弱い者苛めに「未来を変える『蛮勇』の物語」にもっと楽しそうな顔をしろ

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

1月21日の投稿で糾弾したにもかかわらず、ネットに再掲載しやがった!


脱炭素社会へ 「くじ引き市民」の熟議、政策決定の礎に
2021年1月24日 8時00分


札幌市の温暖化対策に対する提言を議論する市民の参加者

コラム「多事奏論」 国分高史(編集委員)
あなたは脱炭素社会の将来像をどう描き、そこにいたる変革の道のりをどのように進むべきだと考えますか?
この問いに答えを出すべく、20人の札幌市民が昨年11月から12月にかけて隔週の日曜午後、計4回約16時間もの長きにわたってオンラインで話し合った。「気候市民会議さっぽろ2020」。参加したのは、「くじ引き」で選ばれた老若男女だ。
温室効果ガス排出の実質ゼロに向け、どのような社会的合意のもとで具体策を進めるべきか。それを探るためフランスやイギリスなど欧州で広がっている「気候市民会議」の手法を、初めて日本でもやってみようという野心的な試みだ。
北海道大学などの研究者らでつくる実行委員会が企画した。50年までの排出ゼロへの行動計画を作成中の札幌市の積極的な協力のもと、住民基本台帳から無作為に選んだ16歳以上の3千人に案内状を送付。それを受け応募してきた人の中から年代、性別、学歴などの構成が市全体の縮図となるよう選ばれた人たちが参加した。
会議では、温暖化対策の専門家や市環境局の担当者ら11人から専門分野ごとの課題について情報提供を受けた後、市民がそのつど自由に意見を述べあった。そのうえで、例えば人や物の移動に関して①車を脱炭素化する②車以外の手段に転換する③移動を減らす暮らし方・働き方をするとの選択肢のうち、どれが最も重要かといった70項目に投票。その結果を分析した速報は25日に市環境局に報告され、行動計画やその後の取り組みに反映される見通しだ。
会議のポイントはくじ引きにある。
実行委代表の三上直之・北大准…


(朝日新聞デジタル)

こんなコラムを環境欄に掲載するのは異例だけど、理由は分かるだろ。
前回の投稿で「『民主主義立て直す時』とは、前回の投稿で採り上げた紙面で『政策決定に市民参加の回路を開き、民主主義の刷新を同時に進める』だの、『国民巻き込み議論を』だのと喚いてたのと全く同じ詐術」と喝破されたから、逆切れして再掲載しやがったんだよ。
前回の投稿で糾弾した翌朝に、しかも、わざわざ環境欄にこんなコラムを再掲載しやがったのは、「政策決定に市民参加の回路を開き、民主主義の刷新を同時に進める」が「下からの総動員体制」に他ならず、「結束」が「自粛警察」、「分断克服」が「同調圧力」に他ならないことを自白しただけだ!

だから、1月11日の投稿でも糾弾したにもかかわらず、「結束へ全身全霊」「分断克服 訴え」と囃し立て、「米の復帰 好機に」と喚き立てた翌朝の朝刊別刷りでコレ!


2021年1月23日の朝鮮日刊新聞土曜日朝刊の別刷り「be」より

昨年3月29日の投稿で紹介したとおり、再エネと称する紛い物のために、毎年1万円近い負担を強いられてる。
経済的弱者は「エアコン、我慢しよう」ということにならざるを得ない。
コヤツらは、2012年1月5日の投稿で採り上げた2011年12月14日の邪説で「ピーク時の料金を高くするなど料金体系が多様化できる。通信回線で家電と結べば、電気代が安い時間帯を選んでエアコンを動かすなど、もっと賢い節電を考えられる」だの、2017年4月3日の投稿の2つ目の紙面でも「電気が足りない時間帯は料金を高く」だの、2017年10月30日の投稿の2つ目の紙面でも「科学的根拠に基づいた政策立案」だのと喚き立てたんだね。
「快適さや便利さと温暖化対策は、必ずしも相反するものじゃない」って?
弱者を愚弄してんのか!

昨年12月2日の投稿で紹介したとおり、「水素の『色』は?」とほざいてやがったけど、2016年2月17日の投稿でも指摘したとおり、再エネの電気に何か色がついていて識別できるから、再エネだけを取り出すことができる、なんてことはあり得ない。
だから、全ての家庭に負担させてる。
毎年1万円近い負担を強いられてるということは、全ての家庭が再エネを使ってる、再エネ業者と契約している家庭も火力発電の電気を使っている、ということだ。
しかも、だ。
毎年1万円近い負担を強いられてるにもかかわらず、「『電気代が安くなった』という人もいる」と喚き立ててやがるけど、それは、2016年2月7日の投稿4月6日の投稿で指摘したとおり、そして、12月9日の投稿で採り上げた邪説に見えるとおり、新電力が、企業向けの電気料金が家庭向けよりも安いことを利用して、東電や関電の大手電力から電気を調達し、大手電力よりも安値で家庭に提供しているということに他ならず、「『電気代が安くなった』という人」は東電や関電の原発・火力の電気を使っているということ。
「家で使う電気を、二酸化炭素を出さない再生可能エネルギーで作ったものに替えたらどうだろう」と喚き立てるのなら、固定価格買い取り制度は止めろ。
「再生可能エネルギーで作ったものに替えた」のなら、固定価格買い取り制度で他人に負担させている電気代は全て自分が支払え!
10軒中9軒は、年1万円近い負担が苦痛だから、安価な石炭火力の電気だけを使いたいと思ってる。
「家で使う電気を、二酸化炭素を出さない再生可能エネルギーで作ったものに替えた」ら、他の9軒が毎年支払ってる9万円を自らが支払わねばならないから、電気代は毎年10万円近く上がるはず。
それでも「電気代が安くなった」と言えるか?
あ?
「快適さや便利さと温暖化対策は、必ずしも相反するものじゃない」と言えるか?
あ?
己が支払うべき9万円を他人に負担させながら、「『電気代が安くなった』という人もいる」って、弱者を愚弄してんのか!

けど、翻って考えれば、全員が「快適さや便利さ」を失えば「相反する」けど、一部の者でも「快適さや便利さ」が増せば、「必ずしも相反するものじゃない」と言える。
「必ずしも相反するものじゃない」ということは、極一部の連中には「相反しない」ということなんだね。
「必ずしも相反するものじゃない」ということは、極一部の者達の「快適さや便利さ」のために、大多数の人々が「快適さや便利さ」を犠牲にするということなんだよ。
2016年10月2日の投稿で紹介したとおり、「年収200万円未満で乗り換えた世帯は3.5%にとどまったのに対し・・・3千万円以上では12.5%が新電力を選んだ」。
年収3千万円以上の家庭が自らが支払うべき電気代を年収200万円未満の家庭に負担させて、「『電気代が安くなった』という人もいる」と喚き立てるのは、「必ずしも相反するものじゃない」の意味をハッキリと示してるな。
昨年12月7日の投稿12月18日の投稿で糾弾したにもかかわらず、「走っているときに二酸化炭素を出さない電気自動車を勧めてみたら」と言い放って憚らないのも、「必ずしも相反するものじゃない」の意味をハッキリと示してるな。

さらに、これまた昨年12月18日の投稿で糾弾したにもかかわらず、尚も、肉を喰うな~、と泣き喚いてやがるけど、


底つきる借金3千万円…罰則に怒り「飲食店だけが悪か」
染田屋竜太、増山祐史
2021年1月24日 19時14分

ミシュランで三つ星のレストラン「HAJIME」を切り盛りする米田肇さん(中央)=米田さん提供

新型コロナウイルス対策として、休業や営業時間短縮の命令に従わない店は50万円以下の過料に――。そんな内容の特別措置法改正案が閣議決定された。首都圏への緊急事態宣言から約2週間。やり玉に挙げられている飲食店からは反発があがる一方で、「しかたない」との声も漏れる。
「罰則とは、求めるものに対するきちんとした補償があって初めて検討されるもの。順序が逆だ」。大阪市の三つ星レストラン「HAJIME」の米田肇シェフ(48)はこう話す。
フランスで修業後、2008年に店を開き、1年5カ月でミシュラン三つ星を獲得した。営業は夜だけ。基本は3万~4万円程度のコースのみだ。
今は時短の要請に応じている。だが、スタッフ約29人を抱える HAJIME にとって、要請に応じた店に一律で支払われる1日最大6万円の協力金は「全く不適切」。1月は売り上げが半減し、約700万円の赤字も見込まれる。「家族経営の小さい店ならともかく、中規模以上の飲食店には全く足りない額だ」と指摘。「きちんと家賃や給料といった固定費を補償する仕組みがあれば、休業する覚悟はある。その方が感染拡大防止にもよいはずだ
米田さんは昨春、ネットなどで…


(朝日新聞デジタル)

「要請に応じた店に一律で支払われる1日最大6万円の協力金」は国民の血税で賄われる。
「要請に応じた店に一律で支払われる1日最大6万円の協力金」は、いずれ大増税となって国民の生活を直撃する、
「要請に応じた店に一律で支払われる1日最大6万円の協力金は『全く不適切』」「きちんと家賃や給料といった固定費を補償する仕組みがあれば、休業する覚悟はある。その方が感染拡大防止にもよいはずだ」と泣き喚くのは、俺たち富裕層が常連客の高級レストランのために、お前ら貧乏人が負担しろ、と言うことに他ならない。
(昼食のサラリーマン相手の食堂は、何処でも日替わりメニューがあるから、それを弁当にし、注文を受けて事務所・事業所に配達すればいい。メニューを幾つも用意するより、その方が経費も食材の廃棄も少なくて済む。)
昨年4月27日の投稿で糾弾したにもかかわらず、「罰則に怒り『飲食店だけが悪か』」と泣き喚くのは、「必ずしも相反するものじゃない」の意味をハッキリと、ハッキリと示してるな。

己ら極一部の者のみが電気を使い、車を乗り回し、肉を喰らうために、大多数には「エアコン、我慢」させ、車を使わせず、肉を食わせず、己ら極一部の者のみが「快適さや便利さ」を追い求め続けるために、大多数には「快適さや便利さ」を放棄させるのが、コヤツらの言い立てる「みんなで身近な対策を」。
そのために、「温室効果飽和に対する愚かな反論」と「ホッケー・スティック曲線の虚実」で解説しているとおり、CO2の温室効果は飽和に近いにもかかわらず、「じゃ、どんどん温まっちゃうね」と泣き喚き、謀ろうと図るんだよ。

だから、翌朝もコレ!


2021年1月24日の朝鮮日刊新聞朝刊紙面より

「快適さや便利さと温暖化対策は、相反するものじゃない」のなら、つまり、脱炭素が市民のためなら、脱炭素で市民生活が豊かになるなら、なぜ「勇気」が必要だ?
あ?
脱炭素が市民のためなら、脱炭素で市民生活が豊かになるなら、「勇気」なんて必要ねえだろ。
あ?
「必ずしも相反するものじゃない」から、「それを見つめる勇気さえあれば」と泣き喚いてやがるんだよ。
庶民は自分たちの「快適さや便利さ」を犠牲にして、富裕層が「快適さや便利さ」を追い求め続けるのを「見つめる勇気さえあれば」、と泣き喚いてやがるんだね。

「グリーン雇用が生まれる」って?
「石油会社に勤めていた労働者たちが転職し」なら、つまり、失業して雇用が失われて、転職するだけなら、新たに「雇用が生まれる」わけじゃねえだろ。
しかも、昨年4月20日の投稿6月10日の投稿7月18日の投稿8月26日の投稿で指摘したとおり、そして、コチラでも指摘しているとおり、原発や火力関連の雇用の方が再エネ関連の雇用よりずっと多い。
電気料金が同じでも、雇用が減れば、その分だけ、投資家=富裕層の懐は潤う。
もちろん、固定価格買い取りで電気料金を高騰させれば、投資家=富裕層の懐はさらに潤う。
さらに炭素税で市民から毟り盗り、「次世代送電網、高速鉄道の整備(もちろん、中禍人糞凶和国が受注)」で、さらに潤う。
「それを見つめる勇気さえあれば」と泣き喚いてやがるんだね。

「森林の再生に携わるといったぐあいに」だと?
だったら、先にテメエらが転職しろ!
テメエらが「勇気」を奮って転職しろ!
2015年4月28日の投稿で指摘したとおり、コヤツらの平均年収は1300万円で最上位1%の富裕層。
己らは最上位1%の地位を失う「勇気」がない。
「勇気」の無いヤツに限って、他人に「勇気」を求めるんだよ。

「尊厳のある社会をつくるために」だと?
平均年収1300万円のテメエらが、半分の年収の労働者に指突きつけて、失業する「勇気」を求めるのが「尊厳のある社会」か?
あ?
何処の誰の「尊厳」だ?
あ?
他人の「尊厳」を踏み躙るヤツに限って、「尊厳のある社会をつくるために」と喚き立てるんだよ。

先に見たとおり、「罰則に怒り『飲食店だけが悪か』」と泣き喚いてやがったけど、高級レストランの連中こそ「森林の再生に携わるといったぐあいに」転職しろよ。
「石油会社に勤めている労働者たち」には、人々の生活を支えているという「尊厳」がある。
けれど、富裕層に奉仕しているだけの連中にそんな「尊厳」はない。
失業して、「森林の再生に携わり」、「尊厳のある社会をつくるために行動を起こしてよかった」はずだろ。
昨年6月10日の投稿で紹介したとおり、「今を好機に」と喚き立ててやがったけど、「今を好機に」、「尊厳のある社会をつくるために行動(=高級レストランの営業を禁止し、協力金も支払わず、閉店させる)を起こす」べきだな。
昨年6月17日の投稿で紹介したとおり、この外道も「まさに好機ではないか」と喚いてやがったけど、「尊厳のある社会をつくるために行動(=高級レストランの営業を禁止し、協力金も支払わず、閉店させる)を起こす」、「まさに好機ではないか」。
ところが、インフラを支えている労働者には失業する「勇気」を求め、己ら富裕層が通う高級レストランへの援助を国民に求める。
「それ(=最上位1%だけに尊厳のある社会)を見つめる勇気さえあれば」と泣き喚いてやがるんだね。

何度言っても言い足りない」けれど、CO2を排出して利を貪ったのは投資家=世界最上位の富裕層国際主義エリート貴族
CO2を排出したから「地球は危機に陥っている」のなら、投資家=世界最上位の富裕層国際主義エリート貴族の責任。
「投資家=世界最上位の富裕層国際主義エリート貴族が断頭台に消えるのを見つめる勇気さえあれば」と言うはず。
それこそが「尊厳のある社会」。
けど、2015年11月10日の投稿2018年10月22日の投稿で紹介したとおり、「製作者の1人でジャーナリストの直美・暗淫」はダイベストメントの仕掛け人。
2016年1月13日の投稿2月23日の投稿12月16日の投稿2017年10月9日の投稿2018年10月18日の投稿、そして、昨年9月19日の投稿で紹介したとおり、コヤツらもダイベストメントを囃し立て続け、2016年5月13日の投稿2018年12月3日の投稿2019年7月31日の投稿昨年1月14日の投稿7月5日の投稿、そして、10月7日の投稿で紹介したとおり、「350.org」を持て囃し続けてきやがった。
その一方で、労働者には失業する「勇気」を求める。
投資家=世界最上位の富裕層国際主義エリート貴族が、己らの排出したCO2を逆手に取り、市民搾取をさらに強化して富をさらに肥やすために、「気候危機との闘い」と吹聴してるんだね。
先に指摘したとおり、この外道、「水素の『色』は?」とほざいてやがったけど、「富裕層の『色』は?」
グリーン

「20年の大統領選で民主党が勝ち、地球温暖化対策と弱者救済を両立させるグリーン・ニューディールを始める」と言い張ってやがるけど、元スケベバーテンダーの「おそそコルテス」も投資家=世界最上位の富裕層国際主義エリート貴族に飼われている破廉恥な雌犬。
投資家=世界最上位の富裕層国際主義エリート貴族の没落こそが「弱者救済」の道。
CO2を排出したから「地球は危機に陥っている」のなら、「弱者救済」の結果としての「地球温暖化対策」でなければならない。
「地球温暖化対策と弱者救済を両立させる」と喚いてること自体がおかしい。
しかも、「弱者救済と地球温暖化対策を両立させる」と言わず、弱者救済を後回しにして、「地球温暖化対策と弱者救済を両立させる」と喚いてる。
先の紙面に関して説明したとおり、コヤツらは、実のところ、弱者を愚弄しきってるんだね。
昨年12月16日の投稿で紹介したとおり、大阪死率大学のマルクス主義者も、表向きの欺瞞にすぎないものの、「米国で新たな政治潮流となりつつある『グリーン・ニューディール』も、成長を志向する点でむしろ有害で」と批判してた。
1月3日の投稿で採り上げた昨年大晦日の邪説は「『現在の政治に対する批判的な意見がたくさんあること』。評論家の加藤周一は民主主義をそう定義する」と喚き立ててやがったけど、グリーン・ニューディールへの批判に背を向けて、「ストーリーはこうだ」と囃し立てるのは、「地球温暖化対策と弱者救済を両立させるグリーン・ニューディール」が「民主々義の〈民〉は 庶民の民だ ぼくらの暮しを なによりも第一にするということだ」と全く相容れないことを、ハッキリと示してるな。

「だが、昨年の大統領選では、作品が描いた通り民主党が勝ち、今月、バイデン新政権が発足した」と喜び勇むのは、前回の投稿で指摘したとおり、「分断克服」が「格差拡大に抵抗する者を弾圧」に、「結束へ全身全霊」が「結束して弾圧に全身全霊」に他ならないことを、ハッキリと示してるな。
上で指摘したとおり、「勇気」のないヤツラが「勇気」と喚き立て、「尊厳」を踏み躙るヤツラが「尊厳」と泣き喚き、「分断」を招いたヤツラが「分断」と泣き喚くんだね。
この外道、1月3日の投稿で採り上げた昨年12月28日の邪説で「ビジネスや暮らしを一変させる脱炭素化を進めるには、社会全体の合意が求められる。政府は国民や企業の声に、耳を傾けることを忘れてはならない」と嘯いてやがったけど、「未来を変える『勇気』の物語」と喚き立てたのは、「政府は国民の声に耳を傾けることを忘れてはならない」が「気候市民会議」に他ならないことを、ハッキリと示してるな。
だから、ネットに再掲載しやがったんだね。

「未来を変える『勇気』の物語」とは、「市民搾取強化を『誘起』の物語」。
「未来を変える『勇気』の物語」とは、「弱者を『幽鬼』に変える物語」。
「未来を変える『勇気』の物語」とは、「未来を修復不能な絶対的格差社会に変える『蛮勇』の物語」。