我らが否定論者と森友学園は民主主義の堅き砦

バッハ「我らが神は堅き砦(教会カンタータBWV80)」

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

前回の投稿に「全くその通りだと思います」というコメントを頂きましたが、あんな手合いがいる根本的原因は、モリカケを仕掛けた反日左翼めが、グレた娘を異常奇勝なほどに持て囃し続け、CO2排出で異常気象と煽り続けていることですね。
(トランプは国際主義エリートが支配していた米国政治を変える契機になり得るという意味において、歴代米大統領の中で最もましな大統領だけど、私めは本質的に反米右翼だから、そして、当ブログでは脱原発を主張している──正しく言えば、電力自由化+再エネのエセ脱原発を糾弾している──から、ベトナム戦争や核に関する見解は異なるけれど、正直に言うと、先日の「黒い雨」訴訟のニュースを見たり、記事を読んで、被曝したにしては長生きしてるじゃん、被曝してなくても若死にしてる人もたくさんいるのに、と思ってしまったのもまた事実。モリカケを仕掛けた反日左翼が今年も囃し立ててやがったけど、昨年2月28日の投稿でも言ったとおり、俄かに出てきた反核団体がノーベル賞を受賞したのにも胡散臭さを感じ、一緒に出てきた被爆者と称するババアにも、被曝したにしては長生きしてやがるなと思い、良い印象を抱かなかった。恐らく、コメント氏も同じようなところがひっかかるんでしょうな。)
7月10日の投稿7月18日の投稿、そして、7月21日の投稿で糾弾したにもかかわらず、尚もコレ!


豪雨、温暖化でさらに増加 世界はどう?専門家が予測
小早川遥平
2020年8月17日 16時00分

球磨川が氾濫(はんらん)し冠水した熊本県人吉市の市街地=2020年7月4日午後0時3分、朝日新聞社機から、遠藤啓生撮影

熊本県の球磨川流域に甚大な被害をもたらした大雨など、7月は日本各地を豪雨が襲いました。中国でも長江流域を中心に4500万人が被災しており、大雨の影響は広範囲に及びます。日本を含む東アジアの気候はどのように変化し、「数十年に一度」の雨が日常となってきた今、豪雨が多い熱帯地方に学べることはあるのでしょうか。気象や地盤工学の専門家に聞きました。
「集中豪雨、温暖化の影響も」 遠藤洋和さん


気象庁気象研究所の遠藤洋和さん(本人提供)

地球温暖化によるアジアの降水変化を研究している気象庁気象研究所の遠藤洋和さんは、7月に梅雨が活発になって大雨をもたらした理由について「日本付近への太平洋高気圧の張り出しが弱く、梅雨前線が停滞したことが原因」と話します。このこと自体は、年ごとの自然変動によるものですが、熊本のような短時間で集中的に雨が降るような現象については「長期的な温暖化の影響も考えられる」そうです。その理由を解説してもらいました。

――温暖化で大雨が増えるのはなぜですか
「温暖化が進むと、気温が上がって大気に含まれる水蒸気が増えます(原因①)。また、地表面や大気の暖まり方の違いにより風の吹き方が変化し(原因②)、将来の雨の量に影響を与えます。短時間に降る雨の強さは、①の水蒸気の量が主に影響するため、温暖化すれば世界各地で大雨が増えると予想されています」

温室効果ガス対策を取らない場合の21世紀末までの降水変化。左は年降水量、右は年間で最も雨の多い5日間の降水量の変化を示す。年降水量は減る地域がある一方、大雨は世界的に増え、日本の増え方が大きいことも分かる=気象庁気象研究所のホームページから

――世界的に雨が増えるのですか
「大雨は世界的に増えますが、…


(朝日新聞デジタル)

「短時間に降る雨の強さは、①の水蒸気の量が主に影響するため、温暖化すれば世界各地で大雨が増えると予想されています」は、江守グレ多が喚いてたのと同じで、飽和水蒸気量が6%増加したから雨量も6%増加したということだけど、「熊本のような短時間で集中的に雨が降るような現象については『長期的な温暖化の影響も考えられる』」のなら、1965年時より6%だけ雨量が多かったはずだけど、浸水高は倍以上だった。
「熊本のような短時間で集中的に雨が降るような現象については『長期的な温暖化の影響も考えられ』」ねえんだ!
もちろん、開発で地形が変わったから浸水が深くなったかもしれないけれど、それなら、人吉の町と周囲の地形が1965年と同じだったら、浸水は1965年よりも6%高かっただけということを示す必要があるのに、「温室効果ガス対策を取らない場合の21世紀末までの降水変化」などという図を示してるのは、「熊本のような短時間で集中的に雨が降るような現象については『長期的な温暖化の影響も考えられる』」に科学的根拠が無いことを露呈してるな。
しかも、気候モデが過去の気候変化を再現できなければ、「温室効果ガス対策を取らない場合の21世紀末までの降水変化」に科学的意味は全く無い。
何度言っても言い足りない」けれど、気候モデルは「異常気象の全く不都合な真実」の図14-2に見える気候変化を、60年以降に気温が低下し、80年代末に急上昇し、ヒートアイランドを除けば、その後は気温上昇が進んでいないことを再現できるんか?
前回の投稿で採り上げたアホカスが「論文出して」と泣き喚いてやがったけど、私めは、気候モデルで過去の気候変化を再現できるという「論文出して」と、言い続けてきた。
けど、それは絶対に示さない。
(このことを考えても、アホカスが「論文出して」と泣き喚いたことの醜悪さが分かるだろ。)
何度言っても言い足りない」けれど、再現できないから示さないんだね。
「熊本のような短時間で集中的に雨が降るような現象については『長期的な温暖化の影響も考えられる』」に科学的根拠が全く無いことは明らかだな。

さらに、この記事の前には、またまたまたまた、肉を喰うな~!、と泣き喚いてやがった!


肉食巡り省庁バトル 「議論を」と環境省、反発の農水省
伊藤喜之
2020年8月15日 8時00分


2020年版の環境白書

肉食が地球温暖化に与える影響をどう考えるべきか。環境省と農林水産省が水面下で攻防を繰り広げている。環境省が今年の環境白書で、肉食を減らす運動を進める団体を紹介しようとしたところ、農水省が反対意見を出し、掲載が見送られていた。
環境省は地球環境への貢献でこの団体を表彰していたが、畜産を振興する立場の農水省に押し切られた形だ。環境省内の一部からは「農水の介入で環境行政の一貫性が損なわれた」との声が出ており、肉食を巡る議論は今後も続きそうだ。
温室効果ガスの14.5%が畜…


(朝日新聞デジタル)

その一方で、こんなこと喚いてやがった!


戦後75年の現在地 不戦と民主の誓い、新たに
日本が戦争に敗れて、きょうで75年である。
筆舌に尽くせぬ惨状を経て、この国は戦争の愚かさと平和の貴さを学んだ。
二度と過ちを繰り返さない。その誓いとともにあったのは、「民主主義の世の中」に変わるという国民の意識だった。
国に民が仕える国家主義ではなく、民が主権者として進路を決める民主社会へ。

その変革は、どこまで達せられただろうか。人々がそれぞれ等しく個人として尊重される世の中になっただろうか。
世界は折しもコロナ禍に直面し、人間の安全が問われている。そのなかで戦後日本の現在地はどこにあるのか考えたい。

■人間の自立を説く
広島港沖の瀬戸内海に浮かぶ人口約750人の似島(にのしま)。この小島の歴史は、近代日本がたどった浮沈を映している。
19世紀末の日清戦争で、日本は近代国家として初めて感染症の水際対策を迫られた。帰還兵の検疫・隔離のための施設がつくられたのが、似島だった。
大陸進出が広がるにつれ施設は拡充されたが、やがて対中、対米戦争へと突入。そのころには戦線が延びきり、検疫を受ける部隊はいなくなった。
敗戦の夏、8月6日。原爆に焼かれた1万人超が、空いていた検疫所に運ばれた。
「殺到してくる死に瀕(ひん)した真っ黒な人々に、せめて仰向けに寝る場をあたえることで精一杯であった」。軍医の錫村(すずむら)満が、島の惨劇を「似島原爆日誌」にそう書き残している。
似島を日本の検疫拠点にしたのは、明治・大正期の政治家、後藤新平である。医学で身を立て、開明的な発想で医療衛生の近代化に尽力した。
後藤が残した言葉に、「自治三訣(さんけつ)」がある。「人のお世話にならぬよう 人のお世話をするよう そして報いを求めぬよう」。国民の健康と人間の自立を尊んだ後藤は、自身の亡き後に日本がたどった戦争の果ての破局をどう見ただろうか。
■政治を見極めてこそ
「我々は戦争状態にある」とマクロン仏大統領が語れば、中国の習近平(シーチンピン)国家主席は「人民戦争だ」と民衆を鼓舞する。
ことしのコロナ禍を受け、一部の政治指導者は事態を戦争に例える発言をした。社会を不安や不満が覆うとき、政治家が勇ましい言葉で求心力を高めようとすることは珍しくない。
だがしかし、そんな時こそ、国民は神経を研ぎ澄まし、政治を冷静に見極める必要があることを、歴史は教えている。
ドイツ出身の哲学者ハンナ・アーレントは、「凡庸な悪」というべき平凡な人間の思考停止がナチスの大罪を支えた、と論じた。それは当時の日本にも通じるものだろう。

「これは大へんなことになったと思いながら、しかし一方ではなにがしかの解放感があった」。日米開戦での心境を、文芸春秋にいた池島信平は著書「雑誌記者」に書いている。
中国戦線に加え、先が見えぬ不安。戦争の無謀さを感じつつも、「頭を押さえられている鬱屈(うっくつ)した気持が一時に破れた」。
治安維持法などにより、言論が厳しく取り締まられた時代である。軍部が情報を操作し、朝日新聞を含むメディアは真実を伝えず、国民は多くを知らないまま一色に染まった。
個人を尊重する戦後民主主義の理念は、あの戦争から学んだ社会の安全装置なのである。
一人ひとりの意識が問われるのは、コロナ禍も同じだろう。感染拡大を防ぐうえで、ある程度の社会の統一行動が求められるのはやむをえないにしても、最終的に大切なのは個々の判断に基づく行動だ。

日本の検疫制度を築いた後藤のいう人間の自立と他者への思いやりは、いまも示唆的な意味を持つ。政府の最大の務めは、情緒的な言葉の発信ではなく、国民が自ら理解し行動するための情報開示と説明であろう。
憲法に背向ける政権
いま世界では、多様さを認める自由社会と、画一性を強いる強権社会がある。
米中「新冷戦」と呼ばれる覇権争いが起きている現実は嘆かわしい。
しかし、先行きが不透明な国際情勢にあっても、日本が自由と民主主義の基盤に立つ原則を曲げよ、という声はない。
日本国憲法は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」とし、「主権が国民に存する」と宣言した。不戦の誓いが民主主義と連結した戦後思想は、国民に浸透しているといえるだろう。
むしろ、背を向けているのは政府のほうではないか。安倍政権による国会軽視の数々。市民に必要な情報公開どころか、公文書の改ざんや隠蔽(いんぺい)にまで及んだ権力の乱用は、国民主権への冒涜(ぼうとく)というほかない。
戦争の記憶を継承し、新時代の難題に取り組みながら、問い続けていかねばならない。75年前、再出発した日本がめざした民主国家づくりは、どこまで実践されているか、と。


(2020年8月15日の朝鮮日刊新聞邪説)

「国に民が仕える国家主義ではなく、民が主権者として進路を決める民主社会へ」だと?
「個人を尊重する戦後民主主義の理念は、あの戦争から学んだ社会の安全装置なのである」だと?
奸凶白書でわざわざ「肉食を減らす運動を進める団体を紹介しようとした」のは、国民にお前らも肉を喰うなと強要するために他ならず、「個人を尊重する戦後民主主義の理念」と相容れない。
しかも、「肉食を減らす運動を進める団体」とやらは、日本人ではなく、これ!

週1度は肉食を控える「ミートフリーマンデー」を呼びかけるポール・マッカートニーさん=MFMAJ提供 (C)2014 MPL Communications Ltd./photographer MJ Kim

外国を持ち出してきて主権者の国民に強制しようと図るのは、「民が主権者として進路を決める民主社会」ではなく、「国家官僚が主権者として進路を決める反民主社会」。
にもかかわらず、「農水省が反対意見を出し、掲載が見送られていた」と泣き喚くテメエらは、「民が主権者として進路を決める民主社会ではなく、国に民が仕える国家主義へ」と喚き立ててるんだろ!

2011年9月29日の投稿で採り上げた2011年6月29日の邪説が国民の頭越しに、「太陽光や風力の普及を図ること(固定価格買い取り制度)に異論はないはずだ」と決めつけたのは、「民が主権者として進路を決める民主社会ではなく、国に民が仕える国家主義へ」。
8月12日の投稿で指摘したとおり、「自国の都合ばかりを考え」だの、「自国の都合を言い訳に」だのと罵り散らすのは、「個人を尊重する戦後民主主義の理念」を全否定する以外の何物でもなく、やはり「民が主権者として進路を決める民主社会ではなく、国に民が仕える国家主義へ」。
8月14日の投稿で紹介したとおり、完狂大臣が「石炭火力輸出 今後ない」だの、「石炭火力輸出の支援『もう出ない』」だのと勝手に決め込んだのを囃し立てたのも、「民が主権者として進路を決める民主社会ではなく、国に民が仕える国家主義へ」。
8月16日の朝鮮日刊邪説は「閣僚靖国参拝 問われる政権の歴史観」と泣き喚いてやがったけど、チョン二郎が靖国神社に参拝したのは、チョン一郎が靖国に参拝したのと同じで、チョンの遺伝子を持つ国賊が日本国民を欺くためのカモフラージュにすぎない。慶応でチョン一郎と同級生だった栗本慎一郎が、週刊現代2005/12/24号の掲載の「パンツをはいた純一郎」で、「靖国神社参拝問題で、小泉は中国、韓国の怒りを買っていますが、靖国神社に対して、彼は何も考えていないですよ。私はかつて国会議員として『靖国神社に参拝する会』に入っていた。そこで、小泉に『一緒に行こうぜ』と誘ったのですが、彼は来ない。もちろん、靖国参拝に反対というわけでもない。ではなぜ行かないのかといえば『面倒くさいから』だったのです」と証言してた。但し、私めは靖国に否定的。坂東には鹿島神宮以外にはまともな神社が無いから、東蝦夷には分からないだろうけど、靖国(そして明治神宮)も本来の意味での神社(=式内社)じゃねえ。靖国ちゅうのは軍人どもが己らを祀り上げるために作った神社もどきにすぎない。神は天皇ただ一人であるにもかかわらず、軍人どもが己らを天皇と同列にしようと図ったわけで、天皇に対する不敬、はっきり言えば、反逆以外の何物でもねえ。天皇と同列な(=神階が無い、つまり、天皇の起源と直結する)のは伊勢神宮、そして、東蝦夷は全く知らないだろうけど、って言うか、実は関西人もほとんど知らないけど、和歌山市内の日前宮だけ。その名のとおり、天照大神を祀っているのは「日前宮」の方だと言われてる。JR和歌山駅の一番山手側のホームから、例の「タマちゃん」で有名になった貴志川線に乗り込んで2つ目の駅(日前宮駅)で降りれば、歩いて5分ほどの所。貴志川線ちゅうのは日前宮、そして、竈山神社と伊太祁曽神社への三社参りのために造られた鉄道で、神武東征の際に神武天皇の兄の彦五瀬命が、那賀須泥毘古と戦って受けた傷が元で亡くなり、葬られた場所が竈山神社。もちろん作り話だけど、神武神話に依るなら、これまた特別な神社。けど、和歌山に支那ウィルスを広げてしまうから、それを知ったからと言って、東蝦夷は三社参りに来ちゃダメだよ。)

7月1日の投稿で「2週連続で煽り立ててやがる」と言ったけれど、実は、4週連続で煽り立ててやがった!


2020年7月5日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より


2020年7月12日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

「国に民が仕える国家主義ではなく、民が主権者として進路を決める民主社会」では、「私たちが求められる」のではなく、「私たちが求める」にもかかわらず、奸凶省の寄生虫どもが国民の頭越しに決めたレジ袋有料化を昂然と正当化した挙句に、国民に指突きつけて「今、私たちに求められているのは、レジ袋の次に何ができるかだ」と言い放つのは、「民が主権者として進路を決める民主社会ではなく、国に民が仕える国家主義へ」。
もちろん、「今、私たちに求められているのは、レジ袋の次に何ができるかだ」とは、すなわち、「今、お前たち臣民に求められているのは、レジ袋の次に炭素税だ」。
だから、7月29日の投稿で紹介したとおり、奸凶省の事務次官様が「炭素税の必要性強調」したんですぅぅぅ~、と喚き立てた。
超コロナ寿川も、国民の血税で生活する身でありながら、「自動車業界は炭素税などの効果的な温暖化対策に対して常に反対してきた」と泣き喚いた。
7月25日の投稿で紹介したとおり、江守グレ多も、国民の血税で生活する身でありながら、国民に指突きつけて、「本格的なカーボンプライシング(炭素税や排出権取引)が日本でも導入されれば、石炭火力のコストはさらに上がる。すぐに導入されるかはわからないが、10~20年にわたって導入されないと想定する事業者はさすがに楽観的すぎるだろう」と言い放った。
当に「民が主権者として進路を決める民主社会ではなく、国に民が仕える国家主義へ」。

3月11日の投稿で紹介したとおり、「小泉氏、グレタ世代に耳傾けて」と泣き喚き、その結果、上でも述べたとおり、チョン二郎が「石炭火力輸出 今後ない」だの、「石炭火力輸出の支援『もう出ない』」だのと勝手に決め込み、それを正当化してやがるけど、5月28日の投稿で紹介したとおり、それは「3.5%の人が参加すれば、そのムーブメントは成功する」に他ならず、「民が主権者として進路を決める民主社会」と正反対の方向。
にもかかわらず、「グレタの法則」と囃し立てたのは、「民が主権者として進路を決める民主社会ではなく、国に民が仕える国家主義へ」。
だから、その後も、ホームページのトップで「グレタ世代」と囃し立ててやがった!

紙面はこれ。


2020年7月30日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

「国に民が仕える国家主義ではなく、民が主権者として進路を決める民主社会」においては、「民が主権者として進路を決める」過程において、市民がリーダーを育成する。
「『持続可能な社会を担うリーダー育成』を掲げる私立学校に通い」、「リーダーになるのに年齢は関係ない」と、つまり、自分が「リーダーになる」、「リーダーになる」と言い張るのは、「民が主権者として進路を決める民主社会」とは全く異質。
市民が「リーダー育成」ではなく、私立学校で「リーダー育成」ということは、「民が主権者として進路を決める」のではなく、「極一部の何者かが、民から主権を奪って、己らのみが主権者として進路を決める」ために、エージェントとして送り込んで市民を操る、ということに他ならない。
それは何処の誰か?
その答えは「1月には、世界経済フォーラム(WEF)年次総会(ダボス会議)に、スウェーデンの気候変動活動家グレタ・トゥンベリさんらとともに招かれました」。
2月8日の投稿で採り上げた2月3日の朝刊紙面、そして、5月24日の投稿で採り上げた5月21日の朝刊紙面で、ダボス様が「今、お前たち臣民に求められているのは、レジ袋の次に炭素税だ」とおっしゃてるんですぅぅぅ~、と泣き喚いてやがったけど、炭素税を課せばプラスチック製品も高騰するから消費が減るという理屈を立てて、その実は、炭素税を課して市民から毟り盗るために、ただそれだけが目的で、このバカ娘にプラスチック、プラスチックと泣き喚かせてるんだね。
グレた娘も、人並み外れた自己顕示欲、と言うよりも、歪んだ異常な自己顕示欲を見出されて、ダボスでお披露目させ、昨年2月28日の投稿で紹介したとおり、炭素税に抵抗する黄色いベスト運動を「殺(や)るか、殺(や)らないか」と喚き立てて、貴族に認められたけれど、このブスも「リーダーになるのに年齢は関係ない」と言い放つほど目立ちたがり屋の歪んだ人格を買われて、「持続可能な社会を担うリーダー育成」とやらで洗脳されて、ダボスにお披露目したわけだ。
チョン二郎も、何の実績も無いにもかかわらず、多くの国民を死に追いやってエセ改革を進めたチョン一郎の息子であることを買われて、2016年2月19日の投稿で紹介したとおり、ダボスの「ヤンググローバルリーダー」に選ばれてた。
「小泉氏、グレタ世代に耳傾けて」と喚き立てた意味は明らかだろ。
「グレタ世代」と囃し立てるのは、「民が主権者として進路を決める民主社会、貴族に民が仕える国家主義へ」のスローガン。

「『我々は戦争状態にある』とマクロン仏大統領が語れば・・・」だと?
「格差社会を不安や不満が覆うとき、左翼メディアが勇ましい言葉で最上位富裕層への求心力を高めようとすることは珍しくない」。
「不戦と民主の誓い、新たに」どころか、安倍こべに、2014年11月13日の投稿で採り上げた「天声人語」で「私たちは第3次世界大戦のまっただなかにいる」だの、2017年8月22日の投稿で採り上げた「日曜に想う」でも「容赦ない戦争とは地球環境の破壊のことだ。エンデはこれを第3次世界大戦だという」だの、2018年10月10日の投稿で採り上げた「日曜に想う」でも「環境破壊を、生まれてくる世代に対する戦争、いわば第3次世界大戦であると言っていた」だのと喚き立てた。
そして、3月3日の投稿で紹介したとおり、「気候戦士」と囃し立てた。
「グレタ世代」と囃し立てるのも同じ意図。
「治安維持法などにより、言論が厳しく取り締まられた時代である」と泣き喚いてやがるけど、8月14日の投稿で紹介したとおり、「不都合な科学 拒絶の動き」と喚き立て、「気候危機宣言などにより、言論(温暖化プロパガンダ批判)が厳しく取り締まられる時代である」。
WUWTが紹介してたから知ってるだろうけど、最近の論文でもハリケーンの数や強さに変化は認められないことが再確認された。
けど、「朝日新聞は真実を伝えず、国民は多くを知らないまま『気候危機』一色に染まった」。

って言うのは嘘で、1月27日の投稿で紹介したとおり、「二度と過ちを繰り返さない。その誓いとともにあったのは、『科学者の発言や研究成果などについて《非常に》《かなり》信頼していると答えた人は、日本では25%にとどまった』という、国民の意識だった」。
コヤツらの意に反して「『気候危機』一色に染まらなかった」。
だから、「ドイツ出身の哲学者ハンナ・アーレントは、『凡庸な悪』というべき平凡な人間の思考停止がナチスの大罪を支えた、と論じた」と、つまり、お前ら愚かな市民の「『凡庸な悪』というべき平凡な人間の思考停止が石油会社や電力会社の大罪(気候危機を招いた)を支えた」と泣き喚いてるんだね。
だから、昨年4月23日の投稿で採り上げた邪説余滴で「大人たちは『危機にふさわしい行動』とはなんなのかを真剣に考えるべきだ。若者たちの危機感を大人も共有しないと、持続可能な地球を残せない」だの、5月15日の投稿で採り上げた紙面でも「温暖化の世界を生きなければならない子どもたちを納得させられるとは思えない」だの、10月10日の投稿で採り上げた「日曜に想う」でも「大人はもう未来への甘えを断ち切るほかない」だの、12月21日の投稿で採り上げた12月17日の教育欄でも「問われているのは子どもたちではなく、大人たちだ」だのと罵り続けてきたんだね。
そして、「『凡庸な悪』というべき平凡な人間の思考停止が石油会社や電力会社の大罪(気候危機を招いた)を支えた」から、「民が主権者として進路を決める民主社会」とは決別して、「3.5%の人が参加すれば、そのムーブメントは成功する」、「グレタの法則」と言い放ったんだよ。
しかも、「気候危機」と泣き喚くのなら、CO2を排出して利を貪った機関投資家を糾弾すべきなのに、8月4日の投稿で紹介したとおり、ノルウェーの腐れ外道を持て囃したのは、市民を搾取するために「『凡庸な悪』というべき平凡な人間の思考停止」と罵っていること、つまり、「民が主権者として進路を決める民主社会ではなく、最上位1%に99%の民が仕える国家主義へ」を目指していること、だから、「グレタ世代」と囃し立てていることを、ハッキリと示してるな。
2017年10月9日の投稿で紹介したとおり、「きっぱりと別れたい」と泣き喚き、7月25日の投稿で紹介したとおり、江守グレ多も「筆者も同じ気持ちだ」と泣き喚いてやがったけど、それは「民が主権者として進路を決める民主社会」とは「きっぱりと別れたい」と言うことに他ならない。

6月15日の投稿6月23日の投稿、そして、7月1日の投稿で紹介したとおり、「自粛警察」と泣き喚き、かつての戦時下のようですぅぅぅ~、と泣き喚いてやがったけど、「世界は折しもコロナ禍に直面し、人間の安全が問われている。そのなかで戦後日本の現在地はどこにあるのか考えたい」と言い立て、「『凡庸な悪』というべき平凡な人間の思考停止がナチスの大罪を支えた。それは当時の日本にも通じるものだろう」と泣き喚き、「一人ひとりの意識が問われるのは、コロナ禍も同じだろう。感染拡大を防ぐうえで、ある程度の社会の統一行動が求められるのはやむをえないにしても、最終的に大切なのは個々の判断に基づく行動だ」と泣き喚くのも、自粛を求める人たちを「『凡庸な悪』というべき平凡な人間の思考停止」と罵ることに他ならない。
8月10日の投稿8月12日の投稿、そして、8月14日の投稿で指摘したとおり、3密を避けようとしない「『凡庸な悪』というべき平凡な人間の思考停止」を正当化し、PCR検査さえ増やせばいいと煽り立てて、「『凡庸な悪』というべき平凡な人間の思考停止」を助長し、支那ウィルスを蔓延させ、グリーン・リカバリーと言い立てて、「民が主権者として進路を決める民主社会ではなく、国に民が仕える国家主義へ」を狙ってるんだね。
(上で述べたとおり、「不都合な科学 拒絶の動き」と喚き立てて、「気候危機宣言などにより、言論(温暖化プロパガンダ批判)が厳しく取り締まられる時代である」。前回の投稿で採り上げたアホカスこそが「自粛警察」。それを生み出しているのはコヤツら反日左翼。)

初めに「世界は折しもコロナ禍に直面し、人間の安全が問われている。そのなかで戦後日本の現在地はどこにあるのか考えたい」と言い立てて、結局は「憲法に背向ける政権」と泣き喚いてやがるけど、「だがしかし、そんな時こそ、国民は神経を研ぎ澄まし、社会を冷静に見極める必要があることを、歴史は教えている」。
江守グレ多らIPCCは気温データを改竄してハイエイタスを消し去った。
8月14日の投稿で指摘したとおり、都合の悪い北半球高緯度の気温推移を隠蔽した。
先に述べたとおり、気候モデルが「異常気象の全く不都合な真実」の図14-2を再現できないという事実も隠蔽し続けてる。
ところが、コヤツらは、それを糾弾するどころか、安倍こべに「不都合な科学 拒絶の動き」と泣き喚いて正当化し続けてる。
IPCC『1.5℃特別報告書』の全く不都合な真実」で採り上げている2018年2月11日の朝刊紙面に見えるとおり、「宇宙から温暖化予測」と囃し立てながら、人工衛星のデータを隠蔽した。
図13-28も隠蔽し続けてる。
2018年8月22日の投稿8月28日の投稿10月10日の投稿、そして、12月1日の投稿でも指摘したけど、曲がりなりにも新聞社でありながら、「市民に必要な情報公開どころか」、「公文書の改ざんや隠蔽にまで及んだ報道権力を乱用」し、「民が主権者として進路を決める民主社会ではなく、国に民が仕える国家主義へ」を後押しするテメエらが、「安倍政権による国会軽視の数々。市民に必要な情報公開どころか、公文書の改ざんや隠蔽にまで及んだ権力の乱用は、国民主権への冒涜というほかない」と泣き喚くのは、「国民主権への冒涜というほかない」!

我国は世界で肥満率が最も低い国の一つ。

もちろん、魚を食べ、肉食が少ないから。
にもかかわらず、「環境省が今年の環境白書で」、我国の9倍近い肥満率の英国の「肉食を減らす運動を進める団体を紹介し」たのを、「農水省が反対意見を出し、掲載が見送られていた」と泣き喚いて、「市民に必要な情報公開どころか、公文書の改ざんや隠蔽にまで及んだ報道権力の乱用は、国民主権への冒涜というほかない」!
2015年4月19日の投稿の図2に見えるとおり、我国の排出責任は途上国並み、または、それ以下であるにもかかわらず、その事実を隠蔽し続け、「自国の都合ばかりを考え」だの、「自国の都合を言い訳に」だの泣き喚いて、「むしろ、背を向けているのは反日左翼のほうではないか」!
「いま世界では、多様さを認める自由社会と、画一性を強いる強権社会がある」と泣き喚いてやがるけど、先に述べたとおり、「異論はないはずだ」と言い放った。
「画一性を強いる」のはテメエらだろ。
2017年4月17日の投稿で「コヤツら左翼が『多様』という言葉を使うときは、必ず、卑劣な誤魔化しがある」と、昨年8月11日の投稿でも「コヤツらが『多様』という言葉を口にする時、それは必ず醜悪な詭弁であり、必ず卑劣な意図に満ちている」と指摘したけれど、コヤツらは、己らが「画一性を強いる強権社会」を推し進めようとしているという事実を覆い隠すために、「多様さ」をという美辞麗句を振りかざして市民を欺こうと図るんだよ。

2017年8月25日の投稿で採り上げた「政治断簡」でも「哲学者、ハンナ・アーレントは」と喚き立ててやがったけど、コヤツら反日左翼は、国民を欺いて「民が主権者として進路を決める民主社会ではなく、国に民が仕える国家主義」、「多様さを認める自由社会ではなく、画一性を強いる強権社会」を推し進めるために、モリカケを仕掛けて、「安倍政権による国会軽視の数々。市民に必要な情報公開どころか、公文書の改ざんや隠蔽にまで及んだ権力の乱用は、国民主権への冒涜というほかない」と泣き喚いてるんだね。
だから、翌日の邪説でもコレ!


戦争と公文書 今に続く国民への背信
「市ケ谷台史料」と名付けられた文書が、防衛省防衛研究所の戦史研究センターで公開されている。自衛隊市ケ谷駐屯地にかつて置かれた陸軍参謀本部が保管していたとみられるもので、焦げ痕や切れ端に残った断片的記述が生々しい。
75年前の8月15日前後、政府や軍だけでなく、裁判所や全国の市町村などで大量の公文書が燃やされた。この史料はその一部で、96年に東京都埋蔵文化財センターが旧尾張藩上屋敷跡の発掘調査中に偶然見つけた。
天皇の承認を受けた裁可書や天皇への上奏案、電報類など多岐にわたる。判読困難なものが多いが、各地の戦況や戦闘機の来襲情報、原爆被害、世論情勢などが細かく報告されている。
なぜ公文書が一斉に処分されたのか。当時、内務省事務官だった故・奥野誠亮元法相は15年の読売新聞のインタビューに、ポツダム宣言に「戦犯の処罰」があったため、「戦犯にかかわるような文書は全部焼いちまえ、となったんだ」と明かし、焼却の指令書を書いたと証言した。軍や政治指導者の保身と責任逃れのために、不都合な真実が消し去られたのだ。
戦後70年の節目だった5年前、野党議員が公文書焼却の経緯や法的根拠をただした質問主意書に対し、安倍内閣は「事実関係を把握できる記録が見当たらない」などとして、「お答えは困難」とする答弁書を閣議決定した。まさに歴史がなきものとされたのである。
どの国の歩みにも光と影があり、明暗を問わず、謙虚に向きあうことが、未来への教訓をつむぎだす。記録を残す意味はそこにある。過去を検証し、共通の礎となる資料が存在しないことは、近隣諸国と歴史認識の溝を埋める作業の支障となり、戦前の日本を美化する歴史修正主義の温床にもなっている。
戦後の民主主義下においても、記録の軽視は宿痾(しゅくあ)のように、この国の政治、官僚機構の中に根深く残っている。
01年4月の情報公開法の施行前、各省庁が駆け込みで多くの公文書をシュレッダーで処分したと指摘される。歴代最長となった現在の安倍政権下では、森友学園をめぐる公文書の改ざんや、桜を見る会の招待者名簿の廃棄など、公文書をめぐる問題が後を絶たず、現下のコロナ対応をめぐる記録も十全といえるのか、心もとない。
公文書管理法は、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と定める。記録を残し、適切に公開し、後世に引き継ぐことは、国民、そして歴史に対する重い責務だ。75年前の過ちを、これ以上、繰り返してはいけない。


(2020年8月16日の朝鮮日刊新聞邪説)

「軍や政治指導者の保身と責任逃れのために、不都合な真実が消し去られたのだ」と?
「モリカケを煽り立てた反日メディアの保身と責任逃れのために」、「不都合な科学 拒絶の動き」と喚き立てて、「不都合な真実が消し去られたのだ」!
「戦後の民主主義下においても、記録の軽視は宿痾のように、この国の反日左翼の中に根深く残っている」!

モリカケ偏向報道は「今に続く国民への背信」だ。
モリカケを仕掛けたテメエらこそが「今に続く国民への背信」だ。
モリカケを仕掛けた反日左翼を、同調した反日どもを、社会から消し去らねばならない。
「75年前の過ちを、これ以上、繰り返してはいけない」!