って喋っているだけにすぎないことが見え見え。
実際、これ、郵政民営化の論理そのもの。
かんぽの宿不正売却が露見した時に、朝鮮日刊新聞が、売却しないと国民負担が増える、と喚き立てていたけど、あれと全く同じ。
そこで、郵政民営化の目的は何だったのかを復習しよう。

国債の最大保有者は郵貯・簡保。
郵便局は国営だったから、国債は借金であると同時に資産でもあったんだな。
しかし、この二面性こそが無節操な国債発行の元凶と喚き立てて、郵政民営化を推し進めたわけだ。
(つまり、郵政民営化、財政再建論、消費税増税は三位一体なわけ。多くの人は勘違いしてるけど、郵政民営化を推し進めたのは、小泉チョン一郎と民主党。民主党が反対票を投じたのは、民営化が不徹底という理由だったわけ。その証拠にチョンコロ韓直人は亀井静香に「郵政関連法案の成立にも協力したじゃないか」と言い放ち、静香ちゃんを激怒させた。チョンコロ韓直人が消費税増税を推し進めるようとするのは理の当然なのよ。)
ところが、民営化されるということは、郵貯・簡保が保有する国債の二面性を分離し、正の資産としての国債は民営会社に呉れてやり、負の借金としての国債だけを国民に残す、ということなんだ。
その証拠に、金融危機だったにもかかわらず日本郵政は国債で莫大な利益を上げていた。


日本郵政、前期純利益4227億円 金融危機の影響限定的
日本郵政が22日発表した2009年3月期の連結純利益は4227億円だった。傘下のゆうちょ銀行は国債での運用が中心のため、民間の大手行が軒並み最終赤字に陥るなかで、2300億円弱の利益を確保し、収益全体を押し上げた。同日記者会見した西川善文社長は「民営化の途中で投げ出すわけにはいかない」と続投の意向を表明。上場計画を含めた中期経営計画を早期に示すことが今期の課題となる。
日本郵政の前期決算は、07年10月の民営化後で初めての通期決算。西川社長は「金融危機の発生、実体経済の悪化の中で、営業活動の成果が表れた」と語った。
稼ぎ頭は利益の過半を生み出す、ゆうちょ銀行。株式相場などの低迷を受けて運用損失が約1000億円発生した。ただ、資産運用に占める国債の割合が8割と高く、持ち合い株などの減損処理損失を迫られた民間銀行に比べると底堅さが際立つ。 (21:41)


(2009年5月22日のNIKKEI NETより)

発送電分離は郵政4分社化に相当する。
東電の正の資産である送電網を他から切り離し、それをTCIやソフトバンクのような金の亡者に呉れてやる。
そういうこと。
その証拠に、竹中と結託して郵政民営化を推し進めた外道が、朝鮮日刊新聞や”金子KO負け”と全く同じ事を喚き立ててる。


日本の解き方】東電改革の要は電力自由化「発送電分離」し送電網開放 新規参入増やす競争政策を
4.27
東京電力の改革案がいろいろと出ている。官邸が20以上の会議で指揮命令系統がスパゲティ状態で機能不全に陥っているので、既成事実化を狙って官僚などからリークが相次いでいるのだ。
それをどう見るかは、夕刊フジ18日付掲載の本コラムで書いたように、表面的なスキームの違いではなく、東電の補償額について誰がどのように負担するかを着目すべきである。
関係会社を含めた東電資産が売却され、それが補償に回される場合、一方で東電の負債サイドで東電株主、東電社債権者などは損失になるはずだ。逆にいえば、株主などに損失が出ない場合は、その分が国民負担となって出てくる。
その改革案を見るときのポイントの一つとして、電力自由化、特に「発電と送電の分離」や「送電網の開放」が含まれているかどうかも重要だ。それらがないと、東電の独占利益は確保され、将来の電力料金で補償するという場合、それらは国民負担になるからだ。
経済学の教科書では、電力は自然独占の例になっている。というのは、電力事業は巨額の投資が必要で、しかも規模が大きいほど平均費用が低くなる(規模の経済性)ので、市場メカニズムでは最初に電力事業を始めた企業しか生き残れず自然独占になるからである。
この教科書の説明は、最近の技術革新を考えると修正したほうがいい。電力事業を発電部門と送電部門に分けて考えると、発電部門での規模の経済性は技術進歩によってなくなりつつある。
やや突飛な話に聞こえるかもしれないが、各家庭で太陽光パネルを設置して、家庭によっては自家消費以上に発電して近隣家庭に余剰電力を供給するという考えもある。
しかし、送電部門ではまだ規模の経済性が残っている。自家発電を増強して発電を事業化するのは容易になっても、送電は既存の電力会社の送電線を借用せねばならなくなる。
となると、既存の電力会社について、発電と送電に分離し、同時に送電網を開放して、発電分野で新規参入を促し競争するのが国民にとって望ましい。これは電話について、電話回線網を開放して、いろいろな電話会社を参入させたことと同じ理屈だ、
これまで、電力の自由化は発電業者の新規参入という形で段階的に行われてきたが、送電網の開放が十分に行われなかった。その結果、発電の新規参入業者も価格決定力がなく、大規模な工場など極めて限定的な地域にとどまっている。
こうした電力の自由化について既存電力会社は電力の品質などを理由として反対してきた。無計画な「計画停電」をやったので、もはや新規参入者の「品質」は批判できる資格はない。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)


(ZAKZAKより)

「無計画な「計画停電」をやったので、もはや新規参入者の「品質」は批判できる資格はない」などとほざいてるけどね。
これは本末転倒な論理なんだ。
解る?
まあ、これに関しては後日論じるつもりだから。
読者もその時までに考えみてくれよ。

しかし、「日本の解き方」とは、これまた本音を露骨に出してきたね。
もちろん、日本を解体、という意味だな。

送電網は売却して補償に回すんだから郵政民営化とは違う、と考えるのはノータリン。
日本の社会・経済を人間の体に例えれば、送電網は血管。
それをTCIのような外資に握られたらどうなる。
何の技術力も無いソフトバンクのような金の亡者が握ったらどうなる。
国家の総力を挙げて福島原発事故を1日でも早く収束させるためにも、東電は国有化すべきなんだよ。

新自由主義勢力のプロパガンダを真に受けず、少しは自分の頭で考えろって!
“金子KO負け”は「本来、エネルギー転換にとって必要な発電と送配電の分離改革を実施すると、東電は送配電網を売却して賠償費用にすることができるようになります」と言ってるが、じゃあ、本来そうあるべきだと言い張る「電力改革」してたら、どうなってたよ。
売却する送電網はなかったな。
賠償費用にすることができないな。
“金子KO負け”は原発事故を逆手に取って発送電分離を正当化しているだけだろ。
2011年5月20日の朝鮮日刊新聞社説の「いまや電力の安定確保のための具体策として、その意義が語られているのだ」という言い草も、実は、原発事故を逆手に取っていたわけだ。
要するに、原発事故は渡りに船、ということだな。

さらに、これを見てもらおうか。


国内最大級の太陽光発電所、川崎で稼働 電力2100世帯分
2011/8/10 19:08
東京電力と川崎市は10日、共同事業として建設してきた川崎市臨海部の浮島太陽光発電所が営業運転を始めたと発表した。同じ臨海部で12月に稼働予定の扇島太陽光発電所と合わせた最大出力は約2万キロワット。一般家庭なら5900世帯分の電力需要を賄える国内最大級の大規模太陽光発電所(メガソーラー)となる。
羽田空港に程近い浮島発電所は川崎市のごみ処分場の敷地11ヘクタールにシャープ製の太陽光パネル約3万8000枚を敷き詰めた。最大出力は7000キロワットで、2100世帯分の電力需要を賄える。近隣で建設中の扇島発電所は東電の23ヘクタールの敷地に京セラ製パネルを約6万4000枚並べる。
川崎市によると両施設で年間8900トンの二酸化炭素(CO2)排出が削減できるという。一般家庭なら1700世帯分の排出量に相当する。市と東電は2009年末にメガソーラーの共同事業化で基本協定を結んだ。
メガソーラーを巡っては、ソフトバンクが各地の自治体と連携し10カ所以上の建設を目指すなど、事業化構想が相次いでいる。


(日本経済新聞 電子版)

極めて、示唆的な記事だね。
解る?

再生可能エネルギーとやらを普及させたいのならば、8月10日の投稿でも指摘したとおり、再生可能エネルギーに依る発電を電力会社に義務づければいいわけだ。
「地域独占」などと罵ってるけど、「地域独占」だからこそ義務づけることが可能。
逆に言えば、「電力自由化」は、電力会社には義務づけないことを、暗黙の前提にしてるわけ。
けれど、上の記事に見えるとおり、不動産をたんまり持ってるわけだから、東電にさせる方が新たに用地を探す必要も買収する手間も省ける。
しかも、送電網に関するノウハウは東電が持っているのだから、不安定な再生可能エネルギーに伴う電力供給の調整も可能。
要するに、再生可能エネルギーを普及させたいのならば、東電の資産を維持するのが一番手っ取り早い方法なんだな。
東電の経営責任を言うのならば、上でも述べたとおり、国営化すべき。
にもかかわらず、あべこべに「資産や債権を整理したうえでの話である」などと言い立てて、東電の資産を切り売りしようと目論んでるわけ。
再生可能エネルギーと発送電分離を喚き立てている連中の邪悪な意図は見え見えだろ。
日本売り、それだけ。
必死になってTCIを正当化し、かんぽの宿売却を正当化し、その一方で、東電から甘い汁を吸ってきた朝鮮日刊新聞が、「破綻処理をすべきだ」などと言い放ってる事実が、その最大の証だな。

東電の経営責任と東電の有する社会的資本こそ「分離」して考えるべきなんだ。
その象徴が尾瀬。


東電の尾瀬売却が浮上、群馬知事「絶対に阻止」
尾瀬国立公園(総面積約3万7200ヘクタール)の約4割の土地を所有する東京電力が、福島第一原子力発電所事故による補償金捻出のため、尾瀬の土地を売却する可能性が浮上していることについて、群馬県の大沢正明知事は11日の定例記者会見で、「売却については絶対に阻止したい」との考えを示した。
県尾瀬保全推進室によると、東電は、尾瀬ヶ原や尾瀬沼が含まれ、土地の現状変更の禁止や動植物の保護などが求められる「特別保護地区」約9386ヘクタールの7割を所有している。同室は、「現時点で東電から売却の話はないので、今後についての具体的な話し合いもない」とした。
知事は会見で、「自然を大切にする心が薄れている現状を考えると、尾瀬のような自然をもっと大事にしていくべき」と、尾瀬の重要性を強調した。
尾瀬の自然保護を考える会の飯塚忠志さん(70)は、仮に売却が決まった場合について、「民間への切り売りは決してやらないでほしい。国が責任を持って買い上げ、東電がこれまで取り組んできた保護活動なども絶えないようにやってもらいたい」と話した。


(2011年5月12日08時57分  読売新聞)

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」は新自由主義勢力の餌食になるだけ。

3月21日の投稿へのコメンテータ氏は「たしか近藤という方がブログ内で管理人氏と似たような主張をしており」と指摘してたけど、実は、違うな。
近藤邦明は「自然エネルギー発電幻想」という記事の最後で「福島の事故を契機に、電力の自由化、発電と送電を分離して開放することが求められています。この件に関しましては依存ありません」と明言してるからね。
これは、彼の根本的な限界を見た気がしたね。
近藤邦明はごく一部の例外だけど、「発送電分離支持者=再生可能エネルギー高値買い取り支持者」が大勢なのであり、それが社会的事実であり、其処にこそ、社会的真実が隠されている。
自然科学であろうが、社会科学であろうが、事実を分析し、その背後に隠された真実を見極めるのが科学的考察。
事実から目を逸らしても何も出てこない。
むしろ、誤った結論に導くだけ。
彼には社会科学的な視点が欠落してる。

ついでに言っておくと。
近藤・槌田は論文が採用されなかったという理由で日本気象学会を提訴したけど、これもいただけない。
論文の中身に自信があるのなら、公表することを何よりも優先すべきだった。
もう直ぐ、オーストラリアの研究者が同じ内容を発表しちゃうよ。
Judith Curryも注目してるくらいだからね。
サイドバーにアップロードしている”「地球温暖化懐疑論批判」の不都合な真実”の第15節で紹介したとおり、東電から甘い汁を吸ってきた朝鮮日刊新聞が日本気象学会の内部にまで入り込んでるのよ。
そんな腐りきった学会が発行している学術誌に拘ってるから、先を越されるんだな。

最後に、朝鮮日刊新聞の「天声人語」を見てもらおうかね。
但し、それを見て頭の血管がぶち切れても、私めのせいじゃありませんから。
不安な人は此処で読むのを止めてね。
続き

行け、わが思いよ、カナカナの翅に乗って

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

え~、前回の投稿ですが。
今度は、トラックバックが1回しか送信されなかったようだな。
増田増田、じゃなかった、ますます、わけ判らんぞ。
2回送って欲しかったのに。
肝心のときに、思い通りにならんな。
もう、どうでもいいや。

さて、8月6日の投稿で、2011年6月19日の朝鮮日刊新聞社説を紹介したけど、重要な事を書きそびれたので、もう一度採り上げるわ。


電力買い取り―今国会で成立させよう
太陽光に風力、水力、地熱、バイオマス(生物資源)……。
これらの自然エネルギーを使って発電された電気を、国が定める価格で買い取るよう電力会社に義務づける。
自然エネルギー普及の切り札とされる「全量固定価格買い取り制度」だ。
これを導入する法案が、国会でたなざらしにされている。東日本大震災の日の朝に閣議決定され、すでに100日が過ぎたのに審議に入れない。
理由のひとつは、買い取る費用が電気料金に上乗せされるため、経済界を中心に慎重論が根強いことだ。
経済産業省の試算では、制度開始から10年後、標準的な家庭で月150円から200円ほど負担が増えそうだ。電力を大量に使う企業にとっては、大きな負担になりかねない。
それでも、私たちは今国会で成立させるべきだと考える。
原発事故を目の当たりにしたいま、地球温暖化を防ぎながら、原子力への依存度を下げていくには、自然エネルギーの普及を急がねばならない。
それに地域経済の自立や災害に強い国づくりにも役立つ。小型の発電設備を家庭や集落に置けば、地域で電力を賄えるし、発電所や送電網の事故による停電の被害も小さくできる。
そのうえ「純国産」だ。輸入に頼る石油やガスへの依存を減らせれば、安全保障上も、長い目でみれば経済的にも利点は大きいはずだ。
各党も自然エネルギーの普及を公約している。2009年の衆院選では自民党も「太陽光発電の買取制度など」による自然エネルギー拡大を掲げていた。
なのに谷垣禎一総裁は「法案が実効的か検討の余地がある」と述べ、審議入りに慎重だ。効果に疑問を抱くなら、高めるための提案をすべきだ。
この制度が根づけば、電気は電力会社が巨大な発電所でつくるものという「常識」が覆る。国民が電気の利用者から、供給者になっていく。
裏返せば、電力会社が地域の電力供給を独占してきた既存の体制は揺らぐだろう。それだけに強い抵抗は避けられない。電力業界は民主党にも自民党にも強い影響力を持つ。その意をくんで、法案に反対する政治家が多く出るに違いない。
一方で、超党派の国会議員らが法成立を求め、議員200人余りが署名している。
これは、新しい政治の対立軸になる。採決の際に、党議拘束をかけず、各議員の見識を問うてみるに値する。


(2011年6月19日の朝鮮日刊新聞社説)

あのね。
太陽光発電パネルや風車を造るための資材は輸入に頼ってるんでね。
「純国産」なんて真っ赤な嘘だろ。

嘘と言えばだな、4月26日の投稿で紹介したけど、朝鮮日刊新聞は「風力発電で原発40基分の発電可能」などと報道してたな。
ところがだ。


「風力で原発40基分可能」朝日新聞の報道に東大名誉教授苦笑
2011.05.11 16:00
4月22日の朝日新聞に、夢のような見出しが躍った。
〈風力なら原発40基分の発電可能 環境省試算〉
記事によれば、日本全体で風力発電を導入すると、約2400万~1億4000万kWの出力になり、稼働率を24%としても、原発7~40基分に相当するというのである。検証してみよう。
日本で発電可能な風が吹く時間は年間約2000時間とされるから、「稼働率24%」は妥当といえる。
日本で導入されている大規模風力発電で使われる2000kWクラスの風車で考えるならば、原発1基(100万kW)を代替するには、およそ1770基が必要になる(原発の稼働率を実績から85%と仮定し、風力の稼働率を24%と仮定)。
互いに干渉しないためには風車を最低でも100mずつ離す必要があるから、直線に並べれば177kmになる。ざっと東京~いわき間の距離だ。
40基分となると、この40倍だから7000km以上。北海道の稚内から鹿児島の指宿を結ぶJR線の距離が約3000kmなので、風車が列島を南北に1往復する計算になる。これが現実的でないことは、もはや言葉を要しない。
“大朝日”が、なぜこんな大間違いを書いたのか。記事は環境省試算を根拠にしているが、その同省が所掌する「地球温暖化対策に係る中長期ロードマップ検討会」の委員である安井至・東京大学名誉教授はこう苦笑する。
「委員で風力だけが代替エネルギーとして有力だという人は一人もいません。朝日の記事にある試算とは、可能な場所をすべて風力発電で利用し尽くした場合の『ポテンシャル』の数字であり、現実的なものではありません。
ポテンシャルについては風力だけでなく地熱、水力、太陽光なども発表していますが、朝日はその一部の数字から独自の計算をして『原発40基分』などと書いたのでしょう。昔から反原発派の人々は『風力推進派』が多く、そうした思想が背景にあるのかもしれません」
風力発電は、ヨーロッパなどでは大規模な導入実績や計画があるが、日本には当てはまらないという。
安井名誉教授が続ける。
「大陸の西端にあるヨーロッパでは、一定して西風(偏西風)が吹きますが、東端の日本は風向も風力も安定しません。また、ヨーロッパの海は遠浅で洋上風車が建設しやすいが、日本はその点で不利なうえ、台風や落雷が多く、実際に被害も起きています。
日本は風況の良い場所が少ないうえ、僻地になってしまう。北海道の稚内は有力地ですが、そこで発電して、どうやって東京まで電気を持ってくるかは難題なのです」
日本の「風況」が安定しないことはよく知られており、最も適した北海道でも、2009年の例で、利用率データのある38の風力発電所のうち、計画された発電量を5%以上上回ったのは1か所。逆に5%以上下回るものが21か所あり、平均で26.3%の稼働率だった(「北海道における風力発電の現状と課題」北海道産業保安監督部=2010年)。
これが「国内最適地」に開発された風力発電所の実績であり、この面でも朝日の机上の空論は明らかだ。


(週刊ポスト2011年5月20日号)

「大間違いを書いた」のではなく、実は「大嘘を書いた」んだよ。
本当に「風力発電で原発40基分の発電可能」ならば、電力が不足する事などあり得ないわけ。
ところが、朝鮮日刊新聞は、国民は生活を見直せ、と言い立ててきた。


古い笑話をひとつ。雷を天のたたりだと怖がる祖母に、孫が「心配しなくてもいいよ。雷は電気だから」。すると祖母いわく。「うそを言うでない。村に電気が来るより昔から雷は鳴っていた」▼雷が電気だと証明したのは米国のフランクリンだった。名高い「嵐の中の凧(たこ)揚げ」は、一説では1752年の今日だったとされる。19世紀になるとアーク灯、さらにエジソンの白熱灯が発明された。電気照明の夜明けである▼日本では1882(明治15)年、東京・銀座の街頭にアーク灯が1本ともった。「目もくらむ明るさ」に見物人でごったがえした。当時の雑誌は、擬人化された電灯が意気軒高に「全国中を隈(くま)なく輝かせる」と意気込む戯画を載せている。仰せの通りになったのは私たちの知るところだ▼時は流れて、夏至でもある今日、夜に電気を消してろうそくの明かりで過ごす試みが各地である。数年来、エコ意識の高まる中で輪を広げてきたが、今年は特別の意味があろう。電気はもはや無尽蔵ではない▼思えばほんの少し前だ。テレビのチャンネルをカチャカチャ回していた頃、家族は一つのこたつに足を入れていた。この30年で一世帯あたりの電力消費は5割以上も跳ね上がった。原発は23基から54基に増えている▼増設は国策だが、電気を使うから増えたのか、増えたから使うのか。卵とニワトリの関係のように分かりづらい。山で迷ったときは立ち止まり、引き返すのが原則だ。戻ることで見いだす新たな道もある。


(2011年6月22日の「天声人語」)


英語で「ファイブ・オクロック・シャドー」と言う。訳すと「午後5時の影」、と言っても夕日に伸びる影ではない。会社の引け時になると、朝に剃(そ)ったヒゲが伸びて男の顔にうっすら影を作る。その、かすかな翳(かげ)りのことだ▼粋(いき)で渋いか、ただの無精(ぶしょう)に見られるかは、その人次第となろう。そんなふうに象徴的に「9時から5時まで」と言われる働き方が、この夏、様変わりしつつある。始業と終業を早めるサマータイムを取り入れる企業が、じわり広まっている▼「短夜(みじかよ)」「明易(あけやす)し」といった季語さながらに、夏の朝は5時には明るい。天然の照明と朝の冷気を無駄にするのは、思えばもったいない。夏時間を当て込んでの「アフター4商戦」も熱を帯びてきた▼夕刻の余暇利用も利点とされる。習い事、スポーツジム、家族とのひととき――。「朝早いのはつらいけど、この1時間は貴重です」という声を記事が伝えていた。小紙の調査によれば、主要企業の導入機運はかつてなく高いという▼国の制度としての夏時間は賛否を二分してきた。反対論の一つに残業があった。日が高くては帰れない。長く働かされるだけだ、と。だがこの夏は電力不足で、いわば早上がりのための措置だ。横並びで居残る企業文化を変える契機になるだろうか▼楽観主義者はドーナツを見るが、悲観主義者はドーナツの穴を見るのだそうだ。不足を嘆かず、ある電気を賢く使いながら暮らしや価値観を変えていきたい。思えば得難いチャンスである。


(2011年7月7日の「天声人語」)


節電と照明―適光適所を考えよう
窓外の夏の風景が心なしかまぶしい。室内を見やれば、蛍光灯の列が間引かれている。
東京電力と東北電力の管内で電力使用制限令が始まった。冷房控えめの暑さはともかく、明かりを落とした生活に多くの人は、じき慣れるのではないか。
そもそも日本の照明は明るすぎる――。海外から来た人がよく口にすることだ。
東京の夜景をながめれば、町全体が白く輝いている。ビルの蛍光灯や水銀灯の集合が、専門的にいえば「色温度が高い」光景を演出する。欧米の街なみは火や夕日に近い、オレンジ色の暖かな明かりである。
オフィスや公共空間のたっぷりすぎる照度も、特徴だ。
日本工業規格(JIS)の照度基準は、安全や作業効率上必要だとして、何度か引き上げられてきた。現行の事務室の推奨照度は750ルクスと、諸外国より高め。しかもオフィスではギラギラと、隅から隅まで等しく照らすのが主流だ。
日本で環状の蛍光灯が登場したのは1953年。そのころから、明るさ=(イコール)豊かさだと信じ、ひたすら光の足し算を重ねてきた。それを支えたのが、電力の安定供給だったのだろう。
3・11後、この国の明るさはどこへゆくのか。
「光の過食症」を正し、光の量から質へと見直す機会だというのは、照明デザイナーの面出薫(めんで・かおる)さんだ。「○○%削減」と一律に、乱暴に暗くせず、メリハリを利かせ、気持ちのよい照明環境を工夫する。
地下の通路で天井灯を減らしても、案内表示の照明がちゃんとついていたり、壁面が明るかったりすれば、暗さはさほど感じない。スーパーでも商品棚の明かりを残しておけば、買い物の楽しさは損なわれないはずという。オフィスなら、全体照明と手元を照らすスタンドとを組みあわせる方法もある。
他方、防犯のための明かりや弱視の人、高齢の人への配慮は維持すべきだろう。要は、賢く光の引き算をすることだ。
省エネ光源や照明の制御技術は次々生まれている。パソコン普及で仕事の環境も変わった。
JISの明るさ基準を見直してもいいのではないか。東京都の石原慎太郎知事が国に求めたほか、日本建築学会も、節電の下ではJISから一段階下げた照度でかまわない、とする提言を5月に出している。
しばらく続く節電時代。苦難と思うだけなら芸がない。「適光適所」や「適温適所」に知恵を巡らせ、限りがある暮らしを考えるもよし、である。


(2011年7月3日の朝鮮日刊新聞社説)

「風力発電で原発40基分の発電可能」なのに、ナゼこんなこと言うんだ?
「風力発電で原発40基分の発電不可能」だから、と言うよりも、週刊ポストの記事にも見えるとおり、実は、風力ではまともに発電など出来ないと知っているからこそ、生活を見直せ、と命令するわけだ。

もう、これだけで「再生可能エネルギー」の卑劣さが判るだろ。
本当に「再生可能エネルギー」を推し進めることが国民の利益になるのならば、国民に事実をありのまま知らさねばならない。
新聞社なら尚更のこと。
ところが、あべこべに「純国産」だの「原発40基分の発電可能」だのと嘘を書き連ねて、煽り立てているわけだ。
「再生可能エネルギー」を推し進めるためには国民を騙さねばならない、ということだろ。
それは、国民のためではなく、国民から毟り盗るための「再生可能エネルギー」に他ならない、ということだろ。
違うか?

で、結局のところ「再生可能エネルギー」を正当化する唯一の拠りどころは「地球温暖化を防ぎながら」というやつだが。
サイドバーにアップロードしている”「地球温暖化懐疑論批判」の不都合な真実”を読んでもらえば判るとおり、人為的温暖化はこれまた真っ赤な嘘。
ということは、人為的温暖化論そのものが国民から毟り盗るためにでっち上げられた嘘、ということだな。

それにしても、「思えば得難いチャンスである」とは許し難い暴言だぜ。
ダイオキ慎太郎の「天罰」発言よりも100シーベルト醜い。
被災者の前で言ってみろ!
しかし、再生可能エネルギー買い取りを言い立てている輩は、大なり小なり、同じような発言をして憚らない。
そのくせ、ダイオキ慎太郎を批判する。
ダイオキシン以上の有害物質だな。

始めの社説に戻って。
「それに地域経済の自立や災害に強い国づくりにも役立つ。小型の発電設備を家庭や集落に置けば、地域で電力を賄えるし、発電所や送電網の事故による停電の被害も小さくできる」という件だが。
「自立」って言うんなら、先ず、テメエら東京の住人から率先してやれ!
テメエらが「自立」してないから、福島県民がこんな目に遭ったんだろ!
ところが、「再生可能エネルギー」を吹聴している連中は全く逆のことを言ってるんだな、これが。


復興構想会議―政治は希望を砕くな
菅直人首相が発足させた復興構想会議が第1次提言を6月末にまとめる。政治状況の流動化に右往左往することなく、今後も真摯(しんし)な議論を続けて、被災地の希望を描いてほしい。
これまで会議では様々な意見が出されてきた。
地震や津波の被害を減らすため高台に居住地を配置、あるいは海沿いに道路など交通インフラを置き、堤防代わりにしたらどうかという提案があった。
工場の建て替えなどが円滑に出来るよう、地域の金融機関を支援する枠組みを求める意見や、特区を設けて税を減免し、規制緩和を強力に進めるべきだとの主張もある。
「地震国日本にふさわしい発電様式を、福島において研究、発展させるべきである」という玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)さんや、東北を太陽光発電のベルト地帯とする内館牧子(うちだて・まきこ)さんの構想も魅力的だ。
アイデアが目白押しだ。ただ、提案相互の関係や具体的な進め方はまだはっきりしない。
構想会議に求められる役割とはなんだろうか。何よりも復興再生の方向性、基本となる道筋を定めることではなかろうか。
明確なメッセージを国民、とりわけ被災地の人々に示し、そうすることで力を集中させる。計画の優先順位を決め、取捨選択をしなくてはならない。
優先度を決めるには、地域で必要とされる緊急性、事業がより多くの人や企業の救済、便益につながる汎用(はんよう)性、時間はかかるが継続的に進めることで減災や活性化につながる将来性、それらを総合的に勘案して判断することになるだろう。
といって、財政的な裏打ちがない限り、意欲的な提案も絵に描いた餅にすぎなくなる。
ここからは政治の責任だ。菅首相は、提言を受けて第2次補正予算案を編成する考えだった。首相の退陣表明をめぐって混乱が続いているが、大震災からの復興が政治の最優先課題であることは論をまたない。
復興事業の規模は大きい。一方で、国の財政は切迫しており、償還財源を決めないままの国債発行では市場に不信任を突きつけられかねない。将来世代への負担つけ回しにもなる。
構想会議が公表した「中間整理」でも、復興税導入への慎重論に触れる一方、多くの委員が増税による財源確保の必要性を指摘している。
復興事業を早く軌道に乗せるとともに、国民には増税への理解を求める。誰が政権を担うにせよ、その覚悟と実行力がなければ被災者の希望は砕け散ってしまう。


(2011年6月6日の朝鮮日刊新聞社説)

自分達が「自立」してないくせに「東北を太陽光発電のベルト地帯とする」だと!
糞ババアが!

始めの社説に出てきた「地域経済の自立」の「地域」とは、東京以外の「地方」という意味だ。
「小型の発電設備を家庭や集落に置けば、地域で電力を賄える」というのは、地方は不安定な自然エネルギーだけで我慢しろということ。
だからこそ、朝鮮日刊が「ある電気を賢く使いながら暮らしや価値観を変えていきたい」だの、「限りがある暮らしを考えるもよし」だのと言い放ったわけだ。
地方は貧しさに耐えろ、それが「自立」だと。
救いようの無い「自己中」だな。
なぜ、地方の人間が耐えねばならんのだ!
地方の人だって東京と同じような暮らしがしたい。
だから、原発にすがったんだろ!
それが判らんのか!
在京の輩が平然と「地震国日本にふさわしい発電様式を、福島において研究、発展させるべきである」だの、「東北を太陽光発電のベルト地帯とする」だのと言い放って憚らない、それこそが、原発誘致を招いたんだろ!


『俺俺』で大江健三郎賞受賞の作家・星野智幸さん 震災後も不毛な対立に終始する政治
2011.5.17 07:55
他人への想像力を欠いた「俺」が無限に増殖していく。そんな現代日本を描き出した長編『俺俺』(新潮社、1680円)で第5回大江健三郎賞に決まった星野智幸さん(45)。政治や社会状況を積極的に扱う気鋭の作家は「不毛な二項対立が繰り返されている原発の議論を見る限り、政治の状況は以前と何も変わっていない」と大震災後の社会を冷静に見つめている。
東京近郊の家電量販店で働く「俺」は、マクドナルドの店内で隣に座った男の携帯電話を手に入れ、出来心で振り込め詐欺を実行する。ところが、なぜか「俺」はだました母親の本当の息子になり、本当の実家に行くと知らない男が「俺」を名乗って生活していた。やがて周囲のみんなが「俺」になり、果ては「俺」同士の殺し合いが始まる…。そんな奇抜で不条理な物語『俺俺』は、誰もが代替可能な存在になり、自意識の崩壊に直面する現代人の苦悩を浮き彫りにする悲喜劇であると同時に、ともすれば自己中心的な言説が幅をきかせる日本社会への痛烈な批評にも読める。
みんなが自己中心的になっているので、自己中心的だという意識すら消えてしまう状況。選挙や世論調査など社会のさまざまな局面を見て感じていたことです」と、星野さんは執筆時の心境を振り返る。
刊行は昨年6月。東日本大震災発生直後、誰もが『無私』の精神を体現しているように見え、「『俺俺』は過去のもの」と感じたが、日がたつにつれ「やはり現在の作品」との思いが強くなったという。
「自己中心的といえば、(首都圏での)買い占めも原発をめぐる議論もそう。本当に重要な問題は置き去りにされて、反原発か原発か…と対立ばかりにエネルギーが注がれている。福島とか新潟とか、原発を誘致することで生きていこうとした人たちの複雑で、声にならない声を聞く気持ちはないのかな、と感じた
文芸賞を受けたデビュー作『最後の吐息』から14年がたつ。「政治と文学のかかわりを徹底して考えてきた大江(健三郎)さんをモデルケースとして吸収しながら成長してきた」だけに、大江さん一人が選考にあたる同賞受賞の喜びはひとしおだ。
「誰もが無意識の領域に押し込めて、見ないようにしている部分を可視化することで現実と正面から向き合うのが僕の小説。震災後もそのスタンスは変えないつもり。ただ読んだ人が何か力を得られるようなものは、もっと見いだしていきたい」(海老沢類)


(MSN産経ニュースより)

かなり以前だけど、NHKの番組だったかな、福井県の老人が、原発立地で道路が整備され、そのお蔭で息子夫婦と孫が盆や正月に帰って来るようになった、と喜んでいたっけ。
それを聞いた時は言葉も無かったね。
「原発を誘致することで生きていこうとした人たちの複雑で、声にならない声を聞く気持ち」が無かった己の「自己中」を思い知らされたね。
しかし、再生可能エネルギーを喚き立てている輩は「自己中」の塊。
実際、再生可能エネルギーを喚き立てている輩は、もう地方に道路や空港を造るな、と喚き立ててきた連中ばかり。
朝鮮日刊新聞はその最たるもの。
そのくせ、成田は不便だから羽田の国際化は歓迎などとほざきやがる。
もう一度言うがな、しかし、それこそが原発誘致を招いたんだよ!

例の「村野瀬玲奈の秘書課広報室」が、小出裕章の言葉を採り上げて、「次にだまされないことが、だまされた者の絶対のつとめです」などとのたまってるけど。
何回も繰り返すけどね、8月6日の投稿で紹介したとおり、小出裕章は、火力発電で置き換えれば原発は即全廃できる、と言ってんだよ。
それなのに、再生可能エネルギー高値買い取りが絶対必要、などと言い立てることこそ、「何度でもだまされる」ことだろ。
って言うか、今度は私達が騙す番、ということかな?

でっち上げにすぎない人為的温暖化を喚き立てたことが、福島原発温存に繋がったんだ。
4月28日の投稿で紹介したとおり、東電の社外監査役だったゴミ山宏がその生き証人。
(次回の投稿で採り上げる予定だけど、実は、朝鮮日刊新聞こそがその最大の証。)
それなのに、またもや人為的温暖化を喚き立て、再生可能エネルギーでなきゃダメと言い立て、原発の即時全廃を阻害し、返す刀=高値買い取りで国民から毟り盗る。
「何度でもだまされる」の典型だな。

2つ目の朝鮮日刊新聞社説は被災者をそっちのけにして「東北を太陽光発電のベルト地帯とする内館牧子さんの構想も魅力的だ」などと決めつけた挙句に、あべこべに「被災者の希望」を騙って増税を正当化したけど、前回の投稿でも指摘したとおり、これこそが再生可能エネルギー高値買い取りの論理なんだ。
被災者をも利用して利益を貪る。
それが「再生可能エネルギー高値買い取り」の真実。

地方を原発にすがらざるを得ない状況に追いやったのは、再生可能エネルギーを喚き立てる東京の人間の「自己中」なんだ。
「再生可能エネルギー高値買い取り」は究極の「自己中」。
こんなものを正当化する連中が幅を利かせている限り「被災者の希望は砕け散ってしまう」。

先週の土曜日、朝4時半頃に目が覚めたけど、我がボロ家の庭でカナカナが鳴いてた。
物悲しく鳴くんだよな。
カナカナは薄暗い茂みを好むから、庭で鳴くなんてありえないんだ。
見捨てられた被災者の悲しみを訴えに来たのかな?

世紀末似非救世主伝説

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

4月28日の投稿でも触れたけど、やっぱり同じトラックバックが複数回送信されてるな。
なぜか判らん。
まあ、当人は全然気にしてないけど。
むしろ、そのお蔭で面白いこと発見したよ。

前回の投稿だけど。
村野瀬玲奈の秘書課広報室」というブログと「気候変動・千夜一夜」にトラックバックしたわけ。
案に違わず、トラックバックが2回送られてた。
(但し、3月17日の投稿を「気候変動・千夜一夜」にトラックバックした時は、一つしか送信されなかったと思うけど。FC2ブログと同時に送ると2回送られるのかな。)

で、その後、調べたら、村野瀬女史は2つのうち1つは削除してた。
ところがだな、増田の野郎は2つとも残してるわけ。
確かに、8月2日の投稿では「同じトラックバックが3つ送られたら、プレゼントを3つも貰ったと同じだろ。有難く頂戴しろ、ってなもんだ」って言ったけど。
普通は、村野瀬女史のように削除するよな。
普通は。

実は、増田がトラックバックを2つとも残してるのは意図的なんだな。
まず、これを見てくれ。

図1 「気候変動・千夜一夜」トップページ その1

コメント欄の一番上。
スパムコメントが来てるな。
で、この翌日の「気候変動・千夜一夜」がこれだ。

図2 「気候変動・千夜一夜」トップページ その2

スパムコメントは削除されてる。
しかし、私めの送ったトラックバックは尚も2つとも残されてる。
意図は明らかだな。
同じトラックバックを2つも送ってくる陰湿な奴、というイメージを与えようと企んでるわけ。
温暖化懐疑論者はそんな陰湿な奴、というイメージを与えようと目論んでるわけだ。

これこそ、人為的温暖化論者の非科学性と醜悪さを立証したと言えるだろ。
「気候変動・千夜一夜」には何て書いてる。
「地球温暖化の研究に真面目に取り組む科学者たちの日記です」って書いてるな。
トラックバックが同時に2回送られてきたら、何かのトラブルだろうと判断も出来ないような馬鹿が、まともな「科学者」であろうはずがなかろう。
普通の人の常識から逸脱してる野郎が「真面目に取り組む科学者」か!
恥知らずめが!

尤も、こんなことしても全く無意味だけど。
なぜなら、当ブログの毎日の閲覧数は高々20程で、マイナーという言葉を使うことさえ痴がましいほどマイナーな存在だから。
余計な事したら反って目立つだけ。
薮蛇だな。

人為的温暖化論者の非科学性と醜悪さに関して、さらに考察しよう。
もう一度、上の図を見てくれ。
「綾波シンジ」と称する野郎が熱心にコメントしてるな。
実際、この野郎は増田応援団として「気候変動・千夜一夜」に頻繁に現れ、懐疑論に盛んに毒づいてる。
一方、この野郎自身もブログを開設してるんだが、4月16日の投稿で其処に掲載されてた図を拝借したわけ。
で、トラックバックを送信した。
この程度の野郎を批判する気は毛頭無いけど、図を拝借したから、形だけ挨拶のつもりでね。
その時は確認してなかったけど、やはり複数送られたみたい。
ところが、この「綾波シンジ」という野郎が何をしたかと言うと。
トラックバックを完全に削除した上で、コメント欄で「RealCrazyClimateなる人物から連続同一記事のトラバが入っていますが、話が支離滅裂で、チョンコロだのなんだのと大変品性に劣る内容でした」などと、ぬかしとるわけだ、これが。

まともな人間なら、判るよな。
反論するなら、村野瀬女史のように1つだけ残しておくべきだろ。
そうでないと、第三者が見たとき、その反論が妥当かどうか判断できない。
トラックバックを削除するなら、コメントすべきではない。
結局のところ、「綾波シンジ」とやらは一方的に誹謗中傷してるだけ。
「品性に劣る」どころか、一番卑怯なやり方だな。

しかし、それも当然。
「支離滅裂」と言いながら、何がどう「支離滅裂」なのか、全く説明していない。
要するに、反論できないだけだろ。
反論できるんなら、反論記事を掲載するはず。
実際、上記の村野瀬女史は、8月8日の記事で、直接ではないけれど、間接的に反論してる。
逆に、「綾波シンジ」という野郎は、反論できないからトラックバックを削除し、コメント欄に捨て台詞を残したわけだ。
まあ、増田でさえ反論できないのだから、こんなチンピラが反論できるはずもないけど。

言っておくがな。
4月16日の投稿には「チョンコロ」という言葉は一つも出てこない。
それなのに、「チョンコロだのなんだのと大変品性に劣る内容でした」などと言い放つことこそ「支離滅裂」。

私めがだな、「チョンコロ」という言葉を使うのには、それなりの意図があるんだな。
2重3重、どころか、5重6重の意図が込められてんだ。
チンピラごときに判ることではないよ。
手の内を明かすのは嫌だけど、可哀想だから、一つだけ教えてやろうかね。
まともに反論できない輩は必ず「チョンコロ」という言葉に噛みついてくるだろう、ということよ。
で、そのトラップに見事に引っ掛かったわけ。
余りの見事さに、こちらが唖然としたぜ。

こんな雑魚釣っても仕方ないだろ、という意見があるかもしれないけど、実は、釣り上げた魚は増田耕一。
(増田も雑魚じゃないか、と言われたら、反論できないけど。)

片や、トラックバックを削除して捨て台詞を吐き、片や、誤って送られたにすぎないトラックバックを意図的に残す。
表れ方は正反対だけれど、反論できないから貶めようと図ったという意味において、その本質は同じ。

もう一つ重要な事は、増田がチンピラを黙認していること。
本当の科学者ならば、たとえ自分の意見に同調する者であっても、反論に窮して捨て台詞を吐くような輩に対しては、それは科学的な態度とは相容れない、と激しく叱責するはず。
当然だろ。
科学は客観性の上にのみ成立可能。
それなのに、自分に同調する者が科学的態度と相容れなくても黙認するというのは、客観性を放棄しているのであり、人為的温暖化論が科学ではないことを完全に露呈したと言える。

さて、「チョンコロ」と言えば、孫腐正義だが。
「電気料金が一時的に数百円上がるとか経団連のえらいさんが言ってるようだが、わたしに言わせると「ええかげんにせえ」と。それは一時的なことではないか」とのたまったと。
おい、こらっ!
テメエこそ「ええかげんにせえ」よ!!
コヤツの言ってる「一時的」とは何か。
震災と原発災禍に苦しんでいる「この時」という意味だろ!
孫腐正義は、日本国民が震災と原発災禍に苦しんでるのを尻目に、再生可能エネルギー高値買い取りで俺が濡れ手に粟の利益を手に入れて何が悪い、と言ってるだけだろ!

村野瀬女史は「電気料金は上げたくないというのは財界自身のことしか考えていないことの雄弁な証明です」と言ってるけど、原発災禍に苦しむ国民から毟り盗ろうと企む孫腐正義と、非正規雇用を拡大して利益を貪った財界と、何処が違うのかね?
当初、ソフトバンクには正社員など殆ど居なかったんだよ。
孫腐正義は100億寄付するなどと嘯いていたけど、それは非正規雇用で収奪して得た資産だろ!
孫腐正義こそネオリベ路線を先取りしてたんだろ!
ソフトバンクが未だに強引で違法すれすれの勧誘をしてるのはその証拠。
孫腐正義も「自身のことしか考えていない」。
経団連を批判するのは尤もだが、それを以ってして、再生可能エネルギー高値買い取りを正当化することは出来ないんだな。

村野瀬女史は「これはどういうことかというと、消費税値上げは消費者には負担になるけれど財界には利益になるのです。電気料金は、消費者にも財界にも負担になるのです。だから、財界は、消費税上げに大賛成し、電気料金上げを渋るのです」とものたまってるけど、それは消費税の本質を理解していない証拠。

消費税の本質は社会的弱者・強者を区別しない事。
その結果として、実質上、負担が社会的弱者に押しつけられること。
確かに、財界は社会的強者に属するけど、太陽光パネルを設置できる家庭は設置できない家庭よりも裕福だから、裕福な家庭が貧しい家庭に負担を押しつけることになる。
結果として、100億の資産を持っている孫腐正義が、貧しい家庭に負担を押しつけることになる。
この意味からすれば、再生可能エネルギー高値買い取りも消費税も本質は全く同じ。

我国の財政に占める消費税の割合は、実は、スウェーデンとほぼ同じ。
増税して福祉に回すなどと嘯いているけど、実は、現在の消費税を全て福祉に回せば、北欧並みの「高負担」。
(但し、風土も人口も歴史も違うから、それで直ぐ高福祉になるとは限らないけど。)
にもかかわらず、朝鮮日刊新聞や財界や自民党・民主党は、福祉のために増税が必要などと嘯いて、国民を騙しておるわけだ。
一方、これは共産党が指摘しているけど、電気代には原発推進のための電源開発促進税が上乗せされてるから、脱原発ならばそれは廃止すべきで、従って、その分だけ電気代が下がるはずなのに、やはり、「電気料金が一時的に数百円上がる」などと言い張って、国民を騙しておるわけだ。
消費税増税プロパガンダと再生可能エネルギー高値買い取りプロパガンダは全く同じ構図なわけ。

忘れてならないのは、再生可能エネルギー高値買い取りは人為的温暖化論を前提にしているということ。
実際、再生可能エネルギー高値買い取りを言い立てている連中の殆どは、人為的温暖化論を信じて疑わない。
しかし、人為的温暖化を喚き立てている輩の非科学性と醜悪さを見れば判るとおり、それは全くのでっち上げ。
であるから、前回の投稿で紹介したけど、小出裕章の指摘どおり、原発を「一時的に」火力で置き換えれば、即全廃できる。
にもかかわらず、孫腐正義を救世主のごとくに見なすのは、原発推進派と何ら変わるところなし!

そもそも、原子力発電は国が主導して進められたわけ。
だから、再生可能エネルギーとやらを普及させねばならないと言い張るのならば、電力会社に再生可能エネルギーに依る発電を義務づければいいじゃないか。
何年後には何%と義務づけれたらいいじゃないか。
そのための法律を制定すればいいんだ。
ソフトバンクは何の技術力も持ち合わせていないのよ。
電力会社に義務づけた方が遥かに効率よく普及するはずだろ。
原発推進のために使われてきた電源開発促進税を、再生可能エネルギー普及に回せばいいんだ。
これならば「電気料金が一時的に数百円上がる」ことなどあり得ない。
それでも足りないと言うのならば、電源開発促進税を上げればいいじゃないか。
なのに、電力会社に高値で買い取らせる事になぜ拘るんだ。

たとえ、再生可能エネルギー買い取りを正当化するにしてもだな、震災と原発災禍からの復興がある程度進むまで高値買い取りは「一時的に」凍結しよう、となぜ言えない?
もちろん、答えはハッキリしてるな。
今こそ国民から毟り盗るチャーンス、ということ。
そして、それこそが再生可能エネルギー高値買い取りの本性。
にもかかわらず、あべこべに「しょうもない利害を持ち込んで目をくらませてはいけない」とまで言い放った孫腐正義が、正真正銘の鬼畜であることは明らかだろ。
それとも、孫腐正義に儲けさせねばならない理由でもあるのかね。

前回の投稿で指摘したとおり、根本にあるのは人間としての「良心」。
「良心」に基いて判断すれば誤ることなし。

さて、今回も「村野瀬玲奈の秘書課広報室」と「気候変動・千夜一夜」にトラックバック送ってみっか。
増田は「ええかげんに」してもいいよ。

あ~、そうそう。
チンピラが捨て台詞吐いた後で、それに同調して「ほ、ほ、ほ、飽和?何を持って飽和?二酸化炭素が、ホンマに飽和しとったら、オイラたち、すでに死んでるんじゃ」ってコメントしてる阿呆がいたけど。
そのとおり。
お前はもう死んでいる
自分の頭で考えようとしない輩は死んだも同然よ。

再生可能エネルギー交響曲第8番「賤人の交響曲」

マーラー「交響曲第8番(千人の交響曲)」より

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

さて、「再生可能エネルギー」の本性について考えてみますか。

原発事故以降、電力不足が盛んに喧伝されてるわけね。
人為的温暖化を喚き立ててきた朝鮮日刊新聞はその典型だな。


電力不足―計画節電へ政府は動け
政府がちゃんと音頭をとって「計画節電」に踏み切れば、関東圏の停電を回避できるというのに、それをしていない。無責任ではないか。
日々の生活や企業の生産活動に及ぼす停電の弊害は目に余る。自家発電の設備能力が足りず、停電時に十分な対処ができない病院があったり、生産中断を余儀なくされる工場があったりと、影響は深刻だ。
信号機が止まった交差点での事故も、生活の安全を脅かしている。
一時、3100万キロワットまで低下した東京電力の供給力は、東京湾内の火力発電所の復旧などで、やや回復してきた。それでも茨城県や福島県の火力発電所は損傷が激しく、いまだに復旧の見通しが立ちにくい。
東電は、休止していた発電設備をもう一度動かすなどして供給力の上積みに努めるという。自家発電している企業からの電力買い取り量を増やすことなども含め、手を尽くさねばならない。だが、そうしても電力不足が長引くことは避けられまい。
震災に停電が追い打ちをかけている現状を、これ以上放置してはならない。政府は主導力を発揮し、徹底した節電対策へと踏み切る時だ。
ところが、電力不足対策をめぐる政府の動きは鈍い。節電の「お願い」を訴えるだけにとどまっていて、基本は民間まかせにひとしい。
東京23区では、節電の動きが広がって、停電の回避にかなり貢献している。それでも、エスカレーターの稼働やオフィス街の照明・空調の状況をみると、節電の努力や取り組みには、ばらつきが目立つ。
不便を強いられている停電区域からの不満も高まっている。
電気事業法第27条は政府が強制的に電力使用を制限できることを定めている。石油ショック時には、その発動によって節電が大きな成果を上げたという実績がある。
電力不足に伴う痛みの分かち合いは、停電より節電という手法を用いるほうが犠牲が少ない。そのことは、過去の経験からも明らかだ。
産業界や大口需要先に対しては、早期に協議の場を設け、総量規制の水準を定める。電力消費を一定の時間帯に集中させないための工夫も求める。操業時間や就業時間を短縮したり職場ごとにずらしたりする、あるいは休日を増やすといった案もあろう。
一般家庭向けには、節電のための情報を十分提供したい。ガス利用を増やし、エアコン使用を1台に限る、などの指針も役立つ。ピーク時の電力料金を高く設定して、使用の分散をはかる案も検討に値しよう。
計画的な節電により、生活と経済活動をきちんと回していく。それが被災地の早い復興にもつながる。


(2011年3月27日の朝鮮日刊新聞社説)


夏の節電―使い方改める契機に
この夏の懸案だった首都圏の電力不足が、大きく改善される見通しとなった。ガスタービンなど緊急電源の増設に加え、震災で被害を受けた大型火力発電所の復旧作業が進み、操業のめどが立ったからだという。
これまで25%とされてきた政府によるピーク時の最大使用電力の削減目標も、15%へと改められた。
猛暑だった昨夏、冷房のない部屋で熱中症などから亡くなる高齢者が相次いだことを思うと朗報だ。経済活動への影響についても、緩和されるにこしたことはない。
ただ、供給能力の増強ではかなり無理をしている。廃止予定だったのに慌てて再稼働させた古い設備なども含まれており、支障が出ないとも限らない。
浜岡原発の停止で、中部電力管内の電力供給にも黄色信号がともっている。これまで余裕があった西日本が、玉突き的に苦しくなる可能性もある。油断は禁物だ。
家庭や中小企業の節電対策はこれからだが、大企業ではすでに様々な節電対策が打ち出されている。
蛍光灯の間引きといった細かな工夫から、夏休みの長期取得、輪番操業など大がかりなものもある。働き方や事業態勢そのものの見直しにもつながる動きだ。一過性の対策と考えず、経営の効率化や不断の見直しに役立ててほしい。
菅政権は、原発事故を契機にこれまでのエネルギー政策を見直す姿勢を見せている。であれば、節電についても中長期的な構造改革を視野に入れた取り組みが望まれる。
過去に電力自由化をにらんだ新規事業者の参入や電力取引市場の開設などが図られたが、うまく機能していない。もっと発電業者が活発に電力を融通しあえる仕組みを整えるべきだ。
欧米では、省エネ設備や環境事業を債券化することにより、初期投資の負担を軽減したり、民間資金を活用したりできる金融手法も開発されている。節電を通じた経済活性化を考えるうえで一考に値する。
今回は、冷房需要で電力使用がピークになる日中をいかにコントロールするかが、知恵の絞りどころだ。やみくもに「我慢」を強制する節電には意味がない。必要以上に夜間照明を落とし、事故を誘発するようなことは避けなければならない。
原発事故は、電気の大切さと利用者として私たちが負うべき責任の重さを示した。日差しが日々強まるこの季節、限りある資源を賢く使う契機にしたい。


(2011年5月17日の朝鮮日刊新聞社説)


電力不足―西日本も、さあ節電だ
政府は関西、北陸、中国、四国、九州の電力5社に対し、20日になって急きょ、この夏の節電を要請した。
東京、東北電力管内のような強制力のある電力使用制限令ではないが、この夏は列島あげて節電に全力をあげなければならない事態になった。
西日本でも電力不足が懸念されるのは、定期検査で停止中の原発の再稼働が見込めないなか、関電の原発と中国電の火力発電所がトラブルで止まり、電力需給の見通しが一気にひっぱくしたからだ。
西日本には震災で壊れた大規模発電所はないし、同じ周波数の地域が広く、電力の融通もしやすい。それでも昨年並みの電力需要があれば、5社合計ではピーク時に電力不足に陥りそうだという。とりわけ、発電量の約5割を原発で賄ってきた関電が深刻だ。
原発の再稼働をあてにしているうちに、政府も電力会社も対策が後手に回ったのは明らかだ。節電体制づくりの準備不足という点では、西日本の方がむしろ厳しい展開と言える。
ただ、今からできることは限られている。当面はありとあらゆる節電でしのぐしかない。
要は、暑さの厳しい時間帯に電力使用が集中しないようにすることだ。そのためには、地域や職場、家庭で相談して、工夫を凝らしていく必要がある。
もともと、西日本は大震災の被災地から遠い。企業の中には東日本の電力不足を見越して、わざわざ西日本へ生産拠点や管理部門を移したところもあるくらいだ。地震の実感がないぶん、住民は「なぜ節電なのか」という思いだろう。
それでも、節電が不可欠な現実と向き合わねばならない。
何より効果的な節電をするには、政府や電力会社が供給能力や需要動向に関する情報をきちんと開示することだ。
とくに最も不足が心配される関西ではいま、政府が「10%以上」、関電が「15%」、自治体でつくる関西広域連合が「5~10%」と、ばらばらな目標値を設定している。
これでは、住民は本当に足りない電力がどのくらいなのか、どれだけ暑さを我慢しなければならないのか、わかりにくい。
ただでさえ、計画性を欠いた政策変更を繰り返す政府と、九電のやらせメールに象徴されるような企業体質を引きずる電力会社に対し、国民の不信感は募っているのだ。
もっと根拠のある数字と、納得できる説明が要る。それが夏を乗り切る最低条件になる。


(2011年7月22日の朝鮮日刊新聞社説)

「電力不足に伴う痛みの分かち合い」だの、「もっと発電業者が活発に電力を融通しあえる仕組みを整えるべきだ」だのとほざいてるけどね、本当に、お互い融通しあって助け合うんだったら、俺の太陽光発電を高値で買い取れ、なんて言うはず無いだろ。
それは「痛みの分かち合い」じゃなくて「痛み」を押しつけてるだけだろ。
小泉エセ改革の時のプロパガンダと同じじゃないか!

ところがだな、自然エネルギーの全発電量を高値で買い取らせようするわけだ、これが。


電力買い取り―今国会で成立させよう
太陽光に風力、水力、地熱、バイオマス(生物資源)……。
これらの自然エネルギーを使って発電された電気を、国が定める価格で買い取るよう電力会社に義務づける。
自然エネルギー普及の切り札とされる「全量固定価格買い取り制度」だ。
これを導入する法案が、国会でたなざらしにされている。東日本大震災の日の朝に閣議決定され、すでに100日が過ぎたのに審議に入れない。
理由のひとつは、買い取る費用が電気料金に上乗せされるため、経済界を中心に慎重論が根強いことだ。
経済産業省の試算では、制度開始から10年後、標準的な家庭で月150円から200円ほど負担が増えそうだ。電力を大量に使う企業にとっては、大きな負担になりかねない。
それでも、私たちは今国会で成立させるべきだと考える。
原発事故を目の当たりにしたいま、地球温暖化を防ぎながら、原子力への依存度を下げていくには、自然エネルギーの普及を急がねばならない。
それに地域経済の自立や災害に強い国づくりにも役立つ。小型の発電設備を家庭や集落に置けば、地域で電力を賄えるし、発電所や送電網の事故による停電の被害も小さくできる。
そのうえ「純国産」だ。輸入に頼る石油やガスへの依存を減らせれば、安全保障上も、長い目でみれば経済的にも利点は大きいはずだ。
各党も自然エネルギーの普及を公約している。2009年の衆院選では自民党も「太陽光発電の買取制度など」による自然エネルギー拡大を掲げていた。
なのに谷垣禎一総裁は「法案が実効的か検討の余地がある」と述べ、審議入りに慎重だ。効果に疑問を抱くなら、高めるための提案をすべきだ。
この制度が根づけば、電気は電力会社が巨大な発電所でつくるものという「常識」が覆る。国民が電気の利用者から、供給者になっていく。
裏返せば、電力会社が地域の電力供給を独占してきた既存の体制は揺らぐだろう。それだけに強い抵抗は避けられない。電力業界は民主党にも自民党にも強い影響力を持つ。その意をくんで、法案に反対する政治家が多く出るに違いない。
一方で、超党派の国会議員らが法成立を求め、議員200人余りが署名している。
これは、新しい政治の対立軸になる。採決の際に、党議拘束をかけず、各議員の見識を問うてみるに値する。


(2011年6月19日の朝鮮日刊新聞社説)

この社説を読んで「未来を切り開くための前向きな主張として評価することができます」などとのたまってるオネエチャンを見かけたけど、「国民が電気の利用者から、供給者になっていく」のならば、「電力不足」の今、家庭の太陽光発電で余った分はただで提供することこそ助け合いの精神だろ。

それなのに、電力が不足してるから、俺の太陽光発電を高値で売ってやるよ、って。
そりゃ、何だよ!
要するに、人が困ってるのを利用して儲けよう、ってことだろ!
鬼畜だな、鬼畜!
孫不正義が「再生可能エネルギー」に参入する目的は正しくこれだ。

昨日、こんなニュースが出てたけど。


太陽光、強引商法…玄関居座り・即日契約強要
東京電力福島第一原子力発電所の事故や中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の全面停止で再生可能エネルギーが注目を集める中、訪問販売業者による住宅用太陽光発電システムの強引な営業が相次いでいる。
この間、国民生活センターと地元の消費生活センターに愛知、岐阜、三重、静岡の東海4県から寄せられた相談件数は前年同期の約1・9倍に上った。即日契約を強要するなど悪質なケースもあり、国民生活センターは注意を呼びかけている。
東日本大震災の直後、愛知県内の50歳代の女性宅に2人組の業者が訪れ、「首都圏では計画停電で日常生活に支障が出ている。停電しても困らないよう、太陽光発電にしないか」と購入を求め、しばらく玄関に居座った。女性は粘り強く断り、契約しなかったという。


(2011年8月5日12時45分 読売新聞)

再生可能エネルギーを高値で買い取れ、と言うのと此れと何処が違うんだ?
全く同じだろ。
と言うよりも、再生可能エネルギー高値買い取りを正当化するから、こんな連中が現れるんだよな。

さて、3月21日の投稿へのコメンテータ氏は「今はどこの誰を信じていいか途方にくれているのです」と嘆いてましたが、「誰を信じていいか」という設問をするから途方に暮れるのであって、逆に「誰を信じてはいけないか」という設問をすれば、真実が見えてくるわけよ。
いわゆる、消去法。
本来ならば、消去法だけでは真実は見えないはずだけど、残念なことに、今の日本では消去法だけで真実が見えてしまう。
「電力が不足してるから、俺の太陽光発電を高値で買え」というような輩を信用するか?
信用できるはずないな。
信用できない奴とつるむような輩を信用するか?
信用できないね。

後者の例が坂本龍一だな。
クラシック音楽しか聴かないから、よくは知らないけどね。
こんな記事があったよ。


原発「止める時間あった」=楽器再生、コンサートで支援-坂本龍一さんインタビュー
脱原発運動に取り組み、東日本大震災で被災した学校などの楽器修理や再購入補助を行う「こどもの音楽再生基金」を立ち上げた音楽家の坂本龍一さんが24日までに、時事通信の取材に応じ、「文明の脆弱(ぜいじゃく)さを実感した。原発事故を止められず悔しい」と語った。
主な一問一答は次の通り。
-地震の光景を見て何を感じたか。
自然の力への畏敬と人間の文明の脆弱さを実感した。ショックからなかなか立ち直れなかった。
-さまざまな支援活動に取り組んでいる。
何とかできることをしたい。学校の音楽再生基金と震災後に支援のため作った新曲の収益寄付、林業振興を兼ねた木製仮設住宅提供が柱。チャリティーコンサートも開きたい。
-被災地を見て感じたことは。
岩手県陸前高田市を訪れ、映像では分からない被害の広さに立ち尽くした。ニューヨークで見た9・11テロが二重写しになった。
-脱原発に取り組んできたが、事故は起きた。
悲劇的な事故を自分の国が起こし本当に悔しい。この国に原発ができて40年以上、止める気になれば時間は十分あった。
-今後どうあるべきか。
単純に何が大切かを考えれば、命と健康に勝るものはない。危ない原子力以外で発電できるならそうすべきだ。自然エネルギー普及の思いを多くの人に共有してもらうために引き続き取り組む。(2011/07/24-15:38)


(時事ドットコムより)

「林業振興を兼ねた木製仮設住宅提供」って、いいことしてるように見えるけど、違うな。
仮設住宅は膨大な数が必要なわけだ。
だから、木製仮設住宅を提供しても、それを利用できるのは極々一部の被災者に限られる。
しかし、そんなことしたら、被災者の間に格差が生じてしまう。
あいつ等だけいい所に住めて、という嫉みが生まれるのは避け難い。
そうなると、被災者の連帯が崩れてしまう。
それは復興の足枷になる。
なぜ、このことに考えを巡らさないのかな?

そもそも、仮設住宅に入りたがらない被災者も多いわけよ。
なぜかって言うと、震災で生活の糧全てを失い、逆に借金だけ残って、生活できないから。
避難所に居れば食料は提供してもらえるから。

だからね、「林業振興を兼ねた木製仮設住宅提供」なんて言ってもね、所詮は坂本の自己満足にすぎないわけよ。
「脱原発運動に取り組み」もね、要するに、文化人を飾るための活動でしょ。
確か、こやつはずっとアメリカに住んでたよね。
現に「ニューヨークで見た9・11テロが二重写しになった」と言ってるな。
(ほんとのこと言うと、この発言は許し難い。「9・11テロ」はキチガイ戦争国家米国がユダヤと結託してパレスチナ人を虐殺し、アフガニスタン・イランで殺戮を繰り返してきた結果なのであって、実のところ、米国自身が原因。にもかかわらず「二重写しになった」との言い草は、自業自得だ、と言うに等しく、ダイオキ慎太郎の「天罰」発言と本質的にかわらない。まあ、深く考えないで口走っただけかもしれないから、これ以上は追求しないけどね。)
アメリカでは「自然エネルギー」を叫ぶのが自称「文化人」のステータスシンボルだからね。
それだけのこと。
中身はゼロ。
だからこそ、「危ない原子力以外で発電できるならそうすべきだ」ならば、まず当面は火力発電で置き換えるべきであるにもかかわらず、「自然エネルギー普及の思いを多くの人に共有してもらうために」などとほざいてるわけだ。
これを見ろ!


「原子力なくても火力と水力でまかなえる」と京大研究者提言
2011.04.19 07:00
いまや日本の全発電量の26%を占めるまでになった原子力発電だが、福島原発事故を機に、「原発はないほうがいいのでは」との声も上がる。だが、いまさら生活は変えられるのか?
「原子力がなくても、現在の火力と水力だけで充分にまかなえます」というのは、京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏だ。
「日本では、使われていない火力の発電所が相当数あるんです。そういった発電所を稼働させれば、原発を全部止めて、廃炉にしても問題ない」。東海地震の予想震源域にある浜岡原発をはじめ、即刻すべて止めるべきと、小出氏はいう。
世界にはすでに“脱原発”に踏み切った国が存在する。イタリアだ。1986年のチェルノブイリ原発事故を受け、イタリアは1987年に国民投票を実施。当時稼働していた4か所の原発を順次閉鎖することを決定した。現在も続いている解体作業は2019年までには終える予定だという。
しかし代償として、エネルギー需要の80%以上をフランスなどからの輸入に依存せざるをえない状態になっている。最近は安定しない電力供給に、再び原発を持とうという議論があがっている。


(女性セブン2011年4月28日号)

本当に原発の危険性を熟知し原発廃絶を訴えてきた研究者が、火力発電で置き換えて直ちに全廃せよ、と訴えているのだよ。
朝鮮日刊新聞や坂本龍一のように、自然エネルギーなどとほざいている輩の「脱原発」などは偽物。
きつ~い言い方をすれば、坂本龍一は原発事故を利用して己を美化してるだけ。
それでも被災者の援けになるならば批判すべき事ではないけれど、孫不正義とつるんだ以上、結局は、原発事故を逆利用して、日本人から毟り盗ろうと企んでいる極悪人どもの片棒を担いだことになる。
悪と繋がる者は悪。
それが客観的事実。

本当に国民のための「再生可能エネルギー」ならば、原発災禍に苦しむ今、高値買い取りなんて絶対言えないにもかかわらず、人為的温暖化を吹聴してきた連中が尚も平然と高値買い取りを言い立てているということは、「再生可能エネルギー」が、国民のためではなく、国民から毟り盗るための手段にすぎないことを完全に露呈したと言える。

以上から判るとおり、孫不正義は「誰を信じてはいけないか」という判断のいわば「原点」と成り得る存在。
その意味においては重宝な存在であるな。
そこで、もう一つの例を考えてみよう。
これを見てちょう。

判るよな。
ゴミ山だよ。
孫不正義の右隣はゴミ山宏だよ。
4月28日の投稿で紹介したとおり、ゴミ山は東電の社外監査役、すなわち、加害者。
こんな鬼畜は信ずるに値しない。
ということは、この鬼畜が吹聴している「再生可能エネルギー」も人為的温暖化論も信ずるに値しないということ。
鬼畜の言う事を信じるアホがいるか!
すなわち、プランク関数を知らない文系人間でも、
孫不正義 → ゴミ山宏 → 人為的温暖化論
という図式に依って、人為的温暖化論の虚構が判るわけだ。
もちろん、サイドバーにアップロードしている”「地球温暖化懐疑論批判」の不都合な真実”を見てもらえば判るとおり、それは科学的にも立証できる。
だから、小出裕章の指摘どおり、原発を直ちに火力で置き換えるべきなんだ。

しかし、写真撮ってる時にズボンのポケットに手を突っ込んでるゴミ山って、ほんとにアホだね。

さて、ゴミ山宏が音頭をとった「地球温暖化懐疑論批判」の著者の一人が増田耕一。
すなわち、孫不正義 → ゴミ山宏 → 増田耕一、という図式が成り立つ。
で、「気候変動・千夜一夜」によれば、今年の4月以降、増田は「再生可能エネルギー」に関わってるらしい。

従って、次のループが成り立つ。

再生可能エネルギー → 孫不正義
↑                    ↓
増田耕一        ←   ゴミ山宏

おおっと。
これって、フィードバックの図式じゃん。

Understanding and Responding to Climate Change より

くぅ~~~!
鬼畜のフィードバック!
これがほんとの「dangerous anthropogenic interference with 鬼畜」
テメエら2℃とお天道様拝めねえぜ!

結局だね、「誰を信じていいか」ではなく、己の良心を信じるか、ということなんだな。
たとえ人為的温暖化が本当だとしてもだね、であるから、原発の替わりに火力ではなく「再生可能エネルギー」を推し進めなければならないとしてもだな、原発災禍に苦しむ国民に対して、電力不足だから高値で買い取れなんて言うのは、私めの「良心」と相容れないんだな。

わざわざこんなマイナーなサイトを見つけ出して、3月21日の投稿にコメントをくれた人の「良心」を信じてるよ。

(え~、WordPressは、トラックバックなんてダセ~、というスタンスらしいので、各記事にトラックバックURLが表示されません。
で、調べたところ、「その記事のURL+/trackback/」がトラックバックURLだそうです。
但し、確認してませんから。本当に送れるかどうかは判りません。
トラックバックしたいという奇人変人は試してみてください。)

ちょびっと「復活」

マーラー交響曲第2番(復活)」より

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

ビッグ乳’sです、デカパイ(死語)です、じゃなかった、ビッグニュースです。
“「地球温暖化懐疑論批判」の不都合な真実”シリーズをまとめ直したものが、東京大学サステイナビリティ学連携研究機構から出版されるはこびとなりました!
嘘です。
PDFファイルにしたものをサイドバーにアップロードしました。
既にアップロードしていた”人為的な温暖化は起こり得るか”の内容もこちらに統合しました。

お盆休みにでも覗いてみてください。
では、では。

ん?
およよ。
6月9日付けで3月21日の投稿にコメントが来てたよ~。
う~む。
三ヶ月近くログインしていなかったので気がつきませんでしたな。

どれどれ、なんて書いてあるかな。


あまりにも反論の余地のない記事内容に、もしかしてIPCCのおとりでは?なんて少しびくつきながらコメントしています。それでも信ずるしかないので・・・。というか運動家でもない小市民だし。世間では自然エネルギーなるものに急速に関心が集まっているようですが、私も管理人殿と同じくこれには賛同できません。瓦屋根が、個人宅が、すべて太陽光パネルで埋め尽くされるなんて、あまりの無機質感に気持ちが悪くなりそうです。しかし、告白しますが最近まで温暖化詐欺を信じていたのです。原発事故で目が覚めたというか・・・。管理人氏がどこの誰であるかは知る由もありませんが聞いてみたいことがあって。このブログでもいろいろな人を批判していますが以下の人をどう思いますか?
①孫正義②坂本龍一③本田勝一
また以下の週刊誌、団体をどう思いますか?
週刊金曜日 たんぽぽ舎
たしか近藤という方がブログ内で管理人氏と似たような主張をしており、週刊金曜日で掲載されるはずだった、槌田敦氏と組んだ環境問題についての記事が直前になって打ち切られたといっています。
ご意見お聞かせくだされば幸いです。今はどこの誰を信じていいか途方にくれているのです。


う~む。
「もしかしてIPCCのおとりでは?」というコメントは意外ですが、IPCCに対抗できるほど科学的という意味であろうと、善意(手前味噌?)に解釈しておきますか。
とは言え、回答が無かったんで、コメンテータ氏は失望したことでしょうな。
こちとら、ゴールデンウィーク前に終了したつもりだったんでね。
まさか、その後にコメントが来るとは思いもしなかったよ。

しかし、考えてみれば、5月以降の状況は余りにも醜いからね。
コメンテータ氏もそのような状況に居た堪れず、ネット上で色々と検索しているうちに、この超マイナーなサイトに辿り着いたのでしょうな。
実際、コメントの内容は5月以降今日までの状況に深く関わってるからね。
それだけに、コメント欄で回答するには重すぎる課題だわ。

4月28日の投稿では、同じ投稿のトラックバックが何回も送信されちゃったので・・・、と書きましたが、実は、そんなの全然気にしてないんで。
同じトラックバックが3つ送られたら、プレゼントを3つも貰ったと同じだろ。
有難く頂戴しろ、ってなもんだ。
休止したのは、単に、鬱陶しくなっただけ。
人為的温暖化バカどもを相手にしても何ら得るところが無いからな。
だからね、あまりやる気が湧かないんだけど、この際、チョット復活して、上記のコメントを材料に5月以降の状況を論じてみようかね。
また、直ぐに止めちゃうけど。

5月以降の醜い状況はもちろん「再生可能エネルギー」なる代物に集約されているわけだけど、ここで注目すべきはだね、今まで「自然エネルギー」と言ってたのが、実際、コメンテータ氏も「自然エネルギー」と書いてますが、突如として「再生可能エネルギー」なる言葉に置き換わってしまったことだね。
案の定と言うか、増田耕一も早速「再生可能エネルギーに関するIPCC報告書が出ました」などとはしゃいでますが。

何が「再生可能エネルギー」だよ。
再生紙じゃねえぞ。
太陽光発電や風力発電の電力は消費しても「再生」できるってか!
エネルギー保存則に反してるだろ。
アホかっつ~の!
「インチキ Panel on Climate Change(IPCC)」とその一党が「再生可能エネルギー」なる馬鹿げた用語を用いたこと自体が、IPCCの非科学性を露呈したと言えますな。

続きは1週間程度の間隔でボチボチといきますわ。