主権者は言われた、「脱炭素」を葬り去る、と

ヴィヴァルディ「主は言われた」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

2月24日の投稿で採り上げた2月20日の邪説は「学校法人森友学園にまつわる一連の問題は、民主主義の根幹を揺るがしてきた」と泣き喚いてやがったけど、これが左翼の言い張る「民主主義の根幹」だ!


2020年3月5日の朝鮮日刊新聞夕刊紙面より

2012年10月16日の投稿2015年7月17日の投稿(で採り上げた「教えて!電源構成」の第8回に関して)、7月19日の投稿、そして、7月28日の投稿で糾弾したにもかかわらず、今も尚「いや、一度は期待が膨らんだ。民主党政権下の2012年」と喚いてやがる!
2012年8月23日の投稿で紹介したとおり、パブリックコメントでは8割以上が「直ちに原発ゼロ」だった。
なぜ「直ちにゼロ」なのかと言えば、2011年4月26日の投稿8月30日の投稿2012年1月5日の投稿7月2日の投稿7月11日の投稿7月25日の投稿9月4日の投稿9月7日の投稿2013年2月26日の投稿、そして、3月29日の投稿で紹介したとおり、原発が無くても電力は足りているから。
電力需要は火力発電で賄えるから。
チョンコロ民主党の「30年代に原発稼動ゼロ」は再エネに他ならず、そして、コヤツらが「いや、一度は期待が膨らんだ」と喚くのも再エネを推し進めたいからだけど、2012年8月31日の投稿でも指摘したとおり、「ただちに原発ゼロ」ということは、「主権者の市民が」再エネを求めていない、ということ。
「市民参加による『熟議』の手法も消し去った」だと?
2015年7月17日の投稿で採り上げた邪説は「口先だけの『熟議』ではなく、主権者である国民の声を聞くことを安倍政権に求める」と泣き喚いてやがったけど、「口先だけの『熟議』ではなく、主権者である国民の声を聞くことを左翼に求める」!

けど、決して、決して、「決して」という言葉を「何度言っても言い足りない」ほど決して、「主権者である国民の声を聞かない」。
「口先だけの『熟議』で、主権者である国民の声を聞かないことを安倍政権に求める」ために、気候変動を煽り立ててるんだね。
2015年7月28日の投稿で採り上げた邪説は「政権と決め方―基盤崩す『結論ありき』」と泣き喚いてやがったけど、「左翼と決め方―民主主義の基盤崩す『脱炭素という結論ありき』」。
「欧州では、日本とまったく違う形での気候変動対策作りが進む。くじ引きで選ばれた市民が、熟議の上で国や議会に政策提言をする手法が、広がりつつあるのだ」と囃し立ててやがるけど、「使命は『30年までに温室効果ガス排出を1990年比で少なくとも40%削減する具体的な政策を提言する』ことだ」。
あくまで「使命」。
「使命」とは、すなわち、上から使わされた命題。
「脱炭素という結論ありき」。
それを「脱炭素という変革は主権者である市民の参加を抜きに進められない」と言い立てて、「主権者である市民」が選んだ命題に偽装する。
「民主主義の成熟度が高い」と見せかける。
「マクロン政権は昨年10月、気候市民会議を召集した」だの、「英国の気候市民会議の参加者は」だのと囃し立ててるけど、実は、上から与えられた命題を疑いもせずに「聞こう市民会議」。
2015年7月28日の投稿で採り上げた邪説は「仏つくって魂入れず」と泣き喚いてやがったけど、「仏(市民会議)つくって魂(民主主義)入れず」。
欧州の「民主主義の成熟度」は極めて低い!

「柳下さんは日本との差は開くばかりだと感じている」だと?
「柳の下にいつも泥鰌(どじょう)はおらぬ」!
1月27日の投稿で紹介したとおり、「科学者の発言や研究成果などについて『非常に』『かなり』信頼していると答えた人は、日本では25%にとどまった」から、本当に「無作為に選ばれた市民」が「熟議」すれば、「主権者である市民の参加」を求めれば、「脱炭素 主権者の市民が否定」という結果になる。
2012年5月21日の投稿で採り上げた2012年5月6日の邪説は「欧米では、科学者ら専門家への『信頼の危機』に見舞われた際、市民参加による熟議を通じて信頼の再生を図ってきた」と泣き喚いてやがったけど、それなら、「日本では25%にとどまった」のだから、先ずは「気候変動」の真偽に対する「市民参加による熟議」が必要。
にもかかわらず、「日本では25%にとどまった」ことは絶対に、絶対に報じず、「欧州では、日本とまったく違う形での気候変動対策作りが進む」と囃し立て、「柳下さんは日本との差は開くばかりだと感じている。『脱炭素を実現できるかどうかは、民主主義の成熟度にかかっている』」と泣き喚くのは、国民に指突きつけて、お前らは「民主主義の成熟度」が低いと罵る以外の何物でもない。
前回の投稿で採り上げた「日曜に想う」は「そもそも言論の府は、権力を持つ者が聞きづらいことを聞く義務を負っている場であろう。少数派を見下したり、威を誇示したりする場ではないはずだ」と泣き喚いてやがったけど、「そもそも言論のメディアは、権力を持つ者が民意を聞く義務を負っている場であろう。『脱炭素を実現できるかどうかは、民主主義の成熟度にかかっている』と市民を見下したり、威を誇示したりする場ではないはずだ」!
3月3日の投稿で採り上げた邪説は「経緯をたどれば、子どもでもそのおかしさがわかる」と泣き喚いてやがったけど、多くの民意を掬い取るべき新聞社が「民主主義の成熟度」が低いと国民を罵るのは全く異常で、「子どもでもそのおかしさがわかる」。
2018年5月23日の投稿で採り上げた2018年3月21日の邪説は「今回の二つの出来事は、熟議を拒み、『敵』とみなした人々を批判し、排除することを繰り返してきた、この5年間の安倍政権の体質を映し出す。深刻な事態である」と泣き喚いてやがったけど、「今回の二つの出来事(『いや、一度は期待が膨らんだ。民主党政権下の2012年』と『脱炭素を実現できるかどうかは、民主主義の成熟度にかかっている』)は、熟議を拒み、『敵』とみなした人々を批判し、排除することを繰り返してきた、この10年間の左翼の体質を映し出す。深刻な事態である」!
3月1日の投稿で説明したとおり、EUこそが基準年を1990年にずらして誤魔化しているにもかかわらず、尚も「使命は『30年までに温室効果ガス排出を1990年比で少なくとも40%削減する具体的な政策を提言する』ことだ」と囃し立てるのも、その事実をハッキリと示してる。)
2015年7月17日の投稿で採り上げた邪説は「選挙で多数を得たからと言って、『熟議なき多数決』によって、平和主義をはじめとする憲法の理念、民主主義の価値をひっくり返す。それが安倍政権の民主主義だというなら、決してくみすることはできない」と泣き喚いてやがったけど、「『脱炭素を実現できるかどうかは、民主主義の成熟度にかかっている』が左翼の民主主義だというなら、決して与することはできない」!

江守正多の全く不都合な真実」の第12節で解説しているとおり、江守グレ多は「日本の政治やビジネスのリーダーは、どうか遠慮なく、新しい競争でいち早くチャンスをつかむために、脱化石燃料という挑戦の海原に果敢に飛び込んでいってほしい」と言い放ち、市民を見下して「彼らは新しい常識にいつのまにか従うようになるだけだろう」と高言した。
「脱炭素という変革は主権者である市民の参加を抜きに進められない。官僚や専門家の意思決定だけに任せられないという考えの表れだ」と喚き立てるのなら、江守グレ多を厳しく糾弾しろ!
けど、しない。
決してしない。
「脱炭素を実現できるかどうかは、民主主義の成熟度にかかっている」と泣き喚き、その実は、「民主主義の成熟度」が低いから民主主義はいらない、と罵ってるんだね。
2012年5月21日の投稿で採り上げた2012年5月6日の邪説は「日本の原発政策では住民の意見を聞く形をとりながら、実際は既定の方針を正当化する『名ばかり民主主義』が横行してきた」と泣き喚いてやがったけど、「気候変動政策では『脱炭素という変革は主権者である市民の参加を抜きに進められない』と市民の意見を聞く形をとりながら、実際は既定の方針を正当化する『名ばかり民主主義』が横行してきた」!
前回の投稿で採り上げた「日曜に想う」は「今の政治のありよう、すなわち民主主義や公正が毀損されていくイメージは、私にはそんな感じだ」と泣き喚いてやがったけど、「今の左翼のありよう、すなわち民主主義や公正が毀損されていくイメージは、『脱炭素を実現できるかどうかは、民主主義の成熟度にかかっている』と罵り散らす、そんな感じだ」。

2月24日の投稿で採り上げた2月20日の邪説は「愚弄されているのは国会であり、そこに代表を送っている国民だ」と泣き喚いてやがったけど、「脱炭素を実現できるかどうかは、民主主義の成熟度にかかっている」と喚き立てて「愚弄されているのは国会であり、そこに代表を送っている国民だ」!
「口先だけの『熟議』で、主権者である国民の声を聞かない」ために、「『脱炭素という変革は主権者である市民の参加を抜きに進められない」と市民の意見を聞く形をとりながら、実際は既定の方針を正当化する『名ばかり民主主義』が横行」させるために、日本国民を愚弄し続けねばならないんだね。
だから、2月18日の投稿2月20日の投稿、そして、2月22日の投稿で糾弾したにもかかわらず、これ!


2020年2月17日の朝鮮日刊新聞夕刊紙面より

「批判の嵐」だと?
何処の誰から「批判の嵐」だ?
あ~?
「石炭火力発電への投融資をめぐり、日本に対して抗議デモを行った環境団体のスタッフら」は、我国の「主権者である市民」か?
あ~?
「主権者の市民」ではない連中から「批判の嵐」を浴びて「『脱炭素化』アクセル」踏むのが、「市民が、熟議の上で国や議会に政策提言をする手法」か?
あ~?
「環境省幹部は『COPで小泉氏が政府を代表する形で針のむしろに座ったことで、他省庁に対する発言力が増した』とみる」のは、「脱炭素という変革は主権者である市民の参加を抜きに進められない。官僚や専門家の意思決定だけに任せられないという考えの表れ」か?
あ~?

「記者団に若き環境活動家グレタ・トゥンベリさんについて問われても答えに窮し」だと?
グレた娘は我国の「主権者である市民」か?
あ~?
グレた娘を盾にして、昨年4月23日の投稿で採り上げた邪説余滴で「大人たちは『危機にふさわしい行動』とはなんなのかを真剣に考えるべきだ。若者たちの危機感を大人も共有しないと、持続可能な地球を残せない」だの、5月15日の投稿で採り上げた紙面でも「温暖化の世界を生きなければならない子どもたちを納得させられるとは思えない」だの、10月10日の投稿で採り上げた「日曜に想う」でも「大人はもう未来への甘えを断ち切るほかない」だの、12月4日の投稿で採り上げた「経済気象台」でも「若い世代の身になって行動すべき、との主張は胸に刺さる」だの、12月21日の投稿で採り上げた12月17日の教育欄でも「問われているのは子どもたちではなく、大人たちだ」だの、1月5日の投稿で採り上げた紙面でも「若者たちは動き出した。次は私たち大人の番だ」だの、1月16日の投稿で採り上げた「Journalism」でも「日本でも子供たちは動き出したのに、大人たちはまだ動き出さない」だのと泣き喚き、「市民参加による『熟議』の手法も消し去った」!

3月3日の投稿で採り上げた邪説は「国民を愚弄してはいけない」と泣き喚いてやがったけど、グレた娘を盾にして「大人たちは『危機にふさわしい行動』とはなんなのかを真剣に考えるべきだ」だのと罵り続け、「国民を愚弄してはいけない」!
けど、「口先だけの『熟議』で、主権者である国民の声を聞かない」ために、「『脱炭素という変革は主権者である市民の参加を抜きに進められない」と市民の意見を聞く形をとりながら、実際は既定の方針を正当化する『名ばかり民主主義』が横行」させるために、日本国民を愚弄し続けねばならないから、さらにこれ!


2020年3月6日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

「世界から批判されているよ」と泣き喚き続けることが、「熟議」か?
あ~?
「世界から石炭火力について厳しく批判され、輸出を減らさないと日本政府の立場がなくなることを痛感したんだ」が、「脱炭素という変革は主権者である市民の参加を抜きに進められない。官僚や専門家の意思決定だけに任せられないという考えの表れ」か?
あ~?
「国連のグテーレス事務総長らは、世界の国々に、石炭火力発電を使わないように訴えているんだ」と?
「国連のグテーレス事務総長」は、我国の「主権者である市民」か?
あ~?
「国連のグテーレス事務総長」が「石炭中毒」と罵り、「国民を愚弄してはいけない」!
「だから見直したいんだね」は「市民が、熟議の上で国や議会に政策提言をする手法」か?
あ~?
「小泉さんはそれまでに輸出の条件を厳しくして、石炭火力の輸出を事実上やめるような成果を発信したい」が、「脱炭素という変革は主権者である市民の参加を抜きに進められない。官僚や専門家の意思決定だけに任せられないという考えの表れ」か?
あ~?
「小泉さんはそれまでに輸出の条件を厳しくして、石炭火力の輸出を事実上やめるような成果を発信したい」と囃し立てて、「国民を愚弄してはいけない」!

2018年4月3日の投稿で指摘したとおり、「国民の知る権利」を阻害するのは「民主主義の根幹を掘り崩す行為である」。
1月26日の投稿2月19日の投稿2月20日の投稿2月24日の投稿、そして、3月1日の投稿で糾弾したにもかかわらず、「いちからわかる!」と称して、尚も「熱波や洪水、森林火災など、地球温暖化と関係があるとされる出来事が相次いでいる」と喚き立てるのは、「国民の知る権利」を阻害し「民主主義の根幹を掘り崩す行為である」!
2018年4月11日の投稿で採り上げた2018年4月11日の邪説は「これ以上、この国の民主主義を壊してはならない」と泣き喚いてやがったけど、こんなヤツラが「脱炭素を実現できるかどうかは、民主主義の成熟度にかかっている」と喚き立てるのを許し、「これ以上、この国の民主主義を壊してはならない」!
「脱『脱炭素』 主権者の市民が」!
「脱モリカケ報道 主権者の市民が」!
「脱ファッショ左翼 主権者の市民が」!!