プラスチックと検察庁法改正に満ち足れる安らい、うれしき魂の悦びよ

バッハ「満ち足れる安らい、うれしき魂の悦びよ(教会カンタータBWV170)」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

6月15日の投稿で「自粛警察を自粛警察 まるでファシズム」と糾弾したら、逆切れ!


2020年6月20日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

「命令に従っていればよい・・・・『悪者』に襲いかかりがちである」だと?
それはテメエらのことだろ!
2015年1月7日の投稿で紹介したとおり、超コロナ寿川が「既得権益側からの攻撃や政治的なレッテル貼りがより強くなる可能性もある。しかし、現在の絶望的な状況から抜け出すには、何が『正義』で誰が敵かを明らかにすることは不可欠だと思う」と泣き喚いてやがったけど、自粛を求める市民に「自粛警察」というレッテルを貼るのは、「そこに何らかの『悪者』が設定され」に他ならず、「まるでファシズム」と泣き喚くのは、「自分たちは彼らを『罰する』正義の側である、という意味づけがなされた場合」に他ならない。
朝鮮日刊デジタルの検索欄に「自粛警察」と入力すれば、ぞろぞろ出てくるのは、「多数の人間が同じようにふるまうことは興奮や歓喜をももたらす」に他ならない。
「まるでファシズム」と泣き喚くのは、「責任から解放された『自由』を感じることができる状況」に他ならない。
糾弾されて逆切れし、こんな記事を掲載するのは、「ハイル、タノ!」に他ならない。

コヤツらこそがファッショ。
その真実は温暖化プロパガンダにハッキリと表れてる。
「自分たちは彼らを『罰する』正義の側である、という意味づけがなされた」から、2019年5月31日の投稿6月24日の投稿12月15日の投稿で紹介したとおり、気候正義、気候正義、と泣き喚いた。
そして、「そこに何らかの『悪者』が設定され」ねばならないから、1月11日の投稿で採り上げた1月9日の夕刊の環境欄に見えるとおり、「国連事務総長の『石炭中毒をやめなければならない』というメッセージは日本に向けられている」。
「そこに何らかの『悪者』が設定され」ねばならないから、1月14日の投稿で紹介したとおり、「だが、日本では、いまだに新しい石炭火力発電所を建設しており、さらにそれを海外に売っているという。日本の銀行は、世界的に見ても多額の資金を、石炭を始めとする化石燃料に投融資している。人々が銀行に預けたお金が、温暖化を助長している」と泣き喚く。
「そこに何らかの『悪者』が設定され」ねばならないから、1月16日の投稿で採り上げた「Journalism」でも「日本は温暖化の元凶とも言える石炭火力発電所を建て続けている」と罵る。
「そこに何らかの『悪者』が設定され」ねばならないから、1月31日の投稿で採り上げた邪説でも「身を切るような排出削減が急がれるときに、天然ガス火力の2倍のCO2を何十年にもわたって出し続ける石炭火力を新設する。そんな振る舞いは時代錯誤というほかない」と泣き喚き続ける。
「そこに何らかの『悪者』が設定され」ねばならないから、2月16日の投稿で採り上げた「もっと知りたい 森林火災」の第1回でも「18年の豪州の石炭輸出額は、品目別で最多の約5兆円規模。その一番の輸出先は日本だ。昨年12月の第25回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP25)で日豪はともに、温暖化対策に消極的な国が選ばれる不名誉な賞『化石賞』を環境NGOから贈られた」と罵り続ける。
「そこに何らかの『悪者』が設定され」ねばならないから、2月20日の投稿で採り上げた邪説でも「石炭火力輸出 気候危機の助長やめよ」と喚き散らす。

「集団行動は歯止めを失って暴走し、『悪者』に襲いかかりがちである」から、2月20日の投稿で採り上げた邪説に見えるとおり、「にもかかわらず日本は、主要7カ国(G7)で唯一、国内に数多くの新規計画を抱え、国際的な風当たりが強い」。
「集団行動は歯止めを失って暴走し、『悪者』に襲いかかりがちである」から、3月8日の投稿で採り上げた「いちからわかる!」に見えるとおり、「世界から批判されているよ」。
「集団行動は歯止めを失って暴走し、『悪者』に襲いかかりがちである」から、3月26日の投稿で採り上げた紙面に見えるとおり、「主要7カ国(G7)で唯一、原発と石炭をエネルギー政策の両輪として推し進める日本に向けられる目は、日ごとに激しさを増している」。
「集団行動は歯止めを失って暴走し、『悪者』に襲いかかりがちである」から、6月5日の投稿で採り上げた紙面で、醜いメス豚を持ち出してきて、「石炭火力 覆る『輸出』の理由」と喚き立てる。
「集団行動は歯止めを失って暴走し、『悪者』に襲いかかりがちである」から、6月10日の投稿で紹介したとおり、「横須賀の石炭火力、中止を 手紙190通、環境相に届く」。

虫国野郎が、2014年9月18日の投稿で紹介したとおり、「中国は、日本など先進国では想像できないような対策をすでにやっている・・・大気汚染や温暖化の元凶である石炭火力発電所は、日本で新設が計画される一方で、中国では多くの大、中都市での新設は原則禁止となりつつある」と囃し立て、逆に、2014年2月5日の投稿で紹介したとおり、「日本においては、『地球にやさしい』という曖昧でフワッとした言葉が、温暖化問題における加害者としての責任意識の欠落をもたらしたように思います」と泣き喚き、2014年2月9日の投稿で紹介したとおり、「一方、日本を含むいくつかの国の政府は、石炭火力発電所の国内建設を認め、海外案件も積極的に公的資金で支援しています。石炭をめぐる動きは、かつての地雷を連想させます。地雷は悪魔の兵器と呼ばれ」と、つまり、日本国民を「悪魔」と罵り、さらに、2015年1月7日の投稿で紹介したとおり、「多くの国民が『地球にやさしい』という甘ったるい曖昧な言葉でしか温暖化問題を理解してこなかった。温暖化問題は、温室効果ガスの排出によって多くの人命が奪われるという、いわば大量殺人を未然に防ぐかどうかの『正義』の問題だという認識を持ち得なかった。誰が加害者で誰が被害者か、誰が利益を得て誰が殺されるのか、などを深く考えなかった」と、つまり、日本国民が世界中で人を殺している、と罵り散らしたのは、「そこに何らかの『悪者』が設定され・・・集団行動は歯止めを失って暴走し、『悪者』に襲いかかりがちである」ことを見事に示してる。
2月26日の投稿で採り上げた「論座」で、「しかし、この社説の中には、下記のようにミスリーディングな記述が二つあった・・・国際社会は『日本は主要排出国で、大排出国で、かつ温暖化対策に極めて消極的な国』と認識しているのである」と泣き喚き、「グレタ・トゥンベリさんは日本が環境後進国であることを知っています」と泣き喚き、「多くの人は、温暖化問題に対する責任は感じていない」と日本国民を罵り、「温暖化対策に反対する人々は、みな同じであり、財産や命を奪うという意味では略奪者あるいは殺人者であり、彼らに対抗し、社会システムを変革することこそが正義だと考える」と喚き立てたのも、「そこに何らかの『悪者』が設定され・・・集団行動は歯止めを失って暴走し、『悪者』に襲いかかりがちである」ことを見事に示してる。

「多数の人間が同じようにふるまうことは興奮や歓喜をももたらす」から、1月23日の投稿で採り上げた「論座」でも「日本の石炭火力発電所の新増設や、海外へのプラント輸出について反対する世界各地のNGOメンバー。安倍晋三首相を模した人形も登場した」と囃し立ててた。
「多数の人間が同じようにふるまうことは興奮や歓喜をももたらす」から、3月8日の投稿で採り上げた2月17日の夕刊紙面でも「石炭火力発電への投融資をめぐり、日本に対して抗議デモを行った環境団体のスタッフら」と囃し立て続けた。
「多数の人間が同じようにふるまうことは興奮や歓喜をももたらす」から、3月11日の投稿で採り上げた「取材考記」で「グレタ世代に耳傾けて」と泣き喚いた。
「多数の人間が同じようにふるまうことは興奮や歓喜をももたらす」から、4月23日の投稿で紹介したとおり、「グレタ世代 行動やめない」と囃し立てた。

グレた娘はCO2排出で何の被害も受けていない。
それどころか、何不自由の無い生活を享受してる。
昨年8月26日の投稿12月6日の投稿、そして、12月15日の投稿で紹介したとおり、大西洋をヨットで横断という破廉恥なパフォーマンスに興じ、11月16日の投稿で紹介したとおり、3ヶ月近くも(父子で?)米国で遊び暮らしてた。
昨年12月18日の投稿で紹介したとおり、一等車両で、私はVIPだぁ~、サービスが悪い、とグレまくり。
何の被害も受けていないグレた娘の写真を掲げてデモしてたのは、「多数の人間が同じようにふるまうことは興奮や歓喜をももたらす」からに他ならない。

「多数の人間が同じようにふるまうことは興奮や歓喜をももたらす」から、国連でもこんなことしてやがったんだよ。

2016年3月18日の投稿で紹介したとおり、江守グレ多も「これは『気候正義』の倫理観に基づく社会運動であり、パリ協定に後押しされてさらに勢いを増すかもしれない」と喚き立てた。
そして、「命令に従っていればよい、という状態は、責任から解放された『自由』を感じることができる状況」だから、「江守正多の全く不都合な真実」の第12節で紹介しているとおり、「問題に無関心な人が多くいたとしても、彼らは新しい常識にいつのまにか従うようになるだけだろう」と高言した。
「命令に従っていればよい、という状態は、責任から解放された『自由』を感じることができる状況」だから、5月28日の投稿で紹介したとおり、「3.5%の人が参加すれば、そのムーブメントは成功する」と言い張り、「そうすると残りの96.5%の人たちは、別にそんなことに関心を持たなくても、仕組みが変わっちゃったので、もう勝手にCO2を減らすしかなくなります」と放言した。

昨年4月23日の投稿で採り上げた邪説余滴で「大人たちは『危機にふさわしい行動』とはなんなのかを真剣に考えるべきだ。若者たちの危機感を大人も共有しないと、持続可能な地球を残せない」と罵ったのは、「命令に従っていればよい、という状態は、責任から解放された『自由』を感じることができる状況」を産み出すため。
昨年5月15日の投稿で採り上げた紙面で「温暖化の世界を生きなければならない子どもたちを納得させられるとは思えない」と罵ったのも、「命令に従っていればよい、という状態は、責任から解放された『自由』を感じることができる状況」を産み出すため。
昨年10月10日の投稿で採り上げた「日曜に想う」で「大人はもう未来への甘えを断ち切るほかない」と喚き立てたのも然り。
昨年12月4日の投稿で採り上げた「経済気象台」で「若い世代の身になって行動すべき、との主張は胸に刺さる」と喚き立てたのも然り。
昨年12月21日の投稿で採り上げた昨年12月17日の教育欄で「問われているのは子どもたちではなく、大人たちだ」と泣き喚いたのも然り。
1月5日の投稿で紹介したとおり、「若者たちは動き出した。次は私たち大人の番だ」と喚き散らしたのも然り。
1月16日の投稿で採り上げた「Journalism」で「海外に比べて少ないとはいえ、日本でも子供たちは動き出したのに、大人たちはまだ動き出さない」と泣き喚いたのも、「命令に従っていればよい、という状態は、責任から解放された『自由』を感じることができる状況」を産み出すため。

5月17日の投稿で指摘したとおり、化石燃料の恩恵を最も享受しているのは、大人たちではなく、実は、今の若者たちであるにもかかわらず、「集団行動は歯止めを失って暴走し、『悪者』に襲いかかりがちである」から、1月14日の投稿で紹介したとおり、社会的意識の希薄な女子高生が「私はそんな大人に問いかけたいのです。『私たちの未来を壊し続ける大人の誰が、責任を取ってくれるのですか?』と」と泣き喚いた。
「集団行動は歯止めを失って暴走し、『悪者』に襲いかかりがちである」から、黄色いベスト運動やチリ市民を攻撃する尖兵となったグレた娘が、前回の投稿で採り上げた2つ目の紙面に見えるとおり、安倍こべに「『あなたは私たちにうそをついた。あなたは私たちに虚偽の希望を与えた。あなたは私たちに未来は待ち望むものだと言った』と非難した」。
5月10日の投稿で指摘したとおり、それはヒトラー・ユーゲント。

「ファシズムの芽は、過去でも他所(自粛警察)でもなく、今ここ(朝鮮日刊、グレた娘と学校ストライキ、江守グレ多)に、温暖化プロパガンダの中にある」!
その真実から目を逸らし、己らのファシズムを正当化し、「グレタの法則」を行使してファシズムを推し進めるため、己らこそが民主主義を守り抜いているかのごとくに装い、市民を欺こうと図るんだよ。
だから、同じ朝刊で、さらにこれ!


2020年6月20日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

「コロナ禍で蔓延した『自粛』や『新しい生活様式』や、そこにへばりつく『正しさ』がとても気持ち悪い」だと?
コヤツらは、3月24日の投稿で採り上げた3月22日の朝刊第6面で「動き始めた 新しい『移』『食』『住』」と喚き立てたんだね。
6月10日の投稿で採り上げた1つ目の紙面でも「私たちは、気候変動や・・・無頓着だったのではないか」と泣き喚き、「6割をライフスタイル関連が占めている」と罵り、「裏を返せば、私たちが生活のあり方を見直すことで、地球環境への負荷を大きく減らせる可能性を示している」と喚き散らした。
5月19日の投稿で採り上げた「邪説余滴」では「一人ひとりが食生活を見直す意義は大きい」と喚き立てた。
6月10日の投稿で採り上げた「GLOBE」でも、グレた娘を盾にして「私にとってカギと見えるのは、あらゆる分野で、できる限り持続可能な生活を心がけて暮らすこと。肉食を減らすことはその一つ」と喚き立てた。
「(気候危機対策のための)『自粛』や『新しい生活様式』や、そこにへばりつく『正しさ(気候正義)』がとても気持ち良い」と言い張ってるんだね。
己らが「翼賛体制に向かう前振り」しているという真実から目を逸らし、己らの推し進める「翼賛体制」を正当化するために、「この時代を振り返った時、そろって『自粛』と『新しい生活様式』に邁進した愚かさが見えてくるはずです」と泣き喚いて、己らこそが「翼賛体制」に抗っているかのごとくに装い、市民を欺こうと図るんだよ。
(だから、このブタ野郎は上述の紙面を「『自粛』や『新しい生活様式』や、そこにへばりつく『正しさ』がとても気持ち悪い」と批判しない。ここでは残り2匹を論じないけれど、2016年11月13日の投稿2017年7月6日の投稿昨年8月11日の投稿昨年11月6日の投稿で糾弾したにもかかわらず、相も変わらず「耕論」と言い立てて異論を排斥し、「そこにへばりつく『正しさ』がとても気持ち悪い」と罵るのは、「そこに何らかの『悪者』が設定され、自分たちは彼らを『罰する』正義の側である、という意味づけがなされた場合」に他ならず、「そこにへばりつく『正しさ』がとても気持ち悪い」な。「この時代を振り返った時、そろって『自粛』と『新しい生活様式』に邁進した愚かさが見えてくるはずです」と泣き喚くコヤツらの「愚かさが見えてくるはず」だろ。これは高校の国語の問題だ。)

だから、翌朝にこれ!


2020年6月21日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より


2020年6月21日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

これで良く分かるだろ。
「コロナ禍で蔓延した『自粛』や『新しい生活様式』や、そこにへばりつく『正しさ』がとても気持ち悪い」と泣き喚いた理由が。
「この時代を振り返った時、そろって『自粛』と『新しい生活様式』に邁進した愚かさが見えてくるはずです」と泣き喚いた理由が。
「7月1日には、使い捨てプラスチック削減を目指してレジ袋の有料化が義務づけられる。使い捨ての暮らしを見直すきっかけにしたい」と喚き立てるのは、「マイバッグを持参してレジ袋の使用を『自粛』や『新しい生活様式』や、そこにへばりつく『正しさ』がとても気持ち悪い」、「マイバッグを持参してレジ袋の使用を『自粛』と『新しい生活様式』に邁進した愚かさが見えてくる」と罵り、「生活という個人の領域に、不用意に公権力が介入してくることを『おかしい』と思わないのは、民主主義の基本です」と言うことに他ならない。
もちろん、「7月1日には、使い捨てプラスチック削減を目指してレジ袋の有料化が義務づけられる。使い捨ての暮らしを見直すきっかけにしたい」は「翼賛体制に向かう前振り」で、さらに「CO2削減を目指して炭素税が義務づけられる。暮らしを見直すきっかけにしたい」を目論んでる。
燃やせばいいのに、コヤツら左翼が「地球温暖化の原因である二酸化炭素の排出につながる」と泣き喚くから、投棄されるプラスチックが減らない。
3月24日の投稿で糾弾したにもかかわらず、尚も「環境 転換点2030」と泣き喚くコヤツら左翼こそが環境を壊してる。
己らが気候危機と煽り立てて環境破壊を招いたのを逆手に取り、「生活という個人の領域に、不用意に公権力が介入し」、市民を搾取し利を貪ろうと図るんだよ。
その真実から目を逸らすために、「生活という個人の領域に、不用意に公権力が介入してくることを『おかしい』と思うのは、民主主義の基本です」と泣き喚き、己らこそが民主主義を守り抜いているかのごとくに装い、市民を欺くんだね。
6月15日の投稿で指摘したとおり、政府は憲法12条に基づいて「自粛」を求めた。それを「生活という個人の領域に、不用意に公権力が介入してくることを『おかしい』と思うのは、民主主義の基本です」と泣き喚くのは、やはり、コヤツら反日左翼こそが「日本国憲法をないがしろにした」ことを、己らこそが民主主義を守り抜いているかのごとくに装い市民を欺いていることを、ハッキリと示してる。)

だから、翌朝にこれ!


検察庁法廃案 責任うやむや許されぬ
条文案の修正ではすまない。全面削除するとともに、放置されたままの課題や疑問に決着をつけ、混迷を招いた責任の所在を明らかにする必要がある。
検察庁法改正案が廃案になった。役職定年になる検察幹部を政府の判断で留任させられるようにする規定を新設しようとして、批判を浴びたものだ。
ところが政府は今後の方針を明言しない。公務員全般の定年を引き上げる法案を次の国会に提出し直す意向だが、その際、問題の特例規定を一部改めたうえで盛り込もうとする動きもあるという。そんなことをすれば反対の世論に再び火をつけるだけだ。政府は導入の断念をすみやかに表明すべきだ。
一連の経緯は、法の支配を理解せず、国会を軽んずる安倍政権の体質を浮き彫りにした。
発端は黒川弘務前東京高検検事長の定年を延長した1月の閣議決定だ。検察官は63歳で退官と定める検察庁法に明らかに反する。さらに「国家公務員法にある延長規定は検察官には適用されない」という従来の政府見解と矛盾すると指摘されると、首相は2月になって、法解釈を変更したと言い出した。
法治国家とは思えぬ暴挙だ。だが閣議決定は今も取り消されておらず、このままでは第2、第3の定年延長が行われる可能性が残る。恣意(しい)的な幹部人事を通して政治が検察活動に介入する余地をなくすために、閣議決定と解釈の変更をともに撤回することが不可欠だ。それ抜きに今回の混乱は収まらないし、将来にも大きな禍根を残す。
置き去りにされている問題は他にもいくつもある。
例えば、定年延長をめぐる法解釈を変えたのなら、なぜそのとき公表しなかったのか。問われた政府は「国民生活への影響がないから」と回答した。政治と検察の間で保たれてきた緊張関係を揺るがす重要な変更なのに、一線を踏み越えたことへの謝罪も、説明をないがしろにしたことへの反省も一切ない。
迷走答弁で閣僚の資質の欠如がはっきりした森雅子法相の責任も宙に浮いたままだ。
昨秋時点では検討されていなかった特例規定が、なぜ突然、法案に入ったのか。法相は2月末に「経緯を明らかにする文書を作成する」と国会で約束したが、いまだに果たしていない。国民の代表を愚弄(ぐろう)するのもほどがある。その大臣の下で、定年延長の閣議決定から法案作成、国会対応の実務を担い、検察への信頼を傷つける行いを自ら重ねてきた法務省幹部にも、厳しい目が注がれて当然だ。
国会閉会でリセット、というわけにはいかない。国の統治のあり方の根幹が問われている。


(2020年6月22日の朝鮮日刊新聞邪説)

己らこそが「民主主義の基本」を昂然と否定しながら、「一連の経緯は、法の支配を理解せず、国会を軽んずる安倍政権の体質を浮き彫りにした」と喚き散らし、己らこそが徹底的に国民を愚弄しながら、「国民の代表を愚弄するのもほどがある」と罵り散らし、その挙句に「そんなことをすれば反対の世論に再び火をつけるだけだ」と泣き喚いたのは、5月28日の投稿で指摘したとおり、一部の醜悪で愚かな死民を焚きつけて、「多くの市民が法案の内容を理解し、SNSなどを通じて異議を表明したことが、これまで強権的な手法で政策を推し進めてきた『1強』政権にストップをかけた。その意義は大きい」と囃し立てていたことを、ハッキリと示してるな。
1月27日の投稿で紹介したとおり、「科学者の発言や研究成果などについて『非常に』『かなり』信頼していると答えた人は、日本では25%にとどまった」。
(因みに、「『日本では2.5%にとどまった』を目指さねばならん」と言ったけれど、最上位1%と2.5%で3.5%。なぜ「3.5%の人が参加すれば、そのムーブメントは成功する」と泣き喚いたのか、その理由が分かったな。)
固定価格買い取り制度は国民の頭越しに決めた。
レジ袋の有料化も国民の頭越しに決めた。
検察庁法にだけ「そんなことをすれば反対の世論に再び火をつけるだけだ」と喚き散らしたのは、一部の醜悪で愚かな死民を焚きつけて、「多くの市民が法案の内容を理解し・・・その意義は大きい」と喚き立てていたことを、ハッキリと、ハッキリと示してるな。
だから、5月28日の投稿で指摘したとおり、「SNSなどを通じて異議を表明した」連中は「SNSなどを通じて再エネに異議を表明しなかった」。
「SNSなどを通じて異議を表明した」連中は「SNSなどを通じてレジ袋有料化に異議を表明しなかった」。
「SNSなどを通じて異議を表明した」連中は「SNSなどを通じて気候危機宣言に異議を表明しなかった」。
「SNSなどを通じて異議を表明した」連中は「SNSなどを通じて炭素税に異議を表明しない」。

「この邪説にへばりつく『正しさ』がとても気持ち悪い」!
「この時代を振り返った時、反日に焚き付けられた死民がそろって検察庁法改正の『異議』に邁進した愚かさが見えてくるはずです」!
「検察庁の領域に、不用意に反日が介入してくることを『おかしい』と思うのは、民主主義の基本です」!
「ファシズムの芽は、過去でも他所(自粛警察)でもなく、今ここ(上の邪説)に、『SNSなどを通じて異議を表明した』中にある」!