脱炭素社会では勝つことが全て、「ぼくらの暮し」という弱者の戯言はいらぬ

明けまして、今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。
おお、さむ~。

前回の投稿で紹介したとおり、「温暖化の影響で」、「(一)昨年の台風19号 降水量11%増」と泣き喚いて、「いま、温暖化の影響ははっきりとしてきた。数十年に一度といわれる気象災害は毎年のように起きている」と思い込ませようと図ったけど、同じ日の邪説で、脱炭素と称して市民を苦しめろ~、と喚き立ててやがった!


脱炭素の戦略 めざす理想もっと高く

研究開発が進む洋上風力発電。温室効果ガス排出の実質ゼロに向けて後押しする事業が来年度の当初予算案に盛り込まれた。

めざすべき脱炭素社会の姿を的確に描き、正しい道筋を進んでいけるかが問われる。
2050年までに温室効果ガスの排出を実質的にゼロにするため、政府が「グリーン成長戦略」をまとめた。洋上風力発電や水素産業など14分野をあげ、重点的に取り組む項目や数値目標を提示している。
国が具体的な見通しを示して高い目標を掲げ、企業などが研究開発に挑戦しやすい環境をつくる、という触れ込みだ。
「50年に実質ゼロ」の実現には、いまある技術を総動員するだけでなく、技術革新も欠かせない。このため今回の成長戦略は、幅広い分野で研究開発を促すことを狙っている。
電力の脱炭素化を進め、それを前提に産業・家庭を電化し、水素も積極的に活用する。市場メカニズムを使って社会や産業の変化を促すよう、炭素税や排出量取引のようなカーボンプライシングにも取り組む……。示された方針や方策には、うなずける点も多い。
ただ、約2カ月という短期間で取りまとめたせいか、戦略が念頭に置く30年後の社会は現状の延長にとどまり、目標としては物足りない。
たとえば、再生可能エネルギーについて「最大限の導入をはかる」と強調しながら、「電力の100%をまかなうのは困難だ」とし、目安として「50~60%」をあげた。これは欧州の主要国が30年にめざしている水準に過ぎない。
また、ガソリンを使うハイブリッド車を脱炭素の手段に含めるのは理屈に合わないし、二酸化炭素の回収に余計なコストをかけてまで火力発電を温存するのも合理性に欠ける。
原子力の将来に関する見立ても大いに疑問だ。成長戦略は「可能な限り原発への依存度を下げる」とする一方、「最大限に活用する」とも明記した。古い原発が引退していくなか、30年後に原発に頼れるのか。政府は次世代炉の開発をめざす考えだが、「原発ゼロ」を想定するのがむしろ現実的だろう。
このように狙いの腰が定まらないままでは、変革を実現できるのか心もとない。政府は「50年に実質ゼロ」の意味を改めて考え、めざす理想を描き直してもらいたい。
30年の間には重点分野を取捨選択し、研究開発の方向性を修正する必要も出てくるだろう。「50年実質ゼロ」への戦略を継続的に統括できるよう、政府内の体制を整えておくべきだ。
ビジネスや暮らしを一変させる脱炭素化を進めるには、社会全体の合意が求められる。政府は国民や企業の声に、耳を傾けることを忘れてはならない。


(2020年12月28日の朝鮮日刊新聞邪説)

2014年4月1日の投稿で紹介したとおり、「海に浮かぶ福島の『未来』」と囃し立ててやがったけど、2018年10月23日の投稿で紹介したとおり、そのうちの2基は無駄になってた。
そして、結局は、残りの1基も無駄だった。


洋上風力発電「全撤去」正式表明 楢葉沖、見通しの甘さ指摘も
2020年12月17日 09時00分
経済産業省は16日、楢葉町の沖合に設置した浮体式洋上風力発電施設を不採算を理由として、来年度に全基撤去する方針を正式に表明した。同事業にはすでに約620億円を投じており、撤去にはさらに50億円程度を要する見通し。国が東京電力福島第1原発事故からの本県復興の象徴に位置付けた一大事業は、商用化の見通しが立たないまま頓挫することになった。

撤去方針は、同日に福島市で開かれた漁業関係者らとの会合で説明した。浮体式洋上風力発電施設は、国が2013(平成25)年から、楢葉町の沖合約20キロに3基を順次設置した。最大の出力だった7メガワットの1基については、6月に不採算を理由にすでに撤去されていた。今回は、残りの出力5メガワットと2メガワットの2基を撤去することを決定した。
2基は7メガワットの発電施設の撤去後も、商用化に向けた実証実験を続けていた。だが、4~11月の設備利用率は機器の不具合などが原因でそれぞれ約21%と約28%にとどまり、一般的な商用化の目安とされる30%を下回る状況だった。
国は8、9の両月、撤去費を確実に準備できることなどを条件として、払い下げを希望する事業者を募った。しかし、応募した2事業者は、陸上送電線や海底ケーブルのみの譲渡を求めたため交渉が決裂。国は不採算による本年度での事業中止に追い込まれた。
会合に出席した漁業関係者からは「復興の象徴と位置付けていたが、事業見通しが甘かったのではないか」「膨大な費用と長年の時間が無駄になった」などと、事業の妥当性を疑問視する声が上がった。


(福島民友)

それでも、請け負った企業は国民の血税をくすね盗って、620+50億も儲けた。
この事実に頬かむりを決め込んで、「研究開発が進む洋上風力発電。温室効果ガス排出の実質ゼロに向けて後押しする事業が来年度の当初予算案に盛り込まれた」と囃し立てるのは、「めざすべき脱炭素社会の姿を的確に描き、正しい道筋を進んでいけるかが問われる」が、実は「めざすべき市民収奪社会の姿を的確に描き、正しい市民抑圧の道筋を進んでいけるかが問われる」であることを、ハッキリと示してるな。

しかも、国民の血税を使って洋上風力を後押しするのは、「市場メカニズムを使って社会や産業の変化を促す」と相容れない。
にもかかわらず、「炭素税や排出量取引のようなカーボンプライシングにも取り組む……。示された方針や方策には、うなずける点も多い」と喚き立てるのは、「めざすべき脱炭素社会の姿を的確に描き、正しい道筋を進んでいけるかが問われる」が、「めざすべき市民収奪社会の姿を的確に描き、正しい市民抑圧の道筋を進んでいけるかが問われる」に他ならないことを、ハッキリと、ハッキリと示してるな。

「二酸化炭素の回収に余計なコストをかけてまで火力発電を温存するのも合理性に欠ける」だと?
「政府は次世代炉の開発をめざす考えだが、「原発ゼロ」を想定するのがむしろ現実的だろう」だと?
順次に火力発電も原発もなくし、2050年までに再生可能エネルギーで「電力の100%をまかなう」と決めるのなら、炭素税は必要ない!
このことは、何度も、何度も、「何度」という言葉を「何度言っても言い足りない」ほど何度も糾弾し続けてきた。
にもかかわらず、「炭素税や排出量取引のようなカーボンプライシングにも取り組む……。示された方針や方策には、うなずける点も多い」と喚き立てるのは、「めざすべき脱炭素社会の姿を的確に描き、正しい道筋を進んでいけるかが問われる」が、「めざすべき市民収奪社会の姿を的確に描き、正しい市民抑圧の道筋を進んでいけるかが問われる」に他ならないことを、ハッキリと、ハッキリと、ハッキリと示してるな。

「ビジネスや暮らしを一変させる脱炭素化を進めるには、社会全体の合意が求められる。政府は国民や企業の声に、耳を傾けることを忘れてはならない」だと?
「政府は国民や企業の声に、耳を傾けることを忘れて」、「目安として『50~60%』をあげた」んだろ。
「目安として『50~60%』をあげた」に「社会全体の合意」は無い。
福島の洋上風力発電の失敗にも知らぬ顔の半兵衛を決め込んで、欧州に追随すればいいかのごとくに、「これは欧州の主要国が30年にめざしている水準に過ぎない」と喚き立てた挙句、国民の頭越しに「政府は『50年に実質ゼロ』の意味を改めて考え、めざす理想を描き直してもらいたい」と喚くテメエらこそ、「社会全体の合意が求められること、国民や企業の声に、耳を傾けることを忘れてる」んだろ!
炭素税には「社会全体の合意が求められる。政府は国民や企業の声に、耳を傾けることを忘れてはならない」!
にもかかわらず、昨年12月13日の投稿で紹介したとおり、奸凶省が「社会全体の合意が求め」ずに「CO2排出に価格付け 『来年の最大の目標』」と決めつけ、昨年12月27日の投稿で紹介したとおり、「政府は国民や企業の声に、耳を傾けることを忘れて」、「温室効果ガス排出に価格付け 環境・経産省が連携検討へ」。
それを糾弾するどころか、「炭素税や排出量取引のようなカーボンプライシングにも取り組む……。示された方針や方策には、うなずける点も多い」と言い張るテメエらこそ、「社会全体の合意が求められること、国民や企業の声に、耳を傾けることを忘れてる」んだろ!
曲りなりにも新聞社でありながら、「コヤツらは国民や企業の声に、耳を傾けることを忘れて」、「ビジネスや暮らしを一変させる脱炭素化を進める」と煽り立て続け、「ビジネスや暮らしを一変させる脱炭素化を進めるには、社会全体の合意が求められない」と言い張り、その結果、「政府が国民や企業の声に、耳を傾けることなく」、「2050年までに温室効果ガスの排出を実質的にゼロにするため、政府が『グリーン成長戦略』をまとめた」のを正当化するために、「社会全体の合意が求められる。政府は国民や企業の声に、耳を傾けることを忘れてはならない」と嘯いて、国民を欺こうと図るんだよ。
昨年12月27日の投稿で紹介したとおり、「多様な声 気候政策に生かそう」と喚き立ててやがったけど、「ビジネスや暮らしを一変させる脱炭素化を進めるには、社会全体の合意が求められる。政府は国民や企業の声に、耳を傾けることを忘れてはならない」と嘯くのは同じ意図に他ならない。

卑劣なコヤツら左翼は「めざすべき脱民主主義社会の姿を的確に描き、正しいファシズムの道筋を進んでいけるかが問われる」と喚き立ててやがるんだね。
邪悪なコヤツら左翼は「政府は『50年に実質ゼロ』の意味を改めて考え、めざすファシズムの理想を描き直してもらいたい」と喚き立ててやがるんだね。
そのために無学術会議を血眼で擁護し続けてやがるんだよ!


「1強」の終わり 危機に立ちすくむ強権政治
日本は民主主義国だと誰もが言う。では民主主義とは何か、イメージは人ごとに違う。雑誌「暮(くら)しの手帖(てちょう)」の名物編集長、花森安治の場合はこうだ。
「民主々義の〈民〉は 庶民の民だ ぼくらの暮しを なによりも第一にするということだ」(「一せん(いっせん)五厘の旗」)
これを「花森流」民主主義と呼ぶなら、「安倍・菅流」民主主義とは似ても似つかぬ。
■国会避け議論を嫌う
例えば、日本学術会議に対する人事介入である。
科学の目的は何か。真理の探究。そして世界の平和と人々の福祉、つまり「ぼくらの暮し」に資することだ。
なのに、先の大戦時、科学者は国家の使用人のように戦争遂行に協力させられた。戦後、同じ轍(てつ)は踏むまいと同会議に保障されたのが人事の自律だ。
これに対し、国家の機関なら四の五の言わずに国家権力に従え、というのが安倍・菅流民主主義だ。国民主権ならぬ、国家先にありき、戦前回帰の「国家主権」とでも言うべきか。
「現在の政治に対する批判的な意見がたくさんあること」
評論家の加藤周一は民主主義をそう定義する。(「いま考えなければならないこと」)
世界を覆うコロナ禍は、あちらを立てればこちらが立たぬ難題を人類に問う。
感染防止と経済の両立策は。しわ寄せが集まりがちな社会的弱者を支える手立ては。今の財政支出が将来世代の負担となる現実をどう考えるべきか。
試行錯誤はやむを得まい。限られた時間のなかで、少数意見をも重視する議論によって合意を探る。間違えれば柔軟に修正する。まさに「加藤流」民主主義の力の見せどころだが、安倍、菅両氏は議論を嫌う。
安倍内閣が2017年、憲法53条に基づく野党の臨時国会召集要求に応じなかったことをめぐり、今年6月の那覇地裁判決は明確にこう指摘した。
53条に基づく召集には憲法上の義務があり、召集しないのは少数派の国会議員の意見を国会に反映させるという53条の趣旨に沿わない――。
■積み重なる「おごり」
だがこの判決後も、国会審議を忌避する安倍・菅内閣の姿勢は変わらない。たまにしかない首相答弁なのに、菅氏は前任者以上に原稿棒読み、「お答えを差し控える」を連発する。
言論のない、言論の府の荒涼たる光景が広がる。
菅首相の原点なのだろう。著書「政治家の覚悟」で何度も強調されるのは、人事権をテコに官僚を操った自身の過去だ。
「政治が決断したことに、たとえ霞が関が反対意見を持っていようと、動いてもらわなければならない」
選挙で多数を得た与党政治家がすべてを決める。そんな安倍・菅流民主主義が端的に表れたのは、税金で賄われる「桜を見る会」を、首相の特権のように扱う安倍氏の公私混同だ。
後援会主催の前夜祭の費用補填(ほてん)をめぐり、安倍氏の秘書が政治資金規正法違反の罪で略式起訴された。氏自身は訴追されなかったが、国民とその代表たる国会に虚偽の説明をくり返した責任は議員辞職にも値する。
森友・加計疑惑、検察人事への介入、そして「桜」。最長内閣の足元に「多数のおごり」が地層のように積み重なった。
2020年は安倍氏にとって華々しいレガシー(遺産)に満ちた年になるはずだった。
習近平(シーチンピン)・中国国家主席を国賓に迎え、東京五輪・パラリンピックを成功させ、憲法改正に手をかける。その夢を砕いたのは持病の悪化だけではない。
「1強」の看板が通じないコロナ禍に立ちすくみ、国民の命と健康、経済と雇用を守る使命を果たせない政権の弱さが目に見えたからではなかったか。
■コロナ禍機に転換を
菅首相に代わっても、コロナ禍への対処は相変わらず鈍く、場当たり的だった。要因に首相の「孤立」が指摘される。
最長内閣を裏方として仕切った菅氏。その強面(こわもて)が表舞台に立ったいま、「物言えば唇寒し」の空気を政官界に広げ、批判も意見も届かない裸の王様になってはいないか。強権政治の弊害と限界が見て取れる。
危機の時代に、「間違っても貫く」強権政治は機能しない。「間違ったら正す」民主政治こそ力を発揮しうる。
菅首相肝いりの「Go To トラベル」は、首相が停止しないと語った3日後に一転、年末年始の全国一斉停止を余儀なくされた。世論の批判に追い詰められた形だが、「過(あやま)ちては改むるに憚(はばか)ることなかれ」と論語は教える。次は、日本学術会議会員に任命しなかった6人を改めて任命してはどうか。
「ぼくらの暮し」を第一に、「批判的な意見」にこそ耳を。
国民主権、権力分立、議会中心主義、法治主義など民主政治の基本原則を再起動させる。
コロナ禍を転換の機会としたい。菅内閣発足3カ月半。いまならまだ、カジは切れる。


(2020年12月31日の朝鮮日刊新聞邪説)

「これを『花森流』民主主義と呼ぶなら、『安倍・菅流』民主主義とは似ても似つかぬ」だと?
奸凶省直属の江守グレ多は、昨年5月28日の投稿で紹介したとおり、「3.5%の人が参加すれば、そのムーブメントは成功する」だの、9月14日の投稿で紹介したとおり、「筆者の考えでは、日本において気候変動に無関心な人が多いという問題に対しては、わずかな関心を持って個人の環境配慮行動をとる人々を大勢増やすのではなく、本質的な関心を持つ人々とその支持者を増やし、システム変化を起こすことを目指すアプローチをとるという認識を明確に持つべきだと思う。この認識に基づけば、無関心な人はある程度多く存在し続けていても、システムが変われば結果的にそれに従うので問題はない」だのと言い放った。
にもかかわらず、無学術会議は、昨年10月4日の投稿で紹介したとおり、その江守グレ多を会員にし、「フューチャー・アースの推進と連携に関する委員会」とやらの幹事に任命した挙句、江守グレ多の主導で奸凶省に「温暖化対策の加速を求め」、国民に指突きつけて「消費行動などを通じて取り組みを加速することを求め」た。
「これに対し、愚かな一般国民なら四の五の言わずにエリート様に従え、というのが朝鮮日刊・無学術会議流民主主義だ。国民主権ならぬ、エリート先にありき、戦前回帰の『エリート主権』とでも言うべきか」。
(「国家」とは、すなわち、国民。戦前の「国家主権」の「国家」とはエリートに他ならない。2018年9月20日の投稿10月4日の投稿12月2日の投稿2019年1月30日の投稿で紹介したとおり、「非国家」と囃し立ててやがったけど、それもエリートを賛美してただけ。)
「これを『花森流』民主主義と呼ぶなら」、エリートのために「先の大戦時、科学者は国家の使用人のように戦争遂行に協力させられた」と泣き喚く「『朝鮮日刊・無学術会議流』民主主義とは似ても似つかぬ」!

「科学の目的は何か。真理の探究。そして世界の平和と人々の福祉、つまり『ぼくらの暮し』に資することだ。なのに」と抗弁してやがるけど、無学術会議が奸凶省に「温暖化対策の加速を求め」、国民に指突きつけて「消費行動などを通じて取り組みを加速することを求め」たから、「政府は国民や企業の声に、耳を傾けることを忘れて」、「2050年までに温室効果ガスの排出を実質的にゼロにする」と言い出したんだね。
「これを『花森流』民主主義と呼ぶなら」、「炭素税や排出量取引のようなカーボンプライシングにも取り組む」と言い張る「『朝鮮日刊・無学術会議流』民主主義とは似ても似つかぬ」!
「これを『花森流』民主主義と呼ぶなら」、昨年3月29日の投稿で紹介したとおり、再エネに年1万円近い負担を強いられているにもかかわらず、「目安として『50~60%』をあげた」ですら「ぼくらの暮し」を脅かすにもかかわらず、「これは欧州の主要国が30年にめざしている水準に過ぎない」と泣き喚く「『朝鮮日刊・無学術会議流』民主主義とは似ても似つかぬ」!
「これを『花森流』民主主義と呼ぶなら」、昨年12月7日の投稿で紹介したとおり、「環境省はEVの購入者に現在の2倍となる80万円ほどの補助金を出す仕組みを検討している」にもかかわらず、「ガソリンを使うハイブリッド車を脱炭素の手段に含めるのは理屈に合わない」と泣き喚く「『朝鮮日刊・無学術会議流』民主主義とは似ても似つかぬ」!
「これを『花森流』民主主義と呼ぶなら」、昨年7月7日の投稿で紹介したとおり、石炭火力が無ければ沖縄県民の生活は成り立たないにもかかわらず、「火力発電を温存するのも合理性に欠ける」と泣き喚く「『朝鮮日刊・無学術会議流』民主主義とは似ても似つかぬ」!
「これを『花森流』民主主義と呼ぶなら」、沖縄県民を苦しめ、さらに「3.5%」と放言して憲法を全否定しながら、「53条に基づく召集には憲法上の義務があり、召集しないのは少数派の国会議員の意見を国会に反映させるという53条の趣旨に沿わない――」と泣き喚く「『朝鮮日刊・無学術会議流』民主主義とは似ても似つかぬ」!

しかも、だ。
昨年12月27日の投稿でも言ったけれど、「これを『花森流』民主主義と呼ぶなら、『安倍・菅流』民主主義とは似ても似つかぬ」のなら、そんな政権が「2050年までに温室効果ガスの排出を実質的にゼロにするため、政府が『グリーン成長戦略』をまとめた」のは、「民主々義の〈民〉は 庶民の民だ ぼくらの暮しを なによりも第一にするということだ」に反するはず。
「2050年までに温室効果ガスの排出を実質的にゼロにするため、政府が『グリーン成長戦略』をまとめた」は、「批判も意見も届かない裸の王様になってはいないか。強権政治の弊害と限界が見て取れる」はず。
それは、無学術会議が奸凶省に「温暖化対策の加速を求め」、国民に指突きつけて「消費行動などを通じて取り組みを加速することを求め」た結果だから、「これを『花森流』民主主義と呼ぶなら、『無学術会議流』民主主義とは似ても似つかぬ」と糾弾するはず。
「無学術会議の強面が表舞台に立ったいま、『物言えば唇寒し』の空気を国民や企業に広げ、批判も意見も届かない裸の王様になってはいないか。無学術会議の弊害と限界が見て取れる」と糾弾するはず。
ところが、真っ先に「例えば、日本学術会議に対する人事介入である。科学の目的は何か。真理の探究」と泣き喚く。
「そして世界の平和と人々の福祉、つまり『ぼくらの暮し』に資することだ」は、「民主々義の〈民〉は 庶民の民だ ぼくらの暮しを なによりも第一にするということだ」と似て非なるものだ!

だからこそ、コヤツら自身も「グレタの法則」と言い放った。
2019年11月6日の投稿で採り上げた2019年11月11日の「耕論」で泣き喚かせたブスに、「気候危機を救う『3.5%』は誰なのか?」と放言させた。
昨年9月3日の投稿10月16日の投稿で紹介したとおり、奸凶省や文部科学省と結託して「朝日地球会議」を開催し、「『3.5%』になることを目指すグループが必要だと思っています」と放言するモデル風情に喚かせ、無学術会議会員の「名古屋のブー」にも喚かせた。
「これに対し、国民なら四の五の言わずに国家権力に従え、というのが朝鮮日刊・無学術会議流民主主義だ。国民主権ならぬ、国家先にありき、戦前回帰の『国家主権』とでも言うべきか」!
その証拠に、2012年1月19日の投稿で採り上げた2008年5月6日の邪説は「東西対立の冷戦が、人類対炭素という『暖戦』に移ったのである」と煽り立て、2014年5月29日の投稿で紹介したとおり、「暖戦」に関与する英軍人を持て囃した。
さらに、2014年11月13日の投稿で採り上げた「天声人語」で「私たちは第3次世界大戦のまっただなかにいる」だの、2017年8月22日の投稿で採り上げた「日曜に想う」でも「容赦ない戦争とは地球環境の破壊のことだ。エンデはこれを第3次世界大戦だという」だの、2018年10月10日の投稿で採り上げた「日曜に想う」でも「環境破壊を、生まれてくる世代に対する戦争、いわば第3次世界大戦であると言っていた」だのと煽り立てた。
そして、昨年3月3日の投稿で紹介したとおり、「気候戦士」と囃し立てた。
江守グレ多を擁する無学術会議が「消費行動などを通じて取り組みを加速することを求め」、昨年8月30日の投稿で紹介したとおり、江守グレ多自身に「お前ら国民はできることを考えろ」と喚かせ、「第3次大戦時、国民は国家の使用人のように暖戦遂行に協力させられた」。
だからこそ、エリートのために「なのに、先の大戦時、科学者は国家の使用人のように戦争遂行に協力させられた。戦後、同じ轍は踏むまいと同会議に保障されたのが人事の自律だ」と泣き喚くんだね。

「『現在の政治に対する批判的な意見がたくさんあること』。評論家の加藤周一は民主主義をそう定義する」だと?
それなら、「2050年までに温室効果ガスの排出を実質的にゼロにするため、政府が『グリーン成長戦略』をまとめた」に「対する批判的な意見」にも「耳を傾けることを忘れてはならない」だろ。
けど、コヤツらは「耳を傾けることを忘れて」、真っ先に「例えば、日本学術会議に対する人事介入である」と喚き立てる。
「政府は『50年に実質ゼロ』の意味を改めて考え、めざす理想を描き直してもらいたい」だけを「現在の政治に対する批判的な意見」にし、それ以外の「国民や企業の声」は封殺し、民主主義を圧(お)し殺して市民収奪を推し進めるために、「『現在の政治に対する批判的な意見がたくさんあること』。評論家の加藤周一は民主主義をそう定義する」と嘯いて、国民を謀ろうと図るんだね。
「これを『加藤流』民主主義と呼ぶなら」、「例えば、日本学術会議に対する人事介入である」と泣き喚く「『朝鮮日刊・無学術会議流』民主主義とは似ても似つかぬ」!

「これを『花森流』民主主義と呼ぶなら」、「森友・加計疑惑、検察人事への介入、そして『桜』」と泣き喚く「『反日左翼流』民主主義とは似ても似つかぬ」ことは明らかだな。
昨年5月28日の投稿で指摘したとおり、「検察人事への介入」と泣き喚いた連中は、「3.5%の人が参加すれば、そのムーブメントは成功する」を推し進める無学術会議を決して批判しない。
「これを『花森流』民主主義と呼ぶなら」、民主主義を全く理解できない愚か者がコヤツらに唆されていたことは明らかだろ。
「左翼ファッショの足元に『3.5%のおごり』が地層のように積み重なった」のが、「森友・加計疑惑、検察人事への介入、そして『桜』」と泣き喚く愚か者であり、無学術会議だ。

「世論の批判に追い詰められた形だが、『過ちては改むるに憚ることなかれ』と論語は教える」だと?
それなら、先に指摘したとおり、「社会全体の合意」は無いのだから、「政府は国民や企業の声に、耳を傾けることを忘れ」たのだから、「次は、『2050年までに温室効果ガスの排出を実質的にゼロにするため、政府が《グリーン成長戦略》をまとめ』を撤回してはどうか」。
昨年10月2日の投稿11月1日の投稿11月15日の投稿でも指摘したけど、「2050年までに温室効果ガスの排出を実質的にゼロにするため、政府が『グリーン成長戦略』をまとめ」に「批判的な意見」は「3.5%」を遥かに超えるのだから、「3.5%の人が参加すれば、そのムーブメントは成功する」なら、「次は、『2050年までに温室効果ガスの排出を実質的にゼロにするため、政府が《グリーン成長戦略》をまとめ』を撤回してはどうか」。
それこそが「民主々義の〈民〉は 庶民の民だ ぼくらの暮しを なによりも第一にするということだ」。
にもかかわらず、「次は、日本学術会議会員に任命しなかった6人を改めて任命してはどうか」と喚き立てるのは、「政府は『50年に実質ゼロ』の意味を改めて考え、めざすファシズムの理想を描き直してもらいたい」ために、無学術会議を血眼で擁護し続けていることを、ハッキリと示してるな。
昨年8月30日の投稿でも指摘したけど、コヤツらは、己らとは異なる「批判的な意見」を排斥し、己らだけが正しいと言い張るために、「現在の政治に対する批判的な意見がたくさんあること」と泣き喚くんだよ。
コヤツらの言い張る「ぼくら」とは、「ぼくら3.5%」に他ならない。
(コヤツらが「1強」と泣き喚くのも同じ論理に根ざしてる。己ら「3.5%」だけが正しいと言い張る輩が「1強」と泣き喚く醜悪さは明らかだろ。)
「これを『花森流』民主主義と呼ぶなら」、「『ぼくらの暮し』を第一に、『批判的な意見』にこそ耳を」と泣き喚く「『朝鮮日刊・無学術会議流』民主主義とは似ても似つかぬ」!
(ついでに指摘しておくと、本当に「世論の批判」なら、国民は「Go To トラベル」を利用しなかったはず。けど、多くの人が浅ましい根性で「Go To トラベル」を利用した。って言うと、昨年6月15日の投稿6月23日の投稿で紹介したとおり、「自粛警察」と泣き喚くんだね。「世論の批判に追い詰められた形」が詭弁にすぎないことは明らかだろ。コヤツらこそが「『物言えば唇寒し』の空気を市民に広げ、批判も意見も届かない裸の王様になって」ることは明らかだな。)

昨年5月6日の投稿5月13日の投稿5月17日の投稿6月10日の投稿6月17日の投稿7月18日の投稿7月19日の投稿9月1日の投稿9月19日の投稿9月27日の投稿10月29日の投稿、そして、11月25日の投稿で紹介したとおり、グリーンリカバリーと喚き続けてきやがったけど、真っ先に「例えば、日本学術会議に対する人事介入である」と泣き喚き、最後も「次は、日本学術会議会員に任命しなかった6人を改めて任命してはどうか」と喚き立て、最後の最後に「コロナ禍を転換の機会としたい。菅内閣発足3カ月半。いまならまだ、カジは切れる」と喚き立てるのは、同じ意図に他ならない。
昨年12月7日の投稿でも紹介したとおり、コヤツらはPCR検査さえ増やせばいいんだと煽り続けてきた。
それだけでなく、「夜の街」を悪者扱いするな、と泣き喚き続けてきた。
(もちろん、そこで働いて食ってる連中には「夜の街」が「ぼくらの暮し」だけど、それなら、「2050年までに温室効果ガスの排出を実質的にゼロにするため、政府が『グリーン成長戦略』をまとめた」が「ぼくらの暮し」を脅かすことも危惧するはずだけど、しない。しないから、「例えば、日本学術会議に対する人事介入である。科学の目的は何か。真理の探究。そして世界の平和と人々の福祉、つまり『ぼくらの暮し』に資することだ」、「次は、日本学術会議会員に任命しなかった6人を改めて任命してはどうか。『ぼくらの暮し』を第一に、『批判的な意見』にこそ耳を」と泣き喚いてる。そこに本質が示されてる。)


なぜ「夜の街」ばかり悪者に 政治家の責任逃れに好都合
聞き手・田中聡子 聞き手・編集委員 塩倉裕
2020年7月23日 19時00分

コロナ禍で「夜の街」が悪者扱いされている。無自覚で使う人々も少なくないが、その言葉は差別や排斥意識につながらないのか。立ち止まって考えてみた。
佐藤真さん 「政治の責任逃れで悪者に」


行政書士の佐藤真さん

なぜ「夜の街」ばかりが標的にされるのか……。こんな割り切れない思いを、コロナ禍でずっと抱えています。
当初はバーやナイトクラブへの出入り自粛を促していた小池百合子・都知事は、次第に「夜の街」という言葉を繰り返すようになりました。最近は毎回のようにホストクラブやキャバクラの関係者の感染を強調します。定義が明確でないまま情報が広がり、東京に限らず全国の歓楽街に「危ない」というイメージがついてしまいました。
多くのお店は、消毒や体温計測や一定の距離をとるなどの感染症対策をとっています。レストランが同じことをやれば「いいこと」と評価されるのに、なかなかそうなりません。水商売の「悪いイメージ」のうえに感染リスクまで背負わされては、手の打ちようがありません。
僕の事務所に相談に来るのは、博多・中洲の水商売で働く20代前半が多い。大学や専門学校の学費を稼ぐためだったり、家族を養うためだったり、働く理由は様々です。客数が収入に直結するこの業界に営業自粛の打撃は大きく、これまでに10回以上、生活保護の申請に付き添いました。
「しょせん水商売だ」と批判す…


(朝日新聞デジタル)

グリーンリカバリーと喚き立てて、「コロナ禍で『CO2』が悪者扱いされている」、そして、「その言葉は、『愚かな一般国民なら四の五の言わずにエリート様に従え』という、差別や排斥意識につながっている」にもかかわらず、「なぜ『夜の街』ばかり悪者に」と泣き喚くのは、感染を拡大させて、「コロナ禍を転換(グリーンリカバリー)の機会したい」と目論んでいることを露呈してるな。


歌舞伎町は「ワケあり」ゆえやさしい 岩井志麻子さん
聞き手・中島鉄郎
2020年7月24日 22時00分


作家の岩井志麻子さん=東京都新宿区

コロナ感染拡大で名指しで批判された「夜の街」新宿・歌舞伎町。日本一の歓楽街には飲食店に加え、ホストクラブやキャバクラ、性風俗店などがひしめく。この街の独特の雰囲気にひかれ、長く住み続ける作家の岩井志麻子さん(55)に、歌舞伎町の魅力を聞いた。
――歌舞伎町にもう20年ほどお住まいと聞いています。
「そうなんです。居心地がいいんで、『第二の故郷』のように感じています。故郷の岡山にいれば私はどうしたって『変な人』で目立っちゃうけど、ここにいるとむしろ地味なくらい。貝殻が砂浜に埋もれていれば目立たないのと同じですかね」
――住まれたきっかけは?
「その前は、文京区白山に住んでたんですよ。良い町だったのだけど、『何か私、この町の住人ではないな』という違和感がずっとあって、長期滞在しているみたいな感じだった。引っ越し先を探していたら、友達が『新宿のマンションがある』と教えてくれました。岡山の人間から見ると、東京イコール新宿という印象があったので、即決したけど、歌舞伎町だったというわけです。でも、瞬時に地元の人になれました」
――なぜなじめたんですか。
「近くには歌舞伎町で働いている人も多く住んでいますが、やはり『ワケあり』の人が多いんですよ。私自身も岡山でのうのうと主婦をしてたら、夫に離婚届をつきつけられ、35歳で身寄りのない東京へ上京してきた身。無名の物書きなんて明日をも知れぬ存在だし、何か歌舞伎町の醸し出す、寄る辺ない雰囲気が自分には合ったのかも知れません」
「よくある男の自慢話で『昔おれってワルでさー』というのがあるじゃないですか。歌舞伎町でそんなことを言う男はいません。なぜだかわかりますか。『ワルさナウ』だからです。まあそれは冗談ですが(笑い)」
――怖い思いをした経験は?
「ありませんね。歌舞伎町の人たちは敵や競合相手には怖い存在だけど、思いの外、やさしい面もあるんですよ。それは住んでいてわかってきました」
――やさしい面というのは、ど…


(朝日新聞デジタル)

感染を拡大させて、「コロナ禍を転換(グリーンリカバリー)の機会としたい」から、否定論者や無学術会議を批判する人々を憎々しげに罵りながら、「歌舞伎町はやさしい」と泣き喚くんだね。、


PCR、集中調査されたホスト 敵視された「夜の街」
2020年10月1日 19時00分
「いやー、思いのほか出ちゃいましたね」
担当者は言いづらそうに切り出した。東京・歌舞伎町でホストクラブ38店舗を運営する巻田隆之さん(47)のもとに、新宿区保健所から電話があったのは6月13日ごろだった。
経営する店のホストら約50人を対象にした、新型コロナウイルスのPCR検査の結果報告。5、6人は陽性かもしれない。そう覚悟しながら「何人ぐらいですか」と聞くと、担当者は答えた。
「28人です」
巻田さんは驚いた。陽性が判明した人のほとんどが無症状だったからだ。
コロナ第2波 東京100days
緊急事態宣言が解除されたのもつかの間、東京は新型コロナウイルス感染拡大の「第2波」に直面する。政治や財界、そして人々はどう動いたのか。100日間のドキュメントで迫る。
ホストには、手洗いやうがい、消毒を徹底し、マスクを常に着けさせていた。客の飲み物をつくる際のマドラーも、1回ずつ使い捨てるものに切り替えた。にもかかわらず、なぜこれほど感染者が出ているのか。

新宿・歌舞伎町のホストクラブに勤める男が関与した詐欺未遂事件の家宅捜索では、警視庁の捜査員は新型コロナウイルス対策として防護服を着ていた=2020年9月24日午後6時47分、東京都新宿区歌舞伎町2丁目、田中紳顕撮影

巻田さんが運営に携わる店では、国の緊急事態宣言が解除された5月25日ごろから、体調を崩す従業員が増え始めていた。
「熱が出た」「体調が悪いので休みたい」という相談が1日2、3人から寄せられた。
ホストたちに集団検査を受けさ…


(朝日新聞デジタル)

否定論者や無学術会議を批判する人々を「敵視」しながら、「PCR、集中調査されたホスト 敵視された『夜の街』」と泣き喚くのは、PCR検査さえ増やせばいいんだとデマを垂れ流して、感染を拡大させようと図ったことを露呈してるな。


(コロナ禍の日本と政治)「ラベリング」、差別を引き起こさないか 単純化、あらがう社会を 田中幹人さん
2020年10月13日 5時00分


田中幹人さん

新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、政府や自治体は接待を伴う飲食店を「夜の街」と呼び、注意を呼びかけてきた。特定の業種や地域の人々をひとくくりに呼ぶ「ラベリング」は、社会にすばやく浸透する一方、業界で働く人や感染した人への差別を引き起こす温床になりはしなかったか。コロナ対応を取材する私にはそん…


(朝日新聞デジタル)

己らは、「例えば、日本学術会議に対する人事介入である。科学の目的は何か。真理の探究」と言い立て、昨年8月14日の投稿で採り上げた2つ目の紙面に見えるとおり、科学的批判を「懐疑論」と「ラベリング」して貶め、「脱炭素化」「グリーン成長」という「単純化に、あらがう」のを抑圧しながら、「単純化、あらがう社会を」と泣き喚くのは、PCR検査さえ増やせばいいんだとデマを垂れ流して感染を拡大させ、それを利用して「コロナ禍を転換(グリーンリカバリー)の機会としたい」と煽り立てていることを露呈してるな。

論座でも泣き喚いてやがった。
(当初は無料公開されてたけど、今は有料だから、以下の箇所は読めない。)


番組の流れを自らがつくろうという進行パターン
「スッキリ」では司会の加藤氏が持論を話したあと、ゲストやコメンテーターが追従する例が目立つ。加藤氏がコメンテーターらの意見を聞いたうえでまとめるのではなく、番組の流れを自らがつくろうという進行が通常のパターンとなっている。「スッキリ」では違う意見の持ち主が主張を闘わせるケースは少ない。番組を主導する加藤氏の持論に対し反対意見がぶつけられても一回で終わることが多い。このため、異なる立場から議論を深めていくことになかなかつながらない。
いわゆる「夜の街」での感染が増えていた6月5日の放送で、新宿エリアを特集した回はその典型例だった。加藤氏は「グッとしめちゃった方がいいのでないですか、夜の街」と問いかけると、佐藤昭裕氏は「その通りです。3密を避けるのが重要です」と応じた。さらに、加藤氏が「取り締まった方がいいのでは。大阪は抑え込んでいる」と続けたのに対し、佐藤氏は「おっしゃる通り。絶対数を抑えないと」と賛同した。
「加藤氏の持論に沿った番組の展開が目立つのでは」との取材に対し、日本テレビの「スッキリ」担当者は「番組では、日々議論しながら様々な情報や多様な意見を紹介するよう心がけております」と言っている。


(「加藤浩次氏の発言が番組を左右する「スッキリ」のコロナ報道」より)

「異なる立場から議論を深めていくこと」を拒絶して、PCR検査さえ増やせばいいんだと煽り立てたのを正当化するために、「このため、異なる立場から議論を深めていくことになかなかつながらない」と泣き喚いてるんだね。
その結果、「3密」を避けねばならないという意識が薄れ、今の感染拡大を招き、多くの人が苦しみ、命を落とした。
卑劣で邪悪極まるコヤツら左翼は、多くの市民を苦しめ殺し、それをも逆利用して、「脱炭素の戦略 めざす理想もっと高く」と喚き立てて、さらに「ぼくらの暮し」を破壊しようと目論んでるんだよ。
「ぼくらの暮し」を破壊するためには、民主主義を圧し殺さねばならない。
そのために、「次は、日本学術会議会員に任命しなかった6人を改めて任命してはどうか」と喚き立ててやがるんだね。

「なのに、先の大戦時、科学者は国家の使用人のように戦争遂行に協力させられた。戦後、同じ轍は踏むまいと同会議に保障されたのが人事の自律だ」と泣き喚いてやがるけど、昨年7月1日の投稿で採り上げた「感染拡大せず『日本スゴイ』…80年前と重なる嫌な流れ」という記事で、「戦後『暮(くら)しの手帖』の編集長となる花森安治は、当時は大政翼賛会で政治宣伝を担いつつ、並行して『くらし』をテーマにした婦人雑誌を何冊も編集しました」と言い立ててた。
「民主々義の〈民〉は 庶民の民だ ぼくらの暮しを なによりも第一にするということ」は、「『花森流』民主主義」ではなく、著しく格差が拡大した現代社会の一般の〈民〉の声だ。
当ブログの開設当初から、「『朝鮮日刊流』民主主義」は民主主義を装う進化したファシズムと糾弾してきたけれど、「国民主権、権力分立、議会中心主義、法治主義など民主政治の基本原則を再起動させる」と喚き立てたのは、その事実を完全に裏づけたな。
「これを『否定論者流』民主主義と呼ぶなら」、「国民主権、権力分立、議会中心主義、法治主義など民主政治の基本原則を再起動させる」ために、無学術会議の外道どもを、「日本学術会議会員に任命しなかった6匹のブタ」を、コヤツら左翼を一匹残らず社会から消し去らねばならない!

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