悲劇的脱原発

マーラー・交響曲第6番「悲劇的」より

今日今晩は。
「国際環境NGO(嘘)RealCrazyClimate」の会員某で~~~す。

今日はコレを採り上げようかね。


「第三極」の政策―「小異」と見過ごせぬ
新しい政治勢力の結集をめざす「第三極」の動きが活発だ。
東京都知事を辞職した石原慎太郎氏は、たちあがれ日本を母体に近く新党を立ち上げる。名古屋の地域政党だった減税日本も、国政政党に衣替えした。
ともに、橋下徹大阪市長率いる日本維新の会などとの連携に意欲をみせている。
既成政党の惨状は目に余る。地域から新しい勢力が国政に参入すること自体は歓迎したい。
一方で、石原氏のこんな発言は見過ごせない。
「原発や消費税とかは大事な問題かもしれないが、ある意味ではささいな問題」「小異を捨てて大同につくしかない」
本当に「ささいな」問題なら乗り越えることもできよう。
だが、第三極をめざす各党の基本政策は、根っこから食い違っている。
たとえば原発政策。維新とみんなの党、減税日本は脱原発の方向だが、石原氏は脱原発論をこう切り捨てる。
「人間だけが持つ英知の所産である原子力の活用を一度の事故で否定するのは、ひ弱なセンチメント(情緒)に駆られた野蛮な行為
たちあがれは消費増税に積極的だが、みんなは反対。維新は消費税の地方税化を主張し、減税日本は消費税減税を訴える。
環太平洋経済連携協定(TPP)では、維新やみんなが交渉参加に積極的なのに対し、石原氏は「米国の策略。頭冷やして考えた方がいい」と反対だ。
たちあがれと維新は憲法改正では一致するが、維新が掲げる首相公選制や参院廃止には、たちあがれが反対する。石原氏は「憲法破棄」が持論だが、これには橋下氏が「憲法破棄という方針はとらない」。
ことは、国の針路や国民生活の根幹にかかわる基本政策である。互いの違いを「小異」「ささいな問題」で片付けることは到底、できない。
中小政党が選挙で戦うには政党の枠を超えた協力が必要な事情はわかる。だが、そのために政策を置き去りにするなら「野合」批判は避けられまい。
橋下氏が「カラーが違う」と、たちあがれとの連携に二の足を踏むのも無理はない。
既成政党、とりわけ民主、自民両党もひとごとではない。原発・エネルギー政策やTPPなどで、ともに党内に根深い意見の対立を抱えるからだ。
総選挙に向け、各党は党内論議を尽くして責任ある公約をつくるべきだ。そのうえで、政党の枠を超えた連携には、重要政策のすりあわせが欠かせない。

「第三極」の政策―維新は原発でぶれるな
脱原発について、日本維新の会の立ち位置が定まらない。
8月に固めた党綱領「維新八策」では、「先進国をリードする脱原発依存体制の構築」とうたっていた。ところが維新の国会議員団が先週まとめた公約素案では、それを実現するための道筋がまったく見えない。
素案は「既存の原発は2030年代に全廃する」としつつ、「世界最高水準の原発で国際的貢献を果たす」と原発プラントの輸出を促している。脱原発路線に逆行するような内容だ。
プルトニウムを利用するための高速増殖炉や使用済み核燃料の再処理は「当面凍結」にとどめ、撤退方針を示さなかった。
代表の橋下徹大阪市長は「たたき台だ」とし、さらに議論するという。だが出発点がこれでは、本気で脱原発社会をめざすのか、疑問符がつく。
維新は他党と選挙協力することを前提に政策のすりあわせを始めた。自党の公約の中核が不確定なのに、連携の協議をすることには無理がある。
綱領に「脱原発依存」を明記した維新の原点にたち返り、ぶれずに原発ゼロをめざし、いつどうやって実現させるのかを国民に示すべきではないか。
脱原発も「即時ゼロ」から、みんなの党が唱える「2020年にゼロ」、民主党の「2030年代ゼロ」までさまざまだ。
橋下氏は昨日の記者会見で「安全に対するルールをしっかり決めて電力改革をやれば、原発がどうなるかおのずと見えてくる。原発から違う電力供給に転換していくルールを今構築している」と語った。
橋下氏のブレーンらでつくる大阪府市エネルギー戦略会議は、脱原発社会実現へ向けた意欲的な提言を出してきた。
中間まとめでは、安全のために、運転開始から40年での例外なき廃炉や、使用済み核燃料の総量抑制で運転に歯止めをかける方向性を示している。
橋下氏はこれらのアイデアに財源を示して肉付けし、政策案として取り込めばどうだろう。
経済界は原発再稼働の圧力を強めている。いま政党が説得力ある脱原発の道筋を示してこそ、有権者の判断材料になる。
選挙協力について、橋下氏は「理念、価値観で一致することが大前提だ」という。ならば脱原発で首尾一貫した公約を作り、率先することだ。
今夏、橋下氏は関西電力大飯原発の再稼働に反対したが、最後には容認に転じた。「停電リスクにおじけづいた」と説明した。維新が今後、脱原発を貫けるのか。有権者は見ている。


(2012年11月2日の朝鮮日刊新聞社説)

「石原氏は脱原発論をこう切り捨てる」のならば、そして、「綱領に『脱原発依存』を明記した維新の原点」ならば、「暗い目をした男」は「ダイオキシンタロウとはカラーが違う」と言うはずだな。
ところが。


橋下氏、石原氏個人とは連携 「たちあがれ」に難色
2012/10/31 19:45
日本維新の会代表の橋下徹大阪市長は31日、新党を結成する石原慎太郎氏について「石原さん個人とは一緒にやりたい。考え方もそんなに隔たりはない」と連携に期待感を表明した。新党の母体になるたちあがれ日本との連携は「カラーが合わない」と難色を示した。
維新幹事長の松井一郎大阪府知事は「橋下氏は国政に出ないので(首相候補は)石原氏でいい」と述べ、石原氏が維新に合流した場合、次期衆院選で維新が提示する首相候補になりうるとの見方を示した。
たちあがれ日本の藤井孝男参院代表は記者会見で、石原氏が先週の会合で石原、橋下両氏の共同代表構想に触れたと指摘。橋下氏から打診があったとしている。橋下氏は「話題に上ったことはあるが、僕が持ちかけたことはない」と話した。


(日本経済新聞)

朝鮮日刊新聞は、1月26日の投稿で採り上げた2012年1月22日の社説でも「これに対して、東京の石原慎太郎都知事は『エネルギーをどうやって補給するかの設計図もない時点で、センチメンタルともヒステリックとも思える』と突き放すだけだ」だの、6月27日の投稿で採り上げた2012年6月24日の社説でも「条例制定の請求に石原慎太郎知事は『観念的に原発の是非のみを問い、結果が錦の御旗のごとく力を持つならば国を滅ぼす』と言い放った。『おまえたちは黙っていろ』と言わんばかりだ」だのと言い立て、そして、またもや「石原氏は脱原発論をこう切り捨てる」と言い立てたけど、そこまで非難するのならば、「石原さん個人とは一緒にやりたい。考え方もそんなに隔たりはない」と言い放った「暗い目をした男」に期待するはずがないだろ。

しかも、8月23日の投稿で採り上げた2012年8月9日の朝鮮日刊新聞社説は「再び言葉倒れに終わるなら、市長としても、維新の会代表としても信用を落とすだろう」と言っていたのだから、「石原さん個人とは一緒にやりたい。考え方もそんなに隔たりはない」と言った以上、もはや「信用」出来ない、と断じるはずだろ。
ところが、その発言には知らぬ顔の半兵衛を決め込み、「ぶれずに原発ゼロをめざし、いつどうやって実現させるのかを国民に示すべきではないか」と言い立て、尚も「暗い目をした男」に固執してるんだね。
「たちあがれ日本との連携に『カラーが合わない』と難色を示した」という発言だけを持ち出して「橋下氏が『カラーが違う』と、たちあがれとの連携に二の足を踏むのも無理はない」と言い立てるのは、何としてでも「暗い目をした男」を押し立てたいという意識が見え見えだな。

1月26日の投稿で採り上げた2012年1月22日の社説でも「リーダーの発信ぶりの違いも大きい」だの、4月18日の投稿で採り上げた2012年4月13日の社説でも「原発再稼働と節電―大阪発で変えてみては」だの、5月21日の投稿で採り上げた2012年5月5日の社説でも「いま、政治への国民のいら立ちをうまくすくいとっているのは、再稼働問題で政府を批判する橋下徹大阪市長なのだろう」だの、6月2日の投稿で採り上げた2012年6月2日の社説でも「『期間限定』という橋下市長の発言に沿うなら、電力需要のピークを過ぎた秋には停止しないとおかしい」だのと言い立てていたけど、まるで、「暗い目をした男」だけが「脱原発」を「実現」させることが出来る、と言わんばかりに「ならば脱原発で首尾一貫した公約を作り、率先することだ」と囃し立て、「暗い目をした男」を押し立てて「脱原発依存」を実現させようと熱り立つのはナゼか?

「左翼」の煽り立てる「脱原発依存」とは、すなわち、自然エネルギー・電力自由化。
「安全に対するルールをしっかり決めて電力改革をやれば、原発がどうなるかおのずと見えてくる。原発から違う電力供給に転換していくルールを今構築している」という台詞から判るとおり、「日本に異心を抱く会」の「脱原発依存」も全く同じ。
けど、10月15日の投稿で指摘したとおり、自然エネルギーを推し進めても、原発事故の損害賠償や使用済み核燃料の最終処分の問題そのものは解決しないし、問題解決のための国民負担が減るわけじゃない。
むしろ、7月21日の投稿8月31日の投稿9月10日の投稿、そして、9月12日の投稿で指摘したとおり、自然エネルギーー買い取り制度は、問題解決のために国民が負担すべき費用を孫不正義らが横取りして、「原発ゼロ」の「実現」を阻害し、国民は益々苦しむことになるだけ。
当然、社会的弱者ほど苦しみは大きい。
電力自由化も然り。
2011年9月11日の投稿で採り上げた2011年7月13日の朝鮮日刊新聞社説が「需給に応じて変動する電気料金にすれば、節電を促すことにも役立つ」だの、2012年1月5日の投稿で採り上げた2011年12月14日の朝鮮日刊新聞社説が「ピーク時の料金を高くするなど料金体系が多様化できる」だの、3月7日の投稿で紹介したとおり、虚人=飯田哲也が「国は、需給調整契約の拡充やピーク料金など市場を活用した需要側管理を重心的に実施すべき」だの、そして、5月15日の投稿で紹介したとおり、吉田文和が「ピーク時間帯に料金を上げて節電およびピークシフトを促す」だのと喚き立てていたとおり、真夏の真昼のような電力需要ピーク時に電気代を吊り上げ、社会的弱者が電気を使えないようにして需要を減らす、というのが電力自由化。
つまり、「左翼」の煽り立てる「脱原発依存」とは弱者の切り捨て。
と言うか、それこそが「脱原発依存」の目的。
(7月11日の投稿8月12日の投稿8月13日の投稿9月10日の投稿、そして、9月11日の投稿で論じたとおり、大穢健三郎一派、共産党、社民党、夷罠深書店は同じ穴の狢。つまり、朝鮮日刊新聞は「左翼」を代弁している。)

その目的には「暗い目をした男」が打ってつけ。
10月27日の投稿で紹介したとおり、「暗い目をした男」は真っ先に「障害者への助成削減」を公言した。
つまり、「代表の橋下徹大阪市長は『障害者はたたき台だ』とし、さらに議論すると言った」。
被差別部落出身であり、社会的弱者の立場を自らの体験として知っているはずであるにもかかわらず、「障害者をたたき台」にするような「暗い目をした男」は、やたら強がって見せているけれど、実のところ、最も「ひ弱な」存在。
10月27日の投稿で指摘したとおり、「ひ弱な」存在は、権力に阿り、権力に摺り寄り、権力の狗と化して、逆に、社会的弱者に噛みつく。
自らは手を汚さず、「ひ弱な」輩を使って社会的弱者を切り捨てさせる。
弱い者に弱い者を切り捨てさせる。
「暗い目をした男」が大阪府知事や大阪市長に祭り上げられたのは正にそのため。
であるから、「脱原発依存」という弱者切り捨てに「暗い目をした男」を利用するのは当然。
その意味において、「左翼」の煽り立てる「脱原発依存」は「ひ弱なセンチメント(情緒)に駆られた野蛮な行為」 であると断言できる。

もちろん、「維新の原点」は真っ赤な左翼の真っ赤な嘘。
「脱原発依存」が「維新の原点」ならば、「石原さん個人とは一緒にやりたい。考え方もそんなに隔たりはない」と言うはずがない。
にもかかわらず、「『脱原発依存』を明記した維新の原点」などと囃し立てるのは、「左翼」が「暗い目をした男」を利用している証拠。

8月23日の投稿で紹介したパブリックコメントに見えるとおり、国民は「即時ゼロ」を求めている。
8月24日の投稿8月31日の投稿9月11日の投稿、そして、10月16日の投稿で指摘したとおり、国民が求める「即時ゼロ」は「左翼」の煽り立てる「脱原発依存」とは「根っこから食い違っている」。
既に、国民が「脱原発の道筋を示し」ているんだよ。
にもかかわらず、その事実を無視して、まるで、「暗い目をした男」こそが「脱原発の道筋を示す」と言わんばかりに、「いつどうやって実現させるのかを国民に示すべきではないか」だの、「橋下氏はこれらのアイデアに財源を示して肉付けし、政策案として取り込めばどうだろう」だの、「いま政党が説得力ある脱原発の道筋を示してこそ、有権者の判断材料になる」だのと喚き散らし、しかも、まるで、国民が求める「脱原発」と「日本に異心を抱く会」の「脱原発」が同一であるかのごとくに、「維新が今後、脱原発を貫けるのか。有権者は見ている」などと言い立てているわけで、国民が求める「脱原発」を封殺しようと目論んでいること、そのために、「暗い目をした男」を利用していることは明らかだろ。
やっぱり、「左翼」の煽り立てる「脱原発依存」は「ひ弱なセンチメント(情緒)に駆られた野蛮な行為」だな。

10月27日の投稿で採り上げた「天声人語」はダイオキシンタロウを揶揄して、「憲法の破棄、核武装、徴兵制といった超タカ派の持論を、新党にどこまで持ち込むのか。抜き身のままでは、氏が秋波を送る日本維新の会も引くだろう」と言い放ったけど、「暗い目をした男」もタレント弁護士時代には「核武装」を広言し、つい最近も「徴兵制」を公言した。
つまり、日の丸・君が代強制や憲法改悪や徴兵制は「大同」であり、だからこそ、「石原さん個人とは一緒にやりたい。考え方もそんなに隔たりはない」と公言したんだね。
ところが、朝鮮日刊新聞は「『大同』は見過ごせぬ」とは言わずに「『小異』と見過ごせぬ」と言い放った。
ということは、「左翼」には脱原発依存が「大事な問題」で、日の丸・君が代強制や憲法改悪や徴兵制は「ささいな問題」、ということであり、「左翼」の煽り立てる脱原発依存が、日の丸・君が代強制や憲法改悪や徴兵制と本質を同じくすることを露呈してるな。
2011年4月15日の投稿2012年5月18日の投稿で指摘したとおり、「左翼」は、「脱原発依存」の名の下に、かつての戦時下のような社会を創り上げようと目論んでいるんだよ。

原発事故に乗じて「ひ弱なセンチメント(情緒)に駆られた野蛮な行為」に奔る反日左翼ファッショを「日本に異心を抱く会」と共に葬り去るべし!