「ニライカナイ」さんへ新春の御挨拶

ディーリアス「春初めてのカッコウを聴いて」

遅れ馳せながら、あけまして今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

あれほど糾弾し続けてきたにもかかわらず、人殺し左翼がまたもや喚いてやがったぜ!


原発事故負担 国会で幅広く検討を
福島第一原発の事故費用のうち、東京電力が自前でまかなえない分は、手っ取り早く電気料金で集める――。経済産業省が主導し、有識者会議を舞台にしたこの3カ月足らずの議論は、そんな「結論ありき」だった。
21.5兆円にのぼる事故費用について、政府が新たな負担方針を決めた。筋違いな新電力へのつけ回しを含み、与野党や閣僚、消費者団体から異論が相次いだが、経産省は押し切った。
膨らむ賠償や廃炉などの費用を、誰にどう負担してもらうべきか。この難題を考える際の大原則は、関係者の責任をうやむやにしないことと、国民負担をできるだけ抑えることだ。
だが、有識者会議でこれらは脇に追いやられた。年明け以降、関連する法案や予算案が国会で審議される。経産省がまとめた負担案にとらわれず、最善の策を徹底的に探ってほしい。
この案の最大の問題は、原発を持たない新電力とその契約者にも、原発のコストを押しつける点だ。具体的には賠償・廃炉費の一部を、新電力が大手の送電線を使う時に払う託送料金に付け替える。あからさまな原発優遇で、電力自由化の土台となる公正な競争を軽んじている。
経産省が持ち出した理屈も常識外れだ。「賠償費は本来、福島の事故の前から確保しておくべきだった。この『過去分』は今後すべての電気利用者が負担するのが公平だ」という。
原発の「安全神話」によりかかり、備えを怠ってきたのは、ほかならぬ経産省と大手各社である。自民党内からも「利益は自分の懐に入れ、損失は他人の懐を当てにするのは、理屈が成り立たない」との批判が出た。
原発のコストは、原発を持つ電力大手が自前でまかなうのが筋である。松本純消費者相が「託送料金は送配電に必要な費用に限定すべきだ」とクギをさしたのも当然だ。
負担方法をめぐっては、有識者会議で「税金や賦課金の方がよい」との声も出た。託送料金の仕組みは経産省による手続きで変更でき、国会や国民のチェックが働きにくいためだ。原発に否定的な超党派の国会議員グループは「国民に負担を求める前に、資本主義のルールに沿って東電を破綻(はたん)処理し、株主や取引金融機関にも責任を取らせるべきだ」と主張している。
与野党ともに、消費者の視点を大切にして、選択肢を広げて利点や課題の検討を尽くす責任がある。今の案のまま不透明な国民負担が確定するようなら、エネルギー政策への不信をいっそう強めるだけだろう。


(2016年12月26日の朝鮮日刊新聞邪説)

既に昨年10月2日の投稿11月24日の投稿12月9日の投稿、そして、12月13日の投稿で解説したから、新たに言うべきことは無いのだけど、コヤツらが執拗に喚き続ける以上、否が応でも採り上げねばならない。

「福島第一原発の事故費用のうち、東京電力が自前でまかなえない分は、手っ取り早く電気料金で集める――。経済産業省が主導し、有識者会議を舞台にしたこの3カ月足らずの議論は、そんな『結論ありき』だった」と批判するのなら、東電と契約し続ける家庭が「福島第一原発の事故費用」を負担する謂れは無いはず。
ところが、「筋違いな新電力へのつけ回しを含み」と喚いてる。
それは、東電と契約し続ける消費者に負担させるのが「筋」、と言うことに他ならない。
わざわざ「この案の最大の問題は」と強調しているのは、東電と契約し続ける消費者だけに負担させるのなら問題は無い、と言う以外の何物でもねえ。
「膨らむ賠償や廃炉などの費用を、誰にどう負担してもらうべきか」 → 「膨らむ賠償や廃炉などの費用を東電と契約し続ける消費者に全額負担してもらうべき」と言うんだね。
「この案の最大の問題は、原発を持たない新電力とその契約者にも、原発のコストを押しつける点だ」と喚き散らして、「原発を持たない新電力とその契約者が、東電の契約者に原発のコストを押しつけ」ようとしたんだよ。
それこそを「筋違いなつけ回し」と言うんだ!
「損失は他人の懐を当てにする」のはテメエらだろ!
その証拠に、本当に「この難題を考える際の大原則は、関係者の責任をうやむやにしないこと」なら、政権政党として原発を推進してきた自民党には責任があるのだから、「自民党内からも『利益は自分の懐に入れ、損失は他人の懐を当てにするのは、理屈が成り立たない』との批判が出た」のなら、お前達がそんなことを言うのは「筋違い」だ、と批判すべきであるにもかかわらず、安倍こべに囃し立ててる。
「理屈が成り立たない」のはテメエら左翼リベラルだろ!

「この難題を考える際の大原則は、関係者の責任をうやむやにしないこと」と言い立てながら、「筋違いな新電力へのつけ回しを含み」だの、「この案の最大の問題は・・・」だのと喚き散らすのは、東電と契約し続ける消費者が「関係者」、新電力に乗り換えた消費者は「無関係」、と言うことに他ならない。
新電力に乗り換えた契約者も原発の電気を消費してきたのだから、「与野党ともに、消費者の視点を大切にして」なら、東電と契約し続ける消費者だけが「関係者」で、新電力に乗り換えた消費者は「無関係」であり得るはずが無いにもかかわらず、「筋違いな新電力へのつけ回しを含み」だの、「この案の最大の問題は・・・」と喚き散らして、東電と契約し続ける消費者に責任転嫁しているんだね。
「松本純消費者相が『託送料金は送配電に必要な費用に限定すべきだ』とクギをさしたのも当然だ」と言い立てているけど、「託送料金は送配電に必要な費用に限定すべきだ」は、昨年12月9日の投稿で採り上げた邪説が「賠償・廃炉費は本来、発電部門のコストである」と言い立てていたのと同じであり、「筋違いな新電力へのつけ回し」だの、「この案の最大の問題は・・・」だのはそれに基づいているのだから、「松本純消費者相が『託送料金は送配電に必要な費用に限定すべきだ』とクギをさした」ということは、消費者相が消費者(=東電と契約し続ける消費者)に責任転嫁した、消費者相が消費者の胸に釘を刺した、ということ。
「経産省が持ち出した理屈も常識外れだ」と泣き喚いてるけど、消費者相が消費者に責任転嫁することこそ「常識はずれだ」にもかかわらず、左翼リベラルは、非難するどころか、安倍こべに「クギをさしたのも当然だ」と囃し立て、権力と手を組んで国民に責任を擦りつけようと図ったんだよ。

「負担方法をめぐっては、有識者会議で『税金や賦課金の方がよい』との声も出た」だの、「原発に否定的な超党派の国会議員グループは『国民に負担を求める前に、資本主義のルールに沿って東電を破綻(はたん)処理し、株主や取引金融機関にも責任を取らせるべきだ』と主張している」だのと抗弁しているけど、わざわざ「この案の最大の問題は」と強調しているのだから、それは破廉恥で醜悪極まる欺瞞にすぎない。
実際、「福島第一原発の事故費用」は東電の問題だから、東電管内の消費者が全て負担すべきであるにもかかわらず、「税金や賦課金の方がよい」なら、もしくは、「東電を破綻処理し」なら、「福島第一原発の事故費用」を全国民が一律に負担することになり、「関係者の責任がうやむやに」なる。
「この難題を考える際の大原則は、関係者の責任をうやむやにしないことと、国民負担をできるだけ抑えることだ」からこそ、東電を存続させて、「福島第一原発の事故費用のうち、東京電力が自前でまかなえない分は、電気料金で集め」、東電から乗り換えた消費者が「利益は自分の懐に入れ、損失は他人の懐を当てに」させないように、「新電力が大手の送電線を使う時に払う託送料金に付け替える」べき。
にもかかわらず、昨年10月6日の投稿で紹介したとおり、東電と契約していた連中が真っ先に責任逃れし、それを正当化するために「この案の最大の問題は、原発を持たない新電力とその契約者にも、原発のコストを押しつける点だ」と喚き立て、「電力自由化の土台となる公正な競争を軽んじている」と言い募ってる。
ということは、「関係者の責任をうやむやにし」て、「利益は自分の懐に入れ、損失は他人の懐を当てにする」ための電力自由化、ということ。
だから、「新電力が大手の送電線を使う時に払う託送料金に付け替える」べきと言ったけれど、そもそも、電力自由化自体が全くの「筋違い」。
実際、昨年12月13日の投稿でも解説したとおり、「原発を持たない新電力」のほとんどは「発電設備を持たない新電力」であり、ペーパーカンパニーに他ならず、契約書という紙切れの上では新電力と契約していても、実は、大手電力と契約し続けている家庭と同様に、大手電力の電気を使っているだけだから、「電力自由化の土台となる公正な競争を軽んじている」との言い草は全くの「筋違い」。
しかも、昨年11月24日の投稿12月9日の投稿でも解説したとおり、ペーパーカンパニーにすぎない新電力の経営が成り立つのは、実のところ、大手電力の契約者が高値で買わされているからに他ならず、「原発を持たない新電力とその契約者」こそが「利益は自分の懐に入れ、損失は他人の懐を当てにする」のだから、「電力自由化の土台となる公正な競争を軽んじている」との言い草は全く「理屈が成り立たない」。
「与野党ともに、消費者の視点を大切にして」との言い草とは裏腹に、「電力自由化の土台となる公正な競争を軽んじている」との言い草は消費者(=大手電力と契約し続ける消費者)を「軽んじている」んだね。

「電力自由化の土台となる公正な競争を軽んじている」との言い草は全くの「筋違い」であり、全く「理屈が成り立たない」のだから、「あからさまな原発優遇で」が「あからさまな詭弁」にすぎないことは明白。
実際、昨年11月24日の投稿で指摘したとおり、「筋違いな新電力へのつけ回し」だの、「この案の最大の問題は、原発を持たない新電力とその契約者にも、原発のコストを押しつける点だ」だのの言い草は、原発の電気を使う権利だけを主張しているのだから、そして、昨年12月9日の投稿12月13日の投稿で指摘したとおり、「筋違いな新電力へのつけ回し」だの、「この案の最大の問題は、原発を持たない新電力とその契約者にも、原発のコストを押しつける点だ」だのと喚き立てて、東電と契約し続ける消費者に「福島第一原発の事故費用」を「つけ回し」、「利益は自分の懐に入れ、損失は他人の懐を当てにする」のは、原発の再稼動を招くから、「あからさまな原発優遇で」との言い草は全くの「筋違い」。
昨年12月9日の投稿で指摘したとおり、電力自由化は「人の不幸を前提に成長戦略」に他ならず、その事実を覆い隠すために、「あからさまな原発優遇で」と喚き立てているんだよ。

2012年7月9日の投稿で採り上げた邪説は「むしろこの動きを、既存の政治回路ではとらえ切れない声を直接聴く仕組みづくりにつなげるべきである」だの、7月30日の投稿で採り上げた邪説でも「有権者が、選挙で選んだ自分たちの代表(議員)を通じて政策を実現する。その間接民主主義の回路が機能せず、自分たちの声が政治に届かない。そんないらだちが、人々を直接民主主義的な行動に駆り立てているのではないか」だの、8月24日の投稿で採り上げた邪説でも「それを決めた意思決定の仕組みと、民意を代表すると想定されている間接民主主義の機能不全への異議申し立てだ。ものごとを政治家と既得権を持つ組織の代表や一部の専門家で決め、ふつうの市民はかかわりにくいのが、従来の『ムラ社会』型の意思決定の仕組みだ」だのと喚き立ててたけど、それならば、新電力の契約者は「福島第一原発の事故費用」を一切負担せず、東電と契約し続ける消費者だけが負担すべきか否か、と国民に直接問うのが「筋」なのに、それは絶対にしない。
「経産省が持ち出した理屈も常識外れだ」だの、「自民党内からも『利益は自分の懐に入れ、損失は他人の懐を当てにするのは、理屈が成り立たない』との批判が出た」だの、「松本純消費者相が『託送料金は送配電に必要な費用に限定すべきだ』とクギをさしたのも当然だ」だのと、「筋違い」なことばかり言い立てている。
それは、「むしろこの動きを、既存の政治回路ではとらえ切れない声を直接聴く仕組みづくりにつなげるべきである」が醜悪な欺瞞であったこと、従って、左翼リベラルの「脱原発」が欺瞞であり、「あからさまな原発優遇で」が詭弁であることを、露呈しているんだね。

2012年6月27日の投稿で採り上げた邪説は「民主主義の意思決定を独占しようというのは、政治が直面する課題が複雑になった現代にはそぐわないし、危険ですらある」と喚き立ててたけど、「民主主義の意思決定を独占しようというのは」何処の誰か?
テメエら左翼リベラルだろ!
大手電力と契約し続けている消費者の意見を問おうともしないで、「福島第一原発の事故費用」の「つけ回し」を目論み、その分だけ「自分の懐」を肥やそうと目論みながら、まるで自分達こそが民意を代弁しているかのごとくに、「今の案のまま不透明な国民負担が確定するようなら、エネルギー政策への不信をいっそう強めるだけだろう」と喚き立てるのは、「民主主義の意思決定を独占しようというのが」左翼リベラルに他ならないことをハッキリと示してるな。
(何回も言うけれど、上記社説の言い分は朝鮮日刊新聞だけの言い分じゃない。コチラを見れば分かるとおり、共産党も「原発を持ったことがない『新電力』にも負担を求める方針を打ち出しました。事故を起こした東電の責任はあいまいにして、なし崩しで国民の負担を拡大するのは許されません」とほざいてやがる。朝鮮日刊新聞は左翼リベラルの主張を代弁しているから、当ブログでは朝鮮日刊新聞を集中的に採り上げている。)
だから、年明け後(1月5日の朝刊)も、さらにこんなこと書いてやがる。

昨年11月24日の投稿でも指摘したけど、多くの善良な市民が東電と契約し続けているのは、自分達が福島に原発を押しつけたのだから、「福島第一原発の事故費用のうち、東京電力が自前でまかなえない分は」、自分達が「電気料金」で支えざるを得ない、と考えているからだ。
ところが、コヤツは「『なんの話?』。私なら、きっとそう問い返す」と言い放ったんだね。
もちろん、「筋違いな新電力へのつけ回しを含み」だの、「この案の最大の問題は、原発を持たない新電力とその契約者にも、原発のコストを押しつける点だ」だのは、新電力の契約者が、福島第1原発の電気を使ってきたにもかかわらず、「なんの話?」と白を切ることに他ならない。
現に原発事故が起こり、現に核汚染が拡大し続け、現に国民が被曝し続けているのだから、それへの対処こそが問題であり、それへの対処のみを考えねばならないにもかかわらず、「電力自由化の土台となる公正な競争を軽んじている」と喚き立てるのは、「原発事故?、なんの話?」、「核汚染?、何の話?」、「被曝?、なんの話?」と白を切る以外の何物でもない。

しかも、だ。
上記の邪説は「原発の『安全神話』によりかかり、備えを怠ってきたのは、ほかならぬ経産省と大手各社である」と喚き立てたけど、2011年8月18日の投稿9月11日の投稿で紹介したとおり、「原発の『安全神話』」を率先して垂れ流してきたのは、「ほかならぬ朝鮮日刊新聞である」。
コヤツらは「原発の『安全神話』によりかかり」、「利益は自分の懐に入れ、損失は他人の懐を当てに」してきたんだよ。
それなのに、「『なんの話?』。私なら、きっとそう問い返す」だと!
この言い草を見れば、福島県民なら体が震える程の怒りを覚えるはず。
関西に住んでいる私めですら、体が震える程の怒りを覚えるのだから。
ところが、「ニライカナイ」とやらはどうだ?
朝鮮日刊新聞に「『21.5兆円のツケ』、うらやましい」と投書し、「『なんの話?』。私なら、きっとそう問い返す」と言い放った当人に「朝日新聞に載りました」と喜び勇んで電話したんだね。

原発地元住民は原発の恩恵に与ってきたけれど、そして、それは「手っ取り早く電気料金で集め」たお金だけど、昨年10月19日の投稿を読んでも分かるとおり、私めはそれを非難する気は毛頭無い。
但し、この「ニライカナイ」は別だ。
「ニライカナイ」は原発の恩恵に与りながら、原発事故を国民に「ツケ回し」、補償金を享受して、ぬくぬくと暮らしているんだよ。
十数億円の預金があって、利息だけで暮らしていけるのと同じような、「うらやましい」身分なんだね。
そうでないのなら、つまり、原発を押しつけられたから、補償を受ける権利があるのなら、「筋違いな新電力へのつけ回し」だの、「この案の最大の問題は、原発を持たない新電力とその契約者にも、原発のコストを押しつける点だ」だのと言い放ち、「利益は自分の懐に入れ、損失は他人の懐を当てにする」連中を正当化する朝鮮日刊新聞は許し難いはず。
「ニライカナイ」が受け取っている補償金の一部は東電と契約し続けている消費者が支払っているのだから、東電と契約し続けている消費者に責任転嫁する朝鮮日刊新聞は許し難いはず。
にもかかわらず、朝鮮日刊新聞に呼応して「『21.5兆円のツケ』、うらやましい」と投書し、「朝日新聞に載りました」と悦び勇んでいるのだから、「ニライカナイ」自身が「利益は自分の懐に入れ、損失は他人の懐を当て」にしている、つまり、原発事故を謳歌していることは明白だな。
(原発を誘致しても個人の懐に金が転がり込んでくるわけじゃないけど、原発事故は個人の懐に金が転がり込む。以前に家族から聞いた話だけど、ニュース番組で、原発事故以降、福島で外車の購入が増えている、と報じられていたらしい。焼け太り、とは正にこのこと。)
「『21.5兆円のツケ』、うらやましい」だと?
「21.5兆円のツケ」はテメエの「ツケ」だ、つ~の!
テメエが生き長らえていること自体が国民への「ツケ回し」だ。
我利我利亡者の銭惚けジジイは早く死ね!

いわき市民は「ニライカナイ」に怒るべき。
そうでなければ、自分達が負担せざるを得ないと思い定めていた善良な市民も、「福島?、なんの話?」って言い出すだろうな。
いわき市民も国民から見捨てられるぞ。
昨年12月14日の投稿で採り上げた、自主避難者へのいじめは、国民が「なんの話?」と言い出し始めたことを示してるんだね。
自主避難の子どもへのいじめを止めさせるためにも、いわき市民自らが「ニライカナイ」を袋叩きにしなければならない!