この程度の毒婦で否定論者は倒せん

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

2019年12月15日の投稿昨年10月7日の投稿、そして、10月16日の投稿で糾弾したにもかかわらず、またしても、モデル風情に喚かせてやがる!


気候変動問題 誰かに「自分事化」を求めず、自ら動く
聞き手・藤田さつき 聞き手・大牟田透
2021年2月10日 17時37分
菅義偉首相の2050年温室効果ガス排出「実質ゼロ宣言」などで話題にのぼる気候変動問題。「自分事」にすることが重要といわれますが、簡単ではありませんよね。では、どうすれば?
小野りりあんさん「若い世代にとってはサバイバル」
気候変動を「自分事」と考える意識がなかなか広がらない。とても難しいテーマですよね。どうしたらハードルが下がるのか、私にも答えはすぐに見つかりません。
環境保護活動をする母のもと北海道の自然に囲まれて育った私は、子どもの時からその意識がわりと高かったと思います。7、8歳の頃、19922年のブラジルの「地球サミット」でのセバン・スズキさんのスピーチを知り、「一人じゃ解決できない。仲間を作らないと」と考えたのをよく覚えています。

COP25の日本パビリオン前に立つ小野りりあんさん=2019年12月、スペイン・マドリード、石井徹撮影

そう、気候変動ってあまりに大きな問題なんです。ニュースで見聞きしても、個人の行動がどうつながるか実感を持ちにくい。それに事実、「これだけやれば解決する」という問題でもありません。石炭火力発電の廃止や植林、社会システムの変革までしないと。大人数の力で立ち向かわなきゃならないことですが、他の人へつながろうとするのはすごく勇気がいる。
だから私は、グレタ・トゥンベリさんが始めた若者による抗議行動「フライデーズ・フォー・フューチャー」を見た時、大人に突きつけられたタイムリミットのある大きな課題に衝撃をあ受けたと同時に、立ち上がった多くの姿に希望を強く感じました。
若い世代が声を上げるのは「エ…


(朝日新聞デジタル)

紙面はコチラ。


2021年2月11日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

「7、8歳の頃、1992年のブラジルの『地球サミット』でのセバン・スズキさんのスピーチを知り、『一人じゃ解決できない。仲間を作らないと』と考えたのをよく覚えています」って?
笑わせんな!
「7、8歳」の子どもがニュースを見て理解できるはずねえだろ。
もちろん、気候変動が何かも理解できない。
IPCCの人為的(排出CO2)温暖化説はホッケー・スティック曲線が拠り所だけど、そのホッケー・スティック曲線すらなかった。
1月9日の投稿でも解説したとおり、そのホッケー・スティック曲線も全くの虚構。
2010年以降、温暖化で猛暑だの、厳冬だの、台風やハリケーンが強大化だの、豪雨だの、干ばつ(で森林火災)だのと泣き喚き始めたけど、もちろん、それも全く非科学的なデマだけど、1992年にはそんなこと(気候変動と)も言ってなかった。
気温上昇の停滞と人為的温暖化説の破綻」の図10-14に見えるとおり、ENSOに因る気温変動と噴火に因る気温低下を除けば、実は、1993年から気温上昇は進んでいない。
そのグラフは2014年までだけど、昨年1月5日の投稿1月19日の投稿1月9日の投稿、そして、1月23日の投稿で解説したとおり、その後も(CO2排出に因る)気温上昇は進んでいない。
もちろん、モデル風情がそんなこと知るよしもない。
隣では、CO2の排出で氷が解けて沈んじゃうんですぅぅぅ~、みたいな絵を載せてやがるけど、「『温暖化で沈む国』の全く不都合な真実」の図11-22に見えるとおり、我国の潮位は上がっていない。
1月7日の投稿で紹介したとおり、キリバスのアホブタに喚かせてたけど、キリバスの潮位も上がっていない。
もちろん、頭カラッポのモデルはそんなことも知らない。
にもかかわらず、「そう、気候変動ってあまりに大きな問題なんです」と泣き喚くのは、「気候変動」が醜悪なプロパガンダに他ならないことを露呈してるだけ。

「気候変動を引き起こした現在の社会システムの矛盾は、格差、差別、長時間労働や様々な『生きづらさ』につながっている」って?
お前のような頭カラッポのモデル風情が格差の問題を理解しているはずねえだろ。
だから、尚も、ダボスに招かれたグレた娘を盾にして、「大人に突きつけられたタイムリミットのある大きな課題に衝撃を受けたと同時に、立ち上がった多くの姿に希望を強く感じました」。
格差の問題を全く理解していないから、「世代間で意識のギャップが大きい」と泣き喚いてやがるんだね。
「毎日の暮らしに追われる人たち」は毎日が「サバイバル」。
しかも、支那ウィルス禍で「サバイバル」に直面する人が激増している最中に、「若い世代が声を上げるのは、『サバイバル』としてやっているんです」と泣き喚き、「毎日の暮らしに追われる人たちを気候変動問題から遠ざけてしまっている」と泣き喚くのは、「個々の生きづらさ」を全く顧みないことを物の見事に露呈してる。
2月9日の投稿でも指摘したとおり、「気候変動」を真に受けても、「毎日の暮らしに追われる人たち」を顧みるなら、「格差を引き起こした現在の社会システムの矛盾は、気候変動や様々な『生きづらさ』につながっている」と言うべきにもかかわらず、「気候変動」を主語にして、「気候変動を引き起こした現在の社会システムの矛盾は」と喚き立て、「毎日の暮らしに追われる人たちを気候変動問題から遠ざけてしまっている」と泣き喚くことが、「格差、差別、長時間労働や様々な『生きづらさ』につながっている」んだ!

その証拠に、このブスは 350.org と関係してる。
350.org はダイベストメントを仕掛けた。
「気候変動を引き起こした現在の社会システム」の元凶であるはずの投資家=世界最上位の富裕層国際主義エリート貴族が、己らがこそが「気候変動を引き起こした現在の社会システム」を変えるかのごとくに言い立てて利を貪り続けるのを、正当化する以外の何物でもない。
「石炭火力発電の廃止や植林、社会システムの変革までしないと」はダイベストメントに他ならず、このブスの言い張る「社会システムの変革」は「社会的弱者の『生きづらさ』につながっている」んだね。

黄色いベスト運動はそのことを訴えた。
黄色いベスト運動は「『サバイバル』としてやっているんです」。
ところが、2月9日の投稿でも指摘したとおり、グレた娘は黄色いベスト運動弾圧の尖兵となった。
「生きづらさに直結」なら、その当事者を前面に押し立てて訴えるはずだけど、安倍こべに「生きづらさ」を訴えた人たちを弾圧した人でなしを盾に、「だから私は、グレタ・トゥンベリさんが始めた若者による抗議行動『フライデーズ・フォー・フューチャー』を見た時・・・」と喚き立て、「私は飛行機に乗らない」と喚き立てるのは、このブスの言い張る「社会システムの変革」は「社会的弱者の『生きづらさ』につながっている」ことを、ハッキリと示してるな。

「それより『私』を主語にして語りたい」って?
我思う、故に我あり。
「大人に突きつけられたタイムリミットのある大きな課題」だの、「若い世代が声を上げるのは、『サバイバル』としてやっているんです」だの、「世代間で意識のギャップが大きい」だのと泣き喚くテメエに「私」は無い!
お前が「私」と思い込んでいるのは、お前らを唆し操っている「大人」=世界最上位の富裕層国際主義エリート貴族
「私は『富裕層』を守護して騙りたい」だけ。

「気候正義」と言い立てれば、安価で安定した石炭火力の電気が欲しいと訴える「毎日の暮らしに追われる人たち」が「不正義」となり、CO2を排出して富を蓄え格差を拡大させ続けてきた投資家=世界最上位の富裕層国際主義エリート貴族が、己らの排出したCO2を逆手に取り、ダイベストメントと言い立てて富を肥やし続け格差を拡大させ続けることが「正義」となる。
「『気候正義』というキーワード」は「社会的弱者の生きづらさに直結」する。
「『格差解消』というキーワードで結べば、99%の人々がもっと互いにつながって見えてくる真実がある」。
それは困るから、「『気候正義』というキーワードで結べば、もっと互いにつながって見えてくるものがあるのでは、と考えています」んだよ。

左下のババアが「エッセンシャルワークを軽視せず」と嘯いてるけど、火力発電を支えるのは「エッセンシャルワーク」だ。
お前のようなモデルは「エッセンシャルワーク」じゃねえ。
欧米ではお前のような痩せすぎのモデルは不健康を助長する元凶と糾弾されてるんだ。
お前なんかが「石炭火力発電の廃止」と喚き立てるのは、「エッセンシャルワークを軽視」の極みだ。
1月26日の投稿で採り上げた邪説余滴は「石油会社に勤めていた労働者たちが転職し、森林の再生に携わるといったぐあいに」と喚いてやがったけど、「石炭火力発電の廃止や植林」と泣き喚くのなら、モデルなんか辞めて森に働きに行け!
こんなブスのモデルに喚かせ続けるのは、「気候変動」と煽り立てる卑劣で邪悪な意図をハッキリと示してるな。

支那ウィルス禍で格差の問題を「自分事」として理解する市民が急増しているのは、「個々の富裕層の生きづらさに直結」する。
だから、「気候変動、私はどうする」と言い立て、「気候変動を『自分事』として考える意識がなかなか広がらない。とても難しいテーマですよね」と泣き喚かせてるんだね。
右下の野郎が「実感わく市民参加制度を」と喚いてるのは、昨年12月27日の投稿1月21日の投稿、そして、2月9日の投稿で採り上げた「気候市民会議」に他ならない。
すなわち、「下からの総動員体制」。
左下のババアも「エッセンシャルワークを軽視せず」と嘯いてるけど、「現在の科学技術を否定せずに」と言うのは、「気候変動」に異を唱えるのは「科学の否定」ということに他ならず、「気候変動」を既成事実化するために、「私はどうする」と喚いてるだけ。

「気候変動 私はどうする」 → 「私はカーボンプライジングを受け入れろ」ということ。
カーボンプライジングで市民を収奪し富裕層が富を肥やし続けるために、「気候変動 私はどうする」と喚き立ててるんだよ。
2011年3月18日の投稿で採り上げた2009年9月14日の邪説は「『我々は同じ舟に乗っている』という意識が、いまや各国で共有されている。世界の人々は一蓮托生」、「排出量取引は金融取引の一種でもある。いわば『グリード』を飼いならして、地球温暖化対策と経済成長に役立てようという制度なのだ」と喚いてたけど、左上の絵の象は富を蓄えた最上位1%の富裕層を意味する。

「気候変動」では最上位1%も99%も同じ氷に乗ってるんですぅぅぅ~、格差問題でいがみ合ってはならないんですぅぅぅ~、最上位1%も99%も等しくカーボンプライジングを負担しなければ沈んでしまうんですぅぅぅ~、という卑劣な意図が込められているんだね。